「下手に描きたい」を読む (2011/08/26)
西暦2010年4月、東京・下高井戸シネマで完成記念上映が行なわれた「下手に描きたい 画家森一浩・ブラジルの挑戦」。
この作品にいただいたコメントをご紹介します。
日本での公開前にサンパウロで関係者の方々に特別試写会を行ない、さっそく熱いコメントをいくつもちょうだいしました。
まずは、新たにジャーナリスト兼翻訳家の美代賢志に書き下ろしていただいた濃厚なコメントからご紹介しましょう。
表現するという衝動 観音芸術論
もちろん、観音とは「観て聞く(オーディオヴィジュアル)」ことでありますが(笑)、「心眼に依って観、悟りを開く」という観音の態度そのもので芸術を語るということでもあります。
「見えない心の深層(形のない心の動き)を表現する」と、画伯が作中で語られていました。つまり、それは「形が与えられたもの(作品)で私たちが見ているのは実は形のない心の動きそのものである」ということであって、それを見ることができるのはすなわち、心眼(観音菩薩の知恵の目)に依る。
空(実体のないもの)即是色(目に見えているもの)色即是空というのは、そういう世の中のありよう(真理)を表現したものだと思っています。
「描いているときにふと絵の中に入り込む(絵と自分の境界がなくなる)」とおっしゃられていたのも、そうした真理の作用でしょう。
自分という物体や世界が空であるために境目がなく一体化すること、しかも一方では物体である作品に精神(神経)世界が及んでいること(画伯の場合は「手」が接点ですね)。
これを理屈で理解するのではなく心で受け止めることを、人は、「悟りを開く(あるいは悟りに触れた)」と表現するのだと思います。
(3月31日にいただいたメールより)
次に最初に発表された美代賢志さんのコメントです。。
2人の芸術家のバトル
27日、リベルダーデ区の某所で行われた記録映像作家の岡村淳さんの最新作「下手に描きたい」の完成記念上映会へ行ってまいりました。
実は、全く先入観なく(というか作品のタイトルすら知らずに)「上映会やります」というお知らせに「微妙ですが万難排して行きます」とあれこれ調整しながら伺いました。
到着後、「タイトルは『下手に描きたい』です」というコメントに、私の横に主演の画伯が座っていたにもかかわらず、「これはブラジルで最近はやっている抽象画の話しやな…。きっと岡村淳さんでもあかんやろ。今のブラジルの抽象画ブームは腐っとるからな」というガックリ感がふつふつ。「ここはいっちょ、最後までクソ作品を見せずに人物描写だけで引っ張る気やろか」などと、心の中で詮索する有様でした。
が、作品はいきなり冒頭、アトリエの隅に置かれた作品がちょろりとバックに映り込む形で出し惜しみすることなく「どないや!」という存在感を示すすごさ。二束三文の作品に勿体つけた高価格を貼り付けて売られている当地の抽象画とは大違い。引き算の「ビデオ」VS足し算の「カンバス」という2人の芸術家のバトルは、「抽象画」VS「映像以外でのブラジル(サンパウロ)の情景描写」など、様々に火花を散らす緊張感満載。作中で語られる画伯の談話は芸術論としても出色で、絵画だけでなく、写真も、動画も、はたまた文学も工業製品も、人の心を打つというのは、何か共通した表現の欲求とそれを受け止める心の作用なのだなぁ…とか、色即是空空即是色などという言葉を、久ぶりに思い出しました。
人の感性に訴える「何か」を作り出すことを志す人には、必見の作品です。
日本では、4月24日に下高井戸シネマで上映されるそうです。
(「B-side」 2010年3月29日付より http://b-side.brasilforum.com/ )
ついで、他市からサンパウロでの試写会に駆けつけてくださったモラさんがブログで発表されたコメントをご紹介させていただきましょう。
二人の飴細工師
ブラジル在住のドキュメンタリービデオ作家の岡村淳さんの最新作「下手に描きたい」。サンパウロ市内で秘密裏に開催された試写会に潜入することができました(笑)。
この作品は、画家森一浩さんを主人公にしたものですが、タイトルからしてすごく挑戦的です。それって、大金持ちが「もっと貧乏になりたい」とか、マッサが「もっとゆっくり走りたい」というのと一緒じゃないかと。
ネタバレしないほうが楽しめると思うので、作品内容のご紹介はしません。が、試写会参加者の感想の中には「1時間38分の作品が30分間に感じられた」という人がいるほど、緊張感に満ちた作品でした。
まずびっくりするのが、絵を描くことを仕事にしている画家、還暦も近い森さん(失礼)の仕事ぶりです。自分の仕事のスタイルとのあまりの違いに感動しました。
作品を鑑賞しながら、油絵画家とビデオ監督の二人の飴細工師が丁々発止と飴細工を競いあっているように感じました。森画伯の絵の完成した姿も、岡村監督の作品の完結する姿も想像がつかないまま、ひたすら画面に釘付けになりました。
上の絵は、画家森一浩さんの作品を紹介しているサイトから一枚拝借してきたものです。
タイトルは「Voce e Eu」(あなたと私)
http://www006.upp.so-net.ne.jp/nana77/
比較的わかりやすい作品なのではないかと思うのですが・・・^^)。
このビデオ作品は4月から日本でも公開上映されるそうです。下記をご参照ください。
「下手に描きたい 画家森一浩・ブラジルの挑戦」
完成記念上映@下高井戸シネマ
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000050/20091203006034.cfm
「優れたドキュメンタリー映画を観る会」
日時 2010年4月24日(土)午前10:30より
岡村監督の舞台挨拶があります。
詳細は下高井戸シネマのHP「ドキュメンタリー特集」をクリックしてください。
http://www.shimotakaidocinema.com/
それ以降も、水戸や小岩など各所での上映会が企画されているようです。最新情報は下記をご確認ください。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/
(「地球の反対側にて ブラジル生活つれづれ」2010年3月31日付より
http://blogs.dion.ne.jp/hiroyuki_morishita/archives/9307373.html )
さて!横浜「ジャック&ベティ」でこの作品をご覧いただいた小説家の星野智幸さんにちょうだいしたコメント・第1弾をご紹介します。
岡村作品初の「密室劇」
今日から横浜のシネマ「ジャック&ベティ」で始まった岡村淳さんのドキュメンタリー映画祭(16日まで)。私は、今現存する世界中のドキュメンタリー映画作家で、最も最前線にて、最も妥協なく闘っているのが、岡村さんだと思っている。こんなに妥協なく筋を通している表現者を私は他に知らない。
でも岡村さんの作品は、一見、そんな過激には見えない。ちまたの目からこぼれ落ちる人々を、きわめて辛抱強く長い時間をかけて追い続ける。とてつもなく優しく、かつ打たれ強いまなざしで。そうして対象となる人との信頼が築かれていくさままでもが、映像に収められる。
岡村さんの長篇全作品が一挙に映画館で上映される機会は、じつは初めてだ。これは画期的な出来事なのだ。この機会を逃さず、ぜひとも岡村ワールドと、岡村さんという人間を体験してほしい。すべての上映で、岡村さんのトークがある。このとてつもない魅力を持った岡村さんを生で見るだけでも、価値があるぐらいだ。誰にも似ていない異才である。
どの作品もお薦めだが、ひとつだけ見るとしたら、「あもーる・あもれいら」2部作は必見だ。これは岡村作品のひとつの到達点だ。また、長篇第一作である「郷愁は夢のなかで」も強烈な作品。自作の浦島太郎を一人で誰にともなく語り続けた孤独なブラジル移民の記録だ。この作品には、岡村さんのすべてが詰まっている。「ブラジルの土に生きて」は、前半は夫、後半は妻が主人公。私は後半の主人公である敏子さんに私淑した。この方の生きざまは、本当に人に勇気を与えてくれる。……と書いているとすべての作品に言及してしまいそうなので、詳しくは上映の案内を見てください。
さっそく私も今日の夜の回の『下手に描きたい』を見て、即興で岡村さんとのトークをしてきた。
ネタバレも何もない映画なので、率直に感想を書く。トークで話しそこなかったことも。話してしまえばよかったのに日記。
画家の森一浩さんが、その場で抽象画を描く「ライブ」の様子が記録されるこの作品。岡村作品初の「密室劇」で(舞台と言ってもいいかも)、ただならぬ緊迫感が漂う。そして絵を描く合間に、森さんが絵と人生を語る。
森さんの語る絵画の話は、私の考える文学と重なるところがあって、そこは人ごとでなく感じたのだが、じつは森さんの語る人生も、人ごとではなかった。ブラジル移民のことしてブラジルで生まれ、5歳で日本に移り住んだ森さん。移民の子ではないが、私はアメリカで生まれ、2歳半で日本へ移る。森さんのようにいじめられはしなかったが、自分がアメリカで生まれたことを口にしてはいけないという怯えとともに子ども時代を過ごした。違っていることはまずい、何とか「上手く」合わせていかないといけない。この「上手く」の対としてあるのが、「下手に描きたい」の「下手」だ。その意味で、私も「上手く」生きることから脱落するために、小説を書いている。つまり、小説を書くことが、「下手」であることなのだ。
そんなわけで、やたらとシンクロしてしまう作品だった。ただ、絵を描いている場面を撮しただけとも言える作品なのに、その奥行きははてしなく深い。岡村作品の醍醐味である。
(「言ってしまえばよかったのに日記」2010年7月10日付より http://hoshinot.exblog.jp/14750402/ )
以下は、Saudade Books主幹・淺野卓夫さんがブログで発表されたコメントです。
岡村淳のドキュメンタリー作品「下手に描きたい 画家森一浩ブラジルの挑戦」をめぐって
「イミンノコ」の洞窟絵画/淺野卓夫
「字習い積み木箱」というおもちゃがあることは、亡命ユダヤ人の哲学者ワルター・ベンヤミンのエッセイで知った。字習い積み木箱というのは、アルファベットの記された小さな積み木を箱のなかにはめこんで単語をつくるというドイツのおもちゃ。少年のころ、このおもちゃをことのほか愛用していたベンヤミンは、枠のなかに順々に積み木を押しこんでいって、「言葉」が、「意味」が、「世界」が目の前にあらわれるたびに魔術を感じた。ベンヤミンは、その魔術的記号がたちあがる瞬間にそっとふれる「指使い」の記憶を、自分の「幼年時代」そのものだと言う。そして哲学者の憧れは、その記憶の完全な再現をねがう。しかし、過ぎ去る時を生きる人間の道理として、「幼年時代」を、成人した現在からそっくりそのまま取り戻すことは決してできない。この根源的な忘却の意味について思索を深めながら、ベンヤミンはエッセイをこう結んでいた。「私は、かつてどんな風に歩行を覚えたかを夢想することはできる。だがそれは何の役にも立たないのだ。私はいま歩くことができるが、それを覚えることはもはや叶わない」(「字習い積み木箱」)。「わたし」の記憶をめぐる個体発生に、「わたしたち」の集合的な記憶をめぐる系統発生を重ね、種としての人間が宿命としてかかえる決定的な喪失を問う、いかにもベンヤミンらしい文章だ。
在ブラジルの記録映像作家・岡村淳さんの最新作「下手に描きたい 画家森一浩ブラジルの挑戦」(2010)は、ブラジルに生まれ、幼年時代に日本へ「移民」し、帰化した経験をもつアーティスト・森一浩さんが、長い時を隔てて帰還したブラジルで、抽象画を制作するプロセスを淡々とドキュメントした作品だ。「抽象画」の制作、といっても、サンパウロの鹿児島県人会の一室を借りた即席のアトリエでおこなわれる芸術行為は、きわめて具体的な営みだ。しぼる、まぜる、こねる、ぬりつける、たたく、こする、ぬぐう、なぞる……。額に汗して取り憑かれたように手を動かす画家の「指使い」が希求するものがいったい何なのか、岡村さんの寡黙なカメラがしずかに問いつづける。解説的なナレーションはなく、ありきたりなブラジル的風景はいっさい登場しない。多くを語らず、多くを映さない。冒頭でさりげなく活写される窓の外の赤いレンガ造りの町並み、屋外の鳥の鳴き声や子供たちのポルトガル語の声だけが、「日本人画家」のいるその場所が、南回帰線上の亜熱帯都市であることを暗示する。画家は、みずからの抽象画の特徴を、「描くことと」と「描かないこと」の関係、色と余白の関係において捉えるが、それと呼応するかのように、今回の岡村作品も、じつに余白の多い作品だと言える。
たったひとりで取材する岡村さんのカメラに応えて、森一浩さんが、おもむろに語りだす。ブラジル帰りの自分が「イミンノコ」であることに長いあいだ劣等感を抱いていたこと、父母の故郷・鹿児島では悪童たちに石を投げつけられることもあったこと、5歳のころまでは、妹とブラジル・ポルトガル語でしゃべっていたこと。森さんは、白いキャンパスに土色の絵の具を塗りたくることであらわれる、女性の身体のような流線型のフォルムに「触れたい」と言う。そして、それはどこか「漢字」や「カタカナ」の角張ったかたちの記憶の向こう側にある、アルファベットの丸みへのかすかな懐かしさにつながっている、というようなことも。もしかしたら幼年時代の森さんは、日系コロニアのちいさな町で、あるいはブラジルからの帰還船が寄港した異国の港で、風景に刻まれたアルファベットを、赤土の染みのついた帖面に夢中になって模写しながら、意識と無意識の敷居ではじめて立ち会う「意味の世界」の誕生にひそかに打ち震えていたのかもしれない。蜘蛛の巣のような子供の「下手な字」へのあこがれを深いところで抱いているこの画家は、長いあいだ記憶の底に封印してきた母なる国ブラジルで、「下手に描きたい、下手に描きたい」としきりに語るのだった。このときの森さんは、文字に触れる幼年時代そのものとしての、あの「指使い」の記憶の奪還を夢見る哲学者、ベンヤミンとひじょうに近いところに立っているように思える。
岡村淳さんの盟友である小説家の星野智幸さんは、作品「下手に描きたい」を評して、岡村ドキュメンタリー初の「密室劇」と呼ぶ。目を見開かされる指摘だ。撮られる森一浩さんと撮る岡村淳さん、対話するふたりのアーティストがこもるブラジル鹿児島県人会の一室は、密室的であり、こういって良ければ「洞窟的」でもある。みずから移民となってサンパウロに渡り、ブラジル各地、日本、パタゴニア、ギアナ高地を駆け巡りながら「忘れられた日本人移民」の旅と生き様に迫ろうとする岡村さんのロード・ドキュメンタリーに親しんで来たものにとって、「下手に描きたい」という作品が残す不動と寡黙さの印象は意外だ。しかし、この作品がみるものの心に刻む時の射程は、かぎりなく深い。最後に、短くつけ加えよう。遠き土地の密室にこもって、「夢のかたち」にふれることをねがう「イミンノコ」の芸術行為は、どこか、洞窟絵画を描く古代人の営みを思わせる。「移民」という近代的な旅の世俗を生きるなかで、失われた時間を求めるひとりの壮年の画家の指使いが、地底の密室を巡礼して「創世」というはじまりの時を幻視する神話的・魔術的な古き指使いに、ふと重なる瞬間がある。日本とブラジルをつなぐ旅の道で、もういちど「歩くことを覚える」ようにして、このはじまりの時を夢見ること。岡村淳さんのドキュメンタリー「下手に描きたい」は、喪失の意味をみずからに深く問いかける二人の「不器用」な移民アーティストが、国家や資本の力に適応して「上手に生きよ」という価値観の蔓延に抗しておこなう、現代の洞窟儀礼の記録なのかもしれない。下手に生きることのとてつもない豊かさが、ここには描かれている。
(「SAUDADE BOOKS」 2010年7月13日付より
http://saudade-books.blogspot.com/2010/07/blog-post_4679.html ) さらに、上記の淺野さんの評を受けて、あらたに星野智幸さんが発表された文章をご紹介させていただきます。
7月10日の日記で書いた、岡村淳さんの「下手に描きたい」。サウダージ・ブックスの淺野卓夫さんが、ブログですばらしい評を書いている。
これを読んで、いきなり思い出したのは、10歳前後のころ、アルファベットの記された乾パンみたいな木片を組み合わせて単語を作る遊びに熱中したことだ。そのころ、私の父親は病気がちで、しょっちゅう入院していた。母親はその看病に忙しく、私が帰宅しても不在であることも多く、それを心配したのか、私は同じマンションでごく小さな英語教室を開いている、アメリカ帰りの年配の女性のもとに、友だちとともに週一で通わされていた。そこには、アメリカで生まれた私に英語を覚えさせておこうという意図もあったと思う。
だが、英語の勉強は退屈で、すぐに飽きてしまった。それで先生は、クロスワードパズルを積み木にしたような、アルファベットの木片を組み合わせて英単語を作るおもちゃを持ち出したのだ。
私はハマった。いつもその遊びばかりをしたがった。おかげでちっとも英語は覚えられなかったが。
2歳半でアメリカから帰ってきたころ、私は日本語の文章に英単語をところどころ交ぜてしゃべっていたという(赤ん坊の荒川修作かよ?)。両親は日本語ネイティブなので、テレビや近所の子といった環境の影響で覚えたのだろう。まあ、gunとかmoonとか、その程度だけど。それで、1歳上のいとこを途方に暮れさせていたという。
何しろ記憶がないので、事実かどうか、確かめようがない。あくまでも親の記憶にすぎず、40数年の前のことだから、それも物語化されていることだろう。
ただ、そのような思い出を聞かされた小学生の私は、不安に陥った。私には決定的な欠落があると、漠然と感じていた。アメリカ生まれ、ということを、ないことにしたい気持ちがあった。
まあ、こう書いていること自体、物語化にすぎないとも言える。今の私との因果など、わかりようもない。
ともかく、「下手に描きたい」を見てから、何のスイッチが入ったのか、自分の忘れていた幼少期の感覚が次から次へとよみがえる。しかも、淺野さんの文章からさらに喚起されてしまうことの不思議さ。一体、何が起こっているのだろう?
16日(金)は、岡村淳さんフェスティバルの千秋楽である。まずは押さえたい3強、「郷愁は夢のなかで」「ブラジルの土に生きて」「あもーる・あもれいら 1&2」で幕を閉じる。横浜のシネマ「ジャック&ベティ」へ急ぐべし。
ちなみに、14日に岡村さん2時間一人語りを聞きに行き、飲み会にも行き、どうしたら豊かに生きられるのか、またひとつ、人生で大切な姿勢を教わった。
(「星野智幸 言ってしまえばよかったのに日記」2010年7月15日(木) より http://hoshinot.exblog.jp/14780648/ )