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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2015年2月号

2015年2月号 (2015/02/15) 人生すべて積極的にいこう

サンパウロ中央老壮会(聖市カーザベルデ区在) 遠藤永観
 「じゃあ、メトロ・チエテ駅でいいのですね」と職員のいつもの温かい声。
 与那覇シニア・ボランティアの出迎えに万全を期した。さらに後日、ご本人に電話で日時を確かめた。そして一月十一日、約束の十一時三十分にギリギリであったが、改札前に駆け上がって待っていた。しかし現れない。何か連絡違いか?
 熟連に電話すると、日曜だが、管理人から本人は出かけているという。でもなぜ、携帯に連絡が入らないのか? 付近をぐるぐる回って、ホームに出てみて四十分待っても会わないので、いったん、今日の会場、沖縄県人会カーザベルデ支部会館に行き、幹部に来なかったことを告げた。新年会の行事が始まった。と、間もなく携帯に家の三女から「先生がカトラッカの所で待っている」と連絡があった。
 急いでもう一度、チエテ駅に行き、ようやく与那覇さんに会えた。こちらの携帯の番号を見失って、自宅の電話を見つけて連絡が取れたという。私の方もせっかく聞いた与那覇さんの番号をどこに記したか覚えておらず、持っていなかったのである。
 何のことはない。私の方が待ち合わせの鉄則である二重、三重の連絡経路の一つも持っていなかったのである。重要な役に付いたらこれでは駄目で、深く肝に銘じたい。
 沖縄県人会での新年会が進行し、与那覇さんの出番が来た。ホッと一息つく。ユーモアを時々言っているのだが、聴衆はあまり笑わない。無理もない。かつては縫製業や朝市商で来る日も来る日も仕事に追われてきた方々である。現代風の洒落やユーモアがすぐにはピンとこないと見える。
 与那覇氏が日本を出る時、家族に相談したら、娘、息子五人皆が「行く」と言う。ブラジルを知る人なら、息を飲んだに違いない。前代未聞(ぜんだいみもん)のケースである。しかし、私は内心拍手喝采(はくしゅかっさい)した。こういう人ならお神輿(みこし)に担いで大道を練り歩いてもいい。ここでやっと皆さんから笑いが出た。
健康と予防介護の話が進み、指の体操をする。ウチナンチュー(沖縄県人)の証明として、島唄を歌ったところで、皆が改めて「県人が来てくれたんだ」と思い、続けて笑いも出るようになった。
 高齢化社会が深刻になっている話に入る。日本語媒体はNHKや邦字紙があるが、接していない人も多いし、身近な問題としてよく考えるようにはなっていない。「こういう機会をもっともっと持たないとならないな」と思いながら聞いた。(ついでに言うと、サンパウロ市でも高齢者対象の公的施設CRIがあり、サンターナ区には林の中に古い建物を改造して健康、教育、レクリエーション活動を有料、無料でしている場所がある)。
 昼食は持ち寄りであったが、県人の好みの料理が並び、大柄な与那覇さんには喜ばれたようである。話が終わり、着席すると、幹部が取り囲み、与那覇さんも盛んに質問をしていた。カラオケに出ると、歌詞を見ながらでも身振り手振り十分で、会員に大ウケであった。
 前会長の娘さんが「一緒にサンバを踊ろう」と申し出、これにも早速応じておられた。
ともかくよく話し、積極的で、躊躇することが無いのには、大いに教えられました。我々ブラジルの熟年者もこのように積極的に動けば、同じ人生も倍、三倍に生きられるのではないか。そんな事を強く感じながら、夜九時頃、チエテのホームでお見送りさせて頂きました。


チビばあさんの旅行

サンパウロ中央老壮会 矢野康子
 旅行は好きだが、後期高齢者には身体的に大変になってきた。サンパウロ、ダラス間十時間二十五分。ダラスからサンフランシスコが三時間四十五分。もう少し若かった頃は、飛行機が飛び始めるとすぐに寝てしまい、食事の時だけ目を覚まして食べて、また熟睡という調子のよい習慣になっていた。
 しかし、年を取ると日常的に眠りが浅くなり、ぐっすりと眠れない。まして一万数千キロメートル上空なのだから、眠れないのは無理も無い。
 仕方がないので、トイレに行って、顔を洗って、歯を磨く。それを数回繰り返す。これをやるには絶対に通路側の座席に座る必要がある。窓側の席だと通路側に座って寝ている人の足を跨(また)がなければ出られない。だから絶対に通路側の席を取る。
 また、エコノミーの時は前から三、四番目の席にする。なぜなら、乗り換え時間を考えると、モタモタしていられないのである。アメリカは二〇〇一年の同時多発テロ以降厳しくなって、同じアメリカン航空でも国際線から国内線に預けた荷物を移し替えてはくれない。あるいは、人員削減のためかもしれないが…。自分で荷物を取って、国内線ターミナルの乗り継ぎロビーに行かなければならない。でっかい空港でスカイトレインに乗っての移動。
 以前は壁に大きいパネルがあって、どこどこ行きの乗り継ぎは何番ゲートと明示して会って、一目瞭然(りょうぜん)だった。最近は小型のコンピューターが何台も置いてあって、自分で操作して調べなければならない。仕方がないから下手くそな英語で尋ねまくる。向こうは小さな婆さんが困っていると思うのか、親切に教えてくれる。サンキューベリーマッチ。税関で荷物検査を受け、人間もX(エックス)線検査を受けなければならないのだが、今回は女性の係官が「何歳ですか?」と聞くので「七十六歳です」と答えると「ではX線は通らなくてもいいですよ。年寄りにX線は良くないですから」と言われてそのまま通過。サンキュー。ヤレヤレ、よかった。
 昨日、夜十一時頃に出発して、機内食だけだったから少し空腹。カフェテリアや軽食店がたくさん並んでいるが、あちらのサンドイッチの大きいこと。飲み物も半リットル以上入るコップに氷をガラガラと入れてくれる。もっと小さいサンドイッチがどこかで売っているだろうと探して歩く。
 「オー!あれがいい。ある店にサンドイッチの写真がかかっていて、その中の『ポパイ』というのが良さそうだ。SPINACHはたしかほうれん草だった。ははぁ、なるほど。ほうれん草を使っているから『ポパイ』なのか。ほうれん草と何とかかんとかというクリームが入っているのか。これにしよう。九ドル七十セントか」。十ドル出したら、イケメンの青年がニコニコと「足りない」と言う。「あぁ、そうか。その度に税金が加算されているんだ」と納得。五ドル渡してお釣りをもらう。黒くて四角い十センチほどの板を受け取る。「しばらくお待ち下さい」と言ったらしい。「ウェイト」と「プリーズ」が聞き取れたから、多分そういったのだろう。OK。次々と客が来て、長い列ができた。きっとおいしい店なんだろうね。待たされて少し腹が立って来た時、あの黒い四角い板がピーピープルプルとふるえてびっくり。そのブルブルが結構強烈(きょうれつ)で、手も一緒に震(ふる)えて驚(おどろ)いた。
 サンドイッチというものは、ふつう二枚のパンの間に色々なものを挟んである。口を大きく開けないと噛み切れない。しかし、私が今、お金を払って手に入れたサンドイッチはパンとパンの間にうっすらクリームがぬってあって、緑色のドロッとしたものがぬってあるだけ。一センチ位の厚さのサンドイッチだった。まずい。発展途上国ならいざ知らず、世界の大国アメリカでもこんな食べ物を売っている店があるんだと大発見。
 国内線は食事も出ないからゆっくり寝ながら行った。予定よりだいぶ遅れて着いたが、子どもたちが迎えに来ていてヤレヤレ。
 私の第一声「お腹すいた!」。ベトナム人が多く住んでいる区に直行。ベトナム料理でPHO(ポーとホーの中間位の発音だそう)を食べに行く。下町のごちゃごちゃした薄汚い小さな食堂。あっさりスープに春雨に似た細長い米の麺。大きなどんぶりに薄切り肉がたくさん。生のもやし、大きいマンジェリコンとハッカの葉。青とうがらしの斜め切りなどどっさり入っている。ベトナム人は朝食にこれを食べるそうで、店はいっぱいだった。アメリカは冬で、その時は十三度で寒い寒い。暖かいホーでお腹いっぱい、体ホカホカ。あぁ、やっと着いたと一安心した。


風呂吹き大根

サンパウロ清談会 浜照夫
 昨年三月、腸閉塞(ちょうへいそく)手術の後、ウィルスの院内感染で家内・すみえを失った。六十八歳、私との結婚生活は約四十五年間であった。
 その一部を分骨として故里の両親のお墓に納めるため、訪日した。
 帰伯してまだ時差ボケの収まらぬ時、突然、旧友が訪ねてきた。邦字新聞に出した死亡広告を見ていなかったので、知り合いの人から聞き、びっくりして飛んできたとのことであった。
 その日、台所経験のない私がまず格闘していたのは食事。たまたま大根を分厚く切って蒸してあったので、それを二人で味噌をつけ、フーフー言いながら無言で喰った。
 当時の私は会社勤めをしながら、間借り生活から抜け出すため、生まれて初めて小さな家を建てた時代、私と同年同月生まれ、福島県出身の彼にはいろいろとお世話になった事が懐かしく思い出された。
 熱々の風呂吹を喰いながら「すみえ、見ているか」と心の中で声を掛けると、なぜか「ほろり涙で風呂たく嫁ご 煙いばかりじゃ ないらしい」という歌詞が繰り返し浮かんでくるのであった。


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