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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2023年の日記  (最終更新日 : 2024/01/02)
10月の日記 総集編 3年7ゕ月という歳月

10月の日記 総集編 3年7ゕ月という歳月 (2023/10/02) 10月1日(日)の記 危険の予見
ブラジルにて


日中は訪日のための諸々の残務雑務。

夜は家族一名と、ショッピングモール内のわが家からするとやや高級なレストランへ。

広めのやや高級レストランだが、トイレは店の外、ショッピングモールの共同便所。
そこそこの距離あり。

おお、通路を幼児の乗った、ゴーカートという日本語呼称でいいのか、それが走っている。
どうやら背後で保護者がリモコンで駆動しているようだが。
なんだか危なっかしい。

近くにこれのレンタル業者。
このエリアではこれの走行がOKのようだが、危なっかしい。

歩行に補助のいる人や視力障碍者も通行するところである。

当然、いずれ事故が起こりそうに思える。

レストランでは、こっちの左横に四人連れの家族。
両親と日本なら小学校中学年ぐらいの少年二人。
ハスキーボイスの母親がしきりと子供たちに話しかけている。
父親らしき男は…
でれんと体を投げ出して、ただひたすらスマホをいじっている。

右横は…
30代ぐらいの女二人に男一人の三人組。
横に並んだ女二人でおしゃべり。
男はわれ関せずでスマホいじり。

人のふり見てわがふり直せ。


10月2日(月)の記 おうちにかえりたい
ブラジルにて


出ブラジル前日となった。

3年半ぶりの日本で、いちばんの楽しみは?
...質問の答えになっていないかもしれないが…
ブラジルのわが家に戻って、ぐったりでれでれ横になること。

コロナぼけ、身心の老化か。

とにかく移動中に休もう。

...朝からこんな本を読了。
『臨死からの帰還 死後の世界を体験した400人の証言』
メルヴィン・モース ポール・ペリー著、徳間書店。

これも日本のどこかの古書店の格安本だが、どこで買ったかはわからなくなってしまった。
この手の本のなかでは、格段によろしかった。
並の宗教書を超える救いを覚える。

あちこちへのメール、メッセージ。
延び延びになっていた洗車。
銀行支払いの手続き。
追加のみやげものの購入。

夜はチクワ餃子に挑戦。
SNSでレシピが流れてきた。
「お安いチクワを使って」というのがブラジルでは泣かせる。
日本食材店に行ってみると、1本100グラムのブラジル製チクワが邦貨500円近い!

高級料理だ。
…チクワのことをいろいろ調べたくなったが、また余裕のある時にでも。


10月3日(火)の記 出ブラジル
ブラジル→


ついに、3年7か月ぶりの出ブラジル当日となった。
よりによって。
今日はサンパウロのメトロがストに入った。

空港に行くのにメトロを使うわけではない。
市内の交通がめちゃくちゃになるのだ。

いろいろ考えて、わが家の最寄りの国内線のコンゴニャス空港までタクシーでいって。
コンゴニャスからグアルーリョス国際空港までリムジンバスを使う、というかつてと同じ方法を考えた。

フライトは22時25分。
エージェントは3時間前のチェックインをすすめる。

空港間の所要時間は通常は1時間前後だが、今日は読めない。
早めで1時間に一本のバスは17時40分発として。

日中、ひと通り急ぎの作業をして。
近くのタクシー乗り場に行ってみる。

この時間は道はスカスカだ。
ひとりの運転手はまもなくあがるからダメという。
もうひとりが応じてくれる。

何時にするかと聞くから、それはこっちが聞きたいと返すと、なんとも言えないという。
問答のすえ、彼が16時半にしようと言う。

…歩いても空港に着ける時間だ。
ま、無難無難でいきましょう。

荷づくりから家族の世話になって。
ひとりの家族は大変な思いをして職場から帰ってきてくれた。

出家。

おや、コンゴニャスに向かう大通りもふだんより空いているくらい。
早く着いたといっても1時間前のバスには間に合わず。

いやはや、あれこれちびちびと勝手が変わっている。
さあ、バス待ちにビールでもいただきましょ。

Boa viagem.
この言葉に僕は拙作で「いい旅してきてね」と字幕を当てた。

「気を付けて」というのはあまり好きではない。
いくら気を付けていても.いち乗客にバスや飛行機の事故はどうにもなりそうもない。


10月4日(水)の記 2023年 中有の旅
→アメリカ合衆国→


アメリカン空港ダラス行は満席。
エージェントが通路側を取ってくれていたのでありがたい。

おう、けっこう日本映画もあるではないか。
うむ、『土を喰らう十二か月』がある。
これからいこう。

…いいではないか。
久しぶりの旅への緊張と懸念をだいぶ押しやってくれる。
これは幸先がいい。

次いで…
おう、これまである。
英語題は『Writing with Fire』。
邦題をあとで調べると『燃えあがる女性記者たち』。
これまで機内で観れちゃうとは、ありがたい。

わが「映像記者」時代も想い出したり。
これはいまの僕に必見だった。
最近、日本の僕の敵はオカムラは作品をYouTubeにあげて金儲けをはかり、被写体の方を喰いものにしているという誹謗中傷をおこなっているようだ。

無知と悪意にみちみちである。
持ち出しを続けて制作をして、僕なりの義からYouTubeにアップして。
年間アクセス数が多くて数百のもので、どう広告収入が入ろうというのだ。

命がけで、YouTubeを貧者・弱者の武器として権力そして不条理とたたかうこの映画の被写体のような人たちにも無礼千万というものだ。
敵は、おのれが卑劣に権力を弄していることをどこまで自覚しているのか。

…早朝のダラス国際空港。
ESTAを取得していたが、自動トーテムに向き合うことなく、審査官と対面の入国。
手荷物の一端ピックアップもなくなり、ありがたい。


10月5日(木)の記 3年7ゕ月という歳月
→日本


ダラスから羽田では、盲導犬を連れているという在米邦人女性が隣に。
彼女が見てみようという機内映画の『怪物』(是枝裕和監督)を僕も追って観てみるが、これは僕には必見だった。

僕は機内のまんなかのブロックの通路側の席。
機窓はほとんど見えないが、着陸直前に房総の緑が見えた。

いやはや、来てしまった。
羽田の外気はさほど暑からず、寒からず。

羽田でジャパンレールパスの手続きを済ませようともくろんでいたが…
訪日観光客の長蛇の列を見て断念。
日本到着早々、こんな列につかされる観光客が気の毒。
なにがオモテナシでインバウンド効果狙いだ。

3年7カ月というブランクの期間を、なににたとうべき。
お。
「あの戦争」はどうだ?

西暦1941年12月8日、日本軍はハワイ真珠湾を奇襲攻撃、その後に米英等に宣戦布告。
1945年8月15日に当時の天皇のいわゆる「終戦の詔勅」をラジオ放送。
当時の大日本帝国が「大東亜戦争」と称した戦争の期間。
およそ3年9カ月だ。

とはいえ、この戦争を体感しているわけではないけど。
が、そう考えるとなかなかの期間である。
このネタをさっそくトークで使ってみるか。


10月6日(金)の記 Wild Pitchナマ初登板
日本にて


深夜ももそもそ。
嗚呼時差ボケ。

昼前に、このパンデミック中にお世話になった二人と再会、会食。
うれし過ぎて、プラス披露に時差ボケに老齢で…
大切なことも話したと思うのだが、あまり内容が想い出せない・・・

いったん基地に戻って横になるが、次の予定のために起き上がるのがつらいこと。

夜は、パンデミック以来、計6回も岡村オンライン参加の上映会を開いてくれた東京飯田橋のイベントバーWild Pitchさんへ。
そこに行くのも、マスターのニッキー・マツモトさんにお会いするのも今日は初めて。

ナルホド場所も店もユニークだとは聞いていたが。
たしかに。

今日は集まってくれる人のメンツによって上映作品を変えるつもりでいた。
おお、核になる作品をいちばん見てもらいたかった人が来てくれた!

なつかしい常連さん、久しぶりの人、初めて会う人。

計5本上映。
リアクションがよく、質疑も関連話題も尽きない。

今回、再編集した『富山妙子素描 戦争と原発』を中心に。
来場者のなかには生前の富山さんと関わっていたという人が二人もいた。

横のつながりのない、こうした富山さんに連なる人たちをつなぎたいというのが僕のねらい。

終了後のニッキーさんとのひとときがまたよろしかった。
おまかせのピーチ・ウーロンというカクテルが絶妙。
ニッキーさんが控えめに語る自身の歩みには、驚きばかり。

そして店内に『げんばくとげんぱつ』という絵本の原画が展示されているのが目についてしまった!
今日のシン・インスタはこれにしよう。
https://www.instagram.com/p/CyEDueRv1L6/

疲労困憊だったが、来場者の皆さんそしてニッキーさんから、まさしく元気にしていただいた。
ちょっといただいたエネルギーが強すぎたかも。

うれしい悲鳴。


10月7日(土)の記 さなぎのくるしみ
日本にて


今回の訪日期間中、新たに追加の予定を入れられる空き時間はすでにほとんどなくなった。
いっぽう今日の昼に消化できたらと考えていた案件は、どれも先方の都合がつかず。

して、深夜覚醒、もろもろの懸念事項とプレッシャー等もあってかなりグロッキー気味。
あさイチの外出と所用を済ませてから、明日からの列島巡礼の少しの準備をしつつ、ぐったりと寝込む。

ようやく渋谷駅にてジャパンレールパスの引き替え。
仕様もだいぶ変わってしまった。
これの料金はこの10月から7割!アップ。
ブラジルの邦字紙に叩いていただきたい大問題。
もう使えない・使わないかもね。

東京西荻窪の聖地APARECIDAでのシンパの皆さんとのイベントへ。
お店に入って店主Willieさんと数ヶ月ぶりの再会。
アットホーム感からカウンター席でへなへなと。

僕は善意の仲間たちに支えてもらっていることを再認識。
それがこの巡礼の糧となる。


10月8日(日)の記 マイセンの授業
日本にて


深夜に今日早朝からの列島大巡礼の旅装を準備しつつ…
たいせつに保管しておくべきものが見つからず、うろたえる。
何度となく同じところを探して、なかった場合の対策を考えつつ…
ああ、あった。

大荷物を担いで、カトリック目黒教会の早朝のミサへ。
日本のミサの言葉遣いが変わっていて、驚く。
いま浦島ここにあり。

JR山手線→常磐線。
神立駅に畏友・櫻田博さんが出迎えてくれた。
誇るべき友の一人。
このリンクの作品の主人公。
https://www.youtube.com/watch?v=lwrTthVMWfs

お宅でおもてなしをいただく。
話は尽きないが、今日の上映会場へとふたたび常磐線を北上。

水戸のホテルにチェックイン、しばし休息。
さあ第37回水戸にのまえ岡村出前上映会。
先日、亡くなられた水戸岡村会会長を偲ぶ。

上映作品は『あもーるあもれいら 第一部・イニシエーション』。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000044/20080211004181.cfm?j=1
どこかでだれかに再上映していただきたかった作品。
再生かなう。

お店を経営する眞家(まいえ)夫妻は、ふたりとも教師だった。
上映後、蕎麦が茹で上がるまでの間に店主の眞家一(はじめ)さんがまずは仕切る。
短いコメントの後で来客ひとりひとりに感想を述べてもらう。
この時の眞家さんのうれしそうな顔。
教師冥利を自分の蕎麦屋で実現されている。

そして、ひとりひとりのコメントが濃縮そばつゆなみの濃さ。
そのひとつひとつに僕もかえす。
こちらはドキュメンタリー屋冥利。

『あもーるあもれいら』再生。
このシリーズのスピンオフ作品をYouTubeにあげてあります。
https://www.youtube.com/watch?v=ZhD9th4SP4c


10月9日(月)の記 富山妙子と上野英信の余白
日本にて


水戸の定宿で、がっつり朝食をいただく。
雨か。
雨中、大荷物を担ぎかつ引きずって、駅へ。

今日は計4回乗り換え、鉄路九州へ。
とにかく移動中は休もう。
指定の取れなかった新大阪から先も、自由席で座れてヤレヤレ。

今回の九州行きを決めてから、ご挨拶の連絡をした方から、できたら会いましょうかと返信をいただいた。
急きょ強行軍で九州入りして筑豊一泊のスケジュールに変更した次第。

筑豊の地の利に通じていないので、鹿児島本線の駅のある黒崎近くの格安宿を予約。
そこで感激の対面。

先方に拙作の試写をお願いすることになった。
なさけないことにこちらの機材の持参したはずのパーツが見当たらない。
先方が機転を利かせてくれて、大事に至らずに済んだ。

さて、この余白を僕にささやかでも埋めることがかなうのか、よく考えよう。


10月10日(火)の記 アジフライの聖地にて
日本にて


朝、黒崎駅付近をウオーキング。
乗り継ぎ乗り継ぎ、筑肥線東唐津駅へ。
犬養光博牧師夫妻がここまで迎えに来てくれた。

さっそく車中も話が尽きず、先方に運転を誤らせてしまって反省。
さてお昼は何を、ということで。

ご夫妻の出・筑豊の地である松浦は「アジフライの聖地」と呼ばれるようになったという。
誰が聖地認定したのか…
それはともかく、ぜひ聖地聖餐したい。

漁港の食堂に連れて行っていただくが、すでに完食の由。
別のお店に連れて行ってもらう。

ほう。
中ぶりのアジフライ2尾。
タルタルソースが小鉢に。

ソースは…卓上にもない。
タルタルソースでいただくが…

うーん、中濃ソースとカラシでいただきたい。
が、聖地だけに、うかつなことを言うと異教徒として排他されるかもしれない。

出しなにスタッフに聞くと、ソースがお好みならソースも出すという。
次回は…

それにしても。
漁港なんだし、新鮮なアジをわざわざフライにしなくてもいいように思う。

そういえば今回、記録文学者の上野英信は刺身を好まなかったと昨日、おしえてもらった。
サシミの魚は、揚げさせてさらに味を付けて、とこってり系を好んだ由。

犬養光博先生とご夫妻が主人公の『消えた炭鉱離職者を追って リオデジャネイロ編』を試写。
感無量。

話は、尽きず。
沈黙の間合いも大切にしたい。

話せなかったことも、おそらく尽きず。


10月11日(水)の記 萩の夜
日本にて


朝、長崎・松浦の街を歩いてみる。
ストリートアートマニアを喜ばせてくれる街だ。

市電を2本、JRの電車を2本乗り換えて、さらに高速バス。
アプリの提示するルートは怪しく、自力で調べたルート。
詰めが甘く、ひとつ間違えたらアウトだった。

何年ぶりだろう、山口県萩の町。
会場の明倫学舎は木造家屋、味わい深い。

僕の義兄にあたる故・竹林史博師を慕ってやまないネコ寺こと雲林寺の住職の発願による追悼上映会。
複数の拙作の主人公である竹林師は今年、彼岸に旅立たれた。

僕が人生で初めて出会った在野の巨人だった。
古城泰さんの前に、竹林兄が僕の「社会の窓」を開けてくれていた。

そのことをこそ、もっとトークで話すべきだったと反省。

それとは別に、竹林兄のはたらきのなかで、社会と衆生のためにもっとも大きかったことについて言及するのは見合わせることになった。
これについては僕が落とし前を付けなければ。

今晩は東萩駅前のホテルを取っていただいた。
ひとり夜に地元の居酒屋でも、と思ってもみたがコンビニすら見当たらない。
萩って、こんなに静かだったろうか?


10月12日(木)の記 アパレシーダの日の土橋
日本にて


萩の朝。

これまたドラマチックなことを引きずり、今日は萩滞在を延ばすことにする。
東萩駅前のホテルはいろいろなサービスを削減して低価格に努めているようだ。
いっぽう朝食会場はアートだらけで面白い。
コインロッカーもコインが戻るというありがたさ。

さて、萩博物館前の田中義一像を目指す。
…これか。
新たな気付きあり。
関係者にぶつけてみよう。

バスと列車を乗り換えて、広島へ。
駅まで堀江さんが迎えに来てくれた。
彼とはブラジルでの仲で、日本で会うのは初めて。

彼の築いた広島のアジトkitokoi、そしてとっていただいた宿も市内の土橋にあった。
池田谷別館。
つげ義春ファンにはぞくぞくくる宿。

ああ、平和記念公園が至近ではないか。
ようやくwi-fiをつないで小休止してから、覚悟して向かう。
…、
自分のなかで封印してしまっていたものがほとばしる。
拝火、拝ドーム。
ドームが福島の建屋に重なる。

ふらふらと、上映会場のkitokoiへ。
善男善女が寄り合う、わが理想のイベントとなった。
広島死闘編を乗り切り、頂上作戦に向かう。

明日は始発の市電で駅に向かうか。


10月13日(金)の記 京都修学
日本にて


荷物も多いし、ラッシュ時は避けたい。
始発の市電と新幹線さくらの乗継ぎで神戸に向かう。

畏友の番匠健一さんと再会。
番匠さんがコマを持つポートアイランドの大学へ。

おつとめのあと、三宮のスリランカカレー店で盛り上がってから京都へ。
明日も朝が早い。
ブラジルで検索したのだが、かつて利用した駅近くのカプセル宿はなくなってしまったようだ。
やむをえず、京都相場では格安、僕には高級、そして駅に歩いていける距離のホテルを予約しておいた。

修学旅行客相手の宿のようだ。
チェックイン、お色直しのあと、同志社大学今出川キャンパスへ。
番匠さんが尹東柱の記念碑に案内してくれた。

さてさて西暦1999年撮影の最新作『消えた炭鉱離職者を追って リオデジャネイロ編』の初上映だ。
大教室の映写施設は画面が4:3に切り替わらず、うろたえる。
ようやく来てくれた技術担当スタッフは、パソコン出しに切り替えて対応。

番匠さんの研究仲間であり、僕が「同志社のもりといずみ」と命名した同志社で教鞭をとる女性二人が主催してくれた。
あらゆる意味で東京の某あたりとは雲泥の差。

作品も作者も、みられることで鍛えられ、成長していく。

おかげさまで、またひとつのピークを超えました。

ホテルでは修学旅行客とは重ならず。
ちょっと重なってみたかったな。


10月14日(土)の記 富山経由長野入り
日本にて


京都にて。
今日も朝が早い。
未明に近くの牛丼チェーンで朝食をとり、上映会でいただいたアンケートをコンビニでコピー。

荷物を引きずって京都駅へ、「ひかり」乗車。
いったん東京の実家に戻って上映素材と荷物類土産等、仕切り直す。

追加のSIMカード購入のため、渋谷経由。
JR御徒町駅で待ち合わせ。
ミニコミ誌『あめつうしん』の田上正子さんのはからいで、記録映画監督の四宮鉄男さんとの会食、というより会飲。
四宮さんは同業の大先輩であり、同業者のなかではもっとも拙作に理解が深い人だ。
これまでメイシネマ祭などの上映会場でお会いして懇親会場などでお話しする程度だった。
この度、田上さんをわずらわせてこの機会をちょうだいした。
四宮さん所望の芋焼酎をボトルで頼み、ご相伴にあずかる。

四宮作品について、いくつか聞いてきたいことがあった。
いずれも予期しないお答えをいただく。

四宮さんが福岡の人とは知っていた。
だが実家が古本屋だったとは初耳だった。
まー、話が面白い。

さあ僕は上越新幹線乗車の時間が近づいた。
後ろ髪をひかれながら中座。

とにかく移動中に休もう。
長野で私鉄に乗り換えだ。

指定席を取っていた。
…まどろんでいると、やってきた家族連れに起こされる。
切符を見せてもらうと、先方も確かに同じ席だ。

とにかく荷物をかついで移動すると…
あ、列車はすでに長野から発車して、富山に向かっているではないか!

長野までが速すぎた!
遥かなる妙高高原…!


10月15日(日)の記 ミサと温泉
ブラジルにて


昨晩は受け入れの方々を混乱させてしまって、なんとか上映会場のカトリック妙高教会付属山荘にたどり着いた。
広大な山荘にひとりで泊めていただくという贅沢さ。
しかも、なんとかけ流しの温泉付きである。
極楽極楽。

午前中の上映。
関東から盲導犬を連れて上映に参加された方がいる。
そのため全篇字幕の『佐々木治夫神父の死者の日のミサ』の上映では、僕が字幕を会場全体に響くよう読み上げることにした。
字幕テキストを僕以上に知悉している人はいないし。

これがなかなか、新たな境地を感じる思い。

上映後は今回の企画に仕掛け人・プロフェッソーラ内田の教え子さんであるプロの料理人夫妻が会場でランチを提供。
グルメの参加者が「『上』のホテルで食べればゼロがひとつ多い価格」と太鼓判。
サプライズ小鉢あり!

午後からお隣のカトリック妙高教会に河岸を移してミサにあずかる。
映画の一本も撮りたくなる建物。
https://www.facebook.com/jun.okamura.733/posts/pfbid02FbcoMTX3gTTVgBC8mXFES8J4bFYeK53aQRuwXJM3tZuhn4uN4inSWZDEnjqDKz12l

終了後はプロフェッソーラに、さらに妙なる地にご案内いただく…


10月16日(月)の記 大いなる東北
日本にて


つかのまの祐天寺裏を最出家。
東北新幹線。
これが、くりこま高原か。

40有余年ぶり、考古学徒時代以来の水沢入り。
今回の企画を立ち上げて実現してくれた鈴木しのぶさんのホームグラウンドだ。
鈴木さんは実家の土蔵をイベントスペースとして再生された。
撤収前の故・江川正幸さんの写真展をまず拝見する。

江川さんの動物写真、自然写真以外の地元のまつりの写真が新鮮だった。
土蔵中央に祭神のように飾った雪の白神山地の樹木の一葉。
なるほどこれは尋常ではない写真だと近くで見てわかった。

午後の部・夜の部とダブルヘッダーで行なう予定しているわが上映はまさしくお隣の喫茶やまびこが会場。
鈴木土蔵にも驚いたが、やまびこさんにはぶったまげた。

みちのく文化人の底力に圧倒される。
午後の部は2階スペース、夜の部は1階スペースで。

午後の部は富山妙子さん関連作品を精鋭メンバーで鑑賞。
夜の部は地元の方々中心に岡村ワールド入門編。

いずれも濃厚な寄り合いとなった。

鈴木さんもやまびこ館長の伊藤さんも僕も西暦1958年生まれ。
夜の懇親会はやまびこさんで多様多量のごちそうを地酒天瓢とともにいただく。
一期一会の妙味。
ただ感謝。

「奥の細道」を読み返したくなった。


10月17日(火)の記 東北の充実
ブラジルにて


岩手水沢の喫茶やまびこさんのゲストルームに泊めていただいて。
朝食をいただきながら、店長兼館長の伊藤さんと話が盛り上がってきた。
ご案内いただいた館内のあまたのグッズには驚きの声をあげるばかり。

満鉄関係のコレクションにもぶったまげた。

上映主催の鈴木さん夫妻が近場を案内してくれるという。
226の凶弾に倒れた斎藤實の記念館を所望。
これは見ておいてよかった。

さあ出発。
仙台から仙山線、左沢線を乗継ぎ。
寒河江にて親類のごあいさつ。

ここの温泉宿の温泉、そして館内に飾られた美術品がお気に入り。
親類宅でいただく漬け物類もうれしい。

宿に戻って、和室のテーブルに開いたノートパソコンと浴場を往復。


10月18日(水)の記 あいまの東京
日本にて


昨日以来、何度となく寒河江の宿の温泉に浸かる。
これが祖国でいちばんしたかったことかもしれない。
湯上りのアート鑑賞もオツ。

親類問題がいきなりドラマチックになる。
とりあえず、いったん寒河江を発つ。

山形の駅ビルの書店で矢口高雄さんによるコミック版の『奥の細道』を見つけて購入。

列車移動中は、ひたすら休む。

東京駅かいわいの迷路を、荷物を引きずりながら。
日本の雑誌の編集者と打ち合わせ。


10月19日(木)の記 KOJO復活
ブラジルにて


朝から私用で動く。

その足で四谷へ。
今回の『KOJO ある考古学者の死と生』再生のきっかけとなり、奔走してくれた女性と再会。

このプロセスそのものを上映を快諾して尽力してくれた上智大学の丸井さんは「まるで岡村さんのドキュメンタリーのよう」とコメントしてくれた。
これはいただきの言葉。

この作品の撮影現場でもある上智大学にて、3時間半の作品を粛粛と上映。
今回のわが訪日では奇跡的なことがいくつかあったが、この上映はそのトップクラスだ。

懇親会ではオカムラ系とそれ以外の方々がいい感じで交わり、盛り上がっている。
わが理想の場が醸し出された。

僕自身が営業活動をしないでおいてナニだが、この『KOJO』はもっと見られてよさそうな作品だと再認識。

さあ明日からファイナルミッションの旅だ。


10月20日(金)の記 水戸喜世子さん!
日本にて


度しがたく不愉快なことがある。
でも、水戸喜世子さんに会える。

「水戸喜世子さんと岡村淳監督の富山妙子さん関連作品を見る」という大阪高槻でのイベントの当日となった。
イベントそのものにクレームが入り、その方に僕は即、返信をしたが、その後は当日まで主催者にも僕にも連絡はないようだ。
主催者と相談して、予定通り決行する。

画家の故・富山妙子さんと僕の出会いの機会をつくってくれたのが、音楽家の伊東乾さん。
その関係を堅くつないでくれたのが、反原発市民活動家の水戸喜世子さんだ。
伊東さんも水戸さんもこの肩書では収まりきれないけた外れの活動をされている。
こうした方々とつながっていられることが僕の宝であり、邪悪なものと闘い続ける支えとなっている。

水戸さんとの経緯は、奇跡、ないし摂理的なものを感じている。
水戸さんの言動をフォローしていけば、おのずと原発問題がわかってくる。
いっときはある断片だけでも水戸さんに寄り添わせてもらって、ドキュメンタリー映像をつむぐことも考えた。

しかし短期間に日本全国から国外まで奔走する水戸さんを、在ブラジルで経済力の伴なわない僕がフォローするのは無理と気づいた。
その先に現れたのが水戸さんがつないでくれて、すでに車いす生活をされていた富山さんだった。

水戸さんのお仕事といえば、まず亡夫・水戸巌さんの著作・講演集『原発は滅びゆく恐竜である』を掲げたい。
水戸巌さんはチェルノブイリ原発事故の前に、わかりやすい言葉で原発の猛烈な危険性を訴えていた。
そして西暦1986年末に、二人の子息とともに日本アルプスで謎の遭難事故に遭う。

水戸ご夫妻とこの本について検索して、格好のリンクがあった。
https://gssc.dld.nihon-u.ac.jp/e-magazine/057/tosyo/tosyo1.html

水戸喜世子さんの抱えるいたみ、そして壮大な活動は僕の想像を超える。
それでいて、この明るさと謙虚さ、気配りのほど。
けた外れにノーブルな人だ。

水戸さんと富山さんは市民活動の同志であり、戦友であるといっていいかもしれない。
その水戸さんと、水戸さんのおかげで紡ぐことのできたありし日の富山さんの映像をともに鑑賞して、その想いをあらたにビデオに収めさせていただく。

関西のシンパの方々のまさしく持ち出しの尽力のおかげでこれがかなった。
善意のネットワークを信じて慎重に歩んでいこう。

僕には、仲間がいる。


10月21日(土)の記 備前に泣く
ブラジルにて


新大阪駅至近にこんな地味なところがあったのかという立地の宿を発って。
アイオイという母音4文字の駅で在来線に乗り換え乗り換え…

赤穂線伊部駅下車。
いんべ、と読むと初めて知る。
もとの「忌部」の方が僕はずっと好き。

駅には上映実行委員のアミーゴ今井さん、アミーガ形山さんが待機。
まずはアブラッソ。

今回の訪日では、以前から今井さんにお話をいただいていたこの上映だけをお受けするつもりでいた。
それがナント3週間の滞日中に全16回の上映という、おそらく自分の記録になりそうなハードでタイトなことになってしまった。

ひとつひとつの上映がたいせつだが、今日のはとりわけである。
上映会場はJR伊部駅と同じ建物の備前焼伝統産業会館の3階ホール。
もうひとりの実行委員、今井さんの同級生の「山本くん」が待機。

まずは会場と機器をチェック、さっそく注文を出させていただく。
それにしても、よくぞここまで実現してくれた。
その物語は、以下のリンクにある今井さん作成のチラシを参照されたい。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000119/20230920017397.cfm?j=1

会場に食べきれない・飲みきれないほどの昼食を準備していただいて。
来場者が集い始めた。

昨年末に亡くなられた赤木和文さんに岡山で引き合わせていただいたスミさんが、年配の女性とともにいらした。
赤木さんのご母堂だという。
言葉にならないお悔やみをまずは申し上げる。

こちらの心を和ませる雰囲気をお持ちの方だった。
息子の身に着けていたものを着てきた、とおっしゃる。
ここにもピエタがあった。
軽口をたたきながらも、こみあげてくるものがある。

その場をフェードアウトして、会館の外に出る。
涙腺決壊。

僕の上映会は生者のみならず、死者との交感・交歓の場でもあるのではと思い始めていたところ。
拙ウエブサイトにある赤木ファイル2点のリンクを貼っておきます。

〈赤木和文ファイル〉から
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000051/20230203017128.cfm?j=1

赤木イモのちから
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000236/20230616017131.cfm?j=1


10月22日(日)の記 四歳児と観るあもれいら
日本にて


備前伊部の常盤旅館の朝。
六代目若女将に近くの情報を聞いて、朝食後に散策。
このあたり、面白すぎ。

昨日の上映の発起人・今井歩さんが車で迎えに来てくれた。
僕のハードスケジュールのために限られた時間内で今井さんが案内してくれるところが、いずれもさらに面白い。
僕のツボを知悉しているかの如く、衝撃的なスポットにご案内いただく。

岡山駅から新幹線を乗り継いで愛知豊橋へ。
畏友の山本利彦さんの家庭訪問上映。
山本さんは昨年刊行の『ブラジルの歴史を知るための50章』(明石書店)でブラジル映画史などを執筆している気鋭だ。

彼とは今年で出会って20年の由。
この8月、家族でお連れ合いの実家のあるブラジルに帰省した。
その際、お会いしたお嬢さんは生まれた時からずっとパンデミックが続いている、と聞いたことにこころを動かされた。

いずれ日本のわが家で親類友人知人を集めてオカムラさんの上映会を、と言ってもらい、今日の上映となった。
お嬢ちゃんはいまや四歳。
拙作『あもーるあもれいら 第一部・イニシエーション』をみてもらうことに。
この作品はたまたま居合わせた一歳児も食い入るようにみていたことがあり。

山本家の教育方針で、この子は家庭でテレビを見たことがないという。
そんな子に、1時間半余りの拙作がどこまで耐えられるか。
…彼女は全編をじっくりと見てくれた。

好事魔多し。
終了時に血流がポロロッカのように大逆流するようなメッセージあり。
ぐっとこらえて。
2週間のジャパンレイルパス、今日でフィナーレ。

さあ明日からの首都圏残務に突入だ。


10月23日(月)の記 新宿発横浜行き
日本にて


さあ水曜日には出ニッポンだ。
今日明日で、のこりのたいせつな弔問慰問等々を先方の都合に合わせて。

折しも新宿でアマゾン帰りの佐々木美智子さんの写真展が開催中の由。
佐々木さんとはアマゾンのマナウスで出会って以来、40年。
親類のようにお付き合いしてきたが、パンデミックの年初めに僕がNHKの番組ディレクターだという男にまさしくだまされるという目に遭ってしまった。
これがもとで佐々木さんとも断交状態になっていた。
もっとも、たかがNHKディレクターの弄言で切れてしまうような縁なら、こちらから願い下げである。

双方の知人から、このことでお気遣いもいただいてしまい。
ここはひとつ僕が差し入れも兼ねて訪ねてみることにした。
少しのわだかまりがあったが、僕の方の言い分をきちんと伝えて。
さらに共通の好ましからざる人物の話題で盛り上がってしまった。
それにしても僕より二回り年上で、このアタマのキレはたいしたものである。

居合わせた人をめぐっての奇縁もあり。
話は尽きないが、横浜での約束がある。

阪東橋駅。
御著を通してあこがれていた渡辺英俊牧師を訪ねる。
齢90代でひとり暮らしをされている。
談論風発、という言葉があっているかどうかわからない。
こっちも話が飛ぶが、向こうも飛ぶ。
あれもこれも、聞いておく。

さぞお疲れなことだろう。
それでも階下まで送ってくださった。
ご本人にお会いできて、御著の読み返しも楽しみになってきた。

近くの横浜橋商店街がエキゾチックでエスニックで面白い。
横浜の友人、ガウショ伊藤修さんも蔭山ヅルさんも今日はお休みの日だ。
このあたりでなにか食べていくか。
迷った挙句に入った天丼屋さんで、これまたたいへんなサプライズあり。
お店では伝説となるかもしれない。

すっかり盛り上がってから、お店の手描きポスターの写真を撮らせてもらう。
https://www.instagram.com/p/CywLSUPy3eI/

伊勢佐木町でのぞいてみた古本屋で、今度は本に呼ばれた。
2冊。
近くのサテンでひもとく。

そうそう、今日はコインランドリーにも行かないと。


10月24日(火)の記 羽田前日のチバニアン
日本にて


離日前日になってしまった。
パンデミック中に亡くなった日本映像記録センター時代の上司のお宅に弔問にうかがう。
このお宅には現役時代からさんざんお世話になった。

これまではもっぱら総武線の下総中山駅下車でうかがっていた。
今回、アプリで見ると地下鉄東西線利用の方が安くて時間も早いようだ。

スマホで地図もチェックしてみると、西船橋駅から歩いて20数分の由。
電車賃も節約できる。

歩くか。
いや、これは面白い。
下総中山からだと平坦だったが、ニシフナからだと谷あり崖ありの地形。
わが武蔵野同様、縄文人が好みそうな地形ではないか。

思えば僕の遺跡発掘初体験も、ここからそう遠くない千葉の東京よりの縄文遺跡だった。

これはスマホのアプリがなければたどり着けたかどうか。
お連れ合いもリハビリ中とのことで、玄関先で失礼ぐらいも考えていたが…
こちらに時間があるなら近くの故人のなじみのお蕎麦屋で、とのことで。
あれこれ盛り上がってしまった。

お連れ合いは、夫の死因はテレビ時代の核汚染地帯の取材のせいではないかという。
その時のカメラマンは僕より少し年上だが、彼もガンが続き、最近亡くなった。

取材による被曝の問題はもっと知られるべきではないか。
自分たちの仲間、同業者の被曝を黙っているのか。

さて、僕はどうしようか?


10月25日(水)の記 本屋のない空港
日本→アメリカ合衆国→


僕が日本で使っているメインの銀行は、地元の地方銀行なのだが。
実家に最寄りの東横線祐天寺駅の店舗がなくなって久しい。
Webで対応不能の事態があり、渋谷支店へ。
離日当日のあわただしいなか…

あ。
駅前にあった支店がない。
他の大手銀行になっているではないか。

スマホで調べると、徒歩10分ほどのビルのなかに移転したようだ。
それだけでもヤバそうである。

歩いてみる…
駅から離れ、雑居ビルのしかも上階。
受付で用件を伝えると、予約なしではそこそこ待たされるという。
先方の言った時間の2倍近く待たされて。
けっきょく、対応不能。
日本で使える固定電話か日本の番号の携帯電話を所持していないとNGなのだ。

こういうのを日本の銀行が改めるのと、その前に(銀行が)自滅・統合されるのとどちらが早いか。
今後はブラジルの銀行をメインに使いましょう。

羽田空港着。
スムースにチェックイン。
さあ出国後の楽しみは日本の書籍の購入。
消費税抜きで買える。

さてウイングの両端に書店があったと記憶して、見取り図を確かめる。
たしか向かって右の端にあった店の方が充実していた。
わがゲートとは離れるが、時間はある。

行ってみるが…シャッターが下りている。
ううむ、左端までいくか。

うう、こっちはよろず取り揃えの店の一角に申し訳程度に雑誌・ガイド本類がある程度。
日本のそこいらのコンビニ程度か、それ以下か。
かろうじて谷口ジロー『捜索者』の文庫版があった。
買い。
山岳専門の出版社からで、税抜きでも1000yen超え。

日本人の書籍離れを国の玄関口でひしひしと感じる落日タイム。
さよならニッポン。


10月26日(木)の記 ダラスの罰
アメリカ合衆国→


ほんらいは書くことにも困る移動途中の短い一日のはずが…

羽田からのアメリカン航空とJALの共同運航便・ダラス行とダラス発サンパウロ行きのアメリカン航空便の接続時間は2時間足らず。

かなりせわしない接続だが、航空会社が接続可能を前提として販売しているのをエージェントから購入して…
ダラス着後の入国審査は長蛇の列で、45分以上待ちとの表示が。
もしこれで接続が危なければ航空会社のスタッフが優先レーンに誘導するのが、ふつう。
だがこれがない。

表示通りに45分以上、たっぷりかかって接続便のゲートを調べると…
到着ゲートとは別ゲートまでモノレールで移動しなければならない!

ようやく所定のゲートにたどり着くと、すでに搭乗締切り。
どうすればいいのかとアメリカン航空のスタッフに聞くと、A20搭乗口に行けと言われて。

さらにたらいまわしで顧客アテンドの長蛇の列について。
24時間後の同じ便に振り替えられた。
待機のためのホテルを支給しないのかと聞くと、ノーと言われ、有料ホテル一覧のリンクのある紙を渡された。

どう考えても航空会社の落ち度だが、こちらの英語力、抗議力の限界…
そもそも同様の乗客の長蛇の列で、日本やブラジルみたいにぎゃーぎゃーやっているのが誰もいない。

むむむ…
各ゲートにある長椅子は、日本の公園の路上生活者の横たわり防止のようにひじ掛けが固定してあって、横になれないのだ。
さらに夜も更けてくると、空港の床にそのまま横になる猛者たちも三々五々と現れた。
さすがにそのまま床には横になれない・・・

次回からはゴザか、せめて新聞紙を持参するべか。
「24時間、戦えますか?」というCMがあったっけな…

そこそこ冷えるし。
時折りトイレも兼ねて歩いたり。

世のストリート生活者の境地にほんの少し近づけたか。
…ウクライナやガザでは、これどころではない劣悪な環境で、命まで奪われようとしている人たちがいる。

さすがにここでは生命の危険はなさそうだし。

20代前半の日本での「駅寝」続きの旅を想い出したり。
しかし、この年ではなかなか…

へろへろで、時間感覚もおぼろなり。


10月27日(金)の記 サンパウロ 届いた知らせは
→ブラジル


サンパウロ到着前のアメリカン航空の朝食は少し大きめのヨーグルトにシリアル、あと小袋の菓子類のみ。
軽食以下だ。

サンパウロで心配なのは、前日の便で到着しているはずの荷物と巡り合えるか。
地上スタッフは心もとなかったが、本日便と同じベルトコンベアーから出てきた。

お、日本からの同便だった日系人のおじさんがいる。
ダラスでのことを聞いてみる。
するとナント、彼のグループにはアメリカン航空はホテルを無償で提供して、ホテルのバンが空港まで迎えに来たというのだ!

この差、差別はなんだ?
こっちがジャップだったからだということではなさそうだ。
チケットをJALで発券していたせいか?

さて、一方。
サンパウロでwi-fiがつながると…
おもに日本からのたくさんのメッセージ。

今回、日本で見舞いに行った親類が、いつなにがあってもおかしくない状態という知らせ。
と、すると…
また訪日するべきか?

先方にこちらの到着遅延を伝え、続報を待つ。
こちらの動向を心配してメッセージをくれたエージェントの担当に、さっそく至急の訪日チケット購入の可能性があることを伝えておく。

いやはや。
さすがにくらくらする。


10月28日(土)の記 夢・短編
ブラジルにて


いやはや、疲れた。
通常モードで日本の東京の実家からサンパウロのわが家までフライトだけで25時間以上、プラス前後あいだの諸々で約40時間。

それに今回はプラス24時間ときた。
その間、体を横たえることができないのだ。
ただでさえ訪日ミッションでヘロヘロなところに…

今日もだらだらしていよう。

昨日から、眠ってもかえって疲れる感じ。
そもそも眠りが浅い体質。
今回のダラス24時間ばつゲームでその間、それがきっちり浅く、それぞれなんだか重苦しいテーマの夢を見るようになってきた。
どれもどんなのだか忘れちゃっているのだけれども。

それがこちらに戻っても続いている感じ。
こちらは土日に入り、航空会社のオフィスもその間は閉じてしまう。
よって急なフライトをおさえるのがむずかしくなった。
ネット買いではいたい目に遭っているし。

メッセージを受け取るのに、見るのにビクビク。
いやはやいやはや。


10月29日(日)の記 日曜日には魚をさばけ
ブラジルにて


さあ、日曜の路上市に魚を買いにいこう。
中ぶりのアジをすすめられて購入。
サバも冷凍ものではないとのことで、購入。
1キロで三尾。

が、今日わが家で食事をするのは僕だけ。
…アジの中骨の肉をこそげ落として、ナメロウをつくる。

飲み物は、カイピリーニャで。
格安ピンガ(カサッシャ)にザラメ砂糖、ライムを絞って氷も多めに。

明日はまた泊りの料理番を引き受けることに。
アジをうすくち醤油のヅケにして持っていこう。

サバは、しめ鯖にする準備。
まずは二枚にして塩を振っておく。


10月30日(月)の記 サンパウロ大学をあるく
ブラジルにて


とりあえず日本の親類は新しい週をこの世でむかえたようだ。
落ち着かないが、どうしようもない。

こちらの日常を再開しよう。
訪日前までのルーティンになっていた、こちらのお年寄りのところでの料理人と泊り付添いを再開。
そろりそろりとクルマを繰る。

途中のサンパウロ大学で車をとめて。
少しのウオーキングとインスタ用「今日のアート」採集。
大都会にしてまれななことに、ゆったりして行き交う人も例によってまばら。
それでいてヤバイ感は乏しい。

ひと月ぶりのUSP:サンパウロ大学だが…
おう。
グラフィティが増えている。
光線の具合でまだ未アップの作品群もあり。
ほくほく。

さあ夕食の支度だ。
残りものを活用しつつ…
あれ、ダイコンがないか。

わが家のものを持ってくればよかった。
昨日、買ったアジを醤油づけにしておいたのを刺身にして。
ツマはワカメとキュウリで。

珍しく何度も「おいしい」と言われる。
悪い気はしない。

晩酌・キッチンドリンク用のアルコールをきらしていた。
まー日本以来飲み続けなので、休肝するか。
ダラスでもアルコールは控えたけれども。


10月31日(火)の記 逝った日に往く
ブラジル→


昨日午後から、サンパウロ市内の親類のお世話でお泊り。
日本にいる間もブラジルに戻ってからも、ずっと時差ボケである。
今日もこちらの午前2時ぐらいには覚醒。
わが家から持参した『秋田の聖母マリア』を読んだり。
祈ったり。
午前3時半にメッセージ着信。

日本の親類が逝ったとの知らせだ。
嗚呼。
ちょうどこちらでロザリオを唱えていた時ではないか。

先方は僕の血族だが、子供がいない。
もしもの時にどうするか、日本で関係者と打ち合わせをしてきたばかり。

行くか…
日本の関係者からの、日取りの連絡を待つ。
航空券のネット買いはこれまでもトラブルがあった。
購入は信頼できるエージェントからにしたいが、今日明日発の日本行きの便の見当をネットでつけておく。

まさしく、祈るしかない。
こちらに午前7時半ぐらいまで滞在の予定だったが、6時過ぎに失礼させていただく。
勤務時間以外もメッセージをチェックしている日系の旅行代理店のなじみのスタッフに連絡。
こういう時は、ありがたい。

喪服とワイシャツ、黒靴はどうするか。
少しは土産類を買っておくか。
ブラジルで済ませておくべき残務は。

最も懸念のフライトに関しては午前中いっぱいばたばたして、さらにオマケが付いた。
いずれにしろ、こちらの今晩発を確保。
今日は仕事を休んだ家人に大いに助けてもらう。

日本には11月2日の「死者の日」着の予定。
先日のダラスの空港みたいなことがなければ。

そうか、今日はハロウインか。
ハロウインにの日に逝くとは、「らしい」人だ。

さてさて、こうして非常事態突入である。



 


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