7月の日記 総集編 野外美術館都市をあるく (2020/07/01)
7月1日(水)の記 洋ナシのつぶて
ブラジルにて
買い物の口実もあり、午後から外出をはかる。
さあ、どっちのほうに行こうか。
グラフィティハントとの兼ね合い。
https://www.instagram.com/junchan117/?hl=ja
下に行ってみるか。
先日、車でこっちをまわることになり、車窓からグラフィティをいくつか発見。
気になっていた。
ありゃ、最初の気になり作品はこちらのイメージとだいぶ違う。
別モノかと思うほど。
逆光だが、とりあえず押さえ。
ずっと降りて幹線道路まで至る。
この向こうにグラフィティが見えたはず。
ちょうど冬の陽光が照らしている。
歩行者には渡りづらいが、行ってみる。
撮影。
治安と、クルマが心配。
おっと、買い物。
目標の巨大青果店へ。
ここはモノも品ぞろえもいいが、値段も安くはない。
まずは、買うべきセロリを。
黄色いプチトマトがある、買ってみよう。
ほう、小粒の洋ナシがあるぞ。
まさに礫(つぶて)サイズ。
これも買う。
バジルの小さな苗も買おう。
帰路、びっくりのグラフィティを2か所、発見。
また来よう。
まさしく心臓破りの坂。
あと10年ぐらいはここまで歩けるかな。
7月2日(木)の記 台湾サウダーデ
ブラジルにて
昨日、読み上げた本のなかの一節をツイッターにアップ。
「このパイワン族の人たちの使う日本語の『悲しい』は長い間、会っていない人に対する郷愁のような感情表現でもあることがだんだんとわかってきた。」
『タイワンイノシシを追う 民族学と考古学の出会い』
野林厚志著、臨川書店。
臨川:りんせん、と読むそうだ。
人類学系の書籍が少なくないようで、ここで出している本を偶然だが2冊、並行して読んでいた。
拙著より高い、値の張る本だが、これは新刊で買ったと記憶する。
どこか大型の新刊書店で何冊かオトナ買いしたときだったのだろう。
いい悪いではなくて地味な本だが、タイトルと内容の乖離におどろく。
出版社の売るための事情があったのだろう。
五章からなる本で、最初から三章にはタイワンイノシシは出てこないどころか、出てくる気配もないのだ。
『ブラジルに日本人被爆者を追う』という本で、五章のうち三章が被爆とも広島長崎とも関係のない第二次大戦前の日本人移民のライフヒストリーだったら、あざとくはありはしないだろうか。
僕はタイワンイノシシに惹かれたわけではなく、台湾の少数民族への興味となつかしさからこの本を求めたのだけど、いち読者として指摘しておきたい。
この本で最もウエイトの置かれている蘭嶼島のイバリヌ(野銀)村は、僕の頃はイワギヌと読んでいたが、かつて僕も現地でお世話になっている。
そのあたりの体験は、流浪堂さん限定販売の冊子に書いた。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000119/20200501015265.cfm?j=1
冒頭の引用の「悲しい」の語は、ポルトガル語の「サウダーデ」とかさなるようで、ざっくり意訳すると「なつかしい」であろうか。
台湾先住民には、まさしくその思い。
この語をめぐって著者が告発している日本のテレビ番組の問題も深刻だ。
僕自身、日本でのテレビ制作という戦争犯罪の側にいたので、猛省。
タイトルのことをさておけば、台湾先住民に民族学と考古学、僕のキライではないジャンルなので刺激的で面白かった。
著者の専門とするエスノアーケオロジーの理論については、そんな僕にもむずかしいのだが。
研究者をめざさなくてよかった。
7月3日(金)の記 はじめにグラフィティありき
ブラジルにて
4月下旬から始めたサンパウロの近所のグラフィティ写真日記。
今朝、二人目のグラフィテイロ:グラフィティ作家とオンラインでつながることができた。
先方のインスタを見ると活動範囲、仕事のあゆみと拡がりがわかって面白い。
先方もそれぞれ日本文化にも関心があるようで、自分らの作品をインスタグラムにあげていくナゾのジャポネースのことを面白がってくれているようでありがたい。
今日はお好み焼き用の山芋を買うという口実もある。
午後、出征。
冬の午後のひかりはむずかしい。
グラフィティはすでに目をつけているのがいくつか買い物コース上にあるのだが、ひかりが面白くない。
歩留まりのものは撮って、あらぬ方向に歩いていく。
いくつか撮るが、逆光だったり、絵そのものがさえなかったり。
さらに深みに…
中クラスの住宅街はイヌが吠えたり、たまに車が通るぐらい。
ふつうにブラジルのコロナ惨状のニュースに接していれば、人々がむやみに出歩かないようにしているのがうかがえる。
ヤマイモのほかにウインナーソーセージ1キロ、安物の国産ウオッカ等々も買っているので荷も重い。
これ以上の深歩きは危ない。
おっと、あれは。
冬の午後の弱陽に輝く壁は。
https://www.instagram.com/p/CCMOTeAAvG0/
逸品と出会う。
現場には長居をしないのが常。
帰宅後、何度となく写真を見返している。
これはいい。
7月4日(土)の記 アンデスの聖人転換
ブラジルにて
地味な本だが、僕にはけっこう面白く読めた。
先日、書いた『タイワンイノシシを追う』と同じ臨川(りんせん)書店発行の『アンデスの聖人信仰 人の移動が織りなす文化のダイナミズム』、八木百合子さん著。
『タイワンイノシシ…』は税抜き2000円の価格でオトナ買いしたと書いたが、こちらは税抜き3600円!
しかも新刊で買っていて、われながら思い切ったものだ。
かといって日本のヘタな飲み会に突っ込めば、これ以上の割り勘+コロナウイルスということになろう。
『タイワンイノシシ…』は研究者である筆者が全面に出て、そこまで書いていいのかな、とニンマリさせる記載が面白かった。
この『アンデスの…』はいかにも博士論文そのもので、そうしたアソビがない。
一度、読み始めてそのままにしていただけのことはある。
ペルーのアンデス山脈寄りの山村で、村の守護聖人がアスンタの聖母からペルーの守護聖人である聖ロサに移行していくプロセスを論証していく。
その背景には村人たちが職を求めて、あるいはテロから逃れて首都リマ周辺に居住していくダイナミックな、そして一方向だけではない動きがあった。
「あとがき」にもあるように、はやりの「消滅の語り」ではない、そしてマスコミ受けカトリック受けを狙うのではない、まさしくダイナミズムを感じることができた。
想えば僕のはじめての南米体験は、西暦1983年のペルー取材である。
「砂漠の生物」がテーマであり、当時はカトリックも日系人も関心外だったなあ。
その後、ペルーは行きそびれたまま。
おっと、アマゾンの国境地帯で「手だけ」密入国したことがあったっけ。
ブラジルとペルーの国境をなすアマゾン支流をモーターボートで移動中のこと。
給油のため、川べりにあるガソリンスタンドに停泊することになり、そこにあった支柱を僕がつかんでボートを固定させた。
その支柱はペルー側だったというわけ。
7月5日(日)の記 野外美術館都市をあるく
ブラジルにて
午前中、日曜開催の路上市へ。
魚屋で2キロ近いアジを買う。
邦貨にして800円弱。
おろしてもらう間、グラフィティ採集をもくろむ。
市のはずれの、撮影候補にしていた作品のところには、おばちゃんが座り込んでいる。
ややこしくなると人目について、物盗りも心配である。
これは後日にするか。
アヴェニーダを渡って、グラフィティ採集を始めてから歩いていない道を行く。
歩留まりのものを見つけて撮影。
せっかくだからもう少し回ってみよう。
うむ、この先にある地下鉄の隣駅の裏の殺風景なあたりにはグラフィティがあった気がする。
ひと気がない一帯で、強盗に目をつけられたらマズいが。
グラフィティはあるはあるが、かつての日本の暴走族の「なんとか参上」を思わせるような、まさしく落書きばかりだ。
なおも歩くと…
うわ、これはなんだ!
https://www.instagram.com/p/CCQ0hL-g-UV/
日本画家の千住博さんの夜光塗料を用いた滝の絵を思い出した。
恐竜の骨格か?
先史岩面画の研究では、動物の体内をも描いたともみられる岩絵を透視画法と呼んだと記憶する。
わがブラジルのピアウイ州でも看取するが、オーストリアによくみられるようだ。
さてこの絵は、右側はイエスの横顔にも見える。
恐竜か、鳥類か、はたまた。
場所が場所なだけに、じっくりと鑑賞できないのが残念。
それにしてもこの町、歩きこめば確実にグラフィティの傑作に出会えるのがすごい。
しかも、思いもよらぬ逸品に。
7月6日(月)の記 木蔭の妊婦
ブラジルにて
さあ月曜だ、一日断食をしよう。
午後から所用で車を繰る。
いまだコロナ被害のピークがだらだら続いている感があるが、サンパウロ市内の活動は今日からいちだんとコロナ前に近づいた。
車の車検とその前の洗車、散髪など、そろそろ済ませたいが…
感染ピーク時に飛んで火にいる夏の虫、となってもシャレにならない。
ほう、日中からマスクなしスッピンの立ちんぼが複数。
さて、せっかくだから外出時の日課としているグラフィティのスマホ撮りをしたい。
最初の候補地には、おじさんが座り込んでいる。
往路はサンパウロ大学構内を抜けるショートカットをアプリが示す。
そのつもりになるが、右折時に右側の車に邪魔をされて断念。
いつものスラム経由にするか。
壁一面にグラフィティが描かれるが、治安も交通事情も好ましくない道で、いつもより状況がよさそうで停車。
午後は壁側は逆光になってしまうのだが、今日は薄曇りでなんとかなりそうだ。
絵のほうは、女体のモチーフがつづくあたりの向かい。
おや、木蔭になるが妊婦が描かれているではないか。
車の波の合間に道を渡る。
撮りようは、ありそうだ。
https://www.instagram.com/p/CCT_1WgA2LE/
これは、いい。
かなりの絵ぢからを感ず。
長居は禁物、きょろきょろちゃっちゃっと。
ちょうど在日本の臨月を迎えているアーチストと交信していたところ。
彼女も懐妊とともに縄文土偶が身近になったと連絡をくれていた。
想えば妊婦の表現としては、世界的歴史的に日本の縄文時代の土偶が傑出しているだろう。
キリスト教芸術では受胎告知図はおなじみだが、懐妊がみてとれる図像となると…
ブラジルのカトリック教会で見た身ごもれる聖母像ぐらいしか思い浮かばない。
妊婦画にそえられているポルトガル語のフレーズは、ブラジルを代表するミュージシャン、シコ・ブアルケの曲の一節だと連れが教えてくれた。
日本のグラフィティで日本の歌謡曲なりフォークなり演歌なり民謡なりの一説がそえられるケースがあるだろうか。
国民で共有するうたを持つブラジル人がうらやましい。
7月7日(火)の記 コラージュのグラフィティ
ブラジルにて
グラフィティのコラージュではない、コラージュのグラフィティだ。
https://www.instagram.com/p/CCV9tmogcLG/
午前中に、急坂あり・片道約2000歩の下の幹線道路の角にある大型青果スーパーの方に行ってみる。
ぜひ撮って紹介したいグラフィティがいくつかある。
おや、先回は午後に行って日陰になっていたので午前中に出直したのだが、お目当てのものは日陰になっている。
もう一点はまだらの木陰になってしまい、絵そのものが吟味できない。
いやはや。
近くを彷徨するか。
お。
低みにバナナの樹が。
なんと小河川、暗渠化されていないのが流れているではないか!
顕著なスラム沿いにあるドブ川のような悪臭もなく、ゴミの山もみられない。
これは驚きだ。
ほど近い幹線道路はチエテ川の支流イピランガ川沿いにつくられたもので、そこに注いでいるのだろう。
わが故郷目黒の谷戸前川の記憶がよみがえる。
故郷にはバナナの樹はなく、半世紀近く前に暗渠化されてしまったけれども。
急勾配をのぼって…
これも木漏れ日でまだらになっているが、これでいくか。
印刷物の写真をコラージュして貼りつめたグラフィティだ。
ちょっと見ると町内の掲示板かとみまがう。
写真は世界各地の建造物が中心のようだ。
こちらが不審者扱いされるか、不審者に襲われるリスクがあるので長居はできない。
いまだコロナ外出規制は全面解除したわけではない。
日中、住宅地を歩いていてすれ違うのはイヌの散歩、路上生活者、バイク便ぐらいだ。
ちょうど日本のコラージュ作家のスミカヤさんの、2年前のコラージュ作品の写真がスマホ写真整理で目についたところ。
わが敬愛の富山妙子さんもコラージュをもこなし、僕も『富山妙子素描 コラージュを編む』という短編をまとめている。
今日のコラージュのグラフィティには作者の名前とみられる書き込みがあるので、あとで調べてみよう。
7月8日(水)の記 ブーバの恋人
ブラジルにて
昨晩、通しで鑑賞した写真集の作家について調べてみる。
Edouard Boubat という写真家で、フランスのPHOTO POCHEシリーズの一冊。
恥ずかしながら未知の写真家だったが、このポケットブックと学芸大学の流浪堂さんで出会った。
見どころたっぷりの流浪堂さんだが、とくに写真集と美術本の刻々と変化するラインナップが蠱惑的。
さて、フランス語系らしい名前の読みと日本語表記がわからない。
調べてみると、エドゥアール・ブーバと表記されていた。
おや、日本では写真集が刊行されていないどころか、そもそもあまり知られていないようだ。
このブーバの写真には何度も息を呑んだ。
まずは冒頭のLellaという西暦1947年の女性の写真に感動。
僕がヘンタイなのかとも思ったが、日本語のウエブサイトでもこの写真と女性に言及されていて、なにやらホッとする。
ブラジル、メキシコ、中国…
この本にはないが、日本を撮ったものもあるようだ。
ブーバの写真は、こりゃあかなわない、と感じるよりも、この瞬間なら僕にも出会えて撮れる可能性があるかも、と思わせてくれる。
他人に、ここまで向き合って、踏み込んで、カメラとレンズという武器を向けなければならないのか、という思わせることがなく、安心してみていられるのだ。
それにしても写真家でもアーチストでも、世界的に知られていて日本ではほとんど知られていない人が少なくないことをブラジルに移住してから痛感している。
インターネット、ボーダレスの時代などと言われて久しいが、日本の鎖国指向は江戸時代以来なのか、リバイバルなのか。
コロナ対策で、あらためてそのことがあぶり出されそうだ。
まず僕は家族ともにブラジルで生き抜こう。
そうそう、身近なグラフィティのスナップもあまり無理しないで撮っていこうか。
7月9日(木)の記 カレーなる一族
ブラジルにて
サンパウロでのコロナ巣ごもり中に着手した、昔のライトエッセイ「住めばブラジル」の取り込み作業。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000259/index2.cfm?j=1
そろそろ次のを準備しないと、と思ってデータをチェックすると「サンパウロのカレー事情」だった。
その時に取り上げた日本人の若い人が開けたカレー店はなくなって久しい。
フェイスブックやツイッターでも拙稿を紹介する手前、あらたな画像がほしい。
さあどうするか。
わが家の近くに数年前にオープンしたラーメン屋がいつのまにかカレー屋になっているのは街歩きの際に把握していた。
ラーメン屋時代に家族で行っているのだが…
器が面白かったが、ラーメン向きではなかった。
味噌ラーメンは頼んでみると、写真に載っている具が見当たらない。
カラアゲは、わが家の方がずっとおいしい。
ラーメンそのものも、わが家の方が…
そんな調子でリピートすることもなかったのだが。
さてカレー屋になってからのメニューと値段の書かれたチラシを持ってきた。
値段はブラジルのそこいらの定食より高い。
味も、あのラーメン屋のつくるものでは期待できない…
拙稿の写真の方も、このメニューの写真でお茶を濁す手もある。
が、なかなかそういうことができず…
今日、昼に思い切ってテイクアウトしてみることにした。
店の名は、Master Curry。
ラーメン屋時代の名前は憶えていない。
さてマスターカレーだが、金額もテイクアウトだと2割近い安いと知る。
このコロナ時期でもあり、すでに市内のレストランは定員制限でオープンし始めているものの、店には誰もいない。
マスクにフェイスガードの日系のおじさんがアテンド、15分ぐらいかかるという。
その間、外出時恒例としているグラフィティのスナップ撮りと、スーパーでの買い物。
カレー屋に戻って、店内の壁の写真などを撮らせてもらう。
いったん出るが、オンラインにアップの手前、写真に撮らせてもらったおじさんの名前、日系何世かなどを聞いておかねばと反省、また戻る。
そもそも前のラーメン屋とは関係がなく、オーナー系シェフは日本人一世だからぜひ会ったらいい、と調理場に案内されて。
大滝さんというオーナーとは向こうも仕事中でお互いマスクでもあるので話は控えめにするが、手ごたえのある人だ。
在ブラジル20年以上、フード、イベント関係の仕事を続けてきた由。
あらためてお話をうかがいたいものだ。
https://www.facebook.com/mastercurryjk/
帰宅後、まずはカレー弁当の写真撮り。
食べ物の写真はそれなりにむずかしいというプロの言葉を痛感。
味は、うまい!
とろみのなかに、肉、野菜、フルーツ、香辛料のうまみがよく溶け込んでいる。
この味のカレーが徒歩圏で、この値段でいただけるとは。
ホームワーク中で、日本式のカレーではないとNGなわが子も「『すき屋』よりおいしい」とコメント。
日本語で考える人のつくるのが日本料理、とはグルメでもある日本画家の千住博さんの論。
それをあらためてかみしめる。
うまい日本式カレーが食べられるぞ。
今日は外仕事だった家族がふたり帰ってきて、このカレーの話をすると両者とも「食べたい!」と叫ぶ。
わが家、そしてMaster Curryのオープンしたサウーデ地区は日系人の数は多いが、日本語で考えている人となると、いまやその十分の一にもならないだろう。
ほんのささやかながら、食べて応援!
7月10日(金)の記 犬殺し猫殺し
ブラジルにて
「乱世にはくだものは育たない。これほどの時代でも、どこの国でも、どんな果樹でも同様だ。くだものは平和の象徴なのである。」
(『梨の来た道』米山寛一さん著、鳥取二十世紀梨記念館発売)
鳥取倉吉の上映でお世話になった時に。
クルマでの移動中のトイレ休憩で立ち寄った、鳥取二十世紀梨記念館の売店で買った本。
コロナ巣ごもりがなければ、「積ん読」に終わった可能性、大。
これが面白かった。
知らないこと、意外なことばかり。
「犬殺し」「猫殺し」は九州にあるナシの名前。
「ババ殺し」というのもある由。
それだけ巨粒で、落下直撃されたら犬猫ババなら逝ってしまうとか。
中国のナシの品種は、1000種を超えるという。
彼の地には幹まわり4メートルという巨木、樹齢300~500年という古木もあるとか。
あれ、ナシって日本原産じゃなかったっけか、と最初かすかに思ってしまった。
そのあたりについても恐ろしい言及があった。
日本のナシ分類学の権威は「日本在来のナシは中国系である」という渡来説をとなえてきた。
ところが日米開戦を迎える西暦1941年に日本固有説に変わったという。
昨今の「日本スゴイ」とも重なるような気配だ。
日本に閉じこもって日本のナシだけ食べて、日本固有、日本スゴイというのは、まさしく井のなかの蛙である。
愛しの鳥取をナシ大県にのしあげた二十世紀梨は、千葉は松戸のゴミ捨て場が起源というのも素敵な話だ。
かたや日本ナシのもう一つの雄、長十郎は神奈川の川崎の産とな。
江戸をはさんだこの2地点からナシの革命が起こるのはむべなること、と本書は分析する。
わが、ささやかなナシ体験はこの際、省略。
いまやブラジルで数種類の洋ナシを味わうことができる。
最近の日本ナシや、中国や韓国の絶品だというナシを知らないコロナ大国のカワズになってしまった。
そしてわたくし自身が、いまや用ナシか。
7月11日(土)の記 わたしのカレーは日本式
ブラジルにて
苦しいタイトルである。
「わたしの彼は左利き」という歌をご存じの方が、通じる方がどれくらいいることだろうか。
わが家でのカレー伝道の効果。
今日の昼は近所の Master Curry で4人分をテイクアウト。
わが子二人でピックアップに。
さてさて。
全員より好評。
ほっ。
唐揚げ付きのも頼んだが、及第点。
近所のずばりニッケイという名のレストランのカラアゲはいただけなかった。
ちょうどツイッターでこんなのが流れてくる。
カレー哲学たん(करी टेछगाक)
@philosophycurry
· 7月11日
人間がカレー作ってるんじゃなくて、カレーが人間を利用して繁殖していると考えた方が合点がいくお店の大滝マスターにいろいろうかがえる状況はいつになるかな。
7月12日(日)の記 春の魚ブラジルにて日曜の路上市の魚屋で、サワラ(鰆)をすすめられる。
2キロ近いが、買うか。
さあ、なににしよう。
刺身がだめな家族もいる。
アラは、潮汁にするとして。
切身を塩コショウニンニクで味付けして、小麦粉まぶしのソテーにするか。
さらに刺身を喜ぶ家族のために、大根とキュウリのツマもおろして。
その残りを先回の味噌と酒かすでつくった床に漬けて。
手製の塩レモンが残っている。
アラ汁はすでに猫足昆布とともに煮てしまっているが、塩レモン味にしてみよう。
しおれてきたセロリも使いたい。
葉っぱと先っぽの方を投入。
塩レモンとセロリの葉で、まるで別の味の世界が開けた。
これらは夕食。
路上市で内陸ミナスジェライス州の産物を売る小店がある。
ミナスはブラジルの地酒カシャッサの逸品で知られる。
値段を聞いてみると、安いのでひと瓶35レアイス、邦貨にして700円程度。
工業生産の安物のカシャッサの3倍近い値段だ。
それでも空港でも売られるような銘酒になると、この10倍ぐらいになる。
思い切って買ってみる。
おばさん曰く「あたしの出身地の産よ」。
ミナスも相当広いのだが、こういう郷土愛がいい。
ほう、コルク栓か。
昼にさっそく試飲。
うまい。
サトウキビの蒸留酒だが、サトウキビの甘みを抜いたエッセンスの凝縮を感ず。
工業生産のカシャッサは、ご丁寧にも砂糖を加えているのだ。
久しぶりにおいしいピンガ:カシャッサを飲んだ。
カイピリーニャのようなカクテルにしたらもったいない。
ライム片と氷でいただく。
おばさんのところのコーヒーとチーズも買ってみよう。
7月13日(月)の記 テレビへのむかつきブラジルにていやはや、なかなかモノが処分できない。
もう何十年と目もくれていない書類群、ばっさり捨ててもよさそうなものだが。
僕がブラジルに移住してから、朝日ニュースター(衛星チャンネル)の番組『フリーゾーン2000』に活路を見出すぐらいまでの時期のファックスや手紙、資料類。
主に日本のテレビメディア相手だ。
すっかり忘れていたが、思い出すとまず吐き気、そして憤りがよみがえってくる。
だいぶデタラメな仕打ちをあちこちから受けていたものだ。
そんな連中に関わってしまった己の不徳。
だが、それだけで済ませてはいけない、犯罪行為に加担させられそうな事態もしばしばだった。
これはバブルでイケイケの当時の日本のテレビ界だったからか?
今日も日本のノンフィクションを銘打つ民放の番組の「過剰演出」、あるいはヤラセの告発記事が。
僕自身、今年になってから日本の公共放送の、僕の映像を用いた事実捏造にあやうく巻き込まれるところだった。
それを拒んだため、長年の人間関係は破壊された。
しかし、それでも守らなければならないものが守ったつもりだ。
テレビみるバカ、でるバカ、つくるバカ、とはよく言ったものだ。
僕自身もいわばBC級戦犯だとネット上で告解したところ、面識のない御仁から、そんな犯罪者は日本に入国できないようにしてやる、と罵詈雑言を浴びせられたっけ。
その御仁らのもくろむ、僕にとっては狂気そのもののイベントに僕が疑問を呈したからだ。
いまや、おかげさまで晴れて日本に入国できない状態になりました。
それにしても、こうした膿みを抱えたままでは、先が思いやられるばかり。
さて、自分のことをしよう。
7月14日(火)の記 しのびよるコロナウイルスブラジルにてさあ今日も断食をするか。
先週から、ちょうど7年前に録画した画家の富山妙子さんとの対話の書きおこしをはじめた。
堂々2時間半近く。
音声以外の映像内容についても書き、会話の間(ま)、「ええと」「あの」や「てにをは」にもこだわって繰り返し再生修正して文字に起こしている。
ナメクジの匍匐のスピード。
まあ、とりあえずできるうちに着手しておく。
これを資料として学生さんや業者に文字起こしを、という計画もあった。
しかし、やはりこれは他人任せにはできない、と「写経」をしながら痛感。
夕方、身近でCOVID-19の感染発病者が発生したとの報告。
非常態勢に入る。
今晩のテレビニュースによると、ブラジル国内でこの一日に1300人あまり、サンパウロ州だけで400人あまりのコロナ感染死者が生じている。
そんな昨今、日本のブラジル関係者から、こっちを逆なでするような提言をいただいた。
斬り返そうと思ったが、ぐっとこらえる。
返しても通じない相手と見た。
彼につけるクスリは僕にはなさそうだ。
無駄は、省かないと。
7月15日(水)の記 ブラジリアンから朝鮮へブラジルにてネットにて、日本発信のこんなニュースをのぞいてみる。
「スーパーで購入したバナナに毒クモが混入 世界で最も毒の強いクモの恐れ(英)」
https://article.yahoo.co.jp/detail/70273ecc0989585fd001c6eeee09fb198a11f441 「毒クモ」とあるが「毒グモ」ではなかろうか。
イギリスのスーパーで、クモとその卵がバナナに付着していたというクレームが複数あった。
専門家は、世界で最も強い毒を持つクモの可能性があると指摘している由。
このバナナは中米コスタリカ産とのことで、記事ではそのクモにはクロドクシボグモという和名があてられていた。
語の構成の気になる言葉だ。
そしてマルがっこ付きで「ブラジリアン・ワンダリング・スパイダー」とあるではないか。
ブラジリアンではじまる言葉ですぐ思い出すのは、ブラジリアン柔術か。
ブラジリアン・ワンダリングというのもいい。
これからは英語の肩書はブラジリアン・ワンダリング・ドキュメンタリストを標榜しようか。
そのなかまがコスタリカにも生息して英名ではブラジリアンと呼ばれているわけだ。
コスタリカ産でブラジリアンといわれても、アメリカ人のボボ・ブラジルみたいなイメージ戦略のブラジルだろうか。
調べてみると、ブラジルではArmadilha:ワナ、と呼ばれるクモだ。
バイーア州が本場なので、生物の方ではアマゾンやサンパウロで接している僕には、なじみがないわけだ。
さて、クロドクシボグモ、どう区切って読むか。
日本語で検索すると、そもそもクロドクシボグモには少なからぬファンがいることがわかった。
黒と毒はわかるが、シボグモとは、シボとはなにか。
「思慕」するクモ?
さらに検索は続く。
あった。
「『シボ』とは、染色の技法で布を絞り染めするさいにできるシワ状の細かな模様。」
https://note.com/hikari_book/n/ncd962ce5b652 なんともオツな和名ではないか。
かたや和名には「クソ」や「イヌ」「フグリ」といったものも少なくない。
「チョウセン」というのはどうだろう。
思いつくままに「チョウセンアザミ」を調べてみると、地中海沿岸原産の由。
「チョウセンアサガオ」は南アジア原産で、日本語のウイキペディアにも朝鮮半島原産という意味は持たない、とある。
それなら朝鮮半島経由で移入されたのか?
ウイキはさらに教えてくれた。
「『在来種、日本のものによく似ているが少し違う』という意味での命名である。」
これは近代以降の日本人の朝鮮観を検討するうえで、大きなポイントではないだろうか。
チョウセンアサガオについては別のサイトにこんな記載があった。
「チョウセンについての語源は不明です。おそらく花の印象が日本的ではなく,渡来植物ということから朝鮮と表現したのでしょう。」
https://www.pharm.or.jp/herb/lfx-index-YM-200708.htm 日本の識者が当然、研究していそうな問題だが、ざっとネットでみたところ、とくに見当たらなそうだ。
ブラジルで日本のサイトにアクセス、イギリスの事件からコスタリカ、さらにブラジルへ、そして朝鮮と日本。
だいぶマイレージは稼げたかな。
7月16日(木)の記 ブレイクファーストブラジルにて月曜から三日間、断食をしてしまった。
まだできそうだが、やめろとの声もあり。
諸般を考えて、ここまでとしましょう。
朝は家族の昨晩の残りのスープ。
昼はおかゆ。
日本でいただいた岡山産麦湯の出し殻を入れた。
特に家族に風邪、コロナをうかがわせる症状はなし。
今日はわが家では必要とみなされる用事があり、外出買い物。
近場でグラフィティを撮影。
https://www.instagram.com/p/CCtKGCVAYVJ/ 「ノーモア軍事クーデター」と書かれている。
こうしたプロテストのグラフィティを日本で見たっけな。
…大学時代のタテカンがあったな。
7月17日(金)の記 消えた一日ブラジルにてサンパウロでのコロナ禍巣ごもりが定着してから、前日のウエブ日記を朝食後におこすのが日課となった。
はて、数日前から曜日がくるっていることに気づいた。
カレンダーと照らし合わせてみるが、いつから間違えたのがわからない。
むむ、なんと先週の土曜の項がないではないか。
ワタクシとしたことが。
とにかくまず曜日を修正。
先週の土曜の記憶を、前後に発信したメッセージや家族に尋ねて再現。
カレー話で書いておくこととする。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000257/20200711015432.cfm?j=1 今日では茨城の神立で外国系児童のまなび舎を営む畏友の櫻田博さんのご厚意で、このウエブ日記を始めたのが西暦2004年2月。
16年と半年前だ。
いらい、更新の遅れはしばしばだったが一日も書き洩らしていない、つもりだ。
コロナ禍巣ごもりでメリハリのない日々が続き、なにより今週は三日間の断食を行なったため、よけい身心が混乱したようだ。
なんとか失われた一日を再現、さらに前日分を書き上げて。
必需品の買い物と、グラフィティのスナップ採りをして戻ると、もうお昼ではないか。
職場の同僚のコロナ発病で落ち込んでいる家族を「食べさせて応援」。
家族の好物をつくろう。
7月18日(土)の記 おからとおかむらブラジルにて3月末にブラジルに戻ってから、どれぐらいの本を読んだだろう。
もっとも衝撃的だったのは、藤崎康夫さん著の『棄民 日朝のゆがめられた歴史のなかで』(1972年)だ。
大日本帝国が大韓帝国を併合したのち「内鮮一体」という政策がすすめられた。
具体的には朝鮮半島出身者の男性と日本内地の女性の結婚である。
そして日本の敗戦後、朝鮮半島に残った女性がどんなことになっているかを訪ねたルポルタージュである。
悲惨、のひとことである。
ソウルの橋の下から僻地の山村の仮屋まで。
今日のブラジルのファヴェーラ(住まい)が豪華に思える。
まさしく自分たちをそそのかした日本政府によって捨て去られて、大日本帝国が植民地時代に朝鮮半島の人々におかした非道の数々への恨みつらみをひとえに浴びせられ続けるのだ。
こう書いてくると、だいぶ気が引けてきてしまったが…
その韓国残留の日本妻と家族が、かろうじて食べているのがオカラまじりのお粥だという記載がいくつも出てくる。
韓国でもオカラを食べるというのが新鮮な驚きだった。
考えれば韓国料理に豆腐も用いられるから、オカラも当然あるわけだ。
寡聞にして日本では貧困の象徴としての、そしてそもそもオカラを粥にするというのを聞いたことを思い出せない。
さて、いろいろはしょろう。
サンパウロの我が家の近くの日本食材店で、ときどきオカラが置かれている。
これが、タダなのだ。
さすがにそれだけもらってくるわけにはいかず、ほかに2品ぐらいはカッコつけて買うのだが。
そもそもこれはない日の方が多い。
最近はコロナ問題での人数制限のため、この店にも入店待ちの列ができるようになった。
オカラ狙いも楽ではなく、ハズレもしばしば。
さあオカラも伝統的な「卯の花」にはじまり、アラブ風の「フムス」までいろいろアレンジしてきた。
日本のツイッターで話題となっているポテトサラダ風に今宵もチャレンジ。
今回はゆで卵も刻んで入れる。
しかも有精卵。
ちょっと日にちの経った自家製ヨーグルトと。
オリーブオイルも多めに。
絶品に近い味わいとなった。
ダイナミックな価値観の変換の、ささいな練習問題。
そして祖国に捨てられた亡き同胞たちへのささやかなはなむけにできれば。
あなたがたの価値にこそ、あやからさせていただきたく。
山村のいわゆる粗食が長寿の要因となったという日本は山梨の棡原(ゆずりはら)村のことを久しぶりに想い出す。
7月19日(日)の記 グラフィティとの相性ブラジルにて冬の好天。
わが団地の中庭には、かなりの数のお年寄りたちが出ている。
日向ぼっこ、散歩、軽い運動。
ぐるりが柵で囲まれているので、ここなら市内定番の強盗の心配もない。
日曜の路上市に買い出し。
魚は、おすすめのブリにする。
おろしてもらう間に、恒例のグラフィティ採集。
ここのところ日曜は大通りの西側にくだってみて、収穫をあげている。
その一帯の踏査していない道をいこう。
ほう、日本の県人会の建物がある。
わかりづらいところだったが、ここだったか。
さらに歩く。
ああ、下の大通りまで来てしまった。
このあたりは路上生活の人がいて、スラム系もあり、ふつうにヤバい。
この通りそのものがかつては河川だったようで、どうやらそれに注ぐ支流が暗渠化されたらしい小径がある。
この小径が僕が象形文字系と名付けたグラフィティの回廊になっているではないか。
https://www.instagram.com/p/CC06idRgNYu/ 大通りと交差するあたりにさっそく傑作があるが、ゴミに覆われている。
南米奥地の岩絵遺跡をほうふつさせる。
ひと気がないのがかえって不気味だ。
そそくさと写真を撮り、暗渠には深入りせずに日の当たる、ひと気のする方へと向かう。
サンパウロでグラフィティのあるところ…
ゴミ捨て場化している。
路上生活者がいる。
路上売春婦が近くで営業している。
スラムが近い。
一般市民が目をそむけるところばかりだ。
そこに最前線のアートがある。
おたかい美術館とは真逆のところに。
7月20日(月)の記 ウイルスと免疫ブラジルにていまどき、このように呼ぶのもみかけなくなってきたが「コンピューターウイルス」とはよく言ったものだ。
ここのところ、在日本の人からフェイスブックのメッセンジャーで動画ファイルとして送られてくるのが多い。
僕は何年か前にやられて、まだパソコンにではなく僕自身の「免疫」が機能しているので防いでいる。
僕が開けてしまったのはスペイン語件名の動画ファイルで、送付者が日本で中南米出身者の支援をしている人だったので、つい…
自然界のウイルスが進化変化を遂げていくことは知られるが、オンライン上のものもしかり。
ウイルス動画の件名は英語になり、最近は日本語に変化をしている。
想えば、今回のコロナ禍とともに日本から生じたブックカバーのチェーンだかリレーだかもウイルスに似ている。
自分のお気に入りの本のブックカバー7冊の画像をあげられたし、というもの。
複数の人から僕も指名をいただいたが、こうしたことは他人に言われたり、ブームでするものではないという思いがあるので失礼させてもらった。
人間関係につけこんで繁殖させようとするシステムがいやらしい、と思う。
このブックなんとかもゆるいルールがあるのだが、個々人がそれをスルーしてアレンジして、なおも拡散させていくのが「本家」のウイルスに似ていて面白かった。
これの亜流で自分の子供の頃の写真を何枚かアップすること、それに「いいね」を知らずに押したらその人もこれをすること、というのもあった。
さる知人の幼少時代の写真に、まあ礼儀で「いいね」を押したらさっそく「拡散の掟」が送られてきた。
異国住まいで古い写真はないので、という理由で失礼した。
これも人間関係につけこんでイヤラシイと思う。
幼少写真ウイルスはブックカバーよりだいぶ流行は少なめだったようだ。
さすがにブックカバーウイルスもここのところ流れてこなくなった。
ウイルスには流行がある。
いずれ途絶えていく、だろうという見通しを教わる。
7月21日(火)の記 かきおこしのあいまにブラジルにて「文字におこされた対談はその場の何かが欠けている。」
『高橋悠治 対談集』(筑摩書房)の小沼純一さんの解説より。
この指摘は考えてみればもっともなことなのだが、ほとんどの読者はこんなことまで考慮して対談ものを読まないことだろう。
自分で動画の音声を書き起こしてみると、つくづくしみじみわかるというもの。
ただ情報だけ抜き取るなら、しかも話者への愛情も関心もなければ、いわゆるテープおこしはオキラクだろう。
が、こちらはそうもいかない。
そんな作業につっこんで半月あまり。
話者の富山妙子さんの40年来の仲間である音楽家の高橋悠治さんの対談集を読みかけだったのを発掘した。
はさんであるシオリは読みかけ時分の記憶の再生に有効だが、この本のシオリはまるで記憶がない。
日本で読みかけてブラジルに持参してそのまま、あるいはブラジルで読みかけて途中で訪日してそのまま、といった本や資料が累々。
それをあれこれ読み返し始めて、という本がだいぶ増えてきた。
夜のニュースで、ブラジルの新たな24時間のコロナ感染死者数は1300人以上とのこと。
まだまだ先は長そうだ。
他の作業もあるので書き起こしはいつまで続けるかわからないが、読むべき本は読み進めないと。
7月22日(水)の記 さようならカスピ海ブラジルにて在日本の友人夫妻からいただいたヨーグルトメーカーは、まことに重宝している。
ヨーグルトはもちろん、納豆から甘酒まで。
納豆は大豆を軟らかく煮るのと、ひとりでぜんぶ消費するのがだるいけど。
わが家族は納豆を好まないので…
ヨーグルトもつくるとなると一回に1リットルで、だんだん食べ飽きてくる。
しかしこれも、時期が過ぎてきたものをオカラサラダやアボガドのワカモレに投入するという知恵がついてきた。
こちらで市販されているヨーグルトを種菌にして、何代か使っている。
連れ合いの実家でもらったカスピ海ヨーグルトもつくってみたが、これは通常ヨーグルトの数倍の時間(といっても24時間とか)がかかる。
味もカスピ海のねっとり風味は、あまり好きになれない。
このカスピ海ヨーグルトの種菌を長いこと冷凍したままだった。
少しはこれも回さなければ、とまずは解凍。
昨晩、遅くに容器を熱湯消毒してからオン。
摂氏27度に設定して、待つこと24時間、か。
10時間、12時間経っても粘りの気配なし。
後半にいっきに追い上げるのかな。
20時間でも変化がうかがえず。
うーむ。生乳を長時間、室温に放置しているのと同じになってしまう。
いためたら、もったいない。
ネットで調べる。
「カスピ海ヨーグルト」「失敗」「冷凍」あたりをキーワードに。
ふーむ、種菌を冷凍にした場合のリミットはひと月程度か。
カスピ海ヨーグルトをこさえたのはいつだったか思い出せないが、コロナ制限令より前だったろう。
すると訪日もあって少なくとも4か月は経過している。
急きょ通常ヨーグルトの種菌を解凍して、加えてみるか。
7月23日(木)の記 あとのまつりブラジルにて「あとのまつり」の語を検索すると、否定的な表現に使われて「時期に間に合わず、手遅れなこと」の意の由。
語源的には京都の祇園会の「後の祭り」が「前の祭り」に比べて地味なこと、あるいは故人の葬儀を盛大にしてもすでに遅い、の2説があるという。
地味なまつり、けっこうではないか。
まつることそのことが本義だろう。
さて、昨日に今日と、これまでブラジルで取材でお世話になった複数の方のための用件で、一日の作業時間の半分ぐらいはかけている。
その件で昨日も今日も郵便局の列につく。
コロナ禍で人が動けず、郵便局が混雑混乱といった報に接した覚えがある。
だが昨日も今日も、平常時の数分の一ぐらいの待ち時間で済んだ。
作品完成後、何年が経とうと被写体になってくれた方々とのこうしたお付き合いをよろこびとして大切にすること、と再確認。
7月24日(金)の記 東洋人街グラフィティ踏査ブラジルにてもう金曜になったか。
またしても不都合が生じていて、サンパウロの東洋人街の日系医療機関の歯科を予約してあった。
今回、ブラジルに戻ってから公共交通を使用するのは初めて。
メトロに乗るのは、およそ4か月半ぶりか。
行きの北上線の乗車率はコロナ前の日中の半分ぐらいか。
さて、東洋人街はサンパウロのセントロ:ダウンタウンにおわす。
セントロはグラフィティのまさしくメッカだ。
インスタグラムに外出時一日一点のグラフィティのスナップ写真をあげるようになって3か月あまり。
今日は一点に絞り込むのがたいへんになりそうだ。
端から攻めよう。
サンジョアキン駅で下車。
うーむ、あるある…
が、グラフィティというよりブラジルでピシャソンと呼ばれるスプレイで文字等をかきなぐったものばかりだ。
(いま調べてみて、ポルトガル語のピシャソンはその語のまま英語のウイキペディアに使用されていることを知る。ちなみに日本語の対応ページは、なし。)
ざっとあたりをつけてから、医療機関へ。
歯科医はたしか日本にも留学した日系二世の女性だが、日本のでたらめなコロナ対策(対策があるとして)をご存じなく、かいつまんで説明。
さて、グラフィティ。
食指の動かないピシャソンばかり。
とりあえずのスナップをおさえて…
https://www.instagram.com/p/CDCLaSpATh2/ お、大鳥居の近くの壁に大クロサワの大きな肖像が!
通りを渡って観察すると、写真を拡大コピーして貼り付けたシロモノのようだ。
定義づけはわが範疇にあらずだが、これはリプレゼンテーションではあってもグラフィティには入れがたい。
そのクロサワの顔面に「落書き」がされているのが泣かせる。
チャイニーズ系の店をまわり、懸念だった豆板醤、ブラジル産塩こうじ等の食材を購入。
帰りのメトロは空席ゼロ、とっかえひっかえ物売りがやってくる。
チョコレートやら軟膏やら。
マスクこそ使用しているが、かなりの大声でがなり立てる。
今度はアンプまで持った男女のミュージシャン。
ギターとフルートの演奏が始まった。
ううむ。
フルートは相当、呼気をまき散らすだろう。
それを覚悟で、それを求めての音楽スペースならともかく。
誰かが通報したらしく、次の駅でメトロのスタッフがふたりの降車をうながした。
ほんの数時間の外出だったが、なんだか疲れた。
遅い午睡をとる。
7月25日(土)の記 とろうながしブラジルにてこちらは毎日が土日状態だが、ホンモノの土日は土日感が格別である。
やるべきことはいくらでもあるので、富山妙子さんとの対話の書き起こしはお休みにする。
ウン千枚のスマホ写真のデータの移転。
なかなか効率がよろしくなく、手間暇がかかる。
そもそもこんなデータを保存しておいて、使う時があるのだろうか?
データそのものをなくしたり、劣化消失してしまうのではないか。
他の作業もそうだが、徒労感をしばしば感ず。
生産性とは、ほど遠いのではないか?
こんなとき、思い出す光景がある。
わけあってかつて何度か通った日本の中枢にあるオフィスだ。
永田町霞が関界隈のビルの一室。
ひとつのオフィスに少なくとも二つの団体が同居していた。
僕の用事のある方ではない、もう一つの方には還暦前後ぐらいの男性が一人、デスクを使用していた。
この人の祖父は日本史の教科書に出てくる現代史のなかのキーパーソンの一人だ。
父親も閣僚を務めていた知る人ぞ知る存在。
して、この人は…
仕事は、彼の小学校だかの同窓会の幹事役だという。
それだけのためのオフィスで、業務も同窓会の設定や連絡ぐらいの由。
ふつうなら卒業後、何十年も経った小学校時代の同窓会などあるかないか、あっても数年に一回ぐらいだろうか。
およそ気の合うグループであれば年に数回、あるいは月例会でもありえようか。
それにしても、その設定だけがミッションとは。
オフィスでのこの人は、友人らしい人と親しげに電話で会話をしていたことぐらいしか記憶にない。
まあ、他人様のことは、どうでもいいといえばどうでもいい。
この世にはしなくてもいいことどころか、しないでほしいことをしまくる御仁がワンサといるではないか。
日本の場合、政治家の二世三世などが血税を食い物にして虚栄を誇り、お仲間とともに私利私欲をむさぼりつくす。
同窓会幹事の御仁の活動費の出元は知る由もないが、史上に残る悪党どもより何桁も少ない金額だろう。
細々としたオンライン作業と朝昼晩の食事の支度と買い物。
ああ、今日もたいした進展なく一日が流れた。
7月26日(日)の記 ふゆのひかりブラジルにて今日は二度、外出することになった。
午前中、路上市への買い出し。
午後から車を出すことになったので、グラフィティ採集は午後に回す。
日曜で交通量も少ないので、付近にヤバそうなのがいなかったら撮ってみよう。
先住民らしい絵をいってみるか。
すでに日陰になっているが、向かいのビルにあたった陽が反射してふしぎな効果を見せている。
https://www.instagram.com/p/CDHff0GAJGE/ 現場では瞬時の動きで吟味どころではなかったが、あとでチェックしていろいろ気づく。
7月27日(月)の記 コロナ禍にベンザブラジルにてわが家の便器のフタを取り換える必要が出てきた。
買い替えに行くのに、壊れた実物を持っていくのがよさそうだ。
どのように外すのかでまず一苦労。
そもそもフタは外せないのかと思い始めたころに、ぱかっと取れた。
わが子とクルマで買い出し。
日本でいうとホームセンターというのか、家周りのもろもろなものを商う大型店へ。
壊れたフタの持ち込みがセキュリティにひっかかる。
まあ便座の種類のあることあること。
ようやく店員を探し出して該当のものを尋ねる。
彼にもズバリのものを即答できない世界だ。
便器ごと写真をとってきてもらうのが助かるとのこと。
型番等でコントロールされていない世界か。
同様のものの値段はなかなか手ごわい。
フタだけあればいいのだが、便座も込みの販売のみである。
さて、帰宅。
買ったものはわが家のものと同系列だが、数年のうちに微妙に変化を遂げているのがわかる。
進化かどうかはともかく。
ポルトガル語の字の小さなトリセツを読むのももどかしい。
図説をざざっとみて、とりかへばや。
難航。
もとの便座のネジ部がさび付きもあり、すでにネジ山がオシャカになっているようだ。
そもそも狭い空間での作業だ。
ようやく手を入れられる程度で、肉眼視して妥当な姿勢で作業ができない。
トイレの床にあおむけになり、ようやく頭を近づけて…
とにかく難航。
ヘロヘロになったころに、思わぬかたちで解決に向かう。
いやはや、これで便座には多少、詳しくなったぞ。
日本からの日本人がブラジルのサービスエリアなどで驚くことがある。
個室の便器に便座がないことがしばしばなのだ。
それでどう用を足すかは、さておき。
なぜないのか、の問いの答えは便座をかっぱらっていく人がいるから、と聞いていた。
ブラジルでは、そんなものまでかっぱらっていくというのにリアリティを感じられなかったのだが…
便器のフタだけは買えないこと、便座はナミのものでコ一万するとなると…
少なくとも、フタは簡単に外せることがわかったし。
ブラジルの公衆トイレでは、さして掃除をしているのでもなく、こちらをうかがっているような清掃スタッフがいる。
チップ狙いかと思っていたが、備品持ち出しを監視しているのかもしれない。
おっと、移民船の備品をいろいろかっぱらっていったという戦後の日本人移民のことを思い出した。
ブラジルの日本人移民スゴイ。
7月28日(火)の記 徒歩圏のオープンギャラリーブラジルにて職場から早く帰れるように、と早朝にわが家を出た家族が間もなく戻ってきた。
メトロが動いていないのでタクシーをと思ったけど現金がないので、とのこと。
クルマを出そうかと提案するが、こちらの帰路の交通混乱を懸念してか、配車サービスで行くという。
テレビをつけると、各社の朝のニュースはこれでもちきり。
メトロはストの予定で、それは回避されたが職員の出足が遅れたといったことのようだ。
わが団地の上空間近に『地獄の黙示録』を彷彿させる爆音が。
ヘリがホバーリング中。
しばらくしてグローボ局のニュースでこのヘリからの中継が始まった。
わが家の近くのメトロの駅の状況をエアショットで紹介。
この駅は近隣の市などと結ぶバスのターミナルにもなっている。
すでに駅は開門されて人ごみは解消されつつあり、「たいしたエはとれていない」が。
ターミナル駅から「メトロ運行まで2時間半以上、人ごみのなかを待たされた」とマスク姿で訴える女性のインタビュー。
コロナ禍日本の通勤状況を思わせる映像。
いかんせん、感染が…などとヒンシュクダジャレを発している場合ではない。
さて、買い物、ウオーキングを兼ねてのグラフィティ採集…
ヤバさ漂う方面に思い切って…
まさしくスラム街が視界に入る。
このあたりは車でも立ち入らないようにしていた。
その結界ぐらいの壁に目を見張る。
一面のグラフィティ。
いちばん奥のはカエルか?
歩きながらスマホを撮影モードにして、周囲をうかがう。
その一角には人影はとりあえずないが、こちらは遠方からも目立つだろう。
物陰から複数で来られたらアウトだ。
絵の方も逸品がいくつかあるが、今日はカエルと見まがえたサルにしよう。
https://www.instagram.com/p/CDMEoV0A1Fe/ オマキザルか。
ナスカの地上絵にもオマキザルは描かれている。
こっちのはバナナを手にしているが、ナスカ文化時代にはまだ南米大陸にバナナは到来していなかっただろう。
となりの人面画も構図上、入り込んでしまいそうだ。
これもいい。メソアメリカ文化の人面像を思わせる。
ここは何度か訪れたいが、じゅうぶん気を付けないと。
自宅の徒歩圏であらたにギャラリーか小さなミュージアムを見つけたようなうれしさ。
ギャラリーやミュージアムと違って、ゆっくりまったりじっくり鑑賞、とは程遠いけど。
さあ、「肝心な」買い物がまだだ。
7月29日(水)の記 グラフィティと女性運動ブラジルにて今日はスマホのアプリの天気予報で雨マークも出ている。
窓を見ると、とりあえず曇り。
今日は必須の買い物もある。
外出時の日課となったグラフィティ探しとスナップ撮りを考慮すると、午前午後の陽あたりも考えなければならない。
が、それはなしで、曇りでもそこそこ映えそうなものを狙わねば。
すでに、いずれ撮ってインスタグラムで紹介したいと思っているものが少なくない。
買い出しルート等々も検討して…
あのコラージュにするかな。
わが家の至近の殺風景な道。
店舗も民家もなく、両側に長い壁が続き、しばらく交差している道がないので、なにかの時に逃げ場がない。
壁続きはグラフィティ関係者にはけっこうなことだが、どうもなぜかここの壁のものは道同様、殺伐とした描きなぐりばかりだ。
そのなかばぐらいに3枚ほどポスターが貼ってある。
一枚がA4程度のものを、水平をずらして三枚。
いずれもモノクロの女性の写真で、その女性の名前と肩書きが書かれている。
https://www.instagram.com/p/CDOvF2Cgjgx/ 女性運動の関係だろうか。
さてこの道は特に平日は路上駐車が列をなし、のこりの幅はクルマ一台通れるぐらいだが、両側通行で、歩行者の居場所がない。
路上生活区域でもあり、さらに壁側は雑草、ゴミ、ウンチにガラス片等々、快適な場所ではない。
まずはそそくさと撮影。
買い物を済ませて、帰宅。
スマホをチェックして、ポスターに描かれた@マークのアドレスをチェック。
@lambenditas
ほう、ポスターを用いて女性史の啓発を行なっているとな。
ここに貼られていたのは、左から、
・生物学者にしてフェミニスト
・教職者で黒人運動家
・薬剤師で婦人運動家
のブラジル人女性三人だった。
先方のインスタグラムにも、ずばりここの写真がある。
貼られて一年以上が経っていることがわかる。
やむをえず、この道を通ることのある家人はまるで気づいたことがないという。
ここに貼ることで啓発効果が望めるのであろうか。
考えてみれば、グラフィティは他人にメッセージを伝えるべく施されることが大半だろう。
それを受け止めようとすると、まさしくこちらの世界が広がっていく。
7月30日(木)の記 とりぱんのズームブラジルにて青唐辛子と ししとうの相違について、さして考えてみることもなかったな。
日本の知人から『とりぱん』というマンガの単行本シリーズをいただくようになって久しい。
作者は、とりのなん子さん。
岩手県にお住まいで、ご自宅の庭に来た野鳥の観察などを数コマ読み切りで描き続けている。
僕はこのマンガの運び屋みたいなもので、これまできちんと読んだこともなく、ブラジルの家人のお気に入りだ。
巣ごもり中に、鳥のマンガを読んでみるのも一興かもしれない。
異質の世界に、だんだん引き込まれていく。
「とって食う」
ことばかり考えて
「とって食われる」
ことを考えなく
なったモノは
いつか誰かに
退治されてしまう
気がするーー。
(『とりぱん』第20羽) 単行本のカバーには「とりぱんクッキング」というのが掲載されている。
第一巻は「いっしょ漬け」。
濃い口しょうゆと青唐辛子と米こうじが材料。
今日、立ち寄った青果店で青唐辛子かシシトウかといったものが売られていた。
店員に聞いてみると、むちゃくちゃに辛くはないが、そこそこに辛いとのことで、日本でいえば青唐辛子だろう。
わが家の冷蔵庫には、日本から担いできた米こうじの残りがあるはずだ。
つくってみよう。
冷蔵庫で10日ほど寝かせるというのがもどかしいけど。
仕上がりの想像がつかない楽しさ。
コロナ巣ごもりで、『とりぱん』を読もうとか、めんどくさそうなレシピに挑んでみようという余裕が出てきた。
今さらながら。
7月31日(金)の記 PANデミックブラジルにて昨日ぐらいから迷惑宣伝電話の攻勢に辟易している。
Bacco PAN、パン銀行というブラジルの銀行だ。
携帯電話にかかってくるのだが、表示される番号は「1000」のような大企業のものではなく、いかにも個人の番号を装っている。
アテンドすると、先方は機械の音声だ。
僕の使用しているスマホは家人の名前で登録している。
機械はその名前を告げて、あなたはその人ですかと聞いてくる。
ノーと答えると、機械はその人と話せるかと聞いてくる。
何度となくアテンドしたのでわかってきたが、さらにノーと答えると「それでは間違い電話です、ごめんなさい」と機械が答えてくる。
さっそくこの番号を着信拒否に設定すると、今度はまた違う番号からかかってくるのだ。
昨日だけで、5回以上だ。
こんな銀行、使うものかという逆宣伝を狙っているのだろうか。
今日はわが家の固定電話にもかかってくるようになった。
今宵は鉄板焼きとした。
そのため、家族で食事が始まってからも僕は立っていることが多い。
しかもキッチンドリンクで、のこりのジンを開けてしまおうとして、そこそこ酔いもまわっている。
そこに電話。
このやろー、夜までかけてくるかよと居間に向かおうとして、ジントニックのグラスを倒してしまう。
床に散らばるガラス片。
うう、不条理。