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熟年クラブ連合会
     活動報告  (最終更新日 : 2019/02/15)
2011年5月号

2011年5月号 (2011/05/13) 第十九回老ク連親睦ビンゴ大会

 今年二〇一一年最初のビンゴ大会が四月二十九日、金曜日老ク連サロンで午前十時から行なわれた。数多くある老ク連行事の中でも、年に二回行われる行事である。朝から続々と詰めかけ、最終的には百八十名を越して全館から集めた椅子も机も全部ふさがり、後から来た人は座る所がないぐらいであった。
 賞品は役職員から集めた寄付金で購入したものと、役職員や会員有志から差し出された数多くの品物で、一回につき約四十人は当たる程揃えられた。この七回のビンゴの他に、前売りの赤券・青券の賞金付きの分が行なわれ、当たらなかった人には残念賞も出された。また今回も内海博副会長の寄付により炊飯器を三つも購入でき、良い賞品に参加者も大はりきり。以前は、少人数に大物賞品を…と、計画したこともあったが、最近は老ク連の親睦大会らしく、誰にも役立つものをより数多くという方向性となり、逆にそれが参加者に喜ばれているのである。ビンゴでは何回も当たる人もいれば、一回も当たらない人もいる。だが、それも一つの魅力でしょう。
 賞品のみのビンゴが七回と赤券、青券の二回で、全部で九回も夢を見たビンゴ三昧(ざんまい)の一日も三時半には無事に終わり、参加者は笑顔で会場を後にした。青券は一回目は一人に当たり、また赤券は二名に当たり大喜びしていた。なお、青券当選者のTさんは「十分に楽しませてもらいました。ありがとう」と、後で全額を義捐金箱に募金してくれました。
賞品寄贈者(順不同)
 五十嵐司、内海博、古賀正倫、小坂誠、松平和也、纐纈蹟二、、上野美佐男、西丸俊子、玉井須美子、田村福八、中川浩巳、中村こう、上原玲子、 武智よしみ、高山知己、遠藤猛、井出香哉、相沢絹代、石原治子、戸田房子、山口すえの、岡たつみ、伊藤フミエ、菊池ツル子、板井としえ、有賀春子、与古田徳造、畠中和廣、金籐泰子


東日本大震災義捐金募金の中間報告

 三月の日本の震災直後から始まった老ク連の義捐金募金運動は、一回目はすでに送金済みですが二回目分として、各支部クラブから次々と寄せられ、五月一日現在で約五万レアルを超えております。
 今月末には日本の全老連に寄託しますが、わずかな年金の中から貰(もら)うたびに募金をして下さる方、八十八歳の祝い金を募金して下さる方、子供たちから貰った小遣いや今回のようにビンゴの賞金全額を寄付してくださる方など本当に善意が伝わってきます。また、古着の売上げを募金に入れて下さいというセミノーボ(新古)の洋服を持参するブラジル人などもおり、さまざまな形で募金運動は進んでおります。
 以前、当老ク連にシニアボランティアとして派遣されていた貞弘先生からもこの募金運動に対して日本からお礼のメールが寄せられています。
 復興の遅れ、先の見えない生活状況など同胞の苦難に少しでも役立てるよう応援しましょう。


与古田先生ようこそノーバエスペランサへ

ノーバエスペランサ老人クラブ緑会会長 上村春雄
 四月十日、与古田先生が長距離バスで私達の街ノーバエスペランサにお出で下さいました。大変お疲れかと思いましたが、先生は疲れはないと言われました。また、ブラジルの長距離バスは日本のバスよりは良いと言われました。約十時間の旅だったそうです。
 今日の例会は、午前十一時に始まるようになっていましたので、午前十時過ぎに先生と一緒に会館に行きましたら、六、七人の会員の方が支度をしておられました。
 例会では始めに、先月日本での東北関東大震災で犠牲になられた方々に一分間の黙祷を捧げました。それから、先生の自己紹介がありました。その後、老人クラブの歌を皆様と歌って、四月生まれの方々の誕生を祝い、高倉輝男相談役の乾杯で昼食となりました。食事がすんでから待ちにまった与古田先生のお話に入りました。
 いつもの例会では、二十人前後の会員が集まるだけですが、今回は四十人近くの会員で賑わいました。沖縄県は世界一の長寿県だそうです。百歳まで元気で生きられるよう、いろいろな運動また脳の働きをよくする体操など、約一時間四十分くらいの大変有意義なお話でした。
 そして、休憩の後、今度は三線で沖縄民謡をたくさん歌われました。安里屋ユンタでは「サー、ブラジル良いとこ、サー、沖縄良いとこ一度はめんそうれさ」など多く教わり、緑会会員の皆様は「こんな良い話はめったに聞かれない」と喜んで帰られました。
 与古田先生、大変ありがとうございました。六月には日本にお帰りになられるそうですが、どうかお身体を大切に百歳まで元気で長生きして下さい。
 私達もブラジルで百歳までは元気でおりたいと思います。ありがとうございました。


めんそーれー、与古田先生

サントス厚生ホーム 平木てる子
 四月十四日(木)十四時からサントス厚生ホームに、ブラジル老人クラブ連合会所属のJICAシニアボランティアの与古田先生をお迎えして、先生の講演会、三線演奏等の披露をして頂きました。またこの日は老人クラブ連合会のサントス支部のサントス伯寿会、ホームの入居者の四月の誕生者の誕生会も兼ねて行いました。いつもの誕生会とは異なり入居者はじめ伯寿会の方々は少し戸惑っていたような感じも見受けられました。
 四月度の誕生者の誕生会が終了した後、与古田先生の健康に関する講演会がはじまると、入居者は身を乗り出して話を聞き入っていました。また、先生の問いかけに元気よく返答して興味深そうでした。その後いよいよ三線での歌と演奏。最初の練習では小さな声で歌っていた入居者たちもそのうち声が大きくなり、最後には沖縄出身の入居者や伯寿会の方々が先生の三線の演奏に合わせてかちゃーしーをすると、サロンにいるみんなが座ったまま笑顔でかちゃーしーをしていました。
 入居者の笑顔がたくさん見れたことを感謝いたします。
 与古田先生ぬちぐすい。(感謝しています。)これからも音楽を通しての交流を広めて行って頂きたいです。
そして老人クラブ連合会のこれからのご繁栄を心よりお祈りいたします。


リオ募金の報告

 去る一月のリオデジャネイロ水害に対して老ク連では急きょ水害助け合い募金を行いました。
 短期間ではありましたが、各クラブ、個人よりたくさんのお見舞金を寄せて頂き、リオ、日系協会を通じ被災者の方々にお届け致しました。援助金額は合計で五千レアイスとなりました。ご協力下さいました会員の皆様に心よりお礼を申し上げます。募金の詳細は以下の通り。
 老ク連窓口一六〇九・五五、サンパウロ中央老壮会五四〇、モジ中央日会老人部三六〇、サンパウロ名画倶楽部二〇〇、ビラ・ソニア老壮クラブ一〇〇、プラッサ・ダ・アルボレ老壮会一〇〇、サンパウロ鶴亀老壮会一〇〇、サンパウロなつメロ倶楽部五〇、老ク連本部一九四〇・四五。
 なお、今月リオ日伯文化体育連盟理事長の鹿田明義氏が当会を訪問され、募金の御礼と水害の模様をお話下さいました。以下はリオ日伯文体連の機関紙「あゆみ」よりの一部抜粋です。

世紀の豪雨禍セラーナ地方に大打撃

ノーヴァ・フリブルゴ 松岡利治
世紀の豪雨禍セラーナ地方に大打撃.jpg
 住まいの農場で最高・最低温度と降雨量を記録するのが日課となって二十年になる。
 魔の水曜日となった一月十二日は前夜来の雨が激しく、この調子だと一四〇ミリが限度の簡易雨量計は溢れてしまいそうで心配になり、夜明け前に見ると案の定、満杯の寸前で、それを空けて計測は続け、二十四時間で一九七ミリを記録している。
 まどろむ間もなく明けた東方の稜線を見ると、生々しい土砂崩れの跡が幾筋もあるではないか。前方に目をやると、小盆地状の部落中央の平地が数十メートル幅の土砂で埋まり、泥海となっているではないか。大小の石塊あり、根こそぎ流されたおびただしい数の樹木、電柱、農機や資材置き場の小屋の残骸などを飲み込んで…。
 土砂崩れで寸断された農場へ通じる市道をモト・セーラ、トラクターを動員して自動車の通れる最小限の道幅を開け、一km離れたコンキスタ川に出てみると濁流の氾濫で両岸は一・五mを越す浸水、住民は皆、着の身着のままで小高い場所に避難している。
 時間帯が深夜から未明にかけての惨事であったため、出水で目を覚ました人も居るほどで大方が家財など搬出するどころか、身一つで助かったのを喜び合っている様はカメラを向けるのもためらわれる。
 フリブルゴ、テレゾポリスを結ぶ洲道一三〇号線は山間で到るところ崖崩れ倒木、電柱の横倒し、川床が上がって水は橋の上を流れる寸断状態であったが、時を移さず州や市の道路局などが総動員で復旧作業にあたり、夕刻にはこの幹線道路は何とか通れるまでに漕ぎつけている。
 なおフリブルゴ市内セントロでも土石流で六階建てのビルの倒壊など、多くの犠牲者は出ているが、筆者の農場でもコンキスタ区のコンドミニオ・ド・ラーゴの土石流など一筋や二筋のモノではなく、一方の山が総崩れの落ち、密集していた平和郷が瞬時に消えてしまっている。さらに近くのプウライーニャ区が同じく土石流で二十人ほどが生き埋めになっている。
 リオからBOPE(軍警特殊救援部隊)が設営され、近隣の市や郡から応援の警察、消防、デフェーザ・シヴィル、救急車がサイレンを鳴らして疾走して行くので、翌日も翌々日も危なくて運転などできない。これらの救出作業は大変なものであったらしく、大方の遺体となった犠牲者はヘリで安置所に運ばれていた。
 TVや新聞のニュースで連日報道されており、今更このようなことを書き連ねる必要もあるまい。情報量がやたらに多い今日では天災で何処に被害が…と知っても遠い所のこと。他人事としていつのまにか忘れ去ってしまっていたが、今回は自らが渦中に巻き込まれた格好で、受けたショックやインパクトの強さは、一生忘れることは出来まい。
 元来、都市発生の起源は川に沿って発達している通り、フリブルゴ市などもベンガラ川に沿って十km近く伸びている。工業も早くから興こったせいか十八万を越える人口は、立地条件からして許容範囲をはるかに超えており、必然豪雨では浸水する河畔に住むか、急峻山裾を選ばざるを得まい。
 昨年正月のイーリャ・グランデの土砂崩れ惨事は一筋というか一ヵ所で、あの被害だったと思うが今回のフリブルゴの土砂流は数百ヵ所を下らない。豪雨禍で高みは土石流、川べりの低みは洪水とあって、フリブルゴにはもはや安全な場所が無くなって来ているらしい。
 冒頭の降雨量は私宅での数値であり、場所によってはこの災害までの三ヶ月間に年間降雨量に匹敵する雨が降った異常現象が原因という。だがセラーナ地方の住宅が危険とされる地域に密集していることなどを指摘する報告書を作られていたり、国連あて宛の公式文書にも自然災害に対する備えが出来ていないと記載されているとのことを考えれば、たとえ三百年に一度と言われるこの惨事であっても行政の怠慢に起因する人災であったといえよう。あまり報じられなかったことにフリブルゴでは元市長が郊外の瀟酒なマンションで被災し、懸命な捜索活動の末に五日後、九m埋もれたところで遺体で発見されている。前女性市長なども旅行中で難こそ逃れたが住宅は全壊している。
 高級住宅ほど少々無理かと思われる地形に建てる方が映えると思われとしたら、何と皮肉なことか、小高い丘の上に建てられている教会の被害も意外と多い。
 三日目頃からは救援物資がブラジル中から運び込まれ、市内市外を問わず教会、学校、体育館や各種の慈善団体に溢れたのは、ブラジル人の連帯意識か博愛精神の計り知れない心の豊かさを知らされた、ただ惜しむくらくは配給方法が確立されていないため、食料なども抜け目のない人達は半年分以上のストックをしているといわれる。それにしても飲料水、衣類などは何処にも溢れんばかりに山積されるほどであった。サンパウロの日系社会では「御三家」で集められた3トンもの救援物資を援協の菊池義治副理事長一行が被害状況の視察を兼ねて引き渡しに見えている。
 同じ便でリオの日系社会の皆さんからも心暖まる品物を頂いている、ただ私見で一言申すならサンパウロの日系の方より、被災した日系の方達に宛てた特別に心のこもった品物もあったと聞きますが、通信網も不完全なこの非常時に日系人だけを集めるのも困難なうえに、人道的に不可能であったと思い了解していただきたい。
 市中心部で六階建てのビル破壊は前述したが、二区画に亘って瓦礫がほぼ片付けられた空き地が出来、フリブルゲンセの心に空洞のような深い傷跡を作ってしまっている。
 献花台も燭台もないが、市民は三々五々ここを訪れては胸をつまらせ、鎮魂の十字を切るだけで言葉を失っている。よく見ると後方は五十mを越す崖が吃立して起こるべきして起きた土砂崩れであったのは誰の目にも明瞭だ。
 この崖を含めて何百ヵ所の崖崩れ後はもはや崩れを防ぐ草や木の根もなく、皆むき出しで、先日の雨の半分の量でも降ったら先回以上の災害、いわゆる二次災害が起きるのではないか。意外とブラジル人社会ではこの問題が論じられていない。こんな心配、杞憂に過ぎてくれればよいが。
 ちなみに日系人の被害状況を書いてみると、死者、負傷者ともにゼロであったのは不幸中の幸いとしか申しようがない、まず農業面では…
○村上グスターヴォ氏・収穫目前のトマト一万本弱の畑が土石流をモロに受けてえぐり取られ、作業小屋、使用人住宅共に全壊している。
○宮西マウリーシオ氏・水耕栽培十五棟(五〇x七m)のハウスの柱が合流してきた土石流を推 積させ総崩れに埋まり直視するに耐えない。発電機を始め設備一式が跡形もなく、復旧のメドも難しい。兄弟のイサオ、ジュリオー両氏も個別に水耕栽培をほぼ同模様で営農しており、浸水約二m、施設の被害は少ない。
○ジョンソン・フェレイラ氏・(千葉さつみ夫人)はフェイラで好評の一家でリオの日系レストランに配達もしているが、ハナニラをはじめ商売となる野菜畑が全滅している。
○柿の樋口洋司氏一家も山道が完全に塞がれ孤立 状態が続く日系農家では備蓄に不足はないと思うが、五日目には渡辺日会長自らが軍のヘリに便乗して、領事館よりの救援物資の非常食を投下してくれたのは何より嬉しかったと繰り返す。柿の成木四百本ほどが流されたり、埋まったりの被害は痛ましいが、収穫を目前にして搬出用の道路が完全に寸断されて跡形すらない、この辺り一帯、山は避け、岩はむき出しで径三mを越す無数の石塊を見るにつけ身がすくむ。この道路の復旧と保全が課題となろう。
○他にも松村淳一・滝沢澄子・沖ジュリオ氏の農場でも相当な被害は出ていると聞く。
○商業ではセントロ地区で日本食品の「かめ」
 一・九九店の「ロージャ・ヤッパ」が浸水、後者など一・五mの水位で全賞品を失っている。
○郊外に移転した農機販売会社「ニブラ」社は建物の後部が濁流でもぎ取られ、洗面所、コッパなどが消えてしまっている。
○民家での浸水では村田勇、渡辺エイタロウ、長束ジューリョ、淵上マルガリーダ、沖オリンピオ諸氏の被害が大きく、中には二mの水位で全家具を失っている。
 二月九日、この稿を挌くにあたって、広い範囲から篤い心を寄せていただきました中での日系の皆様の中間報告をさせて戴きますなら、災害発生の翌日にはリオ総領事館より磯崎正名領事が来訪され、非常食品の提供を受けている。


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