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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2006年の日記  (最終更新日 : 2007/01/01)
4月の日記・総集編 中隅忌

4月の日記・総集編 中隅忌 (2006/05/01) 4/1記 四月馬鹿

ブラジルにて
朝、日本で準備してもらっている拙作上映会用のプロフィールを書く。
大学で史学を専攻したというのを外した。
昼前より、さる日系人のパーティへ。
家庭の都合でだいぶ遅れて行ったのだが、まだまだ挨拶が続いているのに、イヤハヤ。
立食の場で、さる知人から。
ある拙作の、ひとつのヤマ場で登場人物の語る証言の内容がかなり疑わしいと言う。
こちらにも思い当たるフシはあったが、そこまでとは…
つくづく史学の道に進まず、物書きにもならずによかったと思う。
物書きなら、ダレソレさんがこう言った、と書いても書いたこちらの信憑性も疑われてしまうだろう。
映像では、どう見ても相手が直接、そう言っているんだから話は早い。
そもそも僕には、相手がカメラの前で何を話したがって何を話したがらないか、ある事象に関して何を記憶して何を忘れてしまっているか、ウソや脚色も含めてどのように再構成しているかに興味がある。
ブラジル日本人移民史なんざ、100年経たずして忘却と抹殺、フィクションのでっちあげ、オリジナル資料に当たらず出展も明らかにしない「歴史書」が横行しているんだから、イヤハヤのひと言。
史学専攻の出自でも隠さなけりゃ、付き合いきれない。


4/2記 ニホンマグロ

ブラジルにて
昼前にフェイラ(路上市)へ。
魚屋さんでチリ産サーモンを買ってマリーネでも作るつもりだった。
顔見知りの魚屋のおじさんが、マグロを強く勧める。
「トロだよ!」
につい、つられる。
以前、買ったのは色だけトロっぽかったが。
キロ28レアイス、ひとかたまりを買うと17レアイス、ちょうど1000円だ。
これは見事な中トロ部分がほとんどだった。
夕食時、偏食の一人を除いて家族三人で堪能。
いくら日本で養殖マグロが出回っているとはいえ、この値段でこれは難しいんじゃないだろうか。
そういえば、おじさん「ニホンマグロだよ」と言っていたが「ホンマグロ」の勘違いだろうな。


4/3記 カニバリズム

ブラジルにて
ひょんなことから、知人にリベルダージの寿司屋で巨大カニを食べさせていただく。
重さ3キロ、見た目はヤドカリのオバケ。
やはりご相伴に預かった相棒が「地球外生物!」と声を上げる。
イタさんがチリ産ですよ、と言うので、「この生物はチリのアンデス山中で最近、発見されたんだよ」とSFムードを盛り上げる。
子供の拳大はある爪の肉のボリュームとうまみは天晴れだった。
カニカマの形状、食感はこれあたりを巧みに模倣したのだな、と改めて気づく。
追記
どうということのない上記日記だが、さる方からブログに転用したとのメールをいただく。
もう一度読み返してみると…
ギョギョギョであった。
1972年、航空事故でチリのアンデス山中に墜落したウルグアイの学生ラグビーチームのメンバーが、死んだ仲間の肉を食べてサバイバルしたという「アンデスの聖餐」事件。
図らずも今日のタイトルはこれを当てていた。
巨大カニは食べられた方の変化か。
昨晩は合掌してからいただいたが、次回は十字を切っていただこう。



4/4記 改題

ブラジルにて
次回作の編集中に思うところあって、作品に副題をつけるとことする。
「KOJO」だけじゃ、さすがに何がなんだかわからない。
で、「KOJO ある考古学者の死と生」とする。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000050/20051126001464.cfm
「生と死」じゃないところがミソ。
今月22日に下高井戸シネマで上映される岡村の長編第1作「郷愁は夢のなかで」の原題は「郷愁は夢のなかで ブラジルに渡った浦島太郎」だった。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000119/20060211001626.cfm
初版を観た、さる友人に「テレビ的な部分」を指摘され、そのあたりを作り直し、ついでに説明的な副題もカットした。
KOJOとはズバリ主人公の故・古城泰さん。
そういえばアリゾナ時代の古城さんを訪ねた時、S・キング原作の「クジョー」が上映されていたな。


4/5記 告発・NHK職員の犯罪

ブラジルにて
93歳になられた植物学者の橋本梧郎先生を訪ねる。
今日はうれしい知らせを届けるためで、橋本先生も待ち構えていてくれた感じ。
話は尽きない。
それにしてもいまだに日本の植物学会、薬品業界、マスコミなどで橋本先生の名前を無断で使用している例が多いというのには改めて驚くばかり。
最悪なのは現在、NHK新潟の職員だというNによる橋本先生の資料持ち出し・横流し事件だ。
昨年、私は橋本先生の意を受けて、NHKに抗議したが、まずは無視されてしまった。
これは予測されていたので、抗議文をブラジルの日本語新聞社2紙に送った。
うち、1紙が取り上げてくれて、これを見たNHKブラジル支局があわてた。
NHKの関係者はこの日本語新聞社の社長宛に電話をして、記事の続報を取り止めるか、せめてNの実名を公表しないよう働きかけた。
移民を食い物にして、それがばれると移民をおとしめる。
職員による犯罪行為の隠蔽と虚偽のデッチアゲ。
これを繰り返す橋本元一会長体制(橋本梧郎先生もおっしゃっているが、ハシモトにはとんでもないのがいる)がこの3月31日に発表したのが、NHKの「新放送ガイドライン」である。
ちゃんちゃらおかしくて、まさにエイプリルフール以前である。
こうした「NHKの名を汚す」人間が野放しにされているのが現在のNHKであり、それを支えているのが、あなたの受信料です。


4/6記 アガリクス問題を読む・号外

ブラジルにて
昨日、橋本梧郎先生からご自身も連名になっている連載の掲載されている専門雑誌をいただいた。
食品・食品添加物研究誌「FFIジャーナル」Volume211 Number2 2006。
橋本先生のもの以外をざっとみて、目を見張る。
「きのこ類の有用性と機能性」の特集号だったのだ。
先月の拙日記でも数回にわたって取り上げたアガリクス問題。
毎日新聞は4月3日付朝刊に署名記事で「あるのか?抗がん効果 副作用の疑い例も」という記事を掲載した。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/shoku/news/20060403ddm013100071000c.html
アガリクスの効果への疑問がベースとなって書かれていることがうかがわれる。
ざっと読むと、抗がん作用だけではなく、アガリクスは副作用の危険性こそあれ、人体への有効性そのものが疑わしいという印象を読者に与えることだろう。
記事の結びは、
国立健康・栄養研究所はアガリクスに対し「ヒトでの有効性と安全性について信頼できる調査結果が見当たらない」との見解をホームページ( http://www.nih.go.jp/eiken/ )の「健康食品安全情報」で示している。
お国の専門機関の公式見解でこう結ばれては、「抗がん」問題の導入ながら、アガリクスの有効性も安全性も信頼できない、という印象が広まるばかりだろう。
ここに挙げられた国立健康・栄養研究所の所見のオリジナルをチェックしてみると、なんと更新が2005/6/23ではないか。
問題となった厚生労働省の発表が今年2月、そのはるか以前の見解だ。
大新聞が2月に生じた問題を4月に新たに取り上げて、これをその結論とするのは手抜きないし作為があるとしか思えない。
さて「FFIジャーナル」のきのこ特集。
高崎健康福祉大学の江口文陽教授の「きのこ類のアレルギー疾患改善効果」という論文から紹介しよう。
まず「アトピー性皮膚炎に対する効果」。
アトピー性皮膚炎と診断された24~30歳の男女8名にヒメマツタケ熱水抽出物のみを投与し、炎症の抑制効果を4ヶ月で評価した。

結果は、
自覚症状と医師の経過観察による臨床症状において、紅斑、鱗屑、苔せん化などの皮疹の軽減を7名において確認した。
その経過として、
飲用7日前後で一時炎症が亢進する所見が見られたが、飲用継続により徐々に炎症が抑制され、3ヶ月程度の継続飲用でほぼ正常と診断される状態となった。
多少、健康と医療を勉強された方ならおわかりだろう。
この一時亢進というのは典型的な「好転反応」だ。
さらに同論文ではマウスとラットを用いた研究で、ヒメマツタケに
リウマチ・関節炎の改善効果
腎機能不全(糸球体腎炎)改善効果

が確かめられたことを述べている。
この論文の締めくくりより。
昨今、ヒメマツタケ(アガリクス茸)などのきのこが医薬品であるかのごとく記載された書籍類の販売で薬事法違反による摘発が実施されたが、このことは科学的根拠なく販売する者の意識の問題であり、きのこが悪いものではないことを付記する。多くのきのこは医薬品ではないが、高い生理機能を有する機能性食品であることは事実であると考える。
以上、厚生労働省の発表の直前に発行された雑誌からだ。
大メディアに属する医療・健康専門の記者さん、こういうのはスクープではありませんか?
お役所の発表を無批判で記事にしていれば、仕事はラクでしょうが。
御記事の計り知れない影響も考慮されて、もうちょっと取材をしていただけたら。
病に苦しむ人、直りたいと切願する人への想いと希望をもとにしたいものだ。


4/7記 山形・TOKYO・サンパウロ

ブラジルにて
山形・TOKYO・サンパウロ

畏友・星野智幸さんが「言ってしまえばよかったのに日記」4月6日付で拙作「郷愁は夢のなかで」の東京上映について紹介してくださった。
http://www.hoshinot.jp/diary.html
あなかしこ。
新たに拙作の解題をいただき、新ためて気づかせていただけること多し。
4月22日(土)午前10時より下高井戸シネマ、よろしく!
http://www.ne.jp/asahi/kmr/ski/shimotakaido_cinema.html


4/8記 対症療法

ブラジルにて
今年も狭い我がアパートにて、息子の誕生パーティ。
騒音に寛大なブラジル人から苦情が来るぐらいだから、相当なものだったのだろう。
で、ガシャガシャだったわたくし関係の諸々の片付け。
ないようなスペースにとにかく押し込む。
今度、また発掘するのが大変だ。
本質的に何も片付いていないから、イヤハヤ。
じわじわとスケジュールに追い込まれていくぞ。


4/9記 9・11以降

ブラジルにて
西暦2001年の9・11以降、こちらの生活の細部にも影響と変化が生じている。
今日は妻の実家でこちらの親戚、施設関係の人などを呼んで息子の誕生フェスタ第2弾。
先日、妻が片付け物をしていて発掘した日本の花火を夕方、してみようかということになった。
ブラジルにある花火は打ち上げ花火系と、爆竹ぐらい。
「もののあはれ」そのものの繊細な日本の花火はこちらの「ふつうの」子供は大喜び、というのは既に実験済み。
これまで日本の実家でキープしてあったり、夏場に訪日した時にコンビニあたりで売っている花火セットをちょくちょく持参していた。
これが9・11以降の荷物厳重チェックにより、成田でひっかかり、ご法度となってしまった。
ということは、今回の花火は5年以上前のストック。
多少、火のつきにくいものもあったが、つつがなく挙行。
在庫花火は、余すところあと一袋。


4/10記 宴の後に

ブラジルにて
我が家の手作り誕生会では、数年前から手作りビンゴ大会を行い、これがなかなかの好評。
我が家で余っているおもちゃや文具、もらったけど使っていないものに加えて新たに景品を買い足す。
通常のビンゴは「乱数表」を1枚いくらで買って参加するのだが、我が家はもちろんタダ。
しかも一人当たりに景品がいくつも行き渡るまで繰り返す。
さて、今日、妻が息子を学校に迎えに行った時のこと。
フェスタに来てくれた同級生の女の子が、景品のラジオが壊れているから換えてくれ、と持って来たとのこと。
キティちゃん型のラジオで、子供だましのタダビンゴにはもったいないような景品。
妻は事前にラジオが鳴るのを確認しているのだが、少女は電池を抜いて持って来た。
父親に電池を換えてもらったがそれでも鳴らず、親にラジオを換えてもらえと言われたとのこと。
金を取ったビンゴだったり、うちがラジオ屋だったらともかくねえ。
さて妻が持って返ったラジオ、新たに単4電池を入れてみると、見事に機能するではないか。
妻に言わせると、手荒くいじった後があるとのこと。
妻が少女の家に電話をすると、母親は最初は鳴っていたが、そのうち鳴らなくなった「らしい」と言ったとのこと。
ちなみに先方は日系人でした。
いやはや。


4/11記 カットからカットへ

ブラジルにて
ヘアーサロンSOHOの話ではない。
本業のドキュメンタリービデオの編集のこと。
大・黒澤は映画とはカットとカットの間にあると言った。
ドキュメンタリーに関して言えば、ひとつの究極の理想は1作品1カットかもしれない。
多くのテーマでは、なかなかそうも行かない。
カットから次のカットへ。
その意味の継続と飛躍のダイナミックかつデリケートな醍醐味。
その意味が言語化しにくく、オーディオヴィジュアルな表現の方が最適と信ずるからこそ、こんなことをやっている。
ひとり細々と編集作業をたしなみながら、そんなことを思う。
この味覚を、皆さんに共有していただけるだろうか。


4/12記 静岡、よろしく

ブラジルにて
いくつかの用件で、橋本梧郎先生のところを再び訪ねる。
別れ際に「静岡のこと、よろしくお願いします」とおっしゃられる。
橋本先生の故郷・静岡県下の数ヶ所で地元の有志の方々の尽力により、岡村の訪日に合わせて「ギアナ高地の伝言 橋本梧郎南米博物誌」の上映が実施されることになった。
今日の用件のひとつは、その経過報告。
現在93歳の先生は「もう再び故郷を訪ねることはないだろう」とおっしゃる。
橋本先生の高貴な精神を、如何に地元にお伝えするか。
改めて姿勢を正したい。


4/13記 フェジョヴェジ

ブラジルにて
こちらは、肉食を控える聖週間。
久しぶりにフェイジョアーダ・ヴェジタリアーナを作ってみる。
肉食フェイジョアーダより仕込みは楽。
家人ばかりでなく、掃除に来てくれたブラジル人のおばさんにも好評。
そろそろ外部の人にも食べていただくか。


4/14記 牧師は念仏がお好き

ブラジルにて
聖週間(日本でなじみやすい言葉でいえばイースター)にちなんで。
日本でイースターといってもあまりイメージが沸かないだろう。
せいぜいモアイのイースター島か、モスラのインファント島か。
ユーミンのベルベット・イースターなんてのもありか。
ちょこちょこ検索していて、福岡で「アマゾンの念仏」上映とあった。
福岡の閉山炭住地区で伝道所をひらく犬養光博牧師の主催。
まず、拙作「アマゾンの読経」のこととみてよさそうだ。
犬養先生は記録文学作家の故・上野英信を師と仰ぐ人で、その縁で親しくさせていただいている。
犬養先生と、キリスト業界や上野英信をサカナに焼酎をいただくのは、至極の喜び。
ひたすら、死者の尊厳にこだわり続ける犬養先生に「アマゾンの読経」はぜひご覧いただきたかった。
以前も「念仏」を「読経」に正させていただいたのだが、よほど念仏がお好きなのだろう。
キリスト者の耳には「読経」も「念仏」もあんまり変わらないか。
「アマゾンの読経」堂々九州初上映、詳細の通知をいただき次第お知らせします。


4/15記 映像考古学

ブラジルにて
通常、家族の休みの時は映像編集の作業はしない。
午後、家族が外出、追い込みのこともあって作業に着手。
「KOJO ある考古学者の死と生」の第1回編集のクライマックス。
故アイルトン・セナは走行中に神を感じると言っていた。
それに近い感じかもしれない。
考古学を扱った映像作品は多い。
それらとはまるで違う作品を元考古学徒が手がけた。
僕が学生時代の初期に参加していた東京の遺跡調査会では、16ミリフィルムでの記録も行なっていた。
カメラマンは黒澤作品も手がけた人で、映画青年だった僕は震えた。
その頃から、遺跡の発掘なんてのは、まるで画にならねえな、と思っていた。
僕がドキュメンタリー屋となり、ブラジルに移住してから手がけた考古学モノは、岩絵というヴィジュアルな素材でその限界に挑戦した。
今回の作品はそのずっと先、あるいは全くの原点にあるのでは、と思う。
さあ、どうなるか。


4/16記 ギアナ高地とアギーレ

ブラジルにて
ドキュメンタリー映画のメルマガ、neoneoの「自作を語る」に拙作「ギアナ高地の伝言 橋本梧郎南米博物誌」について書いたものがアップ。
http://blog.mag2.com/m/log/0000116642/107171111?page=1
あのヴェルナー・ヘルツオークの作品から自作を語るという大胆な試み。
ヘルツオークの「アギーレ 神の怒り」と「フィッツカラルド」は僕の知るアマゾンを描いた劇映画の最高峰をなす。
アマゾンの狂気、敷衍すれば熱帯の狂気。
ヒトは熱帯の闇に生まれて地球上各地にあまねく拡散していった。
その後、最も繁栄したのが温帯地域だ。
温帯に適応したヒトがこれまでのベクトルを反転して、再び捨てたはずの熱帯の闇を目指す。
温帯にどっぷり浸った身心には、熱帯降雨林の地は狂気と幻想の地でしかない。
アマゾンの邦人無縁墓に取り付かれ、ナゾの失踪を遂げた拙作「アマゾンの読経」の主人公は、ズバリその道を行った。
この取材に僕を駆り立てたもののひとつに、ヘルツオークがあったことを改めて思う。
「ギアナ高地の伝言」はその先に挑んだつもりだ。


4/17記 お笑いNHK

ブラジルにて
本日付YOMIURI ONLINEから。
「カラ出張」発覚は外部取材きっかけ…NHK訂正発表
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060417i412.htm
4/5付日記で紹介したとおり、NHKは3/31日付で「自主自立の堅持」を改めて強調した新指針を発表しているのだ。
今回は、NHKスポーツ報道センターのプロデューサーがおよそ1700万円を着服。
外部マスコミの取材を受けてあわてて社内調査を行ない、あたかも「自主自立」で職員の犯罪を公表したように装ったのだ。
このNHKの弁明の文章が、「ハルとナツ」パクリ疑惑に対する岡村の最初の質問状に対する回答同様、ひどい。
繰り返すが、「ハルとナツ」疑惑に対するこの答えになっていない回答に、岡村が国語能力の極めて低いと判断せざるを得ないNHK会長以下重鎮にもお答えできるよう、「はい」「いいえ」での回答を求め、そして具体的な実証を挙げるよう昨年10月に再質問状を送付した。
これに関してNHKは沈黙を保ったまま、疑惑のドラマをDVD化して販売、3月には堂々再放送を行なっている。
マスコミに「盗作疑惑」を指摘されながらノーコメントを決め込むこのドラマの「原作者」は自らの名前を冠した「橋田賞」とやらで、疑惑のドラマの俳優陣を表彰という自画自賛である。
「ハルとナツ」の疑惑をマスコミと世論がさらに追求すれば、NHKは岡村の作品を事前に参考試写しておきながら「まったく関係ない」と公言して番組にデカデカと名前を掲げている担当プロデューサーを切ることになるだろう。
そしてまた読むに耐えない釈明文を、日本語能力の乏しい人間がでっち上げる。
いったいこの放送局は公的な表現・伝達者としてのモラルもプライドも次々とかなぐり捨てて、ウソをウソで繕いながら何を守ろうとしているのだろう。


4/18記 アマゾンの縄文時代

ブラジルにて
別枠の連載の、新しい拙稿がアップされた。
題して「アマゾンの少年時代」。
http://www.univer.net/1_nanbei/0604.html
なんだかスンナリ決まり過ぎたタイトル。
ひょっとすると移民自伝小説かなんかでズバリこのタイトルがあったっけか、といちおうグーグルでチェックをかけるが、ひっかからない。
よし、行っちゃえ。
柳に下のドジョウで、「アマゾンの少女時代」も行きたくなってくる。
「アマゾンの○○時代」シリーズ、かますか。
「アマゾンの新婚時代」。
ちょっとワープして「アマゾンの戦国時代」。
あまり他の追随を許しそうもないけど、けっこう本気が「アマゾンの縄文時代」。
まあ、この辺にしておきましょ。


4/19記 下高井戸の見どころ

ブラジルにて
いよいよこの土曜に迫った東京・下高井戸シネマでの「郷愁は夢のなかで」の上映。
今さら作品の前口上といった無粋なことは、なし。
ご覧いただいたあなた自身が語り部となってくれることを、なんちゃって。
さて、この上映会の見どころは、主催者の「優れたドキュメンタリー映画を観る会」。
会の名前を聞くと文化庁・優秀映画何とかみたい。
実際は一介の主婦がひとりで立ち上げて、ひとりで切り回している。
今や日本のドキュメンタリー映画界の大御所・中御所も一目おく存在。
それでありながら、主催者の飯田光代さんが一介の主婦であり、世田谷のおばちゃんであり続けるところが、すごいところであり、飯田さんと、この会の魅力だ。
飯田さんは出自も家族も出身校も、映像ギョーカイとはまるで関係ない。
ドキュメンタリーなんて、シンキくさくてイヤ、と思っていたという。
そんな飯田さんが身近な問題から、障害者を扱ったドキュメンタリー作品の上映を地元で行なうことになり、それがきっかけになったとのこと。
腰は低く、人当たりはいいが、こだわりは相当なもので、怒らせるとコワい。
かくいう不肖オカムラも、覚えているだけで二度ほど、逆鱗に触れてしまったことがある。
それでいて絶縁に陥らず、今回もこうした上映の機会を作ってくださった。
自分がしたいこと、したいフリをしていることを、しない、できない理由を延々と述べる人は少なくない。
飯田さんは、その真逆を行った。
上映の当日は飯田さんが進行を仕切って、ご本人のご挨拶もあることでしょう。
お楽しみに!


4/20記 終点は、移民駅

ブラジルにて
訪日に向けて、メインの作品編集以外もあわただしくなる。
月イチの連載用の取材などもあり。
今月、サンパウロの地下鉄のラインが延びた。
サンパウロの地下鉄事情でも、と子どもの送りの帰りに新開通路線に向かう。
なかなか面白い発見あり。
もう少し取材をすれば、ひと月分はいけそう。
タイトルはこれで行くかな。


4/21記 中隅忌

ブラジルにて
今日は、ブラジル学を提唱しておられた中隅哲郎さんの七回忌。
未亡人から、挨拶を頼まれていた。
法事での挨拶というのは、初体験。
1週間前ぐらいから、準備していた。
冒頭を声に出してまで練習してみた。
こんなのは客船「飛鳥」の船上講演以来。
思えば、飛鳥の話も中隅コネクションだった。
夜、長距離バスに乗るため、まず地下鉄でターミナルへ向かう。
自分のなかで諸々の死者が飛び跳ねる、不思議な感覚を覚える。


4/22記 昇華

ブラジルにて
早朝、ベロオリゾンテに到着。
旅気分を盛り上げるため、近くを少し歩いてみる。
今回、カローナ(車による案内)を申し出てくれた日本人の方が、バスターミナルに迎えに来てくれる。
その方の御宅で、朝のカフェをご馳走になる。
うちの子供の話が出たので、その方のお子さんは何人?と聞いてみる。
ひとり、事故で亡くなったとのこと。
夜までお世話になり、いろいろな話を交わした。
亡くなったご子息の部屋も案内していただく。
「ブロークバック・マウンテン」だ。
没後5年。
見事にチリひとつ落ちていない。
存命当時、青年が壁のボードに貼り付けていた新聞記事が変色しているのが歳月を伝える。
故人の遺影に、クラクラする。
久しぶりの感覚だ。
好青年ぶりが、滲み出ていた。
ご子息は、大学からのバイクでの帰宅時に、凧の事故で亡くなった。
ブラジルの特に貧困地区では、いい青年までが凧遊びをする。
凧のケンカ用に、凧糸に粉々にしたガラス片を塗りつけることがある。
このパワーアップ凧糸が、ライダーなどを殺傷することがあるとは聞いていた。
身近な痛みとして知るのは、初めてだ。
彼の飼っていた犬は、彼の没後、憔悴して後を追うように死んでしまったという。
青年の親友の母親が、この犬・ZAOを主人公としてこの事故と殺人凧糸の危険を青少年に伝えるための絵本を出版した。
そのお志に、深く打たれた。
絵本を一部、ちょうだいした。
さっそく僕の立ち寄り先、知人のところで殺人凧を用いているか、聞いてみよう。


4/23記 「さすらい日乗」さま

ブラジルにて
「さすらい日乗」さま
下高井戸シネマでの拙作「郷愁は夢のなかで」上映にお越しいただき、ありがとうございました。
また御ブログに貴重なコメントを賜わり、重ねて御礼申し上げます。
以前ちょうだいしたメールアドレスに御礼のメールをお送りしたのですが、送信エラーとなりました。
そのため御ブログのコメント欄に御礼のコメントを書かせていただこうと試みたのですが、投稿がうまく行きません。
そんな事情で、拙サイトの日記で御礼を申し上げる次第です。
お目に留めていただければ幸甚です。
思えば私が自作の上映に原則として立ち会う決意をしましたのも、この作品での体験が主となります。
今回は上映主催者の飯田光代さんを全面的にご信頼申し上げておりますので、「監督不行き届き」での上映をお願いした次第です。
かつて私の友人が日本の大学で、私に事前の連絡がないまま、この作品を上映したと後に報告がありました。
会場からはブーイングがあり、「なんでブラジルの移民ごときに説教をされなきゃならないのか」と抗議があったそうです。
この友人はこうした抗議は聞いても、制作者や登場人物の側に立っての議論はしてくれなかったようです。
数年前、私の妻の実家の知人だという在日本の自称ブラジル通のライターだという女性から、ぜひ私の作品を見たい、経費は払う、というご連絡をいただきました。
経費はともかく、この作品をお送りしたことがあります。
すると、映画の作り方とブラジル移民の歴史をもっと勉強しなさい、というメールがありました。
送料ももらわず仕舞いです。
私はこういう輩の鑑賞方法を信用していないのです。
私の作品は決して見やすく、聞きやすくありませんので、テレビのワイドショーぐらいのつもりで何かをしながら、ではおよそ鑑賞に堪えないでしょう。
まあいろいろとこんなことがありまして、この他、ずいぶんデタラメな上映もありました。
上映方法や主催者の姿勢がいい加減だと、かなり観る方の作品や登場人物への印象も変わってしまうものです。
私の無能ぶりを非難いただくのはかまわないのですが、私の撮影を受け入れてくれた方の尊厳をおとしめるような上映は避けなければならない、と決意しました。
欠席裁判を極力避けて、観る人間を選ばせてもらう、と心がけております。
コメントをちょうだいしまして、観るべき方に観ていただけた、と感激しています。
ひと言、御礼が申し上げたく、このような形で失礼いたしました。
現在、この仕事の延長上にありそうな最新作の編集中です。
ご高覧いただける機会がありましたら、幸甚です。
まずは御礼まで。


4/24記 庵主の玉稿

ブラジルにて
中隅哲郎亡き後も、ブラジルでものを書く邦人は掃いて捨てるほどいる。
しかし「良心的」「知識人」と検索を絞り込むと、ハテと考え込んでしまう。
そんななかでズバリの方とご縁をちょうだいした。
イビウナ庵主こと、中村勉さんである。
当サイト中の「岡村淳アーカイヴス」のページに、庵主の岡村作品についての論考を数回に分けてアップさせていただきます。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000051/20060425001779.cfm


4/25記 語彙散策

ブラジルにて
本日付のサンパウロ新聞から。
リオ総領事館からの「総領事館安全情報」という記事がある。
そのなかで、ファヴェーラを指す言葉として、「貧民窟」が使われている。
「貧民窟」ねえ。
「スラム」というカタカナ語はもう日本語化されているといえると思うし、「貧民街」ならまだ許せる。
「窟」だよ「窟」。
手元の広辞苑、漢和辞典等を繰ってみる。
「窟」の第1義は、ほらあな、いわや、あなぐら。
第2義に「人の集まるところ」というのもあるが、用例は「巣窟」=「悪者などのかくれが」ぐらいで、ネガティブ以外の使用例が見当たらない。
僕が考古学・縄文文化を学んだ大きな理由。
体制や権力による抑圧・強制へのアンチテーゼ。
そしてそうしたものとは無縁の現実の世界・時代の模索と、その本来の豊かさの復権と精神の解放のため、ともいえる。
僕自身は、穴居や竪穴式住居に関して憧れはあっても偏見はないつもりだ。
しかし日本の歴史をとっても天皇を長とする体制と権力は、古代以来、自分たちが侵略する地の先住民、自分たちに従わない人々などを「土蜘蛛」「蝦夷」などと称してきた。
自分と異なる他者をよく知りもせず、知ろうともせずに、蔑称でおとしめて排他する。
リオ総領事館は、見事に古代天皇制以来の日本の官僚意識の延長にあるではないか。
惜しむらくは、ここブラジルは日本国の主権のおよばない異国なのだが。
自国の国民に用いるのをはばかるような言葉を、他国の尊厳ある人々に浴びせるのは止めていただきたい。
これまで各地のファヴェーラにお邪魔しているが、人類の住居史からいっても「ほらあな」「あなぐら」の穴居段階よりかなり先の意識と構造を持った建築物の集合体といえる。
さあ、お笑い在ブラジル日本国官僚、もっと具体的にいこうか。


4/26記 リクエストに応えて

ブラジルにて
アホな在外公館の役人のことなんか、いつでもいい。
早くイビウナ庵主の岡村作品評を読みたい!
こんな声をちょうだいした。
下品な話題はヒマネタにまわしませう。
さっそく庵主の論考、パート1「岡村淳の世界・郷愁は夢のなかで」をアップしました。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000051/20060425001779.cfm


4/27記 黄金記録

ブラジルにて
ゴールデンウイーク・黄金週間の記録映画・ドキュメンタリー映画祭、をテキトーに短縮。
今年もメイシネマ祭の季節がやってきた。
メイシネマ祭’06では14作品のドキュメンタリーが5月3、4、5日の3日間連続で上映される。
http://homepage2.nifty.com/creatoise/maycinema/html/mc0605a.html
このなかに岡村の最新作「ギアナ高地の伝言 橋本梧郎南米博物誌」を選んでいただいた。
5月3日(祝)・13時からの上映。
自主映画上映企画というのは、実に主催者の味とお人柄が滲み出て面白い。
メイシネマを運営される藤崎和喜さん、この方をぜひ味わっていただきたい。
祖国で岡村作品をサポートしてくれるのは、公や公を志向する映画祭や組織ではなく、「優れたドキュメンタリー映画を観る会」の飯田光代さんや、このメイシネマ祭の藤崎和喜さんのような個人とそのネットワークの善意と志である。
今後とも組織ではなく、個人のネットワークに賭け続けたい。


4/28記 気がついたら

ブラジルにて
二日酔いである。
反省。
相棒からメールが来る。
「ウイスキーは気がついたら濃くなっているので、どうにも飲みすぎます」。
イヤハヤそれはこっちのセリフ。
特に最後のはトイレに立った後、えらく濃くなっていた。
もう氷も水も入らないほどグラスにイッパイ。
ついついアフリカの何とか女史みたいに「モッタイナイ」精神で…
中座されたボトルの持ち主が次回、残量を見てさぞ驚かれるだろう。
と、いったんアップしてから考える。
思えば、僕の方から相棒へは3時間ぐらいの間にせいぜい2度ぐらいしかウイスキーを注ぎ足した覚えがないし、記憶を失うほどは飲んでいない。
昨晩の相棒とは、サシで飲む機会こそ今までなかった。
しかし在ブラジル邦人きっての正義感の強い男、他人様の高価なウイスキーを多少酔ったとはいえ、飲み干しそうもない相手にムザムザと注ぐようには思えない。
すると…
店のバーサンである。
この店のバーサン、かつて僕のテレビ時代の先輩たちが、あまりのアコギさから「ピラニア」「吸血コウモリ」と称していたリベルダージの飲み屋の、まさしく由緒ある生存者である。
僕あたりの世代、そしてより若い世代がまず自分たちで選択することはない店。
つまり古い移民世代と共に消えていく、絶滅の危機に瀕している。
ボトルの持ち主が勘定を済ませて中座して間もなく、バーサンに看板だから出て行ってくれ、と言われる。
その間、来店したのは堂々2名。
閑古鳥も見放す移民史料館あたりも、本来の博物館の活動も精神も放棄した、移民を食い物・乞食根性路線を転換して、この「生きた博物」のバーサンあたりに館内で店を出させて活性化したら、少しは面白いかも。
自分の勘定で行くかは、ちょっと考えるけど。



4/29記 語り継ぐ映画

ブラジルにて
息子が日本語を読んでくれ、という。
父親が日本で買ってきた「特撮映画大全集 東宝怪獣映画編 傑作選2」(2005年、株式会社セプト発行)の、「サンダ対ガイラ」の解説。
日本語で音読の後、ポル語に訳してあげる。
「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」1966年公開。
思えば僕が兄に連れられ、最初に劇場で見た怪獣映画がこれだ。
確か廃館後久しい目黒東宝だっけか。
父から息子に語り継ぐ映画が、クロサワではなくて怪獣だという現実。
それにしてもこの映画、数ある怪獣映画のなかでも異質だった。
40年前にみた怪獣映画の記憶が、ささやかながらよみがえってくる。
今、この本からこの映画のリードを紹介しよう。
人間として生きることを許されない悲しき怪人は、逃亡の果てに、自分の分身にめぐりあう。しかし、それは果てしなく続く修羅と灼熱の地獄への旅立ちへのはじまりだった。
身につまされるではないか。
制作者のただならぬ志を感じざるを得ない。
他人様の作品の設定を無断でパクってばれてもシラをきり続け、有名脚本家と流行の俳優たちを散りばめてアホな視聴者をテキトーに泣かしてやればいい、と移民も視聴者をもなめてあざむくインチキドラマの制作者ごときは末代まで呪われるだろう。


4/30記 ブラジルの土・再発掘

ブラジルにて
さすがは、と好評のイビウナ庵主の岡村作品評。
もうひとつ庵主からいただいていたものをアップしよう。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000051/20060425001779.cfm
この作品、「ブラジルの土に生きて」は西暦2000年の制作。
「郷愁は夢のなかで」に継ぐ長編ドキュメンタリーで、岡村の「ブラジル無縁仏3部作」の第2部をなす。
笠戸丸移民の秘話もこめられている。
ステレオタイプの移民像を新たに突き崩したつもり。
つい先日、再び現地を訪れてきた。
いま、ぜひ皆さんと一緒に観てみたい作品。


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