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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2022年の日記  (最終更新日 : 2023/01/01)
1月の日記 総集編 東大デトックス

1月の日記 総集編 東大デトックス (2022/01/05) 1月1日(土)の記 元旦にあるく
ブラジルにて


まずは元旦のミサにあずかりに行く。

昼時、家族をクルマで目的地まで送る。
そのついでにグラフィティ撮りぞめをはかるが、なかなかの雨となる。

付近は路上・暗渠・法面生活者が出没するので要注意。
この辺の人たちは、雰囲気からヤバい。
複数で襲われたらアウトだ。
ささっとスナップ撮り。

ぶじ帰宅。
…今日は歩行数が圧倒的に少ない。

わが団地内の敷地を歩くか…
いやはや、これがよろしい。
Tシャツ短パン、ハヴァイアーノのビーサン履きでオッケー。
スマホの万歩計を見ながらでも、カッパライの心配無用。

犬のウンコやガラス片、穴ぼこのリスクもない。
中庭を中心に、ルートは思いのまま。

…これまで2度ほどゲスト講師として乗船した日本のクルージングを想い出す。
今の僕か、それ以上の年配者が多く、早朝や夕方、甲板をウオーキングしている人が少なくなかった。
僕も数回ぐらいたしなんだかな。
船のウオーキングは景色こそ刻々と変わるが、コースは単調そのもの。

こっちの方がいいな。
にわか雨が来たり、急に便意に襲われてもわが家にすぐに戻れるし。

これは心身ともによろしいな。


1月2日(日)の記 リスクの報酬
ブラジルにて


さあ、今日のグラフィティ採集はどうするか。
家族で朝のミサにあずかっての帰路。

車で、少しファヴェーラ(スラム街)寄りの道を通ってみる。
このあたりの判断のバランスがむずかしい。

…この道を行ってみるか…
思わず目をひくグラフィティあり。

車に女ふたり残し、エンジンをかけたまま下車して早撮り。
https://www.instagram.com/p/CYPA2H2rZ7b/

日曜の朝はファヴェーラの住民たちの活動開始も遅い。 

想えば自動車を盗まれたこともあり、運転中に襲撃されたことは複数回ある。
ほどほどにしないと。


1月3日(月)の記 あ、みょうが
ブラジルにて


ブラジルでは今日から新年の諸々の営業開始。
日本ならまだ三が日だが、トラブル続きの歯科医の問題で朝から東洋人街の日系医療機関へ。

非日系のスーパーで国産のジン(アルコール飲料の方)を購入。
日系食糧品店でミョウガを買う。

先日、路上市でも見かけたが、値段が「しょっぱ」かった。
この値段なら、思い切って。

まずは薬味にして素麺でもいただくかな。

…東洋人街をそこそこ歩くが、正月飾りみたいなのは気がつかなかったな。
クリスマス飾りはまだあちこちで見たけれど。


1月4日(火)の記 東大デトックス
ブラジルにて


さあ。
今年はじめの、日本相手のオンライン業務。

これはすばらしかった。
相当な手ごたえ。
知の場での対話は、かくあるべし。

あの年末のお粗末極まりない主催者のお粗末なイベントとは、比べ物にならない。
雲泥の差、月とすっぽんと言ったら、泥にもすっぽんにも失礼というもの。

これを縄文と弥生にたとえて書いてみるかな。
いずれにしろ、詳細はいずれ、お楽しみに!


1月5日(水)の記 天気雨
ブラジルにて


午後から、はじめての専門医の診察を受ける予定。
勝手がわからず、落ち着かない。
家人が同伴。

ビルの受付、診療所内での待ち時間が長い。

とりあえず、大事はなさそうとのこと。
帰路は隣駅近くで用事があるという家人とともに、ひと駅歩く。
雨宿り、しばしば。

隣駅前の通りに面した大衆レストランで遅めの昼食。
イタリア以来かも、と話す。

あ、日が照ってきた。
天気雨になった。


1月6日(木)の記 ナスの妹
ブラジルにて


一昨日、買ったミョウガをどうしようと思案…

おう、山形のだし。
こっちの季節は夏、そもそもミョウガも夏野菜では。
とりあえず、キュウリとナスか。

日系人の多いサンパウロでも日本キュウリと日本ナスは、そう簡単には手に入らない。
…けっきょく計6軒のスーパー、八百屋をハシゴ。

ネットでざざっとレシピを検索。
まーこれもいろいろあり過ぎ。

日本から担いできた納豆昆布がまだ残っている。
ふむ、ナスは水にさらすのか。
ショウガはどうしよう。
ま、テキトーにいきましょ。

いちおう冷蔵庫で冷やすか。

いやはや、よろしい一品でした。
いろいろヴァリエーションを楽しもう。
うーん、オクラはどうするかな。


1月7日(金)の記 かつぶし探し
ブラジルにて


今日も東洋人街の医療機関の歯科へ。
一生モノと言われた差し歯が最初は数か月で抜け、つくり直すと数日で欠けてしまった。
先方のミスだから今のところ追加料金は取られていないが、メトロ代もばかにはならない。

それでも東洋人街に出れば、新しいグラフィティに出会えたり、買い物もできるのでそれはそれで楽しい。

さて、わが家の鰹節のストックが払底してしまった。
拙宅ではさほど使うこともなく、これまでは日本でのいただきもののパック入りでこと足りていたのだが、さすがに。

ミョウガの在庫もあり、やはり鰹節は常備しておきたい。
と、わが家の近所の日本食材店をハシゴするが…
ないのだ。
かつおだしは何種類もあるのだが。
日系二世以降になると、日本でのデカセギ体験を経ても鰹節への希求は生じないのか…

というわけで、東洋人街の大型食材店で探してみる。
むむ…
ブラジル産イリコの粉末までは見つけたが…

あきらめてそれを持ってレジの列にならぶと、あった、日本製の大小パック入りが。
フンパツして、これも購入。

が、ミョウガは醤油とカツブシでいただくより、山形のだしに混ぜた方がよろしいな。


1月8日(土)の記 サンピーター騒動
ブラジルにて


昼、家人と隣駅近くのペルー料理屋まで歩いていく。
さて、この店に最初に行ったのはいつだっけ?

…インスタグラムで調べる…
ほう、ちょうど3か月前か。
いらい気にはなっていたが、決して安い店ではなく、そもそも通常モードではなるべく外食は控えている。

駅の隣にある、ミニショッピングモールのフードコーナー。
今日は土曜で、開いている飯屋はあと一軒。
先回はペルーから来てまだ数か月というおばちゃんひとりでまかなっていた。
今日は先にブラジルに来ていたという息子が手伝っている。

例によってサンピーターという魚のセヴィッチェをすすめてきた。
生の魚介類をライム系でしめたセヴィッチェはお好みだが、サンピーター=ティラピアはいただけない。
息子にそれを伝えると、サンピーターはティラピアではない海の魚だという。

ティラピアはアフリカ原産の淡水魚でブラジルでも各地で養殖されている。
日本でも沖縄でそこそこポピュラーになっているようだ。
イズミダイなどという和名もつけられているが、騙されてはいけない。

以前も書いただろうが…
サンピーター:聖ペドロ:聖ピエトロは、そもそもイエスの弟子、初代教会の礎となった元漁師。
新約聖書に出てくる彼の話、魚のエピソードからガレリア湖に生息する淡水魚がこの名で呼ばれるようになったようだ。

いっぽうカトリックの「メッカ」のあるイタリアではタイの仲間の海水魚がこの名前で呼ばれていて、ややこしい。
いつのまにかブラジルでもティラピアの名前で呼ばれていたのが、英語もどきのサンピーターと呼ばれるようになってきた。

さて息子のカルロスが言うには、このサンピーターはティラピアの値段の倍近くするのでティラピアではない高級なサカナだ、という値段からの分類論。
そもそも魚屋で切り身で買っているので、サカナの全身像は知らないという。
海サカナの根拠がない…

試食用に持ってきたが、見た目も味もティラピア。
そもそもセヴィッチェの味が沁みていなく、まあ味のついていない淡水魚の刺身をふるまわれたと思ってくだせえ…
さすがにはっきりとマズイとは言えないが、やはりこれはティラピアだというと先方もあきれて笑い出した。

今日は2品、頼み、1品はヒラメのフライ。
どうしたことか、このヒラメが泥臭い。
下味で臭みをぬいていないナマズのようだ。

まあサカナに決して詳しくはないが、サカナ料理であんましニホンジンなめてもらうと困るな。
海で釣って、とまではいかないが、市場で自分で選んで買って裁いた方がよっぽどうまくて安い。

この店、よりわが家に近い場所に移転を考えているという。
ま、そうなるまでもうあまり来ることもないかも。


1月9日(日)の記 山ゆかば
ブラジルにて


連れ合いの肉親が年末から里帰りしている。
が、諸々の事情でサンパウロ市内から出るのもままならないまま。

今日は彼女を乗せて、クルマで郊外の空気を吸いに行くことに。
南を考えていたが、北に変えた。
北の方は、わが未開発の領域。

地下鉄南北線に沿って北上。
マンチケイラ山脈がヴィジュアルに迫ってくる。

おお、この上りの急勾配ときたら。
リオの山頂を目指すツアーなみだ。

レインフォレストにふさわしい雲霧。
おめあてのカフェはどこだ。

道路べりのカフェは、客が三組も入ればカツカツだった。
…ま、話のタネだ。
グラフィティの写真は、よき哉。
https://www.instagram.com/p/CYg1xpgrtXx/

それにしても、身近にこんな山と森があったのに、という思い。

サンパウロ市の北のマイリポランという市に入る。
あ。
『ブラジルのハラボジ』の主人公・セニョール三田はブラジル移住後、このマイリポランの日本人の農場で働いたのだった!


1月10日(月)の記 スマレに住まえば
ブラジルにて


連れ合いから、市内の知人のところに届け物があるのでクルマを出してくれないかと頼まれていた。
今日の午後、決行。

彼女も行ったことがないところで、僕もさして縁のなかったあたり。
地区名でいうと、スマレになるようだ。

いやはや、ナビがあってもややこしい。
急勾配の坂道の続くこと。
わが家の下の方も相当なもんだが。

先方は、一軒家だった。
「入ってカフェでも」と誘われるが、僕はまず近くのグラフィティ漁りをさせてもらう。
いやはや、いろいろあって迷う。
…戦略的に、これにする。
https://www.instagram.com/p/CYkGRCALqc9/

ぐるりと回って、振出しに戻る。
先方の夫が言うには「スマレ」とは先住民のことばで「のぼりくだりの多いところ」を意味する由。
そんな地形をひと言で言いあらわせるのだろうか。

家で、調べる。
sumaré…

う、先住民ツピー語で野生の蘭の名前、とあるではないか。
他も調べるが、ランばかり。
うー、あのヤロウ…

さらに調べる。
お。
起伏や穴の多いところ、というのもあった。
そもそもsumare と sumaré、アクセントのあるなしでだいぶ違ってくるようだ。

うー、アタマがいたくなってくる。

まー事故もなく帰れてよかった。


1月11日(月)の記 韓国関係者に誠意ありや
ブラジルにて


今日も朝から東洋人街の歯科医へ。
グラフィティ状況の視察のため、いつもとは別方向をまわって帰る。
東洋人街印はやたらに大学が増えたが、気の利いたカフェというのが見当たらない。
回り道はしたが、寄り道はしないで帰宅。

さてさて諸々の作業。
過去のウエブ日記の月ごとのまとめが滞っている。
2021年10月分を一日分ずつコピペして、ひと月にまとめる作業を行なう。

正直めんどくさい作業。
だが、過去を振り返るいい機会だ。

この10月の30日から東大東文研のプレイベントオンライン上映会が始まっている。
このプレイベント、そして連続3回の本イベントのためにどれだけ僕が奔走していたかがよくわかる。

プレイベントの上映作品のDVDはすでに東文研の真鍋教授に渡してあった。
だがオンライン上映の便宜も考えて、さらに一か所の修正もしておきたく取り組んだ作業が大変だった。
技術的なトラブルがあり、日本のシンパに助けていただく始末。

思い出した。
2020年3月のことだ。
真鍋教授より、この年の5月に40周年を迎える韓国の光州事件記念イベントで岡村の作品に韓国語の字幕を付けて上映したいという計画を伝えられた。
翻訳は関西在住の韓国人女性が担当するという。
字幕付け作業は韓国側で行なうということで、まず僕は日本語の字幕の入っていない、いわゆる「白素材」を作成して手配する必要があった。

すでにその頃は中国を中心に東アジアでコロナ問題が深刻化して、日本と韓国の郵便に支障が生じていた。
DVDを焼いても先方に送ることができない。
当時の僕は自分が上映会場に立ち会ってDVDを上映するライブ上映を専らとしていたので、作品を動画ファイルにするという必要性もなかったのだ。

こうしたことを業者に頼むにはもちろんばかにならない経費も発生するし、急ぎの作業はさらに特別料金を加算される。
そもそもそうした作業は東大側が手配するべきことで、先方にはオーディオヴィジュアル担当のスタッフもいる。
経費はもちろん例のカケンヒとやらでまかなうべきものだ。

こうした時に「お人よし」がけっきょくバカを見る。
後手後手無策の東大教授を見かねて、僕の知人のサポートを頼んでみましょうかと提案してしまった。
そもそも僕の作品の問題であり、知らない業者にビジネスで金儲けされるより、気心の知れた仲間の手で行ないたいという気持ちもあった。
真鍋教授はしかるべき御礼はするという。

ということで在日本のわがシンパに僕の作品の「白素材」をデータ化して韓国側の担当に送ってもらうことになった。

在関西の翻訳者とは、僕は「科研費で」交通費を捻出を受けて直接、大阪で彼女が拙作で聞き取れない部分を一緒に視聴して翻訳のサポートを行なった。
この彼女がまたいろいろとありえない問題を起こしてくれたのだが、それはまた改めて。
けっきょく誰のチェックも受けた形跡のない翻訳が(後日、たまたま岡村はその一部を知っただけでも明らかな誤訳があるではないか)ハングル文字で字幕として施されて、岡村に報告も許可もないまま韓国で無断上映されていたことを、僕はたまたま知ることになった。

今回、問題にしたいのはこの2年前のわがシンパの作業に対して、今年のイベント時にも真鍋教授に謝礼をしたのかと問い合わせたが「いずれ近いうちに」というばかりでそのままの気配だということだ。
オカムラごときのシンパにカネなど出してたまるか、というハラなのだろうか?

さんざん無償奉仕させたオカムラを、オンライン公式イベントでシャットアウトしたうえで延々とあげつらうような御仁である。
不言実行の岡村と、有言不実行の東大教授のコントラストがきつすぎる。

いつまで現職に留まれるおつもりかは存じ上げないが、少しでも権限のあるうちに多少なりともこうした未処理事項をなんとかしていただきたいものである。


1月12日(水)の記 注射場にて
ブラジルにて


早朝よりメトロで5駅ほど離れた大病院へ向かう。
午前7時前だが、メトロの駅に向かって続々と大衆が向かっているではないか。
スタンドの朝食屋も何軒か立っている。

こういうのを見ると「ブラジル人はナマケ者」などというステレオタイプにはとてもくみしがたくなる。
ナマケ者なのは、ブラジルに来てこういう早朝の光景を見ることもなくブラジル人を語る日本人の方だ。

おう、検査待ち堂々一時間。
久しぶりに文庫本を持ってきてよかった。
いつ呼ばれるか気が気ではなく、読書量ははかどらなかったけれども。
12時間絶食の「ごほうび」の軽食券をもらう。

帰路、わが家の最寄りの「注射」場をのぞいてみる。
スタッフは未着のようだが野営注射場は設置されて、すでに待機している人もいる。
薬局の野外駐車場に築かれたコロナワクチン臨時注射場だ。

検査で血を抜かれたといってもたいした量じゃなかった。
今日、打つか。
帰宅してこれまでの2回のワクチンパスポートを持って。
3打目に挑む。

昼前、さすがに「打ち子」の看護師は到着していた。
僕の前に家族が一組。

どこからともなく現れた老人が先になった。
老人の背中しか見えなかったが、看護師が「マスクは?」とたしなめても動じない。
マスク未着用だった。
認知症か、耳が遠いのか…
看護師はあきらめて老人にワクチンを打つ。

僕の後ろには急に列ができてきた。

今日の失敗。
僕はギッチョなので、朝の採決は右手にしてもらった。
バンソコも鮮やか。

それもあってワクチンは利き腕の左に。
今回は、そこそこに腕が痛むではないか。


1月13日(木)の記 木村さんとセッション
ブラジルにて


関係者の方々にまず試写をお願いした後、一昨日にYouTubeの公開設定とした『木村浩介 鷹番ライブ 2015』。
https://www.youtube.com/watch?v=qLrzePQ361A
じわじわとアクセス数が増え、思わぬうれしいコメントも寄せられ始めた。

僕自身は木村さんに近すぎたせいか、そしてそもそも音楽のことはよくわからないので、木村さんの音楽を客観的に評価できないでいる。
木村さんの『にほんのばら』(岡村の新たな邦訳タイトル)はずばぬけてスゴイ、すばらしいとは思うのだが。

このライブ企画を実現してくれたのは、目黒の古本遊戯・流浪堂さん(最寄り駅は東急東横線学芸大学駅)。
その流浪堂さんのお店での展示企画で知り合ったアーチストの三木繭美さんが、この動画を見て触発されて描いたという作品の画像を送ってくれた。
https://www.facebook.com/photo?fbid=10225117182211681&set=a.3410845544903

誠にうれしいノリである。
…見あきない作品だ。
モチーフは鳥だろうか。
かつて取材したブラジルの心霊画家のガスパレットさんに「憑依」したピカソの作風を想い出した。

そもそも木村さんは、生死のレベルを超えた不思議な話をしてくれたことがある。
追ってまた木村さんの別の動画もアップしましょう。


1月14日(金)の記 戌年男の嗅覚
ブラジルにて


午後、天然発酵パンを買いに出る。
お目当ては3軒あるが、いずれも地下鉄にして二駅は歩く距離。

いちばん遠いエンリコの店にするか。
グラフィティの採集はどうするかな。
どこのカフェに寄ってそれをインスタにあげるかな。

パン購入の後、はじめての脇道でちょいと変わったサルのグラフィティを発見。
さあ、カフェはどうするか。

チョコ菓子も売る隣駅近くの店にするか。
なんと。
その店の向かいの飲料問屋らしいところの壁で、グラフィティ作画中。
よくぞ。

カフェが運ばれてくるが「グラフィティを撮ってくるから」と席を立つ。
脚立にあがって作画にかかるグラフィテイロにあいさつ。
聞くと、かれこれ一週間かけての作画で、今日が最終日だという。
降りてきて、名刺をくれる。
うう、こっちは名刺ケースは持ってきているが人の名刺しか入っていないではないか。

こちらの目的を伝え、名刺を切らしているのでインスタから挨拶するねと伝える。
カフェに戻って、さっそくアップ。
https://www.instagram.com/p/CYuKJYtLnic/
@で彼のインスタにリンク。

「価値を見つけてレスペクトしてくれて、大感謝」とポルトガル語で返しをもらった。
すてきな言葉だ。
こうした仕事に価値を認めず、レスペクトもしない輩が少なくないこともうかがえてしまう。

表現者同士、礼儀が基本、それはどこでも通じるな。

1月15日(土)の記 ブリとナシ
ブラジルにて


異国から里帰りしている親類のおもてなし。
徒歩圏のヒミツのレストランへ。
ブラジルの新規コロナ感染者数もウナギ上り中。

が、予約したこのお店の客はわれら3人のみ。
応対側もシェフがひとりですべてをまかなう。

洋ナシとブリチーズのリゾットをオーダー。
チーズの名称はややこしいが、こちらで brie と呼んでいるのを『チーズ図鑑』で調べると「ブリ」とな。
フランスの地方の名前で、白カビのチーズ。

洋ナシはリゾットにしてもけっこうシャキシャキと自己主張していて、かといって出しゃばりでもなく。
私は、洋ナシになりたい。

用なしもつらいけど。


1月16日(日)の記 まさかのムサカ
ブラジルにて


さて、路上市にどんなサカナがあるか。
小ぶりのアジを2尾、購入。

ヨーロッパから里帰りしたものの、まだおいしい刺身を食べていないという日系の親類にふるまうことにした。
わが家で「なめろう」と「山形のだし」をこさえて。
刺身は向こうでおろそう。

先方は別の客にふるまった「ムサカ」という料理ののこりを出してくれた。
アフロな響きのある言葉だが、調べてみると東地中海料理とな。

僕のいただいたヴァージョンはひき肉中心の具をナスの薄切りで包んだもの。
悪くない。

なめろうと山形のだし、アジの刺身はいずれも好評。
聞かれるままになめろうのレシピを今日だけで何回、しゃべったかな。

アジを用いて、味の交歓でした。


1月17日(月)の記 よみがえれ橋本梧郎
ブラジルにて


YouTubeに新たに上げようとする作品について、まずは関係者の意向の確認をとる。
そのうえで、テープ素材をまずパソコンに取り込み。

この間に、別の気になっていた作品のデータ化を図る。
植物学者の橋本梧郎先生について、僕が最初にまとめた短編。

何人か、これをお届けしたい人がいる。
あらためてチェック。

画家の富山妙子さんに、なにかこの橋本先生に通ずるものを感じていた。
長寿、ということ以外に。

この記録では「まだ」83歳か。
最晩年までお付き合いした身としては、この時期の橋本先生にはまだギタギタしたものすら感じてしまう。

この動画をお送りした人から、さっそく「わが意を得た」以上のリアクションが届く。
ドキュメンタリー屋冥利に尽きる。

われをも、とご希望の方は、岡村宛てご一報ください。


1月18日(火)の記 『ベネデッタ』
ブラジルにて


気になる映画が、明日までで終わってしまいそうだ。
巷では新規コロナ感染者数が最大になりそうな勢いだが…

思いきっていくか。
平日火曜の最初の回なら、人の数も知れているだろう。
言葉はフランス語だったから、フランス映画になるのかな。
『ベネデッタ』。
17世紀に実在したカトリックの修道女の話。

昨年のカンヌ映画祭で話題を読んだようで、日本語の記事はあるが日本公開の予定は今のところないようだ。
https://www.banger.jp/movie/60879/

こちらのカトリック関係からはまるで話題を聞かなかったが、さもありなん。
まさしくカトリックの「秘所」をついてくる。
韓国映画の『お嬢さん』を想い出してしまった。

おお、なつかしのシャーロット・ランプリングが老シスター役で活躍。
『愛の嵐』でたまげたのは高校生の時か。
あの時の女優が今もこうして活躍しているのは、老いへの希望を授けてくれるではないか。

200人は入るコヤで、観客は僕以外に6人。

いいグラフィティの写真も撮れた。
https://www.instagram.com/p/CY4hQKMPjDb/

さあ、カフェはどうしよう?
ぐずぐずしていると、夕方のラッシュにぶつかる…
お高そうで気の引けた、パネトーネで有名なバウドゥッコの経営するカフェに思いきる。
おや、エスプレッソにポンジケージョで、日本の安めの喫茶店のコーヒー代以下で済むとは。

客もぼちぼちだが、よりによって近くのアニキが何度も咳こみ。
メトロでもあちこちで咳こみが聞こえる。

ようやく真夏日和になったが、映画館もメトロも冷房きかせ過ぎ。


1月19日(水)の記 『ササキ農学校の一日』
ブラジルにて


ブラジルの現地、奥地の人たちに頼まれてこさえた短編『ササキ農学校の一日』の日本語字幕版をYouTubeにアップ。
https://www.youtube.com/watch?v=va7aWCGvAMU&t=129s

YouTube公開用に、あたらしく冒頭に字幕を加える作業などで一日よけいにかかった。

(こうした細やかな作業と無償持ち出しの善意と厚意を冷眼視してあなどり、作者と作品をおとしめておいしいとこどりをはかりすべて自分のお手柄!というのが、あの東大教授の手口。
きわめて悪質な行為と存在を今後ともしつこく告発していきます。)

ふしぎな広がりを感じる作品だ。
さっそくブラジルの現地、そして日本さらに地球の思わぬところからのリアクションが。

これを制作した西暦2003年当時はブラジル奥地でのスマホやオンラインなど想像もできないことだった。
この農学校はその後、火災に遭うなどいろいろあった。
あらたに中学レベル対象から高校レベル対象にグレードアップ。

さらなるドキュメンタリー作成も考えて通っていたが。
これを作成した頃に僕が覚えた感動から離れて行ってしまった。

とりあえず僕にできることは、この記録をこうしてあらたな字幕も加えてYouTubeにあげてみることと判断した次第。

さて、お次は…


1月20日(木)の記 生マハを見る
ブラジルにて


昨年の東大東文研オンライン上映イベントの余話。
参加者から「あの東大教授は富山妙子さんに会ったことがないのではないか?」という声が寄せられた。

イベントでは「岡村淳」と「富山妙子」を銘打っている。
東大の独裁教授が岡村には敵意と悪意をもった言動を繰り返したことは周知のとおり。
事情を知らない方には、コリアニストと富山妙子をウリにするこの女性が富山さんに会ったことがないのではと思われるほどの富山さんの扱いだったことがよくうかがえる逸話だと思う。

亡くなったばかりの富山さんへのこころからの敬愛があれば、ああした自己愛自己弁護に終始する言動はとても正気では取れなかったことだろう。
富山さんと岡村の魂が一体化した作品の上映のあとで岡村を排他しておとしめれば、どういうことになるかの計算もできなくなるほど岡村への憎悪にあふれていたのだろう。
岡村をそうまでさせたのは、真鍋教授あなたです。

さて今日はこちらの朝イチでそうした事情も知る日本の大学関係者とオンラインのテストと打ち合わせ。
ひとりでよく健闘してくれている。
これはいいイベントと集いができそうだ。

事情により、連れ合いの実家へ。
今日は泊まり込み。
ここではNHKの国際放送が受信できる。
お付き合いで見る。

朝のニュースに出てくる男の顔から愉快ではない。
今度の朝ドラもなんだか興味がわかない。
次のスタジオ番組の冒頭で登場人物らが延々と朝ドラの話をしているのも不愉快。
カワセナオミ事件はどうなったのだ。

するとこの番組で、小説家の原田マハさんが登場。
この人を動画で見るのは初めてだ。
日本から戻る際、空港の本屋でこの人の新しい文庫本を買うのを楽しみにしてきた。
『旅屋おかえり』がNHKでドラマ化されたのか。
原田さんと父親のエピソードが面白い。

原田マハさんの語りは聞かせるし、小説は読ませる。
毒気がなさすぎるのがちょっと気がかりだけど。

うつらうつらしているうちに原田さんの登場は終わったようで、テレビをオフに。


1月21日(金)の記 Dの悲劇
ブラジルにて


午前7時前に発車、わが家に朝帰りにしてからホスピタルのハシゴ。
これまでの検査結果を見た医師から、ビタミンD不足を指摘された。

何年か前にもこれがあり、サプリメントを服用した時期があったな。

ビタミンDについて調べる。
皮膚が直射日光に当たると形成される、とな。
わが家では僕がいちばん外光を浴びていそうだが。

食品では…
サカナではサバ、キノコ類ではキクラゲ。
これは普通のブラジル人より桁違いに摂取しているのだが。
こちらでもサバは安く手に入るが、多くのブラジル人はその存在も知らないだろう。
キクラゲに至っては中華、日本食以外ではまず用いられないし。

なぜかはわからないが、とにかく足りない。
不足するとカルシウム、骨まわりなどに影響があるようだ。

いやはや。


1月22日(土)の記 ワイルドピッチ
ブラジルにて


スマホの目覚ましを午前4時45分に仕掛けておいた。
その直前に目覚める。
小心者らしい。

午前5時に東京飯田橋のスポーツ&ミュージックバーのオーナー・ニッキーマツモトさんとZoomで打ち合わせ。
ニッキーさんの方で非常事態が重なり、開店30分前の打ち合わせとなった。

しかし東大東文研などとは雲泥の差の段取りのよさで、ツーカーですすむ。
日本のオミクロン爆発、「まん防」発動でどうなることかと案じていたが、当初の予定より1時間繰り上げで上映イベントは決行。

事態を考慮すると、僕もイベントの案内はしても「ぜひいらしてください」とは告知できない。
これはふだんのイベントでもそうだけど。

おー、さっそく来店者らしき人影が。
しかも複数!
ありがたや。

ニッキーさんとの顔合わせは今日が初めてだが、旧知の間柄のようにスムースにすすむ。
苦労人の世間師は違う。
まだ彼のことをよく知らないのだが。

飲んでつまんでもらって、岡村自選の短編を2本ご覧いただく。
飲み物価格も1パイ1コイン以下というあるがたさ。
http://www.nikkimatsumoto.com/wildpitch/?fbclid=IwAR2kr3E1CAx0jrp8sFkdOCewfak6B7ChoH0GD53L81wysvNSr3lN9HwhFrw
このリンクをスクロールしていただくと、垂涎のメニューを拝めます。

ニッキーさんに口火を切ってもらい、会場とのオンラインでの質疑応答も弾む。
今日のわがメニューは「大アマゾンの動物救出作戦」と「ブラジルの心霊画家」。
ニッキーさんのアメリカでの超常体験の披露には息をのんだ。

「非密」の集いとなったため、ひとりひとりの来場者の方々とお話をすることができて、これまたありがたし。

今後のための糧をいただく。
さて昼は、冷やしそうめんといくか。


1月23日(日)の記 『眼球注射』
ブラジルにて


日本からの航空便が中断されて、足かけ3年である。
DHLなどの民間便はスムースに機能しているのだが。
SNSをたしなまないお年寄りたちが気の毒だ。
ほんらいはこちらの邦字紙あたりがキャンペーンをはってもよさそうなものだが。

さてそんななか、日本から僕に船便で書籍を送ってくださる方がいて、ありがたい限り。
もったいないのと、特に夜間は読む力が衰えてきたようではかどらないが、それでも止まらない本がある。

数日前に星野智幸さんの『だまされ屋さん』を読了。
読売新聞の夕刊に一年近く連載され、単行本版は400ページ余り。
今回の設定は推理小説の趣もあり、途中から止まらなくなる思いがした。
登場人物の話しことばが分量の半分ぐらいを占めそうだが、これがよく書き込まれていて、エンピツの線引きもしばしば。

その前に読んでいた五木寛之さんの戯曲『蓮如』に五木さんへの三浦雅士さんへのインタビューが収録されていた。
その冒頭に「小説は終わった」というテーマが掲げられていた。
どうしてどうして、五木さんの小説は終わったかもしれないが、いま日本には星野智幸さんの小説があるではないか。
小説だからこそ、の。

『だまされ屋さん』の読了後にカバー画を、さらにカバーを外した表紙画をみやるとその相違が面白い。
なるほどこのnakabanさんというアーチストはこの世界をこう読み取ってこう表現したのかというのがわかって、これまた面白い。
帯に書かれた短い紹介文も鋭どい。

モノとしての書籍はニオイ、手触り、質感、さらにこうしたいくつもの楽しみが伴なう。

さてもう一冊、別の方が送ってくれた『眼球注射 ハンセン病元患者の心の軌跡』林東植さん著を続いて読了。
広島で発行された自費出版の本。
これは強烈だった。
林さんは日本生まれのコリアンで、ハンセン病を患い、国立の隔離施設に収容されてしまう。
拘置歴があった故だろうか、1.5の視力を持ちながら施設の眼科医に実験動物のごとく眼球注射を打たれ、猛烈な痛みと共に失明してしまう。
この眼科医の実名も書かれているが、クリスチャンだというのが泣かせるではないか。
林さんは生きているのもつらい状況のなかで、同じ施設に収容されていたこれまたクリスチャンで共産党員だという人のすすめで詩を紡ぐようになる。

林さんの記憶力のすさまじさに舌を巻くとともに、芯がぼきぼきと折れそうなほどの筆圧に圧倒されまくる。
すごい本があったものだ。
もちろん、すごい事実が。

それを、こうしてブラジルにいて共有させてもらうという僥倖。


1月24日(月)の記 ブラジルの先史アートと心霊アート
ブラジルにて


僕のブラジル移住後のアート体験は、先住民の岩絵遺跡とサンパウロの心霊画家に始まった。
西暦2010年、横浜パラダイス会館での初めての岡村作品上映イベントのタイトルが「ブラジルの先史アートと心霊アート」。

いまや岡村は…、
東京大学東洋文化研究所主催の岡村の名前を銘打った連続オンライン上映会で主催者から誹謗中傷をいただき、さらに同じ面々がかかわる韓国の有名大学での特別アート展で、自主制作作品を堂々と無断上映されるほどの存在となった。
もはや腐りきって処置なしの存在は斬って捨て、ほんらいの健全路線に切り替え中。

「ブラジルの心霊画家」の方は、先週の東京でのイベントで参考上映をしていただいた。
あらたにこれはという方に配信できる体制を整えた。

ブラジルの岩絵遺跡についてはちょうどライトエッセイ『住めばブラジル』シリーズで次に紹介するつもりだった。
当時の写真がポジ撮りで、紙焼きしたものが手元で見つからず、苦し紛れに当時の書き物類を並べてみた。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000259/20220124016458.cfm?j=1

さっそく問い合わせがあり、関連事項を検索すると思わぬ発見が!
これにも邪悪なものがあったなあ。
今回の東大教授の方がより悪質だけれども。


1月25日(火)の記 468歳
ブラジルにて


今日はサンパウロの町の創設記念日。
町がらみのものは休日になる、はずだが、前市長がコロナ対策で先々の休日を前倒しにしてしまったためにややこしくなった。

買い物に出ると、半分以上の商店は営業している。
訳あって今日までに拙作『焼肉と観音 その後の「アマゾンの読経」』をYouTubeにあげようと昨日から作業。
https://www.youtube.com/watch?v=0ntMkZYq23A&t=1s

昨晩中にとも考えるが、目がしょぼしょぼしてきていったん仮眠することにした。
早朝にアップロードに入り、はじめてのトラブル発生。
またやり直し…


1月26日(水)の記 60年目のサンパウロ物語
ブラジルにて


少し富山妙子さんについての作業をする。

60年前の今日、サンパウロの日刊紙『O ESTADO DE S.PAULO』で2ページにわたってブラジルを訪れた富山さんのことが紹介された。
これを契機にいろいろなネットワークが広がったと富山さんは新聞のスクラップを僕に見せてくれながら語っていた。

夕方から、猛烈な雨。

夜も富山さんのことで追加作業。


1月27日(木)の記 新邦字紙『ブラジル日報』の見どころ
ブラジルにて


いくつかの用事を抱き合わせて、中心街へ。
今月から新発行され始めた邦字紙『ブラジル日報』社を訪ねる。
東洋人街の文教ビルの6回。
エレベーターは二つあるが、ひとつを掃除のおばちゃんがわがもの顔で掃除をしているので、ボタンを押してももうひとつが下りてこない。
やむをえず階段をのぼる。

購読料の支払いと、編集部の深沢編集長に渡しもの。
深沢さんは昨年12月で廃刊となった『ニッケイ新聞』の編集長だった。
お年寄りの読者には、別の新聞になり編集部も大移動したことがわからない人も少なくないことだろう。
僕あたりにも想像もつかないような難儀の末に、あらたな経営陣での邦字紙刊行となったようだ。

新聞のつくりは基本的に変わっていないのだが、深沢さんから微妙な相違をいくつか教えてもらった。
親がブラジル生まれで、本人は日本で漫画家になろうと大学の漫画学科で学んだという女性の記者を紹介された。
彼女が描いたカット、たしかに面白い。
一面の「おしゃべりパパガイオ」というコラムのパパガイオ(オウム)。
二面の「記者コラム 海岸山脈」の題字のうえに立つ人物画。
これなどは教えてもらわなければ永遠に気づかなかったかもしれない。

彼女は『ニッケイ新聞』時代にブラジルの政界風刺漫画も描いていたという。
かつての邦字紙には日系社会の風刺画のスグレモノもあった。

本人はスヌーピーのマスクを着用しているが、天地が逆のようだ。
確信犯かと尋ねると、気づかなかったとのこと。
「南半球だからね」とフォローしておく。

あ。
昨年見たこちらの先住民のアートに自分の股から周囲を見ている人物の絵があった。
「ものごとは逆さから見て検証すべし」とポルトガル語で添えてあった。
ひょっとして、それか?

かき手がわかってくると、より紙面に親しみがわくものだな。


1月28日(金)の記 憂き憂きウキウキ サンパウロ
ブラジルにて


サンパウロの夏は、雨季である。
とはいえ今年は例年より雨が多い。

午後、ちょいと距離のある天然発酵のパン屋まで足を延ばす。
傘なしで。
途中からだいぶ雨脚が強くなってきた。

おそらく初めての道に入り、こんなグラフィティを見つけた。
https://www.instagram.com/p/CZSMfMdPAcz/

小雨のうちに、午後の数時間だけ営業のパン屋に到着。
店を出てからかなりの雨。

近くの聖リタ教会がある。
雨宿り兼お祈りのあと、隣のカフェへ。
グラフィティの詩文を検索してみると、カエターノの歌詞だった。

さあ明日はこちらの午前7時50分入室でオンライン上映会。
トークの構想を練っておく。


1月29日(土)の記 動揺なき土曜のイベント
ブラジルにて


サンパウロ時間午前7時50分入室。
こちらはもう十分に明るい。

上智大学ポルトガル語科同窓会主催の拙作オンライン上映会。
一般の方々歓迎のイベント。
実質的にひとりの方がひと通り切り盛りしているのだが、準備段階から当日も極めてスムース。

昨年末の東大東文研連続イベントは「ひとりでやっている」「予算がない」などをエクスキューズにしながら東文研の助教はじめ外部の人たちのサポートがあり、招待アーチストであるはずの僕まで無償持ち出しでこき使われて…
回を重ねるごとにフィードバックを怠るどころか逆走、悲惨な進行と結果になるというのがスゴい。
独裁主催者の手抜きと悪意の賜物といえよう。

時間帯的にサンパウロの土曜午前9時前後は集合住宅のあちこちでWi=Fiをつなぎ始めるせいか、上映後の質疑応答中に断線。
復帰に5分前後かかるが、東大東文研のように主役ゲストであるはずの僕が再参加をブロックされることもなく(あたりまえ)、こちらも不在中も話題もつつがなくつないでくれていた。

東大東文研も今日の上智も両方、参加してくれた方々は少なくないので、その方々のコメントを参照されたい。
「和気あいあい」という表現を複数の方にいただいた。

僕の手配が遅れ、上映作品『生きている聖書の世界 ブラジルの大地と人に学ぶ』のプロデューサーである故・小井沼國光牧師のお連れ合いの小井沼真樹子牧師にご参加いただけなかったのが残念。


1月30日(日)の記 後始末と用ふやし
ブラジルにて


昨日のオンライン上映のアフターケア作業が主。
主催者の方は、上映後さっそく実施したアンケートを早々に送ってくれた。

ひとりひとりに返しをしたいが、ちょっとそれには時間が足りない、
明日明後日のお役が終わった後にさせていただこう。

日本の友人のフェイスブックの記載のなかに、ずっと気がかりだった地名があった。
平安座。
…やはりそのままにはしておけないかも。

YouTubeのわがチャンネルの今後のアップ計画のラインナップを変えるか。
まあ、だいたいこれまでもこんな調子か。


1月31日(月)の記 ノヴェンタ・ステップス
ブラジルにて


「ノヴェンタ」はポルトガル語で「90の」の意味。
それに武満徹さんの名曲のタイトルをかけた。

今日はこちらの90代の身内のところに僕が付き添いで泊まりに行くことに。
食事の支度、日本語のお相手など。

夕食時間は早い。
このお宅はNHKの国際放送の受信契約をしているので、夜は男子アナウンサーの不快な顔を見ることになる。

スマホの万歩計を見ると、今日は歩き足りていない。
集合住宅の敷地内を少し歩くか。

と、日本の親類からメッセージ。
日本の90代の親類が意識不明になったという。

施設等に連絡を取るべきだが、出先のスマホでは僕には日本にメッセージを送るぐらいのスキルしかない。
まずメッセージを送って、明日帰宅後に動くか。

NHKでは朝ドラが終わって『あさイチ』放送中。
おや、この番組、笑い屋がいるのか。
登場者、特にゲストの、さして面白くもない発言に奇矯な笑い声をあげる。
興覚めどころか、不愉快で怒りすら覚える。
こんなものがあった方がいい、というのが今の日本のスタンダードなのか。

もう半世紀以上前に日本で放送されていたアメリカのテレビドラマにこれがあったが、これは録音の笑い声だろう。
われらがNHKのスタジオに響く笑い声は、ナマのようだ。
職業とはいえ、自分でむなしくならないものか?

それとも、もはやワタクチの方がずれているのか?






 


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