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熟年クラブ連合会
     活動報告  (最終更新日 : 2019/02/15)
2013年7月号

2013年7月号 (2013/07/13) 総領事も迎えて芸能祭開催さる

 恒例の当会芸能祭が六月二十九日(土)、静岡県人会会館で開催された。今年は熟連と名称を変えてから初めての芸能祭となるが、老ク連と言っていた当初から数えると、三十七回目となる。昨年は八月に沖縄県人会館をお借りして催したが、控え室などが階上になるなどの関係から、今年は熟連に近く、メトロにも近い静岡県人会館にしたもので、ポスターやチラシなども作り、一般の人にも分かりやすくした。
 当日は前日までのあぶなげな天候も落着き上天気。早朝から続々と会員や観客が詰めかけた。
 定刻八時半、玉井実行委員長の開会の辞で始まった。玉井委員長は「三十七回にわたり続けてこれたのは、関係各位のお陰」と皆に感謝の意を表し「楽しんで頂きたい」と締めくくった。
 続いて先亡者への黙祷(もくとう)、審査員の各氏が紹介された。審査委員長は昨年と同じ花柳龍伯先生、審査員に京藤間勘悦子先生、斉藤美恵先生、佐藤元宏先生で、司会も芸能祭にはなくてはならないベテランの藤瀬圭子さん。
 開幕は熟連コーラス教室(広川朋子先生指導)の発表でさわやかな歌声が会場いっぱいに広がった。皆さんの歌声もさることながら、コスチュームも素晴らしく、白い清楚なブラウスに黒のロングサイア、胸元にはピンクの花があしらわれ、熟女にふさわしい装い。
 次は踊り部(玉井須美子先生指導)の発表。これも元気で軽快。芸能祭らしくなったところで本番に入る。一年間の練習の成果が次々と登場。その合間には健康体操教室(戸塚マリ先生指導)、抒情歌の集いなどの発表があり、午前の部は終了。
 十一時四十五分からは来賓紹介に移る。壇上にはサンパウロ総領事館から福嶌教輝総領事、救済会からは吉岡黎明会長が文協の副会長としても出席。援護協会からは菊池義治会長、「のうそん」発行責任者の永田久氏らの来賓(らいひん)紹介に続き、五十嵐会長が挨拶。「当会の会員の大半が日本人一世と子供移民から構成されており、日本にまだたくさんの兄弟や親戚がいる」と説明。この日出席した福嶌総領事について「私たちの兄弟のように思える」とし、日本国内で会員数が約七百六十万人にも上る全老連会員に「この芸能祭に総領事が出席したことを伝えたい」と述べた。
 これに対して福嶌総領事も「兄弟のようと言われ、皆様の家族の一員にさせてもらったようでありがたく思う。今日の踊りや発表を見せて頂き、『熟年』クラブから『青年』クラブに名前を変えてもいいくらい、皆さん若々しい」と祝辞を述べた。
 昼食後、午後は再び芸能祭に戻り健康表現体操(川添敏江先生指導)の発表から始まった。このグループは参加人数が多いため、元気に歌い踊ると舞台から溢れそうである。また、練功グループ(寺田洋子先生指導)はモジ地域のグループも別々に参加したために二回にわたって発表した。
 今回は遠くリベロン・プレット壮寿会の皆さんが往復八時間をかけて参加して下さったため、出演プログラム数も昨年を上回る六十九番組となり、特別出演も昨年の倍以上で見ごたえ、聴きごたえのある出し物が多かった。
 バザー会場では古着や会員手作りの食品、その他、バザリスタなどが一日中店を開いて、来場した人々は興味深げに見回っていた。午後四時半には表彰も済みすべてのプログラムを終え、今年の最大の行事も無事に終了した。
 結果は以下の通り。なお、寄付ご芳名は来月号に掲載。

【芸能祭結果】
民謡A(81歳以上)
一位 上村敬子 86歳「十勝馬唄」(サント・アンドレ白寿会)
二位 田中千恵子 87歳「真室川音頭」(イタケーラ寿会)
三位 玉井須美子 87歳「南部牛追い唄」(サンパウロ鶴亀会)
民謡B(80歳以下)
一位 藤原ヨリ子 78歳「南部木挽唄」(ビラ・ソニア老壮クラブ)
二位 中野春美 70歳「箱根馬子唄」(サント・アンドレ白寿会)
三位 浜田良香 77歳「日光山唄」(サント・アンドレ白寿会)
四位 斉藤礼子 75歳「日光山唄」(ビラ・ソニア老壮クラブ)
個舞A(80歳以上)
一位 酒匂貢 83歳「恨みの九寸五分」(ビラ・ソニア老壮クラブ)
二位 大園春二 82歳「帰り船」(サンパウロ中央老壮会)
個舞B(79歳~73歳)
一位 中川浩巳 77歳「佐渡情話」(ピニェイロス文化親睦会)
二位 大川みどり 73歳「大川流し」(アニャンゲーラ仲よし会)
個舞C(72歳以下)
一位 山本文子 63歳「大江戸助六花歌舞伎」(サント・アンドレ白寿会)
二位 梅津幸子 67歳「おきち笠」(サント・アンドレ白寿会)
団舞A(9名以上)
一位 ジュンジアイ睦会16名「大漁唄い込み」
二位 アニャンゲーラ仲よし会12名「花の輪音頭」
三位 ピニェイロス文化親睦会老壮部15名「お座敷小唄」
団舞B(8名以下)
一位 サウーデ文協老壮部7名「花の盆踊り」
二位 サント・アンドレ白寿会4名「千住の舞」
三位 みずほ福寿会8名「大江戸チョイチョイ節」
四位 サント・アンドレ福寿会4名「おけさ恋歌」
体操(=健康体操・表現体操・フォークダンス・社交ダンス)
一位 サンパウロ中央老壮会27名「静岡讃歌 健康表現体操」
二位 リべロン・ピーレス錦友会9名「見上げてごらん夜の星 健康表現体操」
三位 ピニェイロス文化親睦会老人部12名「ハンガリー・フォクダンス」


芸能祭に参加して

ジュンジャイ睦会 長山豊恵
 毎年恒例の老人クラブの芸能祭が六月二十九日に行われた。今年は名称が変って「熟年クラブ芸能祭」となった。老血も若返り、みんな溌溂(はつらつ)と元気一杯で、老人クラブの芸能祭とは思えない賑やかさでした。
 ジュンジャイ睦会も「プレフェイツーラ(市)」から出して頂いた大型バスで四十人ばかりが朝六時に出発し、八時頃リベルダーデの会場に着くと、もうバザーの方はきれいに並べられていた。階段を下りると、皆さん早くから来ておられました。役員の方々もそれぞれ働いておられました。
 荷物を置いて、お弁当を買ったりしていると、開幕の挨拶が聞こえてきました。踊りの支度をして待っているうちに、しばらく会わなかった人やお友だちに合ったりして話も尽きない。芸能祭のプログラムも順調に進んでいった。知らなかった方とも新しく友だちになった頃にはプログラムも終わってしまった。
 あとは審査結果を待つばかり。「ジュンジャイ」と思いがけずに呼ばれて、胸がドキドキし始めた。新人もまじって、仲良くお稽古したお陰で一位となりました。皆さん、一生懸命お稽古したので、本当にうれしく、ありがたかったです。
 そして審査員の方や役員、お手伝いの方たちも、本当に朝早くから大変だった事と思います。色々とありがとうがとうございます。いつまでもお元気でありますよう、皆様方のご健康をお祈りしています。


モジの秋祭りを楽しんで

モジ中央日本人会老人部 横澤喜好
 今年から四日間になったモジの秋祭りは大成功だったとの事で、市民や役員の方々の団結の素晴らしさをみんなで喜んでおります。
 いつ頃から始まったのか、福島県人の人たちを中心とした盆踊りが今はモジ市全体の立派な秋祭りとなっております。年々良くなる法華の太鼓といえるところでしょうか。
 私たち夫婦も日曜日に行って見て来ましたが、バスの長い列と車が多いのには驚きました。
 係りの人たちが駐車場に困って四苦八苦しているのは嬉しさ半面、可哀想にも思えたのが第一印象でした。
 ちょうどお昼の時間だったので、昨日、私たちが婦人会の人たちと一生懸命に作った焼きそばを食べに行ったのですが、長い列に入って待っていると、文協で知り合った青年部の女性の方が「前の方に行きましょう」と言って、親切に連れて行って下さいました。
 婦人部の人たちから受け取った焼きそばを持って机に向かいましたが、ここでも空くのを待つ長い列で困ってしまいました。すると、また日系人の女性の方が手を振って「今、空くから」と言って、席を譲って下さいました。お年寄りだから、可哀想にと思って下さったのでしょうか。本当にありがたいことが続いて、心からお礼を言って、机に座ることができました。
 大きなパステスを食べながら歩いている美しい女性の姿を眺めながら、大盛りの焼きそばの味は特別に美味しく感じました。婦人会や働いておられる仲間たちにお礼を言って席を立ち、長く続くお土産の店、そして年々新しくなる農機具や新車など見ながら、今日も仕事をしている息子たち夫婦にお土産を買いました。勇ましい太鼓の音を聞きながら、ポ語に日本語を交えている日系人と分かるアナウンサーの楽しそうな笑い声を聞きながら、この地でしか味わえない一時の幸せな気分を楽しみ、私たち夫婦は野菜や花の展示場に向かいました。
 右足の不自由な妻の手を引きながら、休み休み歩いて行きました。花や野菜などを見て、満足そうに微笑む妻も三年前頃から糖尿病に悩まされており、なるべく歩くようにしているのですが、私が肩を貸してやらないと、一人では歩けないのです。
 美しい花と妻の久し振りの笑顔を写真におさめながら歩いていくと、お釈迦様に甘茶をかけている可愛らしい二人の姉妹がきれいな日本語でお釈迦様のことを話していました。二十歳前後でしょうか。一目見て日系人の混血と分かりました。笑顔がとても美しいのです。思わず「日本語が上手ですね」と声をかけてしまいました。すると、「私たちは日本生まれよ」との返事。はてな?と思い聞いてみると、お母さんは日系三世で、お父さんはポルトガル人だそうです。二人は出稼ぎに行って、現在も日本で働いておられるとの事。だから「私たちは日本生まれの日系四世です」と言うのを聞いて、とても嬉しくなりました。というのも、私たちと同じ境遇にあるからです。私は一世、妻は二世、子供たち(女四人、男一人)は三世で皆、独身のまま日本に出稼ぎとして連れて行き、ブラジルで知り合った彼氏たちと日本で結婚させ、今では十人の孫が日本で暮らしています。一番上の孫は昨年、大学を卒業して一人前に就職して働いています。この姉妹も私たちと同様なので、何となく話に夢中になってしまいました。近く、日本に帰って、勉強を続けるそうです。色々と話していると、左肩にかけた妻の手が重くなって、話にブレーキがかかり、それ以上話を続けることができませんでした。「じゃあね」と、軽く頭を下げて、姉妹は美しい花の中に消えて行ってしまいました。
 私はもう少し聞いてみたいことがあったのですが、どうやら美しい姉妹と楽しく話す私に妻がヤキモキしているようなので、話を切り上げ、お釈迦様の前で、この混血児姉妹に出会ったことをありがたく感謝して、再度、甘茶をかけてやり、待っていた送迎車に乗せて頂いて、帰途に着きました。


モジ秋祭り、老人部もお手伝い

モジ中央日本人会老人部 西丸俊子
 今年の秋祭りはいつものように焼きそばを作ることになりました。例年と違い、二週間秋祭りを開催する事に決まりました。お手伝いは金、土、日と都合六日間になります。
 老人部では十人の会員が代わる代わる手伝い、協力してくれました。金曜日は牛肉、豚肉、鶏肉を切り、味付けをして一回炒める量を計り、袋に入れることです。次の日は、十種類の野菜を切り、肉同様、袋に詰めるのです。野菜は切っても切っても次々と出てきます。皆、良く働きました。
 一週間目の初日は雨で、二日目は曇り空でした。
 初日はイナグラソン(オープニング)であり、遠方から有名政治家が駆けつけ、駐車場は満杯でした。二日目は雨が降らなかったおかげで、四日分のディスペーザ(費用)が出ました。
 次週の天候を神様に祈らずにはおれませんでした。おかげで天気は上々。四日間で約九万人の人出があったそうです。焼きそばの売れ行きも上々で、最後の日は売り切れてしまいました。近年では一番いい収入だったそうです。
 老人部員も真面目に良く働いてくれました。私は会員の皆様に深く感謝しました。まだまだ日本人会のお役に立つことができました。ありがとうございました。


全伯ベテラーノ陸上選手権に参加して

パルケコンチネンタル寿会 山本茂
 去る六月一、二日の両日ブラジルベテラーノ(ベテラン)陸上選手権大会がサンパウロ市のイビラプエラ競技場で開催されました。
 私も七年ぶりに参加させてもらい、幸運にもメダルを四個もらいました。ろくな練習もせずに出場したのですが、神様からのプレゼントと感謝感激している次第です。
 私は二〇〇五年の初めに急に出血に見舞われ、サンタクルス病院に入院し、四回にわたり大腸を切断。三か月の病院生活において、死線を何度か乗り越え退院しました。
 当時は歩行も出来ないような状態でした。七十四キロあった体重も五十キロに減り、骨と皮の状態で、家内に食べ物まで口に運んでもらうような有様でした。八年間、一所懸命に療養して、ぼちぼち快方に向かい、現在はやっと体重も六十五キロになり、体力も付いてきたので、今年の十月、南大河州のポルトアレグレにおいて開催されるベテラーノ(マスターズ)陸上大会に出たいと思い、先月、私の手術を四回にわたってして下さった医師に会って診断してもらったのです。すると、「君は酒もタバコもやらず、スポーツマンだったので四回もの手術も乗り越えられたのだろう。もう、君の体は元の健康な体に戻っている。心配せずに好きな陸上を思い切ってやって、金メダルを取りなさい」と言われました。まるで、神の声でも聞いた如く、天にも昇る喜びでした。
 今回、あまり練習もできない状態でしたが、八年間の療養生活に終止符を打ち、神様と妻、友人に感謝して出場しました。こんな良いことがあるのだから、長生きはするものです。
 ちなみに今回の大会で、男子槍、砲丸の部では ~ 歳が五島時夫、 ~ 歳が馬場りょうじ、 ~ 歳が松島たくみ、 ~ 歳が私・山本茂と日系がすべて優勝をさらい、男子一六〇〇mリレーでも熟連のシニアボランティアの宇野先生がリレーチームの一員として走り、これも金メダルを取ることができました。
 その他、銀、銅を含め、私たちのイビラプエラ陸上ベテラノ会は全伯第二位という好成績となりました。次は十月の世界大会です。良い結果が出せるよう、頑張っている現在です。


思いもよらぬ金メダル

JICAシニアボランティア 宇野博
 熟年クラブ連合会にお世話になり、早や一年が経過しようとしている。私の、シニアボランティアとしての仕事は、クラブ会員の皆様にレクリェーションを通じ、健康維持・増進に努め、明るく楽しい生活を送っていただくことである。
 私も普段から健康維持の一環としてジョギングにも取り組み、クラブ訪問の無い土曜日・日曜日には、アクリマソン公園を走り、昨年大晦日には「サン・シルベストレマラソン」にも出場した。
 私は、自分の健康状態を確認するための手段として、ゆっくり楽しく走っているが、熟年クラブ連合会には凄い選手がいる。六十歳前後から投擲四種目(砲丸投げ・槍投げ・ハンマー投げ・鉄槌)で数えきれないほどのメダルを獲得し、八十五歳を過ぎた今も、全伯大会や世界大会でメダルを狙えるという方だ。また、今年年男(七十二歳)の方は、年頭の抱負として、八十歳での千五百m走世界記録樹立を語っている。
 そんな中、熟連カフェサロンで「全伯ベテラーノ陸上競技大会」が六月一日、二日の両日にイビラプエラ・ギラマンス陸上競技場で開催されるとの話題となり、八十六歳のアスリートから、君はマラソンも走ったのだから、この競技会にも出なさい、と強引に誘われるというより命令され、「イビラプエラ陸上べテラノ会」の一員として出場せざるを得なくなった。仕方なく千五百m走、五千m走、一万m走と三種目に登録し、初日五千m走では、一緒に走った六十歳~六十四歳のブラジレイロに二周抜かれるという不甲斐なさであったが、同じ年齢区分で競えるため、六十五歳~六十九歳の選手の中ではポイントを獲得することも出来た。
 二日目午前中の一万m走は、勇気ある撤退として棄権し、午後の自分では最も適していると思える千五百m走に臨んだ。しかし、これもあと一歩でメダルに届くことは出来なかった。それでも自分なりにはやっと終わったという安堵感があった。 そんな矢先、役員の方から、最終競技のマイルリレーの第二走者として走るようにと言われ、断りきれず走らざるを得なくなった。筋力の無い私には、四百m走はとても無理な種目だが、コーチから、第二コーナーまでは抑え気味に走り、バックストレッチからフルスピードで走れ、との指示通りに走ることが出来、二人の選手を抜き去るという自分でも信じられない快走で、チームのメダル獲得に大きく貢献出来た。クラブの仲間から祝福され、走った四人は大喜びで表彰台に上り、充実感いっぱいで二日間の大会を終了することが出来た。


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