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たこ焼きマンが行く
     番外「おにぎりポロリン、スッテンテン」  (最終更新日 : 2005/09/16)
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本番篇 (2005/09/16) 2005年8月3日(水) 晴れのち曇り

(本番)

 翌日、いつもより一時間早く起きて台所に向かうと、すでにソグラ(義母)が起きており、ご飯を炊いてくれているという。ソグラに後光が差しているようで、思わず合掌したい気分になった。「いやあ、いつもしょうもないことにつき合わせまして、ホンマにすみませんな」と1号。「そんなことないですよー」とのソグラの言葉に思いっきり甘え、コキ使ってしまうのだった。

 1升炊きの炊飯器で一回と4合炊きで二回。計18合のメシを炊いてもらってソグラにおにぎりの型抜きでドンドコ作ってもらった。1号は出来た握り飯を細く切った海苔を巻いてたこ焼き用に使ったケースに入れるという簡単な作業を行う。小さく切ったアルミホイルに昨日から大量に仕込んでくれていた漬物を適量乗せて、その脇に添える。漬物用の爪楊枝を付けて出来上がり。わずかに30ケースながら「何や弁当屋さんになった気分ですな」とツブやきながらダンボール箱に詰めて完成。

 上映会は午後〇時半から始まるので、一度会社に顔を出し、さも取材に行くような顔をして(実際に取材もしましたよ、念のため。関連記事を参照ください)午前10時半に道具を取りに家に戻る。

 飲み物類と氷を入れたイゾポール(発砲スチロール)箱とおにぎりを詰めたダンボール箱をガラガラ(下にコマがついており、荷物をゴムバンドで縛りり付けて引っ張るネコ車のようなもの。洋風ではキャスターなどと言うらしいですが)に乗せて引っ張り、品物を置く机代わりとして、カメローグッズ(折たたみ式露天用簡易商品置きとでも申しましょうか)をソグラに持ってもらう。これは嫁はんが以前にカメロー(露天商)のオッチャンから安く買ったもので、「新聞社をクビになったらこれでカメローができるよ」と密かに地下室に安置されていたのが、この日ようやく陽の目を見ることになったのだった。

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嫁はんが作ってくれた値段表
  「いざ、出陣じゃ!」・・と言っても会場となる文協は我が家から歩いて10分もかからない。午前中にすでに他の用事で出かけた嫁はんがいないので、ソグラと2人で現場へと向かう。

 会場に行くと、このイベントを企画した小川彰夫文協副会長の奥さんでブラジルの邦字雑誌「自然と文化の情報誌『ブンバ!』」の編集長でもあるタミちゃんが、すでに来ていた。

 「いやー、今日はよろしくお願いします」と相変わらずどこかの業者のような挨拶をする1号。

 「机、要るよね」(タミちゃん)
 「いや、これでOKですわ」と1号がカメロー・グッズを見せる。
 「準備いいねー」とさすがのタミちゃんも驚くことしきり。

 早速、カメロー・グッズを組み立て(組み立て方は昨日、練習しておいた)、その上に布切れを敷いておにぎりの入ったケースを少しと飲み物類、さらに昨夜嫁はんに作ってもらっていた値段表を置く。

 上映時間の一時間前だったが、ポツリポツリとじっちゃん、ばっちゃんたちが顔を見せる。やはり日本映画と聞くと、懐かしいのだろう。会場となる文協大講堂前にあるサロンのソファに腰掛けてそれぞれ雑談をしている。午前中の用事を済ませた嫁はんも何とか駆けつけてくれた。

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サロンで「今か今か」と上映を待ちわびる人たち
 1号はこの日、取材も兼ねているために年寄りたち(失礼)に足早に近づき、インタビューと称しながら「あそこで売ってますんで」とチャッカリおにぎりの宣伝も行う。しかし、ほとんどの人はすでに「もう、家で昼飯を食べてきた」とのことで、おにぎりなど見向きもしない。見かねた小川さんとタミちゃん夫妻が、義理で買ってくれる(すんませんね)。

 と、1人のおばちゃんが近づいてきた。
 「おにぎりですか?」(1号)
 「アグア(水)ちょうだい」(おばちゃん)
 「・・・は、はい」と1号。「まあ、まだ飲み物が売れるだけでもマシかもな」と心の中で思いつつ、「こらあ、赤字もええとこやで」としだいに焦燥感にかられる。

 それにしても、上映時間が迫っているのに一向に映画は始まる気配がない。小川さんが真剣な表情で会場の内外を行ったり来たりしている。
 
 「どうしたんですか?」との1号の問いに、「停電らしいんですよ」と小川さんも冷や汗をかいている様子。「それは困りましたねー」と全然困っていない顔で頷く1号だが、この停電がおにぎりの売上に貢献することになろうとは。ガビーン。

 30分が経ち、1時間が経過しても停電は回復する見込みがない。小川さんは日系団体の一つ「アニャンゲーラ・ニッケイ・クラブ」から発電機を借りることにしたと話していたが、それも遅れている。

 会場に足を運んだお客さんたちも仕方なく、停電で真っ暗の大講堂に席に腰掛けているが、2レアルの入場料を払っている人が多く、帰る気配もなければ、主催者側に抗議する人もいない(ご立派!)。つくづく、「皆さんゆったりとした日々を過ごしてるんでっしゃろな」と感じずにはいられない(嫌味やおまへんで)。

 おにぎりの販売状況は決して芳しくなく、わずかに3つか4つが売れた程度。と、タミちゃんが「せっかくだからさあ、おにぎりを会場に運んで売ったらいいよ」とアドバイスしてくれる。
 
 「そうや、俺は何をボヤッとしとったんや。その手があったわい」とその気になるが、いざとなると気恥ずかしいもんなんですな。これが。

 「ええい、今さら何を恥ずかしがることがあるかいな。根性見せたらぁ」と、そんなリキまんでもエエんですけど、飲み物を入れていたイゾポールの蓋をお盆代わりにして、真っ暗の場内を歩く。

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ぎこちない手つきで運ぶおにぎりマン1号
 「おにぎり、いかーすか(いかがですか)」と甲子園のカッチャリ(かち割り氷)売りの兄ちゃんよろしく、指には1レアル、2レアル札のお釣りを挟んで場内を歩くと、以外にもこれがかなり売れた。

 早目の昼飯で小腹がすいてきたばっちゃんたちの1人が買うと、「私にもちょうだい」とその周りにいる人たちも連鎖反応的に買ってくれる。「ハイハイ、まだありますから、取ってきますんで」と1号と嫁はんは会場とサロンを行ったり来たりし、おにぎりは面白いように次から次に売れる。

 「何でもっと早よ気付かんかったんかいな」と1号は自分の商売下手を嘆いた。

 後で分ったのは、じっちゃん、ばっちゃんたちは映画を見るのがメインで会場で待っているのだが、少々腹も減ってきた。しかし、わざわざ自分からおにぎりを買いに行くのはどうも面倒くさいというのが本音というものだった。

 午後2時過ぎになってようやく発電機も届き、拍手喝采の中、いよいよ上映が始まったのだった。30ケース持ってきていたおにぎりは、わずかに4ケースが残っただけだった。あとで帰ってから計算してみたら、何とか赤字だけは免れたのであった。

 「あそこで何もせずにいたら、今の私はなかったであろう」と、アントニオ猪木氏の闘魂自伝風に物思いにふけった1号は、商売の難しさを痛感しながら会場を去って行ったのであったのだったのだ(1・2の三四郎調)。

 主催者側に後で聞いた話では、この日の入場者数は約250人。水曜シネマは現在も週一回継続されており、毎回500人前後の人で賑わい、盛況を博している。しかし、おにぎりマンの今後の出動は今のところない。(おわり) 
 

 


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