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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2022年の日記  (最終更新日 : 2023/01/01)
3月の日記 総集編 第三次大戦ありや

3月の日記 総集編 第三次大戦ありや (2022/03/02) 3月1日(火)の記 私の好きなカイピリーニャ
ブラジルにて


今日はカルナヴァルの祝日。
夏野菜に葉野菜、できればミョウガも欲しい。

メトロにしてひと駅半ほどある路上市まで徒歩で。
夏の陽ざしが厳しい。
祝日にもかかわらず、通常より少し欠けるぐらいの出店の数。
昼過ぎの閉店迫る時間でもあり、安いものは安いこと。

うーむ、ミョウガは見当たらず。

思い切ってキウイを買う。
帰ってからみると、イタリア製というシールが貼ってあった。

ブラジルの国民的カクテルカイピリーニャ。
ライム割りが一般的だが、いろいろなフルーツが用いられる。
僕のお気に入りはイチゴとキウイのミックス。
サンパウロ州内陸の、かつてはコーヒー農場だったところの始めた宿に泊まった時に支配人がこれをつくってくれた。
色味といい味といい、絶品だった。

キウイもイチゴも安いものではなく、そもそも時期がある。
今日もキウイ購入後にイチゴを探すが見当たらず。
ちょっと前まで出ていたが、今や暑すぎか。

帰路にある青果店で見つけるが、こちらの購入希望価格の倍近い値段だ。
こらえて近くのスーパーに行くと、それよりは1レアル(約20円)安く買えた。

さあ帰宅後、日中から。
いやはや、これですな。
通常の市販のカイピリーニャには膨大な砂糖が投入されるが、この組み合わせだと砂糖不要。
僕は通常でも砂糖は入れないけど。

トロピカルのしあわせ。
液体をすすり切った後にいただく赤と緑がまたよろしい。


3月2日(水)の記 断食の呼びかけ
ブラジルにて


「平和の元后マリアが、世界を戦争の狂気から守ってくださいますように。」
羅馬の長上(ローマ教皇)が2月23日、ロシアのウクライナ侵攻の前日にヴァチカンで発信したメッセージだ。

彼は「灰の水曜日」の今日3月2日を平和のための断食の日にしましょうと呼びかけた。
積極的にそれに従ったというわけでもないのだが、今週の僕の一日断食は今日とした。

ふと気になって、秋田の落涙の聖母マリア像ゆかりのシスター笹川に新たなメッセージが届いたの日時を確かめてみる。
西暦2019年10月6日か。
https://blog.goo.ne.jp/gloriam/e/d36d0587d328ac0536f1090cca926525

ぎょぎょ。
「灰をかぶって償え」と。
この「天使」からのメッセージをCOVID-19との関連でとらえていた。
このブログの見出しには「アマゾンシノドスを全否定」とあるが、それについては本文中に見当たらない。

僕はちょうどローマ教皇がこのアマゾンシノドスに関して発表した冊子のポルトガル語版を求めて読み始めていたところなのだ。

ロシアのウクライナ侵攻、TBSのアマゾン報道問題、サルガドのアマゾン展、そして灰。

ハイになってしまうではないか。

まずは基本の資料をよく読もう。


3月3日(木)の記 原発攻撃
ブラジルにて


不言実行に限る。
ところがおひざ元のブラジル日系社会では「日本スゴイ」、有言不実行どころか誇大妄想の吹聴の類をしばしば邦字紙上で見せられてきた。

人のふり見てわがふり直せ。
先日、今年からあらたに刊行され始めた「ブラジル日報」で拙YouTubeチャンネルについて取材を受けた時に、近いうちに移民小説家の松井太郎さんにインタビューをしたものをまとめた動画もアップするつもり、とお話しした。
それは記事にもしていただいたので、責任は重い。

あらためて素材をチェック。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000044/20150527010990.cfm?j=1
不特定多数に向けて公開するとなると、ご遺族や関係者との調整、多少の手直しも必要と見て、着手。

夜、床についてからスマホを繰ると、ウクライナ南部の原子力発電所をロシアが攻撃、施設で火災が発生中とのニュース!
飛び起きて、まずはテレビを付ける。

…CNNブラジル版が最適だろう。
ついに、起こるべくして起こったか。

とりあえず原子炉そのものの損傷は免れ、付近での線量の増加も確認されていない由。
しばらく目を離せない。


3月4日(金)の記 セントロをあるく
ブラジルにて


泥濘状態の歯科治療へ。
これで、ひょっとするとうまくいくかも。

さて、セントロ(中心街)に出たついでに。
日系の健康関連の店、チャイニーズの大型食料品店で買い物。

金曜なので、久しぶりに外食で魚の定食を食べるか。
金曜はカトリック由来で基本的に肉を避けるし、まして今は四旬節。
店で魚はティラピアではないか確かめて。
メルルーサのソテー定食とスイカジュースをいただく。

さて。
お目当てのブラジル銀行文化センターのブラジリダージ展。
一度見ているが、まもなく終了なので。
今回は入館時にワクチン接種証明を求められる。
こういうのはなくしたり盗られたりすると面倒なので、必要がわかっている時以外は持ち歩かない。

このまま帰るのももったいない。
徒歩圏で…

サンパウロ市営のイメージ館へ。
ここも入館時にワクチン証明を求められるが、警備員が見逃してくれた。
ブラジルの「抵抗のメモリー展」。
女性問題をはじめ、社会の弱者のマニフェストを写真等の映像で紹介。

NHKの河瀨監督ドキュメンタリーで悪質な反オリンピックデモ参加者の捏造が行なわれてうやむやにしようとする恥ずべき祖国とは、えらい違いだ。

これだけで満足だが、ついでにカイシャ銀行のカルチャーセンターものぞいてみる。
ここは検温のみでオッケー。
「セルトン風バロック」展とブラジル現代絵画100周年記念関連の収蔵品展。
いずれも、ボリュームたっぷりのごちそう。
スマホ撮影オッケー、しかも今日のはいずれもタダ。

ありがたや、こうしたミュージアムとアートのシャワーがこっちの創作活動の活力源となる。


3月5日(土)の記 30年前のマルコポーロ
ブラジルにて


いやはやモノを処分しようとしても、なかなか。
『マルコポーロ』という日本の雑誌が出てきた。
文藝春秋の「映像時代の国際マガジン」と表紙にある。

検索してみると、西暦1991年創刊、1995年廃刊。
わが家にあったのは1992年7月号。
定価620円。

そもそも僕は日本で雑誌を買うことはほとんどない。
この号の特集は「怪しい中国 あぶない中国」。
いまの雑誌みたいだが、いずれにしろ僕にはまるで食指が動かない。

どうしてこれを買ったのかがわからない。
いったん処分しようとしたが、同年に発生したロス暴動の記事があったのでこれは読んでおこうとキープしてあった。
死者58人。
黒人系の暴動で、韓国系商店が襲われた。

さてこの雑誌、広告も含めてゴージャスである。
日本の航空会社の機内誌をほうふつさせる。
字が小さいのが今の僕にはしんどい。

それにしても、なぜこの雑誌を買ったのか、あるいはもらったのか。
あ。
「『中国のキャパ』馬小虎がとらえた 人民の国の『忘れられた人たち』」。
文・写真 馬小虎、翻訳 李丹。

これだったのだろう。
中国各地の精神病院を2年にわたって取材した労作。
写真そのものの圧倒的な力。

この頃は僕が「映像記者」スタイルに特化し始めた時期。
朝日ニュースターの『フリーゾーン2000』という番組にどっぷり関わり、そこで野中章弘さんらのアジアプレスのメンバーたちと出会い、いろいろとお世話になった。

後年、アジアプレスのオフィスにあるビデオ編集機までお借りするようになり、その時にこの翻訳を担当した李丹さんとはしょっちゅう顔を合わせていた。
しかし1992年はまだ…
野中さんあたりにすごいのが出ましたよと教えてもらって買ったのかもしれない。

ネットで検索すると…
馬小虎さんのこの仕事は写真集になり、ネット売り価格が万単位になっているではないか。

あらためて写真というものを考えるいい機会だ。
よく、時間の経ったものを見て、その事象の「いまが知りたい」といったコメントがあるが、それとは別の強いものを感じる。

して、この雑誌はとりあえず処分できないな…


3月6日(土)の記 サンパウロの下田警部
ブラジルにて


今日は家族のピックアップで午後、往復30キロあまり車を走らせる予定。
日毎のグラフィティ採集はその時にしよう。

そのルートでめぼしいグラフィティのあるところはファヴェーラ:スラム街、路上生活者のテリトリーと重なり、クルマへのリスクも考慮せねば。
こういう時はグーグルマップのストリートビュー機能も参照する。

して、はじめての道を行ってみる。
ストリートビューでも確認できた壁を覆うグラフィティがあるが、光線も加味してみて、撮りようがない。

その先の道は…自動車も避けているようだ。
あえて行ってみるが…、
道路の半分近くを覆うゴミにゴミ採集人か路上生活者か、火を放っていてそれが拡がり、これはまずい。

ナビを参照して本来の目的地に向かいつつ…
お。
https://www.instagram.com/p/CaxkzU5PIBN/
手塚治虫のキャラクターにこんなのがあった。
後で調べてみると、下田(げた)警部。

アンコール遺跡の仏頭のイメージもあり。
向かって左の精虫のような、福耳のようなのもおもしろい。
なんといっても涙がインパクト。

クルマを停めて周囲をうかがい、ささっとスナップ。

ああ、ここは日本人移民の築いたコチア産業組合の跡地。
あとで写真をチェックして気づくが、背後の建築に書かれたものは、ADOBOS:肥料 か。
拙作『ブラジルの土に生きて』の主人公・石井延兼さんは、コチア組合の肥料倉庫長だったかと…


3月7日(月)の記 今日の献立
ブラジルにて


いつ訪ねてくるかはっきりしなかった家人の友が、今日の昼に来ることになった。
昼食は?

どこか近くで外食をしてくるか、ワタクチがなにかつくるか。
つくってほしいという。
その友は地方都市住まいで非日系、日本食はキライだという。

ふむ。
冷凍庫に鶏の胸肉がある。
これと先日のオラプロノビスをメインとするか。
ご飯は、レンズ豆ご飯で。

スーパーでアーチチョークの瓶詰を安売りしていたので、これのサラダとしよう。
サンパウロ近郊に産地があるが、なんとペルー領アマゾン産だった。

ビールが好きだというので日本製のビールをと近くの日本食材店を回る。
ほう、日本製日本酒は置いてあってもビールはないのだな。
東洋人街まで行かないとないのかな。

ま、そんなところで。
夜は夜で出張料理人とお泊りだ。

いくつかの用件は明日送りに。


3月8日(火)の記 ジャージャーメンの沈黙
ブラジルにて


昨日からの出向先に午後まで滞在。
料理にはとにかく冷蔵庫の残り物を使うようにという関係者の指示もあり。

冷凍庫にある牛ひき肉、こちらでYAKISSOBAと表記された中華麺をつかってジャージャーメンをつくることにした。
肉みそソースの他にキュウリの千切り、炒り卵、紅しょうがを添える。

先方は異常なまでに「おいしい」を連発することもあるが、なんとも言わないことが多い。
かつての横浜焼肉大王のように作り手から「おいしいでしょ?」と聞かれるのに辟易しているので、自分からは聞きづらい。

こちらからの質問では日本のマスコミの世論調査のように、質問すること自体が誘導尋問にも思えるし。
今日の反省点は、麵を茹ですぎたことかな。
月日の経った冷凍ものだったし、なかなか加減がわからない。

先方は半分はのこし、いちおう「夜に食べる」とはおっしゃった。
自分では悪くない味で、お代わり用ののこりはひと通り僕がたいらげた。

そもそも調べてみても、ジャージャーメンというのは相当のヴァリエーションがある。
中国、朝鮮半島、日本などでそれぞれ「適応放散」している。
ワタクチのは中国→日本→ブラジルという流れの自己流。

今日の相手は、かつて習い事の先生から教わったというジャージャーメンをつくっていた。
麺はうどん、ソースには「五目」ぐらいにたくさんの具を投入していた。
麺がうどんのジャージャーメンというのは僕は日本で食べた記憶がない。

僕のはジャージャーメンじゃない、と思われていたかもしれなず、それが沈黙となったのかも。


3月9日(水)の記 カモミール対ヒマワリ
ブラジルにて


サンパウロ在住の僕より年配の邦人女性と書籍の受け渡しでお会いする場所を設定しなければならない。
以前、待ち合わせた隣駅前のカフェを先方が提案してきたが、そこは閉じて久しい。

そこより少し先方のお宅寄りに時々、立ち寄るカフェがある。
なにか間違いがあってもいけないのでネットで確認すると、グーグルマップ上は存在しない、ではないか。

ミナス風カフェと認識しているが、正式な店名を覚えていない。
今日、確認を兼ねて行ってみる。

いやはや、実在した。
今週は今日を一日断食の日とした。
カフェの店でお茶はあるかと聞いてみると、数種類あるという。

最初に言ったカモミールを頼む。
ブラジルではカモミーラと言うので、日本語ではなんだったかスマホで確認してみる。

カモミール、カミツレでよかったな。
え、ロシアの国花なのか。
ロシアの侵攻により、ウクライナのヒマワリは一気に知られるようになった。

ロシアの国花は想像もつかなかった。
パタゴニアの平原を一面に飾るイヌカミツレの群落を想い出した。

わが家の至近のカフェではお茶類はすべてティーパック。
ここはどこか水源地まで水汲みに行ったかと思うほど時間がかかったが、「剥き身」の花と葉だった。
急須で出てきて、底を見るとナント景徳鎮彩。


3月10日(木)の記 大空襲と大震災のはざまで
ブラジルにて


祖国は3月10日の東京大空襲、3月11日の東日本大震災と続き、SNSもそれ関係が続く。
どちらも直接間接に関わっているだけに、神妙にならざるを得ない。
こちらは時差が12時間あるだけに、より両方が重層する。

今日の夜、ツイッターでこんな映画の存在を知った。
https://archive.org/details/CozzillaRestoredGenoCuddy
pasinさんという人がツイッターで「怪獣王ゴジラのイタリア再編集版は狂っているので是非見ていただきたい。」と記していた。
「狂っている」とはいいえて妙。

あの西暦1954年の初代『ゴジラ』の英語リメイク版『怪獣王ゴジラ』をイタリアの映画人が1977年に独自に編集した奇作だ。
イタリア語では『Cozzilla』となるのか。

まずはいきなり1945年8月6日の映像。
そして本編にも第2次大戦や朝鮮戦争のものと思われる実写の動画が随所にインサートされているのだ。
こんなの、ありか!?

…他人のふり見て、わがふりを振り返る。
映像記録時代、こちらはドキュメンタリーでありながら、そうとうあざとい別作品のインサート使用をしてきた。
日本のテレビドキュメンタリーの草分け・牛山純一プロデューサーにはそれがあたりまえだった。

もうひとつ、あらためて気づいたこと。
話題になった『シン・ゴジラ』が顕著だが、怪獣の被害で〇人が死んだといったデータが控えめに語られるが、死体そのものをヴィジュアルに描いていないことだ。
「マカロニ版」(この語を調べるとこれまたこれで奥が深いのだが)ゴジラでは、実写の死体がぼこぼこと挿入されている。
さすがにこれは…

…あらためて、オリジナルにあるあの女学生たちの歌について知りたくなる。
そもそも日本語で歌われているらしいことはわかるが、歌詞はまるで聞き取れない。
ポルトガル語の歌が聞き取れなくて当然だよな、と妙な居直り。

おお、ずばり『平和の祈り』というのか。
まことにゴジラは重い。

イタリア版も全編、見てしまう。
この時空差のなかでこれを見れたことの意義を考える。


3月11日(金)の記 第三次大戦ありや
ブラジルにて


動画編集も佳境に入っているが…
今週は買い物系以外は、身内の件でしか外出をしていない。

思い切って気になる展示を見に行こう。
SESCポンペイアで超ド級のセバスチャン・サルガドの大アマゾン写真展が開催中。
並行して市内の写真専門のギャラリーでその抜粋の写真展が行なわれている。
これも見ておこう。

お高くとまったギャラリーを想定して、スマホを繰り繰り場所を探す。
…え、ここ?どう入るの?

雑居ビルの裏口から入る感じ。
まあ、こういうとこの方が僕にはしっくりとくるけど。

さて、行きはメトロで少し遠回りだが降りたことのない駅で下車してみた。
改札の外に安売り本のスタンドがある。
どれどれ。

ペーパーバックの「第一次大戦」「第二次大戦」それぞれの写真集がある。
「第二次」には少年時代にだいぶ凝ったが、「第一次」はあまり写真のイメージもわかない。
お値段のほうはナント二冊合わせても日本の『ビッグイシュー』一冊の価格。
日本が高すぎるかも。

売り子のお姉さんはお仕事よりも自分のスマホに気を取られがち。
値段を聞いて、買いの意思表示をしてから思い切ってかましてみる。
「『第三次』はないの?」

笑って、ありません、と答えたからこの程度の教養はあるのだな。
「第三次が出ないことを願っているよ」
と立ち去り、グラフィティを物色しつつギャラリーを探す。


3月12日(土)の記 チキンライスの時代
ブラジルにて


昨日は、今日の昼は家族と外食と提案していた。
が、残りものがいろいろある。
朝から雨で、天気予報だと日中も雨。

とりあえず昼は家でと家族に再提案。

ゴハン類が数タッパーあり…
「オラプロノビス」の鶏肉炒めも残っている。
開封したトマトピューレも。
チキンライスとするか。

…想えばチキンライスという言葉を耳にしなくなって久しい。
わが幼少のみぎりはチキンライスと言えば、子供の好物兼ごちそうの扱いだった。
もっとも当時の僕は相当な偏食で、鶏肉もタマネギもだめだったのだけれども。

どうも和風洋食っぽいな。
検索してみて、これはこれで奥が深くて食傷気味になるほど。

チキンライスは東南アジア料理、とするウエブサイトがあるが、これは製法がそもそもわがイメージのチキンライスとは別モノ。
ウイキによるとやはり文明開化以降の日本産でもともとはケチャップは使わず、チッケンライスと呼ばれていたとか。
ブラジルに渡る移民たちは神戸の収容所や船内で遭遇していたかもしれない。

日本のクリスチャン系の団体が特に貧困家庭の子供のクリスマス慈善にこれをふるまってひろまった、といった記載が泣かせる。

四旬節のチキンライス。
赤色は、イエスの血か涙か。


3月13日(日)の記 今日のセロリ葉
ブラジルにて


セロリを買って一週間。
まだ葉っぱはほとんど傷んでいない。

大根の葉だったら翌日にはだいぶ黄ばんでしまう。
もったいない。

ネットでレシピを調べて…
昨晩はセロリの葉にベーコンのオリーブオイル炒めをかけていただく。
わるくはなかった。

まだ少なからぬ葉っぱあり。
今日は刺身用にアジを買った。
レシピにはセロリの葉の「香味だれ」というのもあった。
刺身や冷奴といただくもの。

レシピは塩コショウとネギ油で、とある。
ゴマ油でもOKともあり、刺身となると醤油系でいきたいので醤油も加えて。
ふむ、これはこれで悪くなし。

肝心な茎をまだ使わず仕舞い、
ちなみに、セロリの和名はオランダミツバと知る。
ポルトガル語ではサルソン:大きなパセリ、と呼ばれてます。


3月14日(月)の記 『ブラジルの涙』
ブラジルにて


先週から、YouTube公開用に編集を始めた作品。
タイトルは…、
思い切って『ブラジルの涙』としてみた。

念のため、この語で検索をかけてみると…、
お、コロニア演歌歌手の持ち歌に、というのはウソ。
意外なことに、まるでヒットがなかった。
ブラジルに涙は期待されない?

8年前に撮影した映像。
拙作『赤い大地の仲間たち』の主人公の佐々木治夫神父関連。

日本からブラジルに駐在していた家族の、当時9歳のお嬢さんがカトリックの「初聖体拝領」を受けるというお話。

この時の佐々木神父の少女へのお話がとてもよかった。
当時の日記に書いているが、僕はこの時、使い慣れた愛機ではなく、しばらく使っていなかったビデオカメラを持参した。
勝手が狂い、フォーカスから音声まで見苦しい、聞き苦しいトラブルを重ねてしまったけど。

音声の拾い具合もだいぶ勝手が狂い、今日はレベル調整を繰り返す。
今日もまた試写をしつつ、もらい泣き。

静かに淡々とした短編だが、けっこうスゴイかも。
午後からアップロード体制に入るが、今日は異常に時間がかかる…


3月15日(火)の記 ざらめがとんだひ
ブラジルにて


ザラメという言葉が久しぶりに浮かぶ。
夕方のキッチンドリンク時。

夕餉のメインはイカとセロリの炒め物にする。
オイスターソース風味のビーガン用キノコソースを使おう。
これはオイスターソースより味が濃い。

さて、東洋人街のチャーニーズの店で買った紹興酒がある。
日本円でワンコイン価格。
ワタクチのクチにあう飲み方は…

そう、ここで出てきたのがザラメ。
粒の粗い砂糖とレモンでロック、といきたい。
このザラメの溶解感がいいのだ。

うーむ、ザラメをきらしている。
あれはポルトガル語で何といったかな。
こちらは砂糖の本場で、いろいろあるのだが…

むむ、安くはないココヤシ砂糖も使ってしまったな。
そもそも白砂糖はめったに使わないのだが。

東京江古田のギャラリー古藤さんでのイベント後におなじみの駅前の台湾料理屋・同心房さん。
ここでよく紹興酒をオーダーした。
いまは改装休業中とか。

日本がすっかり遠くなってしまった。
いっぽうこちらの中華食材店ではワインほどではないにしても相当な種類の紹興酒が売られている。
もっぱらまず値段で選んでいるけれども。


3月16日(水)の記 ゼロの焦点
ブラジルにて


2年余りのパンデミック、そしてロシアのウクライナ侵攻と原発戦災の危機。
夜中に目覚めてはスマホを繰り、どうも日中に力が入らない。

午前中に近くに買い物に出て。
帰るが、なんだか疲れあり。

天気予報はここ数日は日中も雨とあったが。
外は陽が出ている。

…思い切るか。
クルマを洗車に出すことにした。
もうしばらく出していない。
トランクにミネラルウオーターの空容器をいくつも積んでいたり、雨模様だったりしてノビノビの野比のび太状態だった。

発車。
約45分所用の由。
その間、買い物とカフェ。
下手をすると予定時間よりさらに半時間ぐらい待たされることがあり。
かといって少し遅れていくと、すでに車が抜け出しにくいところに置かれていたりする。
今日は、その問題はなし。

カード払いで。
パンデミックこの方、サンパウロの町では現金払いがむずかしくなってきた。
暗証番号を打ち込むと、先方が印字される紙の控え入りますかと聞いてくるのが常。
「不要」という人も多い。
小銭の釣りはいらんよ、ぐらいの感じか?
僕はしつこく求めるけど。

さて今日は暗証番号打ち込みの段で。
表示金額が38レイアスより、ひとケタ多い380レアイスになっていた。
ちょろっと洗車で邦貨8000円、ボッタクリか⁉

驚きの声をあげると、機械の応答が遅いのでゼロを続けて打ってしまった、とのエクスキューズ。
液晶表示をよく確認せずに、紙の控えも受け取らなかったらアウトだった。

帰宅してスマホを繰ると、祖国の東北で震度6強の地震という速報。
これまた心配が増えた。


3月17日(木)の記 一万八千歩の代償
ブラジルにて


いやはや。

家族から豚リブと大根の煮物のリクエストあり。

豚リブは駅前の肉屋に買いに行けばいい。
大根は…
どうせなら、葉っぱ付きが欲しい。

日本食材店や青果系スーパーのものは根っこのみだ。
葉っぱ付きは、路上市。
これは日毎に立つ道が異なる。
木曜開催の最寄りは…これもスマホで検索できる。

「未知」の道の市がふたつある。
遠い方、街道の反対側の徒歩片道約30分の方に行ってみるか。

いいウオーキングになるし、そのあたりはグラフィティ未開拓地区でもあり。
午前7時前に出家。
市民の朝の運動、および通学通勤時間だ。
朝日も心地よい。

グラフィティは不作気味だが…
ようやく目的の場所へ。
おや。
その気配がない。
開店準備中の移動「ブラジル風揚げギョーザ」店の男性に聞いてみる。
いまは日曜に変わったとか。
あへ。
すでに4500歩あるいた。

今日から健脚向き徒歩圏にあるミニシアターで国際的に話題の日本映画が始まる。
思い切って見に行こう。
その前に夕食を準備して。
いざ。

シニアは半額なので、身分証明証のオリジナルを持っていこう。
さて、受付。
証明証を提示するが、チェックは、なし。
見るからにシニアか?

シアターに入室しようとすると「証明証」を求められる。
なんとコロナワクチン2度接種の証明証が必要だというのだ。

すでに上映の時間となったが、観客は僕のあとにいかにもシニアの女性が来ているのみ。
が、規則は規則だ。
すんなりと払い戻しを受けて。

…帰路、せめてカフェでも。
いままで気づかなかった店がある。
立ち寄ると17時閉店で、あと数分。
これも後日だな。

こんな調子で18000歩越えとなった。
今年最高。
退屈はせねども、ちと歩き過ぎたな。


3月18日(金)の記 運命の輪
ブラジルにて


午前中、人に会う。
というか、会えた、よかった。
メールでお会いする時間と場所のやり取りをしていて、水曜にこちらが送ったものへの返しがないままだった。
今朝、確認の電話をしてみると、その番号は存在しないとのメッセージ。

とにかくダメもとでお伝えしてあった場所と時間にうかがうと、もういらしていた。
お話をしていると、消息が絶えて気になっていた思わぬ人の近況をご存じだった。
近いうちに一緒に訪ねましょうということに。

さて、午後から。
今日も夕食を準備しておいて。
昨日、ワクチン証明不持参で見逃した映画にリベンジ。

開映時間を過ぎてからスタッフが扉を開けて、エアコンにスイッチを入れていく。
座席数は…ざっと100か。
入館者は…僕ひとり。
上映開始は15分ほど遅れるが、その間にまとわりつく蚊を殺せず、上映中、往生する。

作品は、話題の濱口龍介監督の2021年の作品。
上映開始まで、てっきり『ドライブ・マイ・カー』だと思い込んでいた。
違うではないか。
『偶然と想像』という作品だった。

後で調べてわかったが、濱口監督はこの2本を並行して制作していたという。
ポルトガル語のタイトルは『RODA DO DESTINO』、「偶然の輪」といったところ。
「RODA:輪」とあるので「ドライブ・マイ・カー」の意訳なんだろうぐらいに軽く考えていた。

3編の短編から成る映画。
いずれも僕でも知るような俳優は出ておらず、ヴィジュアルには大がかりでも奇矯でもない設定。
ひと言でいって「地味」そのもの。
それでいて引き込まれて、いわば映画的な面白さがたっぷりだ。

手前味噌ながら、僕がYouTubeで発表している作品群との共通のものを覚える思い。
3話のそれぞれを反芻する。


3月19日(土)の記 近所のキンパプ
ブラジルにて


わが家から徒歩数分のところにコリアンレストランがオープンした。
これまで夜のみの営業だったが、昼も開けるようになったと知る。

家族3人で行ってみる。
それぞれ別のものを頼んで交換。
ワタクチは、ソジュをキュッといただく。

さて、キンパプも頼んだ。
いろいろな日本語表記があるが、日本語訳では韓国風海苔巻き、といったところか。
これも呼称、起源等なかなかややこしいが、ここでは立ち入らないでおく。

このお店のは…
具はブルゴギ、卵焼き、タクアンにニンジンといったところ。
色合いも巻き方もきれいで、海苔もクオリティが高い。

妻の実家で義兄が習慣のように買ってくるマキズシより、見た目も味もクオリティもコリアンに軍配。

客はオリエンタル系ばかりだが、地域柄まずほとんどが日系と言っていいだろう。
この店のレジ等を仕切るのも日系で、共同経営者がコリアンだという。

新しい味と風を感じる。


3月20日(日)の記 大いなるパン屋
ブラジルにて


日曜の朝は家族でクルマで出て、帰りにパン屋に寄ることがしばしば。
こちらのベーカリーは、店内に飲食スペースがあるのが普通。
そこでコーヒーとパンをいただく。

今日は以前、偶然に見つけたパン屋に行ってみよう。
そのあたりの道はややこしいのだが、うまく再発見できた。
お屋敷地域で、店もスタッフも客層もなかなか。

…厨房への出入り口のうえに黒板があり、チョークで何か書かれている。
いちばん下の「ギマラエズ・ローザ」というブラジルの文豪の名前だけは遠目で読み取れた。
帰りにスタッフにことわって写真を撮らせてもらう。
https://www.instagram.com/p/CbVITdsrwJo/

うーむ、意味をすんなりとは取りにくい。
帰宅後に調べるとローザの代表作にして大作『大いなる奥地』の一節だ。
日本では筑摩世界文学大系に訳があるのみ。
数年前に原書を買ったものの、いやはや読みにくくてむずかしく、恥ずかしながらそのままだ。

それにしても店内の客の目にもつきにくいところにローザの一節を書き込むパン屋。
日本で例えれば…
年代でいうとローザは西暦1908年、ずばりブラジル第一回移民船「笠戸丸」の年の生まれだ。
『大いなる大地』発表は1956年。

同時代の日本の巨匠…
松本清張とか?
調べてみるとわれらが清張は1909年生まれ。
ちょっと違うけど、『砂の器』の一節が店内に書き込まれたカフェみたいな?


3月21日(月)の記 ドライブにトラブル
ブラジルにて


諸々の連絡に返しをしていて、午前中が埋まる。
午後から家族の用事で運転手。

先週「偶然に」みることになった映画『偶然と想像』の濱口監督の『ドライブ・マイ・カー』が気になる。
近くの映画館で20:40の上映があると知り、思い切って行ってみようと思う。

3時間近い映画なので、終映後はメトロの最終にかろうじて間に合う時間だ。
あいかわらずきちんと眠れていないので、眠ってしまう恐れもあり。
早めに夕食をこさえて食べて、少し一服。

外出に備えて証明証類をチェックすると、なくすとメンドクサく、さっそく支障をきたすものが、見当たらない…!!

これは、困った。
どこかで、落としたか?
何度となく、ありそうなところを探す…

これは映画どころではなくなった。
父親の異変を知った子らも一緒に探してくれる。

外で落としたものと思い込んでいると…
わが子が思わぬところから見つけてくれた。

いやはや。
明日アサイチで再発行手づづきに奔走セネバと覚悟していただけに、ありがたや。


3月22日(火)の記 赤い川の彷徨
ブラジルにて


「イピランガ」は身近なところではサンパウロ市内の地名である。
ブラジルの独立宣言がされた場所としてそのモニュメントがあり、西暦1895年に創設されたイピランガ博物館がある。

この一角に住まう知人からけっこうなものをくださるという連絡があり、最寄りのメトロの駅にうかがう。
その駅までわが家から徒歩だと約1時間。

アルキオロジーのつもりだったが、昨晩からの突発事態で予定を変更。
まずはメトロで。
ご案内いただいた近くのカフェが絶妙。
しかもなんと、グラフィテイロ:壁描きアーチストが店の野外の壁に作画を始めるではないか。
https://www.instagram.com/p/Cba3_mZvAY1/

話は尽きないがほどほどにして、ネットで見つけた問屋まで家族のものを買いに歩くことにする。
そこそこの距離だが、未知のグラフィティに遭遇できるだけでワクワク。

帰路、別のメトロの駅に向かおうとして道を間違え、ずばりイピランガの丘まで来てしまった。

イピランガ。
先住民由来の言葉そのものの響きだ。
調べるとトゥピー語で「赤い川」とな。
付近の基層はおそらく亜熱帯のレンガ色のラテライト土壌だろうが、その故だろうか。

予定は二転三転。
昨晩の「失せもの発見」の御礼詣でに今日22日が「縁日」の聖リタをまつる教会のミサにあずかるつもり。

アクセスできる範囲でふたつの聖リタ教会がある。
はつものの方に挑もうと思う。
が、念のため電話で確認をしてみると、今日は神父不在のためミサ祭儀はなし、とのこと。

おなじみの方の聖リタ教会へ。
聖リタはイタリアの14-5世紀の人で、夫を殺され、その復讐をこころみる二人の息子にも先立たれる。
修道院入りを願うが、拒まれ続けて…

彼女のその後の人生も尋常ではなく、没後の奇跡の数々から「不可能なこと」をお願いする聖人となった。


3月23日(水)の記 ドライブの果て
ブラジルにて


買いものも昼食の支度も早めに済んだ。
13時の回に行ってみるか。

先週金曜と昨日、逃した映画『ドライブ・マイ・カー』。
評判の映画だからすぐに打ち切りとはならないだろうが、こっちがいつどうなるかわからない。

パウリスタ地区のシネコン。
時間は十分まにあった。
前から2列目を選ぶ。

上映中もマスク使用のこと、と本編前に流される。
うへ、3時間もマスクかよ。
収容キャパは300人ぐらいだろうか、僕より後ろに約15パーセントの入りといったところか。
振り返ると、なんとひと通りの観客がマスクを着用したまま。

過去の通常モードでは予告の間はおしゃべり、それが本編開始後も続くおばちゃんが散見するのだが。

おう、演劇部分がメインだが、多言語か。
タランチーノの『イングロリアス・バスターズ』を想い出す。
そういう「映画的」にはかったるいことをきちんと表現するというリアリティがいい。

あと、僕なりのマージナルなコメントとしては、設定としては広島市の飲み屋街のシーンに写り込むピシャソン:落書き がいただけないこと。
日本は、こんなレベルか。

この作品について誰でも触れそうな話題は僕あたりは及びでないということで、とりあえずこんなところで。


3月24日(木)の記 大根カントクのつぶやき
ブラジルにて


ここのところやり取りのある日本の方々から、宛名は「岡村監督」とあるのがしばしば。
それを別に拒むつもりもないが、監督とは何ととらえての呼称だろう?
僕は映像の創作プロセスを一人で行なっているので、誰も監督すべき人がいない。
「岡村カントク」とカタカナの表記の人もいたが、ひょっとしてあざけりの意が?というのは被害妄想だろうか。

さて、夜はドライカレーをつくろうと思って。
かつて大根とひき肉のカレーをつくってみて悪くなかった。
少し入れてみるか。

先週も木曜に路上市にダイコンを求めに出て失敗した。
今日は真逆の方向で、これまた行ったことのない木曜の路上市に行ってみる。
おう、これはやっていた。
まわってみるが…

大根は、ない。
近いもので赤カブぐらい。
そもそも一般ブラジル人がダイコンに接するのは…

ニホン料理屋でのサシミのツマぐらいかもしれない。
もちろん普通のブラジル人がツマまでツマむことはないけど。

オレンジとバナナを買って帰る。
重い。

ドライカレーにはズッキーニを入れてみた。
のこっていたタケノコも投入。
とろみに色味でオクラも。
ズッキーニは判別不能になったが、タケノコはなかなかのアクセントとなった。


3月25日(金)の記 I drove my car
ブラジルにて


昨日も、というか昨日まで不本意なことがチラチラと続いた。
お彼岸という季節の変わり目の成果と思って調べると…
ブラジルの今年の秋分は3月20日か。

さて今日は朝から人を連れて近郊までドライブということで、けっこう緊張する。
知らない・慣れない道も通るし、朝のラッシュもある。
ナビがあっても慣れていないところは間違える…

訪ねる人は、施設に入居中。
施設のスタッフによると我々の訪問を知って昨晩は眠れず、睡眠薬を飲ませたとのこと。

僕もこの方の消息がわからなくなり、ずっと気になっていた。
人、人に会う。
会えてよかった。

思わぬ、新しいことがしたくなってくる。

帰路はまんざら知らぬ道でもなく、比較的スムーズに。

ぶじ帰宅。
心地よい疲れ。

夕食の支度まで休む。


3月26日(土)の記 さよなら韓国
ブラジルにて


映画『ドライブ・マイ・カー』絡みの検索をしたせいだろうか。
YouTube にアクセスすると、関連動画としてこの映画にまつわる動画が表示されるようになった。
「もっちゃんねる」というのを見てみる。
https://www.youtube.com/watch?v=Zd21dbjrpck

ふむ、この映画に関するいろいろなエピソードが紹介されていて興味深い。
中学時代から就職して少しの間まで『キネマ旬報』を購読していたことを想い出す。

さて、この映画のラストシーンについてのエピソードには驚いた。
この映画はもともと韓国のプサンでロケされる計画だったという。
しかし新型コロナウイルスの流行により、日本からの大勢のスタッフの渡航がむずかしくなり、やむを得ず設定を日本に移したのだという。
ほんらいの計画の「痕跡」があのラストだという解釈。

コロナと韓国。
これは他人事ではない。
コロナさえなければ、僕も韓国に渡って富山妙子さんがらみの拙作を上映する計画があった。
西暦2020年5月の光州事件40周年記念イベントの一環。

カケンヒの富山プロジェクトの代表から、僕が自前でブラジルから訪日すれば、あとの日本から韓国へのフライトと現地宿泊は負担しましょうと言われていた。
そのための拙作の韓国語翻訳では技術面、そして在日本の韓国人研究者との翻訳作業でひとかたならぬご奉仕をした。
韓国訪問に備えて、韓国語のテキストまで入手したのだが…

この研究者が現地の上映主催者との窓口で、僕は韓国語字幕版制作と韓国での上映にあたって製作者として最低限の条件を伝えていた。
・韓国語字幕版ができたら事前に岡村に試写とチェックをさせること
・上映予定が決まったら事前に場所と日時、規模、上映仕様など最低限の情報を岡村に伝えること
等だったが、これらは見事に反故にされた。
5月のプロジェクトはコロナ問題で計画も二転三転したようで、そのなかでも拙作は上映されたという報告はプロジェクト代表からいただいたが、詳細の報告はまったくなかった。

そして今度はいみじくも米アカデミー賞受賞の韓国映画『パラサイト』で金持ちのエリート大学といった文脈で名前の登場する韓国の大学で富山妙子展が行なわれて…
僕はたまたま、この大学の展示で僕の作品がまったく無断で上映されているのを知ることになる。
これについて関係者に問い合わせると、責任者と関係者は昨年の段階で、西暦2022年正月明けまでには事態を明確にするとのことだった。
しかしその後、3月も終わる今に至るまでなんの連絡もないままだ。

コロナがなければ『ドライブ・マイ・カー』同様、まるで違うことになっていたことだろう。
僕はこのプロジェクト関係者と絶縁できたことをお恵みだと感謝しているのだけれども。


3月27日(日)の記 奇作『下手に描きたい』
ブラジルにて


約1時間38分。
これまでYouTubeにあげた動画のなかで最長だ。
『下手に描きたい/画家森一浩 ブラジルの挑戦』。
https://www.youtube.com/watch?v=l9AXC6hHXb0

2年前のギャラリー古藤さんでの岡村特集上映時にデータ化していた。
だがその時の作業に不備があった。
加えて改めて僕以外にはわからないような部分を手直しした。
それらに手間取り…
さらに長尺とこちらの電波不調があってYouTubeへの取り込みだけでNG続き、まる一日以上かかってしまった。

いっぽう、ひとつ気がかりだったことはとりあえず問題なしで、いやはや。

こちらの昨晩、日本の森一浩さんに電話をして確認。
晴れて公開設定とした。
フェイスブックに続き、今日はツイッターでもアップを告知。

撮影は西暦2009年で編集と公開は翌2010年。
撮影時の森さんより、今の僕の方が歳をくってしまった。
こんな作品をつくれたら、と思っていたような作品…

アーチストの創作現場によりそいながら、森羅万象を語り合う。
当時の森さんは日本の美大やカルチャーセンターで教えていただけに、話が面白い。
いっぽう描いているものは…いま見直してもよくわからない。

初公開は4月の恒例だった、「優れたドキュメンタリー映画を見る会」の飯田光代さん仕切りの下高井戸シネマの初日。
これに間に合うように訪日計画を練り、ちょうど在オランダの邦人女性から現地での上映依頼があってオランダ経由とした。
オランダでの上映は刺激的だった。
想えばミクシィ全盛の時代だったな。

さて、オランダ滞在時にアイスランドの火山噴火によりフライトの見通しがまるで立たなくなった。
ナント現地で想い出したくもない、ありえない事態が。
空港難民を覚悟したところ、奇跡的にJAL便にありつき。
して、翌年は311。

想えばこの作品を通じて面白い出会いもあった。
YouTubeにあげておけば、またそういうこともあるかもと期待しないでそっとわくわく。


3月28日(月)の記 サンパウロ大学の不審者
ブラジルにて


緊急ではないと判断して、土日にサボったメール類の返し等で午前中がほぼ終わる。
今日は午後から車で出て、外泊となった。

目的地まで、学園都市と呼ばれるサンパウロ大学の広大なキャンパスを通過するのが近道、というか早い。
ナビがそれをすすめるぐらいだから部外者のキャンパス内通過はご法度ではないのだろう。
各入り口にはセキュリティスタッフがいて、コロナによる大学閉鎖時以外には拒まれたことがない。

2年前にグラフィティ採集を始めた頃には、サンパウロ大学構内にそこそこの期待をしていた。
しかし立ち入ってみると、見事なまでにない…
なかでクルマを停めて、ある程度は歩いて回っているのだが。

さすがに建物の内部までは立ち入りは控えている。
毎日、その日に発見したものを一点、インスタグラムにアップすることを自分に課しているので、最近こちら方面に来るときはキャンパス内にクルマを停めて、学外に出てグラフィティを物色していた。

今日はあえてキャンパス内の道の方向にクルマを走らせてみた。
ガードマンに職務質問された時の言い訳をポルトガル語で組み立てながら…

おう、ついに。
https://www.instagram.com/p/CbqiD4IrA-1/
こうこなくちゃ、というのをついに見つけた。
人けはないが、コミュニケーション・アート学科の建物だった。
光線とサイズの収まり具合がいいのをスナップ。

途中で見つけた売店での飲食もこらえた甲斐があった。
さあ、本来の目的地に向かって晩御飯をつくらなきゃ。


3月29日(火)の記 ボンフィンの壁
ブラジルにて


出先で昼食の支度と後片付けまでして。
今日は水汲みミッションもあるので、午後の遅くならない時間にお暇する。

ミネラルウオーター源泉に到着。
10リットルの空き容器に給水しようとして、容器内の「首」の部分に藻がはえていることに気づく。
奥まで指が届かず、ぬぐい切れない。
これは困った。
他の5リットル容器にひと通り給水。

さて、近場でグラフィティを探さねば。
大通りの向かいの高台方面へ。
このあたりは豪邸地区で随所にセキュリティの詰め所もあり、グラフィティはむずかしいかも…

おや。
こ、これは…
https://www.instagram.com/p/Cbs6NrhPZ6i/

藻色の広い壁に書き連ねられた文。
詩のようだ。
それが数十メートルは続いている。

図書館か学校か?
…特に看板はなく、豪邸か。
「パウロ・ボンフィンの壁」とある。

スマホで検索。
パウロ・ボンフィン。
ブラジルの詩人にしてジャーナリスト。
西暦1926年生まれ、2019年没。
作風はこの壁に書かれたいくつかを読んで、ある程度はつかめた。

日本で言うと…
これがむずかしい。
同時代を生きた日本人の詩人の名前を、あなたは挙げられますか?

…ちょっと違うかもしれないが、吉本隆明とか?
こちらは1924年生まれの2012年没、時代としてはそこそこ合致。
日本だと、戦中派といった区分になるのか。

さて今日はフレーズの内容よりも、絵ヅラを優先してチョイス。
ひょっとするとここがパウロ氏の住まいだったのかもしれない。
またの機会に近くのセキュリティにでも聞いてみよう。

いやはや、グラフィティを通じていろいろ勉強になる。

(本稿執筆時に検索して、壁の由来がわかった。
いち企業家が自宅の100メートル近い壁にこの詩人の85歳の誕生日を記念して制作したもの、とな。
ブラジルスゴイ。
ちなみにその資料によると、この壁の色は「藻の緑」というそうな。
ビンゴ!)


3月30日(水)の記 フリーダのカップ
ブラジルにて


深夜にスマホを開けると…
在日本の友人から、今日こちらの朝8時からのZoomミーティングに「急ですが、もしご都合つけば」との案内をいただく。

彼のかかわるプロジェクトについての打ち合わせのようで、こっちはビデオも音声もオフにして聞いてればいいんだろうなと考えて、また床に就く。

気づいてみると開始直前。
Zoomに入室するとビデオONから発言まで求められて、いやはや。
こちらはもちろんスッピン、それはともかく仮にも映像作家として映り込む映像の背景があまりにも芸がない。

ホンバン中に、少しでも演出。

午後から、わけあって徒歩圏でレンコンを売っているところがあるか探してみる。
街道沿いの大型青果スーパーを目指して。

街道向かいのショッピングモールに立ち寄ってみる。
今日は一日断食だが、だいぶ歩いて暑気もあり、疲れた。
モール内のフードコーナーで…

マテ茶チェーン店の冷たいマテ茶・砂糖なしをいただく。
お、フリーダ・カーロ!
彼女の肖像等をプリントしたロングカップがあるではないか。

在庫のみの限定ヴァージョンか。
これは欲しい。

マテばカーロの日和あり。


3月31日(木)の記 大日本帝国の一日@サンパウロ
ブラジルにて


午前中、オンラインにて鑑賞途中の演劇『太平洋食堂』ののこりを一気に見ることにする。
https://www.youtube.com/watch?v=CNQeOgcGh4Q&t=3723s

脚本家の嶽本あゆ美さんの渾身の大作。
嶽本さんとはパンデミック後にインターネットで文通するようになった。

この作品は3月20日から国際交流基金により5か国語の字幕付きで配信が始まった。
3時間越え、映画『ドライブ・マイ・カー』より少し長い。

僕は恥ずかしながら、演劇はナマでも動画でも数えるほどしか見ていないのだが。
さてさて…
作品のちからにぐいぐい引き込まれていった。

設定は、あたかも第一回ブラジル日本人移民船笠戸丸の渡航、西暦1908年前後。
大逆事件に連座することになる紀州の人・大石誠之助が主人公のモデルだ。

大石はクリスチャンにして社会主義者、そして「太平洋食堂」と名付けた食堂を開くなど、まことに興味深い。
この食堂と大石がモデルの「大星」を中心にその妻子、被差別部落に取り組む仏僧、若き牧師、地元の新聞社経営者、有力者、そして幸徳秋水などが絡む集団劇だ。
ぜひ書き留めたくなる台詞が散りばめられるが、たとえば「南無阿弥ダーウイン」。
若き日のダーウインにあこがれてブラジルに渡った植物学者の故・橋本梧郎先生に聞かせたかった。

日本とは、国家とは、コスモポリタンとは、戦争とは。
さまざまな問いが、今の問題として、演劇人たちの執念と共に迫ってくる。
いま、見るべき作品だ。

さて、家族の夕食を早めに準備して…
日本映画『スパイの妻』の初日初回上映に、いざ。
事前オンライン予約ではそこそこ埋まっていて、空気感染がちと気にかかる。
が、実際の場内は座席の海のなかにどこに人がいるのかといった感じ。

運悪くほぼうしろに上映中も音声を発するカップル。
とはいえ、ほぼがらがらの映画館の前から2列目で日本映画に浸ると、途中で、あれ、オレどこにいるんだっけ?という不思議な気分に。

これまたよくぞこういう映画をつくってくれたものと思う。
天皇が統帥する大日本帝国の軍隊がしでかした人類への犯罪行為は、実際に起こりえた負の遺産として語り伝えていくべきだ。

とはいえ、この映画の設定だが…
この時代の日本を舞台としたスパイものとして『陸軍中野学校』シリーズがあった。
その『開戦前夜』というタイトルの作品で、在外公館に潜入をはかる話があったと記憶する。
『スパイの妻』でも、舞台は神戸だし、在外公館駆け込みもあったんじゃあ…
それじゃエイガにならないか?

映画的、という意味ではこの映画の最後の字幕の一文に僕は映画を感じる。


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