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イタケーラ植民地
     対談・随筆など  (最終更新日 : 2004/12/03)
随筆:「思い出」

随筆:「思い出」 (2004/12/03)
川下亀雄
 私が奥地からイタケーラヘ移転して来たのは、一九四七年七月であった。今年で四十年もイタケーラに住んでいることになる。
 一九四七年といえぱ戦争は終わっていたが、勝った負けたの騒動で日系コロニアは混乱が続き、イタケーラも勝組と負組に分かれていた。私は敗戦組であったから、苦しい生活の中から僅かだったが日本へ送金した記憶がある。当時のイタケーラはまだ適作物が見付からず、イチゴやトマテが主作物であった。私は移転当時三年ぱかりフェーラでマンジョカやバタタを売って、どうにか一家の生活費を稼いだ記憶がある。
 間もなく桃が適作物であることがわかり、一九四九年に桃祭を催して、桃のイタケーラで一躍有名になった。これは吉岡三兄弟のお蔭である。二回目か三回目の桃祭の時、売店の桃がなくなりかけて急造のバラッカが押しかける群衆に倒されかけたり、道路が自動車で溢れ、歩いて来た人が先に着くと言う笑い話もあった。
 今の日系クラブの前身、共済会の時にはケンカ口論もやった。私が来た翌年の総会に出席した時、前会長が三選されると、二回やったら止めることになっていると言う人があり、誰が好きこのんで会長を三回もやるものか、当選したがやらぬやってくれでテンヤワンヤの大騒ぎ。結局個人の意見より多数の意見を尊重しなければならぬと言うことで、再選三選大いに結構と前会長にやって貰うことになった。やっと会長が決まってシャンシャンパチパチと拍手した時は、夜半を過ぎていた。
 過ぎ去りし月日憶えば生きている
 吾を不思議と思う此の頃
(一九八七年 記)


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