移民百年祭 Site map 移民史 翻訳
南米漂流
     今日のブラジル 写真日記 (Photog...  (最終更新日 : 2023/01/16)
8・20 1年ぶりのファベーラ その2

8・20 1年ぶりのファベーラ その2 (2010/08/21) 「タニアの所に行ってエリザベッチのことを聞いてみましょうか」
 ヨランダさんは行方不明になっているエリザベッチのことが気になってしょうがないのである。
 エリザベッチは麻薬に溺れてしまい食うや食わずの最低限の生活をしていた女性で、まだ小さな乳飲み子もいた。ヨランダさんは、ずっと彼女のことを心配して、食べ物や毛布、牛乳などの援助を続けていたが、夫のいる海辺の町、イグアッペに行くといったまま解らなくなっていたのだ。風の噂で、またこちらに帰ってきているということを知ったのだった。
 以前、エリザベッチが住んでいた場所に行ったが、ベニア板で塞がれていて、彼女が住んでいる形跡はなかった。
 少し上の方に住んでいるタニアの小屋に行ってみた。見ると小屋の近くで、エイズに羅病している黒人のオジサンと髪がバサバサの女性が日向ぼっこをしながら話していた。
「ドナ・ヨランダ、元気?」オジサンの横の女性が声をかけてきた。
 ヨランダさんもその声を聞いて初めてわかったようで、一瞬驚いたような表情を見せた。その女性はタニアだったのである。かつてはタニアも麻薬にどっぷりつかり、頬はこけ、ガリガリに痩せていた。それが今は頬もふっくらし、顔色もよくなり、かつての彼女からはとても想像できないくらい健康的になっていた。
「まあ、元気そうになって!」
「ええ、もう麻薬はきれいさっぱりやめたから。ちょっと家に入らない」
 すぐ横の彼女の小屋は、ベニヤ板や、ダンボールを張り合わせたようなボロボロの小屋で、とても家族6人が住めるような小屋ではなかった。
「彼女はいつも家の中を見せたがるのよね」と僕にヨランダさんはつぶやきながら彼女の後ろについて小屋の中に入っていった。僕もすぐ後をついて入る。中は6畳2間ほどのスペースがあり、随分薄暗かった。1部屋にはベッドが置かれ、もう1部屋には台所と洗濯場になっていた。それでも以前来た時よりは、随分整理されきれいになっていた。以前は小屋の中に、町から集めてきたゴミがそのまま置かれ、雨漏りで地べたの床に水たまりができジトジトと湿っていた。とても健康に人が暮らせる状態ではなかった。
 きれいになったといえ、あくまでも以前と比べてという意味で、多分普通の人が見たら驚くような有様である。台所におかれている洗濯機の中では、汚れきった灰色の水の中で色とりどりの服がグルグル、グルグル回っていた。浮いては沈み、浮いては沈みしながら、回転している服を見ていると、まるで人生を見ているようで、吸いつけられていく。
「エリザベッチの家族は崩壊してしまって、子供たちは強制的に皆孤児院に引き取られたみたい。夫は自分の娘を暴行したのが警察にばれて逃げ回っているらしいわ。彼女は、麻薬に完全に溺れてしまって、夜な夜な売春していわ」
 去年の段階で既にエリザベッチは、歯は抜け、ガリガリに痩せおばあちゃんのようだった。今は多分もっとひどくなっているだろう。そんな状態で売春ができるのだろうか? 
 1年前はタニアの家族もエリザベッチの家族も同じようなレベルであったが、片方は少しずつでもよくなり、片方は崩壊してしまった。洗濯機の汚水の中では、相変わらず、浮かんでは沈みながらぐるぐる服が回っている。ぐるぐる、ぐるぐる・・・・。
 小屋の中で、どうしても彼女の写真が撮りたくなった。断られることを覚悟で、写真を撮っていいか、と聞くと彼女はあっさりと、許してくれた。以前僕が彼女を撮った痩せてガリガリの写真は、彼女が一番嫌いな写真だという。あれを見るたびに、あんな生活には戻りたくないと思うらしい。僕の写真が役にたっているのは嬉しいが、「一番嫌いな写真」というのは撮った本人からすれば少々複雑な気分である。
「かわいい娘がいたけど、元気にしている?」と聞くとタニアはちょっと暗い顔をした。
「娘は、もうちょっと上に行った所の家に、女と一緒に暮らしているわ。叩いたり、怒ったりしたんだけどね、どうしてもいうことを聞かなくてね。セントロのセ広場の方に夜な夜な出かけているらしいから、売春をしているかもしれないわ。でも、どうしてもいくら言っても聞かないからしょうがないわ。本人の人生だしね。
 上の息子はピザ屋でまじめに働いていて、今はこのすぐ下に小屋を作って住んでいるわ。男だし、もう一人立ちする年だしね。
 今の私は、4人の小さな子どもたちを育てるのでもう手が一杯」
 以前来た時には、上の娘に薄暗く散らかった部屋の中で写真を撮らせてもらった覚えがある。黒髪のほっそりした綺麗な少女であった。腕に彫ったTANIAという緑色の稚拙な入れ墨を見て、「入れ墨はしない方がいいよ」と僕がいうと、「解ってるわ」、という答えが返ってくるような素直な所もあった。母親の名前を腕に彫るような子であるから、本心はきっと母親思いのいい娘だと思う。それだけにレズになって売春までしているという話しを聞いて非常に辛かった。
 帰り道、「もう少し私が面倒を良く見てあげていれば、あの娘はこんなことにならなかったかもしれない」とヨランダさんがポツリと言った。「ヨランダさんはもう十分に彼らのことを思っていろいろなことをしてあげていますよ。だから、決してヨランダさんが面倒を見なかったせいではありませんよ」と僕が答えた。実際、ヨランダさんほど親身になってボランティアに身を投じて彼らの世話をしている人はいないと思う。
 1年の間に、ファベーラの人々の運命は大きく変わっていた。よくなる人もいれば、悪くなる人もいる。圧縮された底辺で生きる人たちだけにその変化の度合いは激しい。僕にはほとんど何もできないが、せめて家族の記念写真を撮って喜んでもらえたら、と思っている。

ファベーラ取材Ⅰ http://www.100nen.com.br/ja/akinori/000146/20090228005280.cfm

ファベーラ取材Ⅱ
http://www.100nen.com.br/ja/akinori/000146/20090301005282.cfm

ファベーラ取材Ⅲ
http://www.100nen.com.br/ja/akinori/000146/20090302005290.cfm

(ここでは母親の名前はタチアーナとなっていますが、タニアの間違いでした)


前のページへ / 上へ / 次のページへ

楮佐古晶章 :  
E-mail: Click here
© Copyright 2024 楮佐古晶章. All rights reserved.