7月の日記・総集編 「住めば『ブラジル』の土に生きて」 (2006/07/31)
7/1記 国敗れて
ブラジルにて いやはや、市民は花火の上げどころもないうちに負けちゃいましたな。 国民も我々シンパも勝って当たり前、の勝ち癖が付いていたからなあ。 平家物語でも読みたくなってくる。 お店やってるかねえ、これから肉焼くのかねえ。 と敗戦後間もない夜、子らと約束していた大衆シュラスカリヤを目指す。 今日は酔っ払いに気をつけるように、と子らに注意を促して冬の街へ。 おお、暗い道に黄色い照明が。 客もソコソコいるではないか。 試合中は戒厳令下並み、そして犯罪組織と警察の抗争で都市機能が停止したのはひと月半前のこと。 ワールドカップに敗れてもブラジルの牛は焼かれていた。
7/2記 誇り高き失敗者!!
ブラジルにて 今回も少なからぬマンガを日本から妻子のために担いできた。 娘のリクエスト「NARUTO」巻ノ11から。
「…お前から見たオレは強く見えるかもしんねーけど… ………それはいつも失敗ばっかして …くやしいから強がってるだけだってばよ」 「そんなことない…… ナルトくんは失敗したっていつも… わ… 私から見れば… 誇り高き失敗者だったもの……!」 「!」 「ナ… ナルトくんを見てると心に衝撃があって… カンペキじゃないから…… だから…… 失敗をするからこそ…そこから立ち向かっていく強さがあって……… そんな強さが本当の強さだと私は思うから……… ナ…ナルトくんはすごく強い人だと思う…」
文字だけ書き出しても伝わりきれないビジュアルな世界。 こんなセリフのあるマンガに、ガキの頃から接することのできる世代がうらやましい。
7/3記 反響と対策
ブラジルにて 「家庭不和」を招いたBumba27号のイラストについて、少なからぬ方々からお見舞い等のメールをいただく。 いずれも日本で雑誌を購読されて、現物を見られた方々。 日本にこんなに購読者がいるとは。 さて、そろそろ次の文を書かねば。 今朝、ブラジル奥地の旧友から思わぬメールが入っていた。 旅の地がうずく。 いろいろ思い巡らし、イラストなしで行く手を思いつく。 美人編集長におうかがいを立ててみませう。
7/4記 チエテ川紀行
ブラジルにて デレデレと馬齢を重ねているうちに、次の原稿の締切りが近づいてきたぞ。 訪日中にアップされた拙稿をご紹介。 http://www.univer.net/1_nanbei/0606.html また凝りもせずに旅に出たくなりますねえ。
7/5記 伝言持参
ブラジルにて 家庭の事情もあり、すぐには果たせなかった。 今日午後、ようやく橋本梧郎先生のところを訪ねてご挨拶。 寝起きに頭がふらふらするとおっしゃる。 浜松、東静岡、仙台での上映会でいただいたアンケートをお届けする。 1枚1枚、実に丹念に読まれる。 書いた人が恐縮するのではないか、というくらい。 先生のコメント。 「いろんな人がおるねえ」。 表情も言葉もストイックな先生だが、たいへんご満悦とみた。 先生から思わぬ話を切り出された。 これはモッタイナイから、今は書かない。
7/6記 怨念境地
ブラジルにて 在カリフォルニアの硬派・野口紘一さんがパラグアイMLに以下の文章を発表された。
先日に、岡村淳氏の企画、撮影製作された『アマゾンの読経』を拝見致す事が出来ました。5時間20分もの長き録画テープに秘められた、執念とそれが描き出す人間の様々な模様と、過去に消えて無縁仏となり、アマゾンの熱帯雨林に埋もれた無縁仏の墓石の数々の有様は、胸を締め付けるものが有りました。
岡村淳氏が企画して、9年間掛けて、それが完成したという、執念がなければ出来ない撮影製作で、一人の人間の足跡を淡々と追うその心意気と熱意に絡んだ忍耐の執念と化した怨念境地の取材の様は『よくぞ・・!』と見終わって感じさせるものが有りました。
取材相手との信頼関係を築きながら小型ビデオカメラで、ドキュメンタリー・シーンを一人で撮影した岡村氏の情熱に感服するのみで、この情熱がなければ完成はなかったと思います。
その情熱をたぎらしたものは何か?
戦前の移住政策の告発にもなる、棄民的な日本政府の移民政策の終末の結晶が草むらに覆われて、地面に埋もれた無縁仏の墓の列が象徴していると感じました。その忘られた過去を発掘するごとき執念ではないかと画面から感じまた、またそして思います。
私もパラグワイ移住地を訪問して、そこの墓地を訪れて真っ先に感じた事は『なぜ・・・!』という疑問でした。以下は私が見たパラグワイの墓地の事を書いておきます。
(私の還暦過去帳より) 訪れた開拓地の墓標が思い出される。白木の粗末な墓碑に墨で書かれ、名前が雨風に曝されて消えかかって、地面に埋められた部分はすでに白蟻に食われた哀れな姿で、熱帯の灼熱の太陽にさらされて、夏草の茂みに静かに立っているその姿を思い出した。心痛む事は、沢山の子供の歳を書いた墓標が有る事だった。何も手入れがしてない墓地の片隅に、整然と並ぶ墓標の列は、近くで鳴く虫の音に、泣き叫ぶ子供の声を聞いた思いだった。私が訪ねた所は、パラグアイの移住地の墓地で、かなりの人がブラジルや、アルゼンチンに転移住して、もはやその土地には家族は誰も住んでいない訪れる人も少ない場所で有った。しかし、その中で一ヶ所、夏草を綺麗に取り除き、朽ち掛けてぼろぼろになった墓標も側に取り除いてあり、穴を掘った後も平らにして、その上に花が置いてあった。
墓標の消えかかった文字を見ると、女の子供の名前が有って、当年二歳と微かに読めた。誰か隣国に転移住して、生活が安定したので自分の子供を迎えに来たのだと感じたが、まだ沢山の墓標の姿を見るにつけ、おそらく遺骨を掘り出しに我が子を迎えに来た人の気持ちが、子供に対する愛情を感じさせる気がした。側で鳴く虫達の鳴き声は、数々の子供の墓標の叫び声と感じるーー、親を呼び、探している悲しい叫び声と取れた。物言わぬ朽ちた墓標達がその月日の長さを感じ、哀れでならなかった。
転移住者は物言わぬ地下の魂を連れていく事が出来なかったのです。この事は現在でも忘れてはいけない事柄と感じます。
この様に戦後の移住地でも、パラグワイから隣国に再移住して転出して行き、無縁仏と化した墓標が有る事は、これはまさに政府の移住政策の欠陥と感じます。
それは何故か?
その歴史的事実を反省するとその過度期の生活困窮時代に政府の政策として、生活保護的な救済が有ったなら、赤子や若年の移住地で出生した子供達の命とその養育に親も安心して転住のストレスをも抱えることなく、生活して、安住の地を開く事が出来たと感じます。
パラグアイから転移住して行き、移住地に残され、その移住地の土と返った、数々の魂が有ることも忘れてはいけません。
移住者が追い詰められて、隣国に再移住を余儀なくされた原因の根幹は政府の移住政策の欠陥と長期展望の欠如と資金援助不足と感じます。これは戦前の移住者がもっと端的に表していると思います。 この『アマゾンの読経』を鑑賞していると、なぜ・・、この様な無縁墓地が出来たかという疑問が解けました。
是非とも機会が有りましたら、岡村淳氏のこの『アマゾンの読経』を鑑賞して下さい。必ず貴方の心の底から感じるものがあると確信しています。 最後に・・、 伊豆大島の富士見観音を堂守し、南米移住者の多くの御霊と無縁仏となった々を弔っていた藤川真弘氏とその奥様のご冥福をお祈りいたします。
藤川氏の最後はアマゾン河に殉教者の如く身を投げて、御世の世界に数々の移住者の御霊の巡礼に旅立ったという事を書いておきます。 野口より、
先月、畏友・佐藤仁一さんのご協力をいただき、ついに「アマゾンの読経」改訂版を完成させた。 藤川師入定20周年を迎え、すでに9月に仙台でのユニークな上映会実施が決まっている。 乞う・ご期待!
7/7記 犯罪都市の子ら
ブラジルにて 世界に名だたる犯罪都市サンパウロ。 せっかくの子らの長期休暇、屋内でテレビとゲームばかりでは、自分はしたい放題のバカ父親も心が痛む。 どこか行きたい?と聞くと、 リベルダージ(東洋人街)!。 アニメ・マンガグッズが狙いだ。 今どきのサンパウロのミドル・クラスの親は、なかなか子供だけで外に出さない傾向あり。 誘拐、強盗、レイプ、麻薬に銃撃の流れ弾…と書き出してみる。 かといって閉じ込めっ放しも… 娘と友人、その親とも計って行きは小生が同行する、ということで盛り場行きを決行。 育児は冒険が伴なう。 冬の陽がやや傾き始めた頃、娘はNARUTOの紙バッグを持って無事、帰宅。 ホッ。 日々是決戦。
7/8記 タイガー対シャーマン
ブラジルにて 昨日、犯罪都市サンパウロについて少し書いた。 タイミングよく?本日付のサンパウロ新聞に、サンパウロ総領事館・総領事館安全情報が。 「防犯対策」の項に「可能であれば車両に防弾加工を施すこと。」とある。 可能ですか? サンパウロに暮らす日本人の友人たちを思い浮かべる。 防弾加工どころかチャリンコも持てない「火の車」組ばかり。 在外邦人保護に当たるべき日本の役所が、誰を保護しようとして誰を切り捨てようとしているかがよくわかる。 どうせ大多数にとって不可能なことを並べるなら、徹底するなりウイットを持たせてもらいたい。 「可能であれば装甲車か戦車を用いること。」とか。 さあM4シャーマンにするかタイガー1型にするか。
7/9記 マンガの帯から
ブラジルにて 本の帯カバーは捨ててしまうことが多い。 まして破損のあるものは余計。 痛みの激しいこれもそうするつもりだったが、本書中にないコメントが書かれている。 (前略)時には「どうして自分の子に障害があることを公表するのか、隠そうとするのが普通ではないか」という質問を受けることもありましたが、私の考えは違います。”隠す”ということは、障害を理解してもらうチャンスを失うことだと思うのです。まわりの人たちは気になっていても、自分から「障害があるの?」とはなかなか聞けません。でも、こちらの方から心を開いて話をすれば、必ず真剣に聞いてくれたり、力を貸してくれる人がいます。今日まで私たち親子は、そういう人たちに助けられ支えられながら、歩んでくることが出来ました。(後略) 女優 五十嵐めぐみ 「光とともに… ―自閉症児を抱えて―」第9巻 戸部けいこ著 秋田書店 同感。 テープで補修してとっておこう。
7/10記 終点は、移民駅
ブラジルにて 締切日に何とか新しい原稿を送信。 いやはや。 旅のバタバタで、5月分アップをご紹介していなかった。 http://www.univer.net/1_nanbei/0605.html サンパウロの回転は速い。 この原稿に記した地下鉄10回券は先月から発売中止になってしまった。 割引のないカード式に切り替えさせるのが狙いらしい。 このカード、チャージするのに延々列に並ばざるを得ず、しかも瞬時にチャージできない。 改悪。
7/11記 空っぽ
ブラジルにて ここのところ、マンガからの引用が続いた。 今日は、趣向を変えて。 声はいくら出せても、パワーがない、中身がない、自分たち自身が空っぽだから。 (「釜ヶ崎と福音」本田哲郎著、岩波書店、95ページ) 午前中、16日に拙作「アマゾンの読経」第二部の上映会のある日本語センターにて、機材や段取りの打ち合わせ。 昨年、第一部の上映をしていただき、いずれ第二部を、とおっしゃっていただいていたが本当にやってくれることになった。 主催はJICA-OB会と名前に芸がないが、日本語の先生たちの会。 さて、本日付のニッケイ新聞から。 「ようやく『一歩』踏み出す 百周年記念協会 日本へ5億円超を要請」 の見出し。 この記事によると「移民百周年記念映像作品製作」というのがあり、予算は180万ドル、2億円以上である。 以前、似たような集団の映像プロジェクトの会議に、乞われて何度か出席したことがある。 あまりのくだらなさ、ばかばかしさにあきれ果てた。 ブラジル日系社会のオピニオンリーダーのつもりでいらっしゃる面々のレベルはあの程度とは・・・ 当方はさんざん利用されて後ろ足で砂をかけられた。 その時、頼まれてでっち上げた予算書には、「何者かが」ゼロをひとつ多く付けていたことをさる筋から知った。 もちろんこんなインチキなプロジェクトが通るほど世の中、甘くないが、日本から来た業者等、確実に利益を上げた連中がいる。 こちらは交通費から手間暇から、えらい持ち出し。 今回のプロジェクト、僕が9年かけて南米各地と日本の往復を繰り返して「笠戸丸から日本ブラジル交流協会までの移民史の伏流」を紡いだ拙作「アマゾンの読経」に費やした経費より、桁が二つ多い。 君子は李下に冠を正さず。 作家は作品で勝負。 ちなみに、16日は今回、完成させたばかりの改訂版を上映するつもり。
7/12記 アマゾン亭
ブラジルにて あの「新宿発アマゾン行き」、そして拙作「アマゾンの読経」の佐々木美智子さん。 佐々木さんは新宿から再び伊豆大島に戻って、民宿を開けた。 その名も「アマゾン亭」。 富士見観音参拝のアクセス・ポイント。 料金は、岡村をして「佐々木さん、もっと取ってくださいよ!」と言わしめる低価格。 8月末には岡村作品のプチ上映会も実施予定。 電話04992-2-3935。 東京本土から船で日帰りも可能、移民船気分、アマゾン河クルーズ気分も味わえる。 もちろん温泉も!
7/13記 本よりヒドい
ブラジルにて 5月に訪日して、まず購入したのが「ダ・ビンチコード」の文庫版。 時差も忘れて読み耽った。 上・中・下と読了するまでは本業も気が入らないほど。 さてブラジルで映画を観るためには、多少の無理が必要。 映画版はすでに上映館数も激減、時間も夕方からに限られている。 少し無理して、観る。 ブラジル最大規模の日刊紙「FOLHA DE S.PAULO」の寸評がケッサク。 ワシントン支局のSergio Davila氏のコメント。 「原作よりヒドい。読んでないけど」。
7/14記 サンパウロのKOJO
ブラジルにて 在サンパウロの日本人の友人が「KOJO ある考古学者の死と生」をぜひ観たいと言ってくれる。 こちらの希望で使える会場が難しいため、彼の家で、岡村作品ウオッチャーの別の友人にも来ていただき、プチ上映会を実施。 ブラジルも移民も直接、関係ない話なだけに、こちらからの宣伝は控えていた。 一緒に観ていて気づくが、この作品には日本人が外国に関わるとはどういうことか、異文化との接触とはどういうことか、というテーマも込められている。 異国ブラジルで生活する彼らこそ、多くの在日日本人よりこのテーマを切実に受け止めてくれるに違いない。 面白い集いだった。 家庭を提供して、台所方を支えてくれたご家族に感謝。 これを記念して「KOJO」に関する資料をアーカイブス内に随時アップしていくつもり。 第1弾は、これ。 http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000051/20060715002039.cfm
7/15記 それでもお前は人間か
ブラジルにて 「部落問題と癩問題とは、そこに世人の正当な関心が集まりにくいという点において相似していて、しかもその未解決は、日本民族の重大な二つの恥部である」とのべたのは、『神聖喜劇』の作者・大西巨人氏だが、私はその一つである癩問題を自分の中に抱え込んで四十年、ひたすらその解決を夢みて暮らしてきた。 「海の沙(すな)」島比呂志著、明石書店より 在ブラジルの友人から「ゼッタイ返してください」と念を押されながら、借りてきて読む。 ふだんなら「ゼッタイ」と念を押されるような借り物はしないのだが。 それに見合う衝撃的で、すばらしい作品だ。 日本の国家によって人間の尊厳をおとしめられ、家族の団らんを奪われ、親になる権利、子を持つ権利も奪われた人々がいることは、知らしめ、そして記憶し続けなければならない。 文学の可能性、あるべき姿を再認識。 こうした本を、連れ合いのウルトラセブングッズを削ってもブラジルに持ってきた人がいるということもあっぱれ。
7/16記 問題意識
ブラジルにて 今日の「アマゾンの読経」第二部の上映会。 ご覧いただいたメンバーのノリがやたらによかった。 8割以上が女性。 作品の細部でよく反応してくれる。 神は細部に宿り給う。 主催は、JICA日本語教師研修生サンパウロ地区OB会。 参加者の大半は現役日本語教師。 ノリのよさの意味を考えていて、主催者にいただいた文集の巻頭の文に出会った。 (前略) 私達教師はブラジルに渡ってきて、子を生み育て、かたわら日本語教育にかかわってきました。授業の合間に授乳もしなければいけなかったはずだし、教えることにウエイトを置くあまり亭主殿の不興を買ったこともあったはずです。仕事熱心な教師であればあるほど悩みや課題も多いのではないでしょうか。 そうまでして、なぜ、日本語を教えるのだろうか。教えるって一体なんだろうか。経済面からいえば、日本語教育が報いられない分野なのは周知の事実。まさか、日本語=お札に見えているわけではなく、それ自体がすでに悩みの一つになっています。ただ、それを問題意識にまで昇華させていないだけなのです。 みんなが問題意識をもてば、ブラジル独自の日本語教育の姿がみえてくるのではないか、最近の私はこう考えています。人生は毎日の積み重ね、それを丁寧にしているか否かで、差が出てくるのではないか、こうも思っています。 (『問題意識をもつ』中田みちよ、「かけ橋」第14号) 著者の中田先生は、この上映会の仕掛け人である。 問題意識が光っていることがよくわかる。
7/17記 ブラジル勘定
ブラジルにて さあ家族旅行の始まり。 魔都サンパウロを脱出、南回帰線を突破、ひたすら車を東に走らせる。 海岸山脈に抱かれた宿へ向かう。 夜は近くの月曜でも営業しているレストランへ。 コンタ(勘定)を頼むと、こちらのドンブリ勘定よりだいぶ高い。 妻が明細をチェックすると、ハウスワインを二度取られている。 危ないところだった。 渋谷のシュラスカリアを思い出す。 先月、日本発行のブラジル情報誌Bancaのスタッフに招いてもらい、実に楽しかった。 味をしめて離日前に日本の姪におごったのだが、これほど高いとは思わなかった。 そもそもブラジル人ウエイターはえらく楽しいのだが、日本人スタッフが暗く、トロい。 勘定はトータルだけを見せるのでしぶしぶカードで払い、支払い終了後によこした明細レシートを後にチェックすると、やはり余計に取られていた。 勘定までブラジル式とは。 カンジョーを害す。 もうこの店は自分の勘定じゃ行かないぞ。
7/18記 マクロの森
ブラジルにて 近くにある国立公園へ。 息を呑む本格的なレインフォレスト。 マクロで森を見るのは久しぶりだ。 長期休暇のシーズンだが、決して観光客は多いといえない。 「なぜブラジル人は国立公園のアミーゴになれないのか?」 この国立公園についての特集記事の見出し。 高台に上がると、国立公園外に広がる禿山とグロテスクなユーカリ植林地が見える。 サンパウロからここに至るまでの景観は、こればっかりだった。 日本移民はこの100年、サンパウロ州の森林破壊に最大級の貢献を行ない、今日では日本の大手製紙会社連合がモノカルチャーのユーカリ植林によるブラジルの大地の「緑の砂漠化」に貢献していることを忘れてはならない。 このうえ日本政府に金をせびって、何を祝い、何を残そうとしようというのか。 少なくとも本来の大西洋森林を味わう感性と知性のある人には、例えばここにサクラを植えようという発想は出づらい気がする。 ミクロとマクロから、本来の森に学ぶことは多い。 高台の名は、Último Adeus。
7/19記 西洋鍋
ブラジルにて 一人で食べるだけなら、ただ食欲を満たす行為だろう。 複数での食事は、コミュニケーションを始めとする文化的行為。 この地の名物のひとつ、家族で楽しみにしていたフォンデュをつつきながら。 西洋には、日本の鍋感覚を楽しめる料理が他にあったっけ? ひとつフォンデュを家族でつつき合うのも一興。
7/20記 臭い街
ブラジルにて 鳥、風、そして時が作った自然林。 人がなくとも森は育つ。 いや、ヒトがない方が森は育つ。 ヒトがほんの100年、活動を止めてみたら… 陽の射し始めた自然林でのひと時に思う。 昼前からサンパウロに向かってひたすら走る。 青空がだんだん澱んでくる。 人手の加わったすべてが醜く思える。 そもそも大サンパウロ圏に入ると、不快な異臭がする。 かつての、アルコール車の排気ガスとはまるで異なる臭い。 雨不足の時期の下水だろうか。 微生物レベルが異常を伝えてくれている。 こんな街に住んでいたとは。
7/21記 ブラジルのKOJO
ブラジルにて 本日付サンパウロ新聞が、拙作「KOJO ある考古学者の死と生」の紹介記事を載せてくれた。 オンライン版は、写真がカラー。 http://www.spshimbun.com.br/content.cfm?DO_N_ID=11773 活字版では、見出しの明朝体の「古城泰」がずっしりと重く、感無量。 ブラジルで古城さんの業績が伝えられるのは、これが初めてではなかったことを思い出した。 まだ古城さんがアメリカに留学していた、10年以上前のことである。 ブラジルで発行されている科学雑誌「Super Interessante」にDr.Yasusi Kojoの未確認生物研究についての短報が記されていたのである。 拙作に登場する3人はいずれも考古学関係者であり、古城さんの未確認生物学研究の業績については触れられていない。 まあ本人が英語でいくつか論文を書いているから、とりあえず、いいか。 岡村作品ウオッチャーによる「KOJOを読む」をアーカイヴスの方にアップしていくつもり。
7/22 たそがれの祭り
ブラジルにて 今年で9回目を迎えるサンパウロの日本祭り。 今回はいくつかの友人・知人のグループも出店していない。 まあどんなもんか行ってみる。 これまで金土日の3日間の開催だったのが、今年は土日を2週続けてということになった。 そのせいだけではないだろうが、人出はこれまでに比べて半分ぐらいの感じ。 例年ほど知人にも会わず。 かえって会いたくもない人間が目立つ。 こちらにやましいことはない、つもり。 人をアコギに利用しておいて後ろ足で砂をかけるような輩。 このフェステバル、在ブラジルの都道府県人会が、お郷土の料理を手作りで提供するのが売り、だったはず。 今回は例年以上に、ヤキソバ、ギョウザを販売するスタンドばかり。 手間をかけずに儲け優先で行くとこうなるのだろう。 多少の教養のある人間には、中華麺もギョウザも中国文化の所産とわかるだろう。 こうして日本文化の多様性を紹介する格好の機会に、ますます日本は中国の一属州ぐらいに理解されることになる。
7/23記 ベイルーチ ベイルーチ
ブラジルにて 朝、日系食料品店で買ってきたアラブ・パンをベイルーチにしていただく。 このパンは円形で、油揚げのように中に具が挟めるようになっている。 ハムやチーズ、レタス、トマトなどを入れたアラブ・パンのサンドイッチを当地ではベイルーチと呼ぶ。 レバノンの首都・ベイルートのことだ。 ブラジルへのレバノン移民の歴史は日本人よりずっと古い。 数年前にレバノン移民移住125周年を記念して、レバノン杉をあしらった記念切手が発行された。 日本の大手新聞のオンライン版が主要ニュースに欽ちゃん球団の動向を伝えるなか、ブラジルの新聞は連日、一面にイスラエルのレバノン侵攻を報じている。 ベイルーチを噛み締めながら、爆撃におびえるレバノン杉の国の人たちを想う。
7/24記 「住めば「ブラジル」の土に生きて」
ブラジルにて 拙コラム「住めばブラジル」に新しいのがアップされている。 http://www.univer.net/1_nanbei/0607.html 編集者のウケがよく、悪い気はしない。 まあ現実には、いろいろある。 そのことで早朝より日本と現地にいくつか電話。 久しぶりに「ブラジルの土に生きて」、大き目のスクリーンと悪くない音響で見てみたいもの。
7/25記 KOJOの読み方
ブラジルにて 「岡村淳アーカイヴス」にしめて4人分の最新作「KOJO」についてのコメントをアップした。 http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000051/20060722002063.cfm 今後も折に触れて追加していくつもり。 「KOJO」の余韻を引きずった原稿をここのところ、雑務の合間に執筆中。 コメントをくださった方々、転載を快諾してくださった方々にこの場を借りて改めて御礼申し上げます。
7/26記 書くということ
ブラジルにて 友人に借りていた本を返しにいき、同じ著者の別の本を貸してもらう。 冒頭からいたく打たれる。 (前略) このように古い本や雑誌までが大切にされ、図書館はもとより個人までが保存に心がけるとなると、わたしのようなものが書いたものでも、あるいは死後にまで残るのかも知れない。そしてわたしの肉体はもう存在しないというのに、わたしは読者に語りかけ、読者の共感を呼び、そこに人間と人間の魂の触れ合いが実現するかもしれないのである。 このように考えてくると、ものを書くということは、現在を生きるというだけでなく、未来に生きるということにもなる。それはすばらしいことではあるが、反面、死後の世界にまで責任を背負ってゆくことにもなり、とても成仏などできそうもないという厳粛な事実に直面する。ものを書くということは、つくづく業の深い作業だと思わないわけにはいかない。死後を安らかに眠りたいなら、百編、千編推敲し、悔いを残さないようにせよということであろうか。 (後略) (『書くということ』「片居からの解放」[増補版]1996年、島比呂志著、社会評論社)
7/27記 カイシャクの違い
ブラジルにて さる日系団体の会議へ。 実働メンバーの平均年齢は70代後半、それぞれが体調不良を訴える。 御大たち自身が団体の現状を「死に体」という。 で、どうするのか。 尊厳死を望み、若手に介錯を求めているのか。 どうやら生への未練はたっぷり、臓器でも人格でも移植してでも存命を、という気もあるらしい。 そもそもじーさまどもの、どうしたいかという見解の一致もなく、そのディスカッションもないまま、今日の会議に及んだようだ。 団体が発足して40余年。 なぜ後継者が現れないのか。 本当に後継者を育てようとしたのなら、なぜ逃げられたのか。 その現実を直視しなければ、明るい未来などありえない。 酒の上での語り捨て、聞き捨てのウンチクはもういい。 他人様の調査より先に、自分たちの歴史を残し、ビジョンを打ち出してもらいたいものだ。 すでに対症療法では処置なしと見た。 こっちはこっちの仕事と家庭で精一杯だ。 こっちの仕事のサポートをしてもよさそうな団体に、こっちの足を引っ張られてはたまらない。
7/28記 森がない
ブラジルにて 今日は、原後雄太さんの一周忌。 人類が滅亡しても、この人とゴキブリは生き残るのではないか、そう思っていたほどエネルギッシュな原後選手のナゾの夭折。 彼が最初にブラジルを訪ねてきた時、何人かの人に紹介された、ということで会ったのが最初。 何冊かお貸しした本と共にもう還ってこない。 先週、こちらのタイトルが「Os Sem-Floresta」というドリームワークスの新作アニメ映画を息子と観に行った。 原題は「Over the Hedge」。 日本では8月封切りのようだが、「森のリトル・ギャング」とオツな題である。 ポル語のタイトルは「Sem Terra」(土地なし)にも引っ掛けているようだが、森のないものたち、といった意味あい。 ポル語タイトルの翻訳を考えていて、原後さんの著書「アマゾンには森がない」を思い出した次第。 この本も誰かが持っていったままだが、これはまさか原後ちゃんじゃあないだろう。 故人を偲びつつ、今後は本の貸し出しリストを作るようにしよう。
7/29記 サンパウロ旧交
ブラジルにて かつての先輩が所用でブラジルに来た。 20年ぶりの再会。 話は尽きない。 昨晩、今晩と連飲、午前様。 昨日(今朝)は始発のメトロを待った方がいいほどの時間となる。 当方は日中フラフラだが、先輩は早朝から重要任務。 異常なまでのタフぶりだ。 今日は荷物にならない土産としてBumba誌と、もしよろしかったら、とストックのあった姫マツタケ抽出液をお持ちした。 「そういうものは200パーセント信用してない」と後者は受け取らず。 「味も松茸と同じと有名シェフが…」 「それなら松茸の方がいい」 その一筋縄でいかなさが、タフの秘訣か。
7/30記 オカムラづくし
ブラジルにて 8月下旬からまた訪日だ。 九州から東北まで、各地で新旧織り交ぜた岡村作品の上映を企画していただいている。 新たに準備中なのが9月5日(火)、東京での上映会。 平日になるが、午前10時半から午後8時まで、岡村作品5作品を上映しちゃおうといううれしい計画。 もちろんカントクも参加、トークと質疑もあり。 広報や当日のお手伝いなど、ボランティアを買ってくださる方はご一報を。
7/31記 海鮮配達人の独白
ブラジルにて 先週金曜日の午前中、速達小包が届いた。 1500キロ以上離れた海岸に住む知人が、ご自分で採ったウニを送ってくれたのだ。 それを分けて二ヶ所に届けてくれという。 場所はいずれもリベルダーデの同じビルの中とのこと。 ひとりの方は面識があるが、もうひとりは名前も知らない人。 それぞれ適当な容器を探して詰め替えて、午後からお届けにあがる。 まず面識のある方にお届け。 もうひとりの事務所は依頼主も定かでないので、人に聞いて訪ねるが、留守のよう。 友人にその人の自宅の電話を聞いてかけてみるが、誰も出ない。 モノがモノだけに、早く届けてスッキリしたい。 夕方までリベルダーデに留まってその人のお宅に電話を何度もかけ、また事務所にも行ってみるが、つかまらない。 やもをえず、いったん家に持ち帰って冷凍庫へ。 翌日土曜日、また電話をしてみてようやくつかまえる。 月曜午前中に再び事務所を訪ねてお届けする約束をした。 リベルダーデにちょいと出るといっても時間も交通費もかかる。 こちらの他の予定と時間配分をして、うかがったところ… 初対面の人だが、「もらう理由がない」と引き取っていただけない。 土曜日にそう言っていただければ、依頼主にその旨伝えて他に回すこともできたのだが。 そのうち先方から他の話が始まって続く。 こちらも後の予定がある。 時間の限界で意を決してウニを置いたまま立ち去る。 帰宅後、依頼主に「参りましたよ」と市外電話をかけて経緯を説明すると「そんなことを言われる覚えがない」。 私は誰? 私は何? 収穫は、日記のネタひとつ。 ウニはしばらく見たくない。
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