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マツモトコージ苑
     2011年  (最終更新日 : 2018/09/24)
イタペセリカの「教育勅語」奉読 [全画像を表示]

イタペセリカの「教育勅語」奉読 (2011/11/23)  毎年、元旦に「教育勅語」を奉読しているイタペセリカ文化体育協会(SESI、小川マリオ稔会長)。新年祝賀式への参加者が年々減少する中、1世世代からは、ポ語翻訳した教育勅語を解りやすく説明し、その内容を若い世代に引き継ぎたいとの思いが強まっている。同地の日本語学校が設立されて76年が経つ中、新たな試みが行われようとしている。イタペセリカの新年祝賀会を訪問し、同校の歴史や現在の会員の心境などを関係者たちに取材した。

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幅広い会館。奥側に隣接するのが日本語学校の校舎
 サンパウロ市から西方面に33キロ離れた場所にあるイタペセリカ・ダ・セーラ。「セーラ」という名前の通り、同地は「山脈」のような傾斜が多く、海抜は約1千メートルと高い。
 聖市からバスを乗り継いでイタペセリカの町に着いたが、1月1日の午前中ということもあって町はガランとしている。開いている店は薬局だけだった。
 中心地にある公園横の乗り場で1台だけ停まっていたタクシーを拾い、同文協関係者から事前に教えられていた「コレジオ・ジャポネーザ(日本の学校)」と言うと、運転手は慣れた道を進みだした。
 関係者によると、協会内の日本語学校の住所である「ルア・ヒカリ・クラチ」と言っても誰も分らず、地元では「コレジオ・ジャポネーザ」の愛称で通っているという。
 協会に着いて、白と青色を基調とした幅50メートルほどもある立派な会館が建っているのに驚いた。会館の玄関は円形に突き出しており、渡り廊下に続く白い柱が、洋式の宮殿を彷彿(ほうふつ)とさせる。日本語学校(牧山純子校長)は会館の奥側に隣接しており、現在の生徒数は30人ほどとなっている。
 イタペセリカ・ダ・セーラ日本語学校創立60周年記念誌『心豊かに』によると、同会館は同校が創立された翌年の1936年3月に日本語学校校舎が完成されたことが基礎となり、55年に日本人会館が建設。70年に同会館を新築した後、85年の創立50周年を機会に古い校舎を解体し、同じ場所に新校舎を建設した。その後、95年に会館玄関前と渡り廊下を完成させ、現在の会館に至っている。
 会館に入ると小川会長と青年部が主体となって新年祝賀式の準備が進められていた。内部の壁には、白黒写真に人口着色をほどこした初代会長の故・小田重次氏の遺影をはじめ、歴代会長の写真と歴代教師の写真がズラリと並ぶ。それに第1回卒業式や各年代ごとの行事の写真などが貼られてあり、歴史の重みを感じさせる。
 普通の会館と違うのは、舞台中央奥に納められている「奉安殿」の存在。その中には、現在の天皇皇后両陛下の「ご真影」が飾られている。脇に「教育勅語」を納めた長細い箱が置かれ、両方の内扉には、「菊の御紋」が金色に輝いていた。
 祝賀式の準備が進むにつれ、会員たちが少しずつ増えだし、互いに新年のあいさつを交わしている。
 会場中央にはすでに祝賀式用の椅子が70脚ほど並べられてあるが、会館後方の隅には、使用されない椅子が数多く積み重ねられており、参加者の減少を物語っていた。
 同協会顧問で長老格の田畑稔さん(79、鹿児島県出身)と、少年時代からの同級生だという谷川清徳さん(79、鹿児島県出身)、谷川さんの弟の進一さん(73、2世)に同地の歴史などを聞く機会を得た。  

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毎年元旦に「奉安殿」の前で奉読される教育勅語
 田畑さんたちの話によると、イタペセリカ文化体育協会の会員数は現在、約100家族。実際に会費を納入して活動しているのは70家族ほどだという。会員の約8割が鹿児島県出身者で、特に枕崎、坊津(ぼうのつ)出身者が多い。
 前述の記念誌『心豊かに』には、「イタペセリカに最初の日本人が入植した初期の事情は明らかではない」としつつ、1915年に、隣接するエンブー地区に鹿児島県人の森長之助、川口栄助と大阪出身の吉村島松の3人が入植したことが始まりだと記されている。
 戦前移民の多くがそうだったように、同地の日本人たちも着伯当初はブラジルに定住する思いはなく、数年で金を貯めたら日本に戻ることを思い描いていた。しかし、イタペセリカの教育熱心な1世たちは子弟教育の必要性を強く感じ、37家族が協力して35年に日本語学校(当時の名称は日伯小学校)を設立。翌36年から授業が開始されている。
 当時、同地ではバタタ(ジャガイモ)やトマトの生産が盛んだったそうだが、日本語学校を建設する資金を集めるのには相当な苦労を強いられたようだ。
 同校は、日本語だけを教える民間施設ではなく、市の許可を得てイタペセリカ市立小学校の「分校」として、ポ語による伯国初等教育(小学校3年生まで)も行っていた。
 親に連れられ2歳で渡伯し、8歳で同校に入学した田畑さんは、自宅から往復20キロの道のりを毎日、徒歩で通ったという。
 田畑さんが習った日本語教師は、二代目の故・橋詰雄一氏(東京都出身)。「何事にも厳しい先生だったので、遅刻でもしたら大変でした。遅れないようにと駆け足で学校に通ったものです」と田畑さんは、当時を懐かしそうに振り返る。
 その数年後には戦争が始まり、日本語教育は敵性言語として禁止となる。「きちっとした勉強ができなかった」という田畑さんたちは、目立たないように教師宅などで隠れて勉強していた。
 ブラジルの初等教育も行っていた同校では、伯人教師や警察関係者に親日家が多かったことから、日本語教育が禁止されながらも日本人家族を陰ながら支援してくれていたという。
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奉読の間、敬礼する参加者たち
 そうしたこともあり、イタペセリカ在住者のまとまりは強く、戦後の「勝ち負け抗争」が全伯で広がる中、同地では圧倒的に「勝ち組」派が多かった。
 「『日本が負ける訳がない』というのが父親の世代の思いで、私たちも自然とそういう考えになりました」(谷川清徳さん)
 日本語学校での教育勅語奉読は戦前戦後を通じて継続され、「奉読しなかったのは、戦争中のほんの数年だったと思います」と田畑さん。「以前は、天長節(天皇誕生日)にも教育勅語を奉読していました。現在は昭和天皇の誕生日だった4月29日前後の日曜日に運動会を開催しています」と、日本の皇室に対する崇拝活動は今も健在だ。
 51年、校庭の東の端に「奉安殿」が建設。70年に会館が新築されたために取り壊されるまで毎日、学校の始業前と終業後には奉安殿前に全生徒が整列して敬礼する儀式が行われた。

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祝辞を述べる田畑さん
 1970年の会館新築を機会に、奉安殿が会館内に移設されることになった。校庭も拡張され、その工事のために校庭全体を2回にわたって1・5メートルずつ、計3メートルも掘り下げる作業が行われたという。
 それ以後、現在の会館内舞台奥に移設された「奉安殿」を開帳し、毎年1月1日の新年祝賀会で「教育勅語」が奉読されており、今なお継続されている。
 以前は10年以上にわたって第22代会長を務めた谷川進一さんが奉読を行ってきたが、6年ほど前から生駒憲二郎さん(62、三重県出身)が奉読を務めている。
 陶芸家で、謡(うたい)も嗜(たしな)んでいる生駒さんは、今年の教育勅語奉読のために、事前に3回ほど練習を行ったそうだ。新年祝賀式で生駒さんは、奉安殿に一礼した後、納められた「教育勅語」を両手で高く差し上げて舞台前方に持ち運び、よく響く声でゆっくりと慎重に読み上げていった。
 その間、役員をはじめとする出席者たちは頭を下げて敬礼していた。
 「教育勅語は、決して日本の軍国主義を助長するものではありません。勉強は何のためにするのか、人格を磨いて社会に役立つ人間にならないといけない、など、人間が生きる上で進むべき道が詳しく分りやすく説かれています。そのことは、奉読を任されるようになって初めて解るようになりました」と生駒さんは、その大切さを重要視している。
 田畑さんは祝辞で、教育勅語の奉読が戦前から続いているとし、「その後、奉読は日本でもやっていないので、『止めてはどうか』との話もあったが、これまでずっと続けてきたのに止めてしまうのは寂しいと思い、今まで続けてきた」と、経緯を説明。さらに、現在の日本の政治や社会が不安定であることを指摘し、「日本がだらしなくなると、ここ(伯国)の日本人も良く見られなくなる。日本人・日系人として、母国を想うことは大切なこと。教育勅語という日本の教育に基づいて、日本が良くなることを望む」と述べ、今後もイタペセリカで教育勅語の奉読を続けていく考えを示した。
 しかし、新年祝賀式への参加が年々減少しており、特に若い世代の出席が少ないのが現実的な問題となっている。
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新年祝賀会で乾杯する参加者たち
 教育勅語については、3年ほど前にブラジル日本会議(小森広会長)を通じて明治神宮から解りやすい説明文が届いており、ポ語翻訳も以前に伯側で行われ完成したものがイタペセリカ文協関係者の手元にある。
 祝賀式後、雑煮と持ち寄りの昼食を楽しみながら会員からは、ポ語による教育勅語の奉読を来年の新年祝賀式から行ってはどうかとの話が挙がった。
 若い世代に教育勅語の内容を理解してもらい、なぜ毎年新年に奉読を行っているのか、その意味を広く知らしめていくことが、数少なくなりつつあるイタペセリカの1世たちの大切な仕事となりそうだ。(おわり、2011年2月サンパウロ新聞掲載)

※同記事を書くにあたっては、紺谷充彦氏の「ブラジル日系社会に残る教育勅語奉読」 http://www.100nen.com.br/ja/kontani/000047/20050102000849.cfm  を参考にさせていただいた。紺谷氏、どうもありがとう。
 
 


 


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