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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2009年11月号

2009年11月号 (2009/11/09) 神隠しに遇うの記

老ク俳檀選者 栢野桂山
 昔、著者が渡伯した十一歳の時のことであるから、八十年もの大昔、同船者として配耕された仲間に、三、四歳の元気の良い男の子を連れた若い夫婦が居て、二人はその男の子を連れて、珈琲採集に励んでいた。
 男の子は毎日、両親の見えるところで遊んでいたが、ある日、その子が見えなくなってしまった。我が家も入れた同船者の仲間五家族は、仕事を放棄して探し回ったが見つからない。
 「これは神隠しにあったのだ!」と言って、大騒ぎになった。この神隠しとは、あるべき所にそれが無い、居るべき所にその人が居ない――事を言う。
 このよく使われる言葉を辞書を繰ってみても無いので、正確な日本語ではないのであろうか?
 その元気の良い男の子は、両親を尋ね倦(あぐ)んで、疲れて珈琲樹の下に潜り込んで寝入っていたのを、やっと日暮れ方になって発見した。泣き叫べば発見されやすかったのに、元気の良い子は泣かなかったのである。
 さて、この話はこのくらいにして、著者は先日、この神隠しにあったのである。
 日伯農村文化振興会が発行される「のうそん」と、この日系老人クラブ連合会の「老壮の友」の俳壇の選を担当しているが、その諸氏の投句して下さった俳句の選を終了して、それを清書した原稿を束にして置いていたが、まったく忽然となくなってしまった。先に書いたあの「神隠し」にあったように紛失してしまったのである。
 その日と前日、著者の二階の俳句と文章と専用の部屋には、誰も上がって来なかった。神隠しにあってから、足の悪い老妻が「人と目が替われば見つかるかも」と二階に上がって来て、二人で二階からその下まで、家中隈なく探したのだが、どうしても見つからない。
 「貴方は元気だと言っても、もう九十一歳。この頃、よく物忘れをします。こんな大切な皆さんの折角の句稿を紛失しては申し訳ない。そろそろ選者をどなたかに代わって頂いたら…」と、もっともな事を言う。
 万策尽きた末、それぞれの毎月の投句者の名前は覚えているので、先日と先々月の皆の句稿の選から漏れたものの中から、佳句と思われるものを選出して、今月の「老壮の友」の俳句欄を埋めることとした。
 投句された方々は八頁の今月の俳句を見られて、今月投句した句が見当たらず、先月などに出句したものと替わっている事を不審に思われることと思う。
 これまで申し述べたように、著者の惚けがもたらしたことなので、切にご容赦願いたく、低頭してお詫び申し上げる次第です。


たかが川柳と思う勿れ

インダイアツーバ親和会 早川正満
 年取って息子たちから十分読書時間を与えられ、旧書だが文書を読み返していると、阿川弘之氏の「台湾の川柳」を読んでいるうち、周りの風景を写し取る短歌や俳句と違い、人生の心情や人間模様を写し取る詩が川柳と思っていたが、川柳は写し取るだけでなく、警告と激を発することもある重量感のある十七文字詩であるという発見があった。
 私も満州で小学校に上がり、日本の外で日本語を学んだことがある者(現在は帰化し、伯人)だから、台湾人が中国人と言われるのを嫌い、台湾シネースと言うなど、良き日本に触れたことのある人々が古き良き日本を思う心は良く分かるような気がする。それは伯国での日系ブラジル人の立場にあって、日本国を思う気持ちに通ずることだと思うのだが…。氏の文から少し引用紹介させて頂く。
 「湯豆腐が満悦(まんえつ)至極(しごく)総入れ歯
 世界一イジメ甲斐があるクニ日本」
 読んでクスリと笑いそうになるのが川柳本来の持ち味であろうが、私は何遍かほろりと涙ぐみそうになった。
 というのも、句作者の李さんの日本語を軽みと堅実さと両方兼ね備えた由緒正しい立派な日本語だと感じたのがほろりの原因の一つである。
 この人の或いはこの人たちの、日本へ寄せる懐旧(かいきゅう)の情、「世界一イジメ甲斐のある」現状に対する憂慮(ゆうりょ)、それを私ども(日本人)はどう受け止め、何を以って応えたらいいのだろう。
 私など涙を浮べてただ感謝するだけの能しかないけれど、若い元気な世代の有志は、どうか発奮して下さい。
 たかが川柳と思う勿(なか)れ。十七文字の中に屡(しばしば)こ人の世の重大事が秘められている。
 我が「老壮の友」の川柳にも十分、写すだけでなく、発信している詩がある。
 日系コロニアも財を成した人はいるけれど、情を察知して大切に育てる人は、どんどん少なくなっているように思われる。
 川柳人ならそのセンサーは研ぎ澄まされているので、その方面の情操教育に役立つ発信をお願いしたい。一地方の農夫が生意気言ってしまったが、失礼。では責任上、一つ。
 百年もたてば蒼泯も酒のツマ


若さとは心の持ち方

失名
 恋するものは若いという。愛している、愛されているということは、若さを保つもっとも良い良薬である。
 五十歳を過ぎ、六十歳に達しても未だ若さを保てるという事は心に張りがあるからであり、目的、希望があるからである。若さとは青春の事ではない。
 五十歳には五十歳の、七十歳には七十歳の若さがある。惚れるのは何も男女の間の事だけではない。仕事に惚れろという。男が惚れた女に尽くすように仕事に尽くし、仕事に惚れたならば、仕事を通じ幸せと若さを自ら感じるであろう。
 奉仕とは世間の不幸な人々に使えることのように思われるが、自分の愛する人に尽くすことを奉仕と考えるだろうか。男女を超越して全ての人に者に仕事に惚れてそれに尽くすことが出来たらそれは神そのものも行いであるかも知れないがそれが力であり愛であり若さであると思う。自信と勇気と情熱の塊の様な激しさこそ若さの全てである。
 若さとは、人生のある時期のことではない。心のあり方のことである。易きにつかんとする怠惰な心を叱り、勇気と冒険への希求があり、希望に燃え、激しい情熱があれば、人は常に若くあり、恐れや絶望に比例して老いるものである。夢を失ったら老いるのである。愛こそすべて。若さのすべてである。ひたむきな愛の対照がある間は人は幸せであり、若さを誇る特権を持っていると言えよう。
※投稿者の皆様へ
 原稿内にも必ずお名前の記入をお願いいたします。失名、大変失礼致しました。


愛読した作家たち

名画なつメロ倶楽部 津山恭助
(27) 円月殺法を創出した剣豪作家 柴田錬三郎
 「週刊新潮」が創刊されたのは、奇しくも私がブラジルに移住するため日本を出た昭和三一年二月のことだった。同誌はその後の週刊誌ブームのさきがけとなったものだが、たまたま私は三年間ほど購読した。
 これに柴田錬三郎こと〝シバレン〟の「眠狂四郎無頼控」が連載されていて楽しんで読んだものだった。転びバテレンと武士の娘との間に混血児として生まれ、不幸な運命を背負わされた浪人・眠狂四郎を主人公としたハードボイルド・タッチの時代小説、円月殺法なる秘剣の使い手でニヒルなかげを持ち反骨精神も旺盛、女を犯すこともいとわないという、今までにない新しいヒーローが創出された。
 眠狂四郎シリーズには「無頼控」のほか、「眠狂四郎独歩行」「眠狂四郎殺法帖」「眠狂四郎孤剣五十三次」などがあり、映画化(市川雷蔵、鶴田浩二)、テレビ化(片岡孝夫、田村正和)もあり、円月殺法の名が流布された。
 岡山県生まれで、父は日本画家・知太。慶応大学支那文学科卒業。二〇年に衛生兵として召集を受け、海峡で敵襲にあい、乗船が撃沈され台湾沖を七時間漂流した後、奇跡的に生還した強運の持主である。戦後、昭和二六年に「イエスの裔」で直木賞を受賞して文壇に出る。眠狂四郎の成功で一躍大衆文壇の寵児となり、剣豪小説の第一人者となった。外にも「剣は知っていた」「孤剣は折れず」「運命峠」「赤い影法師」「源氏九郎颯爽記」「美男城」「岡っ引どぶ」などの時代小説のほか、「図々しい奴」「チャンスは二度ある」などの現代ものもあり、大半は映画化されている。
 柴田は博打やゴルフ好きとしても知られたが、特に四国の大将とも称された坪内寿夫との交流で、瀬戸内海を一望しながらゴルフがしたい、との願望に応えた坪内が二つの小山を削り取るという大工事の末に、愛媛県に立派なゴルフ場を建設、柴田がその生涯を閉じる直前に完成した。この実話は興味深いものがあり、以後奥道後ゴルフ場は作家専用のゴルフ場として広く知られるようになったと言う。また、この坪内は柴田の小説「大将」のモデルでもあった。
 昭和六三年には柴田錬三郎賞が創設され、
その受賞者の中から高橋治、隆慶一郎、北方謙三、伊集院静などの作家が育っている。
 シバレン先生は、五三年に六一才で永眠した。


与古田先生の沖縄昔話 ① 「白銀堂物語(沖縄県糸満市)」

JICAシニア・ボランティア 与古田徳造
 「意地ぬ出んじらぁ手ぇ引き、手ぇぬ出じらぁ意地引き」意地が出たら手を引け、手が出たら意地を引け。
 昔、糸満のある武士の家でのこと。母親と息子夫婦が住んでいました。それは他人も羨(うらや)む親孝行の息子夫婦でありました。或る日息子は、首里王府の命令で薩摩(さつま)に出張しました。
 薩摩へは、那覇から舟で何日もかかって行きました。荒波の中を命がけで任務(にんむ)を終えて、恋しい母親と妻のところへ戻ってきたのは、たまたま真夜中でした。
 屋敷に入り、家に入ろうとしたら、家の中は明かりがついていました。すると、何と明かりの中に見えたのは、恋女房が男に抱かれている姿でした。頭に血が上り、腰の刀を抜き、戸を開けて切りかかろうとしました。刀を振り下ろそうとしたその時です。
 日頃から母親の教えの中に、「意地が出たら手を引きなさい。手が出たら、意地を引きなさい」という言葉が頭をよぎりました。
 息子は冷静になり、その場を確かめました。なんとそれは母親が男の扮装をして、妻を抱いて寝ていたのです。女だけの家を守る術だったのです。その後、三人は抱き合って再会を喜んだというお話です。
 ☆糸満は那覇市から近い漁業の町で、糸満ハーレーで有名です。この話は、正確な根拠には基づいていません。いささか創作の面がありますので、ご了承下さい。


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