4月の日記 総集編 ブラジリアングラフィティ (2020/04/07)
4月1日(水)の記 大斎小斎 ブラジルにて
キリスト教暦の四旬節の時期である。 節制を努める期間で、特に水曜と金曜は食事にも気をつかう。 そのため今日は肉類を避けたいという家族に配慮。
昼はブラジルでシメジと呼んでいるキノコと野菜のパスタに。 夜はオムライスとする。
のこりものを無駄にせず傷めず、ありものをどう活用するか。 似たような料理が続かないように、バランスと栄養、家族それぞれの嗜好を考慮して。 一期一会のチャレンジも怠らず。
特にいまはコロナウイルス禍による外出制限時期なので、家族にとっても食事への期待は大きい。 料理は苦痛というより、喜びに近いが、この時期はなおさら。 加えて責任を感じる。
4月2日(木)の記 すごもりラーメン ブラジルにて
いまだ時差ボケもあり、未明に起きてしまう。 台所をもそもそといじって。
ピクルスをつくろう。 のこりものの野菜の活用にもってこいだ。 まずは漬け汁を煮立てる。
キュウリ、タマネギ、ピーマン、パプリカ、ニンジン。 そうそう、ズッキーニがおいしいのだ。
一部骨付きの豚肉の残り、長ネギを利用して。 夕食はラーメンをつくろう。 冷凍のショウガを解凍。 朝からスープつくり。 卵をゆでてスープともに煮て、味玉とする。 モヤシをゆでて、乾燥ワカメをもどす。 焼き海苔をどーんと飾って。
ブラジル製の生ラーメン、ナルトを買ってきた。 「味覇」でのスープづくりを考えていたが、豚肉でけっこうなダシが取れた。 少しだけ加えるか。 問題は、今回使用したブラジル製醤油の甘みが強すぎた。 まあ、許容範囲か。
巣ごもりの家族たちに好評。
4月3日(金)の記 高層アパートをくだる ブラジルにて
今日もささやかな買い出しに出る。 10数階の高層アパートの階段を降りる。 かいまみる各階各室コロナウイルス対策の様相が面白い。
各室の外に靴を置いている家庭が少なくない。 ドアノブに袋をぶら下げている家庭も多い。 これは新聞や郵便を入れてもらうため。 これまでアパートの門番のところで新聞や郵便を受け取るシステムだったが、門番が各室に届けてくれるようになった。
帰りの上りはエレベーターを使わせてもらう。
4月4日(土)の記 サンピーターのひみつ ブラジルにて
自宅蟄居期間は続く。 増える散らかるにまかせていた諸々におそるおそる手を付ける。
在ブラジルの90代の日本人修道女からいただいたカトリックの雑誌の数々。 いちばん読みにくい『福音宣教』というのを一冊、開いてみる。 「食べて味わう聖書の話」という連載が面白かった。
ブラジルの魚屋で、サンピーターという名前で売られている魚がある。 沖縄方言みたいだが、英語の San Peter だ。 調べてみると、チラピア(ティラピア)ではないか。 チラピアのなかでも体色がピンクがかったのをこの名で呼ぶらしい。 ふつうのサカナ色のチラピアはチラピアとして売られているのだが。 なぜこんな名前で呼ばれているのか謎だった。
この記事で、それが新約聖書のマタイによる福音書の12章に由来することがわかった。 イエスの言葉にしたがってガリラヤ湖で聖ペドロが魚を捕ったというエピソードに由来するという。 実際はティラピアではなかったようだ。 ペドロの英語表記がピーター。
この記事にある、マグダラのマリアはガリラヤ湖畔で魚屋か干物づくりをしていたかも、というのも面白い。 干物に縁深い、伊豆大島冨士見観音堂の堂守になった伊藤修さんに伝えよう。
4月5日(日)の記 さわらぬかみに ブラジルにて
今日は、ささやかながら、わが家としてはご馳走レベルをつくろう。 今日から路上市(フェイラ)も禁止、と家人たちに情報が流れていた。
ダメもとでマスク等の装備をしておりてみる。 おー、フェイラやってるよ! やっほー。
道行く客の半数ぐらいはマスク着用。 売り子でマスク使用はまれ。 究極のオープン空間ではあるが。
有機野菜に魚介類。 エビは、いろいろランクがある。 いちばん大きく高価のの値段もサイズも半額ほどのを半キロ。 パックのイカ。 刺身にサワラをすすめられて購入。
昼はパエリャに、串に刺したエビの塩焼き。 夜は昨日から準備した鶏の唐揚げ。 唐揚げは時間がかかり、全身あぶらまみれ。 サワラは昼はカルパッチョで、夜は酢味噌の刺身でいただく。
さあ明日からは長めの断食の行にはいろう。
4月6日(月)の記 注射オーライ ブラジルにて
わが家の対コロナすごもりは続く。 今日から断食をしよう。 これまでは一日断食だったが、この機会にできれば三日までやってみよう。 三日に及ぶ断食は30年近くやっていないかと。
これに伴ない、昼と夜の炊事から解放してもらう。 午後からわが団地内でのインフルエンザ注射がある。 主に高齢者対象。
予防注射も30年以上、ごぶさたしていたと思う。 この機会に摂取。 団地内のテラスにて。 注射待ちも距離を置いて。 超高齢者が我が物顔で横はいり。
注射はあっという間だった。
4月7日(火)の記 さがしものはなんですか ブラジルにて
断食二日目。 お茶等の水分は取っていることもあり、特に苦にならない。 オナカが少しはへっこんだ印象もない。
日中、銀行の払いものに行こうとして、コロナの巷に出る装束に着替えて。 おや、カギがない。 アパートの入り口のカギの他にわが棟の入り口、およびアパート群の敷地の入り口のカギが一緒になっている。
昨日、連れ合いと注射のために出た時に持参して、帰ってきてから僕のカギで締めたはずだ。 コロナウイルス対策があるので、台所か居間か奥の部屋かの、どこか少し離れた場所に置いたはずだが… ない。 みあたらない。 同じところを再三、探す…
あらたなものを請求するとなると、アパートの管理事務所に行って… こんな時期だし。 警察で盗難ないし紛失の届け出証明を、などと言われたらややこしい。
払いものの期限まではまだ日にちがある。 後日に回すか。 3時間余りして、思わぬところから発見。
今日はアパートから一歩も出ず仕舞いに終わる。
4月8日(水)の記 アロエ2種 ブラジルにて
断食三日目。 特に何という問題もなく、まだ続けられそうだ。 そのあとの復帰がたいへんだからと言われ、このへんにしておくか。 昼、夜は青汁:スムージーをいただくことに。
ケール:コウヴェをベースに、オレンジのしぼり汁、リンゴ、ニンジンなどをミキサーに。 わが家の鉢植えで例外的に繁茂を続けるアロエも少し。
わが家には2種類のアロエがある。 本アロエ:アロエヴェラとキダチ(木立ち)アロエ。 かつて橋本梧郎先生にうかがうと、薬用効果は特に変わらないという。
アロエのゼリー状のねばねばは、火傷などに抜群の由。 胃など内臓の粘膜を守ってくれそうだ。
ちなみにこの青汁、おいしいのだ。 ハチミツを足すなど、おいしくなるように工夫はしているけど。
4月9日(木)の記 堂々三千歩超え ブラジルにて
断食解禁。 通常はお粥からはじめるが、家族も考えてフレンチトーストから。 昼は味噌味のおじや。
こちらのようやく書いたカードのほかに、家人の投函に急を要する手紙もあり。 外出制限令のもと、うしろめたくなく、外に出る。 かつてはすぐ前のアヴェニーダにあったポストは撤去されてしまい、最寄りの郵便局の前にあるポストまで歩く。
ふだんならなにということもない回り道をして、スーパーと青果屋で買い物。 商店のリフォーム工事や高層ビルの建築作業は継続されていた。
帰ってからスマホの徒歩計を見ると3300歩強。 こんなに歩いたのは、さる日曜の路上市買い出し以来。 通常なら1万歩/日 を目指すのだけど。
4月10日(金)の記 聖金曜日のKIMKIM ブラジルにて
今日のブラジルは、キリスト受難の休日。 およそ2000年前に中東でイエス・キリストが十字架に付けられて絶命したことにちなむ。
フェイスブックに思わぬ人の名前が「知り合いかも」と表示された。 およそ3年半に亡くなられたブラジル音楽家のKIMKIMこと木村浩介さん関係の人。 音信がなくなり、どうされていたか案じていた。
先方のページを訪ねてみると、木村さんが亡くなる前年から更新されていないようだ。 亡くなられた木村さんのページはまだ存在するのだろうか?
アクセスしてみてびっくり。 つい最近まで書き込みが続けられている。 木村さんの誕生日には、木村さんが他界したことを承知でポルトガル語、日本語で彼を慕うメッセージが書き込まれている。 さすがに本人からの没後の書き込みは見当たらない…
本人が亡くなった後のこうしたSNSのページがどうなるのか、気持ち悪い思いを抱いていた。 こうした故人を偲び続ける役割があることを知る。 本人亡きあとも生者のつながりができるきっかけにもなるというもの。
それにしても木村さんは不思議な人だった。 没後の彼をめぐる最近の不思議な話が、イニシャル表記だが西荻窪APAPRECIDAの経営者Willie Whopperさんの実録エッセイの好著『Brasileiramente』で紹介されている。 https://barzinho-aparecida.stores.jp/items/5e842fb4e20b0452778fc11d
4月11日(土)の記 土曜の土鍋 ブラジルにて
食器棚の上の方に鍋焼きうどん用の土鍋がある。 かつて亡母が日本から担いできてくれたものだ。
そもそも僕は猫舌のせいか、鍋焼きうどんというのを好まない。 先月、名古屋で一泊した時、地元系の料理店に行くと名物はモツ煮込みうどん… 思い切って頼んだが、煮込みうどん以上に豚モツに辟易した。
さてブラジルではブラジル製の装飾性ゼロの土鍋で米を炊いている。 鍋焼きうどんをつくる気もしないし、日本からの土鍋は使われないままだ。 もったいない。 なにかできないか、ネットでレシピをみる。
ふむ、オニオンスープ。 基本はタマネギを土鍋で30分程度、煮るのみ。 やってみよう。 コンソメと塩、ローリエにコショウで味付けとレシピにあり。 塩加減がちとむずかしかった。
まー、そこそこのできかな。 レシピ以上の時間で煮て、台所に散乱する他の香辛料も投入。 ガーリックトーストの残りもあり、今日の家族の昼食はこれでまかなえた。 好評。
4月12日(日)の記 復活の腹痛 ブラジルにて
今日は、イースター。 わが家のテレビにYouTubeが映るように設定して、サンパウロ時間午前6時から始まるヴァチカンのミサにあずかろうという計画。
僕は夜中から右腹に痛みを感じる。 この時期に盲腸炎で入院かよ、などと悪い可能性をシミュレーション。
身近な主治医によると、盲腸炎の場合は胃のあたりから痛みがおりてくるという。 そもそも、こらえきれないほどの痛みではない。 三日におよぶ断食の影響かも。 テレビミサは欠席。
痛みは聞かれなければ忘れているほどになり、日曜の路上市に買い出し。
午後、こちらの一族の用事でクルマを運転。 連れ合いの実家まで、通常の半分の時間。 こちらで道路が日中でもガラガラなのはクリスマスの当日と元旦ぐらい。 それ以上のガラガラ。
通常は慎重というより臆病な運転である。 今日は制限速度90キロいっぱい、追い越し車線へ。 寺尾聡の曲が自然と出てきた。
のちに調べると鼻歌の元歌は『シャドー・シティ』。 かつて日本のクルマの宣伝にでも使われていたのかな。 さらに調べると、ビンゴ。 タイヤのCMか。 ほう、ボサノババージョンもあるのか。 CMの刷り込みはたいしたものだ。
4月13日(月)の記 指揮者をなくす ブラジルにて
ブラジル国内のコロナウイルスによるものと確認された死者数の総数は、昨日で1300人を超えた。 サンパウロで巣ごもり中のミッションのひとつは、たまりにたまった古新聞のチェック。 時系列抜きで、折をみて目を通して処分をしていく。
今回、日本をからくも脱出した3月27日のポルトガル語の新聞をみてびっくり。 見出しにNaomi Munakataの名前と、写真がある。 ブラジルを代表するオーケストラの指揮者だ。
その前日に64歳で亡くなったとあるではないか。 しかも、コロナウイルスで。
日本も含めて、直接に知る人をはじめてコロナ禍でなくしてしまった。 宗像直美さんは1955年、広島生まれ。 2歳の時に家族に連れられてブラジルで移住した。
僕は、彼女の父親の宗像基(もとい)牧師と親しくさせていただいていた。 宗像牧師は台湾の生まれ、キリスト者だったが大日本帝国海軍軍人となり、海軍の特攻兵器の指導教官をされていたという。 敗戦後、ブラジルでサンパウロ教会の設立に奔走。 拙作『ブラジルの土に生きて』の主人公の石井夫妻はこの教会の信徒だった。
僕が宗像先生とご縁をいただいた頃は、教会はサンパウロ福音教会と改名されて、小井沼國光牧師が主任だった。 宗像先生は日本に引き上げられて都下の教会で活躍、機関紙『バベル』で鋭い説教を提供し続けてくれていた。 昭和天皇に対する姿勢は映画『ゆきゆきて、神軍』の奥崎謙三さんをほうふつさせた。 それに呼応した僕のブラジルから郵送していた所感が何度となく『バベル』紙面に掲載されていた。
ナオミさんには何かの席でお会いして、基先生と親しくさせていただいたことを告げた覚えがある。 彼女のオーケストラも聞きに行ったことがあると記憶する。 基先生が亡くなり、サンパウロの夜遅くに音楽を聴きに行くことのコストとリスクを敬遠して、すっかりご無沙汰していた。
黙祷、とともに彼女の指揮した音楽を探そう。 https://observatoriodemusica.uol.com.br/noticia/2020/03/morre-regente-de-coral-do-teatro-municipal-apos-diagnostico-de-coronavirus
https://globoplay.globo.com/v/8451502/
4月14日(火)の記 帝銀事件 2020 ブラジルにて
からくも日本を脱出してブラジルにたどり着いて、半月あまりとなる。 14日間のコロナウイルス経過観察期間はクリアしたが、サンパウロ州の外出制限令は続く。
家族の食事の支度、食材の買い出しをメインとして、あとは本業にまつわる諸々の通信、オンライン作業、身辺整理の日々だ。 ブラジルに戻ってから、書籍だけで20冊ぐらいぱらぱらと読み散らかしている。 読了したのは、数冊。 いまひとつ、読み耽るような本に出会っていない。 こっちの感性が枯れてしまったのかと危惧。
積んどきっぱなしの書籍の背表紙をながめていて、文庫の『秘録 帝銀事件』(森川哲郎著)を引っ張り出す。 文庫の発行が西暦2009年。 いつどこでどうして買ったか、もはや記憶にない。 いまさら帝銀事件でも…と思いつつも読み始めてみる。
驚いた。 帝銀事件が発生したのは西暦1948年1月23日。 場所は、東京の椎名町。 僕は今年のこの日、はからずも現場付近を彷徨していたのだ。 事件が発生したのは午後の銀行の閉店時間。 僕は前夜に江古田のギャラリー古藤での特集上映を終えて懇親2次会まで付き合って終電を逃してしまった。 日付は23日となり、大荷物を抱えて寒空のもと、とりあえず池袋をめざして椎名町を深夜にとぼとぼと通過した次第。
その72年前。 帝国銀行椎名町支店に東京都防疫課職員と名乗る人間が現れた。 近くで赤痢が発生し、その家族が本日、この銀行に立ち寄ったので予防薬を飲んでほしいという。 銀行職員と住み込みの家族ら計16人が、防疫課職員という男の指示に従って液体を飲み… 全員が即、もだえ苦しみ、12人が亡くなった。 男は現金や小切手を奪って逃走した。
犯人は毒物の人間への扱いを知悉していたことから、旧日本軍関係者が疑われた。 しかし関東軍731舞台関係者などへの調査はGHQから横槍が入る。 逮捕されたのは、自供しか証拠のない画家の平沢貞道さん。 平沢さんは決定的な証拠を欠いたまま、死刑を宣告される。
僕がこの事件に興味を持ったのは、松本清張にのめり込んでいた高校時代にさかのぼる。 わが亡母は事件当時、椎名町に住んでいて、勤めの帰りにごった返す現場を通ったという。 平沢さんの支援者が早稲田にあった小さな画廊で平沢さんのテンペラ画展を開いたのを大学時代に見に行ったこともある。
すでに事件のディテールの多くを忘れていた。 今の視点で読み返すと、犯人は現場でマスクをしていないことに気づく。 マスクを使えば、より人相も声もごまかせたのに。
この本の著者の森川哲郎さんはすでに故人となったジャーナリスト。 取材を通して平沢さんを愛し、平沢さんの支援と救済のために私財も人生そのものも捧げ尽くしていた。 その気迫がひしひしと伝わってくる…
4月15日(水)の記 古本お大切 ブラジルにて
東京古書組合の4月14日付「古本を愛してくれるお客様へ」というお知らせに接した。 https://www.kosho.ne.jp/?p=374&fbclid=IwAR23UutwrESGDyx-C2BvFPB-x_cRTwngG5ft7xkXM5iJBQtntq6xikfEdxw 筆者は、東京都古書籍商業協同組合広報部長にして学芸大学の古本遊戯こと流浪堂店主の二見彰さん!
日本の行政は、古書店を骨董品店と同様の不要不急のものとして営業自粛を要請したという報に接したばかり。 古本屋のニーズは、骨董品店と同じ? 祖国の官僚も行政担当者も、市民、生活者の実生活となんと乖離してしまっていることだろうか。
日本では各地の図書館も閉鎖されていると聞く。 日本の行政は市民に外出制限を要請しながら、自宅で読まず食わずで寝ていろというのだろうか? 品揃えが乏しくなるばかり、ヘイト本ばかり、高い、の新刊本屋の営業はオッケーで古書店はNGという文化・歴史観はお粗末どころか恐ろしい。
僕はANAのビューロクラシーのせいで、危うく日本に留め置かれるところだった。 ブラジルで外出制限のもとで暮らす今、祖国日本の不快なニュースに接するのは精神衛生上よろしくないと思っている。 だが、これは黙ってはいられない。
僕自身、流浪堂さんはじめ日本各地の古書店に、わが作品の上映と拙著の販売はさし置いて、いち読書子としてお世話になり、育ててきてもらっている。 僕の場合、流浪堂の二見さんがまさしくそうなのだが、顧客の嗜好を知る古書店さんはいわば主治医のような存在だ。 こちらのツボを押さえて掘り出し物を取り置いてくれる古書店があることの幸せは、かけがえのないものだ。
これはライバルを増やすのであまり明かしたくないのだが、西荻窪APARECIDAさんの古書棚、そして流浪堂さん店頭左サイドの100円均一コーナーはまさしく宝の山である。 流浪堂さんのこのコーナーで辻原登さんの『闇の奥』に接した時の興奮! なんと、わが憧れの博物学者、鹿野忠雄がモデルとされているではないか! いままで、誰もこの本を教えてくれなかった… どころか、知るべき人たちがこの本の存在を知らなかったようだ。
最近では、これも流浪堂さんで見つけた角野栄子さんの『トンネルの森 1945』。 角野さんのことは『魔女の宅急便』の原作者でブラジルに滞在したことがある、ぐらいのことしか恥ずかしながら知らなかった。 これは自伝かと思わせる内容で、第二次大戦中に疎開をする少女が主人公。
「『おれは、地獄を見てきた。もうこれ以上は聞かないで』 (中略) 日本の人がどんどん死んでいく。」 『トンネルの森 1945』角野栄子 著(角川書店)
流浪堂さんのお店での懸念は、客が多い時は店内の移動もたいへんなこと。 いまや密教の三密は、コロナウイルスから身を守るためという3密にとって代わられてしまった。 (サンパウロで手元にある学研のムック『空海の本』も流浪堂さんの店頭で求めたもの。) 二見さんはテント劇団の水族館劇場のサポーターでもあるので、入店人数制限などでこの問題も乗り切ってくれることだろう。
新本屋がなくなっても、残る古本屋は残るに違いない。
4月16日(木)の記 ショアの夜明け ブラジルにて
家人たちが日中はホームワークのため、僕の方の作業は時差と場所の棲み分けを図っている。 今日は未明に覚醒。 本を読むというより、DVDを見ようか。
日本でフンパツしてAMAZON買いしたクローズ・ワイズマン監督の世紀の大記録『ショア』のDVD。 堂々9時間27分。 日本の劇場で公開された際、これまたフンパツして通常料金の3倍ほどを払って挑んでいた。 しかし、そもそも訪日中は過密スケジュールの疲労困憊続きで、ほとんど眠ってしまっていた。
昨年、DVD版を鑑賞し始めたが2時間程度でストップ。 今回、ブラジルに戻った後、また初めから見始めた。 4枚組のうち、ようやく1枚を終えたところ。
第2次大戦中のナチスドイツによるユダヤ人大虐殺の関係者たちの証言の記録。 ひとことにナチスのユダヤ人虐殺と言っても、一枚岩ではなく、ステレオタイプにもおさまらないことが明らかにされていく。 そしてその事実と自分はけっして無関係でもなければ遠い世界の話でもないことに気づかされていく。
それにしても、よくタバコを吸う映画だ。 非取材者が喫煙していることはごくまれで、画面に写りこむワイズマン監督と通訳のタバコと煙。 僕の取材では考えられないことだ。 ワイズマン監督は確信犯なのだろうけども。 通訳が端折ったところにワイズマン監督がツッコミを入れていくところなども面白い。
すでに東の空が明るくなった。 うとうとしたり、聞きもらし(いやさ字幕の読みもらし)があるとDVDをきちんと覚えているシーンまで戻していく。 今日は1時間以上、進んだな。
4月17日(金)の記 お好み書く ブラジルにて
数日前、在日本の知り合いのルポライターからメールが入った。 この人は、こちらを利用したい時しか連絡をよこさない。 案の定… 週刊誌で世界のコロナ事情を特集することになったので、電話をするからブラジルの感染者数等々を調べて報告してもらいたい、といったところ。 謝礼は出せる、とあるが…
以前に書いた覚えがあるが、東京でこの人のB級グルメ系のネタ出しと案内を頼まれたことがある。 応じたものの… 指定の場所への彼の到着が遅かったので、こうした店は次々と閉店時間に。 そのうえ1軒目で呑んで長居をして、ハシゴができない、段取りが悪いとまるでこちらの落ち度のように悪態をつかれて… 謝礼どころか彼の終電まで居酒屋に付き合わされてワリカンであった。
今回の彼の希望のネタも、日本でポルトガル語の翻訳者を手配すればネットで拾えるというもの。 それ以上に安くおいしくあげようというのがミエミエ。 僕は無視というのができない性質。 早々に、家庭の事情で電話に応じるのがむずかしいので、と返信する。 例によってそれへの返しは、なし。
さて昨日は日本で『お好み書き』という月刊のミニコミを編集される門田さんからメールをいただいた。 http://okonomigaki.la.coocan.jp/okonomigaki_intro.html ブラジルのコロナ事情と生活についての寄稿のご依頼。 これはお受けしたい。
想えば『お好み書き』さんとは奇縁でつながった。 僕の母が東京で他界して、この世に残る唯一の子供として日本に駆けつけた時のこと。 焼き場の都合で葬儀まで少し日があり、母のものを整理していると謎の手書きの人生訓が出てきた。 これが面白い。 葬儀の列席者にコピーしてお配りしたところ、亡母の友人のお嬢さんの手に渡った。 彼女が『お好み書き』の購読者だった。 母の謎の人生訓は彼女から門田さんに渡り、なんと誌の巻頭特集にしたいというではないか。
『お好み書き』のコアメンバーは関西在住。 僕の関西の友人知人たちに紹介すると、いずれも喜んで常連メンバーになってしまった。 紙面にこれまで何度も僕の関西での上映情報を掲載していただき、購読料未納のまま、東京の実家に送ってもらっている…
通常のような短信でいいのか、あるいは巻頭稿に苦心されているのかを問い合わせる。 できればたっぷりと、目安は3500字ぐらいと写真数葉を、とのこと。 20日までにいただければ、の由。
なかなかの字数だ。 自分で直接、見聞きしていない、他の人でも出せるこちらのニュースネタを出してもシャレにならない。 かといって巣ごもり日記で3500字は苦しい。 日本脱出記と富山妙子さんのことでいってみるか。
で、今日はとにかくワードに入力… ありゃ、まだ日本を脱出しないうちに3000字を超えちゃった。 先方のリクエストとずれたまま暴走もできない。 このあたりでいったん筆を置いて門田さんにおうかがいをたてないと。
4月18日(土)の記 まけるな リング一茶 ここにあり ブラジルにて
ガウジイこと伊藤修さん:アマゾン帰りの漆職人、伊豆大島冨士見観音堂堂守にして大道焼肉師:が現在は金土日の週末に焼肉の大道販売をされているという。 場所は横浜のシネマ ジャック&ベティの階下、横浜パラダイス会館前の路上。
ビーフ、ポーク、チキンどれもけっこうな味だが、これまた好評のリングイッサが品切れとのこと。 リングイッサはブラジル風ソーセージのことだが、日本のブラジル系製造工場が閉鎖されているらしい。 他のソーセージとどう違うのかと伊藤さんに聞いてみた。 リングイッサは結着剤を使っていないという。 ソーセージの結着剤には、天然のものではイモの澱粉が使われるが多くは化学物質の由。 ブラジリアンリングイッサがおいしいはずだ。
さてブラジルのわが家では昨晩からフェイジョアーダの準備を始めた。 ブラジルを代表する料理で、ざっくりいうと黒豆と肉の煮込みだ。 これにはリングイッサも入れるのが定番。 カラブレーザというこれまた代表的な燻製風味のソーセージを使ってみた。
うーん、いまひとつ。 パイオと呼ばれるソーセージの方が柔らかみがあってよかったかな。 そもそもどう違うのか、吟味したことがなかった。 検索すると、パイオはポルトガル風の由。 カラブレーザは名前からしてイタリアンだが、カラブレーザペッパーというのが用いられているという。 燻製の方法も異なるようだ。
次回は塩漬け肉ももっとフンパツするか。 今日は昼に夜にフェイジョアーダ。
4月19日(日)の記 ロスコが目にしみる ブラジルにて
いまさらながら祖国のことが気になって、日に何度もスマホをチェック。 フェイスブックから飛び込んできた画像にたまげた。 ロスコの絵だ。 強烈な橙色。 『地獄の黙示録』の最初の頃のポスターを思い出す。 鹿児島でキュレーターをされる知人の投稿で、シェア元はドイツ人のようだ。
ロスコを僕が意識したのは、ブラジルでアーチストの故トミエ・オオタケさんを取材しているときだ。 トミエ先生に、好きな画家、影響を受けた画家について聞いてみた。 「なんていったかな、あの、自殺した画家」。 とおっしゃる。 トミエ先生好みで自殺した画家… 調べてみてロスコだとわかった。
サンパウロにて巣ごもり中で、少し本の整理をせねばと、ふだんあまり見ない棚に目をやっていた。 そのなかのロスコの本が気になっていたところ。
学芸大学のサニーボーイブックスさんで買った『マーク・ロスコ』(川村記念美術館巡回展関連出版)。 ちなみにサニーさんは現在、オンライン営業のみとのこと。 http://www.sunnyboybooks.jp/ 昨今はあのお店、いつ行っても密だったしな。 蜜のような品ぞろえのお店だし。
ハニーボーイブックス。
4月20日(月)の記 「『時』を想う」 ブラジルにて
今日は断食をしよう。 液体は摂取するので、台所にしばしば立つ。
ふと、拙作『KOJO ある考古学者の死と生』を想う。 http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000051/20090606002063.cfm?j=1
今年1月のギャラリー古藤さんでの岡村特集上映の際、涙を呑んでチョイスから外した作品だ。 だれかとKOJOが見たい。 自作ながら、ひとりで向き合うのが怖い。 主人公の古城泰さんが他界して、ちょうど20年になる。
サンパウロでのコロナ巣ごもり中に少しでも身辺を整理しようとして… 日本語のカトリック関係の雑誌がごそごそ出てくる。 在ブラジルの老日本人シスターからいただいていたものだ。 こういうものを、いさぎよく処分できない。 せめて斜め読みでも目を通さないと。
『カトリック生活』2018年1月号を手にとる。 「『時』を想う」という特集、そそられる。 絵本プロジェクトの末盛千枝子さんの寄稿がある。 末盛さんは彫刻家の舟越保武のお嬢さんだ。
5年前、練馬区立美術館で出会った舟越さんの『原の城』と題された落ち武者の彫像を見て以来、なにかに憑かれたようになっていた。 舟越さんの郷里である岩手の美術館に、ふたたび『原の城』に会いに行った。 思い切って島原の原城落城の日に原城を訪ねて、ようやく楽になった。
末盛さんによると東京の初台教会に舟越さんの『十字架の道行き』という作品があるという。 数年前にこの教会のミサにあずかったが… 僕より上のフォーク世代の老人たちによる聖歌演奏に驚いたものの、舟越作品は見落としていた。
初台教会のウエブサイトを見ると、舟越作品は壁に掲げられた線彫り画だった。 ざっと見てみるが、イエスが十字架を担いでいるというより、肩にあてている感じ。 実物を見てみないと。
雑誌の同じ号に、三浦暁子さんの『霧の中のひと―ペトロ岐部、その苛烈な生涯』という連載がある。 ペトロ岐部! 日本人ではじめて聖地エルサレムを訪ねた人といわれる。 ローマからフィリピンのルバング島に渡り、宣教師としてキリスト教禁教下の日本に潜入。 捕らえられて江戸で穴吊りの拷問を受ける。 「転びもうさず候」と言い残して果て、その死に様は幕府の役人をして感動させたと伝えられている。
僕がペトロ岐部のことを知ったのは、『KOJO』を作成していた頃のこと。 旭川を経て東京世田谷の経堂で渡米するまで暮らした古城さんの墓所は、古城家のルーツの大分は国東半島にあるという。 お参りに行った。 国東市国見町岐部!の胎蔵寺。 イチョウの黄葉が眼に鮮やか時期だった。
帰路、バス停の近くにペトロ・カスイ記念公園というのがあった。 上智大学の神父の言葉を刻んだ碑があったのを記憶する。 ペトロ・カスイはペトロ岐部のことで、そもそもこの人はこの岐部の出身とされるが資料は少なく名前もはっきりしないのだ。
恥ずかしながらこれも覚えがないのだが、三浦さんの連載でこの公園に舟越保武作のペトロ岐部像があることを知った。 「彫像の顔をつくるにあたり、舟越保武は岐部村の人々に集まってもらい、その顔を一人ひとりデッサンしたという。」(同連載より)
ペトロ岐部、舟越保武、そして古城泰に通じるものがあることに気づく。
4月21日(火)の記 CORONIAN GRAFFITI ブラジルにて
今日のブラジルは、チラデンテスの祝日。 チラデンテスはブラジル独立の先駆者とされる人で、1792年のこの日に処刑された。 あえて日本で例えれば、幕末に処刑された志士の記念日といったところか。
コロナウイルスによる自宅巣ごもり中の身には、祭日であることがピンとこない。 いちばん大きな問題は平日のゴミの回収がないことか。
食材の買い出しに出る。 祝日でもやっているはずのスーパーへ。 わが家から南下のコースで、通常なら週に1~2回は通う。 今回、ブラジルに戻ってからは初めて。
ニラが欲しいが、一軒目になし。 青果中心の二軒目へ。 こちらは入口にアルコールジェルの他に使い捨てビニール手袋があった。 使ってみよう。 深緑色のオルガニック栽培のケールがある。 青汁用に買おう。 ここは値段が安くはないが、種菌用にヨーグルトも。
今日は晴天でもあるせいか、珍しくサイクリングレーンにもそこそこチャリが出ている。 巣ごもり疲れのせいか。 チャリ走者も半分ぐらいはマスク着用。
歩道に足を投げ出す物乞いのおばちゃんがいた。 おばちゃんも白いマスクを着用している。 足は、裸足。 外では口元より足元の方がウイルスが多いかも。 歩きタバコで痰をそこいらに吐く輩もいるし。
お、ちょっと目をひくグラフィティがある。 周囲を見やってから、スマホを取り出してシュート。 https://www.instagram.com/p/B_QEfPOAxsh/ サッカーのブラジル選抜のユニフォームを着た、頭がコーヒーカップ型のカカシのような少年の絵。 「COVID19」と書き添えてあるから最近の作品だろう。 画材とコロナウイルスの関係がよくわからないけど。
テーマをずらして構成も変えた原稿書きに苦戦する。 が、とりあえず書き上げてみた。 さてどうなるか。
4月22日(水)の記 缶汁、飲んでますか ブラジルにて
その日の朝昼晩の献立、買い出しの品物があるかどうかを前日に検討して書き出しておくのがサンパウロでのコロナ巣ごもり中の日課となった。
昼か夜に味噌ラーメンをつくろう。 先週の味噌煮込みうどんの汁が残っているので、これを戦艦を空母に改造するように… 冷凍してあった豚リブを解凍してダシをとるつもり。 少し解凍してからニオイをかぐと、さすがにヤバい感じ。 うーむ、捨てましょう。
さあ困った、コンソメと中華だしの素、根コンブにベーコンあたりの混成でフォローするか。
最近、たしかツイッターで流れてきた画像でアラブあたりのイケメンの富豪が「俺ぐらいの金持ちだと○○○○…」の○○にセリフを入れるのがあった。 「桃缶の汁を飲まない」というのがあって、桃缶とはさして縁がないが気に入っていた。
昼は中華風オジヤとして、味噌ラーメンは夕食に。 決死の買い出しでブラジル製の生ラーメンも買ってきた。 トウモロコシの缶詰はわが家に在庫あり。
開缶… あふれる汁。 家人の目がないのを見計らって飲む。 美味!
第二次大戦末期、硫黄島の闘いで生還をとげた旧日本軍兵士の手記を思い出す。 飢えと渇きと敵襲の極限状況。 戦野にアメリカ軍のグリンピース缶が置かれているのを見つける。 日本兵をおびき寄せるワナだろう。 もう殺されてもいい、兵士は缶を開けて汁を飲んだ。 筆舌に尽くしがたいよろこび。 そして、アメリカ軍の攻撃はなかった。
缶詰の汁は合成物質だらけだから捨てること、という忠告を目にする。 缶汁を捨てるぐらいなら、はじめから缶詰を使わなければいいと思います。
4月23日(木)の記 訃報の虚実 ブラジルにて
サンパウロ巣ごもりの朝。 日本のシンパからのメッセンジャー通知。 久米さんが亡くなられたという。 どっちの久米さん? 久米明さん。 『すばらしい世界旅行』で僕のディレクターデビュー以来から、フリーになってからもお世話になっていた。
ついで日本の別の人から、北朝鮮の金正恩の訃報の動画が。 これは世界的なビッグニュース。
…おかしい、これだけのニュースが他の諸々に現われない。 いまだ僕は5月に韓国入りする可能性もあるし。 サンパウロ州の外出制限令発令以来、わがアパートでは特に朝のうちはWi-Fiがつながらないこともしばしば。 とても動画どころではない状態。
おそるおそる、だましだまし動画にアクセスしてみると… 北朝鮮のニュース画面から始まるのだが、フェイクのパロディニュースだった。 ばかばかしくて、フェイクとわかると最後まで見る気もしなければヒマもない。
久米さんへの喪のモードにふたたび切り替えよう。 「なるほど。」 久米節が聞こえてくる。 「岡村さんは、早口だからなあ。」 とか。
4月24日(金)の記 103番の男 ブラジルにて
今回、ブラジルに生還して最初の買い出しの時。 家人からコーヒー用のペーパーフィルターを頼まれる。 「102番」との指定。
近くのスーパーに行くと、103番のもの一種類しかなかった。 103番の方が大きいが、大は小を兼ねる。 ないよりは、ましか。
使ってみると、たしかに二回りぐらいは大きいな。 折って使うが、もったいない感あり。
わが家の102番の在庫がそこそこあり、まずはそちらを使って、まだ足りていた。 さて、当地でもコロナ禍は右上がりのデータ。 諸々の情報もじゃんじゃん入ってくる。
マスクのフィルターにコーヒーの紙フィルターを代用との報を知る。 僕は日本から持参した2種の手作り布マスクを交互に使っている。 内側に紙ナプキンをあてていた。
コーヒーのフィルターを使ってみるか。 102番だと日本のアベノマスクのように口と鼻まわりを十分にカバーできない。 103番は、のりしろぐらいの余白があってちょうどいい。 折り重なっているので、一枚のフィルターが二枚に使える。 悪くない感じ。
今日もコーヒーフィルターを使おう。 エレベーターを使わず、階段で降りるとコーヒーの香りが。 まさか、未使用のフィルターから? アパートのどこかのお宅でカフェを淹れているのだろう。
コーヒーを淹れた後のフィルターを洗ってマスクのフィルターに使用は可能か。 コーヒー好きにはこたえられないかも。 ウイルスキラーとか、コーヒーかすに意外な効用でもあれば。
ちなみに調べてみると、日本でもメーカーによっては102番、103番の呼称を使うようだ。 102番は2-4杯用、103番は4-6杯用の由。 番号と寸法はまちまちだという。 渋谷のTOKYUは、109番サイズか。 路上の不審死体を見かけたら、110番(日本限定)。
4月25日(土)の記 サンパウロの生うどん ブラジルにて
昨夕から、プライベートの所用でこちらの親類宅に。 夕食をこしらえて一泊。
午前中に帰宅。 サンパウロの道路事情が、いつもクリスマスや元旦並みに空いてくれればと夢想していた。 それがこんな形で現実になるとは。 今日も通常モードの半分ぐらいの時間で戻れた。
とにかく外出の数を減らさねば。 ガレージにクルマを置いて、その足で買い物へ。
昼は冷やし中華をつくろうと考えていた。 生めんと、日本キュウリ(こちらにはざっくり2種類のキュウリあり)を買えばいいか。
冷やし中華用には、こちら製の「生ラーメン」より「ヤキソバ」用として売られている平べったい生めんの方がよさそうに思う。 が、なじみの日本食材店「円満」には両方とも在庫がなかった。
もう一軒の「シアワセ」に行く。 こちらには、ブラジル製の生うどんがあった。 これにするか。 サラダうどんか、冷やしうどんか、焼きうどんか…
帰宅後まずは汁づくり。 日本でいただいた本格的なダシのもとがある。 醤油はブラジル製で。 冷やしうどんにしよう。 思えば、わが家にもまだ乾麺のうどんがいくつもあった。 まあ、ナマはまたひと味違う。
家族でいただいた後の残りを、酢醤油でいただく。 これがまたよろしい。 うどんを酢醤油で食べるのは、横浜の弘明寺のうどん屋で教わった。 島根風、と言われた覚えがあるのだが。
4月26日(日)の記 日曜籠城 ブラジルにて
さてさて日曜。 本来なら、近くの路上市に海の幸とオルガニック野菜などの買い出しに行く。
外出制限令下だし、いま特にすぐに足りないものもない。 そこそこの人出もあるし。 今日はやめておくか。
日本からのSNSで、この時期のいわゆる巣ごもりを「籠城」(ぎょっ、「老嬢」と変換されて)とたとえるのを見る。 なるほど、籠城か。
思えばここサンパウロでも3月24日から外出制限令が出され(祖国日本ではようやく東京オリンピックの延期が発表された日だ)、僕がこちらに生還してから一か月。 おかげさまで水道も、電気も、ガスもいまのところ問題はない。
先日、書いた舟越保武さん作の『原の城』と題された落ち武者は、原城で籠城を続けたキリシタン侍だろう。 幕府軍が天草四郎率いる原城への総攻撃を決意したのは、外に出た籠城兵士を殺害して胃袋を開くと、わずかな海藻ぐらいしか食べた痕跡がなかったことによるという。
こちらは日本のような異常な買い占めの習慣はあまりない。 わが家のありものだけで食いつなぐとすると…一週間は持つだろうけど。 吾輩は断食で慣れてるし。 いずれにしても最後には日本から担いできた海藻類が残るかも。
今日は日曜でゴミの収集もなく、ゴミ出しにも出ず。 アパートを一歩も出ずに終わる。
4月27日(月)の記 サルガドのセルフィ ブラジルにて
さあ一日断食をしよう。 コロナ巣ごもり中にもってこいだ。
午後、事情により運転。 車検にも出したいし、洗車にも出したいが、外出制限下には見合わせよう。
カーラジオでクラシック音楽中心のFM「文化放送」を流す。 テレビの文化放送で今晩、セバスチャン・サルガドのインタビュー番組を放送するとの宣伝。 うーむ、夜10時からとは、テレビをつける気にならない時間だけど。
わが蔵書の大判、重い本の代表がサルガドの写真集。 サルガドはこの星を股にかけて活躍するブラジル人の写真家だ。
久しぶりにサルガドを動画で見る。 彼の活動の本拠パリからのスマホ撮りのような映像と音声。 眉毛が拙作『郷愁は夢のなかで』の西佐市さんのように真っ白く、ふわふわになっている。 西さんというより、サンタクロースか。
サルガドは近年、アマゾンの先住民の写真を意欲的に撮り続けている。 先住民にとっていかにコロナウイルスが致命的かを語る。
サルガドはアマゾンの写真をブラジルの楽聖ヴィラ・ロボスの曲の演奏とともに投影することを考えているという。 ヴィラ・ロボスの曲がもっと知られるべき、と熱弁するが、わが意を得たり。
サルガドはコロナ問題を訴える意図から、マスク姿のセルフィ写真をブラジルの新聞に発表したという。 いちいちやることがすばらしい。 日本の現首相の真逆のベクトルだ。
さっそくその新聞を探そう。 重いのと、訪日が重なって途中までになっていた彼の最新写真集『PERFUME DE SONHOS:夢の香り』をまたはじめから堪能しよう。 世界各地の家族規模のコーヒー栽培労働をする人たちがシュートされている。
この作品は、日本ではほとんど知られていないようだが。 コーヒー好きの方々は外出制限令下の新橋駅の写真の被写体の人々なみに少なくないと思うが、このサルガドの作品が共有されてなさそうで、もったいない。
4月28日(火)の記 おひょうという名で出ています ブラジルにて
おひょうという名に意表をつかれた。 最初に接したのは小学校の給食の献立表だったか。 白味魚のフライの魚名。 なんだか日本語ばなれした名前だ。
ブラジルの親戚が近所の人から魚の袋詰めをもらった。 アラスカまで釣りに行って、現地で袋に詰めてきたそうだ。 英語表記らしく、HALIBUTとある。 これを調べてみると、オヒョウではないか。
そもそもオヒョウは北海道での呼称の由。 大鮃、という漢字があるのか。 大きなヒラメの意。 アイヌ語説はないのかな。 調べてみると、オヒョウはアイヌ語で樹皮のことで、オヒョウという植物もあると知る。
魚のオヒョウは、カレイ科カレイ目。 なんと4メートル超えのも生息するとか。 写真で見ると、たしかにカレイやヒラメの格好をしている。 日本の回転寿司で出されるエンガワは、オヒョウのものが多いようだ。 なるほど、巨大魚だからエンガワも古民家の縁側ぐらいの大きさがあるのかも。
実は何度か解凍と再冷凍を繰り返してしまった。 くんくん。 うむ、だいじょうぶそうだ。 レシピをネットでチェック。
味噌漬、塩レモンなどを考えていたが… ほう、白菜と塩コウジ蒸しというのが。 これにするか。
いやはや、これがおいしい。 ふたたびイヒョウをつかれる美味。 オヒョウはブラジルではなかなか手に入らないだろうけど。
4月29日(水)の記 ブラジリアングラフィティ ブラジルにて
ちびちびと拙宅内を片付けていて、美術本を並べた棚の本来の背表紙群がようやく見えるようになってきた。 今さらながら、こういう本は折に触れて手にとって眺められるようにしておかないとな。
最近の美術書のお気に入りは『GRAFFITI SP』(写真:RICARDO CZAPSKI)。 サンパウロのグラフィティのクオリティとヴァラエティを改めて痛感。 そして、絵画の持つ奥行きを実感。 絵画の初源にして本質だろう洞窟壁画に直結していると思う。
この写真集では極力、それぞれのグラフィティの作者の同定に努めているのもすごい。 日本のNHKには、まずこのあたりを基本として学んでほしいものだ。 この本の出版は西暦2018年だが、これに収められている作品の多くはすでに看取できなくなっていることだろう。 いっぽう洞窟壁画は数万年にわたって残り続けているものが少なくない…
ブラジル移住後、機会があればグラフィテイロと呼ばれるグラフィティ作家の活動をフォローするドキュメンタリーも手掛けてみたいと思っていた。 これは果たせていない。 先史岩絵については、そこそこの作品を遺すことがかなったけれども。
ちなみに他所の国と都市のグラフィティについてはそれこそ写真などでしか知らないが、サンパウロは世界的にもトップ水準だろう。 サンパウロのグラフィティについては、日本でコンタクトのあった阿部航太さんがブラジルに来て、いい仕事をしてくれている。 http://abekota.com/
さて僕も、これまでも危険都市サンパウロでこれはというグラフィティを見つけると、周囲の危険がなさそうで時間があればスナップ撮りをしてきた。 この本の刺激もあり、コロナ外出制限令下での食糧品買い出しの際に近所で目についたグラフィティをスマホ撮りしてInstagramにアップし始めている。 https://www.instagram.com/junchan117/?hl=ja (随時、アップしていきます)
外出制限令下で人も車も少ないが、かえって向こうも必死だろう強盗が怖い。 通行人に罵声、咳痰、危害を浴びせてくる路上生活者も増えている。
サンパウロのグラフィティのメッカたるカンブシ、ヴィラマダレーナ、ピニェイロス地区に比べるべくもないが、わが地元のものもそれなりにじっくり見ていけば面白いかも。
4月30日(木)の記 四月のつごもり日記2020 ブラジルにて
ほんとうの自分をさがす旅に出るにせの自分もいとしき四月
有沢螢「虹の生まれるところ」
まだ四月のうちに、まさしく偶然にこの詩(うた)に出会った。 在ブラジルの、齢90代の日本人シスターからいただいた『福音宣教』という硬い雑誌の2017年4月号。 サンパウロでのコロナ巣ごもり中に雑物の山をいじっていて、この雑誌が束で出てきた。 こういうのをあっさりばっさり捨てられないこちらの性質を見抜かれていたか。
僕が短歌にピンとくることなど、まさしく稀有のことだ。 さっそく検索してみるが、有沢螢さん、もっと読んでみたい。
四月といえば。 五木寛之さんの『四月の海賊たち』という短編があった。 僕が五木さんを読み始めたころに文庫本が出た。 日本で海賊放送を行なう若者たちの話だ。
そしてサイモンとガーファンクルの、 『四月になれば彼女は:April Come She Will』。 いまだに歌詞の全貌を把握していないが、想うだけで胸キュンというのになってしまう。 これはこれで検索していくと、驚きの広がりがあるではないか。
いま、過ぎゆく四月を想うと。 ブラジルのサンパウロではとくにとらえどころのない、秋への移行。 これは毎年ずれるが、イースターか。 通常は卵型のチョコレートのプレゼントが錯綜するが、今年はばったりだった。
新しい上履きのにおい。 これは意外な記憶がよみがえってきた。 日本生まれ日本育ちとしては、四月といえば新学期。 わが実家の新学童は、世界史的事件のなかのこの四月をどう過ごしたことだろう。
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