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     今日のブラジル 写真日記 (Photog...  (最終更新日 : 2019/02/19)
11・15 ヒデさんの晴れ舞台 [画像を表示]

11・15 ヒデさんの晴れ舞台 (2006/11/16)  今日は第1回広瀬音楽教室発表会の日。広瀬音楽教室の先生、通称ヒデさん( http://www.100nen.com.br/ja/qq/000017/20030411000095.cfm )の晴れ舞台であった。
 つい5,6年まで、僕の知っているヒデさんは、コロニアの寅さん的な人で、いろんな人に「今、あの人はどうしてる? いったいどうやって生活しているんだろうね」などと良く聞かれたものである。僕自身、この頃はそれほど関わりがあったわけでもなく、たまにガルボンブエノどおりで会ったおりに、お互いの近況を軽く話す程度だったので、よくわからなかった。とにかく、いつも飄々としたヒデさんは、僕にとって、まさに映画の寅さんであり、コロニアの七不思議的な人物であった。
 ヒデさんと知り合ったのは僕がブラジルに来て、1年後くらいだったから、もうかれこれ、14、15年になる。僕は8年ほど邦字雑誌「オーパ」で編集の仕事に携わっていた。ヒデさんは元編集長だったことから、よくその編集部に顔を出したので自然、食事などに誘ってもらったりしていた。彼は、編集長の前には、バーでミュージシャンをやったり、リオの領事館で働いたりしていたそうで、僕が知った頃は賭博で生計をたてていた。その頃から、面倒見の良い人で、若い旅行者や僕らをよくコンサートや演劇に連れて行ってくれたものである。この頃ははぶりがよかったせいもあるだろうが、ヒデさんとコンサートに行くと、いつも一番良い座席に案内された。Tシャツにジーンズ、スニーカーという姿のヒデさんが、びしっと黒服に身を固めたガルソンに恭しく応対されているのを見て驚いた。不思議に思って聞くと、「いやー、いつもチップを弾んでいるからね。だから来たときにはいつも一番良い席に案内してくれるのさ」ちょっとはにかみながらそういったヒデさんが未だに印象に残っている。このとき、ブラジルでは、お金はこういうふうに使うものだな、となんとなく分かったような気がした。
 そんなヒデさんが、賭博からも足を洗い、カラオケ関係の仕事をしているという話を風の噂に聞いていた。半日づとめの会社を辞め、日本からの仕事もお金もなく、ほとほとどうしようかな、と思っているときにパタリとヒデさんに出会った。この頃の僕は誰にでも挨拶代わりに「何か写真を撮る仕事があったらよろしくお願いします」と言うようにしていた。ヒデさんの顔を見て、教室に「写真撮ります」のチラシを貼らせてもらうことを思いついた。「じゃあ、一度きてみたら」と言ってくれ、そのまま今回の音楽発表会のパンフレット用の写真を撮る仕事をもらうことになったのだ。半年前の話である。そんなに大きな仕事ではなかったが、本当に困っていたときだったので随分助かった。今でも本当に感謝している。それだけに今回の発表会の成功は僕にとっても嬉しい。
 カラオケの先生になってしまったヒデさんは、今や100人以上の生徒を抱え、ほとんど休みなく毎日音楽を教えている。昔、演奏をしたり、一流のいろんな音楽を聴きに行ったことが、すべて栄養になり今開花したのだ。もう、僕も気軽にヒデさんとは呼べなくなってしまった。広瀬先生である。


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この日のヒデさんは、司会からバック演奏までこなし、てんてこ舞い。目を閉じて司会をするところがハニカミ屋のヒデさんらしい。(単に言うことを思い出しているだけかも?) ヒデさんらしい演出も随所に行われ、楽しい発表会となった。


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