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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2020年の日記  (最終更新日 : 2020/12/01)
8月の日記 総集編 岡村淳の『近視篇』

8月の日記 総集編 岡村淳の『近視篇』 (2020/08/02) 8月1日(土)の記 ペストとラーメン
発掘作業中


ブラジルでは、奇天烈なインスタントラーメンが続々と発売される。

日系人が創設したらしいメーカーのもので「PESTO」味というのを食糧品店で見つけた。
特価で日本円にして50円程度。

今日の昼食はわが子がハンバーガーを買い出しに行った。
ちと物足りなくもあり、ペスト味のラーメンをこさえてみることにした。

最近、ブラジルで多い水少なめのレシピだ。
乾麺の重さは80グラム。
日本なら水は450~500ccだろうが、300ccで煮込む。
とろりとした少なめのスープとなる。

お味の方は…奇天烈。
グエ、まずい、とまではいかないが、僕には2度は食べなくていい味である。

ブラジルで Pesto と呼ばれるのは、日本語表記だと、ペスト・ジェノヴェーゼとなる。
祖国でもイタリア料理がそこそこポピュラーになり、ご存じの人も少なくないだろう。
バジリコに松の実、オリーブ油、パルメザン・チーズを使用し、芋虫の糞のような見た目だ。
このラーメンの記載を見ると、ホウレンソウの粉を使用、とある。

それなりに調査と研究をしてつくりだして売られているのだろうけど…
それほど自分の味覚が一般ブラジル人とずれているとは思えない。
少なからぬ消費者が珍しがって一回、買ってくれればオッケー、ぐらいにメーカーは思っているのだろうか。

少しはメーカー側に寄り添うと、全粒の小麦粉も使用してインテグラルをうたい「植物繊維豊富」と書き込まれている。
包装は明るいグリーンで、健康志向をねらったようだ。

同じメーカーの「オリエントな肉」風味ラーメンというのも買ってしまった。
これもウエブ日記のネタぐらいにはなるかもしれない。
どのあたりのオリエントだろう。


8月2日(日)の記 すまほたつ
ブラジルにて


スマホというのも、ひらがなにしてみるとオツではないか。
女児の名前にしたいくらいだ。

さて。
昨日、土曜の朝からスマホのバッテリーに異常発生。
充電をして、充電中マークが点灯しているのにバッテリー容量が減る一方なのだ。
充電器を変えたり、主電源をオフにしたり、再起動をしたり。
それでも同様。

症状を検索してみるが、バッテリーそのものの問題だろうか。
昨日は外部電源持参でなんとか外出時のグラフィティスナップ撮りはこなした。
https://www.instagram.com/p/CDW_OgqgMCX/

今朝はすでに残量1パーセント、ウルトラマンの赤信号状態で機能せず。
グラフィティ撮りはともかく、外出時にスマホ:携帯電話がないオフラインだと、落ち着かない感じ。

デジカメを持参してグラフィティを撮るというのも考えるが、スマホでのスナップ撮りという基本は変えないことにした。

バッテリーの保証書を調べると、ヤッホー12か月とな。
まだカバー期間内だ。
交換した「アイフォン王」のウエブサイトを調べると月―土のオープンで現在は午前11時から営業の由。
すでに僕の旧型には対応していないようだが、交換したバッテリーの保証期間でもある。

とにかく明日、王のところを訪ねよう。


8月3日(月)の記 復活の朝
ブラジルにて


家族の早朝出勤に合わせて、朝が早くなった。
オシャカになったスマホを往生際悪く、昨晩からまた充電ケーブルにつないでいた。
いじってみると、なんと100パーセント充電されているではないか。
動く。
不可解。

そのうちまた充電不能状態になったとみて、再起動を繰り返すと復帰したようだ。
いずれにしろ、中心街の修理オフィスにとりあえず今日は行かないでよさそう。
今日は午後の車の運転の予定も中止になった。
月曜なので、一日断食モード。

いつもより早い時間に買い物に出る。
スマホご乱心で一日ブランクができたグラフィティ採集から始める。

おや、午前中は日陰だと思っていたグラフィティに日があたっているではないか。
このグラフィティには惹かれていたが、ややこしそうな人が常にたむろしていてこれまで撮影がかなわなかった。
シュート!
https://www.instagram.com/p/CDbWmXEgyj-/

運動も兼ねて遠回りをして買い物、帰宅。
採録シナリオ作業はそこそこにして、スマホの動くうちに写真の移転作業。

ネット使用のための写真を探して、デジカメのデータも発掘してチェック。
いやはや、肝心の写真は見つからないが…
すっかり失念していたまんざらでもないものが少なくない。

データごとかっぱらわれたデジカメも複数あるし、足し算と引き算でぐちゃぐちゃ。


8月4日(火)の記 グラフィティ曼荼羅
ブラジルにて


グラフィティ曼荼羅か、曼荼羅グラフィティか。

今日も晴天。
午前中はやめにグラフィティ採集、兼買い物に出る。
買うべきものを考慮して地下鉄の南隣の駅方面へ。

日照の計算はなかなかむずかしい。
スナップ撮り候補にしていたグラフィティはべっとりとした陰のなか。
これは別の機会にまわすか。

さあどうするか。
西方面はずばりファヴェーラ:スラム街。
東方面は僕のグラフィティ計画で、ほぼティエラ・インコグニダ(地図的空白地帯)。

東へくだるか。
うむ、ニオう。
さらに奥へ。
それなりのものを収めて、さらに奥へ。
このあたりで曲がるか。

な、なんだこれは。
https://www.instagram.com/p/CDeGlbog1bT/
鮮やかな象形文字系の大作。
その文字のなかを頭蓋骨と蜘蛛の巣、そして花弁が埋め尽くしている。
メメント・モリか。
一帯で類例を見た覚えがない。

さらによく見るとポルトガル語の単語で「アート」「愛」「労働」「自由」「家族」「平和」「健康」といった単語が散りばめられている。
いいではないか。
全体をスマホに収めようとすると、路上駐車の車が何台もさえぎってしまう長さだ。
幸い、いまは向かって右手端の部分を一台が覆う程度だ。
先ほど撮影したものは後日、再訪するか。

付近をうかがいながら、ちゃちゃっと撮影。
向かいの民家のおばさん二人がこちらをうかがいながら話をしている。

泥棒の下見には見えないかもしれないが、地上げ屋の調査ぐらいには見られていそうだ。
作品のディテールは帰宅してから写真でゆっくり味わいましょう。

それにしてもこの作品、いいな。
すごい作品と才能に出会った喜び。


8月5日(水)の記 嘔吐に辟易
ブラジルにて


残り物をとりあえず冷蔵庫に突っ込んでおく日々が続き…
冷蔵庫が迷宮化してくる。
ほかの家族の手も加わるから、よけい混沌としてしまう。

使い慣れたタッパーウエア(この語を他にあらわす言葉はプラスチック製保存容器、とまどろっこしいので、あえて)が足りなくなったり。

上の奥の方にあるあれは、なんだかわかっているが、久しく動かしていない。
年末年始、一族の集まる連れ合いの実家に持ち寄るためにつくったものだ。
チーズの粕漬。
好評だったが、まだ漬け込みが足りなかった。
そのまま年明けに訪日してしまい…

先日、開けてみるとカビらしいものは生じていない。
チーズはすっかり酒粕の床に溶け込んでいた。
キッチンドリンクのつまみにおそるおそるなめてみると、必ずしも悪くない。

残った量も知れているので、昼に一気に口にしてみた。
ぐぐっ。
嘔吐感。
まずは洗面所に。
わずかながら戻す。

僕が精神的にではなく、身体的に嘔吐するのは珍しい。
すぐに思い出すのは、日本で大学に入学した時のこと。
さるサークルに入ってみて、そこの夏の合宿に参加した。
飲み過ぎとメンタルな理由で、洗面所で戻した。
思えば吐き気を催すサークルばかりだった。

昨年、こちらの日系診療機関の歯科医で口腔に矯正部品を誤って落とされた時。
吐き出すことを指示され、洗面所で喉に指を入れたが、部品は戻らず。

嘔吐は体力も消耗すると体感。
午後、少し安静にする。
読みかけの藤田紘一郎先生『腸内革命』(海竜社)のつづき。
昨年、鳥取の倉吉ブックセンターでまとめ大人無謀買いをした時の一冊。

この本、題名のノリが僕に近いものがあり。
思わぬ指摘、我が意を得たりの記載が多い。
一例をあげると…

嘔吐の次は排泄の話題です。
日本人の排泄する糞便の重量は、第二次大戦敗戦直後に比べて現在(西暦2011年初版発行)では半分以下になっているというから、驚き。


8月6日(木)の記 75年の節目
ブラジルにて


昨晩、新たに家族の職場の同僚がコロナ感染の可能性があるとの知らせ。
いやはや、あちこちから繰り返しの攻撃。
一昨日はベイルートでの爆発事故。
ブラジルのわが家で受信可能なニュース専門チャンネルは、いずれもこの事件について流し続けていた。

ブラジルとレバノン、そしてレバノン移民との関係は日本以上に古く深い。
ベイルートはこちらのハチオンだとベイルーチになるが、その名前の種なしパンのサンドイッチはポピュラー。
マスクの似合ったカルロス・ゴーンさんはブラジルのアマゾン地方の出身。

今日のこちらのラジオによると、ブラジルの市町村でレバノン系の住民のいないところはないだろうとのこと。
日系のいないところなどは、いるところより多いぐらいではないだろうか。

日本に12時間遅れで、こちらも8月6日になった。
『ブラジルの落書き』シリーズに25年前にしたためた「金魚売りと原爆報道」を補稿とともにアップした。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000258/20200805015475.cfm?j=1

さっそく予期せぬ複数の反応をいただき、驚き。


8月7日(金)の記 コロナ禍ブラジルのちいさなこと
ブラジルにて


家族サービスという言葉はいまひとつしっくりとこない。
かといって、ほかの適当な言葉が編み出せない。
今日は午前中から、まあそんなことで一日を終える。

コロナ外出制限令下のサンパウロでの、ささいなことを思い出す。
ニンニクを買う必要があった。
ちょうど外出先の交差点で、信号待ちの車に袋詰めのニンニクを売るおじさんがいたことを思い出した。

その時もおじさんはいた。
値段を聞くと、三つで10レアイス(約200円)だという。
先日、路上市で三つに数片オマケで5レアイスで買っている。
倍ではないか。
さすがに見合わせる。

その後、おじさんの立ち位置の近くのバンカと呼ばれる新聞雑誌を売るスタンドで、おじさんが売っているのと同じ袋の仕様のものが5レアイスと書かれて置いてあるのを目にした。
おじさんは僕に倍額を吹っ掛けたとみてよさそうだ。

3月以来、自宅で仕事を続けたわが子とふたりで、ねぎらいの外食。
グーグルマップで見つけた店だ。
店内飲食が可能と電話で確認しておいた。

行ってみると、広い店内に誰もいない。
調理場まで行って、奥に見えた男性に聞くと、開いているという。
奥のテラス席へ。
注文はスマホのオンラインでされたし、というシステム。

金曜の昼だが、けっきょく他には誰も来なかった。
勘定を頼むと、想定よりだいぶ高い。
そもそも基本料金がネットで見ていたのより高い。
勘定書きには金曜から週末料金、とある。

店員にただすと、自分は料理を運ぶだけで値段は知らない、オンラインで店に聞いてくれと言う。

わが子がまずネットで確認。
ネット上には月から金まで均一値段とあった。
勘定書きの方はひとりあたり10レアイス高い週末料金、さらに10パーセントのサービス料も加算されている。

オンラインでただすと、あらたに通常価格の勘定書きがきた。

コロナ禍でお互い厳しい。
そのなかでささやかでも買って応援、に吹っ掛けてこられると、少なくとも僕はあまり愉快ではない。

めったにスポーツなど見ることはない。
が、ワールドカップのブラジル戦サッカーなどを見ると…
反則はバレないようにやればオッケー。
勝てば官軍。
こういうのに慣れ親しんでいたら親も子供もどうなるかしらん、というのが毎度の感想。

それでも、いまの日本の政府よりはいいか。


8月8日(土)の記 アタマが軽くなる日
ブラジルにて


コロナ外出制限の延期が続きに続き。
かたや身近での感染者、発病者が続き。

延び延びにしていていることどもを、どうするか。
先日、歯医者は思い切って行った。

あとは…
今朝、土曜の早い時間なら、と決意して車を洗車屋に運んだ。
35~40分かかるとのこと。
平日の日中だとそう言われて1時間はかかる。

さあその間、どうするか。
まずはグラフィティのスナップ撮りだ。
このあたりの未踏査地区を歩いてみる。

土曜の9時過ぎで、もうオープンしている散髪店がある。
値段の表記があり、相場からすると安くはない。

そろそろさすがに散髪を、と思った矢先に家族の職場で陽性者が出てしまい、いま数日、見合わせていた。
徒歩圏で若者がひとりでがんばっている散髪店があり、そこに予約をしていこうと思っていた。

クルマが洗いあがるまで、まだそこそこの時間がある。
その間、大通りで3軒の散髪店が目に入る。
最初の店はガラス戸もない開放型だ。
値が張るといってもカットのみは45レアイス、邦貨にして約900円。
思い切る。
ちなみに日本のカタカナ表記だと「バーバー&タトゥー」というお店。
ブラジルではこの2ジャンルが近いようだ。
今日は、タトゥー抜きで。

坂道を歩き、陽気もぽかぽかでこちらは散髪用の椅子に座ってからも顔面に汗が垂れているのがわかる。
それでも若き理髪師はタオルを用いることもなく、髪に櫛も通さず、いきなりハサミでじょきじょき。
散髪店、理髪師はそれぞれ手口が異なるのが面白い。
マテウスという名の彼氏は、剃刀を消毒してから、生え際部分に剃りをいれてくれた。
ハサミの後、ドライヤーの風で髪の毛を飛ばし、あとは電気カミソリをかけて、さらにハサミ。
もちろんマッサージサービスなどは、なし。
所要時間は約20分。

少しは会話もしたかったが、時局柄、最低限に抑えた。
最後に散髪に行ったのは、日本で、2月ぐらいだったかな。
まさしくアタマが軽くなった。

洗車屋に行くと、ちょうどわが車を動かそうとしていたところだった。

さあ後の大きな課題は、車検だ。

夜、ブラジルのコロナ感染死者数が10万人を超えたとの報。
いっぽう夕方のサッカーの試合の後で、応援の若者たちがマスクなしで群がって大騒ぎをしている模様が流れる。
密集、密接か。

いやはや長期戦になりそうだ。
軽くなった頭がいたくなる。


8月9日(日)の記 101枚目のグラフィティ
ブラジルにて


今日のブラジルは父の日の日曜日。
家族からプレゼントをもらう。
今日の食事の支度はまかせて、とのこと。
かたじけなし。
昼の手巻きずしの刺身だけ、無能の父が準備。

インスタグラムの日枚の近所のグラフィティ紹介写真が101枚目を迎える。
4月21日に買い出しの道中、COVID-19と添え書きされたグラフィティに出会ったのが発端だ。
以来、一日一点を原則としてほぼ連日、一期一会のスナップ写真のアップを続けてきた。
唯一、日に二点をアップしたのは初日と同じ作者の「手を洗おう」というコロナ対策啓発の言葉も書き添えられた作品をスナップした時のみ。

開始から3か月半にもなり、そもそも最初に撮ったグラフィティはすでに塗り消されて跡形もない。
きょうはこの作品の作者、cabeça de xicaraさんに敬意を表して、彼の作品のマスク着用の男子のグラフィティをスナップしてアップした。

この作品を発見し、いずれ好条件でとストックしておいた。
路上市での買い出しとともに…
正午前ぐらいから陽があたる場所と想定していたが、ビンゴ。
https://www.instagram.com/p/CDrKi7JAEW7/

サンパウロ市では日曜限定の自転車専用レーンが設けられたものの不評で中止されていた。
それがコロナ禍での自転車見直しが始まり、復活した。
その様子も子のグラフィティの背後に写り込んでいる。

さてこのグラフィティスナップもいつまで続くかな。


8月10日(月)の記 ささいな交信
ブラジルにて


さあ、ウイークデイのはじまり。
日本同様、こちらも週末は関連機関の休みのため、発表されるコロナ感染者と死亡者の数が減る。
微妙な推移に一喜一憂している段階ではないのだが、それでも落ち着かない。

またスマホのバッテリーがおかしい。
完全にいかれれば、メンテに持っていくのだが、まだ微妙な段階。
外出すべき用件の予定が組みにくい。

夕方、さる金曜に禍根をのこしたレストランにメッセージを入れることにする。
場所も料理も気に入ったが、値段の混乱で愉快ではなかった。と。

またたくまに返信が来た。
ちょうどあの日から金曜も週末料金にすることになったのだが、あなたたちには特別に平日料金にした、と。


8月11日(火)の記 岡村淳の近視篇
ブラジルにて


『金枝篇』へのオマージュである。

午後。
薬局、腕時計修理、日本食材店、スーパーマーケットに用事あり。
グラフィティはどこでスナップするか。

近くの小路のマンダラ系が日当たりもいいだろうと思ったが、まだ、あるいはもう日陰だった。

それでは、あのメッセージを撮るか。
こちらもまだ日陰だったが、ずっと陰の可能性あり。
壁のなかの民家は廃屋かと思っていたら先日、若者が庭の掃除をしていて驚いた。

「PLANTE SUA LUA」と型紙を使って2か所にスプレー書きされている。
直訳すると「あなたの月を植えなさい」。
末尾に赤い雫が描かれている。
https://www.instagram.com/p/CDwk9WTgLFz/
意味がよくとれない。

身近なこちらのネイティヴの大学出の人、女性複数に聞いてみるが、意味はわからないと言う。
ポルトガル語で検索してみて、驚いた。
https://www.daterraquecura.com/
女性の経血を大地に還そう、という運動だった。

それなりに奥が深そうなので、今日はざざっといく。
いくつかのウエブサイトを見るが、これは「先人から伝わる儀式」とあるが、どこのいつの先人の文化かはよくわからない。
いかにもありそう、ではある。
あるサイトにはそもそも経血はミネラル分などが豊富で、とある。

こういう分野は日本の方が進んでいるように思える。
日本語で「経血」「大地」「儀式」などでざっと検索してみると、意外なほどヒットがない。
これが目についた程度だ。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/mens.html

ポルトガル語のウエブサイトではあるものは8月6日が、あるものは8月2日がこの活動の記念日だとある。
つい先日だったではないか。
が、どの日で、なぜかがわからない。

日本語のウエブサイトの最後で、つげ義春さんの『紅い花』を経血の表象としてあげていてギョッとする。
誠に偶然だが、ちょうどいま『紅い花』を読んでいるところなのだ。

ショックで、始まっちゃったらどうしよう…
僕にとってのいちばんの月経をめぐる思い出はアマゾンのヤノマモの少女のこと。
いずれそれは改めて。


8月12日(水)の記 実録『近視篇』
ブラジルにて


昨日、『近視篇』などとアップして、『金枝篇』のフレイザーに呪術をかけられたか。

今日は早朝からはじめての試み、レアなミッションが続いた。

コロナ禍の外出制限もあり、延び延びにしていたわが車の車検が大きな課題だった。
洗車もそうとうサボッていたので、まずさる土曜にウオッシュ。

昨朝、車検の予約の電話をして今日の午前9時にメーカーの代理店に持ち込むことになった。
購入後3回、3年間の車検は基本料金が無料と思い込んでいた。
ところが24か月までで、すでにその保証期限が過ぎていると知らされる。
保証書の類を車に置きっぱなしにしていてよくチェックしていなかったこちらの落ち度だ。
先方はあれもこれもといろいろなオプションを上乗せしようとしてくる。

基本料金がまだサービスと思い込み、そもそもコロナ騒ぎで厳しいので最低限のにしてくれと告げる。
それではコロナ対策のためにぜひ望ましいこれとこれをとすすめてくるのを呑むことにして…
いずれにしろ日本円にしてウン万円の出費だ。

道の真ん中でのエンコはもうこりごりだし、そもそもクルマのことはよくわからない。
家族だけを乗せ、ほそぼそと転がすクルマにコロナ対策が必要なのかどうかもよくわからないけど。

夕方5時にピックアップに来られたしとのことで。
追加料金と先方のサービスで、いくつかの傷もちょっと見ではわからなくなった。

さあ、そろそろと帰ろう。
代理店の前の大通りに出る。
おっと、マスクがしたままだとうっとうしい。
運転しながらマスクを取ると、あ、フレームの緩めだった眼鏡も吹っ飛んだ!

ド近眼が眼鏡なしで交通量そこそこの夕方の大通りを運転しながら、うろたえて眼鏡をかけなおすまでの恐怖。
裸眼運転ははじめてではなかろうか。

なんとか無事故で済んだけれども。
コロナ禍によるこうした間接的な事故は少なくなさそうだ。

マスク着脱は慎重に…


8月13日(木)の記 『こころの湯』を想う
ブラジルにて


ポルトガル語のタイトルは『BANHOS』だった。
英語のタイトルが『SHOWER』だから、それの直訳だろう。
中国の原題は『洗澡』か。

今、調べてみるとブラジルでの公開は西暦2000年。
日本はそれに遅れて2001年。
サンパウロのシネクラブ系の映画館に気になる監督の日本映画を見に行くつもりだった。
僕のスケジュール表の読み違いで、映画館に着くとお目当ての映画の公開はもう終わっていた。
上映されていたのが、なんだかよくわからない中国映画だった。
『洗澡』を知らない子供たち…
地下鉄代まで出して、夜に時間をつくってわざわざ出たのだし…

逃した映画の大きさにくらくらしながら、ダメモトでその映画を見る。
すばらしい映画だった。
すでに全体をよく覚えていない。
北京で大衆浴場を営むおやじさんが、中国の風呂にまつわるさまざまなエピソードを語る、といった話だったかと。

すでに老齢のおやじさんには、知的障害を持つ年齢的には成人の息子がいた。
銭湯業の合間に、おやじさんと息子が他愛もないことをして遊び、大笑いをして喜び合う。
そのシーンに息を呑んだ。

そのことをずっと想ってきた。
だいぶ後になってこの映画は日本では『こころの湯』というタイトルで公開されたと知る。
ナイス!

今日はそんなことを想いながら家族と過ごす。


8月14日(金)の記 湖畔から
ブラジルにて


3月末にブラジルに戻ってから、はじめてサンパウロ市外に出る。
ぴかぴか状態のわが車で。

ナビの指示に従ってみて、はじめての道を行く。
道中のグラフィティが気になる。
おう。
折り鶴をモチーフにした強烈なのが一瞬、目に入る。
とても停車できる状況ではなかった。
うーむ。

大西洋の方向に走る。
大工場、スラム地区、ほんらいの亜熱帯の植生のモザイク。
大西洋海岸山脈のなかに築かれた大サンパウロ圏の水がめの貯水池のほとりに。
雨不足による渇水が言われ始めたが、ヴィジュアルに体感。

人造湖のほとりを少しだけ歩く。
さっそくツノゼミをさがす視線に。
ツノゼミどころか、まるで虫が見つからない。

冬の乾季のせいか。
とはいえ、わが家にも戻るとスマホの温度表示は28度。
酷暑のわがふるさと東京目黒の丑三つ時で、同じ温度になった。

昨晩は羽シロアリが夕餉の支度の最中に飛来して、家族は大騒ぎとなった。
昆虫の観察にはサンパウロの街中のわが家の方がふさわしかったか。
まもなく雨。
亜熱帯のレインフォレストの雨季の始まりだ。

例年より数週間、早そうだ。


8月15日(土)の記 身近な紙から
ブラジルにて


75年前の祖国では軍人や役人たちが重要、機密書類を焼くのにおおわらわだったことが知られている。
自らの戦争犯罪の証拠隠滅のためだ。
のちにそれが追及されると、そんな証拠も事実もないというのだから誠にたちが悪い。

昨夕、わが家の照明にひかれて羽シロアリが入り込み、家人は大騒ぎになった。
羽化したシロアリは空中で交尾をする。
受精した雌シロアリは着地後、羽を落とし、地面を掘って営巣、産卵をはじめる。

営巣の成功率はわずかなようだが、これをわが家でやられたらたまらない。
シロアリにも土壌を好むもの、木質を好むものなど種類は多いが、この高層アパートでも室内の木材使用部分を喰い荒らされたという被害は少なくない。

さてわが家では僕の使用空間、特に寝室にコロナ巣ごもり中にチェックをはじめた新聞雑誌資料類など紙モノが散乱している。
家人たちの圧力を感じ、今日はそれを少し整理。
これまでも以前の住まいからの経年の資料に虫食いの穴があったこともあるし。

こころに焼き付いていることばのもとの記事が出てきた。
「負け続けることをやめたときが敗北」というタイトル。
20年近く前の日本の雑誌にあったエッセイだ。
なんと、その筆者がその後、直接出会う人だと知って驚いた。

まずは読み返してみよう。


8月16日(日)の記 成長する文庫本
ブラジルにて


コロナ禍巣ごもり生活で、濫読が続いている。
わが家のあちこちの本をいじくりまわしていると、所有しているブックカバーの量がハンパではないことに気づく。
いずれも日本から担いできたものばかりだ。

書店のオリジナルのもの、出版社のキャンペーンでゲットしたもの、手作りのものからペットボトルのオマケのものまで。
読みかけの本とともに死蔵状態のもの、さらにそれより未使用のものが多そうだ。
実際に使ってみると、使い勝手のよくないものが少なくない。
大半が文庫サイズのものだが、新書サイズのものもある。

以前、日本の地方都市のなじみの古本屋さんで、出入りしている人がつくったという一点もののブックカバーを買った。
しかし実際につかってみると、具体的にどうだったか思い出せないのだが、とにかく実用には不向きだった。
そのことをお店に伝え、その町にまた行く用事もあったので、取り換えてもらったことがある。
何点か同じ作者の手作りのブックカバーがあったが、それぞれ微妙に大きさが違っていた。

手元に倉敷の蟲文庫さんで求めたお店のロゴ入りの新書サイズの布製ブックカバーがある。
未使用だ。
読もうかなと思う新書にかぶせてみようと思って…
ブックカバーの縦の長さが日本の新書の縦とピッタリのサイズなので、表紙を少し短く切りでもしない限り、かぶせることができないのがわかった。
文庫にかぶせてみると、チャップリンのだぶだぶの衣装みたいで、そもそも読みづらい。

なにかこのカバーに適当な大きさの本はないだろうか。
ブラジルには日本の新書より5ミリぐらい短い冊子があるのだが、それでも入らない。
思い切って蟲文庫の田中さんに時候の挨拶とともにこのカバーの使用のノウハウについてメールで尋ねてみることにした。

さっそく田中さんから返信をいただいた。
このカバーはハヤカワ文庫などの大きめの文庫本でも使えるように大きめにしてあるとのこと。
新書版ではなかったか。
ハヤカワ文庫にはあまりなじみがないが、もらいもので処分しようと思っていたのが分けてあるのを思い出した。
1980年代発行のものだが、他の文庫本の大きさと変わらないぞ。

さらに積ん読本をみてみると、近年発行のハヤカワ文庫が何冊かあった。
ほう、これは確かに他のものより5ミリぐらい長いではないか。
僕がブラジルに移住してから、ハヤカワ文庫はこんなに成長していたのか。
さっそく蟲文庫さんの布カバーを着せてみると、なるほどダブダブというよりゆったりという感じに収まった。

本は『樹木たちとの知られざる生活』。
カバーに合わせて本を読む楽しさもあるのだな。


8月17日(月)の記 クラッシュ!
ブラジルにて


今日は一族の用件で、午前中より運転。
分岐点をまちがえ、別のルートを取る。
おや、目的地近くでグラフィティ発見。
所要の合間に歩いてスナップ。

帰宅して、写真の整理をしていて…
こつこつと一枚一枚、DVDに移していたのだが…
作業に異変が生じ、なぜかこれまでに移し終えた写真のデータが忽然と消えてしまった!

締め切りのある、誰かが待っている仕事ではない。
敗戦を迎えた大日本帝国の職業軍人のように自決するほどの責任もないだろう。
それにしても…
未経験の事故なだけに検索してみるが、そもそも原因がよくわからない。
データ復元の可能性も探る。

試行錯誤。
データ復元はフリーソフトではらちが明かず、けっきょく英語系のものをカードで購入することに。
日本のオトナ一般の映画代ぐらいの金額でおさまる。
人に頼んだら手数料だけでもばかにならないことだろう。
薄氷を踏み、綱を渡り。

修復はどうやらかなったようだが、修復済みデータが形式が違うとかで開かないではないか。
これまたいろいろやってみて…

とにかくまず今、パソコンに入っているデータが重すぎるのかもしれない。
そもそもDVDのデータ保管は危ないことを体感して、HDD外付けメモリーへの移転をこころみる。
が、調べてみるとDVDの方がデータ保管可能期間は長いようだ。

使う機会があるかどうかもわからないデータの移行に然るべき手間暇をかけて、数年後にはまたそれを繰り返すのか。

その後も恐ろしい事態が生じるが、これは大事には至らず。
いずれにしろ、こつこつこつこつを重ねるしかなさそう…

今日は一日断食のため、食事の支度は当事者たちに任せて終日、クラッシュへの応急対症療法。


8月18日(火)の記 蝋燭のマエストロと千住技法
ブラジルにて


ほそぼそと続けていた、かつて撮影した長時間の対談の映像の文字採録をいったん終えた。
チェックには新たに時間がかかるので、取り急ぎこれが早急に入り用だろうアミーゴに送っておく。

さて。
ナゾの喪失を遂げた写真データの復活のため、まずその領域をこさえる必要がありそうだ。
ノートパソコンにある何千枚かの写真データの移行を図る作業の再開。

まとまって多い昨年のイタリアの写真データを一枚一枚チェックして移行して、ノートとスマホから削除。
スマホのバッテリーがまた不調。

効率はよくないが、思わぬ発見、収穫もある。
バチカン美術館でスマホ撮りしたデータのチェックと移行。
生涯、使う機会もないだろうに、とめげつつもあったのだが。

今日はいくつか勉強になった。
ほとんど真っ黒な画面にほのかに浮かぶ数人の人物の絵を撮っていた。
プレートも撮ってある。
イタリア語と英語の表記。
作者名は、Trophime Bigot。
題名を訳すと、『聖セバスチャンを介抱する聖イレーネ』といったところか。
この画材に様々な画家が取り組んでいたことを知る。

作者名はポルトガル語などのWikiにはあったが、日本語はなかった。
日本語でのネット上の記載はほとんどない画家で、トロフィーム・ビゴーと表記されるフランス人の画家だ。
「蝋燭のマエストロ」と呼ばれるほど、暗い空間で蝋燭の明かりを光源とする世界を描き続けたらしい。

これは日本語のWikiにもあったが「キアロスクーロ」という「明‐暗」のコントラストをあらわす美術用語を恥ずかしながら初めて認知した。

それにしても嘆かわしいのは、写真撮影禁止ばかりの日本の美術館。
メモをとるのもエンピツじゃなきゃダメと監視員に怒られる。
バカ高い図録を買いなさいってことか。
けっきょくこうした自分でのフィードバックと学習ができず仕舞いになる。

ちなみに今日も雨。
少しの雨なら防止着用のため、傘をささない僕でも傘を使うほど。
さあ、外でのグラフィティ採集をどうしよう。
今日は雨のため、見合わせるという誘惑もあるけど。
なれない靴を履き、マスク効果で眼鏡も曇って歩行も容易ではない。
いつも日陰にある未紹介のアレを取りにいくかな…

お、これはどうだ。
https://www.instagram.com/p/CECjrjiAgU9/
塗料がしたたる暗号風の文字。
千住博画伯の顔料を垂れ流す滝の画に通じる技法で、これも紹介したいと思っていた。
クルマと泥棒に気を付けて、いったん傘をたたんでスマホをオンにして。
レンズに雨滴がかからないように…

いずれにしろ、ナマ美術館はしばらくおあずけだが…
ストリートアートと収録済みのアートのおさらいで、そこそこ自分を研いでおくことはできそうだ。


8月19日(日)の記 学堂の聖ディオゲネス
ブラジルにて


今日も日中、バチカン宮殿でスマホ撮りした写真の移行作業。
ラファエロの『アテネの学堂』の部。
この絵は数年前、サンパウロで原寸大でデジタル投影展示されていたのを見ていた。
こうして実物を拝む機会が訪れるとは。
絵のなかの誰が誰だかはすぐに忘れていたけど。

現場ではポジション的に撮りやすかったこともあるだろう二人の人物をスナップしていた。
それぞれが誰とされているか、ネットで調べる。

厚い書物にかきものをしているのは…ピタコラスか。

もう一人、画面で最も目の行きがちな位置でストリート暮らしの人のように寝そべっているのは…
哲人ディオゲネスか。
この人については、僕にはもはや忘れられない強烈なエピソードがある。
ここに書くのははばかるが、ちょっと検索していただければ知ることができる。

路上生活者たちの聖人のような人だ。
僕にはもうこの絵はディオゲネスが主人公と思えてしまう。


8月20日(木)の記 古新聞の発酵利用
ブラジルにて


犬猫の糞便対策以外にも古新聞の活用法はあるようだ。

3月末以来のコロナ巣ごもり効果で、購読している新聞が「積ん読」で幾山も崩壊するまで成長していくのは防げている。
しかしスクラップ用に区分けした記事類が数年分、たまっている。

げんなりしながら思い切って再整理に着手すると…、
思わぬ掘り出し物がある。
ポルトガル語のものはそもそも字も小さいし、判読に時間がかかるのだが、やはりこの作業は必須だな。

日本語新聞の方は連載から読者欄まで「日本スゴイ」「皇室スゴイ」満載だが、いわゆるネトウヨ系への「抗体」づくりに役立つかもしれない。

いずれにしろ、僕の教養とまではいかないが、知識をつちかうベースのかなりの部分がこうした新聞雑誌資料類のスクラップ作業によるものかもしれない。

本日分で印象に残ったものとして…
ブラジルの最古級のヒトの素性について近年、明らかになったこと。
第二次大戦後の海外移住志向の学生たちと炭鉱離職者たちの接点。
ポ語で台風のような雨嵐をいう「フラコン」という言葉はわが新大陸の先住民の言葉に由来すること。
等々。

こうした古新聞をまとめて突っ込んでおいた紙袋から、ついでにいろいろと出てくる。
毛髪から昆虫類、どこの国のものかすぐにはわからない硬貨、等々。

まだまだ先は長そうだ。


8月21日(金)の記 雨中の宇宙旅行
ブラジルにて


今日も雨。
気温もだいぶ冷え込んできた。

さて。
地下鉄で3駅先まで買い物に出ることにした。
各駅ごとに物売りが乗ってくる。
ほう、ついにマスク売りまでが。
黒の立体型で一枚2レアイス、邦貨にして約40円。
マスクは直接、口にあたるのを避けた方がいい、これなら大丈夫!という口上。
駅ごとの取り締まりがあるせいだろう、次の駅でそそくさと降りてしまった。
今度、乗ってきたのはスマホの貼り付け固定装置売り。

さあ着いた。
地上に上がると、大通りの向こうにさっそく大判のグラフィティがあるのが目に飛び込む。
日本の銭湯画ぐらいのサイズはある。

雨が降り、しかも車道の真ん中に立たないと正面から全体をカバーできない大きさだ。
こういうのはカンだ。
買い物に行く前にスナップしておくことにする。

どこかの星の地表か、西部劇の舞台のような乾いた奇岩地帯にロケットが着陸している。
中央に宇宙服をまとったおじさん。
おじさんは片手に薬缶を持ち、もう片手にポットを持ってコーヒーをいれている。
上に「CENSURADO」:検閲済み、という書き込み。

筆力、発想、構成力、ユーモア、批判精神ともにナイスだ。
https://www.instagram.com/p/CEJ8CfcgMJD/

さて反対方向の、駅からさほど遠くないお店へ。
別の道から駅に戻るが、最初のグラフィティに勝るとも劣らない大作、傑作がいくつか目に入る。

縄文遺跡の発掘をしていた頃を思い出す。
自分の担当する遺跡から出てくる土器の文様も面白いが、近くの遺跡の出土品にも目移りしてしまう。
「隣の壁のグラフィティ」、か。

それにしてもターミナルの路上生活のおじさんたち、毛布類をすっぽりかぶって寒そうだ。


8月22日(土)の記 王の保証
ブラジルにて


2週間かと思ったら3週間経ったか。
スマホのバッテリーがおかしくなったが、だましだましためしためしなんとかしのいできた。
さすがに、ここまでと見た。
土日に入るので、今日、サービスセンターに持っていくか。
「アイフォン王」というところだが、先方のフェイスブックによるとコロナ問題で11時から営業とある。

まさしくサンパウロの中心街。
息を呑むグラフィティの傑作が目に入る。
橋からおそるおそる手を伸ばしてスマホ撮り。
ひったくりの危険と高所の恐怖。
うーむ、びびり感が写真に出ていそう。

さて、「王」のところはなかなかにごったがえしている。
どれぐらい待たされるか。
こちらはまだ保証期間だったせいで、スムースに対応してくれた。

まだ使えるではないか、と門前払いされるのではないかという不安あり。
ところがテクニシャンはケーブルに数秒、差しただけにバッテリーの問題だと取り替えてくれた。
案ずるより産むがやすし、いやはや。
無料だが、さすがに保証期間の延長はなかった。
なんとか保証期間の一年持たせるバッテリーが数か月はやくへたれたということか。

さすがに外部電源を持参しなかったので、すでにカラータイマー状態。
帰路のメトロの駅近くでビル一面のグラフィティを発見、これは先のより近くに寄れる。
これも傑作だ。
https://www.instagram.com/p/CENAi_NAaTb/

メトロの構内の書店に立ち寄る。
一冊の値段を聞くとすべて10レアイス、約200円だという。
迷わずもう一冊と合わせて二冊購入。

寒く雨がちのコロナ禍の外出だが、得した感たっぷり。

メトロ内では、マスクは付けながらもひたすらバカ話をぎゃはぎゃは笑いながら続ける女たち。
スマホで話し続ける男ども。
駅ごとに乗ってきて大声で口上をまくしたてる物売り。
これが日常の光景になっている。
日本より二ケタ多いコロナの感染者と死亡者を産んでいるカギは、このあたりにもありそうだ。


8月23日(日)の記 毛ムール貝/2020年の挑戦
ブラジルにて


サンパウロ、朝の気温は摂氏9度。
亜熱帯の地でこれはなかなかの冷え込みだ。

さあ、路上市へ。
魚屋でカツオをすすめられるが、ちと大きすぎ。
殻付きのムール貝を買う。

さあ、どう料理しよう。
ネットで検索すると、セロリと合うようだ。
白ワインで蒸して、パスタにあえるか。

これまでムール貝は殻から外したむき身を買っていた。
今日のは殻付きといっても片側は外してあり、すでに茹でてあるという。
売り手に聞くと洗った方がいいとのことだが、なかなか洗いにくい。
毛髪状の藻がかなり殻にこびりついている。
浄化済みの水にライムを絞って大きめのボールでゆすぐこと3回。

あとで調べてみると、これは日本語で「足糸」と呼ばれ、ムール貝はこれで岩場に貼りついているとのこと。
お便所くさい東京湾のオリンピック水泳会場にアサリをまいて浄化をはかるという大計画が祖国では唱えられていた。
ムール貝も水質浄化に役立ち、かなり汚染した海域でも産するようだ。
…まあ、主食として常食しているわけでもなし。

仕上がりは家族に好評、うまい。
きらきらと輝く殻をそのまま捨ててしまうのがもったいないくらい。

次回は足糸をもう少し観察してみよう。


8月24日(月)の記『クォン・デ』
ブラジルにて


書評を読んでいたわけでも、友人知人からの評判を聞いていたわけでもなかった。
いつどこでだったか、日本の書店で目についた。
へえ、森達也さん、こんな仕事もしていたのかと思い、文庫で値段も手ごろで買っていた。
ブラジルに持ち帰って少し読み始めては例によって中断、「積ん読」になっていた。

『クオン・デ もう一人のラストエンペラー』角川文庫。
これは僕にとって必須の本だった。
すぐに血肉になっていくのを感じる。
面白く、勉強になった。

「でも、皆が忘れたから価値がないとは絶対に言いきれない。捨てられたものに重要な意味を発見することだって、きっとある。」
「デモクラシーとファシズムが実は、対極の概充念ではないことを、史料を読みながら改めて実感する。」
「消去法では決してなく、この企画は映像よりも活字に向いていると確信したからだ。」
等々、書き出したい言葉はてんこ盛りだ。

ブラジル日系人となった僕の目盛りでいうと、第一回ブラジル移民船笠戸丸がサントスに到着する3年前の1905年。
当時、24歳で日本に密入国したベトナムの王位継承権を持つプリンスが敗戦後の日本でひっそりと亡くなっていた事実の背後にある壮大な世界を発掘し、再現していく。

テレビ業界、ドキュメンタリー映画界でも活躍の森達也さんがあえて活字で挑んだ世界だ。
活字で、しかも文庫本にもなったおかげでブラジルの僕でもこうして共有して気になるところを簡単にチェックして再吟味することができる。

わがサンパウロ州の外出制限は新たに9月6日まで延期されたが、巣ごもり中の屈指の一冊に出会えた喜び。


8月25日(火)の記 ノイズに耳をすませば
ブラジルにて


ノートパソコン内の写真データのDVDへの移行を続けて。
先週、クラッシュしたデータを復元していったん収めるぐらいの容量はなんとかできたかな。

オンラインでクレジット買いしたソフトを使って復元!
ようやく復元したデータを開こうとすると、またしても「ファイル形式が違うようです」とかで開かない…

がっくりしながらも、いろいろだましだまし、だまされたつもりでやってみる。
ようやく開いた!
おや、よく見ると復元した画像にデジタルノイズが走っている。
画面の一部しか復元できないものも。
まあ、とりあえずここまでとするか。

パソコンをオフにすると復元データも消えてしまうので、とにかくまずはパソコンに取り込まねば。
一枚一枚、移していっておよそ600枚。

いやはや、半分ぐらいはノイズ入りのようだ。
昨年のイタリアでの写真。
まあ写真集を出す計画があるわけでもなく、いいか。
職業柄、ノイズの部分を削って使えるかという計算が無意識にはたらいてしまう。

想えば。
旧石器時代の洞窟壁画は、そもそもノイズだらけの天然の岩肌に巧みに描かれた。
泰西名画などにも思わぬフレーミングの絵があるが、当初の画家の意図ではない事故の結果のものもあるだろう。

僕の仕事でいえば、ビデオのひとり撮りをするようになってから親しんだHi-8という形式では、予期できないノイズ(ドロップアウト)が付きものだった。
ご意見無用で平気でノイズのある画像を使う人も少なくなかったが、僕は極力、ノイズのある部分を避けるキライがあった。

コロナ巣ごもり中に、おそらく20年以上前に日本で買って読みそびれていた本を見つけた。
原田眞人さん聞き手の『黒澤明語る』、福武文庫。
僕にとってはバイブル級の好著だった。

完全主義者といわれた黒澤監督がこんなエピソードを披露している。
『天国と地獄』での特急こだまを借り切っての撮影での失敗。
これは撮り直さなければ、と思ってラッシュフィルムを試写。
これならなんとかごまかせるのではと思って黒澤監督自体が編集したという。

大黒澤のエピソードに励まされる。
わがMASP:サンパウロ近代美術館にあるモネの『エプト川の舟遊び』のフレーミングも、まちがいとしか思えないようで納得してしまうものもある。
なにか事情がありそうだ。

さあさあ次の作業がいくつも控えているぞ。
いや、そういう追い立てられた気持ちになってはノイズのメッセージがまた聞こえなくなるよ、と自分との対話。


8月26日(水)の記 有機ある追跡
ブラジルにて


げんなりするほど有機農場の野菜が届けられていた日々は夢のごとく。
失なってから価値に気づくものは少なくない。

こんな記事も新たに読んで。
https://news.yahoo.co.jp/byline/inosehijiri/20200825-00194886/?fbclid=IwAR3W7OGJhdyq5EYWisj2juR2jLxQiUW3fsko_n3e5AnPbWwDCO3BQgJ7DGE

近年は日曜の路上市で唯一「オルガニック」と書かれた野菜を売るスタンドのものを買っていた。
ところがこの店…
ほかの店々は午前7時ともなれば準備完了で威勢よく口上を張り上げる売り子もそこかしこに。
有機野菜屋さんは9時過ぎに行ってみても、ようやくぼそぼそと売り物を並び始めている。
オヤジさんはくわえタバコで野菜をそろえていること、しばし。

反原発を唱えるヘビースモーカーというのも、どうも腑に落ちない。
客の前でくわえタバコで野菜をいじる人の売る有機野菜はどうだろう…

あらためて張り出されている記載を見ると、他の店と同じになっていて「オルガニコ」の文字がない。
オヤジさんに今もオルガニック野菜なのかと聞いてみた。
こちらと目も合わせず「同じものだよ」と短い返答。

どうもウサンくさい。
日本の安倍という人の「ご飯論法」かもしれない。
「野菜として同じといっただけで、オルガニックだとは言っていない」という理屈か。

さて、わが家の近くでどこかほかで有機野菜が売られていないか調べてみた。
かつて、一駅先のまた先で土曜に販売されるというのに行ってみたが、くたびれた印象のものばかりだった。

今度のところは、わが家から坂道になるが片道2000歩ほど、水曜の午前中。
ここはなかなかよろしい。
今日で3度目の挑戦。
ある程度、勝手がわかってきた。

広場に向かい合った2列の出店。
それぞれがどこまでがわかりにくいが、片側3軒ずつぐらいだろうか。
野菜と売り手、買い手それぞれの顔色を見れば見当がつくというもの。
ここはよさそうだ。

ふつうの市場では見ないような野菜や果物もある。
最初の時にはキンカンがあったが、見送っているうちに次からはなくなった。
今日は日本:関東のものに近い長ネギを買ってみた。
念のため、ポロネギとは違うねと確認すると、バカにしたような返答。
唯一、このオヤジさんはクセがありそうだが、こういうキャラのようだ。

ふつう、ブラジルで見る長ネギは日本のワケギのような細く小さなものばかり。
これはポロネギを思わせる太さと長さだ。
根っこの部分は玉ねぎ、ラッキョウのようにやや丸みを帯びている。
日本の葉玉ねぎに近いのかな。
そもそもこれらは種(しゅ)としては同じかもしれない。

さっそく調べてみよう。
くわえタバコのおじさん、さようなら。


8月27日(木)の記 サンパウロの壁面から
ブラジルにて


僕にとって表現とはマニフェストであり、願いであり祈りだと思う。
日毎の近所のグラフィティのスナップ撮り、然り。

今日は、彼女を撮りにいこう。
日当たりを考えると、午前中がよさそうだ。
片道徒歩2000歩圏内。

サンパウロでの巣ごもり期間のささやかな所用外出に絡めてのグラフィティのスナップ撮りを始めて4か月。
大坂なおみさんらしい絵を見つけた時は驚いた。
ふだんはまず通らない道で、よく見るとテニス練習場の壁だった。
ぐるりを回ってみると、彼女の絵は2か所に描かれていた。
発見した日はひかりの具合が思わしくなく、別のグラフィティを探して紹介することにした。

あらためて彼女の絵をインスタグラムにあげたのは、8月6日。
https://www.instagram.com/p/CDjl0grAdhQ/

今日、流れてきた彼女のニュースを知り、共感とささやかなエールの表明としてふたたび、もう一人の彼女を撮りに行こう。
午前11時ぐらいに現場に到着すると、街路樹の影が彼女の体にあたっている。
買い物や散歩を繰り返して影の移行を見つつ、ようやく正午にスマッシュ。
https://www.instagram.com/p/CEZk_W0gPUG/


そもそもスポーツにまるで興味がないと言っていい僕にとっては異例のこと。
近くに廃品回収のおじさんたちのたまり場があり、歩道を占拠してわいのわいのと盛り上がり続けている。
朝からアルコールで酩酊している人もいるようだ。
人通りもまれなその前を、挙動不審のジャポネ―スが3度も通る…

最後はさらに遠回りになるが、おじさんたちの前の道を避けておこう。
まだ買い物の続きがある。
テレワーク中の家族の昼食づくりがすっかり遅れてしまった。

晴天で気温は上がり、この辺りは坂道も多く、汗ばむ。
マスク着用中に汗の塩味を感じたのは初めてかと。


8月28日(金)の記 貧困と無知
ブラジルにて


日付が変わってから目覚める。
まだ起きていたわが子とやり取り。

と、ネットにて日本首相が辞任発表の予定とのニュース。
今日、記者会見があるとは知っていたが。
日本の政権御用放送の速報だからまちがいないようだ。

ひたすら待ち望んでいたことが、いきなり。
なんだか、すなおに喜べない。
数々の疑惑はうやむやで、相手は病気を理由に挙げているようだから、すっきりしないのかな。

このままだらだらと続報を待っていてもしょうがないかも。
久しぶりにDVDを見るか。
黒澤明監督の『赤ひげ』を見直そう。
とりあえず、祝杯とも違う感じだが、アルコールもいただく。

いい。
高3の時に見た衝撃。
最近の黒澤DVDマガジンでも買ったが、その前の安くないDVDブック時代にも奮発して買っている唯一の黒澤作品だ。
2時間半ぐらいあったかな。

暗がりにDVDのケースの記載を見ると、186分!
今日は6時過ぎには早朝出勤する家族のための朝食を準備するつもり。

いまからだとそれまでに全編は見終えることができない。
ちょうど2時間ぐらいのところで「休憩」の字幕。
もう5時だ。
ちょいと仮眠するか。

改めてこの映画の訴える「貧困と無知」ということばが響く。
特に祖国では7年以上の現政権の間に他人事ではなくなってしまった問題だ。

今日は日中、東洋人街に所用で出る。
30年前なら祖国の長期政権を謳歌した首相の突然の辞任とあれば、日本語新聞社が号外ぐらい出したかもしれない。
いまや一社だけ残った邦字新聞社の前も通るが、平日の発行だけで息切れしていることは紙面からも感じる。

この今日のビッグニュースに呼応するようなグラフィティを東洋人街で探したい思いもあった。
先回、見送ったクロサワ天皇の肖像とも思ったが、イマイチいただけない。
日当たりによる陰陽のコントラストもよくない。

もう少し歩いてみるけど、とりあえずこのあたりにしておくか。
https://www.instagram.com/p/CEcgZ20gsxl/


8月29日(土)の記 赤ひげ あもれいら
ブラジルにて


未明、『赤ひげ』の後半を見る。
少女おとよのシーンあたりで気づく。

拙作『あもーる あもれいら』シリーズの世界。
撮影からすでに15年が経つ。
撮影、そして編集時には気づいていなかったと思う。

高校3年の時に刷り込まれた「貧困と無知」、そして人は愛によって変わりうるとの教えが刷り込まれていたのか。

近年、黒澤作品としてはまず『どですかでん』だったが、『赤ひげ』もあらためて吟味する必要を感ず。


8月30日(日)の記 46年前、丸の内で
ブラジルにて


「積ん読」本のなかから、テレビ屋時代にお世話になった木村哲人さんの本を取り出してあった。
『テロ爆弾の系譜ーバクダン製造者の告白ー』第三書館。

冒頭でたまげた。
「昭和四十九年八月三十日の午後零時四十五分、東京の丸の内オフィス街は、昼休みのサラリーマンであふれていた。」
今日ではないか!

死者8人、重軽傷者280人にのぼる三菱重工ビル爆弾テロ事件だ。
あの時、僕は。
46年前。
計算してみると、高校1年か。
映画フリーク時代で夏休み最後の日でもあり、名画座と試写会場のハシゴの途中で現場近くを歩いていた可能性もあったろう。

この本は爆弾オタクであり、数奇な血縁と体験をもつ木村さんが、書かではいられなかった実録だ。
僕の知る木村哲人さんは、日本映像記録センターの音響効果担当だった。

まずこうした体験を周囲に明かしてはいなかった木村さんだが、僕は木村さんから未発表だったこの原稿を読ませてもらっている。
大島渚監督が序文を寄せて、木村さんから手書きの原稿が送られてきたエピソードを披露している。
僕は大島監督より前に読ませてもらっていたのだ。
あまりの面白さと強烈さに眩暈がしそうだった。

木村さんはその他にもユニークな本を何冊も遺されている。
亡くなられたとはかつての仲間から聞いていたが、詳細がわからないようだ。
日本映像記録センター時代の上司から、木村さんについてなにか知らないかとブラジルの僕にまで問い合わせがあったこともある。

「哲人」というお名前は、僕らはテツジンと読んでいた。
この本には「のりと」とあり、別の本では「てつと」になっているようだ。
このあたりもキムラさんらしいな。

三谷幸喜監督の映画『ラヂオの時間』は木村さんの著書『音を作る』を原作にしているとの記載もある。
ウイキで『ラヂオの時間』をみてみると「監修:木村哲生」になっている。

もっと語られて、書かれるべき人だ。


8月31日(月)の記 サンパウロの東アジア散策
ブラジルにて


またしても歯の不具合で、急きょ東洋人街の日系医療機関へ。
このあたりでは最近も日中、邦人が強盗の被害に遭ったとサンパウロ総領事館から知らせがあった。
慎重をこころがけて、少し歩く。

こうしてみると東洋人街のグラフィティも食指の動くものが少なくない。
医療機関近くのランチュウ風のものをスナップ。
https://www.instagram.com/p/CEjuSi_gfgZ/

いやはやチャイニーズ系の飯屋が増えた。
いくつか華系、韓系の食材店をのぞいてみる。
これらもだいぶ増えた。

なんだかわからないものがいろいろあって面白い。
ハングルは読みこなせないが、漢字のものはある程度、見当がつく。
中国や台湾でさかんに食されているという乾燥タケノコを探してみた。
それらしいものはみあたらないが、「腐竹」という乾物があった。
どうやらこれは大豆製で、ユバに近いもののようだ。

紹興酒を安売りしている店があったが「料理用」とポルトガル語で書かれている。
ブラジル産の日本酒を安売りしている店があり、これは買う。
ブラジルの日系メーカーの料理酒はミリンより高く、ここのところ買い控えていた。
このサケの方が割安になるので、代用してみよう。

「麻辣」という交響曲の聞こえそうな風味の中国製即席麺の安売りがあり、これも買ってみる。
今日は一日断食中。


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