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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2024年の日記  (最終更新日 : 2024/12/11)
3月の日記 総集編 リオの怪獣王

3月の日記 総集編 リオの怪獣王 (2024/03/11) 3月1日(金)の記 洗濯のちシェルター
日本にて


妙高ミッションの疲れも抜けないまま、昨晩の「たぬき」さんでの快飲が重なり…
今夕から北関東ドサまわりだ。

午前中、消息の気になっていた80代のアミーガ(女友だち)を訪ねる。
インターネットは修理待ち、歩行に不自由があるというが、そのやる気のほどに舌を巻く。
帰りに洗濯をしようと大きなバッグを担いできた。

昨日会ったアミーガから目黒清水の交差点にあるコインラウンドリーはカフェがあると聞いた。
自販機ではないカフェだという。
調べると、カフェの営業は午前10時から午後6時まで。

これは行ってみよう。
これまで訪日中の洗濯は深夜に近場のコインラウンドリーで行なっていた。
洗濯中、乾燥中は近辺のコンビニのハシゴや牛丼屋などで時間調整をして。
その場でゆったりとカフェをいただける場所とは、理想ではないか。
書籍も持参した。

明るく、スペースはゆったり。
トイレもあり、大テーブルには日経新聞も置かれている。
洗濯顧客の半分以上は東アジア系の人のようだ。
昼に時間をつくるのが課題だが、これは洗濯が楽しみになるほどのよろしさ。

さてさて仕切り直して。
畏友の伊藤修さんと東武浅草駅で待ち合わせ。
伊藤さんは日銭稼ぎの作業現場からそのまま来たという。
目指すは上州・大泉。

今日の宿泊は日系ブラジル人のシェルターだという。
なるほど行ってみてそれがわかった。
そのままドキュメンタリーになりそうな場所だ。

さあ明日は早い。
伊藤さんは未明から作業をするという。
こちらもスタンバイ。


3月2日(土)の記 大泉の大壁画
日本にて


群馬大泉の「シェルター」にて。
伊藤修さんは午前5時半から作業を開始する由。

「伊藤時間」は時差ありや?
こちらは5時過ぎに起床してスタンバイ、部屋の戸を開けておく。
5時40分まで行かないうちに、伊藤さん登場。

昨年8月に作画したワールドプラザ(旧ブラジリアンプラザ)ビルの側面に伊藤さんが描いた大壁画に加筆するというので、万端繰り合わせて同伴した次第。

写真で見てもピンとこなかったが、昨夕、実物に接して驚いた。
銭湯画にして何湯ぐらいの大きさだろうか。

外は氷点下、日昇前。
雪の妙高高原以上に冷え込むではないか。
あとでこれが上州名物からっ風、赤城おろしだと教えてもらう。

駐車場に面した壁面だが、壁面すぐにフェンスがあって、作画にも撮影にも支障あり。
伊藤さんはひとり脚立、ペンキ類をかついで作業に取り掛かった。

昨晩、気になってスマホ撮りしてインスタにあげておいたグラフィティはロギンヒャ難民の子供と大人が描いたものだという。
https://www.instagram.com/p/C3_h-V9vcWc/

伊藤さんの手掛けた壁画の方には、ウクライナの子供たちがブラジリアンプラザに送ってきた絵画を複製したものを配していた。
伊藤修という人は、アーチストとしてタダ者ではないことを改めて思い知る。

想えば僕がパンデミックの始まったブラジルで毎日、グラフィティを探してインスタグラムにあげるようになって4年になる。
https://www.instagram.com/junokamuracovid20_23/

だが、こうして動画で撮影しようというのはこれが初めてだ。
伊藤さんは画面で間の抜けていたところにヒマワリの花を描き始めた。

今日は午前11時ごろに地元の新聞の取材があるとのこと。
この施設のパトロンの来訪と陳情や会議もある由。
伊藤さんはそれまでに終わらせるという。

とにかく身心が冷え込む。
ここで連泊のつもりだったが、肝心の伊藤さんの作画も昼までの由。
スマホで調べてそう遠からぬところに宿泊可能な大衆温泉があるのを知る。、そちらに一泊することにした。
明日は水戸への移動と上映がある。
身心を温めて休まないともたないかも。

伊藤さんの大作は、こんな感じでほぼ完成しました。
https://www.instagram.com/p/C4BbWvASC4F/


3月3日(日)の記 太田のがろあむし
日本にて


群馬県太田市にある大衆温泉付属のカプセルホテルにて起床。
今日は列車を5本乗り換えて北関東横断、水戸に向かう予定。

途中の太田駅前に太田市美術館・図書館というのがあった。
ふつうならスルーだが、こんなのを開催中ではないか。
https://www.artmuseumlibraryota.jp/post_artmuseum/186453.html

うーむ。
予定の電車と到着を遅らせて鑑賞することに。
ああ、これは見ておいてよかった。

舘野鴻さんの絵本『がろあむし』の原画が圧巻。
もう、口をあんぐり、言葉も出ない。
売店で絵本が売られていて、ほかの舘野本とあわせて購入。

舘野さんには下北沢にあったダーウイン・ルームのイベントでお会いしたことがある。
これだけのクオリティとレベルの仕事を継続されていて、ご同慶の至り。

「がろあむし」は形態からしても架空の虫かとも思ってしまった。
ちなみにポルトガル語の garoa は霧雨の意。
ミュージアムのカフェで購入したばかりの絵本を繰ると、この虫を日本で発見したフランス人外交官の名前だという。

水戸にぶじ到着。
にのまえさんで『あもーる あもれいら 第二部・勝つ子 負ける子』を熱く上映。


3月4日(月)の記 帰京の風景
日本にて


水戸の定宿で朝を迎える。
日中に予定がなければチェックアウトまでまったりしていたいところ。
が、今日は昼前に目黒駅で待ち合わせあり。

納豆含めて食べ放題の朝食バイキングもそこそこに。
土浦と品川で乗り換えだ。

常磐線の車窓の里山の光景が深く沁みる。
PARC岡村ゼミで歩いたのは、この辺だったかな。

今回の北関東ミッションでは東京、埼玉、群馬、栃木、茨城、千葉の車窓を眺めることになった。
どうしたことか、この茨城の風景が僕のいちばん深いところまで響いてくる。
なぜか、をぼんやり考える。

目黒駅では、昨年10月以来の訪日ではじめてビッグイシュー販売のおじさんを見つける。
最新号を買った後、バックナンバーも購入。
かさばらないし、ブラジルに持って帰ろう。


3月5日(火)の記 学芸大学の不審者
日本にて


東京の実家で、するべき作業は果てしなくある。
これまでの拙作の、技術面での地味でアナログで根気のいる作業にも試行錯誤のうえ着手した。
ものつくりの、いわば「行」のようなものである。

夕方から外での残務にあたる。
初代が沖縄の小島に移住してしまった東横線学芸大学駅最寄りの古書店サニーボーイブックスさん。
昨年の訪日時から挨拶に寄ろうと何度か通りがかったが、お休みだったり、こちらが大きな荷物を抱えていてあのスペースに立ち入るのがはばかられたりして。

先日も閉店だったが、ガラスのショーウインドウにわが手づくり冊子が飾られているのに気づいた。
然るべき内容の割には、編集も出版社も介していない自費の手製本のせいか、あまり流通していないレアものだ。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000119/20210301015265.cfm?j=1

ひと言、新店主に御礼が言いたい。
外は小雨、もう午後6時前になってしまった。
サニーさんに到着すると、新店主らしい女性が店じまいにかかっていた。
聞くと、ほんらいは7時までだが、展示の最終日だし雨なので早じまいするという。

なぜに拙著を外からも見えるところに展示してくれたのかを聞くと、先代と僕との関係は知らず、見ていいと思ったからの由。
うれしい。
ちいさな土産を置いて、店じまいの妨げにならないよう失礼する。
https://www.facebook.com/jun.okamura.733/posts/pfbid0DH3aoBHXUFyQuNZ8UcQYyJbq2dir4fsEMg9egrN91nrushQdTGcZRiPYPEBcExsvl?notif_id=1710427666256641 ¬if_t=feedback_reaction_generic&ref=notif

ブラジルからの追加の頼まれもので、3軒目のヒャッキンあさり。
ようやく学大の店にありました。

夕食は…
学大駅前の日高屋にするか。


3月6日(水)の記 寿司職人vs.映像求道者
日本にて


明日は離日の予定。
実家での荷物いじりとかつての拙作の素材変換作業も、まあ及第点かな。

おや、そこそこの時間になってしまった。
最後の晩さんは…
学芸大学駅近くで見つけた寿司居酒屋に行ってみるかな。

駒沢通りまで出て、やはり白木のカウンターのある寿司屋に行きたくなった。
今回の訪日ミッションでは妙高での一週間の自炊取材・編集も敢行した。
最後にこの程度は認可しよう。

今回は実家付近の寿司屋をいくつか訪ねた。
訪日初夜は目黒銀座まで歩いたが、見つけたお店は不気味なまでの大当たり。
妙高ミッションを控えた身で、お店の日本酒リストを見ると「妙高山」というのがあった。
老女将は越後高田の出身だというではないか。
マスターは僕の中学の後輩だった。

これに味をしめて、わが油面小学校の近くの寿司屋にも行ってみた。
ここではマスターは常連客とのタメ口会話ばかり。
支払いは、現金のみか。

さて今宵の祐天寺昭和通りのお寿司屋さん。
昨年、実家の親類と来ているが、その時はテーブル席。
今日は僕の入店時に他の客はなく、カウンターで大将とサシ。
いきなりモーリシャスの話が出た。

なんだか話が弾んでしまった。
寿司職人と映像求道者の意気投合。

ちよだ寿司の閉店間近の割引きを買って食べるのとは、別次元である。
地元の寿司文化を守るためにも、貧者なりに少しは投資もしないと。
カウンターに座って、いきなり「並で」とも言いづらいけど。

祖国での楽しみが増えた感じ。


3月7日(木)の記 1750円の代償
日本→アメリカ合衆国


昼過ぎに祐天寺裏を出家。
今日はなかなかタクシーが拾えず。
渋谷経由で羽田空港へ。

え、アメリカン航空ダラス行は3時間15分の遅れ!?
ダラスでのサンパウロ行きまでの乗継時間は5時間ほどだったから、これはアブナい。
カウンターで他の便への振り替えは可能かと聞くが、却下される。
が、最大1750円の食券をくれた。

出国後のフードコーナーにある六厘舎というつけ麺店で使用することに。
特製つけ麺、餃子に缶ビールで、差額を450円ほど負担。

やたら太い麵で、ナント冷たい。
これではあったかい漬け汁に入れても美味しさ半減では。
あとで調べると、この店ではこれが定番で、熱い麺が希望の場合は「熱盛」と指定するのだとか。
あー、普通のラーメンが食べたかった。

さて日本航空との共同運航便のアメリカン航空便。
エンターテインメントのアジア映画、さて日本映画は…

ナント『駒田蒸留所へようこそ』というアニメが一本のみ!
日本の地方のウイスキー蒸留所を盛り上げようとする話だが…
ウイスキーの魅力、なぜウイスキーかが僕には伝わらず、なにかコンタンを感じてしまう。
うとうとしてしまうごとに巻き戻してみるのを繰り返すが、どうでもよくなってきた。
いったん眠りますか。


3月8日(金)の記 グアルーリョスのクモスケ・ヌンカマイス
→アメリカ合衆国→ブラジル


さあダラスに着いた。
羽田では遅延のため、現地で地上スタッフが誘導すると言われていたが、それらしいのは例によって見当たらない。
入国審査の列がそこそこのため、途中で列整理の係官に言って、あまり人のいないカウンターに行かせてもらうが、ヤバそうなのが先にいて詰まる。

とにかくクリアーして乗継便のターミナルを確認しようとすると、1時間の遅延とな。
やれやれとAターミナルにモノレールで移動。

二転三転、けっきょくサンパウロ行きの便は13時間遅延となってしまった。
アメリカン航空がホテルのヴァウチャーを出すとのこと。
メールで届くというが、JALで発券した僕には例によって届かない。

少し混乱が静まってから、列につくこと1時間。
ホテル、往復のタクシー、そして空港での12ドル分の食券ヴァウチャーをゲット。
タクシーをゲットするのがまたややこしく、深夜に1時間ばかし待って乗り合いとなる。

ホテルのチェックインでふたたび1時間ぐらいの列。
ホテル利用は深夜から未明まで5時間程度。

翌朝、やれやれの搭乗。
機内映画『バービー』は、まさかのイントロからしてよろしかった。
サンパウロのグアルーリョス国際空港着は、午後11時近くとなった。
すでにシャトルバスもない。

・・・ここで「ポン引き」の語意を調べる。
まさしくポンビキ、クモスケにひっかかってしまった。
配車サービスは自分では使ったことがないので、ラジオタクシーという事前にカウンターで料金を払う、やや割高なタクシーを使おうと思っていた。
だが、遠目で見るとカウンターのあたりはかなりごちゃごちゃしている。

到着口からついてきた男がタクシーを手配すると言い、料金はタクシーメーターで、という。
いくらぐらいになるかと聞くと、アプリで計算して180レアイスという。
ちょっと割高な相場だ。

この男の車に乗るが…
後から考えると、車中の会話がそもそも怪しかった。
自分はコムニダージ:スラムの出身だと言うが、どこかと聞くとそれには答えない。
運転中、やたらに手持ちのスマホを繰り、電話の受信もしたりで、なんだかヘン。

到着すると、男は600レアイス近い数字を示すアプリを見せた。
約束の金額の3倍以上じゃないか、ふざけるなと言うと、雨だったからとがデタラメを言う。

よしそれじゃあ俺のスマホで録画をするからな、と空港での交渉から語って録画し始めると、びびりはじめた。
相手は強盗の手前のような男だし、仲間に連絡が言っていてもヤバい。
250で手を打つことにするが、録画を消せと言う。

完全な確信犯だ。
こんなのに引っかかった不徳を恥じるが、かつて空港からの帰路に殺されかけた身としては、これぐらいですんで感謝かも。
ダラスでの深夜と未明のヤバそうなタクシーがまるで問題がなかったこと、ブラジルでも事前の交渉を見事に裏切るような悪質なのに会った覚えがないので油断してしまった。

スラムの出身で、いまや自分の車を持って国際空港でタクシーとはがんばったね、などとオメデタイ言葉をこいつにかけていた自分が情けない。

まあこの辺で。
ヌンカマイスは、ノー・モアの意。


3月9日(土)の記 でれでれの土曜日
ブラジルにて


ポンビキクモスケタクシーに引っかかって後味悪く帰宅すると、もう日付は今日だ。
まあ今日はだらだらと身心を休め、こちらに慣らしましょう。

今回の訪日ではいろいろな良書をゲットできた。
友人にもらったり、旅先でのぞいた本屋で見つけたり、ネット買いしたり、日本の地元の立ち入りが不可能なほどの古本屋で見つけたり。

ウオーキング、インスタ撮りも兼ねて少しシャバをあるく。
不在中に大通りのバス停に描かれたカベッサ・デ・シーカラさんの作品をスマホ撮り。
https://www.instagram.com/p/C4UnipQORCk/
ヤンバルの昆虫のように手足が伸びたな。


3月10日(日)の記 日曜の東洋人街に
ブラジルにて


できれば今日もまる一日、わが家でだらだらしていたい。
が、邦字紙を見て今日の午後から東洋人街の「文協」で気になっていた知人の映画が上映されることを知る。

見ないことには何も言えない。
思い切って行ってみることにする。

おや。
製作者は僕より数次元、レベルのうえの機材を使っていたはずだが。
画質も音質も、VHSのダビングものを見ている感じ。
これはひとえにこのホールの機材のゆえだろう。
いずれにしても、見ておいてホッとする。

特に知り合いに会うこともなく、会場を去る。
ごった返す日曜午後の東洋人街を遠巻きに帰る。
どこかカフェでもという思いがあるが、混雑時にひとりで気ままにいられるようなところがなくて。


3月11日(月)の記 帰聖断食
ブラジルにて


まだまだだらだらしていたいところだが、そうも言ってはいられない。
まずは週一の一日断食を再開。

今日までの銀行の払いものがある。
最寄りの支店に行くと、なかなかの列。
ひと駅ほど先のいつもすいている支店まで足を延ばす。

断食の日はよけいカフェに寄りたくなる。
途中のガソリンスタンド付属のコンビニで、フルーツ味のミネラルウオーターを買ってドリンクイン。

そうか、3月11日か。


3月12日(火)の記 サンパウロの庭カフェ
ブラジルにて


わが家からメトロにしてひと駅半ほどの距離にたつ毎週火曜の路上市まで、歩いていく。
野菜類を購入、さらに歩いてムッツァレイラチーズを扱う店、天然発酵パンの店をハシゴ。

この先にある「庭カフェ」に行こう。
もう何度目になるか、こっちを覚えているのかいないのか、ほわんとした男の店員が屋内ではなく中庭の方に案内してくれた。

想えばこれまではいつも雨模様で、屋内だった。
おう、緑もある中庭スペース、よきかな。
これまでもそうだったが、今日も他の客なし。
「ナメクジに会えるかな?」
「これはかえって蚊が心配だね」等々、快適さをジョーダンまぎれに伝える。

今日の下半身はGパンだが、サンダルで来てしまった。
さっそくかゆい。
快適さを求めるには、それなりの防備が必要か。

少し読みものをして帰る。
ここももう少し近いといいのだけれど。


3月13日(水)の記 サンパウロのパーフェクトデイ
ブラジルにて


気になっていた映画、ヴィムヴェンの『パーフェクト・デイズ』。
サンパウロで封切り中だが、いつまで続くか、そしてこっちの都合がどうなるかわからない。
行けるときに行っておこう。

ということで、いざ、午後イチで。
サンパウロ市内の行ったことのないショッピングモールのなかにあるらしい映画館を選んでみる。
メトロと歩きで…

ぎゃは、超高級VIP映画館とな。
平日日中の高齢者半額料金でも、日本の安めの封切り映画料金だ。
まあ、話のタネにフンパツするか。

ほう、革張りゆったりソファにテーブルとスタンド付き、給仕を呼ぶボタンまであるとは。
入場者は僕を入れて5人程度。
薄明かりが点灯されていて、予告と宣伝が延々と流れている間は給仕に飲食のオーダー可能というシステムと知る。

さてこの映画、極東軍事裁判のA級戦犯容疑(のちに不起訴となる)笹川良一を祖とする日本財団が絡んでいるといった指摘もあり、油断はできない。
・・・うわ、なんとアスペクト比がスタンダードサイズ、4:3ではないか!!

日本で最新機材に通じる知人から、僕が生きた化石としてスタンダードサイズにこだわることを折に触れて揶揄されていただけに、なにか救いを得た思いぞする。

そして主人公の名前が「平山さん」ときた。
こっちの「平山さん」はさすがに軍歌はたしなまないようだ。
彼の好むカセットテープの音楽のことはわからないが、もういちいちしびれざるをえない。
ずばり日常の淡々の繰り返しだけで、退屈せずに見ごたえがあるという不思議。

さすがに役所広司さんは知っているが、近年の日本の俳優さんは僕にはほとんどわからなくなっている。
そんな僕でも、あれ、この居酒屋の女将さんは?、そのワケアリな男は? と思い当たる往年の大物を起用!

かつて『東京画』でヴィムヴェンは東京タワーで仁王立ちでがなるヘルツオークを撮っていなかったっけ。
いまやスカイツリーか。
こっちも長生きしたなあ。


3月14日(木)の記 イエスとその祖母
ブラジルにて


今日はコリアンタウンでの買い物に行くか。
メトロの最寄りの駅近くにカトリック聖美術館がある。
なにか特別展をやっているかなと調べると「サンパウロの聖アナ」展というのを開催中ではないか。
行こう。

聖アナは、聖母マリアの聖母で、イエス・キリストの祖母にあたる。
西欧圏でのアナ、アンナといった名前はこのおばあちゃん由来だ。
『新約聖書』には彼女についてわずかしか書かれていないが、後世の人たちが伝承を膨らませてきた。

この展示は面白かった。
聖アナはあのインテリなイエスの祖母ということで、教育者と見られたようだ。
https://www.instagram.com/p/C4hs9GgOgkj/
聖母マリア像の場合はミケランジェロのピエタ像が最たるものだが、これが死を迎えたイエスの母親佳代と思わせる若さで表現されることが多い。
だが、さすがに教育ババ・アナはそれなりの年齢の女性として表現されている。
ちなみにこのインスタの像は、ブラジルを代表する彫刻家・アレイジャジンニョの作とあった。

あな、をかし。
コリアン街でキムチとゴロッケを買い、冷たいカフェラテをいただく。
コーヒー牛乳だな。


3月15日(金)の記 運転疲れ
ブラジルにて


今日はミネラルウオーターの源泉に給水に行かねば。
そのまま、こちらの親類宅へ。
二人合わせて170歳の老人を乗せて、近場を少しドライブ、カフェ。
帰路は午後のラッシュが始まっていた。

なんだか疲れた。
計算すると、合わせて3時間ほどの運転だ。
わが家で2時間ほどぐったりしてから、夕食の支度にとりかかる。


3月16日(土)の記 ばーちゃんの裏庭
ブラジルにて


サンパウロの近所の情報は、足で稼ぐのがほとんど。
ところが時折りSNSで耳寄りなニュースも。

近所に「ばーちゃんち」といった意味合いの自家製ケーキ類を売る店がある。
店頭でカフェ類とともにイートインも可能なのだが、手狭な感じでしばらくご無沙汰していた。

この店の裏庭がそこそこの広さのカフェテリアスペースになっているとのSNSの写真情報が入る。
さて、今日は土曜日だが…
午後のウオーキングの際に「ばーちゃんち」の裏庭をのぞいてみることに。

おお、これは入り口からして知らないとわからないな。
狭い廊下の奥底に、おったまげのヒミツの裏庭があった!

土曜の午後でテーブルはだいぶ埋まっているが、まだひとり客のすわれるキャパがあった。
もともとの庭木に鉢植えの植物にハンドクラフトな装飾品。
従業員も人なつっこい。
さっそくお気に入り認定。

四日前の庭カフェよりずっと近いし、快適度もスタッフの好感度もこっちの方がずっと上だ。
想えばサンパウロの古い住宅街にはこうした空間がまだまだあるはず。
このような有効活用を望むばかり。

こっちは蚊の媒介するデング熱が異常な流行中で、それがちと気がかりだけど。
携帯蚊取持参かな。
日本でヒャッキンの小さいのをいくつか買っておけばよかった。


3月17日(日)の記 尼寺の日曜日
ブラジルにて


今朝は僕にとっては徒歩圏にある女子修道会のチャペルでのミサにあずかることにする。
町なかで外壁に覆われた敷地が、日曜朝のミサ時間には解放される。

ミサではシスターたちの歌声が響くが、その姿は一般からは見ることができないようになっている。
チャペルにはこの修道会の改革に尽くした聖テレサの名前が冠されている。
回廊には聖テレサの生涯を描くタイル画があった。

緑に包まれた環境が心地よい。
昨日の庭カフェに通じるものがある。
サンパウロにいることの喜び。

ミサの後も敷地内でゆったりとしていく婦女子が少なくない。
ここで暮らすシスターたちの身内の人もいるのだろう。

誰だったか、日本で会った日系ブラジル人が、自分の身内がここに入っているというのを聞いた覚えがある。

日曜の路上市で魚、野菜、果物などを買って帰る。


3月18日(月)の記 シリーズ どうして僕はこんなところに
ブラジルにて


新たな動画編集作業に突入せんとす。

沖縄・平安名島での記録に「どうして僕はこんなところに」という副題を付けたが、このシリーズという位置づけにしてみようか。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000262/20230116017105.cfm?j=1

僕の方は撮影をするつもりはなかったが、現地側がどうぞということで機材を準備して撮影をすることになったという共通点がある。

今回のは、西暦2017年に撮影したもの。
日本でのカトリック関係の上映で知り合った人が、僕を御殿場の神山復生病院に案内したいという申し出をいただいた。
神山復生病院は日本最古のハンセン病患者の療養所として知られている。

予定を調整して申し出に応じると、現地側は僕のインタビューに応じる入居者の方も手配するので、どうぞ撮影してくださいとのことだ。
後にも引けず、撮影の準備をして現地に向かった。

そして初対面の、事前に予備知識のない人にぶっつけ本番で1時間以上のインタビューを行なうことになったのだ。

これをそのままにしておくことも気がとがめて、素材を見直してみることにした。
あげ足を取られればきりはないが、これはこれでまとめておこうと判断した次第。

言わせていただければ、ブラジルのドキュメンタリー映画の巨匠エドゥアルド・コウチーニョの流儀に通じるものがあるかも。
彼は取材場所を決めると、そこに行って出会った人に予備知識もなくいきなり長時間のインタビュー、ないし対話を行ない、それをドキュメンタリー映画としているのだ。
一期一会観、ライブ感が面白い。

この取材の発端となった在日本の人に連絡をする。
インタビューをさせてもらった人は齢90を超え、ご存命だという。
よし、これを優先してまとめましょう。


3月19日(火)の記 僕はどう見るか
ブラジルにて


宮崎駿さんの『君たちはどう生きるか』をサンパウロで封切り中である。
見ておこう。
パウリスタ大通りに面した映画館へ。
これはシネコンになるのかなと思って検索すると、シネコンとはスクリーンが5以上あるものを指す由。
ここは3幕ぐらいかな。
調べてみると、4幕だった。

チケット売り場で高齢のご婦人3人が手間取っている。
おや、日本語で話しているではないか。
スタッフの言うことが理解できていないようなので、助け舟を出すと「あら、オカムラさん」というリアクション。
うちひとりは旧知の人だった。

さて、映画。
ジブリの作品をスクリーンで見るのは、いつ以来だろう。
『ポニョ』が最後だったかな。
日本で映画館に行くときは過労状態が多くて、あれもそこそこ眠ってしまったような覚えが。

冒頭、空襲の火の粉の描写から目を見張る。
・・・いかにも宮崎ワールドが展開されるのだが、なにがなんだか。
最後はあっけなく。

ストーリーを簡単に説明してよと言われても、説明しようがない感じ。
・・・、トトロはよかったなあ。

ずばり岩波文庫の『君たちはどう生きるか』を宮崎さんの映画化が発表される前に読んでいた。
おう、これを映画化するのか!という驚きは肩透かしを食らってしまった。

『パーフェクトデイズ』ならすぐにでもまた見たいけど。
こっちは…、飛行機ででもかかったら。


3月20日(水)の記 裏庭には一羽のインコ
ブラジルにて


サンパウロは秋分を迎える。
残暑が続くけど。

家内作業の合間に…
またブラジルばーちゃんの裏庭カフェに行ってみることにする。

さすがに先回の土曜午後よりはだいぶすいている。
二人掛けの席にひとり座ると、ここは陽が差してくるからどうぞあちらに、と六人掛けのテーブルの真ん中に。

中年以降のブラジル人には昔懐かしいらしい小瓶のグレープ味の清涼飲料と、コシーニャという鶏肉の具の入ったスナックをオーダー。

若い男女のスタッフが何人もいるが、いずれも人なつっこい。
経営者ががつがつしていないためだろう。
ニホンジンが面白いのか、いろいろ尋ねてくる。

そうそう、今日はこんな写真を撮ってインスタにあげる。
https://www.instagram.com/p/C4w42q7uEj1/

こういう発想と実行のできる人のカフェ。


3月21日(木)の記 親戚同伴
ブラジルにて


日本の知人が、アメリカの大学で研究生活中の彼の友人がブラジルを訪れるのでぜひ紹介したいという。
この知人がパートナーとこちらを訪ねた時には、僕が指し示すものをいちいち喜んでくれて、こちらもまことに楽しかった。

その友人と今日の午後3時にメトロのセー駅で待ち合わせをした。
近くでまずカフェーでも飲みながら彼の関心のほどを聞き、それに沿って時間の許す限りのメフィスト役といったところ。

彼には沖縄がルーツの親戚がサンパウロにいて、そこに滞在する由。
おや。
待ち合わせ場所には、彼の親戚が3人、同伴してきた。
どこか近くでカフェでもと言うと「危ないので」親戚3人も同行するという。
彼氏の年齢は30代か。
ニューヨーク州の大学からの訪問である。

・・・20数年前には、日本からのサッカー留学で、親は小学生の息子をブラジルに送り出していたものだが。

彼との話題、そしてブラジルの親類との話題はかみ合わないが致し方ない。
僕の在サンパウロの沖縄系の友人知人らは、亡くなったり帰国してしまったりして久しいので、こちらのユタ事情など聞いてみるとこれはこれで面白い。

さて彼には近場にミュージアムもいくつかあると伝えてあったが、ぜひ行ってみたいという。
親戚同伴で、ブラジルのアーチストが出版した冊子類という意欲的な展示にお連れする。
訪問者もまばらだが、彼はいたく面白かったようだ。

もう一館ハシゴしようと思うが、彼の親戚がこの建物の上階の展望がいいと聞いたらしく、一同で上にのぼることに。
上階の窓から少しダウンタウンの外が見えた。

もう一館はサンパウロの黒人系・先住民系・周辺住民のヴィジョンという、まさにその前に彼の関心はそのあたりにあると言っていたことの展示中だった。
しかし、夕方5時まで。
すでに閉館だ。

保護者たちの都合もあるので、シンデレラボーイとは護送車の駐車場近くまででお別れ。

さて、この時間に帰るとなると家族の夕食も考慮せねば。
東洋人街のコリアン、チャイニーズ系のスーパーに立ち寄り。
台湾系カフェテラスでヤクルトのライム割りをいただいてから帰宅。


3月22日(金)の記 ナゾのコンセイソン
ブラジルにて


メトロで二駅ほど先の距離にできた天然発酵パン屋に買い出しに行くか。
途中にちとヤバい橋があり、徒歩にするかメトロで行くか迷う。
ええい、覚悟を決めて歩くか。

ちなみに、地下鉄だと Conceição駅。
聖母マリアの受胎を意味する言葉だ。

サンパウロ、いやさブラジルの地名の多くはカトリック起源の言葉と言っていい。
変わったところでは先住民の言語由来のものがある。

どうしてあのあたりはコンセイソンというのだろう?
たいがいはその名にちなんだカトリック教会があるというのがオチ。

ところがここはそうはいかなかった。
かつてコンセイソン街道というのがあったそうだが、なぜその街道の名が聖母の無原罪の宿りに由来するのかは不明、というのがポ語で検索した結果。

カカオ粉にチョコレート塊、オレンジ入りのサワードゥを買ってみる。
この店の経営は日系人のようだ。
サンパウロの天然酵母パン屋を10軒以上まわったかと思う。
若い日系女性が経営しているのが複数あった。

彼女たちのDNAに刻まれた縄文期以来の発酵嗜好が新大陸にて萌芽、いやさ発酵の時期を迎えたか。


3月23日(土)の記 サンパウロのタイルアート
ブラジルにて


日本からの訪問者もあり、こちらの一族で夜の会食。
以前も行ったポルトガル料理屋で。

アルコール類の注文は僕に任される。
自分の料理を注文しそこない、他のおすそ分けにあずかることに。

インスタの「今日のアート」をどうするか…
今日の日中は、たいして動かず。
夜のポルトガル料理屋にかけてみるか。

事前にネットの画像をチェックしておくが…
うーむ。
これにしておくか。
https://www.instagram.com/p/C44M4WbO83H/
タイルアートはポルトガルが本場。
店のスタッフに聞くと、これも本国から持ってきたというけれど。

カウンター内に入れてもらって正面からも撮るが、ナナメからの方がよさそうだ。


3月24日(日)の記 サンパウロの初ガツオ
ブラジルにて


日曜の路上市へ。
さて、サカナ。

ここのところ、アジが続いた。
いい魚だが、少し飽きた。

おう、カツオがあるではないか。
あんちゃんもカツオをすすめる。
一尾1キロ半で約1350yen。

さて。
小ぶりのアボガドがあったな。
まずはタマネギ2色を刻んで水にさらして。
緑ピーマン、赤パプリカ、イタリアンパセリ。
カツオとアボガドのスライス。

これにブラジル産醤油、リンゴ酢、黒コショウにオリーブオイル。
さらにバルザミコ酢をたらして。
うん、美味。

夜は、残っていた自家製冷やし中華のタレに、さらにゴマ油を足して、アボガドとパセリは抜き。
もどしたワカメにポン酢を注いで添える。

うーむ、昼の部の方がよりおいしかったな。

さらにニンニクスライスとともに油で焼いたのもよろしい。
アラはショウガと煮つけよう。


3月25日(月)の記 聖市・聖週間・聖骸布
ブラジルにて


カトリック暦では昨日から聖週間である。
特にそれを意識したわけでもないが、徒歩圏にある聖ユダ・タダイ聖堂付属のカフェテリアに足が向かっていた。

おや、聖堂地下のスペースで展示イベントが。
聖骸布写真展とな。
聖骸布。
イタリア・トリノの大聖堂にある、磔刑にされたイエス・キリストの骸を覆ったとされる聖遺物である。
これの真偽をめぐっての写真展だ。

これについては、知れば知るほどナゾが深まるばかり。
伝来は不明だが、西暦1353年にフランスで発見された。
20世紀後半以降の科学的な調査で詳細がわかってきた。
包まれていた人物の身長は約180cm。
布に付着していたのはヒトの血で、血液型はAB型。

この展示によると、遺体は聖書の記載にあるイエスが受けた拷問を彷彿させる傷にまみれていたことが判明したという。
布の製作時期、生産地等についてはどんどん新しい分析で塗り替えられている。

・・・少なくとも日本の寺院にあるようなカッパや人魚などのミイラに比べると、はるかに信ぴょう性が高いようだ。
この展示はホンモノ、まさに聖遺物であるという観点だ。
もろもろ検索してみる。

そんなものへの調査についやすパワーを社会の救済に用いるべきだ、という宗教者の意見もあり。
ごもっともではあるが、それにしても。
https://www.instagram.com/p/C49PzVou4kw/


3月26日(火)の記 ハンバーガーサイズとおくちのサイズ
ブラジルにて


日本とのやり取り、ウエブ日記等更新、そして最新作『どうして僕はこんなところに』シリーズの編集作業の追い込み。

午後から外出。
また天然酵母パンを買いにいこう。
ピザ味のフォカッチャを買ってみる。

さて、どこかでカフェでも。
近くの飲食店の並ぶ道に行ってみる。
うーむ、どこもイマイチ、イマニ、イマサン…。

日暮れから若者たちが集ってアルコール類でわいわい、音楽がやがやといった店・・・
店内は広く、通りに面した部分がオープンになっていて、ここにしてみるか。

まだ遅い昼食をとっている人たちもいる。
カフェだけというのもナニだな…
手づくりハンバーガーがウリのようで、値段控えめのチーズバーガーもオーダー。

カフェが来てからが長い。
オーダー落とされたかな、と思い始めた頃に到着。
お値段は安めのランチ価格だが、サイズ・厚さはなかなか。
自家製マヨネーズが小鉢で添えられている。

でかい。
フォークとナイフを頼めばよかったかなと思いつつ、かぶりつく。
ジューシーなのはいいが、もろもろ垂れてくる。
口まわりも手もぐちょぐちょ。

マクドナルドあたりのナミのハンバーガーとはボリュームが違うが…
マクドでは口まわりも手もとも汚れることはまずない。
こっちの口のサイズや食べ方の作法に問題があるということもないように思うが。

味とボリュームは国際チェーン店よりこういう店の方が面白い。
想えばサンパウロには相当数の手づくりハンバーガー屋がある。
時には比較考察のために、そしてこっちの若者はどのようにこれをパクついているかを観察してみようかな。
オーダー時にナイフとフォークも頼んで。
忘れられそうだけど。


3月27日(水)の記 こさめの庭カフェ
ブラジルにて


明日から特別シフトに入る。
なんとか今日中に最新作『復生に生きる人びと どうして僕はこんなところに』をいったん完成させて、日本の関係者にオンラインのリンクを送る。

やれやれ。
外は雨模様、午後もいい時間になったが。
お気に入りの「ブラジルばーちゃんの裏庭カフェ」に行ってみる。

やや冷え込んできたので、これからの時期、しかも雨の時はどうかな。

うむ。
これのことはなんと日本語でいうのだろう?
・・・「ガーデンパラソル」か。
覆いのないテーブルにはそこそここれを開いている。
敷地内には明るい電灯をともしていて、読書にも差し支えない。
この店、小雨の夕方も悪くないな。

おもしろい写真も撮れて、素朴にうれしい。
https://www.instagram.com/p/C5CcGLNO3uK/


3月28日(木)の記 神のコメディ
ブラジルにて


相変わらず、深夜・未明に目が覚める。
アルコールでも飲んでやろうかとも思うが、今日は午前中から運転ミッションあり。
あれの残りを、読むか…
ついにようやくダンテの『神曲 地獄篇』を読み終える!

何度となく冒頭しばらくして中断して。
あらたにまたはじめから読み直していた。
角川の文庫版だが、奥付には元号記載しか見当たらず、西暦にすると2013年の改訂初版だった。

けっして読みやすくはなかった。
ページ下の注がそのページに収まらず、ずっと先に続くこともしばしば。
今日のキリスト教的認識、人権意識からしてげんなりする記載も少なくない。

14世紀初頭のイタリアの知識人のひけらかす教養についていくのも、なかなかしんどい。
そして主人公が地獄ツアーで見るものには、ダンテの現世での政治的社会的な恨みつらみが見事に反映されていて。
それを理解するのもたいへんだけれども。
ワタクチも、こういうの、やってみようかな。
一例をあげておこうかと思うが、ぐっとおさえる。

いずれにしても、ヨーロッパ最高峰とされる古典文学を形だけでもとりあえず制覇した。
日本語のウイキで、これの影響を受けた作品群を見ていくと…

なんと宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』まであげられているではないか。


3月29日(金)の記 原子力の秘密
ブラジルにて


昨日から今晩まで、こちらの親類宅でおさんどん役の泊り。
読みかけの『原子力の秘密』を供とした。

あかね書房「少年少女 20世紀の記録」シリーズのひとつで「ノーチラス号北極横断記」も併録されている。
「原子力の秘密」の著者は「原子力の父」と呼ばれるエンリーコ・フェルミの妻となった物理学者ラウーラ・フェルミ!

原著は西暦1961年発行だが、この本は1967年の刊行。
「小学上級~中学生向」とあるが、冒頭から始まる原子力とは何かについての解説は恥ずかしながら今の僕にもむずかしい。

このシリーズには「現役小学生」時代に接していたように思うが、当時からこの巻は敬遠していただろう。

映画『オッペンハイマー』がようやく日本でも公開となり、「一部で」原子力研究・開発の人脈が話題になっているが、そもそもややこしい。
この本はパンデミック前にどこだったか日本の古本屋で見つけて購入、日本の実家に置いてあったものをこちらに持参した。

さて。
フェルミ夫人の「原子力の秘密」でも併録の「ノーチラス号」でも本文中にはわずかであるが原子力のリスクについて言及されている。
ところが崎山範行という訳者の解説には、ばら色の未来な放射能礼賛が展開されるのみ。
この人の名前で検索すると、相当数の本が出てくる。

少年少女たちにこそ、ノンフィクションから批判的な視点と問題意識を養ってもらいたいものだ。
解説者の責任は重い。


3月30日(土)の記 リオの怪獣王
ブラジルにて


日本では4月末から公開の『ゴジラxコング 新たなる帝国』がブラジルでは今週から封切られた。
聖週間の連休で混み合ってるかも、と懸念しつつ最寄りのショッピングモールのシネコンへ。

うわ、座席の指定をスクリーン側と間違えて最後列近くを買ってしまった。
そもそもショッピングモールに人が少ない。
シネコンも空き空き気味だった。

前作から3年。
前作はパンデミックたけなわの時期。
隣州まで車を繰ってドライビングシアターに行ったなあ。

さて、作品の破天荒な設定…
地球の地表の奥底に地下世界があるというやつ。
想えばこれもダンテの『神曲 地獄篇』の影響といえるかも。

地上では各地の名所が盛りだくさん。
ローマにカイロに。
かつては『007』や近年の『ミッション:インポシブル』シリーズが世界各地を舞台にアクションを繰り広げてくれた。
いまやゴジラxコングシリーズの世界旅行だ。

これは予告で知っていたが、今回はわれらがブラジルのリオデジャネイロも舞台に!
場内が沸きあがる。
この映画をブラジルで見る醍醐味だ。

僕はリオの町には大ざっぱな土地勘しかない。
リオのダウンタウンのビル相に通じている向きにはこたえられないかも。

街の周辺の山地に林立するファヴェーラ:スラムも舞台に加えてほしかった。

ブラジル版のポスター、最初は気付かなかったがずばりご当地版でよろしいではないか。
下部に注目されたい。
https://www.instagram.com/p/C5Khq9gOVhI/


3月31日(日)の記 こねたをこねて
ブラジルにて


路上市の買出しのあと、こちらの親類宅へ。
今日から泊まりだ。

昼からアルコールをいただきましょう。
ここは中流のうえの方の集合住宅。

さて、これからはこの小ネタに使うモノをなんというのか、検索しないと。
・・・、アイスキューブにアイスクラッシャー、ピッチャーか。

訪問先の食料品棚にカシャッサ:ピンガがあるのを確認している。
果実酒作成用に買って、そのままになったのだろう。
これをカイピリーニャでいただこう。

敷地内の別の棟にアイスクラッシャーがある。
セルフサービスで自由にアイスキューブを取れるのだが、容器持参の要あり。
金属製のピッチャーを用いている。

個人宅の冷凍庫の氷は冷蔵庫くささが気になる。
とはいえ、高層アパートの上階からピッチャー持参で別棟まで氷を取りに行くのはなかなかメンドクサイ。
エレベーター待ちがなかなかばかにならず。
今日は思い切ろう。

・・・半世紀以上前、目黒の実家の近くの豆腐屋におつかいに行った頃を思い出す。
あの頃は豆腐を買いに行くときはナベ持参だったなあ。

ピッチャーのアイスキューブ、冷蔵庫に入れておいてもけっこう氷塊がすすむものですね。
こちらの飲むピッチもすすむではないか



 


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