4月の日記・総集編 札幌農学校VSササキ農学校 (2009/05/01)
4/1(水)記 伯智くらべ
チリ→ブラジル ふたたび深夜の長距離バスで、サンチアゴへ。 荷物もあるので、空港で早朝から午後まで待機。
かいま見たチリ人とブラジル人の比較。 やたらに勤務中にいちゃつく若い男女の出現率が、チリの方が圧倒的に高い。 労働の能率で言えば、ブラジルの方が優れている感あり。
チリの食器洗いのずさんな例に驚いた。 極めつけは、空港のラウンジ。 まず手にしたスープ用の容器、汚れが洗いきれていない。 次にワイン用、ソフトドリンク用のガラスコップを口につけてみたが、以前の使用者の唾液のニオイがいずれにも残っている。
ブラジルではレストランで、まれにコップにルージュが残っているぐらいだ。
南米大陸の同緯度の大西洋側、アルゼンチン領などでは、シマロンと呼ぶマテ茶の容器を回し飲みして、同じストローを何人もで口に含む文化がある。 同じ発想から、あえて容器の口縁部の汚れを残すのだろうか。
除菌志向の邦人のみなさん。 チリには、マイカップ持参がオススメ。
4/2(木)記 みせる・つくる・みる
ブラジルにて 昨晩、チリでの上映の旅から帰還。 体の節々がギクシャク。
今朝からさっそく「ハルオ・ササキ農学校の一日」日本語字幕版作業の再開。 ほぼ全編に字幕が入り、家人の助けを借りなければ、借りても聞き取れないところがあって、一筋縄ではいかない。 次回訪日までに間に合うかな?
折りしもドキュメンタリー映画祭が開催中。 経済不況のあおりで、昨年の半分以下の本数。 午後から、ブラジルのドキュメンタリーを2本だけ観に行くことにする。
これで簡単なリポートは書けそうだ。 気になる何本かの作品は、チリ遠征中に上映が終了していた。 現役作家として、自作をつくること、みせることを優先するのは当然だろうね。
4/3(金)記 場末系・庶民系
ブラジルにて 夕方、息子の迎え。 交通事情が読めないので、いつも少し早めに行って待機。
その間、場末系のバールでカフェとスナックをつまむのがささやかな楽しみ。 今日はお目当てのバールがブルーカラー系でごった返している。 もう一軒、これまた場末系のパステル(ギョウザ風揚げ物)屋をチョイス。 オーダーの後で具を皮に載せて皮を切って、という調子。 間に合うか、と思うとそこは手早い。 またたく間に、いっちょう揚がり。 置かれた香辛料類がまた楽しい。 常連のおっちゃんたちと、奪い合いである。
チリでは、アンデスの麓の街のゲバラゆかりの食堂でのコップワインのひと時がよかった。 台湾では、山に向かう道中の飯屋、台北の露店饅頭屋がよろしかった。
どローカル性のなかの普遍性。 楽しい楽しい。
4/4(土)記 ヘタに描きたい
ブラジルにて 午前中は編集、午後から撮影。 縁あって、ブラジル生まれの日本人画家・森一浩さんのブラジルでの創作活動を撮影することにした。 今日で4回目。
「ヘタに描きたい」。 撮り続けてどうすんの、という思いが自分にあったが、今日でひとつオチがついた気がする。 ヘタに撮ったものを、ヘタにまとめてみるのも一興かもしれない。
しかし、時間も能力も限られている。 さあ、まずは農学校に戻ろう。
4/5(日)記 ケムール貝
ブラジルにて チリの国司さんから、ムール貝の味噌汁がイケルと聞いていた。 地元のスーパーの魚売り場に、さまざまなサイズのムール貝がごそごそと置かれていた。
サンパウロに戻ってから、挑戦してみたいと思っていた。 今日の路上市で、殻付きのムール貝を発見。 半キロぐらいで試そうと思うが、ナマでもいける新鮮さ、安くするからと1キロ押し付けられる。 それでいて売り子に生食の場合の殻の開け方を聞くと、うろたえて別の売り子に聞いている。
まずはアサリやシジミみたいに塩水につけて砂を吐かせようと試みる。 チリの貝類は砂っぽかった。 どうもムール貝はさほど砂は含んでいないようだ。 海草のようなものをくわえ込んでいるのが、なかなか取れない。
いたまないうちにと、早めに調理してみる。 味噌汁と、ワイン蒸し。 味噌汁は、さして感銘はない。 ワイン蒸しの方が、いい感じ。
キノコに、貝。 ブラジルで食べたくなるのは、縄文系の食材と気づく。
次回の日本最初の上映は本場縄文の八戸。 その日の食事は、ブラジル料理… 縄文系ブラ飯を考案して八戸に伝授すっか。
4/6(月)記 初演出作品
ブラジルにて 延々と翻訳・日本語字幕入れ作業を続けている「ハルオ・ササキ農学校の一日」。 自主制作を始めてから、これまで自分のクレジットは「構成」としていた。 僕のしていることは、撮影させていただいた素材を、みやすく、わかりやすく長さを縮めたり、時に順番を入れ替えたりする作業で、ずばり「構成」。 現場で監督やら演出やらという行為はしていないつもり。
この作品に関しては、まさしく「演出」をしている。 地方の農村の少年たちと話し合い、こちらのプロとしてのアイデアを現場の彼らが消化・昇華して自分自身を演出して表現する。 まことに楽しい作品。
日本で何ヶ所か、ご希望をいただいているシンパの皆さんのところで披露上映するつもり。 お楽しみに!
4/7(火)記 不通の人
ブラジルにて 「自主制作初演出作品」の字幕入れも佳境を迎える。
昼ぐらいから、パソコンのオンラインが落ちっぱなし。 ADSLのつなぎ直し、パソコンの再起動などを試みてもNG。
ライン提供業者Telefonicaに電話で問い合わせるのも、こちらではひと仕事だ。 ようやく回線が取れても、自動音声で延々誰何された後、ナマミのオペレーターから納税番号からモデムの機種から何からふたたび個人情報を搾取される。 そのあげく、現在、該当地域は断線中などど、先に言えコラ!といった事態がしばしば。
そもそも今日は先方に何回電話しても、お話し中。 こりゃ観念するか。
来週に迫った日本での上映会行脚、実家のことなど急ぎの用事が多いのだが、イヤハヤ。
4/8(水)記 サクリファイス
ブラジルにて 新しく我が家の掃除に来てくれる女性の昼食のオカズにソーセージを用意してあった。 しかし肉を食べないので、卵をいただいていいかと聞かれる。 もちろん。
後に、今後の献立もあるので、肉は一切食べないのかと聞いてみる。 すると「聖週間」の間は食べないという。
2000年前のこの時期に虐殺された教祖の死を反芻してのsacrificioだ。
父の日本の肉親の病気快癒を願って、子供たちが好物断ちの願を賭けてくれたのを思い出す。
愚かな父は、なにかをサクリファイスしているだろうか? おっと、月曜には一日断食をして、今日一杯まではアルコールも断つつもりだった。 イエスが教えた祈りのなかでも謳っている日毎の糧を断つのだから、悪くないだろう。
巷では不景気とはいえ、イースターのチョコレートが飛び交っている。
4/9(木)記 台湾の学生の皆さんへ
ブラジルにて 「ササキ農学校の一日」の作業と平行して、諸々の残務に着手。 3月の台湾の大学での上映会のアンケートに、個別に返信。
台湾の学生は、アンケートに質問を書いてくることが多い。 大半が日本語を専攻している学生なのだが、日本語は完全ではない。 そのため、何を質問してくれているのか、どのレベルで聞いているのかがわかりかねることが少なくない。
そのうえ、名前どころかメールアドレスも判別不能なことがしばしば。 1なのかlなのか。 0なのかoなのか。 ヒーコラいって回答をしたためて送信して、エラー報告が来るとがっくり。 アドレスを類似文字に差し替えて再送信…
台湾の学生さん! 制作者自ら飛行機代負担で上映会場に同席しているのです。 質問はなるべく、直接、会場でしましょうね! そうすれば、何を聞きたいのか確認できるし、質問と回答をみんなで共有できるではありませんか。 懇親会の時に聞いてくれてもいいし。
そもそも質問をするという回路のない日本の学生よりは、よろしいかもしれないけど。 でも、制作者からのメールへの返答率は日本の学生の方が高いですぞ。
4/10(金)記 たえだえスピーディ
ブラジルにて 本日付けこっちの新聞の一面にTelefônica社のブロードバンドSpeedyの接続障害についての記事が。 会社側はハッカーの侵入のせい、と発表。 サンパウロに260万人のこのサービス加盟者がいるというのも、強烈。 実際の使用者数は、さらに上回るわけだ。
ちなみにこの会社、クレームの多いワースト企業の三指に入るという。 うちのPCのせいじゃないとわかると、いささかの安堵もあり。
4/11(日)記 パクニチ
ブラジルにて 今日、ブラジルに到着するブラジル日本交流協会2009年度研修生の、研修計画発表のコメンテーターに呼ばれる。
昨年度も声をかけていただいていたが、訪日等の出張が続き、一度も参加できなかった。
今年は10人の若衆が到着。
岡村のドキュメンタリー講座の受講生、上映会参加者など顔見知りが数名。
こっちの常識、ステレオタイプ、偏見をおびやかしてくれるから面白い。
しかし、組織に頼ることなくブラジルにやってくる個人に思いを馳せ続けることを肝に銘じ続けよう。
4/12(日)記 義父のHP
ブラジルにて 復活の日。 妻の実家で復活祝いの昼食。
義父が書いたものをどうするか、という話に。 ホームページ作成を勧めてみると、まんざらでもなさそう。 実際にパソコンでどんなものかをレクチャー。
義父の方が僕より早くPCを始めていたが、いつの間にか逆転してしまった。
4/13(水)記 親不孝の系譜
ブラジル→ 移民とは、つくづく親不孝なもの。 ブラジル移民百年とされる昨年の末に、こう思うに至った。
今日から、また日本に向かう。 日本にいるようなもんだね、とこっちの知人・友人らに言われる。
ブラジルの家庭も、日本の家族もどっちも中途半端になってしまう。
本妻の家庭の他に、妾宅を抱えているようなものか。 よくそんなメンドクサイことできるもんだ。
ブラジルと日本をしょっちゅう往復して、ついでにサンパウロに○号さんを持つという○○センセイなんざ、まさしく精力的であられますな。
4/14(火)記 「愛別離苦」
→アメリカ合衆国→ ニューヨークでアメリカ合衆国の入出国手続き。 ふたたび同じ機内へ。 客室乗務員が新聞を持ってくる。 サンパウロの空港で朝日、サンパウロからの機中で毎日を見ていた。 今度は読売を頼んでみる。 すると、12日の日付ではないか。 しかもアメリカ印刷の国際版ではない。 日本からの便に積んできて、あぶれた「旧聞」だ。 なめられたもんだ、と思いつつ、祖国の旧聞でも移民にゃ新聞、と開いてみる。 よよ、こんな記事が!
「くらし」のページ・16面 伊藤比呂美さんのケアノート 日米往復 父母を介護 遠距離 悩むほど創作意欲 (前略) 日本の知人からは、「なぜ熊本にずっと住み、親の介護をしっかりしないのか」と暗に言われる。逆に、カリフォルニアの友人からは「なぜ夫や娘との生活を大事にしないで、たびたび帰国するのか」と批判される。説明しても、なかなかわかってもらえない。 (中略) 父も母も、どんどん弱くなっているように思えます。これからどうなるのか。一寸先はわかりません。けれども、私なりの遠距離介護を貫いていくつもりです。 (聞き手・西村洋一)
いたく共感。 この記事に出会っただけでも、ふたたびみたび何たびもの今回の旅も甲斐があったというもの。
4/15(水)記 美しい日本の私
→日本 ひと月足らずで、また日本とは。 その間、チリにも上映デビュー・・・
そのひと月足らずの間に、窓下に見えてきた房総の緑はすっかり黒味を帯びている。
東京に向かう車窓から飛び込んでくる緑がまぶしく、美しい。 この緑を、美しいと思う。 亜熱帯のサンパウロや熱帯アマゾンの緑を、美しいと感じたことがあったろうか。
去年も今頃、訪日したが、さほど緑に感銘した覚えがない。
一年足らずの間に、身辺にいろいろあったしなあ。
4/16(木)記 郵々白書
日本にて 朝イチから、最寄りの郵便局へ。 夕方までに、四往復。 今日だけで、計60キロ以上の書籍を発送。
いやはや、先はまだ長し。
4/17(金)記 テプイを喰う
日本にて ナイショの打ち合わせで、東横線沿線某所に。 打ち合わせの場所は、ケーキ屋さん。
お姉さんがトレイにぎっしり並べたケーキの見本を持ってくる。 ギアナ高地のテプイ(テーブルマウンテン)を彷彿させる形状のものが多い。 トッピングもテプイの上の岩山や植生を思わせるものが。 そもそもケーキは層位学の原則で作られているため、切通し部分がずばりテーブルマウンテンの観あり。
ロライマ山の形状のケーキに心惹かれるが、ラム酒ベースのスポンジのものをチョイス。
おっと、これのベース部分は堆積岩状ではなく、いわば火成岩状でがっかり。 分層の楽しみを味わえず。
4/18(土)記 ブラジル合掌 em Hachinohe
日本にて 北上開始。 仙台は桜吹雪。 八戸で桜前線に追いつく。
saule branche cafe(電話0178-46-5137)でのブラジル料理付きの上映会。 準備中の厨房を拝見。 ネタは明かさないが、地元の郷土食材を巧みにブラジル料理のなかに盛り込んでいる。 これがなかなか、あずましい。 縄文以来の東北の智恵と、ブラジル料理の融合。
折りしも、八戸で出土した合掌スタイルの縄文土偶が国宝に指定された。 ブラジルと縄文が、手を合わせた。
仙台を出る頃はへろへろに疲れていたが、八戸で水に戻した干し菜のように元気になる。 お気に入りの店でのオツな上映となった。
幸先のいい遊行上映のスタートに、改めて合掌。
4/19(日)記 札幌がホームグラウンドになる時
日本にて 八戸から札幌へ。 青森、函館で乗換え。 乗り心地たっぷり。
札幌は4度目の上映遊行。 「札幌岡村ゼミ」の上映準備スタッフは、増える一方とのこと。 あなかしこ。
上映開始前にブラジル音楽の生演奏あり。 「あもれいら」②の上映。 「沁(し)みる」。 まさしく、見ている人たちの心に、しみているのが感じられる。
しみてもらいます、あもれいら②。
懇親会で気持ちよく酔わせていただく。
4/20(月)記 札幌農学校VSササキ農学校
日本にて 午前中、今回の上映会のスタッフの一人が仕事を休んで市内を案内してくれるという。 お目当ての場所は、閉鎖中。 けっきょく、旧札幌農学校を散策することに。
午後から、ドキュメンタリー講座番外編。 平日月曜の午後、しかも急な企画。 スタッフだけに見てもらえるだけでもいいから、ぐらいに構える。
するとエレベーターのない4階まで、手ごろな人数が集まってくれる。 トークも弾む。 先日までブラジルでテロップ付けをしていた「ササキ農学校の一日」の公開初上映。 これが意外なほど、ウケた。
初めてブラジル人、しかも奥地の人たち向けに作った作品が在日日本人により受け入れられた。
Be ambitious!
4/21(火)記 ザンギの値打ちも
日本にて 札幌駅07:00発。 JRを乗り継いで、ひたすら南下。
札幌駅構内のコンビニで、おにぎりを買う。 各地のコンビニの、ローカル色探索が楽しい。
「ザンギ」のおにぎりを買う。 ザンギって、何だ? どうやら、鳥の唐揚げのこと。
「チーズおかか」のおにぎりも購入。 北海道以外にあるかわからないが、チーズおかか、なかなかよろしかった。 ザンギは、ちょっと重い感じ。
ザンギとラーメンサラダの大地よ、再見!
4/22(水)記 満州のチロル
日本にて JRを乗り継ぎ、ひたすら南下。
記録文学者、故・上野英信を師と仰ぐ犬養光博牧師の福吉伝道所での上映会。 小倉より日田線・田川井田駅を目指す。
先週、仙台の佐藤さんのところで「さまよう人とともに」修正の作業をお願いした時。 佐藤さんがお茶菓子に、コンビニでチロルのチョコレートを買ってくれた。 真四角の、一口サイズのやつ。 ブラジルの銘菓BISを思わせる味。
あれの製造元が福岡県田川のチロルというメーカーだった。 炭鉱遺産以外にも田川名物あり。
チロルチョコレートのHPを見ると、第2次大戦中に満州で創業していたとある。 そこが知りたい。 チロルの決算。
4/23(木)記 「さまよう人」×2
日本にて 筑豊の朝。 犬養先生ご夫妻に「さまよう人とともに」 http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000044/20090402005381.cfm をご覧いただく。
ちょうど10年前、ご夫妻をブラジルでご案内して、アモレイラにもお連れしていた。 その時、マルゴット神父はアモレイラにいらしたはずだが、犬養ご夫妻と出会うことはなかった。 犬養先生はプロテスタントの牧師だが、マルゴット神父の宣教論にいたく響き、牧師の勉強会等で使いたいとおっしゃっていただく。
昼前に田川を離れ、兵庫尼崎へ。 「あもれいら」連作の上映会を実施してくれた大島さんら、クム アモーレのメンバーを訪ねる。 「さまよう人」と「ササキ農学校」をメンバーに見てもらう。
大島さんは日本で晩年、病魔とともにいたマルゴット神父と関わっていた。 これまで僕の知らなかったエピソードをいくつかうかがう。
マルゴット神父は実に毀誉褒貶の激しい人だ。 もしマルゴット神父に連なる人にインタビューでも始めたら取材期間11年、上映時間5時間16分の「アマゾンの読経」みたいになることを覚悟しなければならないし、それは僕の仕事ではない。
12年前の一期一会のインタビューをわかりやすく構成して、ウラのとれる年譜を挿入する作業が、マキシマムというもの。 1回仕上げたものを今回、仙台の佐藤さんのところで修正してもらっている。
さすがにもうあまり上映する機会はないだろうが。
4/24(金)記 ねるかよむか
日本にて 関西より、東京へ。 鉄路大移動も、今日でとりあえず打ち止め。
移動中は、寝るか、読むか、車窓に見入るか。 今回は西に向かう時と、東に戻る時それぞれ、よろしい新書に駅の売店でめぐり合えた。 行きの品川で「新幹線の車窓から・東海道新幹線編」MEDIA FACTORY、 帰りに小倉駅で「黒澤明から聞いたこと」川村蘭太著・新潮新書。
後者では、黒澤さんの幻のドキュメンタリー「能の美」について詳しく知ることができた。 思わず姿勢を正す。
いい時間を過ごさせてもらった。
4/25(土)記 シモタカヤマノボレ
日本にて いよいよ今回訪日のメインの上映を迎える。 「優れたドキュメンタリー映画を観る会」主催の下高井戸シネマでのドキュメンタリー特集上映。 初日土曜日のトップに「あもーる あもれいら」第2部『勝つ子 負ける子』を上映してもらうことに。
長靴でも履きたいほどの、雨。 昨日から練っていたトークの内容を、雨でぬらしてみる。
いやはや、いろいろな人たちが集まってくださった。 客席も、程いい以上に埋まってくれた。 ドキュメンタリー映画を見慣れた観客も多く、ノリもよろしい。
終映後のお客さんの反応がとてもよかった、と代表の飯田さんが喜んでくれる。 どどっと、心地よい疲れが。
4/26(日)記 PANDEMIC MORNING
日本にて 朝、テレビをつけるとメキシコの豚インフルエンザのニュース。 ヤバいのではないか。 他のチャンネルも回してみるが、地上波でこのニュースを報じているのは最初に見た民放一局のみだった。 NHKも含めて、この非常時にあまりにも情けない番組群。
この事件で、Pandemicの語に新たに接する。 今回、ブラジルからのJALの機内で覚えた語だ。 機内で上映された日本映画「感染列島」の英題がズバリ「Pandemic」。 眠気とともに見たのだが、イマイチな感じだった。 映画のなかの伝染病のカギとなる国名がアボンというのが、今泉光司監督作品「アボン 小さい家」 http://www.ne.jp/asahi/small/home/ を彷彿させた。 この「感染列島」の冒頭にフィリピンが登場するのだが、架空の国・アボンもタガログ語っぽい言葉をしゃべっていたような。 おっと、今泉監督作品はオールフィリピンロケだが、山岳民族だという登場人物たちの会話は英語だったな。
今日は、都下のカトリック教会で「あもれいら」②の上映。 熱い反応とご声援をいただいた。 ありがたし。
4/27(月)記 オフラインしよう。
日本にて 上映を、ちょっと一服。 実家の諸々。 夜、出先からネットカフェ。 ネカフェも、だらだらしていると料金がバカにならない。 HP日記や送るべきメールなど、実家での寸暇に、ブラジルから持参したノートPCである程度オフライン作業をしておき、USBでネカフェからオンラインすることに。
岡村のメール内容、いささかタイムラグが生じている場合がありますが、どうぞご海容に。
4/28(火)記 30年目のカラスヤマ
日本にて 世田谷・千歳烏山の女性から、プライベート上映会の依頼あり。 詳細がよくわからないのだが、軽くお受けする。 いよいよ当日となった。
京王線・千歳烏山の駅に降りるのは、およそ30年ぶりではないだろうか。 学生時代、千歳烏山と千歳船橋の中間、環8沿いにある千歳台遺跡の発掘調査に通っていた。 現場にプレハブの宿泊施設もあり、時には泊り込むことも。 そんな折、千歳烏山まで夕食に出向くこともしばしばだった。
おっと、いまだに駅前に踏切とは。 30年前から高架化の話があったが・・・ この30年は、なんだったんだ。 確か、駅前にキャバレーがあったかと。 遺跡調査員のだれそれがどうした、といったウワサがあったもんだ。 私鉄沿線の駅前にキャバレーがあるというのが、若き考古学徒には軽い衝撃だった。
駅近くでネットカフェを探していると、今でもそれらしいのがあるではないか。 おねーちゃま方も30年前のメンバーだったりして。 それじゃ、サンパウロのリベルダージ(東洋人街)だぜ。
襖にシワシワのシーツを張ったプチ上映会。 とっても不思議な出会いが、いくつもあり。 あな、かしこ、あな、かしこ。
4/29(水)記 失敗と反省
日本にて ワーストクラスの上映となってしまった。 フェーズ5レベルである。 しかもそれが映画館で、とは。
作品の2箇所で映像と音声が飛び、フリーズになってしまう。 最初の箇所では、作品の大きなヤマとなる証言が聞き取れず。 2箇所目では完全にフリーズになってしまい、7分近く飛ばして上映という事態。
2週間前の今回の訪日後、映画館側の要請に応じて、速やかに2作品のDVDを送付しておいた。 担当からいずれも問題なし、と報告を受け、安心してプロに任せていた。
もはや岡村の当日の立場はトークを行なうゲストに過ぎないが、2度目のひどいトラブルの時、映写室にお邪魔した。
まず大きな問題は、事前にDVDの頭とエンドだけの再生の確認をしていたとのこと。 たくさんの作品の上映で、スタッフも取り込んでいたのかもしれない。 別のバックアップ用のDVDデッキでの上映をすすめてみるが、バックアップの機材はないとのこと。 ノートパソコン出しの接続を提案すると、時間的に出来ないとのこと。
ちなみに問題のあったDVDを実家のデッキとノートPCで再生してみると、まるで問題なし。 除去可能な汚れに映画館のデッキが過敏に反応してしまったと見られる。
いただいたアンケートには入場料の返却、再上映を望む声が寄せられていたが、もっともなご意見だと思う。
僕としてはこうした万が一の事故に備えて、バックアップ用のDVDを持参しておくべきだった。 猛省。
祭日の遅い時間に下高井戸までお越しいただいた皆さんに、謹んでお詫び申し上げます。
4/30(木)記 ばつ断食
日本にて 昨晩は夜更けの終映後、心優しいシンパたちが痛飲を共にしてくれる。
今日は・・・思い切って断食をすることに。 昨晩の失敗上映の不徳の自戒を込めて。 早めに処理した方がいい食材が冷蔵庫に溜まってきたが。
実家の荷物整理と、外回り。 健康と電車賃節約のため、日本ではけっこう歩いている。 さすがにものを食べていないため、夜には、足取りも重くなる。
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