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     2013年ゲスト・アーカイブ  (最終更新日 : 2014/02/23)
Vol.157「戦争で単身移民は帰れずに…」纐纈蹟二さん

Vol.157「戦争で単身移民は帰れずに…」纐纈蹟二さん (2013/02/10) 放送:2013年2月8日(金)ブラジル時間 11:14~13:34(2:20) 日本時間22:14~00:34(2:20)、ダウンロードはゲストコーナのみの1時間36分53秒です。
出演:纐纈(こうけつ)蹟二(せきじ、91歳、岐阜県出身)、細川多美子、砂古純子、大久保純子

 ブラジル日系老人クラブで、民謡と書道は講師並み、俳句や川柳も嗜み、絵画(油絵、絵手紙)も素晴らしいと定評のある今年92歳になる纐纈(こうけつ)蹟二(せきじ)さん。
 趣味のレベルがあまりにも高いため、金持ち移民か町育ちの方かと思いきや、しっかりと農業に従事し、今も花作りは好きだという。戦前に単身移民でやって来たが、第二次世界大戦で帰れなくなりそのままブラジルで結婚し、日本へは50年以上ぶりに1度だけ帰ったという意外性。
 さらに素晴らしいのは2歳下の奥様の体調がすぐれないために、買い物から炊事、洗濯など家事一切を纐纈さんがしているというのだ。
 話は「纐纈」姓の由来から始まり、岐阜県は杉原千畝(すぎはら・ちうね)と同郷であることなど、面白おかしく90年の歴史が繰り広げられる。
 本当はまだまだ聞き足りない纐纈さんの人生だが、いつもピンガを所望し、「余録(川柳での名前)」「喜月(書道、俳句、絵画での号)」を使い分けて、素晴らしい文化人ぶりを発揮する纐纈さんの昔に少しだけ触れられたことが妙に嬉しい。
 「わしはなぁ~、前立腺がんを10年以上も患っているが、元気なんじゃ。これ(ピンガ)がいいんじゃ。ブラジルはいい国じゃ。前立腺がんの高い薬をずっとタダでくれとる」と、いつも大声でみんなを笑わせている。愛すべき91歳のお声をどうぞ、お聴き下さい。
 ブラジル老人クラブ連合会で録音。

纐纈さんは2015年3月27日午前3時、病院で亡くなられました。享年94歳。
約17年前から病と向き合う日々でしたが、約1年前から肩近くに脂肪の塊りのようなものが出始め、肺ガンが再発しました。治療を始めましたが薬の結果が良くなく、3ヶ月ほどは寝たきりの生活でしたが、日系の親切な癌専門医が色々と難しい手続きをし、新薬を支給してもらい、快方に向かって、「これからは熟連の教室にも出てこれる」と言っていたぐらいでしたが、約6ヶ月前からベネフィシエンシア・ポルトゲーザの病院のUTI(集中治療室)に入り、一時は危篤状態にもなり、入退院を繰り返していました。
 葬式は当日五時からモルンビ墓地で行われ、約70名が出席。大正10年6月8日生まれ。岐阜県加茂郡八百津町出身で、昭和13年に親戚の構成家族の一員として移住、チエテ植民地に入植。農業に従事し、その後、サンパウロの町に移り、2002年から老ク連の俳句教室、書道教室、民謡教室と色々な教室を手伝い、2006年には熟連の第二書記を務めました。
熟連で纐纈さんと一緒に書道や絵手紙をできないと思うと、本当に淋しい限りです。衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。

それでは、以下のリンクをクリックしてお聴きください。
http://brasil-ya.com/radio/20130208.mp3


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