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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2021年の日記  (最終更新日 : 2022/01/02)
8月の日記 総集編 時空の果てまで

8月の日記 総集編 時空の果てまで (2021/08/01) 8月1日(日)の記 図鑑三昧
ブラジルにて


ラジオ出演の後遺症、そして二度目のワクチン探しの奔走などの故か…
本らしい本を読む気力がなくなってしまった。
かといって周囲を占拠する新聞雑誌のスクラップ類に目を通す気も起きない。
動画類は必須の宿題ぐらいしか見なくなっているし…

そんな状況でもひも解くのが、なぜか図鑑類。
流浪堂さんで新品同様のものを買ったものと記憶するが、文春新書の『チーズ図鑑』。
西ヨーロッパ、北ヨーロッパ産のチーズをそれぞれ写真入りで解説している。
テーマはチーズでも、記載は図鑑のため、かなり無味乾燥だ。
いっときに、そう延々とはめくることもない。
時折りワタクチ好みの記載もあり、どこかに紛れてしまった付箋紙を探す…
ようやく半分ぐらいまで目を通したかな。

チーズの合間に浮気して、先に読了してしまったのが『ツノゼミ ありえない虫』幻冬舎刊。

面白いことに『ツノゼミ』の方の著者は丸山宗利さん、『チーズ図鑑』の方は「文藝春秋編 写真丸山洋平」とある。
マルヤマの重なり。
『ツノゼミ』の方は新刊を買ったと思う。
ぱらぱらめくるぐらいで、通読するのは今度が初めて。
世界の大陸ごとのツノゼミの「雰囲気」の違いについて言及されているのも面白い。

いまの僕は、なぜ図鑑を開くのか?
幼稚園時代に単独した平凡社の『えほん百科』への回帰とか?


8月2日(月)の記 私を支えて
ブラジルにて


亡くなった記録映画監督の森田惠子さんのご縁で、映画監督の榊祐人さんと知己をいただいた。
森田さんがいろいろなことを託した人なので、ドキュメンタリー系の人かと思っていたが、畑違いだった。
榊さんとメッセージのやり取りをしていて、誠実な人柄がよくうかがえた。
さすがは森田さん、いい人を捕まえた!

森田さんと榊さんの縁は、タヌキの置物だという。
なんだか化かされたような話だ。

そんなご縁で榊さん監督の劇映画『たぬきがいた』を拝見する機会を得た。
予備知識は特になしで見たのだが、驚き、かつ面白かった。

山梨に暮らす小学校5年生の少年タクマ君の一家が、祖母の死を契機に多摩ニュータウンの団地に転居する。
少年は同じ団地に暮らすナゾの老女と知り合うのだが…
老女役は、吉村実子さん。

少年と老女の接触のプロセスでは、『ウルトラセブン』シリーズを見るようなドキドキ感あり。
小学生たちが多数、登場するが、芝居臭さ演出臭さがしないことにも驚いた。

似たテイストの物語があったな…
「少年たち」「夏休み」「老人ないし異人(死人も含む)」。
大クロサワの『八月の狂詩曲』。
湯本香樹実さんの小説『夏の庭』。
そうそう、『スタンドバイミー』、あれも夏の設定か。
映画は1986年、キングの小説は1982年か。

わが少年時代の夏は…
油面小学校の校庭のラジオ体操ぐらいで情けない。
大学時代から、遺跡の発掘をはじめにがぜんいろいろと出てきた。

『たぬきがいた』、誰かと語りたくなる映画だった。
その監督と直接やりとりできるぜいたくさ。


8月3日(火)の記 黄酒湯煎
ブラジルにて


今週は特別モードで一日断食は中止。
あとで帳尻を合わせよう。

今日も寒い。
トラブル続きの日系医療機関の歯科医に今日もまた。
歯以上にアタマがいたい。

東洋人街の華系商店で、ふたたび「黄酒」を買う。
分類すると紹興酒はこの黄酒のなかに入るという。

500㏄で邦貨400円程度。
さてさて、夕方のキッチンドリンク。
日本なら紹興酒はロックでレモンも加えていただくのが常。
こちらは、こう寒いので…

湯煎でお燗してみることにした。
手酌歴は長いが、自分でサケをお燗するのは初めてだと思う。
ザラメ、というのかと思って調べてみると、精糖前のは赤ザラメというと知る。
温めた黄酒に、ストックのある赤ザラメ。
氷は…入れなくていいか。

湯煎だと意外と暖まらないな。
さあ、ころあい。
これはイケル。
500㏄瓶だとあっという間ではないか。
まあ日本ならサテンでコーヒー一杯ぐらいの値段だけど。


8月4日(水)の記 聖州遍路
ブラジルにて


念のため「遍路」という言葉の意味を調べている。
おや、四国八十八か所の巡礼に限定して用いる言葉らしい。
日本国内あちこちのそれ以外の巡礼は「遍路」と呼ばないのか。
が、言葉は生きている限り意味も変化して当然だ。

朝のラッシュに引っかからないようなるべく早くサンパウロを「出家」するつもりが…
予定:目標より30分遅れ。
最終目的地はブラジル最大の巡礼地アパレシーダの大聖堂。

道中、お世話になった人のお見舞いに。
走行150キロほどの町の施設で暮らす90代の日本人女性。
先方は耳が遠く、文字を書くのも難儀になっている。
お世話をしている非日系人から近況を聞いているが、よくわからない。

コロナ禍にお年寄りを訪ねるのは、よくよく考えて、先方の意向の確認の用あり。
僕も連れも2度のワクチンを接種済みなので、先方にそれも伝え、施設からOKをいただいた。

見た目はお元気そうだが、なにせ耳が遠い。
先方はマスクを外すが、連れからこちらは外さない方がいいと言われる。
僕の大声でもあまり聞き取れていないようで、こちらの口の動きをゆっくり見せる必要がありそうだと判断。
距離をあけて、マスクを取ってゆっくりと大声で話す。
しばらくして、連れに今度は大声で話すのでヒマツが飛ぶではないかと指摘される。
もはやお手上げ。

また日本語で手紙を書いて送るか。
ちょっとややこしいあずかりものをしてしまった。

連れは最近、補聴器を扱う耳鼻科の医師と話をしていた。
・補聴器を付けると、人生が変わるほど開ける
・補聴器が必要かな、と思ってから使用するまでに平均7年かかる
とのこと。

巡礼地までの車中、自分たちにできそうなことを話し合う。


8月5日(木)の記 母の家のアート
ブラジルにて


アパレシーダの巡礼宿を日の出前に徒歩で出る。
大聖堂での早朝のミサにあずかる。

ふとチベットの聖都ラサの未明を想い出す。
聖地巡礼は未明が似合いそうだ。
一泊してみてよかった。

カトリックでは聖母マリアは人類の母、ととらえている、といっていいかと思う。
アパレシーダの聖母マリアをまつるこの大聖堂はそれゆえ「母の家」とも呼ばれている。
あちこちに「母の家にようこそ」と書かれている。

母の家を訪ねる時は、あまりかたくなることも気兼ねも不要かもしれない。
かといって度を過ぎただらしなさでは、母を悲しませるだろう。

コロナ禍の非常時モードのため、ミサが終わると消毒作業のため堂内に残ることは許されず、いったん退去しなければならない。
堂内の立ち入り禁止区域も多い。

それでもこれまでのあわただしい日帰り参拝よりは余裕があった。
この大聖堂は現代アートの殿堂としても見事だ。
現代ブラジルを代表するアーチスト、クラウジオ・パストロの作品があちこちを覆っている。

中央の四方の大壁面に広大なブラジルの多様な動植物相が描き込まれて、これだけでも圧巻。
場所が広大で照明は限られ、立ち入り禁止場所も多いのだが…
今回、壁面上方にヒトの胎児らしきものが描かれているのに気づいた。
それと対応するように、卵子らしきものも描かれている。

昨日、町の書店で買った大聖堂の写真集を紐解くと、その写真があった。
卵子らしきものには、それを目指す精虫たちも描かれていた。
これは四部作で、
・よりそう男女
・卵子を目指す精虫たち
・子宮内の胎児
・誕生後の嬰児
から成っていた。

「母の家」のアートが性教育の教材に使えるではないか。


8月6日(金)の記 飛んで火にいる
ブラジルにて


日本からブラジルに派遣されている、さる団体の幹部が7月下旬に訪日することになったという。
オリンピックに参加するのではないらしい。
この非常時に決死の訪日とは、よほど重大なミッションがあるのだろう。

訪日後、14日間の自主管理期間を経て…
肝心の用件は、コロナ禍のため中止になったという。

数日前、フェイスブックの「ストーリーズ」にブラジルの知人の写真が上がっていた。
この機能はめんどくさいのでほとんど無視しているのだが…
この人のことが気になっていたので、クリックしてみると…
どうやら飛行機内にいる彼女の自撮り写真のようだ。
彼女も医療崩壊に向かう日の本に向かってしまったのか…

彼女は電波の不安定なブラジルの奥地にいた。
前世紀末に僕は奥地に通って彼女の肉親とお付き合いしながら撮影もしていた。
その肉親は亡くなり、遺族との音信も途絶えていたが、SNS時代の驚異でネット上でふたたびつながることになった。

数か月前、彼女から短いメッセージが届いた。
自分は日本に働きに行くことにした。
日本のヴィザを取るために僕の取材を放送した番組その他を送ってほしい、という。

すでに遺族にはひと通りのものを届けていたはずだが…
その数か月前、僕は面識のない彼女のイトコにあたる人から番組を送ってほしいと頼まれた。
オンライン送付は僕にはなかなかの手間である。

なんとかそれに応じたが、その後の連絡がなかった。
確認の連絡をすると、ぶじ再生できたという。
この手間をまた繰り返すとなると、まずいっぱいいっぱいのPCの容量を外付けメモリーに移して空けなければならない。
彼女にイトコに送ってあることを伝えると、それは自分も受け取ったという。

〇〇のシーンのあるものがあったはずだ、それが欲しいと今度は言ってきた。
そのシーンは送付済みのものにあるけど、と伝える。
すると今度はもっと画質のいいものが欲しい、という。

日本のヴィザをとるのに最近は画質の問題もあるのか…
そもそも全盛期に日本でテレビ放送したもののVHS録画のデータである。
さらに彼女のウエブ環境ではそれでも容量的に受信不可であろう。

それはさておき、彼女は7月には日本に行く予定にしている、という。
日本のコロナ禍の今後、オリンピックの混乱、酷暑…
こんな状況なのに日本に行くのか?
と問うと、
どういうこと?
日本の悪いことなど誰からも聞いてない、という。

いまも日本にデカセギ要員を送ってマージンを稼いでいるのがいるのだろうか。
彼女の「要求」に応じられないまま、日本行きをくさすのも気が引ける。
最小限のことを書いて、あとは自分で調べてみた方がいいよ、と伝えておいた。

少なくとも彼女は日本の酷暑や訪日後14日の隔離などは認識していないようだった。
コロナ大国ブラジルから日本に行ってコロナを患うリスク。

日本政府と在外公館は、きちんと情報を発信してもらいたいものだ。


8月7日(土)の記 歯腰…
ブラジルにて


うーむ、腰の調子がよくない。
いい加減な寝方をしたせいか。

近日中に他州への長距離運転のミッションを考えていた。
歯の問題もあり、少し様子を見よう。

いやはや。
歳とともにいろいろな不都合が出てくる。

ハメマラという言葉は聞いていたが。

今日午後のはじめての場所への運転ミッションはなんとかこなす。


8月8日(日)の記 葬送曲候補
ブラジルにて


東京オリンピックの閉会式が、こちらの朝8時から。
少し考えるが、家族のおつとめを優先した。

帰宅してテレビをつけると、なんと東京音頭が始まった。
…そうか、お盆の時期でもあるのか。

ブラジルのテレビ局での放送だが、出しものについての情報がまるでないようで、アナウンサーたちは時折り皮相な話をする程度。
橋本やバッハの挨拶は原稿合わせ読み風の同時通訳があったので、事前に原稿が届いていたのだろう。
おや、日本は午後10時を過ぎているのにまた児童を使ったネタか。
こうした日本人向けに閉じた感のあるコネタにも、ブラジル向けの解説はなし。
解説なしで見せる次回開催都市のパリの映像とは、雲泥の差。

ツイッターで、僕の見逃した部分でダンスがあり、武満徹の『波の盆』が流れたという。
『波の盆』と聞くだけで穏やかでなくなる。
このドラマと曲については、以前も書いた。
この武満さんの曲を自分の葬儀の際に流す曲の候補として、イギリス製のCDをAmazon買いしたほど。
思わぬ手あかがついてしまった。
安倍晋三が「森羅万象」の語に手あかを付けて以来のショックかも。

その後のツイッターで閉会式の入場では小津監督の『東京物語』のテーマが用いられたという。
これは想像を絶する。

YouTube等を検索してみるが、いずれの動画もなし。

…さあ、自分の目先の予定を。


8月9日(月)の記 こんとんのなかで
ブラジルにて


さあ月曜日だ。
オリンピックも終わった。

まずは先週スルーした一日断食に入る。
トラブル続きの歯科治療を午前中に予約していた。
が、先方が不調と電話があり、水曜に変更となる。

さて、調子が狂った。
予定していた今週中の州外へのミッションをどうするか。

今日は写真データの整理をメインにする。
スマホ撮りの写真は総計10000枚を超えて、それぞれにIMG〇〇〇〇と四ケタで表記される番号がゼロに戻ってしまった。
その前にスマホの機種を変えたので、その時点でまたゼロに戻ってしまっている。
番号のダブりもあって、なかなかややこしいことになっている。

ノートに注記しながら一枚ずつハードディスクに移行。
ダブりのゼロ番以降のものは、新たにナンバリング。

…まあ、これに目鼻を付けないと次に進みずらい思いだし。
こつこつやれば、なんとかなりそうだ。


8月10日(火)の記 陶板の登板
ブラジルにて


さる日曜はブラジルの父の日。
いつもは家族から衣類をもらうが、その方面には本人が無頓着。
今年はピザ焼き用の石板を所望する。
家族がネット買いしてくれた。

蝋石製のものが多いが下処理が必要とのことで、それが不要のものとした。
日曜は冷凍のピザをこれで温めていただいた。

石板は主にピザ型の円形だが、わが家のガスレンジに収まる大きさの長方形のものを選択。
日本のものを調べると外周に溝があるものが多く、これなら液体がにじんでも安心。
こちらのは溝のない平板だ。
ピザ以外にパンやクッキーを温めることができる、とあるが、肉や魚は無理か。

そもそもこの材は何かを調べてみると、日本語で言うと陶板ということになりそうだ。
熱の伝わり具合が面白いし、いろいろ試してみたい。
今宵は陶板の上に魚を金属容器に入れて焼いてみた。
油は用いず、下にケールを敷いて上にも乗せてみる。

ふむ、焦げないのが魅力。
ケールはカリカリどころか容器にほとんどこびりついてしまった。

次回は少し油を敷いて、ケールを重ねてみるか。

石焼版を求めたのは、旧石器時代へのサウダージだろうか。
学生時代に縄文時代のファイヤーピットと呼ばれる炉穴や石焼き遺構を発掘したのを想い出す。

味の記憶。
サウダ味、なんちゃって。


8月11日(水)の記 Is it safe?
ブラジルにて


先方の都合で今日に延長された。
日系医療機関の歯科医。

治療計画の説明をしてもらい、これからガリガリやられることになった。
次回は来週とのことで、明日からの旅行計画に支障がなくホッとする。

「どちらまで」と聞かれて「クリチバに」と答えて話が弾む。
僕はクリチバにある、佐々木治夫神父が新たに身を寄せている場所を訪ねるつもり。
すると彼女はその地区に親戚がいて、何度も訪ねているという。

僕が取材でクリチバに通っていたのは、28年前。
クリチバの観光名所の話になる。
すっかり忘れていたが、クリチバに「ホロコースト博物館」がつくられたというニュースを想い出した。
先生もそれは知らず、僕も行ったことはない。

映画『マラソンマン』を想い出した。
ナチスの残党がニューヨークで歯科医をしている。
主人公を麻酔なしで歯をガリガリやる拷問。
今日の英文タイトルは、その歯科医の言葉。
「ホロコースト」という単語を発音上の問題で伝えるのに手間取ったし、この話はやめておこう。
先生は「麻酔なしでやるので、痛かったら言ってください」とおっしゃる。
両の拳を握る。
拷問絶対反対。

わが家のノートパソコンでホロコースト博物館を検索。
事前予約が必要、か。
個人見学のできる日と時間帯は限られている。
うーむ、行けるとすれば金曜午前中か。

ウエブ予約機能がはたらかず、電話をしてみてもアテンドがない。
明日、道中ないし現地でまたやってみるか。


8月12日(木)の記 死の街道のさきに
ブラジルにて


「死の街道」とはバターン行進やインパール作戦を想い出してしまう。
これから車を走らせるサンパウロ-クリチバ街道の異名。

この言葉はブラジル移住当初に覚えた。
当時は複線化工事も行き届いていなかったかと。
邦字紙でもここで日本人運転の車が大型トラックに衝突、といった記事を目にした。
実際にこの街道を運転して大型トラックに殺されかけたという知人の話も聞いていた。

数年前、家族でクリチバを通り越してさらに南部のドイツ語も公用語として使われている町まで旅行したことがある。
トロく臆病な運転をしているものの、往復で3件のスピード違反の通知が届き、もう1件で免許停止処分になるところだった。
いわば鬼門に挑戦する旅でもある。

天気予報では現地は雨。
冬の未明、午前6時前に出家。
街道にたどり着き、ナビが350キロ直進、と表示。
まもなく霧と雨の山道を行くことになる。

パラナ州北部に築いたフマニタス慈善協会から、いろいろあって州都クリチバに移転した佐々木治夫神父のお見舞いに行くというミッション。

…いやはや、なんとか無事に。
クリチバの町は28年前にだいぶ取材で回った。
しかし当時は自分で運転しなかったので、点としていくつかのポイントを知っているにすぎず。
こりゃあナビがなければとても市内は走れないな。

パンデミック以降、お会いできず、お会いするのを控えてもいた佐々木神父と再会、旧交を温める。
いろいろ体の問題があるとのことだが、僕の話も聞き取れているようで、ご自身の話もしっかりしている。
クリチバではコロナ禍の数字が増加、とのニュースにも道中、接した。
神父さんからはぜひ自分のところに泊まってほしいと言われていたが、大事をとって食事と宿泊は別で、とさせていただく。

かつての取材時に定宿にしていた日系のホテルに泊まる。
明日もまた神父さんを訪ねる予定。

宿の近くに食べ物屋がなく、歩き回って冬の氷雨にだいぶ濡れる。
あの長期取材のときは夜メシはどうしたんだっけ?


8月13日(金)の記 アート都市クリチバ
ブラジルにて


地方に出た時は地元のテレビやラジオ、新聞が楽しみ。
が、宿は地元の地上波が映らない。
いっぽう、NHKはオプションにあり。

通常なら見れる機会があってもあまり見たいとも思わない。
ところが祖国は大雨で「命の危険」のある場所も多いとのことで、つけっぱなしにしておく。
クリチバも雨だが、降水量の桁が違うようだ。
一週間前は、まだオリンピックをやっていた国で、いまや命の危険の豪雨。
記録破りのコロナ禍も次点次々点のニュースだ。

さて、ぜひ行ってみようと思っていたクリチバのホロコーストミュージアム。
相変わらずオンラインでの予約ができず、電話の応答もない。
ミュージアムのウエブサイトではわからなかったが、地図アプリの方から見てみると「臨時休業中」。
またの機会にしよう。

なんだか疲れが出て、午前中は宿ででれでれとする。
午後に佐々木神父を再訪するまで、思い切ってオスカー・ニーマイヤー美術館を雨中に車で訪ねる。
いやはや、いくつの展示があったかわからなくなるほどの個別展。
それぞれ目を見張り、食傷気味になるほど。

この時期にでも開くアート展、この時期だからこそのアート展を目の当たりにする。
ここに来れただけでも、今回の決死のクリチバミッションは大収穫。

昨日の佐々木神父との2ショットをフェイスブックとツイッターで公開。
驚くほどのリアクションをいただいた。
数々のメッセージもいただき、それを佐々木神父に読みあげる。


8月14日(土)の記 雨の盆
ブラジルにて


少し青空が見えたと思いきや、また雨模様。
今日はゆっくりクリチバを発つことにする。
朝食の前にグラフィティの採集と、地元紙の購入に出る。
このホテルの朝食はかなり充実している。
が、食べ過ぎると眠くなり、運転に差し障るのでほどほどに。

出発。
近くの給油所はサンパウロより15パーセントは高い。
他にオプションがあると思って進むと、これがない。
燃料計はカラータイマーが点滅、これには往生した。
危機一髪でお高いアルコールを満タンに。

海岸山脈の帰路。
パウミット(ヤシの若芽)を掲げる売店をハシゴ。

今朝も宿でNHKを垂れ流し。
そうか、祖国は旧盆か。
クリチバは28年前に、数か月にわたってサンパウロと往復しながら取材を行なった懐かしの町。
そして今回は、拙作ドキュメンタリーの登場人物のなかで屈指の人気をもつ佐々木治夫神父のお見舞い。
クリチバはブラジル移民の父・水野龍が老後を過ごした地でもある。

パンデミック以降はじめてのひとり旅。
これは僕のとっての帰省だったのだな。

サンパウロの町に入る前にすっかり日は暮れてしまった。
死の街道を、生還。


8月15日(日)の記 日曜のイルカ
ブラジルにて


夜中に何度も目を覚まさなくていいほどの疲れ。
訪日から帰ってきた時のようだ。

日曜日の最小限のおつとめだけして、あとは床に就く。
クリチバで佐々木神父からちょうだいしたカトリック関係の本を開いてみるが、いまはあまり気が進まない。

ある程度、背表紙の見えるようになった書棚を眺めて…
『イルカが人を癒す』、小原田泰久さん著を取り出す。
西暦1994年の発刊だ。
いまはないという大阪の名物古書店・青空書房さんで買ったと記憶する。
古本は、新刊よりずっとどこで買ったかを覚えているからそれも面白い。

「イルカと日本人の関係は、もっぱら人間がイルカを殺すという形でしか存在してこなかった。」(前提書)
なるほど。
しかも虐殺と言っていい殺し方だ。

「日本スゴイ」系のなかに日本人は縄文時代から森羅万象をうやまい野生動物との共存をはかってきた、みたいのがあるが。

拙エッセイ集のなかでもいくつか書いているが、ブラジルと縁ができてからイルカとも接点があった。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000258/index2.cfm?j=1

この本に出てくる、チャネラーを使ってのイルカとの交信、といった話になるとついていけない人も少なくないだろう。
僕にはこの本にあるような、言語ではない部分でわかるような気もする。

さて、なぜ今の僕がこの本を選んだのだろうか。


8月16日(月)の記 弱き美
ブラジルにて


今日も疲れの余韻を引きずった感じ。
本でも読もう。

『イルカが人を癒す』を読了。
単行本の棚から『弱き者の生き方 日本人再生の希望を探る』を抜き出す。
日本人再生云々、はあまり関心がない。
これは考古学者の大塚初重さんと小説家の五木寛之さんの対談本。

「弱き者」に惹かれた。
大塚先生は考古学者だが、専門が古墳時代のため、僕は名前ぐらいしかピンとこないでいた。
五木さんの本には高校時代にだいぶ読み耽ったものだ。
ふたりが初めて明かすという、第二次大戦末期と敗戦直後の強烈な体験が書かれている。

しかしタイトルにある「弱さ」そのものについてはさして言及されず仕舞だった。
「弱」の旧字体を大きくかたどった表紙のデザインも強烈なのだが。

「弱」の字のなりたちを調べてみよう。
ふむ、飾りを付けた弓を整えて並べる→しなやかである
これが転じて「弱い」の意になった由。

よわさは、しなやかさに通ず、か。
「裏」も好きだが「弱」もますます好きになった。


8月17日(火)の記 カヴァルカンティ!
ブラジルにて


今日は歯科医で『マラソンマン』の続編作業だ。
削ったり詰めたりの作業の合間にクリチバへの旅の話などを経て、最後に尋常ならざることをうかがう。
次回、もうちょっと聞いてみよう。

さて今日のグラフィティのスナップ撮りをどうするか。
クリチバの旅で想像以上の収穫あり。
しかしここのところ絵柄としては画角の狭いものが続いている。
このあたりで、スコンと抜けた広い絵が欲しいな。

東洋人街をあさってみるが、小物ばかり…
リスクを覚悟で、中心街まで行ってみる。
たまにはビルの壁面に描かれる大作もいいかも。

うーむ、少し食指が動くものも光線が面白くない。
全体を撮ろうとすると、たむろするストリート系の人たちも入ってしまい、ややこしい。
そもそも今日は断食二日目であまり力が入らない。
しかも長距離の歩行に向かない靴を履いてきてしまった…

お。
古式のビルの薄汚れた外壁に、破損の見られるモザイク画が。
引き付けられるものがある。
近づいてみると、ディ・カヴァルカンティのサインがあるではないか!
ブラジル近代アートの巨匠だ。

ビルから出てきたスタッフらしいおじさんに聞くと「彼のだよ。詳しいことは奥の受付で聞いてみたら」とのこと。
カヴァルカンティの作品なら、あとでネットで調べればわかるだろう。

https://www.instagram.com/p/CSsAZH-HR9j/
このビルは西暦1955年完成とわかった。
なんとクリチバの目玉のオスカー・ニーマイヤーの建築とのこと。
カヴァルカンティのモザイク画は今世紀になってからの路上生活者の焚火で破損した由。

重要文化財級の作品である。
日本で同時代の国民的アーチストというのがすぐに思い浮かばないが…
ざっくりいくと、横山大観より新しくて、岡本太郎より古い、世界的なアーチスト…

まあ僕の日毎のコレクションでは作者の知名度はどうでもいいのだが。
このカヴァルカンティの作品は労働者を描いたもの。
富山妙子さんの炭坑のスケッチをほうふつさせる。

さあ、おうちに帰ろう。
わが家の近くでの買い物もある。


8月18日(水)の記 時空の果てまで
ブラジルにて


午前中の買い物のハシゴ、いったん途中で帰宅。
ノートパソコンに、日本の富山妙子プロジェクトのキャップからメンバーにメッセージが入る。
富山妙子さんが亡くなったという。
しばし言葉をうしなう。

今年の11月に満100歳を迎えられる直前だった。
富山さんは不死身ではないかと思い込んでいた自分の浅はかさ。

…いま、自分にできること。
ひょっとすると訃報が伝わっていないかもしれない方々にメールやメッセージでお伝えしておく。

パンデミック以降、訪日できないことで不足を感じることがふたつあった。
ひとつは、温泉や銭湯に入れないこと。
もうひとつは富山さんにお会いできないことだった。

想いは、千々に。
すでに富山さんが自分のなかに血肉化されていることに気づく。


8月19日(木)の記 いたみわけ
ブラジルにて


富山妙子さんの喪に服している。
昨晩、口にしたマグロにあたった。

日曜の路上市で見るからに鮮度が悪そうなのが安売りされていた。
ステーキにはいいだろうと買ったものの。
油で焼いてにじみ出てきた汁をなめてみると、舌がしびれる。
本体の小編を口にするとビリビリときて、さっそく嘔吐。

調べてみると、ヒスタミン中毒というやつのようだ。
子供の頃からマグロを食べると気持ち悪くなっていた理由がようやくわかる。
僕はこれには特に敏感のようだ。

夜間は火曜に詰めた仮歯が痛み、眠れないほど。
午前中、歯科医に電話をすると彼女は休みで秘書の取次ぎを待つ。
指示された痛み止めの薬を飲んで、しばしおさまる。

12時間ごとに服用とのことだったが、4時間ほどでまた痛みがぶり返す。
パソコン作業や読書もしていられないほど。
歩いたり、台所仕事をすると少しまぎれるのだが。

いやはや。


8月20日(金)の記 ケーキを食べればいいじゃない
ブラジルにて


歯科医からは痛み止めの飲み薬を12時間に一錠、と言われた。
が、服用後4時間も経つと痛みがぶり返してくる。
家庭医からは痛み止めの薬は胃を傷めるからあまり飲まないようにと言われるが、寝ていることもままならない痛み。

朝イチで歯科医の所属する医療機関に電話。
昼に診察を予約。
…日本軍の戦線には軍医や慰安婦はいても歯科医はいなかっただろうな、などと想いを馳せる。

さる火曜に入れた仮歯が少し高かったので嚙み合わせに問題が生じたのだろう、という歯科医の説明。
恐るべし、噛み合わせ。

さて、昼飯はどうしよう。
昨晩は白飯の咀嚼もままならなかった。

カフェ店にあるスナック類も咀嚼する気力がわかない。
ケーキなら、いけるかも。
さる6月に思い切ってベルを鳴らして「秘密の花園」と名付けたカフェに行ってみるか。

店側の手間暇を考慮するとコーヒーだけでは申し訳なく、かといって僕はケーキ類をさほど好まず、値段も張るので再訪の機会がなかった。
今日はいいでしょう。

おや、今日は先日よりだいぶ安い感じのお勘定だ。


8月21日(土)の記 ゴハン2種
ブラジルにて


わが家の周辺、食べ物屋は増える一方である。
さして外食をする方ではないが、その方では不自由はない。
昼は僕の徒歩圏で見つけたハンバーガー屋のテイクアウトを頼んでみる。

わが子にピックアップを頼み、僕は添え物をこさえることにする。
冷蔵庫をのぞいてみて。
冷ご飯がある。
ライスサラダをつくってみるか。

エチオピアン航空の機内食で何度か食べたことがある。
炊いたコメを冷やして、サラダ野菜のみじん切りとともにヴィネガーで和える。
今日の残りご飯はジャポニカ系の米だったが、ブラジルで一般的なインディカ系ならパサパサしてなおよかろう。

夜はパルミット:ヤシの若芽のリゾットをつくってみよう。
ブラジル産のインディカ玄米のパラボイル米を使ってみる。
うーむ、袋には20分で炊飯OKとあるが。
その倍ぐらいはかかるな。
まあ、なんとかなった。

コメも、コマメにやればいろいろと楽しめる。


8月22日(日)の記 消えたショーグン
ブラジルにて


先週日曜日の路上市で巨大なカブを見つけた。
幼児の頭部ぐらいの大きさ。
それで5レアイス:約100円だから安い。
「SHOGUN」と表記してあった。
いったんやり過ごすが、反転して購入。

非日系の売り子は「ツケモノには小さいのの方がいいよ」という。
将軍という蕪の品種があったっけな、とどしりと重い蕪を抱えて帰る。
検索にかかって気づく。
「聖護院だな」。
日本でもあまり一般的ではないだろうし、ブラジルでショーグンに化けたのだろう。

葉だけでも漬け物、菜飯と味わえた。
皮はキンピラに用いて。
本体は半分ほどベーコンと炒めてみた。
先週の歯痛の時、咀嚼できたのは炒めて柔らかくなったこの蕪だけだった。

今日の昼から連れ合いの実家で炊事を担当することに。
ショーグン蕪は見せるだけでも話のタネになりそうだ。

と思って探すが、今日はない…

お、実家には冷蔵庫に「ふつうの」白株があった。
葉の部分は落としているが、茎が見事。
実を味噌汁にして、茎を油揚げと煮びたしに。
まず実を薄切りにして浅漬けにしてみるが、これは冷蔵庫に入れたまま忘れちゃった。


8月23日(月)の記 よそをあるく
ブラジルにて


今日は出先で朝昼夜の、おさんどん。
午前中、グラフィティ採集と買い物に出てみる。
ここの高層アパートの住民は、ジョギングウオーキング以外はすべてクルマで動いているようだ。
付近は…大きな倉庫類、スラム街、他の高層アパート。

お、他にも歩きと公共バス使用の層がいる。
高層アパートの管理スタッフ、清掃人、家事手伝い労働者たち。
まあいずれにしろ地域住民ひと通りを巻き込んでのイベントなどはむずかしいだろうな。

歩いていても、ひとことで言って殺風景。
これというグラフィティを探すのにこれほど苦労するとは。

なにかチャンスがあれば回廊状をなすトンネル型のスラムのなかを歩いてみたいものだ。

炊事の合間には、締め切りが迫ってくる原稿の構想をだらだらと考える。


8月24日(火)の記 カフェ・サウダージ
ブラジルにて


午後はやく来た姪に、連れ合いの実家の件をバトンタッチ。
二日ぶりにわが家に戻る。
グラフィティのスナップ撮りは済ませておいたが、まだ今日は1000歩も歩いていない。
買いものを兼ねて、出家。

ふだんは月曜に行なう一日断食を明日にする予定。
して、ブラジルのコロナ状況は…
新規感染者数は、人口比を換算すると日本の方がブラジルを上回ってきた。
ブラジルは死者数も日に平均1000人以下には収まってきたが、まだ日本より桁違いに多い。
リオ州などでデルタ株の蔓延とのことで、予断は許さない。
9月ぐらいにまた厳しい事態を予測する向きもある。

行けるうちに、カフェに行っておくか。
カフェのリフレッシュ効果はあなどりがたいものあり。
近所で新装開店しそうでしない日系のカフェに行ってみる。
うむ、あいかわらずシャッターが閉まっている。

さあどうするか。
ちょっと歩いてお目当ての店に…
あ、月曜は休みか。
けっきょくわが家の至近のカフェに座る。
ここはかなりのヴォルテージなのだが、近すぎる落ち着かなさ。
換気は抜群、今日のような汗ばむような日にはもってこいだ。

さて夕食の準備だ。


8月25日(水)の記 乾いた街
ブラジルにて


深夜、喉の違和感を感ず。
出先に時折り咳き込む老人がいたが…

わが家にブラジルで「中国のシロップ」と呼ぶ蜜状の生薬があったのを想い出す。
まずはそのまま、舐める。
ふむ、香港製か。

そもそも空気の乾燥が激しいようだ。
スマホで見ると、30パーセント台。

検索してみると…
湿度は40パーセント以下が危険域とのこと。
意外なことに湿度が低い方がウイルスは活発になる、とある。
じめじめしている方がウジャウジャしそうな感じだけど。

どういう理屈だろうか?
湿度が40%以下になるとウイルス飛沫の水分が蒸発して軽くなるため、落下速度はゆるやかになり約30分間、空気中を漂うことになります。湿度60%と比較すると湿度30%では2倍遠くに飛ぶそうです。乾燥するほど広い空間にウイルス飛沫が広がります。
https://doctor-et.com/news/355

すぐにヒットしたのは、日本の田中内科クリニックという呼吸器内科専門のホームドクターのウエブサイト。
僕でもわかる記載でありがたい。
微減傾向の当地のコロナ禍への影響が気がかり。

乾燥の弊害はさまざま。
サンパウロ市近郊の州立公園がひどい森林火災を起こしているという。
熱気球が原因らしい。

今日は一日断食とするが、のど飴とこの蜜薬は「別腹」として服用。
夜間、喉にこびり付いていたものがするりと排出、楽になった。


8月26日(木)の記 ブラジル蝶蠅
ブラジルにて


お、ご無沙汰。
今日はわが家のシャワールームで対面。
ちょっと余裕がなく、待望の観察には至らず。

僕の人生で、はじめの頃から身近にいた昆虫だ。
東京目黒の実家の、現建築より二代前の20世紀前半築のわが家の風呂場や台所で…
恥ずかしながら、ごく最近まで日本語でなんという名か知らなかった。

ブラジル人のフェイスブックの昆虫好きのグループの投稿で知った。
こちらのポルトガル語の名前があり、邦訳すると「ベンジョバエ」。
調べてみて和名はチョウバエと知る。
蝶蠅だ。

あえて日本語で呼ぶとブヨやブトかな、ぐらいに思っていた。
チョウバエの名の由来を探るとドイツ語名の日本語訳らしい。
日本でも文明開化以前はこの虫を呼ぶ一般名がなかったようだ。
僕の「日本人脳」ではこの歳まで分類もできていなかったのも、そのせいか。

洗面所やトイレ、台所などヒトの居住空間の水回りに生息。
幼虫は水棲で、コケや排水の汚れを採食している。
生態学的に考えて、ありがたい存在ではないか。

ところが害虫認定。
化学薬品やら出張清掃など、害虫認定で商売にしている業者がネットでウヨウヨわいてくる。
チョウバエの存在が不潔な場所の象徴で、細菌を運ぶ可能性もありというが…
実際にチョウバエの幼虫が人体に寄生した例もあるとのことだが、きわめて特殊な事態のようだ。

ネット上でこれまた例外的に「チョウバエかわいい」「逆ハート形」などの僕にはそそる記載もある。
僕の経験ではこの虫の大発生にあったこともなく、僕自身は特に不快に思ったこともない。
「かわいい」とも今のところ思わないが、身近な隣人ならぬ隣虫への関心、好奇心は持ち合わせていたい。

ヒトの定住生活開始以前、チョウバエはどんな環境に生息していたのか。
江戸時代の長屋には確実にいただろうなあ。
ハエのウジより蚊のボウフラにずっと近い形態と生態だという幼虫も見てみたい。

 コロナ禍で
 チョウよハエよと
 想う日々


8月27日(金)の記 ぬたをうつ
ブラジルにて


そろそろ締切りも近づいてきた。
富山妙子さんの追悼文。
自分に課した再読文献はひと通り読み上げた。
昨夕はこちらのラジオ放送でひらめき。

日課のパソコン作業を片付けて。
ワードを開いて、入力開始。
…まさしく、のたうちまわる。
書きたいこと書くべきことは多々あるが、制限字数がある。
削り削り、何度も字数チェック…

これは落としたくない、これは欠かせない…

…いやはや、とりあえず目鼻がついたような。
ひと晩はねかせてみよう。

なんだかとても疲れた。
アルコールに頼りたいが、今日いっぱいは酒立ちしないと。
本を読む気力もない。

スマホをいじるのがやっと。
寝るか。


8月28日(土)の記 テンプラ移民
ブラジルにて


思い切って、天ぷらを揚げるか。
もうパンデミック以前から揚げていない。

換気扇のない台所での長時間の揚げ物作業はそもそもしんどい。
それに、たとえば天ぷら粉…

高価な日本からの輸入モノは、論外。
レシピを見ると「薄力粉」とあるが、いかんせんここはブラジル。
脱力なら負けないけど。

オリエンタル食材店で時折りパック詰めの掻き揚げがある。
これでも買ってきて天丼にすれば、家族は大喜び。
しかしこれはいつもあるわけではなく、東洋人街まで行ってもない時もある。
これもそもそもテキトーな野菜をウドン粉でべっとりと固めて揚げたシロモノで、日本の立ち食いそば屋の掻き揚げよりも、見た目も味もだいぶ劣る。

清水の舞台から飛び降りたつもりで、日本製の天ぷら粉を買ってみるか。
近くの日本食材店へ。
どこだ…
買ったことのないもののありかはなかなか…

あったあった。
日本製のものを手にする。
おや、他にもあるではないか。
もうひとつはブラジル製かと思ってよく見ると、韓国からの輸入品。
日本製の半額。
さらにもうひとつ、これはブラジルの国産だ。
韓国製より安い。
これまで眼中に入れていなかったので、存在すら知らなかった。

ふむ、卵も使わないで、この粉と水だけでいいのか。
原材料を見ると…
小麦粉、片栗粉に当地原産のマンジョーカ芋:キャッサバの澱粉。
さらに卵の粉、塩、とある。
夕方からチャレンジ。

カボチャ、ブロッコリー、ヒラタケと揚げていく。
これまでは掻き揚げ中心に揚げていき、のこりの衣液で野菜類を揚げる程度だった。
今回は最後に掻き揚げで苦戦、バラバラになる。

小麦粉を足したり、卵も加えたり。
いやはや。
家族に先に食べてもらって、こちらはまずシャワーで洗髪もして油を落とす。

家族には好評、あっという間に。
以前、掻き揚げはオタマを使ってまあまあうまくいっていたのだが、今回はオタマから外すのに失敗続き。
粉の関係か。

折を見てネットで研究しよう。
今後はもう売り物の掻き揚げはやめておこう。


8月29日(日)の記 サワラぬ魚
ブラジルにて


冷蔵庫にシャケのアラもあるし。
今日は路上市でナマ魚を買わないつもりでいた。

最近はアジをすすめられるが、中落ちの処理がめんどくさい。
いちおう売り場をのぞく。
ふだんは規則もあるのだろう、並べられた魚類の上にプラスチックの透明なカバーがかけてある。
ところが一部を外してあり、日系とみられる老女が片っ端から指で魚を押している。
鮮度をみるつもりかもしれないが、このコロナ禍に。
しかもさんざんいじって買う気配もない。
クセなのか、確信犯のウイルス拡散か。

買い手は生魚もアルコール消毒の用ありか…
馴染みの店員がサワラをすすめてくる。
うーん、買うか。
ばあさんの押痕のないのがいい。
皮は剝いでもらう。

夜はサワラの刺身と…
刺身の苦手な家族にはバター醤油焼きとする。
さらにセビッチェもこさえてみよう。

うむ、刺身よりセビッチェの方がうまい。
セビッチェ用には刺身より薄切りの方がいいな。
ブラジルのグルメ記事でセビッチェにココナッツミルクを使用、というのがあった。
ペルーゆかりの在日本の友人に現地でそんなレシピがあったか聞いてみる。
僕はブラジル式アレンジかと思ったが、現地にもある由。

サワラの刺身を酢味噌でいただいたこともあるな。
味噌使用のセビッチェ風も面白いかも。


8月30日(月)の記 ウナ電のパワー
ブラジルにて


チックか、ツルかというぐらいのタンチョーな日々。
前日のウエブ日記になにを書こうか、タイトルをどうするかと、これでもけっこうシンギンしている。

まずは中心のネタを定めて「資料」を読み返す。
そしてタイトル…
ウナ電、という言葉が浮かぶ。
これで決定、と思うがそもそも「ウナ電」ってどういう意味だ?
あらたに検索…

夜、たまる一方のスクラップ記事を少しいじる、
「ブラジルの新種の魚は最強の生物発電機」。
見出しの直訳、2年前の記事だ。

これまで一属一種とされていたアマゾン地域の電気ウナギの新種が確認された。
電気ウナギは3種に分類されることになり、新種のものが最大の発電力を有している。
とはいえ、そのパワーは860ボルトを3秒間、といった程度。
しかしその電力を利用、というよりその仕組みを研究することが医療用バッテリーなどへの応用で期待されている。

原発を破壊するほどの地震を起こす巨大ナマズの発電力はいかに。

アマゾンの電気ウナギはポラケという現地名で知られている。
決してうまい魚ではないようだ。
テレビ屋時代のネタにじゅうぶんなる魚だが、僕自身は直接、野生の電気ウナギに遭遇したことも捕獲したことも撮影したこともない。
ふと、金鉱から排出される水銀が有機化していくプロセスに電気は関係するのかな、と素朴な疑問。

アマゾンの先住民の女性たちが声をあげ始め、女性のオピニオンリーダーが輩出しつつある、という記事も重要ファイルに区分けしておこう。


8月31日(火)の記 カミングアウト
ブラジルにて


チベットの仏寺でTVクルーのスケープゴートとなり、食中毒に。
初のブラジル取材ではパンタナール大湿原で失明の危機。
移住後はブラジル勝ち組の残党にいたぶられて免疫が異常低下の末に…
パンデミックにちなんでエッセイ『南米に病む/私の病歴』をカミングアウトしました。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000258/20210830016215.cfm?j=1

以上は当地9月1日の朝にアップしたツイッターです。


7月にこのエッセイを再録しようと準備しつつ、ラジオ出演、州外遠征、富山さんの逝去などで8月末になってしまった。

読み返すと今の僕なら書くのを見合わせるようなこともあるが、あえてそこはいじらずに改めて発表してみることとする。
オンラインだから、何か問題があればすぐにいじれるし。

想えばチベット取材のこと、パンタナールのことなどこのウエブ日記でも書いた覚えがあまりない。
拙著『忘れられない日本人移民 ブラジルへ渡った記録映像作家の旅』は僕が親しくお付き合いしたブラジルの日本人移民に特化しているので、大アマゾンなどの取材にもほとんど触れていない。

かつてのエッセイの改稿アップに際しては新たに写真を添えるようにしている。
次の分の写真用の素材をそろえておこう。







 


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