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熟年クラブ連合会
     活動報告  (最終更新日 : 2019/02/15)
2010年5月号 [画像を表示]

2010年5月号 (2010/05/15) 熱気に包まれたビンゴ大会

 今年最初のビンゴ大会が四月三十日、老ク連サロンで行なわれた。数多くある老ク連行事の中でも、年に二回行なわれる楽しい行事の一つである。今回はリベロン・ピーレスから十三人も駆けつけるなど、朝から続々と会場に詰めかけ、最終的には二百人を越し、全館から集めた椅子も机も全部ふさがり、後から来た人は座る所がないぐらいの盛況ぶりであった。
 賞品は役職員から集めた寄付金で購入したものと、役職員や会員有志から差し出された数多くの品物で、一回につき四十一人は当たる品揃えの豊富さであった。賞品の当たる七回のビンゴの他に、前売りの赤券・青券の賞金付きが行なわれ、さらに当たらなかった人には残念賞もある。
 以前は少人数に大物賞品を…と、計画したこともあったが、最近は老ク連の「親睦」大会らしく、誰にも役立つものをより数多く、という方向性となり、逆にそれが参加者に喜ばれている。
 今回は数字を全部埋める青券、赤券それぞれが一人だけに当たり、大変な喜びようで、皆に拍手で祝福された。大金が掛かっている最後の赤券の時などは、仕舞いの方になると皆の緊張が頂点に達し、一つ数字が出る毎に「ビンゴ!」と大きな声が聞こえる。だが、それが間違いで笑われた人が何人もいたりして会場を沸かせた。間違えた人の中には「恥ずかしくて、しばらくは老ク連にも来れないねー」などと冗談を言い合い、とにかく笑いの絶えない楽しい一日だった。
 全部で九回も夢を見させてくれたビンゴ三昧(ざんまい)の一日も三時には無事に終わり、参加者は笑顔で会場を後にした。

【賞品寄贈者(順不同)】
 五十嵐司、内海博、小坂誠、戸田房子、玉井須美子、田村福八、西丸俊子、有賀春子、古賀正倫、中川浩巳、上野美佐雄、井出香哉、相沢絹代、矢野恵美子、香山和枝、遠藤猛、武田久夫、上田孝子、上原玲子、牧本ローザ、岡たつみ、山田操、板井としえ、篠原みち子、加藤深雪、長山豊恵、玉田伯夫、菊池つる子、滝が平功、杉本正、田中マリオ、内山卓人、藤井きみ子、伊藤ふみえ、、猪熊氏、畠中和廣、金藤泰子
【当選者】
青券 サンパウロ鶴亀会 田中みち子 百五十
赤券 サンパウロ中央老壮会 伊藤梅子 二百


森田県知事講演、老クも共催で

 五月二日(日曜日)午後四時から宮城県人会会館で森田健作千葉県知事の講演会が行われた。これは老ク連も共催団体の一つとして参加。老ク連は藤瀬圭子氏から最初に共催の依頼を受けた。当初、県側からは断られた所を老ク連からの熱い思いを藤瀬氏が感じ、知事へ直訴して叶った講演会であった。
 もともと森田知事は千葉県人会会館の落成式に参加するための来伯で、多忙なスケジュールの中、コロニアの人向けに特別講演を行なってくれたことになる。当日は麻生前首相の来伯とタイムスケジュールが重なる等したが、会場には老ク連会員を含めた約二百名の参加者が詰め掛けた。
 森田県知事は俳優として青春映画やドラマ、時代劇等に数多く出演し、その後、政治家として活躍。参議院時代と今回で二度目の来伯だが講演は初めて。千葉県知事には二〇〇九年に当選。
 当日、会場に知事が現れると、聴衆は皆、立ち上がって拍手で歓迎。自分の生い立ちから始まり、俳優としての成功と、売れなかった時代の事を率直に語り、会場の聴衆を魅了した。最後には自らのヒット曲「さらば涙と言おう」を歌い、会場は拍手の渦となった。最後は小森広氏の万歳三唱で閉会となった。
森田県知事講演.jpg
講演後、森田健作知事を囲んで、共催団体代表者が記念撮影。老ク連の五十嵐司会長は右から5番目で森田県知事の右隣。


就任のご挨拶

老ク連援護理事 中川浩巳
 今年はブラジル日系老人クラブ連合会が創立されて、ちょうど三十五周年にあたります。
 この節目の年に五十嵐司氏が八代目老ク連会長に就任されまして、会の発展と親睦(しんぼく)に邁進(まいしん)しております。
 私はその新しいメンバーの一人として、前・田村福八援護理事の後任として推されました中川浩巳と申すものでございます。
 援護理事の仕事は、会員の援護ということで、無料診療や老人施設、病院への連絡・問い合わせ、また要介助者に対する一日ボランティアの仲介、そして諸々(もろもろ)の相談に事務局と連携して相(あい)務めております。
 私が始めて老ク連に入会したのは、たしか十四、五年前の事です。ピニェイロス親睦会老壮部では寺田洋子氏の指導で、フォークダンスを盛んに練習しておりました。現在も毎週水曜日の午後二時より続いております。
 その頃、私はまだ六十歳にならず、運動のためと思ってやっておりましたが、老ク会員の皆様方が八月の芸能祭を目指して一生懸命練習していました。その年、芸能祭へ出場する演目がパール(二人一組)になるのに一人不足するため、出場するように勧められましたが、入会もしておりませんでした。その頃、六十歳以上でないと入会できなかったのです。その時の老人会の会長は、今は亡き故・井上孝義さんでしたが、「年が足らんでも、俺が責任を取るから」と説得され、六十歳に二年不足で入会させてもらいました。私にとっての初舞台です。
 この時、ピニェイロスがフォークダンスの部で一等を取りました。それから毎年毎年老ク連の芸能祭を楽しみに出場しておりました。
 フォークダンスはピニェイロス、カンピーナス、プラッサ・ダ・アルボレといった会で、他のクラブでは出場していませんでした。競走も少なく大変楽しかったです。
 でもその後、私は心臓病にかかり、手術を行い、運動することが出来なくなり、治療に専念して何年かが過ぎました。今はお陰様で元気に過ごしております。今年あたりは芸能祭にも出場してみたいなと考えております。
 どうか会員の皆様、不束(ふつつか)な者ですが、私なりに一生懸命がんばりますので、よろしくご指導とご鞭撻を心よりお願い申し上げます。そしてブラジル日系老人クラブを一緒に盛り上げて参りましょう。


与古田先生をお迎えして

バレットス寿楽会 池田正勝
 先日は遠方を与古田先生に来て頂き、ありがとうございました。当バレットス寿楽会では、月の第二日曜日が例会になっていますので前日の二月十四日に来て頂くことにしました。
 老ク連の方から「午後三時にそちらに尽きますから出迎えをお願いします」と電話がありました。元ボランティアの安達先生や宇野先生が来られた時は夕方でした。次の貞弘先生は私が足を骨折して歩けませんでしたので、来て頂きませんでした。与古田先生の到着時間が間違っていたら困るだろうと思い、ロドビアリア(長距離バス停所)まで確認しに行きました所、やはり午後三時に着くバスがあることが分かりましたので、三時に出迎えに行きました。
 それまでにホテルも予約しておき、三時に少し遅れてバスが着きました。降車口より少し下がって立っておりますと、お客さんが大分降りてから、三線のケースを肩にかけて疲れた様子もなく元気に降りてこられました。
 挨拶され、すぐ「八時間もかかりました」と言われたので、「この時間に着くバスは町々に寄って来るからです。夜十二時半に出るバスは直行ですから朝六時にサンパウロに着きます。帰りはそれにしますね」と日曜日の夜十二時半の切符を買いました。
 私の家について一休みして、夕方まで大分時間がありますので、車で市内を見学して頂きました。先生に「この町は通りがきれいですね」と褒めて頂きました。それから沖縄県の話をされました。先生は中学校の校長先生だったそうです。夕食は私の長男の家で曾孫の誕生祝がありましたので、先生にも一緒に行ってもらいました。
 先生は人前に慣れていますので、誕生祝に来ているお客さんとすぐに友達になって、沖縄の話をされ、持って来た三線を弾いて歌い、楽しいひと時を過ごして頂きました。十時も過ぎましたので、「明日がありますから」とホテルまで送って行きました。
 翌日は私の家で昼飯を済ませ、十二時頃会館へ行きましたら、会員の方たちがテーブルを並べていました。先生にまで手伝ってもらいましたが、一時が開会となっていますが、会員の集まりが少なくある会員さんが「今日からカーニバルで休みですから、子供たちが帰ってきているし、お客さんも来ている人が多く、出てこられないのでしょう」と言われました。
 予定時間を少し過ぎて開会となりました。例会プログラムから始まり、老ク連の歌、合唱と進み、与古田先生の番になりました。
 先生は「沖縄の海は綺麗ですし、観光客も沢山来ます」と沖縄県の話をされました。それから指、首、目、鼻、腰と座ったままで出来る体操を指導されてから、色々な歌を三線とあわせて皆と歌われ、最後に沖縄の歌を歌ってもらいました。
 私の家に帰り、夕食後、テレビでカーニバルが始まりました。サンパウロとリオデジャネイロの本場のカーニバル。「明日、サンパウロへ着かれて切符を買えば、近くで見物することも出来ると思います」と説明し、バスの時間が近づきましたので、ロドビアリアまで送って行きました。また、次にお会いする日までお元気で!与古田先生、ありがとうございました。


与古田、玉井両先生と楽しく

ジュンジャイ睦会 長山豊恵
 三月十七日、睦会の例会の日である。今回はシニア・ボランティアの与古田先生と舞踊の玉井先生をお招きしていた。両先生とも大変人懐こい好感が持てる先生方である。
 いつものようにまず昼食を頂き、老人クラブの歌を合唱して出席者の名を読み上げた後、お誕生日の小さなプレゼントを渡して、パラベンスを歌った。
 今回は協議することも少なく、お知らせをちょっと読んでからレクリエーションに入った。まず始めに玉井先生に「北国の春」の体操を教えてもらった。健康維持は精神的に若さを保つ上でも欠かせないことである。
 与古田先生は座ったまま出来るという指手や鼻、耳と指先運動、親指と小指を反対に立てていくゲームを指導してくれ、見ていると可笑しくて笑いが止まらない。先生が小脇に抱えた三線を鳴らしながら楽しいお話を色々と話してくれた。
 安里屋ユンタになると、先生に合わせて歌いながら「サーユイユイ」と囃(はや)す賑やかさであった。会員一同、乗りに乗って立ち上がり、手踊りを始めた。賑やかな雰囲気の中で時間が経つのも忘れるほど。
 最後はビンゴの時間となり、先生方も仲間に入り楽しみましたが、帰りの時間となり、名残を惜しんでお別れをした。身も心も温まる楽しい一日だった。またの機会を心より楽しみにしている。先生方の今後の活躍とご健勝を祈っている。ありがとうございました。


四月馬鹿の日

アルジャー親和会 佐藤ゆきえ
 二〇一〇年四月一日、そこはかとなく秋の気配を感じさせるすがすがしい朝を迎えました。今日はアルジャ親和会の月例会。あちこちで一か月ぶりの元気な再会を喜び合い、明るいにこやかな笑顔がこぼれます。
 今回は老ク連の五十嵐司会長、与古田先生にお越し頂ける日。皆心待ちにしての例会でした。
 訪日中の玉田会長に代わり、安武副会長司会のもと、今月の議題がテキパキ進行していきましたが、そこへ突然、五十嵐会長、与古田先生のお二人がアルジャ市内に入って迷子になったという電話。すぐにお迎えの方が大急ぎで車を走らせました。
 間もなくお二人は無事にご到着。それこそ席の暖まる暇もなく、五十嵐会長のご挨拶とお話を頂きました。「みんな年輪を重ね、その経験を生かしてこれからも日本人の心を持った会員をもっと増やし、コロニアのご意見番としてドンドン意見を出しましょう」と、清く正しい老ク連を牽引してくださる頼もしいお話や、皆で楽しめる行事など、色々と考えてくださっているお気持ちが伝わってまいりました。
 続いて、一、二、三月生まれの方々の誕生祝い、ケーキカットの後のラジオ体操、近頃は全員が参加して柔軟に体が動くようです。
 その後、昼食をはさみ、いよいよ与古田先生のご登場。脳トレーニングにモタモタしながら大笑いし、三線にあわせて、沖縄の歌を唄ったり踊ったり。踊りの輪を作り、先生について踊り始めましたが、手と足が思うように動かず、阿波踊りの出来損ないのようになってしまったり。踊る人も見ている人も大笑いしながら汗をかいて、楽しい一時を過ごさせて頂きました。
 こうして四月馬鹿ならぬ、とても素敵な良き月例会の一日でありました。ありがとうございました。


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