移民百年祭 Site map 移民史 翻訳
岡村淳のオフレコ日記
     西暦2006年の日記  (最終更新日 : 2007/01/01)
10月の日記・総集編 都市映像ゲリラ教程

10月の日記・総集編 都市映像ゲリラ教程 (2006/11/01) 10/1記 ご近所で

ブラジルにて
今日はサンパウロにある東京農大会館にて「ギアナ高地の伝言」の上映。
主催者は「岡村淳映像講演」と銘打った。
この場所、我が家から至近距離。
地元での上映は、また別の緊張がある。
蓋を開けると満員御礼。
いろいろな人が「オカムラさん」「オカモトさん」と挨拶してくれるのだが、失礼ながらどなたか覚えていない人も。
会場には四つのスピーカーがあるのだが、映像の調整に気をとられて、音の調整ができなかった。
そもそもそれぞれの音量をどこで調整するのか、今もってわからないまま。
「またぜひ」の拍手をたくさんちょうだいした。
次回は音調整のナゾに挑みたい。
今日も不思議極まる出会いあり。
つい飲み過ぎる。


10/2記 アマゾンに墜つ

ブラジルにて
当地29日に起こったアマゾンでのGOL社の旅客機墜落事故。
日本の方からもお見舞いをいただいている。
本日付の当地の新聞、テレビ報道をチェック。
乗客乗員155人は絶望視されている。
ブラジル航空史上最悪の犠牲者数とのこと。
21年前に生じた日本航空123便の犠牲者520人という数字が、いかに飛び抜けているかを再認識。
GOL機はパラ州上空でアメリカ人の操縦する小型ジェット機と接触、マットグロッソ州北部に墜落したという。
一帯はアクセスの困難な深い密林で、ブラジル空軍による捜査も難航しているとのこと。
アマゾンにまだそんな深い熱帯林が残されていることも興味を引く。
もっとも群馬県の山林に墜落した日航ジャンボ機も発見までに一晩かかっているが。
今後、アマゾン上空を飛ぶ時は緊張感が増しそうだ。


10/3記 ブラボラ

ブラジルにて
今晩はサンパウロ市内で非公開の上映会。
日本ブラジル交流協会から日ボラ(JICA運営の日系社会ボランティア)に潜入した有志の企画で、「ブラジルの土に生きて」の上映。
素材はVHSだがそこそこシャープ、何よりも音の具合がよろしかった。
最前列で見ていると、今さらながら身につまされるものあり。
参加者のノリも、ドキュメンタリー屋冥利に尽きるレベルだった。
今日も不思議な出会いがあった。
上映に立ち会って後ろにいたJICAのスタッフがファーストシーンで「ここ、知ってるよ!」と叫んだとか。
彼は子供の頃から親御さんの勤務の関係で、作品の舞台の農場に遊びに行っていたという。
これも不思議なことがいろいろとある作品。
どこからそうした力が出てくるのだろう。


10/4記 毒抜き

ブラジルにて
スケジュールが少し落ち着いたところで、一日断食をする。
訪日中に溜まった毒を抜くのに、手っ取り早い。
それでも家族の食事は作る。
昨日以来、久々に陽が照る。
さっそくアジの干物を作る。
好評。


10/5記 NHK一周忌

ブラジルにて
朝日新聞オンライン版のトップより。
「NHK受信料不支払い、11日にも『督促』申し立てへ」。
今後は督促状が放置されると、財産差押えも可能とのこと。
私がNHK放送八十年記念ドラマ「ハルとナツ」の放送を視聴した上でNHK橋本元一会長宛に公開質問状を送付したのが昨年10月7日、ちょうど1年になる。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000085/20051031001396.cfm  の10/9記①参照)。
いまだにNHK側から何の回答もない。
この問題についてNHKに質問・抗議した複数の人たちにも何の返答もないという。
これがNHK橋本体制の実態である。
かたやNHKは「まっすぐ、真剣。」などという謳い文句を公共の電波で垂れ流し。
「まっすぐ、真剣」に視聴者と取材対象をあざむき続けるという宣言のようだ。
現在NHK新潟放送局に所属するとみられる職員によるブラジル移民の資料横領・横流し事件も、当地のメディアに圧力をかけるなどの卑劣な手段をとるばかりで真相をごまかすばかり。
こうしたことが許されていいのか。
これらの問題、関係者から最近、新たな情報を入手した。
お楽しみに。


10/6記 「身命を賭して」

ブラジルにて

時代錯誤の放送法による過保護にふんぞり返り、視聴者の脅迫まで始めたNHKの橋本元一会長。
仮にも一国を代表するこの放送機関の長の言語感覚をご紹介しよう。
以下、本日付のアサヒ・コムより。

NHK富山放送局長が万引き ボールペンなど5千円相当
2006年10月06日20時32分
 NHK富山放送局の大橋政雄局長(54)が今年5月、富山市内のホームセンターで万引きをしたとして、NHKは6日付で更迭し、停職3カ月の懲戒処分にしたと発表した。大橋局長は退職願を提出し、受理された。万引きは店の保安係に見つかり、富山中央署に事情を聴かれたが、同日朝、地元紙記者にこの件の取材を受けるまで、NHKに報告していなかった。

 NHKによると、大橋局長は5月20日午後5時ごろ、富山市内のホームセンターでボールペン、ひげそり、木工用のキリなど計7点(約5千円相当)を盗んだとされる。休日で、木彫り教室へ行った帰りだったという。

 店からの通報で駆けつけた同署員に万引きを認め、店に代金を支払ったという。同署は事案を検察に報告するだけの「微罪処分」としていた。

 大橋局長は75年入局で、報道・制作センター(おはよう日本)部長を経て05年6月に富山放送局長となった。NHKの調査に対し、「魔が差した。大変なことをしてしまったと思い、誰にも話せなかった」と話しているという。

 NHKでは、04年に職員が制作費を詐取した事件が発覚して以来、不祥事が相次ぎ、今年4月には、信頼回復に努めていた時期に職員がカラ出張などを繰り返していたことも明らかになった。このため、同月11日付で橋本元一会長が全職員に意識改革の徹底を呼びかけていた。

 
今回の件で橋本会長は「痛恨の極みです。私自身、身命を賭して、視聴者のみなさまの信頼を取り戻してまいります」などとするおわびのコメントを出した。

    ◇

 大橋局長の処分などを発表した畠山博治理事は、受信料不払い世帯に対して簡易裁判所を通じた「督促」をNHKが11月にも申し立てることについて、「手続きは粛々と続けていきたい」と話した。視聴者コールセンターへ5日から6日午後5時までに、督促への賛否双方の270件の電話があったという。


ちなみにこの局長は、皆様の受信料から年収2000万円!をゲットしていたとの報あり。
自局の放送80年を記念するドラマの、表現者の倫理・道徳にもとる制作姿勢への抗議を黙殺。
万引き局長の隣県のNHK新潟放送局職員によるブラジル移民の資料の横領・横流し事件の隠蔽と告発者への圧力。
その責任者が、いったい誰のどんな「身命を賭して」いるというのか。
こうした厚顔無恥な存在が、NHKの信頼どころか、日本語の重みをどんどん希釈していく。


10/7記「炎熱の赭土」

ブラジルにて
「赭土」と書いて「ラテライト」と読ませるのだそうだ。
昨日、今日と読み耽る。
畏友・三枝洋さんの新刊、徳間書店刊。
ブラジル奥地を舞台としたハードボイルド小説で知られる三枝さんの、より濃密なフィールド、インドシナがメイン。
それでいて彼のこだわるマットグロッソや地元・井土ヶ谷まで登場するというサービスぶり。
冒頭から三枝さんのパソコン嫌い・蔑視が展開。
そしてアンコール遺跡の意外な愉しみ方が披露される。
まったく同じカンボジアでも、人によってまるで見てくるものが違うものだ。
現地取材で死にかけたというが、三枝ワールド、極めて健在を知る。
おっと三枝さんはメールをたしなまない。
感想をカードに書いて送るとしよう。


10/8記 アルカショフレ

ブラジルにて
おそらく在ブラジル日本人でもこの言葉を知らない人は多いことだろう。
アーティチョークのこと。
これを知らない人は日本にも多いだろうね。
地中海原産のキク科植物で、和名はチョウセンアザミ。
花弁状の蕚(がく)の部分の根元を食用とする。
サンパウロ西方のサン・ロッキが産地。
ワインとアーティチョークを売りとするエキスポ・サン・ロッキが行なわれていると知り、親子三代で繰り出す。
駐車場代、入場料とあざとく地元に貢献させられる。
ワインの試飲スタンドが並ぶが、日本で飲酒運転不祥事ニュースにさんざん接していただけに控えめに。
量り売りレストランでアルカショフレをいただくことにするが、非食用部分がとにかく重いので、値段的に2個は食えない。
帰ってネット検索してみるとアーティチョークはハーブに分類され、肝機能・腎機能増進効果があるという。
もう少しぶどうエキスの試飲をしておけばよかった。


10/9記 「夢は荒れ地を」

ブラジルにて
三枝洋さんのカンボジアものを呼んだ余韻で、やはり日本で買ってきた船戸与一さんのカンボジアもの「夢は荒れ地を」(文春文庫)を昨日以来、読み耽る。
目も離せない面白さである。
登場人物の、なんと魅力的なこと。
今回の主人公は、あの「山猫の夏」の弓削一徳をバージョンアップした感じ。
人間、どう生きるか。
ちょっと思い悩んでいたことがあったが、船戸ワールドを見習おう。


10/10記 リメンバー?

ブラジルにて
もはや求心力はなく、場末化の一途をたどるリベルダージ・東洋人街。
それでも知人にはよく出会う。
立ち話で懸案事項が済んだり、意外な情報をゲットしたり。
黄昏時。
うしろから追いついてきた栗毛の女性が、
「ドゥー・ユウ・リメンバー?」ときた。
むむ?
「30年前…」
おいおい、さすがにそこまでは行かないぜ。
かつて日本から取材班としてブラジルに通っていた時、さるスタッフと懇意にしていた女性だった。
次のブロックまで、お互いのその後20年の歩みを語り合う。
映画「追憶」っぽい。
男の方が「当事者」じゃあないんだが。


10/11記 アキバのもやし

ブラジルにて
プチ旅行に出るので、冷蔵庫の整理の要あり。
手つかずのもやしが一袋ある。
サラダ系にする方法を検索。
もやしの歴史、これも興味深い。
人類と栽培植物の起源から説いているものもあり、縄文屋の心を誘ってやまない。
そもそも、なんでもやしというのかな?
おお、芽が「萌え出る」からという説が。
人類の文化の最古から日本のサブカルチャーの最前線まで、もやしはカバーしているのだ。
もやしが人類を救う予感。
ビバ!もやしっ子!!


10/12記 巡礼者注意

ブラジルにて
当地は連休の始まり。
親子3代で家族旅行に。
東方の定宿を目指す。
今日はブラジル国の守護聖母、ノッサ・セニョーラ・デ・アパレシーダの祭日。
サンパウロ州東部にあるこの聖母を祭る巨大聖堂には、ブラジル各地から数10万人の巡礼者が集うという。
ズバリここを通過しなければならないので、交通渋滞が心配だった。
ドゥットラ街道の随所の電光掲示板に「巡礼者注意」とある。
「五体投地」の人でも轢いてしまったら大変である。
並行して走る乗用車のほとんどは海岸方面、高原方面に折れてしまう。
巨大巡礼地の町あたりは、意外なほどスムーズ。
巡礼者の到着がもっと早い時間のせいか。
あるいはブラジルでのカトリック信者数の減少のせいか。
ドライブは、快調。


10/13記 セミゼミと

ブラジルにて
早朝、セミのけたたましい鳴き声で起きる。
海岸山脈の宿で。
至近距離、なかなかの音量である。
こんな体験は初めて。
新熱帯区のトンボ相については、ほんの少しはかじった。
セミの方は皆目わからない。
サンパウロの畏友・マツモトコージ氏なら、セミマセン、と詫びるところだろう。
森を歩く。
心踊り、そして心和む森。
セミ時雨は午前中で終わった。


10/14記 「ドキュメンタリーの力」

ブラジルにて
旅の宿にて。
日本で買ってきた「ドキュメンタリーの力」(子どもの未来社、寺子屋新書)を読む。
鎌仲ひとみ、金聖雄、海南友子の3人の旬のドキュメンタリストの共著。
3人とも不肖オカムラより若いが、イラクでの劣化ウラン弾被害、在日韓国・朝鮮人の老婦人たち、中国に遺棄された旧日本軍の弾薬被害といった、大手マスコミがせいぜい通りいっぺんしか撫でようとしない深刻な問題に真摯に向き合ってドキュメンタリーを制作している。
いずれも岡村作品よりははるかにマスコミに取り上げられているので、ご存知の方も少なくないだろう。
ちょうど旅先で「なぜ移民を撮るのか」という依頼原稿を書き上げているところ。
僕がたどり着いたのと同じ言葉をこの人たちも共有しているのがうれしく、さらに新たな言葉を教えてもらう。
「消費される映像ではなく、思考を促す映像としてドキュメンタリーは価値があるはずだ。想像力や共感を喚起する、出来事のもう一つの側面を知る、人間存在をリアルに感じることができるのはドキュメンタリーだからこそである。」(鎌仲ひとみ)
「大スクリーンからはね返る光が観る人たちに届いた時、映画はもう一つの力をもつように思う。
 観る人がそれぞれの思いを映画に重ね合わせ、もう一つの物語がつむがれる。」(金聖雄)
「ドキュメンタリーは“絆”だ。人が社会で生きていくのにそれは欠かせない。一つ一つの“絆”は小さいけれど、そこからよりよい未来をつくり出す大きな力になるはずだと信じている。」(海南友子)


10/15記 連載中止

ブラジルにて
このオフライン期間に身辺で小さな動きあり。
拙サイトからリンクを張っているブラジル・南米が売りの旅行社のサイトでの連載「住めばブラジル」を辞めることになった。
この10月分に拙作「アマゾンの読経」と藤川辰雄氏、日本での遷化20年祈念上映会について書いたところ、担当者とスポンサーからクレームがついた。
ファベーラもダメ、MSTもダメ。
つまり南米と日系人に求めるものが基本的に違う枠で、よく毎月35回も連載してきたもの。
それだけブラジルが多様で豊かであるということか。
旅行社からは交通・宿泊等の便宜はまるでないまま、こちらは新ネタばかりを提供してきた。
それをクリックひとつでパクられ、日本の映像・紙メディアに図らずも貢献してしまった例もいくつか聞いている。
もうおしまいです。


10/16記 移民撮り

ブラジルにて
毎月の連載は入稿後に中止となった。
しかしまだ2本、締切りの迫った原稿がある。
旅先で叩き上げたひとつを再推敲の上、送信。
タイトルは「移民になった移民撮り」。
もうひとつ、「アマゾンの読経」について書いてくれと言われている原稿がある。
「住めばブラジル」用に書いて没とされたもののタイトルは「アマゾンに消えた日本人 20年目のレクイエム」。
タイトルだけでもそう悪くない。
この原稿の流用を考える。
しかしブラジルの日系人相手のワクであり、このままではちょっと芸がなさ過ぎる。
読んでくれる相手を思い浮かべて、タイトルも考え直し、真っ白から書き直す。


10/17記 一筆啓上

ブラジルにて
PCをたしなまない方にご挨拶する用が貯まった。
カード、記念切手、封筒等を用意。
かつて日本の「王様のアイデア」で買った小型郵便物用の秤、切手の糊に水をつけるスポンジを探すのに手間取る。
段取りは手間取るが、この文化、好きである。
また旬な記念切手でも買出しに出るか。


10/18記 VIVO商法

ブラジルにて
ブラジルと南米がウリの旅行社のサイトでは、紹介させていただけない情報でも。
こちらの畏友・楮佐古章晶さんも、同様の事態をちょうど書いておられる。
http://www.100nen.com.br/ja/akinori/000146/20061018002301.cfm
当方はVIVOの携帯電話の件。
数年前の誕生日に、家人より携帯電話をもらった。
ここは日本国総領事館が常に安全情報を発信している犯罪都市。
この町で女・子供を家族に持つ身としては、携帯電話は携帯していたいところ。
本日も娘から、こちらが自宅にいた時だが緊急コールがあった。
さてこの携帯電話、使用料金をデポジットする方式。
地下鉄の駅構内に自動デポジット機があるのだが、すでに2度ボッタくられている。
一定時間内に全額デポジットしないと、途中までのデポジット金額も返金されないのだ。
しかも本来受け付けるべき種類の紙幣を3枚に1枚ぐらいしか受け付けない。
指定金額より多いデポジットも受け付けない。
クレームの電話は、小1時間かけ続けて1回かかるぐらい。
先回は「同じ機械に未デポジット分を挿入してまた電話をしてください」。
さらにボッタくられるのはミエミエ、クレーム電話もかからないし、これがブラジル、とこちらが諦めるのを見込んでいるとしか思えない。
「貴重なお金を!」と家人にまたしてもどやされる。
彼女自らクレーム電話を試みるが、相手は電話会社ながらクレーム電話はかからないシステム。
くれた本人が「その電話、捨てたら?」
それじゃますます携帯会社の思うツボ。
ブラジルに関わるとは、こういう事態とどう対処するかが問われること。


10/19記 住めないブラジル

ブラジルにて
日本的感覚から言うと、どうにもお話にならないことの尽きないのがブラジル。
今日はうちの車を動かせない日。
地下鉄で子どもたちを送る。
ソコソコ混み合っており、帰路、ドアの近くに立った。
降車客の多い駅で、降車をスムースにするため、こちらも降車して人々が降り終わってから再び乗車しようとした。
最後の降車客が降りるのと再びドアが閉まるのが同時。
善意の客を置き去りにして発車。
そもそもプラットフォームに駅員はいない。
ビデオカメラで監視しながらドアの開閉を適当にリモートコントロールしているのだ。
地下鉄の乗客数は増えるばかり、いずれ大事故が起きるのを待っているようなもの。
気配りでヘロヘロになる祖国も考えものだが、気配り御無用の国もねえ…
ブラキチのことばかりが取り上げられるが、この国のがさつさ、デタラメさ、暴力と犯罪が耐えられずに祖国に戻った同胞が少なくないことも記憶していい。


10/20記 嗚呼東京物語

ブラジルにて
夜、家族全員で空港へ。
日本から来ていた実家の母の送りのため。
雨、かつ渋滞という運転にはイヤなコンディション。
親不孝の上書きのようなことしかできず。
「東京物語」最後の笠智衆の言葉を思い出す。
「こんなことなら、もっと…」
人類普遍の名作だねえ。


10/21記 配達されない二部の邦字紙

ブラジルにて
サンパウロには2種類の日本語日刊紙が現存。
2紙とも購読しているのだが、N新聞の方の配達が相変わらずデタラメ。
先週18日付が来ない。
翌日一緒に配達されることがしばしばだが、今度は19日付も来ない。
新聞社にクレーム電話。
翌20日、一緒に届けさせるというが、20日は20日分しか来ない。
再びクレーム。
クレーム担当女性によると、配達人は届けたと言っているとのこと。
我が家はマンモス団地群だが、この新聞の配達人は雨の日など、各棟まで運ばず、メインゲート近くの路上に新聞を投げ捨てていくことがあり、団地側からもクレームが来ていた。
どこ宛ともレッテルの貼られていない濡れた異文化の文字で書かれた新聞を、しょっちゅう替わる団地のブラジル人職員が丁寧に運ぶことは期待できない。
クレーム担当女性は今後は宛名ラベルを貼ること、未着便はバイク便で届けさせると言う。
バイク便は未着、翌日は当日付のみ到着。
2紙の邦字紙はそれぞれオンライン版を制作しており、配達のデタラメな有料購読をやめてタダのオンライン版購読をしている人は僕の周囲にも少なくない。
さる老移民は、定期購読料を払わなくても配達人に少し小遣いをやれば「ちゃんと」届けてくれると得意になって教えてくれた。
これでまともな文化が育つわけがない。
末期的なものの観察としては、ブラジルニッケイ社会というフィールドは実に興味深い。
こちとら観察者じゃなくて発信者のつもりだから、イヤハヤであるが。
掃き溜めのツル探しは「ワッケイロ」の宿命か。
ツルかと思ったら、また白く化けたウルブーだったりして。
中品以下のネタは、この日記だけにとどめたいもの。


10/22記 飲む・食う・打つ

ブラジルにて
日系中心の、青少年育成団体の昼食会へ。
会場も日系の宗教施設。
クーポンを買って、ヤキソバやオニギリ、串焼きシュラスコ、缶飲料などと交換するシステム。
チャリティーともうたっていないので、収益は団体の活動資金になるのだろう。
かなり会場はゴチャついている。
妻と息子が食べ物を手配に行く間、無能の父が場所を確保。
被っていた野球帽を取って、クーポンの半券の残りも置き、横に二人分を確保。
そもそも耳を覆いたくなる騒音。
ふと横を見ると、奥のひとつ分をちゃっかり非日系の家族らしきグループに占拠されている。
いかにも、といった感じのオバサンが小生の野球帽を自分のカバンと一緒にちゃっかり抱え込んでいる。
カンボジアで買ってきたアンコールワットのデザイン入りの帽子、お互い見紛うはずがない。
とぼけられるが、大騒音のなか、叫び続けて取り返す。
ブラジルの仏教施設でアンコールワットの帽子をかっぱらわれてりゃ世話がない。
ふだん「大声でうるさい」と家人に怒られているが、今日は「何言ってるか聞こえない」と怒られる始末。
音源はクソうるさい音楽(音が苦)と共に繰り広げられるビンゴ。
人々が集っても会話が成立しないのだから、ひたすらお世辞にもうまいとはいえない食い物をくらって飲むか、ペンを握ってビンゴの番号に集中するしかない。
低次元の欲望ばかりで、カルチャーのかけらもない。
日系社会の末法の具現だ。
残りのクーポンをケーキ類と換えようとする妻を置いて、息子と外に出る。
暴音から少しでも遠ざかったことを親子で喜び合う。


10/23記 断食するときには

ブラジルにて
「断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。」
(『マタイによる福音書』6・16 新共同訳)

ブラジル帰還後、2度目の一日断食を決行。
するとさる日本人の若者から今日の午後、近くに来るから会えないか、と連絡あり。
会ったのは1度だけだが、一緒に飲み食いしたい好漢。
今日はカフェでカンベンしてもらう。
26日、サンパウロのファヴェーラ(スラム)・モンチアズールで拙作「赤い大地の仲間たち」バイリンガル版を上映することになった。
こうした「格闘技」に備えての身心調整の断食でもあった。
仕掛け人である彼との打ち合わせ。
ワクワクしている。
ジャポンだブンカだと銘打つお高いところでやるより、1000倍以上の意義を感じている。


10/24記 ケータイ会社の陰謀

ブラジルにて
先週、ちょいと書いた携帯電話の件。
その後もデタラメなことが続く。
高額のデポジットを入れたのに、今度は今週中にさらにデポジットを入金しないと番号を取り消すとの脅迫メッセージが。
折り返し、問合せ電話を入れるが、例によって通じない。
家人にも同じ会社の携帯電話で問題があるため、妻が仕事の時間を縫ってVIVOのオフィスへ。
こちらの携帯通話料金は邦貨換算で1分約80円!と知る。
成田空港でのレンタル携帯電話の通話料金が1分80円というのは覚えている。
さて、日本とブラジルは庶民の収入が一ケタ違う。
ブラジルで政府の定める月額最低賃金が約19,000円也。
1日6分、携帯電話で話したらその日の稼ぎがパーになる勘定。
そこいらで携帯でダラダラ話しているブラジル庶民の生活はどうなってんの?
電磁波でもエネルギーに変換して生きているのか?
いっぽう、サンパウロではかろうじて使える公衆電話が何台かに1台、テレフォンカードもトラブルが多い。
我が家のような特殊事情があると、携帯電話は必要悪と化している。
経済的な問題どころではない。
かたや鉄塔や高圧線からの電磁波で子供たちを白血病や脳腫瘍の危機にさらし、使用者の脳と生殖細胞を脅かす。
人類史上、刻印すべき弊害を知らしめない企業とマスコミ。
よく知って、よく考えたうえで対処しよう。


10/25記 朝日様様

ブラジルにて
「さまさま」ではない。
「さまざま」である。
日本の朝日新聞の記者さんからメール。
本25日付夕刊1面の「ニッポン人脈記」に岡村のことも書いたというご報告。
この人は5月、九州での拙作上映会に来てくれた。
その後、6月に東京で取材を受けた。
敬愛する大・上野英信について。
僕は上野さんと直接、交際があったわけではない。
それにNHKにナメきられ、貶められ続けるような人間である。
つまりネームバリューもなければこれといった業績もない。
たいした話もできなかったので、ボツになったことと思っていた。
朝日のオンライン版では、この連載はテーマごとの初回しかアップされていないので、内容は不明。
複数の日本の知人から記事をみた、というメールをいただいたので、掲載されたことは確かのようだ。
日本で同時期、別の朝日新聞記者にご奉仕させていただいたが、これはひどかった。
ブラジルに取材に行くので話が聞きたい、とのことで指定の場所に出頭した。
こちらの提供したネタに食いついてきた。
現地の人を紹介して欲しい、という。
この記者、ちょっとやばいかな、という感じ。
人を紹介することは責任を伴なう。
日本のマスコミのデタラメさを熟知して、かえって大朝日のカンバンを利用してくれるようなダイナミズムを持つ二人の友人・知人の紹介にとどめた。
その後、利用価値の終わった僕には、見事なまでに何の挨拶も報告もない。
さてこの朝日、僕の紹介した二人をいいように利用してアッカンベーをかましてくれた。
もちろん僕の一目置く大人であるこの二人は、このことで岡村を責めたりはしない。
「あの男は記者としての素養以前に、人間性が問題な気の毒な存在」とか。
もっと気の毒なのは、こんな記者に取材される人、こういう人間の書いた記事を読まされる、購読料を支払う読者だろう。
朝日ならいくらなんでも…と大朝日の代紋をいまだ信じてしまったおのれの不徳を恥じる。
なぜ朝日にこんな幻想を持ち続けるのか。
石垣島サンゴK.Y.事件。
田中知事インタビュー捏造事件。
ブラジルでは、アマゾン水銀禍スクープ大誤報を産経に刺される事件もあった。
肩書きにご用心。
それにしてもアイツ、ほんとに朝日の記者だったのかとまだ幻想を引きずっている私。


10/26記 都市映像ゲリラ教程

ブラジルにて
「僕はこれをひとりで作ったんですよ。
お金がない。
機材がない。
人がいない。
そんな言い訳はいりません。
小さなアマチュア用のビデオカメラを武器とすることができるんです。
例えば、この共同体の歩みと尊厳を記録する。
社会悪、差別、偏見を告発する。
大切なのは、やろうという意志と確信です。」
ファヴェーラ(スラム)・モンチアズールでの「フマニタス」バイリンガル版の上映の後、ポル語でこんな話をかましておいた。
バイリンガル版ブラジルでの初上映。
これを実現した若き日本からのはぐれ青年たちに拍手。


10/27記 語り部

ブラジルにて
昨日、サンパウロのスラムの住民センターで岡村作品の上映を実現してくれた日本からのボランティアの若者たちは、なかなかナイスだった。
そのうち3人と事前に打ち合わせをした時、「解放の神学」という言葉を知らなかったので、ごく簡単に説明をした。
そのベースになっているキリスト教について多少の理解がないと、福音派の教会の増え続けるスラムのダイナミズムなど、ただの風景としか受け止められないだろう。
学生時代にボランティアとしてここに住み込んで以来、毎年訪ねているという日本の新聞記者と親しく話すことができた。
不肖岡村よりひとまわり以上若いが、昨日付日記タイトルでオマージュを捧げたカルロス・マリゲーラの「都市ゲリラ教程」をご存じなかった。
こっちもいつまでもガキのつもりが、こちらでこんな話ができる人もいなくなってしまったな。
笠戸丸移民もいいのだが、60年代、70年代、80年代を熱く生きた人たちのことが、関わった人の記憶にささやかに留まるだけで、記録されることなく消えていこうとしている。
こっちも、あれもこれもできない。
ま、今していること、しようとしていることを少しでもきちんとしようね。


10/28記 児童の権利に関する宣言

ブラジルにて
今日は息子の学校での発表会。
不在中の家内から「ちゃんと全部撮影しといてよ」とクギを刺されている。
ブラジルの他の学校でも聞かないユニークな試みのようだ。
学年や教科ごとにテーマを決める。
息子の学年は、生後100周年のマリオ・キンタナというブラジルの詩人について。
生徒が一人ないし二人に分かれて教室の中におのおの場所を構え、訪問者にそれぞれの特論について説明をする。
この詩人の生まれた州の産業について、名産のマテ茶について、詩人の歩みと同時代のブラジルの情勢について等。
息子は彼の戯画とタングラムについて説明。
バカ親父も知らないことをいくつか覚えた。
最後に全校生徒がグラウンドに集合。
校長が読み上げる言葉が美しい。
日本語で聞いていたら意味をかみ締めずに馬耳東風だったろう。
国連の「児童の権利に関する宣言」を謳った後で、それに沿ったこの学校の方針を宣言したようだ。
帰って調べてみると。この国連の宣言は1959年のもの。
さらに我が祖国にはそれにさかのぼること8年に児童憲章が謳われているではないか。
実に崇高な内容だ。
昨今の祖国の学校教育問題は、こうした原点をおろそかにして、肝心な児童を苦しめるばかりではないか。
ビジョンのない教育のツケは、重大だぞ。


10/29記 燭光

ブラジルにて
今日はブラジルの大統領選挙の投票日。
汚職と腐敗が続々と暴露されている労働党の現職大統領が圧倒的優勢とのこと。
最近の新聞を整理。
Estado紙で、まず見逃していた小さな記事が偶然、目に入る。
サンパウロ州のさる町で、ユーカリの大規模植林を禁止する法案が持ち上がっているという。
実現すれば、ブラジル初のユーカリのモノカルチャーに反対する行政区の誕生となる。
この地域でのユーカリ反対の理由は、
○水量の減少により水源や川を枯らしている
○毒性の強い農薬により土壌や泉を汚染して、動物を殺している
○ユーカリ植林を促進する製紙会社は他の地域から労働者を導入するため、地元では失業者が増えている
等々、とのこと。
拙作「緑の砂漠か緑の再生か ブラジルのユーカリ植林と日本」は9月に2回、日本で上映された。
この問題の古典であり、いまだに斬新であると再認識。
上映会でお話しているように、いまだに企業・権力側からの嫌がらせは続いている。
闘いは続く。


10/30記 端境に

ブラジルにて
ついつい後手に回していた残務に、思い切って着手。
それなりに不思議な展開が?
次回作のポストプロ作業も開始。
こりゃあ先は長いぞ。
さて。


10/31記 写真から

ブラジルにて
写真という言葉の語義、語源を考えてみると実に重く深い。
そんなことはお構いなしに写真が大量生産・大量廃棄されていく。
「あもーる あもれいら」製作体制に活を入れよう。
大家の櫻田さんに頼んで、写真をアップしていただく手配をする。


前のページへ / 上へ / 次のページへ

岡村淳 :  
E-mail: Click here
© Copyright 2024 岡村淳. All rights reserved.