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熟年クラブ連合会
     活動報告  (最終更新日 : 2019/02/15)
2007年11月号

2007年11月号 (2007/11/10) 「学んで・笑って」サロンでいろいろ

貞弘昌理
 老ク連のサロンでは、連日午前午後に別れて定期的に教養教室が開かれているので、その他の特別の集まりを催すのは大変困難になっている。しかし外部からの好意を逃すのは何とも惜しいので、昼食時間に挟み込むという無理はするが、会員に喜んで貰う事が増えてきている。サンパウロ市の中心で日系人地域の中に会館があること、そこに常時人が集まっていることなどが知られてきた所以であろうかと、喜ばしく思うのである。
 十月十日広島県から来伯された、被爆者援護医療チームの一員である松村誠博士の「いつまでも美しく、たくましく、そしてしぶとく」という医療講演が行われた。ブラジルに比べて、日本の指導者は比較的年齢が高い。それは調和の取れた食べ物や運動によって、元気で長生きしている人が多いということで、豊富な経験が物を言い理想的な姿である。美しさや健康のためと称して、やせる事を望む人は多いが、実は中デブが一番健康で長生きと証明されている。植物繊維が必要分取れているかどうかは、翌朝卵三つ分を産むことである(排便する)。高齢者こそ肉や魚の脂肪の少ない蛋白質を取る必要がある。など日本の美しい風景も挟んだ画像と共に、ユーモアの交じった大変わかり易いお話であった。
 当会を選んでこのような場を作って下さった、広島県人会へ感謝は大きい。こうして映写の設備が整っているのも、多種な催しが可能になる条件の一つで、会員の喜びに繋がっている。
 大道芸人老門(おいかど)一郎氏には、毎日違う教室の生徒の要望により、十月八日から十日まで当会の寮に泊って貰って三回の公演となった。自分の頭頂を丸く剃って回りの髪だけ残し、更に上唇を引っ張り出してカッパの顔で「寅さん」のように日本中お祭を追って、どこへでも公演に行くとか。やがてそれがヨーロッパや南北アメリカなど海外にまで足を延ばし、現在ブラジルに滞在中である。 何もかも一人なので、荷物などもどんな場合にも対応できる工夫がなされているし、最低限必要なその国の言葉は直ぐ覚える事にしているとか。従来日本人は群をなし個人は不得手といわれたが、近頃はこうしてたった一人で世界を渡り歩く頼もしい若者も多いようである。お面や衣装を替えて跳んだり・はねたり動き続けて一時間余。終わっても少しの疲れも見せず、お客様としゃべって飲んで食べて、非常に愛想も良い。老門氏は子供の時から奉納舞を習わせられたというが、伝統芸能はこのようにして受け継がれていくのだろうかと、日本のためにも頼もしく思った。


ビンゴ大会を手伝って

貞弘昌理
 十月三十一日老人クラブ主催のビンゴ大会があった。昼食を挟んで、五時間にも及ぶ大フィーバー。参加者百八十人くらい。サロンに入りきらないほどの人が集まった。前日から賞品を揃えたり、会場準備をしたり、大忙し。四〇品づつ七回分の賞品(景品)をめぐって、熾烈な戦いが繰り広げられた。
 日本でもビンゴはあるが、これほどの大掛かりな大会は知らない。集まりの終わりに、余り物の少しの(賞品)景品をめぐってビンゴをする。その程度だ。
 そもそもビンゴの由来は何だろう。
 「数字合わせによる賭博競技の一種。一定の方法で選ばれた数字と同じ数字を自分のカードの中で消してゆき、早く縦・横または斜めの一列の五つの数字を消したものが勝つ。
一五三〇年代にイタリアで始まり、十九世紀に世界各地に広まった。日本へは第二次世界大戦後、賭博の一種としてアメリカから輸入され一時盛んになった。現在では金銭ではなく景品を争うゲームとして、社内の宴会の余興などで盛んに行われている。」
 (広辞苑・百科事典マイペデイア・ブリタニカ国際大百科事典より)
 我々は、もう一つでビンゴになる時に「リーチ」と叫んでいた。そのもう一つがなかなか出ないから、はがゆい、悔しい、しかし面白い。だから熱が入るのだろう。不思議なもので、何度も当たる人がいれば一度も当たらない人もいる。何枚も買ってみんな当たる人、逆にどれも当らない人、すぐにリーチになるが、あと一つが出ない人。
 「頭を引っ込めろ、数字が見えん。」「早く賞品を選んで戻って!続きを始めるから。」景品が当たるとなれば、熱がこもる。「それは出てない数字じゃないのか…?」
 終わりに、一度も当たらない人にはうどんの残念賞。自分もその一人だった。どういう訳か当たったことがない。あと一つが出ない。歯がゆい思いをいつもしている。でも、残念賞があるから、ま、いっか。
 今回のビンゴ大会は、疲れた。私は出た数字を黒板に貼り付ける手伝いをしたのだが、膝折運動を何回やったことか。なぜなら私の長身の故に数字が見えなくなるから、貼り付けたらすぐに座らないといけない。椅子がないから、しゃがまなくてはいけない。立ったりしゃがんだり、しょっちゅうやれば、足腰が強くなるなと思った。良い運動になった。


ひまわりで老幼交流のお伽話会

五十嵐司
 老ク連の対外活動(日本文化伝承)の一つとして、幼い三、四世の子供たちに日本人の心を知ってもらうために、日本で古くから伝わる良い話を紙芝居やアニメ映画で見せるという企画がある。
 昨年は第一回として松柏学園(ビラ・マリアナ地区、川村真倫子園長)、今年に入って第二回目はイタマラチ学園(アナ・ローザ地区、吉加江ネルソン園長)で行われ、第三回目はひまわり学園(ジャグアレー区、佐藤吉洸園長)において、十月二十九日の午後、約二時間にわたって、鑑賞・合唱・遊戯が行われた。
 ひまわり学園は聖西地区では最も有力な日本語学校のひとつで、佐藤園長はブラジル日本語センターの副理事長も務めているベテランの教育者である。
 上映されたのは「花咲じじい」「猿蟹合戦」「舌切り雀」の三作で、市原悦子氏の声の出演による動画、各十五分であった。いずれも約千年前の平安時代から延々と伝わる昔話。私たち高齢者も幼い頃には祖母や母から聞かされた勧善懲悪の物語であるが、まじめでやさしい心を持った子供に育って欲しいと親が願う思いが込められた話である。
 先生たちの観察によると、ひまわりの生徒さんたちは、目を輝かせて聞き入っていた。上映後、子供たちの感想や説明応答の後、私たち老ク連参加者と教師、子供併せて約四十名が貞弘先生のギター伴奏で「花咲じじい」を合唱した。
 その後は貞弘先生による、子供たちにも良く分かる五十音表を使った音声遊びや、美しい貼り絵でのなぞなぞで、子供と高齢者が一緒に楽しめる時間を作って下さった。感謝を申し上げる次第である。
 また今回も名画なつメロ倶楽部の戸塚マリ先生、開静香委員に色々と協力をして頂いた。

貞弘昌理
 老ク連の活動の一つとして、ひまわり学園に行った。園長は前記のようにとても偉い人で、学校経営は奥さんと二人で協力とのこと。先生は若い女性ばかり四~五人。生徒は幼稚園・小学生から高校生くらいまで約三十~四十人。老人クラブからは四名が参加。荷物は音響機材・映写機、太鼓等のレクリエーション関係と、大荷物になった。そこは力持ちの戸塚さん、開さんがいるから助かった。
 初めに五十嵐さんがポルトガル語を交えて映画の説明をし、子供たちは聞き入っていた。日本のテレビでやっている「日本昔話」を録画したもの。前回の紙芝居に代えて、今年はスクリーンにアニメを映写したので、絵が大きく動きがあってわかり易い。これは我々大人が見ても面白い。絵が可愛いし、声優の話し方がちょっととぼけた味があって、とてもいい。ここの子供たちにも受けたのが分かって、嬉しかった。
 続けて、「花咲じじい」の歌をみんなで歌った。他の童謡もそうだが、歌詞がそのまま物語になっており、歌詞を覚えると物語が分かる。ギター伴奏でみんなが声を揃えて歌ったのは、気持ちが良かった。
 次はレクリエーション。先ずはお決まりの、大声を出してのあくび。続いて歌を歌いながらの肩たたき。次の「あいうえお遊び」は、老人クラブに呼ばれたときにもよくやる出し物であるが、我ながらやっていて面白い。子供たちの反応も良かった。単に「あいうえお」と読むだけでなく、太鼓でリズムを取って読んだり、逆読みしたり、俳句読みしたり、変化があって良かったのではないかと思う。
 何しろ自分は日本語しか話せない。ここは日本語学校であるから、通じて当たり前のはずと思って、安心して日本語で通した。“あいうえお遊び”は、子供たちにも勉強になったのではないかと思う。
 続いてのパネルシアターは、ブラジルに来て初めての出し物。日本では幼稚園や小学校でもやったが、子供たちよりもお母さん方に大うけだった。「ピクニック」という歌に合わせて、色々な動物が出てくる。「ポルトガル語で何て言うの?」と尋ねながら進めた。「あいうえ王子」も日本語を覚えてもらうのに、良い。「『あ』のつく言葉は何?」と尋ねながらの進行は、子供達と交流が出来て良かった。
 一緒に行った人たちの協力もあって、とても楽しい訪問だった。会員同士の交流も出来たこと、また、レクの巡回指導を老人クラブだけでなく、子供たち相手にも出来たことは、自分のブラジルでの一つの目標でもあったので、とても良かったと思っている。


ウキウキ、コツコツ、ワクワクで行こう!

モジ中央日会老人部 西丸俊子
 十月十八日のモジ例会には、お医者さまの小野寺近先生をお招きしました。先生は東京外国語大学でポルトガル語を勉強しました。大学一年生の時に一週間ブラジル人と過し、学校で学ぶより、よく分かったので「これならブラジルへ行ける」と決心して、二年生の時に中退し一九七四年四月に二十一歳で渡伯、リオ・デ・ジャネイロへ来ました。ブラジルの大学試験を受け、私立のガマフィリョ大学医学部に一回で合格しました。ここで高校の資格が必要となり、ポルトガル語で歴史、地理、社会学の試験を受け、これも合格点を取り、見事に資格を取りました。
 現在はアナ・ホーザのPL診療所に勤務しています。「長生きすること、体のことは、皆さんに教わりたいぐらいですので、この話はしません」と前置きされて、現在、社会にはいろいろな問題がありますが、そんな時、その解決法を注意して考えることによってさまざまな能力の向上につながります。例えば、日本人は魚を好みます。日本近海では漁獲高が減少しているので、遠洋で取り、冷凍して持ち帰ることになりますが、そうすると新鮮味がなくなってしまうので生きたまま持ち帰る方法が良いということになります。しかし船底に水槽を作り、泳がせて帰るとなると魚が疲れてしまいおいしくありません。そこで生き生きした状態で港に着くようにするには水槽の中にサメを一匹入れると魚は緊張して生き生きしているといいます。(トロイ魚は食べられてしまうとか。)
 また有名な日野原重明先生は九十六歳という高齢で、対談や作詞・作曲をなさること。心理学者の点から見て、自分が何かに打ち込めることが良いとのこと。例を上げると、ダンスやカラオケ、体操、異性への関心などの気持ちを持つことが大切だと話されました。また、先生はいつも①ウキウキ、②ワクワク、③コツコツ。この三つのことを実行しているそうです。私もそんな生活を心掛けたいと思いました。
 約一時間の先生の話はあっという間に過ぎ、楽しい時間を過ごさせて頂きました。ありがとうございました。


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