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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2016年の日記  (最終更新日 : 2016/12/01)
11月の日記 総集編 マットグロッソのフクロウ小路

11月の日記 総集編 マットグロッソのフクロウ小路 (2016/11/06) 11月1日(火)の記 佐々木神父と死者の日のミサ
ブラジルにて


緊張のため、浅い眠り。
夏時間のため、まだ夜の明けきらない午前6時半には車を出すことができた。
あとは、ひたすら走る。

およそ8時間、現地到着前には疲労と眠気がピーク。
敷地内での引っ越し準備中の、フマニタスの佐々木治夫神父と再会。
細かいスケジュールは、直接お会いしてから。

まずは日本での諸々を口頭でご報告。
さっそく今夕6時から、アルコール・薬物依存症更生施設のチャペルで死者の日のミサをたてるとのこと。
その撮影を願い出る。

今回の旅の大きな目的のひとつは、11月2日の死者の日を佐々木神父と共に過ごし、死と死者について聴くことだった。
願ったりかなったり。

このミサの説教は、十二分の手ごたえあり。
ちょっと大変だが、日本語字幕を施して短編としてまとめてみようかと思う。

雨季と夏の始まりのせいか、夕暮れ時、そして夜のフマニタスは生き物たちの音がすごい。
なんという、ぜいたく。


11月2日(水)の記 パラナの大地で死者の日に耳をすます
ブラジルにて


いつまでも、まどろんでいたいフマニタスの床。
フマニタスにお連れして、寝込んでしまった知人が二人いるが、身心は正直である。

昨日今日とフマニタスのシスターたちは、日本人植民地として知られるアサイの町のバザーに行っている。
最近は運転に不安を覚えるという佐々木神父の運転で、アサイへ。

この地区の日本語学校の展示会に伴なうバザーだった。
地元の婦人たちの商う手作り味噌、かんぴょう等を買ってみる。

展示会場の日本語の作文に泣かされる。
年末の休みに、数年ぶりに日本への出稼ぎから帰ってきた父との再会の喜びと別れの悲しみ。
80代のひいおばあちゃんの思い出と死別。
くらくらしてくる。

シスターたちの監視を離れてハンドルを握った佐々木神父、もう止まらない。
死者の日のアサイの墓地の人出はすごかった。

近くのウライの町の知人をお見舞いに行くとのこと。
2軒の日系人のお宅を訪問。
特に2軒目はドキュメンタリーのひとつも撮りたくなるシチュエーション、そこで余韻の深いお話を紡ぎだした。

その間、北パラナを豪雨と突風が襲っていた。

さあ、どうしよう、ああ、どうしよう。


11月3日(木)の記 佐々木神父発掘
ブラジルにて


僕が運転を、といっても佐々木神父は聞かない。
今日は隣町のササキ農学校へご案内いただく。

なにかと、当初のもくろみや計画のようにはいかず。
この学校とこれからも関わりを続けていくかどうか、思案のしどころ。

昼前にフマニタスに戻る。
佐々木神父たちが処分にかかろうとしており書籍類を発掘させてもらう。
なかなかの掘り出し物あり。

新たに貴重なフマニタス前史に触れる。
さあ、どうしよう。


11月4日(金)の記 霧の楯状地をゆく
ブラジルにて


朝のカフェーをいただいてから、フマニタスの佐々木神父に暇乞い。
あとは、ひたすら走る…

が、サポペマに向かう「雲海山地」はすごい霧である。
これは、危ない。
昨年も、こんなことがあったな。
行けども、行けども。

土地なし農民の頭目だった石丸春治さんの遺族を訪ねるつもり。
故・牛山純一プロデューサーは、なくもがなにも思えるワンカットの追加撮影のために、新たに取材班を現地に送り込んだものだ。

石丸さんの家族と旧交を温めることもさることながら、記録のディレクターズカット版をまとめるために、もうワンシーン欲しいというのがいちばんの目的だ。

サポペマを抜けて、北パラナから中部パラナに入っても霧が続く。
こりゃ、撮影どこじゃないかも。
どこか木賃宿での一泊も考慮せねば。

が、昼前には現地に着けた。
こちらは霧もあがり、雨もこらえている感じ。
先の行程を考えると、ゆっくりもしていられない。

話を聞いていると、思わぬ殺人事件を知らされる。
予定調和とは、ほど遠い現実にくらくらする。

さあ、がんばれば夏時間を利用して真っ暗になる前に大サンパウロ圏まで近づけるかも。
はじめての道を、ひたすら走る。

本日の走行距離、700キロメートル。
うち、半分以上が生まれて初めての道。
足が、がたがた。


11月5日(土)の記 マッタアトランチカに消ゆ
ブラジルにて


長時間の運転で疲れ切っているのだが、旅先で想像以上の成果が上がった。
昨日の幸運と努力のおかげで一日早く家に戻ることがかない、得した気分。

未明にこちらで買ったばかりのDVDを観ることに。
バンカ(新聞・雑誌販売のスタンド)でひとつ5コント(邦貨にして150円強、ちなみにコントはブラジルで古い人の使う通貨の単位表現)という安売り。
値段から、あまり期待しないでいる。

タイトルは『DESAPARECIDOS』、『失踪者たち』といったところか。
サンパウロ州の大西洋岸に浮かぶリゾート地イーリャ・ベラ(「美しい島、の意)でのパーティに招かれた若者たちが、夜の亜熱帯林で次々と消えていく、というお話。
それぞれの持っていた動画記録装置の映像をつなぎ合わせた、という近年ありがちな手法。

うーん、設定は悪くないのだが。
いまひとつふたつ深みに欠ける、といった感。

それにしてもポルトガル語の字幕を出せるのはありがたい。
音声では僕にはなかなか聞き取れないのだ。

日中は気ままな読書。

夕方から、息子と鶏の唐揚げづくり。
二人だと、はかどる。
ブラジル国産ウオッカのシトラスジュース割りをすすりながら。


11月6日(日)の記 ベトナムのスピリッツ
ブラジルにて


今日も未明にDVDを見よう。
これもパウリスタ大通りのバンカで安売りしていたもの。

ベトナムのホラー映画!
英語タイトル『SPIRITS』、原題『OAN HON』、VICTOR VU監督。
カバーの写真がブラジルの田舎小屋のようで、目についた。

ベトナム映画…
『青いパパイアの香り』ぐらいしか思い出せない。
ベトナムという設定でフィリピンでロケした映画は何回か見たけど。

おう、この映画の格調高いこと!
『雨月物語』あたりを想い出す。
そして、女優さんたちの美しいこと。

これは掘り出し物だった。
ちなみに日本語の情報はまるで見当たらない作品。

日中は路上市の買い出し、妻の実家訪問。

今宵は、手巻き寿司をこさえる。


11月7日(月)の記 メキシコから遠く離れて
ブラジルにて


昨日あたりから、主にフェイスブックで誕生祝いのメッセージが来るようになった。
ひと通り、相手のメッセージの重さに合わせた返しをしていく。

今年のケッサク。
これからもメキシコのことを日本に伝えてください、とか。
この人に僕はブラジルのことを何も伝えることができていなかった、ということか。
次点として「岡本さん」宛てのお祝いメッセージ。
ネット上のメッセージの軽さがわかるかも。

午後から。
ふたたびブラジル訪問中で、出国間近のパーカッショニスト、Isao Catoさんこと加藤勲さんに、今年のはじめに撮影したマッタアトランチカでの森のカエルとの共演の映像を一緒に試写してもらう。

この映像をまとめてもいいかな、という手ごたえと同時に、僕の作品とするには気がかりなことがあるので、ちょっとペンディングとするか。

遅めに帰り、子供に作ってもらったお祝いの料理をいただく。


11月8日(火)の記 佐々木治夫神父の死者の日のミサ
ブラジルにて


今日は一日断食とする。
先週の旅の疲れ、昨日の試写の疲れをちょっと引きずっている感じ。

今ひとつ気合いが入らないが。
うーむ。
とりあえず、先週、撮影していたフマニタスの佐々木神父の死者の日のミサの映像をまとめてみようと思う。

なんとかなるか、ちょっと厳しいかななどと模索しながら試写と編集に入る。
ポルトガル語の、カトリック用語の多い説教に日本語の翻訳字幕をつけるというのだから、そう容易ではない。

妻と娘の助けを借りながら、ちびちびとすすめていくか。
いったん貼り付けたタイトルを修正して、とりあえず今日の日記のお題のタイトルとしておこう。

今日の日記のアップをチェックして、さっそく死者と試写の混同を発見。


11月9日(金)の記 大黒澤と炊飯
ブラジルにて


メカニックのところに車を持っていこうと思う。
電話をすると、今日は車の置き場もないほど取り込んでいるので、明日にということに。

さて。
来週、法要があるので、とりあえず洗車だけでも。
洗車の間、近くを歩いて食指をそそるレストランを何軒か発見。

車を洗ってもらうと、なんだかこちらの身心まですっきりする。
先回の洗車は…リオオリンピック開幕の日だったかな。

帰宅して、『死者の日のミサ』の字幕付け作業継続。

夕食の準備を並行。
米のとぎ汁は、例によってキープ。
米の水切りは、どうするか。

黒澤明監督のお嬢さんの書いた本に、パパは固めのご飯が好きなので、研いだ米はきちんと水切りをする、とあったと記憶する。
また、かつて非日系ブラジル人が研いだ米をザルにあげて水切りをしていたのを見ていた。

そんなことから、時間のある時は研いだ米の水切りをしていたが、ちょっと検索してみることにする。

ありゃまあ。
例によって諸説あるが、今日のふつうのコメなら水切りはかえってNG、厳禁としているものまであり。
少数だが、その逆の主張もあるが。

わが家では白米以外の雑穀を入れることがしばしば、しかもブラジルということもあり、炊飯前にいったん濁れた水を替えるぐらいにしておくか。

大黒澤は、作品を超えてわが日常の細部まで宿りたもうていた。


11月10日(木)の記 やそじのみなさんへ
ブラジルにて


日本でお世話になった人、ブラジルでご無沙汰している人に手紙を書く。
インターネットをたしなまない方が中心で、年齢はおそらくみなさん80代、計5通。
日本で知る人ぞ知るようになった以前にブラジルで買っておいた大原治雄さんの写真のカードで。

近くのポストはいくつも撤去されてしまい、気軽に投函できないけど。

オイル交換がメインの目的でメカニックのところに車を持っていくが…
電話でのポルトガル語の説明ではきちんと理解できていないが、クルマの下回りの深刻な問題ありとのこと。
修理費の見積もりに、くらくらする。

ああ、存在するだけでカネがかかる。


11月11日(金)の記 自動車という迷宮
ブラジルにて


午前中、メカニックより車の修理完了の連絡、受く。
歩きだと、ちょいとある距離。

交換した部品と、ジャッキで持ち上げてある別の車で問題を説明してもらう。
エンジンの異音は、以前の経験と同じくキャブレターの問題だった。
キャブレターの交換の際に、前輪部の別の問題を見つけたという。
Pivo(軸)とBandeja(盤)と呼ばれる部品を交換した。

帰宅してから日本語の自動車部品名関連サイトで調べてみる。
そもそもこの部分にあたるものが、見当たらない。
それにしても、自動車とは何とも複雑なシロモノではないか。
コンピューターに優るとも、劣らないかも。

パソコンが壊れても発火でもしない限り、物理的な被害はないだろう。
自動車の場合は運転者のみならず連れ、そして他の車や歩行者等々まで巻き込んで殺傷してしまう危険があるのだ。

わが車はそのまま半年も使っていたら、脱輪や発火の危険もあったという。
修理の出費は痛いが、命拾いを喜ぶべきかもしれない。

かつて、中南米から日本で自動車の修理工の専門学校に留学した日系の若者を取材したことがあった。
自動車のメカがわかり、修理ができるって、すごい。

あ、亡父は大日本帝国陸軍の戦闘機の整備兵だったか。
その方面はDNAにはまるで刻まれていなかったようだ。


11月12日(土)の記 ブラジルの証明
ブラジルにて


昨晩は、こちらの若い親戚をわが家に招いて夕食ということになり…
その準備に入らんとする時に、台所の蛍光灯が2本とも切れてしまった。

夏時間のため明るいうちに作業を進め、ひと通り周囲の電気をつけて切り抜ける。

さて。
使用約1年の蛍光灯、2本とも端が黒味を帯びている。
2本とも同時につかなくなったということは、REATORと呼ばれる部品の問題かもしれない。

ありがたいことに、わが団地にはこうした修理回りをしてくれるスタッフがいるが、今日は土曜で昼までだ。
出遅れると、土日とも台所は闇となってしまう。

近くの照明専門店をけっきょく3往復して、修理スタッフに来てもらい…
REATORそのものが焼けてしまったことがわかった。
LED灯を使えばREATORは不要、その他のメリットも修理スタッフに教えてもらってそうしてみる。

このREATOR、日本語で何というのだろう?
調べてみると、インバータ、ないし電子安定器か。
どちらも僕には馴染みのない言葉で、昨日の自動車同様、いかにこの分野にヨワいかを再確認。

ネットでそもそも蛍光灯についてざっと見てみて、かつてはスタータ式というやつだったなあなどと振り返る。

このインバータの交換など、素人の手におえないと思うが、日本ではいちいち電気屋さんに来てもらうのだろうか。
日本は人件費も安くないだろうに。

このあたりはブラジルの団地暮らしのメリットかな。


11月13日(日)の記 闇夜の前に
ブラジルにて


ここのところ、本の読める時間、余裕がある。
船戸与一さんの遺作『満州国演義』の㊃を読み終えて㊄に入るところ。
船戸さんの本は、読み始めると中毒状態になるので要注意。

『満州国演義』㊃では内地は226事件を迎える。
1936年。
「東京音頭」の大フィーバーは、大陸にも伝わったという。
僕たちは、その後、祖国が灰塵、壊滅に向かっていくことを知っている。
船戸さんが再生する当時の重苦しさは、現在の祖国に通じるものを感じざるを得ない。

昨日、チャップリンの『独裁者』をポルトガル語字幕のDVDで観た。
1940年にこの映画をつくったというのがすごい。
世界が、人類が破局を迎えつつある時に、映画は、コメディは、何ができるのか。
チャップリンの最後の演説は、その76年後に僕を熱くさせる。

明けない夜はないというが、またひどい暗黒を迎えつつあるのはつらい。
が、ネットのニュースとコメントはほどほどにして、暗黒のなかでの灯となるヒトの智恵を蓄えておかないと。

チャップリンも船戸さんも、まさしく命がけでこうした作品を紡ぎ、遺してくれた。


11月14日(月)の記 明日のために
ブラジルにて


朝、停電となる。
しようと思うこと、あれもこれも電気がないと…
回復まで約2時間。

明日のブラジルは、共和制宣言の日という祝日。
祝日ということで、義父の納骨式を予定している。
納骨のあと、レストランで会食を予定。
そのため、今日の月曜断食は取りやめ。

義父の没後、ブラジルで発行されている日本語新聞2紙に内容が重ならず、かつそれぞれの新聞にちなんだ義父の追悼文を発表している。
両紙から快諾をいただき、義父のウエブサイトに両方をアップした。

サンパウロ新聞掲載の「義父・続木善夫の遺影」はこちら。
http://www.100nen.com.br/ja/tsuzuki/000248/20161111012363.cfm

ニッケイ新聞掲載の「義父・続木善夫と『アマゾンの読経』」はこちら。
http://www.100nen.com.br/ja/tsuzuki/000248/20161114012370.cfm

妻子が夜、映画を見に行くということで誘われる。
が、明日のことがあるので家に一人残ることにする。
冷蔵庫の残りものを片付けながら、キッチンドリンク。


11月15日(火)の記 聖市法宴
ブラジルにて


天気は、雨がち。
今日はサンパウロの義父の、納骨式。

司式をお願いする阿闍梨夫妻を、妻の実家にお連れする。
実家での法要のあと、骨壺とともに「平和霊苑」へ。

墓所の赤土はぬかるむが、傘がいるというほどでもない。
アメリカ映画に出てくるような、庭園式の墓地、しかも高台で気持ちがよい。

祝日のため、交通渋滞もなく、助かった。
霊苑から一同で、義父母がときどき利用していた市内の日本レストランへ。

寿司、刺身、天ぷら、餃子!など、ひと通り食べ放題のバイキング形式。
が、これはうまい、というものがない。

刺身は鮮度に欠けてやや生臭く、練りワサビ等でごまかさないと厳しい感じ。
だいぶ使いまわしたと見えて、佃煮状になったスキヤキ鍋も泣かせる。
エトセトラ、エトセトラ。

軍艦巻きに、真っ黒なトビコ状のものが乗っている。
これはなんだ、と聞くと、魚の卵という回答。
カエルや昆虫の卵じゃないことはわかった、なんの魚か、と聞くと、聞いてくる、とウエイターは言い遺してそのままとなった。

あとで調べると、すでに日本では黒トビコという名称で回転ずしなどで出回っていて、ランプフィッシュと呼ばれるカサゴのなかまの卵のようだ。
カサゴといえば、ガラモン。
名作『ウルトラQ』は白黒作品だったにしろ、ガラモンは赤じゃなきゃ。

つつがなく法要が終わって、なによりであった。


11月16日(水)の記 水曜断食
ブラジルにて


あるかどうかもわからない果報でも、冬眠ぐらいしながら待ち続けたいところだが、そうも言っていられない。
低迷期は、低迷期なりに。

二日遅れの、一日断食。

書きそびれた方、ふたりに手紙を書く。
ポストが近くから撤去されてしまったので、他の用足しとの道順を考えながら外出。

義弟の遺品の革靴の底の交換、2度目が完了。
地下鉄代節約で歩くのと、靴の消費のコストを比較してみないと。


11月17日(木)の記 本も逆さじゃ血がのぼる
ブラジルにて


時折り書いてきたことだが、ブラジルでの日本語書籍の処理に困っている。
自分のものも持て余していているのに、他人から託されてしまうことがしばしば。
思い出すのも愉快ではないので繰り返しは控えるが、先方にもこちらにも快く受け渡しのできるところが見つからないでいる。

今日、外回りのついでに行ってみよう。
サンパウロ市内で、日系人が始めたという古書店。
ポルトガル語の書籍が中心だが、日本語の本も扱っているという。

見つけたお店は、なかなかのごちゃごちゃぶりだ。
昨今、日本のおしゃれ/こだわりの古書店に馴染んでしまった僕は、息を呑む。
雑然と積み並ぶ古書の山を崩さないよう、そろりそろりとまわってみるが、日本語の本は見当たらない。

このお店の記事で紹介されていた日系の店主に聞いてみる。
確かにあったが…
ほんの数10冊。

今後、お付き合いをするとなると、一冊ぐらいは義理買いをしておきたいところ。
だが…
日本の新興宗教の教祖の本が、半分ぐらい。
あとのも、ただでもいらない類。
そもそも、何冊かは背表紙がさかさまに立ててある。
祖国が地球の反対側、というシャレでもなかろう。
店主は、日本に何年か出稼ぎに行っていたと記事にあったから、いくらなんでも日本語の上下ぐらいはわかるだろう。

僕が日本でお付き合いをしている古本屋さんは、本の一冊一冊を大切にしている。
仕入れた本を一冊ずつ丁寧にクリーニングして、透明のカバーをかけて…
それで単価があの値段では、経済的には割に合わないだろうに。
それでも、一冊の本が人と人をつなぎ、人を変えうることを信じる書籍への愛が、そして古本屋魂、矜持がある。

それを思うと…

この後、紹介記事で気になったアーチストの展示のあるギャラリーを訪ねる。
これも、はずれ。

ああ、今日はよく歩いた。


11月18日(金)の記 ミンッキネン
ブラジルにて


「ン」のあとで促音「ッ」という日本語表記に初めて接するかも。

天候もぱっとせず、あまりやる気も出ない。
家で終日、ビデオ編集するか、それとも…

思い切って、午後から気になるアート展を二つまわる。

まずはARNO RAFAEL MINKINNEN というフィンランド人の写真家の直訳「証拠としての身体」という写真展。
自分の身体を風景のなかにだまし絵のように組み込んで、自撮りをするという世界。
しかも撮影後の加工は一切、施さないという。

こちらの新聞で紹介されている写真のなかで、どうにも人体には見えない写真もあり、それを確かめたくもあって思い切って行ってみる。

いやはや、いろんなジャンル、いろんな写真表現、いろんなことをしている人がいるものだ。
すでに70代となり、いまも衣服をまとわない自分の身体をさらすというのも、すごい。
見ておいたよかった。
疑問の写真も、なるほど、ナゾが解けた。

この人の名前を検索してみる。
お、一件、日本語でヒット。
ずばりフィンランド大使館のウエブサイトで、「ミンッキネン」と日本語表記されている。
ちょっと覚えきれない名前だったが、この日本語表記が面白いので記憶できそうだ。

いくつもの意味で危ないルートを、歩く。
高級ギャラリーでELISEU VISCONTI展。
19世紀にイタリア生まれで、幼少の時にブラジルに移住した画家。

レンズを通した映像表現では難しそうな ひかりの世界の表現がすごい。
これも、新聞に紹介されていたカラー写真ではピンとこなかった作品が、息を呑む。

広いギャラリーのなか、最初は僕ひとり、あとでもうひとり来ただけという、ぜいたくというか、ちょいといたたまれない感もあり。

両方ともタダだったので、カフェでもすすりたいところだったが、ブリガデイロ駅にたどり着くまで、これといった店がなく。

さあ、帰って夕食に支度をしないと。


11月19日(土)の記 ノルチ、ノルデスチ
ブラジルにて


低迷期を逆手にとって、ばたばたしている時はできないことに積極的に挑むことにする。

日本から数年スパンで滞在、固い仕事をしている友人と昼食。
隣りのプラサダアルヴォレ駅付近を散策していて、面白そうな店を見つけていた。
ブラジルのノルチ(北部)地域の、そしてもう一軒、ノルデスチ(北東部)地域の郷土料理店。
ほんらいノルチはアマゾン地域、ノルデスチは大西洋岸の乾燥地帯を指すのだが、けっこう混同されている。

後者を選ぶ。
定員たちは、サンタクロースの帽子。

サンパウロでのノルデスチ料理屋は、コガネのあるグルメ系相手の値の張る店と、そしてズバリ大衆系、彼の地からの内国移民系の店に分かれている。
この店は小ざっぱり、オシャレで値段が安い。
料理もよろしく、あたり。
店の関係者らしいおじさんのライブ演奏が昼間から始まり、これは会話の妨げに。
チャージも取られなかったし、ま、いいか。

そのあと、バスターミナルまで出向いて、来週月曜日のマットグロッソ行きの切符を買う。
さあ、行くぞ。


11月20日(日)の記 若い人
ブラジルにて


もとをただせば、日本のさる都市での拙作上映会。
それに来てくれた大学生が、サンパウロの大学に留学中。
日本に戻ってからの卒業論文のことを考える時期とのことで、蔵書を貸すことにした。

朝、わが家の最寄りのメトロの駅まで来てもらい、それからパダリア(ベーカリー)でカフェ。
先方の関心に沿って、いくつかテーマを提案してみる。
向こうも乗ってきて、こちらもますます乗る。
こっちの業界の用語なら、プロデュース。

今日はヤボ用がいくつか重なり、けっこうばたばた。
明日からの旅の支度は、明日の風に乗って行なうか。


11月21日(月)の記 ブラジル般若行
ブラジルにて


今日からバスで、マットグロッソ州の溝部富雄さんを訪ねることに。
溝部さんのことは拙著『忘れられない日本人移民』の「ブラジルのおじさん」の章で詳述しているが、今年8月、脳梗塞で倒れたという。
溝部さんは間もなく数えで90歳を迎える。
それなりの覚悟をしての、お見舞いの旅。

長距離バスで、片道24時間。
溝部さんが本を読める状態かどうか不明だが、お土産の日本語の本、そして僕が道中の友とする本を昨日から選ぶ。

バスは13時発。
サンパウロの地下鉄は日本のような人身事故は極めてまれだが、長時間、止まってしまうことはしばしば。
小一時間の余裕を見て出家。

バハフンダ駅のバスターミナルで待機。
フリーWi-Fiの表示があるが、つながらない。
さっそく本を開く。

全席指定のバスは、とりあえず隣りに誰も来ない。
まずは、読みかけていた『寂聴 般若心経』を読了。

次いで『チャップリン暗殺 5・15事件で誰よりも狙われた男』(大野浩之著、メディアファクトリー)を開く。
とんでもない事実があったものだ。
1932年の5・15テロ事件の当日、喜劇王チャップリンは東京にいた!
それどころか、テロの首謀者たちはチャップリンを暗殺して日米開戦に持ち込もうとしていたというのだ。

先日、チャップリンのサイレント映画を観ていて運転手役で日本人らしい人物が登場したのが気になっていた。
この人物・チャップリンの秘書を長年、務めた高野虎市の数奇な生涯についても書きこまれていて、ますます面白い。

この本の編集者、安倍晶子さんはどうされているだろうか。
最初に触れた拙著を刊行した際、謹呈したかったのだが、消息がわからなくなってしまったままだ。


11月22日(火)の記 ゴヤスのしりしり
ブラジルにて


長距離バス片道24時間の旅、かつての直行便なら空の旅でブラジルから日本に着いちゃうな。
日の出は、ブラジル中央のゴイアス州で迎える。
橋本先生あたりの古い人は、ゴヤスと表記。
その、中間ぐらいの音かと。
ここは「いにしえ感」のあるところで、ゴヤスの表記でいってみよう。

昨日の午後、そして夜とパーキングエリアでサルガジンニョと呼ばれる揚げ物を食べたせいだろう、ちょいとむかつく。
道中のレストランはなかなかの値段になるので、節約を心がけるとこういうことになる。

朝食休憩の店には、レタスがのぞいて見える、英訳するとナチュラルサンドイッチというのがあった。
それが欲しい、とおねえちゃんに告げると、6レアイスだけど(かまわないの)?と聞いてくる。
邦貨180円といったところか。
野菜のためなら。

レタスとチーズとハム、それにニンジンのスライスがどっぷり入っている。
沖縄では、しりしりニンジンと言ったな。
学校給食時代はニンジンを受付けなかった僕が、ブラジル奥地で朝からしりしりにんじんか。

予定より早くマットグロッソ州はロンドノポリスに到着。
しばらく待つが、迎えが来ない。
聞いた携帯電話は、つながらず。
むかし、控えた番号をいくつかかけて、ようやく。

溝部さんと再会、かなう。
左半身をやられたというが、重い脳梗塞ではなかったようで、すでにちょっと見ただけではわからなくなっている。
歩きは、四足の歩行器を使用。
頭は、しっかりしている。

さあ、いつまでお邪魔するか。
とりあえず、今日は泊めていただくことに。

溝部さんのおかげでTBSの『新世界紀行』でブラジルの岩絵遺跡を紹介できた。
拙作『ブラジル最後の勝ち組老人』も『郷愁は夢のなかで』も、溝部さんあっての作品だ。
NHK『日曜スペシャル』ではブラジル移民90年の記念番組の四人の主役の一人を務め、溝部さんは少なからぬ人々を魅了してきた。

いっしょにいられるだけで、うれしい。


11月23日(水)の記 マットグロッソのフクロウ小路
ブラジルにて


かつて『すばらしい世界旅行』ではマットグロッソを「緑の魔境」と称していたな。
今回、マットグロッソの溝部さんのお宅のNHK国際放送で福島の震度5弱の地震を知る。

今日、溝部富雄さんは数えで九十を迎えた。
祖国は、祝日。
ご本人と家族の様子を見つつ、今日もう一日、泊めてもらうことにした。

ずっと溝部さんにへばり付いているのもナニだし、距離感をどうするか。
と、お宅の敷地の塀に、フクロウが止まっているではないか。

聞くと、隣の空き地にもう4年ぐらい営巣を続けているという。
地面に巣穴が掘られ、近くの塀に計4羽を確認。

これは、退屈しなくていい。
強盗、およびこっちが不審者あつかいされないよう留意しながら、溝部さんの付添いとフクロウ観察を繰り返す。

日本では、フクロウカフェなるものが大流行とか。
こっちは自己責任で、ただ。

ヒト以外の生物観察は、ちょうど一年前、故郷目黒で交尾の前行動中らしいフタスジナメクジ以来か。

ミゾベ御殿には、Wi-Fiがない。
午後、ノートパソコンを抱えて街を散策、Wi-Fiのある店でトニックウオーターを飲みながら接続。
これといった緊急事態はなく、やれやれ。

夕方、溝部さんが歩行器なしで歩くという、家族の奇跡に立ち会う。


11月24日(木)の記 麻州路のセエデク民族
ブラジルにて


ブラジルの日本人は、マットグロッソ州を麻州と表記してきた。

朝、溝部さんの理学療法に同行。
そうとう疲れるようで、帰宅した溝部さんは横になった。

僕はネットをつなぎがてら、ロンドノポリスの街をふたたび散策。
まずは、昨日に引き続き、ヴェルメリョ川畔へ。

首に黄色い輪のある蛇の幼体の死骸に、アリがたかっている。
日本でも首に黄色い輪のある子ヘビがいたっけ。
(のちに調べて本邦のはヤマカガシと知る。ブラジルのは不明)

早めの昼食をいただいて、隣りのフクロウ一家、そして溝部さん一家に暇乞い。
バスターミナルで、ひとりクイアバ発サンパウロ行きのバスを待つ。

遅れること1時間半以上。
インフォーマルな情報ばかりで不安だったが、なんとかバスに乗れた。

帰路は大手アンドリーニャ社のバスだが、次回はここは避けよう。
車内に個人のパソコン使用程度の小さなモニターが3台置かれて、アメリカ映画のポルトガル語吹き替え版を、かけ流し。
その音量のうるさいこと。
映画を見るにも、僕の席からでは双眼鏡がいる。
こんな迷惑で不十分なサービスは、不愉快そのもの。

楽しみにしていた読書が、車内映画の騒音で妨げられる。
バス待ちの間にほとんど『セエデク民族』を読んでしまった。
映画『セデック・バレ』で知られる台湾の少数民族セデックの、シヤツ・ナブさんが日本語で綴った民族の物語。
彼らは、人の死を「彼の生命を織った方が連れて帰った」と解釈しているという。

この本は台湾台中の台湾東亜歴史資源交流協会が発行したものを東京の実家に送ってもらい、それをブラジルに持ち帰った。
ブラジルの移民作家・松井太郎さんの作品が日本語文学の臨界、といわれていたが、その先の臨界の日本語表現だ。

バスはマットグロッソ州を超えて、ゴイアス州へ。


11月25日(金)の記 溝部さんの蔵書
ブラジルにて


目覚めると、長距離バスの読書灯は消されている。
うるさい車内テレビも消されているのはありがたいけど。

夜明けの光量がじゅうぶんになるのを待って、読書を再開。
行きと帰り、それぞれ3冊ずつ読めた。
読書のための旅というのは、なんともぜいたく。

今回の旅で、最も印象に残った本。
それは、溝部さんのお宅でみせていただいた、愛読書。

僕が購入して謹呈したものと、NHKの取材班が来る時に溝部さんへのお土産として持参を依頼したものだが、山根一眞さんの『フルメタルカラーの時代』の文庫版の数冊。
溝部さんは瀬戸大橋、明石大橋といった日本の橋に興味津々なので、その工法などを紹介するこのシリーズを手配した次第。

本は、ここまでなるかというほど、破れて汚れて傷んでいる。
溝部さんは当時、郊外の農園にお住まいで、始発のバスで街なかの自身が仕切る建築現場に通っていた。
バス待ちの間、そして車中で、何度となく読み耽ったという。
家禽の世話と建築作業などで汚れた手で持ち運び、読み返し続けて、ここまでなったのだろう。
他人なら不快の叫びとともに打ち捨てられるだろ、すでに書籍と呼べるかどうかというシロモノだが、溝部さんにとってはまさしくバイブルだ。
これほど読み込まれた本を、僕は他に見たことがあるだろうか。

書籍の究極の形を見た思いだ。
本にこころがあったなら、それこそ本望だろう。

サンパウロ着は、1時間の遅れ。
日中だし、その分、本が読めたぞ。


11月26日(土)の記 「読むほどに地獄」
ブラジルにて


「バスで本を読んでいて、車酔いしませんか?」
旅のあとさきで交信のあった複数の方から、こんな問いをいただいた。

車で本を読むと、車酔いをする人がいるのか。
検索すると、確かにこの問題と対策がいくつも出てくる。

今回、車の揺れの激しい地区通過は往復とも深夜だったし、あまり字の小さい本はやめておいた。
眼が悪くなる、という指摘もあるが、こんな読書はめったにすることもない。

亡母は車酔いをする性質で、だいぶつらい人生を送ったようだが、僕はその方面を継ぐことはなかったらしい。

車中読書のフィナーレは『屋根裏の読書虫 今宵の書林の水先案内』(荒俣宏著、ダイヤモンド社)だった。
最後の章に「読むほどに地獄」という言葉がある。

いやはや、こっちも地獄入りか。
して、結びの文章。
「(前略) 読書の地獄で鍛えられたわれら亡者は、現(うつつ)に出現したバブル崩壊だの円高ショックだのに、びくともするものではない。」

この本は1995年刊行、以降20有余年を経て祖国と世界の情勢悪化は激しく「車酔い」するほどだが、今こそ地獄のキャリアが試されるというもの。

ちなみに飛行機酔いをする人がいるからこそ、座席前のポケットに「下呂ブクロ」があるのだろうが、飛行機での読書酔いをする人もいるのだろうな。

さてこの『屋根歌の読書虫』、ハードカバーの美品だが、学芸大学の古本遊戯こと流浪堂さんの店頭100円也で購入したもの。
迷っているより買った方が早いお値段。
あまり人には教えたくないが、流浪堂さんの店頭の安売りコーナーは、このお店の良心の顕現。
忘れられない掘り出し物、優れ本に何冊も出会い、豊かな地獄体験をさせてもらっている。

今日は、拙宅の未読本棚を物色して取り出した江川紹子さんの『大火砕流に消ゆ 雲仙普賢岳・報道陣20名の死が遺したもの』(新風舎文庫)を読み耽る。
いまの日本のマスコミの問題を考えるうえでも貴重。
そしてそろそろ、「忘れた頃にやってくる」地震以外の天災に備えるためにも。
噴火に巻き込まれた、それぞれの報道人についての記載が胸を打つ。

ネットで検索をすると、新風舎文庫はすでに廃刊になっているようだ。
が、江川さんのウエブサイトを見ると、希望の方にはご自身のストックを送料無料で発送する、とある。
これは、あっぱれ。

ああ、地獄まわりはやめられない。


11月27日(日)の記 路上市の求人
ブラジルにて


解凍したマングローブ蟹の剥き身の肉がある。
もう今日中には使っちゃわないと。
夜はカニ玉どんぶりにするか。

刺身用の魚は見合わせるとして、焼き魚用の魚を買っておこう。
路上市へ。

途中、日系人のおじさんが小さなビラ(この語を調べてみると、語源に諸説あり)をくれる。
訳すと、「日本での求人」。
職種は、自動車工場、お弁当屋(ずばりOBENTOYAと記載されている)、自動車部品工場、電気関係工場、パン屋。
さすがに福島原発汚水処理、とは書かれていない。

わが家の地区での日本への出稼ぎ募集のチラシ配りに出会ったのは、初めてかも。
一考しようか。


11月28日(月)の記 穴掘梟
ブラジルにて


持つべきものは、友である。
マットグロッソの旅から戻って、何人かの日本の友人知人にメールを送っておいた。
いくつか、貴重な知見を交えた返しをいただく。

沖縄で、フクロウをアイコンにする方から。
この人には、溝部さんのお宅の隣のフクロウの写真を送っておいた。
アナホリフクロウ、と同定してくれた。

この和名から学名を調べて、ブラジルに分布するかなど調べることができる。
ビンゴ!
新大陸、北はカナダから南はパタゴニアのフエゴ島まで広く分布している。

日本語で調べると、アナホリフクロウは巣穴にプレーリードッグなどの古巣を利用、とあるが、ポルトガル語で調べるとアルマジロなどの古巣が最初にあげられているのが面白い。
ポルトガル語の一般名は Coruja-buraqueira、ずばりアナホリフクロウだ。
ほう、南米にも広く生息するが、アマゾン流域をはずしている。

このフクロウは昼行性というのも面白い。

サンパウロのモンテソーリ教育を行なう中学校を記録した拙作『きみらのゆめに』に登場するフクロウも、ずばりアナホリフクロウだ。

アナホリフクロウの最大の天敵は、人間だという。
主に平原に巣をつくるので、そこに乗り入れてくる自動車が巣をつぶし、巣のなかのフクロウ一家も生き埋めにしてしまうとのこと。

恐ろしい袋小路だ。
日本の炭鉱事故、南米にわたってきた炭鉱離職者がオーバーラップする。

上野英信さんは、南米でアナホリフクロウを見ていただろうか。


11月29日(火)の記 背水の陣でいこう
ブラジルにて


来年1月に東京で拙作上映会をやってみたい、というお申し出をいただいていた。
年末年始、1月いっぱいぐらいは大晦日などをのぞいて航空運賃が跳ね上がる。
1月なら、なるべく下旬でお願いしたい、とお伝えしておいた。

さて、格安チケットはどんどんなくなっている。
11月も、もうおしまいだ。
その後、先方からの連絡が途絶えているので、具体的な日取りなどを問い合わせてみた。

すると、3月か、4月でお願いできるかとのご返信。
うーむ、1月下旬に上映があると想定して、2月に他にどれだけ組めるか、根回しをしていたのだが。

そもそもブラジルと日本往復の航空運賃捻出がむずかしいので、最初から仕切り直さないと。
いよいよ、背水の陣か。

昨日から『佐々木治夫神父の死者の日のミサ』の編集作業を再開。
ご本人から電話があったりして、どっちがどっちだか…

今週末に予定しているミッションの段取りも。


11月30日(水)の記 師走になれば彼女は
ブラジルにて


低迷期というか、停滞期というか。
それなりに、あちこちに連絡をしたり連絡があったり。

『佐々木治夫神父の死者の日のミサ』の音声の微調整、および日本語字幕の位置の微調整、翻訳の推敲。

こちらに運び込んだ資料類を再吟味して、少しでも処分をして。
とりあえず新たに運び込まなければならない書籍と資料類の置き場所をつくらないと。


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