移民百年祭 Site map 移民史 翻訳
岡村淳のオフレコ日記
     西暦2020年の日記  (最終更新日 : 2020/09/21)
6月の日記 総集編 聖体祭の奇跡

6月の日記 総集編 聖体祭の奇跡 (2020/06/01) 6月1日(月)の記 東京焼盡1
ブラジルにて


さあ今日は月曜日、一日断食をしよう。
午後から運転の用事があるので、少し緊張。

このたびブラジルに戻って、初期のうちに「いまこそこの本を」と目を付けたのが『東京焼盡』、内田百閒著。
流浪堂さんで買った単行本で、奥付をみるとなんと西暦1955年発行の初版本で、百閒先生の押印シール付きだ。
流浪堂の二見さんが鉛筆で書き込んだ金額に、僕としては相当なオトナ買いをしたなと思う。
発行は大日本雄弁会講談社。

ネットで調べると、単行本版だと流浪堂さんのお値段をうわまわる価格ではないか。
中公文庫などの文庫版もあるが、いずれも絶版のようだ。
僕は本のタイトルと表紙画に惹かれて買った。
表紙画は、米良道博という和歌山出身の画家。
いま、この人のことを検索してみて、那智の滝を水平をはずして描いているものが!
たまげて先に進めなくなりそう。

『東京焼盡』の表紙画は国会議事堂の周囲が焼けて人々がうろたえている図。
まず『ゴジラ』を想い出すが、東京大空襲の図だ。
恥ずかしながら今回、読み始めるまで失念していたのだが、内田百閒が東京大空襲で焼け出される話は、ずばり黒澤明監督が遺作となった『まあだだよ』で描いていたではないか。

黒澤監督はこの映画でも東京大空襲を直接的には描いていない。
帝都上空を行くB29の編隊も高射砲の花火も、炎上する地上も逃げまとう市民も焼け焦げの死体も出てこないのだ。

黒澤映画を副読本として、名匠の東京空襲下の日記をコロナウイルスによるサンパウロでの巣ごもり生活期に読むというすごさ。
旧仮名遣いで行替えなしで書き込まれているため、決して読みやすくはなく、今日までかかってしまった。
ここまで書いて興奮と消耗。

以下は、明日の日記で。


6月2日(火)の記 東京焼盡2
ブラジルにて


昨日のウエブ日記をアップしようと思い、読み終えた内田百閒『東京焼盡』の表紙を、わが家のクリーム色に塗った木肌イミテーションの上でスマホ撮り。
これをいったんフェイスブックにアップしてみるが、チラ見えするバックが面白くない。
思いめぐらせて、詳しくは明かせないが置き場に困っていたもらいものの上に置いて撮ってみた。
おう、これはいい感じ。

この強烈な表紙画の作者のことを調べて、米良道博という画家のそのほかの作品の画像を見てびっくり。
そもそもこの本と黒澤明監督のことも触れたい。
分量的にも肝心な本の内容に立ち入れず。

さてさて。
この本は随筆家として知られる内田百閒の米軍による東京空襲下の日記だ。
1944年11月から1945年8月の敗戦受諾のあとまで。
この時の百閒の歳は…
5月に麹町の自宅を焼かれた直後に満56歳を迎えている。
今の僕より若いではないか。

初期の頃に、短く「無為」と書かれている日が何日かある。
サンパウロでコロナ禍巣ごもりのわが身に通じて親近感がわく。
それにしても圧倒的な武力を持った敵の大型爆撃機の編隊が頻繁に、いつともわからず殺戮に飛来するのだから、注意して巣ごもりしていれば不意に殺されることもないだろうコロナとは雲泥の差である。
世界屈指のコロナ感染国となったブラジルで確認されているこれまでの死者の総数は、そろそろ3万人になる。
1945年3月10日の東京大空襲では、一晩で10万人近くが殺された。

黒澤監督の『まあだだよ』でも描かれていたが、百閒は教員時代の学生たちに異常なまでに慕われて、食糧酒類日常品の差入れが絶えなかったことがこの日記からもうかがえる。
しかも当時の百閒は日本郵船の嘱託の職に就き、大空襲の続く東京でも稼働していた!現在のJRの電車に乗って出勤、少なからぬ棒給を得ている。
さらにこれまでの印税が入り、新たな執筆依頼も断るほどに入ってくる。
その百閒先生でも飢えて薬にも不自由してしまう状況だった。

一般市民はどのようにこの国難の日々を生き抜いたのだろう。
僕の父母は、祖父母たちは。
この人たちからは、さして話を聞いていなかったことが悔やまれるばかり。

旧仮名遣いでみっちりと活字が詰まっていて、なかなかホイホイとは読み進まず、あの本この本に浮気をしていた。
そうこうしているうちに、コロナ禍の東京上空で曲芸戦闘機隊ブルーインパルスが色付きの煙を流しながら飛行した由。

東京空襲の時に百閒は夜空のサーチライトと敵機が「綺麗」「面白い」と書いている。
ブルーインパルスや「東京アラート」やらと比べてみると面白いかも。

昭和天皇の玉音放送の四日後、8月19日の日記より。
旧かな旧字を変換して書き出しておこう。

「こわいことをこわいと思うまいとしたり何かに気を取られて或は遠慮して中途半端に恐れるのは恐怖以上の不快感を伴なう。
この節の生活では恐れると云う事以外に人生の意義は無いのではないかと云う様な事も考えた。」


はからずも今日は在ブラジルの90代の戦後移民の方々ふたりに郵便物をしたためる。
お二人とも電話のやり取りも困難になった。
日本の亡母の形見のフエキ糊を絞り出して使う。
亡母は3月10日の東京大空襲の体験者だった。


6月3日(火)の記 東京の悪口
ブラジルにて


「函入りの本の場合は特にシビアである。
本を函から出すときには、二~三回振ってみて、スッスと出てくる具合が理想的とされている。
ぴったり過ぎてもだめだし、ぶかぶかでももちろんだめ。」
「本は特別なものじゃない」笠井瑠美子さん著(『本を贈る』三輪舎)

本の箱をつくる側のたいへんさを、恥ずかしながら想像したこともなかった。
そもそも久しく箱入りの本を買った記憶がない。

『東京焼盡』についてネットにあげたものにうれしい反応をいただき、図に乗る。
東京アラーさがしシリーズ第2弾は獅子文六著『東京の悪口』。
これも流浪堂さんで求めたような覚えがあるのだが…
二見店主の値段書きも挟み込みのお店の緑の値段カードも見当たらない。
該当箇所には貼ったものを剥がした痕と、二見さんではない鉛筆書きの数字がある。
古本屋を何軒か回ったのだろう。
西暦1959年発行の初版、新潮社。
これは検印廃止になっている。
今朝、ようやく読了。

この本が箱入りなのだ。
かの谷内六郎画伯の装丁なのだが、箱の絵は僕にはあまり面白くない。
地味に見える本体の表紙を見て、びっくり。
気づいていなかった。
植物の柄がプレスしてあり、それに白いカタツムリを二頭、這わせているのだ。
これはアートだ。
アート驚く為五郎。
https://twitter.com/junbrasil/status/1268545986504339461/photo/1

「私は、街頭や車中で、近頃の東京人が悪相になったと、驚くことがある。男も女も、ずいぶん人相が悪くなった。美人は美人で、眼つきがよくない。」
「精神生活というものと、完全に絶縁した人間でなければ、あんな面相にはならない。
 そのくせ、彼らの身許を洗ってみれば、恐らく大部分が大学を出ているだろう。東大でもいるにちがいない。日本の教育とはどういうことなのだと、考える前に、あんな面にならなければ、東京の世渡りはできぬ事情もあろうと、惻隠の情も起る。」
(「東京の悪口」より。)

60年以上前の記載である。
いらい、その悪相はどのように変化していったかは…
コロナ禍のマスク着用で、悪相はだいぶ隠されていることだろうけど。
それにしても西暦2020年の東京の白マスクだらけの群衆の映像も不気味。

「とにかく、東京をどうかしなくてはならない。私の考えでは、まず第一に、都庁が全力をあげて厭人思想を鼓舞することである。
 ガリヴァー旅行記とか、ショウペンハウエルの哲学書とか、正宗白鳥の小説とかいうものを、都民に無料配布して、人間とはロクなものではない、その人間が沢山集れば、いよいよロクなことは起らないということを、広く知らしめるのである。
 都知事始め各職員が、巷に立って孤独のいかに愛すべきこと、山林のいかに安らかなることを、都民に訴えるのである。」
(「東京の悪口」)
これを最初に読んだときはコロナパンデミック以前で、あまりピンとこなかった。
いまやゴジラシリーズのタイトルなみの「東京SOS」となってしまった。

獅子文六については名前は承知していたが、それ以上のイメージの湧く人ではなかった。
今回、この随筆集を読んで、一編が数ページ程度で読みやすいのには好感が持てた。
しかし上の最初の引用のカギカッコの間には、僕にはとても引用できない記載がある。
さらに他の随筆を読み進めると、僕の疑問のありかがわかってきた。
皇族に対する思い入れや、第2次大戦時の日本軍の人類史の負の遺産といえる人道への犯罪行為の数々に対して、反省どころかリメンバー原爆で応じる姿勢に強い違和感を覚えた。
彼について検索してみると、敗戦後は「戦争協力作家」として「追放」の「仮処分」を受けていた、とある。
『東京焼盡』の内田百閒と好対照だ。

獅子文六は「一億総白痴化」の戦後日本で売れまくっていたことを知る。
大手新聞での連載小説が終わらぬうちに、他の大手新聞の連載小説も引き受けて並行させる。
自分の原作を、一度に二つの映画会社で同時に映画化させる。
マスメディアの寵児といったところか。

獅子文六の、自分のベストセラーを読み返してのコメントは、わがドキュメンタリー観に通じて面白かった。

「その筋はこしらえた筋よりも、私自身に面白く読めた。これは私として、なかなか参考になった。小説の筋というものを、調子に乗ってひねくり回すのは、筋をつまらなくする以外のことでしかないと、考えるようになった。」
(「モデルと小説」『東京の悪口』所蔵)


6月4日(木)の記 発酵果実を炒る
ブラジルにて


アフリカ原産とされる樹木にみのったフルーツをもいで発酵させる。
それを炒って粉にして、お湯で濾して飲む。
コーヒーのことだ。

恥ずかしながらコーヒーが発酵食品であると意識したのは近年のこと。
コーヒーはこの星で年間どれぐらい消費されているか。
下記の本によると、コーヒーカップに年に5000億杯だという。

5000億杯。
わがブラジルの人口を少なめに2億として、ひとりが一日3杯、飲むとして。
それだけで年に2000億杯を超えてしまう。
すると、控えめな数字かもしれない。

世界に誇るブラジル人の写真家、セバスチャン・サルガドが西暦2015年に出した大写真集『PERFUME DE SONHO(夢の香り)』をようやく通しで見終えた。
わが家にある最も重い本かもしれない。
5キロ近いか。
少なくとも、わが愛機のビデオカメラより重い。
金額的にも、まず自分では買い控えるレベルだが、家人に贈られた。

サルガドがイタリアのコーヒーメーカー illyの協力を得て、世界3大陸10か国の家族的規模のコーヒー生産の刹那を10年がかりで撮った労作だ。
サルガドの故郷、ブラジルのミナスジェライスからサンパウロ。
中米の少数民族からアフリカ諸国、インドにインドネシア、中国雲南まで。
キャプションは巻末にまとめられているので、まず写真を見て、この人たちは、この景観は地球のどこにいる/あるのだろう、と想像を巡らせるだけでも楽しい。

「たかがコーヒー」から、世界が、個人が浮かび上がってくる。
いい仕事だと思うが、日本を訪れた際にコーヒー業界の人や写真業界の人との「茶飲み話」でこの写真集の話を持ち出して、この本を知っているという人にまだ会ったことがない。
(追記:拙稿を読まれたフォトグラファーの渋谷敦志さんから、以下のご教示をいただきました:
この本の中のインドネシア・スラウェシ島の農園の写真は、キーコーヒーが持つ農園で撮られたもののようです。キーコーヒーはillyの日本における正規代理会社という関係。現地駐在の日本人がスラウェシでサルガド氏を案内しています。トアルコ・トラジャという素晴らしいビンテージ・カフェを作ってますね。島のマカッサル市にあるキーコーヒーの直営レストランには、このPerfume de Sonhoのオリジナルプリントが4、5点展示されていて、サルガドも訪れています。)

サルガドのプロフィールを少しでも知る人なら、彼とコーヒーとの強い絆をご存じだろう。

この本を最初にめくってから、もう年月が経ってしまった。
が、サルガドはコーヒーを飲んだことがないと書いてあったように記憶する。
しかし、考えられない。
さんざん探して、冒頭一行目に本人が書いていた。
「私はいままでコーヒーを飲んだことがない。」
まさか、と思う。
コーヒーメーカーの協力を得て、10年がかりで世界10か国のコーヒー生産地と生産者を回って、コーヒーを飲まないなんて。

それでもサルガドならオッケーな気がしてしまうから不思議。
サルガドには稀有なことに、表紙から笑顔の人物。
コーヒーは人を笑顔にするのか。

大黒澤の『七人の侍』の勘兵衛の台詞「この飯、おろそかには食わぬぞ」にちなんで。
この写真集のおかげでコーヒーをおろそかに飲まず、世界の小農民たちに想いをはせることができる。
お代わりのときには、コーヒーが生んだブラジルの日本人移民史を想うか。


6月5日(金)の記 蜘蛛の巣状
ブラジルにて


ウエブのことを書こうと思う。
そもそもウエブの意味は?
と思って検索してみると、蜘蛛の巣のこととな。

コロナ禍の巣ごもりでクモの巣に絡めとられている御仁は少なくないだろう。
愚生もここのところ、このウエブ日記やインスタなどのアップに凝っていると、半日ぐらい使ってしまうのがしばしば。
本業の映像編集の方は、具体的な締め切りがなくなり、公開できる見通しもないままだし、ナメクジの匍匐速度ですすめている。

午前中かかって、サルガドのコーヒーの写真集について書いた。
すると当地の夜、おそらく日本にいるフォトジャーナリストの渋谷敦志さんから書き込みとご教示をいただいた。
渋谷さんは、サルガドと所縁のある数少ない日本人だろう。

渋谷さんは日本でコロナ患者をアテンドする病院のスタッフの写真を撮っていたはずだ。
その病院のスタッフたちがブルーインパルスの東京上空曲芸飛行に励まされたかどうかは知らない。
そのちょっと前、すでにコロナ禍が南米にも及んできた段階で彼はアマゾン国境の町タバチンガにいて、ブラジル脱出なるか危ぶまれていたのだが。

ナマの渋谷さんに最後に会ったのは、数年前の銀座での彼の個展だったはず。
こんな刹那が撮れるのは、ハンターの眼と才能、粘りのほかの超常的ななにかがなければありえない、と改めて舌を巻いたのを思い出す。

昨今の東急の渋谷駅には立ち寄りたくもないが、写真の渋谷さんは目が離せそうもない。


6月6日(土)の記 コロナ禍のカフタ
ブラジルにて


カフカのまちがいではない、カフタ。

中東や南アジアで食される牛やラムなどの挽肉料理。
トルコではキョフテ、アフガニスタンではコフタ…

ブラジルではカフタと呼ばれるが、これはレバノンでの呼称のようだ。
マスクの似合ったカルロス・ゴーン氏はブラジル生まれのレバノン人。
ブラジルにおけるレバノン移民とレバノン文化の浸透を象徴する食べ物だ。

先日、近所の日本食材店でブラジル製味噌のパック入りを買った。
そのなかにポルトガル語でMISSOを使ったレシピがいくつかレシピが入っていた。

ミソとオートミール入りのカフタというのがあり。
レバ日友好。
かつてのニッサン関係者の発案か。

今日の夕食につくってみる。
なにせ、はじめて。
いわばハンバーグの具を焼き鳥のツクネ状に串にまぶすのだが。
可もあり、不可もあり。
味噌の焼けるにおいが、わが家庭では好評。

家族からは及第点をもらい、いやはや。
著しく失敗した場合はすぐに宅配ピザでも頼もうかと思っていた。

中東が少し身近になった。

肝要なブラジルのコロナの犠牲者については、日本モデルにならったのか…
テレビのニュースを見ても、混沌。


6月7日(日)の記 青が目に沁みる
ブラジルにて


おお、今日は青空ではないか。
昨晩は停電が危ぶまれるほどの雷雨だった。

日曜でもあり、路上市やベーカリーなど、外出買い物の大義名分あり。
久々に半袖で。
魚はアジとサバを買う。
奇しくも、青ザカナ。

さあグラフィティを採集しよう。
ちょいと離れた、フレスコ画風の逸品を訪ねる。
すでに過日に撮影もしているのだが、その日の写真をインスタグラムにあげることにしているので。
うーむ、一帯が日陰だけど。
ま、いいか。

今日はわが家に近い方のベーカリーにするか。
おや、パン屋の前に青のまぶしいシャッター。
理学療法機器の店だ。
https://www.instagram.com/p/CBI1gJpgZzM/

シャッターにオリエンタルな、理学療法機器使用中の少年の絵が描かれている。
日本のヤン坊マー坊を思い出させる。

陽光に照らされる看板の青と青空がまぶしく、きれいだ。
今日のグラフィティ写真はこちらにするか。
フレスコ画の天使の家は、いずれ午後にでも再訪してみよう。

帰宅後、ヤン坊マー坊について調べてみて驚く。
このふたりは1959年に登場して、キャラクターの印象が何度かガラリと変わっている。
僕のイメージしているのは1968年から1988年までのモデルだった。

ちなみにブラジルのヤンマーは、アマゾン流域での金採掘産業の機械化・大型化に多大な貢献をしている。
僕はアマゾンの水銀汚染のことを調べていて、図らずも内部の関係者からナマの声を聞かせてもらうことになった。

青空のもと、思わぬ記憶が照らし出されてしまった。
原田正純先生の本を読み返そうか。


6月8日(月)の記 だらだらのみち
ブラジルにて


ブラジル政府はコロナウイルスの感染者数、死亡者数の発表をとりやめてしまった。
犠牲者数も世界のトップクラスとなり、こうしたブラジルのニュースは通信社や日本の新聞社の支局から祖国に伝えられて、お見舞いのメールもいただいている。

僕もそうしたニュースは当地のテレビや新聞から得ているが、巣ごもり中でもあり、それ以上の情報はないといっていい。
毅然と対処しないと、だらだら続くと当初から言われていたが、ブラジルはその道を行くようだ。
長期戦の覚悟。

食糧品の買い出しに出て、外出時の日課のグラフィティ探しと撮影。
今日も好天。

おや、階下のアヴェニーダの角地を占拠していた路上生活者たちの、支道側が空になっている。
この一帯は商店になっているのだが、コロナ禍の営業規制で「シャッター街」となってしまい、雨露もしのげるので一気に路上生活者たちが増えた。
事情通に聞くと、付近のファヴェーラのドラッグをめぐるトラブルを逃れてきた人たちがほとんどだという。
女性もいる。
まだ明るい、人通りもある夕方6時にズバリ路上で性行為におよんでいたという近隣住民の報告もある。
近くでは、この人たち同志の路上の殺人もあったという。

路上生活者たちは収容施設を拒むケースが多く、この人たちの人権もあるのでむずかしい。
警察もドラッグ売買の現場を抑えたりしない限り、手を出さないという。
印象としては、コロナ禍が長引いてから、ふつうのおじさん風に見える人が混じるようになってきた。
僕もひとつ間違えれば、仲間に入れてもらわなければならなかったかも。

行政側から基本物資の配給はあるようで、マスク着用者が増えたがマスクなしでの大ゲンカ、咳こみなどはよく見かける。
いち外国人居住者がどうすることもできそうもない問題だが、まずはわが家にウイルスを持ち込むことを防がねば。

さて角の店のシャッターに描かれたグラフィティはなかなかの意欲作だ。
支道の側がいったん無人となったチャンスに撮影しておこう。
それにしてもオシッコの臭いが強烈。
https://www.instagram.com/p/CBLcgSHAhVm/


6月9日(火)の記 蠅帳の記憶
ブラジルにて


未明に覚醒。
DVDを観るか。

個人的な動機で、小津監督の紀子三部作をいま、見ておきたかった。
縁談をすすめられる紀子の歳はいくつといっていたか。
20代後半だとは記憶している。

『麦秋』が第一作だと思い込んでいて、『麦秋』を観る。
(見終わってから『晩春』の方が先だったと知る…)
西暦1951年、まだ日本が独立国になっていないときの製作だ。

『ゴジラの逆襲』でさえ見どころは少なくなかった。
こちらは見どころだらけで、何度かメモを取る。
戻して再再生もしばしば。

「ハイチョウ」という言葉が琴線に触れる。
文脈からして、蠅帳のことだろう。
なつかしい。
僕の幼少期にこの言葉はまだ生きていた。
ハエなどが食べ物や食器にたからないようにかぶせる傘状の網だ。

検索してみると今の日本では「食卓カバー」「フードカバー」「ランチパラソル」などという名前で売られているようだ。

戸棚も蠅帳と呼ばれるものがあるようで、ポルトガル語のウイキではパラソル状はなく、家具形式のものがあげられてた。
ちなみにポ語名称は英語そのもので「Pie safe」というそうだ。

思えばブラジルで少なからぬ日系移住地をまわってきて、ハエにも不自由しないほどたかられてきた。
白ご飯に黒ゴマをまぶし尽くしたようにハエが、というのはよく伝え聞く。
僕が味わったのは、せいぜいゴマ塩ぐらいの密度だったが。

しかしこの蠅帳についての記憶が定かではない。
手で追い払うか…
『ブラジルの土に生きて』の石井夫妻はハエたたきを駆使していたが。

「便所」「チチ(おっぱい)」から「ひのし(アイロン)」まで日本古語が用いられる当地の日系社会だが、ハイチョウの言葉を拝聴した記憶がない…


6月10日(水)の記 寿司がゆ
ブラジルにて


家庭の事情で、週イチの断食を昨日の火曜に行なった。
そのため、今朝はおかゆ。

一週間以上、前の寿司飯が一膳分ぐらい残っている。
もったいない。
寿司飯は蒸かしても、ふやけるばかりでおいしくはならない。
今日も寿司がゆにするか。

生涯で2度目である。
初回も、この巣ごもり中だ。
最初はまずはネットでレシピを検索してみたが、ほとんどヒットせず。
よほど、向かないのか。
わずかに、塩昆布を入れて、というレシピがあった。
トライしたが、うーむ、めっぽういけないこともない。
もう一工夫だ。

今日は納豆昆布にシソの粉末も入れてみる。
まずは汁をすすると、あたりまえだが酢飯味。
そう悪くもない。

分量からして、昼もこれか。


6月11日(木)の記 聖体祭の奇跡
ブラジルにて


今日はカトリックの聖体記念の日で、ブラジルの祝日。
サンパウロ市はコロナの営業規制を少しでも延ばすため、すでに休みを前倒しにしてしまっている。
なかなかややこしい。

習慣になってしまった未明のスマホチェックで、日本の知人からおったまげのメッセージが。

わが魂の兄、故・古城泰さんにまつわること。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000044/20060701001978.cfm?j=1

先方と僕以外には、このおったまげ度は伝わりにくいだろう。
僕にとっては、奇跡のレベルだ。
起床してからパソコンでこのことのやりとりをしていて、さらに「奇遇」が込められていたことに気づく。

買い物外出のついでに、隣駅にある地区最大級のカトリック教会まで足を延ばす。
本来なら聖体祭を記念した特別なカーペットが敷かれたり、付近をまわる行列がある。
大聖堂は虎テープが貼られ、扉も締まっていたが、小聖堂は開いていた。
入堂して、立ったまま短いお祈り。

久しぶりに、付近のファヴェーラ:スラム街のあたりを思い切って歩く。
人の、にぎわいがある。
サウダージ:なつかしさ。


6月12日(金)の記 マタイ伝16章24節
ブラジルにて


午後、運転のお勤め。
片道40分前後で20キロ弱の距離を往復。
コロナ前の7割程度の交通量か。

3か所ほどグラフィティのスナップ撮りの候補地として目をつけていた。
いずれも光線、交通事情などで断念。

我が家に戻ってガレージに車を置いてから、買い物の口実を立ててグラフィティ求道。
最寄りのグラフィティ小路に行ってみる。
昼なお人通りがめったになく、乗用車一台でカツカツの幅。
横に逃げ場がない。

福音派の教会があり、その関係だろう、向かいの壁に聖書の引用とイメージ画が描かれていた。
コロナ禍で礼拝集会は久しく行われていないようだが。

引用は新約聖書「マタイによる福音書」16章24節。
聖書協会共同訳だと、
それから、弟子たちに言われた。「私に付いて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を負って、私に従いなさい。」

絵は、十字架の前にかがんで祈っている男性とみられる。
https://www.instagram.com/p/CBWrVQSgc3E/

ここを通るのは2週間ぶりぐらいだろうか。
小路に入るなり、糞便が目についた。
イヌか?


6月13日(土)の記 土曜の動揺
ブラジルにて


『富山妙子 自作を絵解く/ガルンガンの祭りの夜』。
ほどよく発酵させて、まとめあげ。
今朝、データをDVDに書き出してとりあえずマウスを置く予定だった。

ところが。
データ書き出しができない。
ディスクの容量不足との表示が。
どのディスクだ。

過去の映像編集用データを外付けメモリーに移してみるか。
今度は外付けメモリーが見当たらない。
日本でどさくさして、置いてきてしまったか?

いずれにしろ、やらなければいけなかった写真データのマニュアル移行。
何度目かの捜索で、外付けメモリーを発掘。
今度はこれが機能しない。
試行錯誤…
気軽に相談できる人がいないのがつらい。

編集の、いちからやりなおしは避けたい、カンベンしてほしい。
夕方、ようやくなんとかなりそう。

まずはDVDに一枚焼いて、試写。
2カ所ほど手を加えるか。

今日は午前中に買い物とグラフィティ採取を予定していたが、見事に蟄居。
いやはや。


6月14日(日)の記 トゥオンブリとロスコ
ブラジルにて


コロナ禍巣ごもり中、身辺から発掘した諸々の本を作業の合間に濫読している。

『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない』という林道郎さん著の冊子を昨日、読了。
サイ・トゥオンブリというアメリカの画家についての講義を書籍化したもの。
どのようにこの冊子を入手したのか、はっきり覚えていない。
5年前の東京の原美術館でのトゥオンブリ展のときに買ったのかもしれない。

トゥオンブリの作品について、言葉が追いつかないでいた。
落書きというより、ボールペンの試し書きのさまざまなパターンをコラージュしたような…
そう、文房具売り場にあるような。
それでいて、惹きつけるものがあるのだ。
トゥオンブリのことは、画家の森一浩さんが好きな作家として教えてくれた。

「(前略)、トゥオンブリの作品は、有機的に統一された絵画空間をもつというよりは、むしろ、映画のスクリーンに映し出されたレンズ上のゴミの震えのような、物質的な微振動を思わせるものの集積となっています。」
(『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない』)

小津監督の『晩春』(西暦1949年)をDVDで見直したばかりで、一部のカットに写り込むゴミが気になっていた。
美術批評家は、こういうところからも紡ぎだしていくのか。

今宵は、読みかけだった『マーク・ロスコ』(川村記念美術館 企画・監修)を一気に読了。
これは学芸大学のSUNNY BOY BOOKSさんで思い切って買ったと記憶する。
ロスコのことは、ブラジルの画家の大竹富江先生に生前、好きな画家を尋ねて教えてもらった。

この本の冒頭近くに、ジャクソン・ポロックの作画の写真で知られるハンス・ナムスの撮ったアトリエのロスコの写真が見開きで掲げられている。
スナップ風にみえるが、入念に演出したという。

手前味噌だが…
スマホ撮りばかりになっていて所在もわからなくなっていたデジカメをようやく発掘した。
そのなかにあった富山妙子さんをとらえたわが写真をすぐに思い出した。
富山さんは写真を撮られるのがキライと宣言されていて、僕の方は入念も演出もあったものではないシュートなのだが。

この本のなかにも書き出したい言葉がいくつもあるが、とりあえずひとつ。
「シーグラム壁画は、ある人にとってはなにも意味しない。これが絵だと気づかない人もいるくらいです。つまり、その人にとってはこの絵との間に隔たりがあるわけです。一方で、この絵にひどく魅了される人もいる。すぐに絵のなかに入っていける人です。」
(前提書『マーク・ロスコ』収録の林寿美さんの言葉)

僕の最近のグラフィティ求道、そして富山妙子さんの映像を編んでいくうえで、いい刺激をもらった。


6月15日(月)の記 いまさらメキシコ万歳
ブラジルにて


夜、ひょんなことから。
エイゼンシュテインの『メキシコ万歳!』を観る。
恥ずかしながら、この歳まで未見だった。

紆余曲折あって、エイゼンシュテインが西暦1932年にメキシコで撮影。
映画そのものの完成は、資金難などから挫折。
さらに紆余曲折あって、1979年に当時の助監督をつとめたアレクサンドロフが完成させた。
いくつもの奇跡を感じずにはいられない。

葛飾北歳の『北斎漫画』が絵手本なら、『メキシコ万歳!』は映像手本といったところか。
みどころ、お宝がざくざく。
冒頭、ジエゴ・リベラの紹介のカットにさらりとフリーダ・カーロも写っていたり。
巡礼のシーンは、ブラジルのグラウベル・ローシャにつらなりそうだ。

そして、これから僕がつなごうとしている富山妙子さんのスケッチ画そのもののカットが!

昨年、僕はメキシコを訪ねて『ラテンアメリカとの出会い/メキシコの祈り』と題した作品にまとめている。
その段階で映像手本の『メキシコ万歳!』を見ていないのだが、それでも影響があったように製作者自らが感じてしまうほどの作品だ。


6月16日(火)の記 タイ風一家
ブラジルにて


家人がわが家の食糧棚を整理して、タイ風カレーのもとを見つけたようだ。
メーカー違いだが同じサイズと重さのパックが二つ、いずれも日本の文庫本の大きさだ。
ひとつは裏に日本語のシールが貼ってあり、もうひとつはポルトガル語のシール。
日本語の方は僕が日本でどなたかにいただいたものかもしれないが、覚えていない。

日本語とポルトガル語、そしてオリジナルに記載されている英語の作り方を読んでみる。
2種のメーカーの相違が一興。

おや、英語版にはeggplantsを入れろとある。
タマゴ草?

調べてみると、ナスではないか。
北米にはまさしくタマゴ色、卵型の白ナスがあると知る。

さてそれぞれのレシピは、鶏肉ないしお好みの獣肉を使用とある。
買い物の都合、食べ物のローテーションから考える。

肉屋はけっこう混んでいるし、先日は体当たりを喰らわされた。
冷凍食品屋でエビなどシーフードを買ってみるか。

ナスはイマイチ乗らない…
ズッキーニ代用も考えるが、皮を残して溶けてしまうかも。
ナスすべも、なし。
青果店で、日本のナスが「なにかの作用」で巨大化したような、鶏卵とは似ても似つかないのを購入。
冷蔵庫に眠る使いかけのズッキーニも入れてみよう。

50グラムのペーストで4人用とあるが、今宵のわが家は3人。
しかも日本のカレールーを使ったトロトロのカレーでなければという、カレーファンダメンタリストがいる。

ココナッツミルクか牛乳使用だが、1.3倍ぐらいに増量。
日本でいただいたカレー粉を足して、とろみを足すために小麦粉をバターで炒める。
および隠し味。
さてさて。
うむうむ。

好評理に終わる。
3人でそこそこいただいて、残量わずか。
今日、かけている家族の味見用に少量を残しておく。
ズッキーニは溶けずに残ることがわかった。
次回はエッグプラント控えめで、アボブリーニャ(ポルトガル語で「小さいカボチャ」:ズッキーニのこと)増量でいってみよう。
塩レモンを入れてみるのはどうだろうか。

わが家の近くにできたタイ人経営のタイ料理屋のものより自分の口には合ったぞ。


6月17日(水)の記 生誕100周年 節子の節目
ブラジルにて


日付が変わるちょい前ぐらいから、決して目が覚めているわけではないが、気になる宿題を済ませようと床を立つ。
小津監督の原節子主演「紀子三部作」の余すところ一作、『東京物語』に何度目かの挑戦。

いやはや三部作を間を置かずに見るとよくわかるが、この作品はいろいろな意味で群を抜いている。
音楽効果だけでも、まさしくクライマックス。
ひとつひとつのカットの凝縮度。

あらたな留意点は、あまた。
この作品にも「ハイチョウ」の台詞が登場した。
しかも紀子さんの口から。

最初の舞台である平山医院の場所は、東京の下町のどこか、ぐらいしか今までわからないでいた。
今回、最寄り駅のカットから「かねがふち」と読めた。
鐘ヶ淵駅、東武伊勢崎線、墨田区だ。

地図で調べると、この10年以上にわたってお世話になってきたメイシネマ祭の近年のメイン会場、小松川図書館から大通りを北上したあたりではないか。

136分の作品で、4回ほど感極まる。
2度は作品そのもの、そしてあとの2度は拙作とのオーバーラップ。

サンパウロの丑三つ時に完了。
スマホを繰って、たまげる。

今日は原節子の生誕100周年の誕生日だという。
ぐ、偶然では済ませられない…

原節子は画家の富山妙子さんのひとつ年上だったのか。

西暦2011年3月11日の未明は、小津監督がこの映画の脚本を書いた茅ケ崎の旅館、茅ケ崎館でこの映画を観ながら迎えたことは、拙著にも書いた。

まずは今の自分の作業に心してあたりましょう。


6月18日(木)の記 今宵も小津ごのみ
ブラジルにて


今日は移民船笠戸丸が112年前にサントス港に到着したのを祝う日。
拙作のなかで橋本梧郎先生がこの日について「特に感慨はない」と語っているが、僕もこれにならう立場。

『富山妙子 炭坑に祈る』と仮題をほどこした短編映像の編集に入っている。
だいぶうろたえたが、ある種のリズムを体得してきた思い。

家人が透明のフタのついた径30センチのフライパンをゲットした。
これでスキヤキをつくってみることにした。

いつもの日本食材店が今日の午後は休みだった。
その至近のライバル店へ。
こちらの日本食材店ではスキヤキ用の牛肉スライスのパック入りを売っている。
いつものとメーカーが違うが、買ってみる。
中国産の乾燥シメジも買ってみようか。
知らないブラジルのメーカーのシラタキも買ってみよう。
モヤシを買うのを忘れてしまった。

青果店でクレソンを買ったつもりが、ルッコラだった。
ま、試してみっか。
ブラジル産シラタキのパッケージを見るとKONJAK芋使用とあるぞ。
裏表あわせて3カ所、コンジャクとあるから確信犯のまちがいだ。

うーむ、なんといってもフライパン型なので、スキヤキにはイマイチだが。
透明ブタなので、なかに水蒸気がもやってくるあたりを拝めるのは面白い。

さて。牛肉がいつものより硬い。
ルッコラは悪くはないが、クレソンの方がシャキシャキ感、ほのかなエグみの残りもあってよろしいな。
ブラジルでシメジとされているのは日本のヒラタケである。
この中国産はSHIMEJIとしか書かれていないので正体は不明だが、悪くない。

ひと通り家族が食べ終えた後で。
小津安二郎監督にならって、カレー粉を足す。
家人は誰も付き合わないが、このお味がよろしい…

ひとりリンゴの皮でもむくか。
空気枕はどこだ。


6月19日(金)の記 台所の魔術
ブラジルにて


わが家のニューフェイスの透明フタ付き大鍋を、今日も使ってみたい。
パエリャをつくってみようか。
家族の賛同も得る。

タイ風カレーをつくるときに買った海産物の冷凍ものが残っている。
その前の鶏肉の残りもあり。

肝心のブラジル米:インディカの長粒種がない。
近くの大衆系スーパーに行くと、5キロ袋ばかり。
1キロ袋はMOMIJIという日本米もどきのものだけで、しかもこれはブラジル米の倍の値段。
5キロ入りは重いし、わが家ではめったにブラジル米を使わない。
そもそもその日暮らしのブラジルの庶民には、値段的にも1キロの方が好都合だろう。
この大衆スーパー、小麦粉がなかったり、大衆生活との乖離が面白い。

ちびっと割高な店で、1キロ袋を買う。
こちらは迷うほど何種類もあった。

「肉眼に見えない世界を目のまえに提出させる魔術。」
これは岩波写真文庫の『レンズ』の一節。

これはガラスそのものにも当てはまりそうで、この透明ブタがまさしくそれ。
他の料理も並行していたので、透明ブタをながめ続けているわけにもいかないが…
これなら米の地表にいわゆるカニの穴が噴出してくる様も眺められるというもの。

うまい具合にできるではないか。
家族4人でこの手の料理のときは二合半、炊いて少し余る程度。
せっかくの大鍋なので余すこと承知で三合こさえたが、完食。

反省点は、チキンコンソメ塊が溶けきっていなかったこと。
次回はお湯で溶かしてから加えるか。

夜のニュース。
ブラジルの24時間のコロナウイルスによる死者は、1200人以上。
日本のこれまでの「公式」のコロナ死者総計を24時間で軽く凌駕。
商店などは平常に戻りつつあるが、これからこそ慎重にせねば。


6月20日(土)の記 蚊、冬にたつ
ブラジルにて


南回帰線の直下にあたるわがサンパウロは今日、冬至を迎える。
この時期の日差しは、なにか特別なものがある。

それを体感してから、そういえば今は冬至の時期ではないかと気づくこと、しばしば。
この三日間、外出:買い物の用事を午後にまわして、午後の強い日差しにあぶられるグラフィティを採集。
https://www.instagram.com/p/CBq6NwYA-Bt/

午後から夜、内容の重い本を読む。
少しへろへろになって、消灯。

蚊だ!
さっそく点灯。

読書中も腕がかゆく、蚊に刺され状の腫れがあったが、まさかと思った。
気温は18度。
寒いというほどでもない。
日付は21日になった。

日本の蚊取り線香をしまったはずの場所を発掘。
あった。
蚊取り立てが見当たらず、未開封だったミニ携帯蚊取り入れを開ける。

わが子もまだ起きていて、大きなハエみたいなのがいるという。
ミニ携帯蚊取りをそれぞれの部屋に焚く。

20日もブラジル国内での24時間のコロナウイルスによる死者数は1000人を超している。
ブラジルに戻って巣ごもり約80日、蚊を意識するのははじめてかな。
それにしても冬至とともに蚊の訪問とは。

コロナを避けての巣ごもり中に蚊に刺されてデング熱にかかってはシャレにならない。
アンチ日本スゴイ派のわたくしも、日本の蚊取り文化は称賛。


6月21日(日)の記 カンブリア紀の魚
ブラジルにて


こちらは冬に入ったから、寒ブリか。
路上市で、ブリを買う。
2キロ弱で、約800円。

ネットでレシピを調べるが…
照り焼き、ブリ大根といった定番ばかりだな。
カルパチオはどうかな。
刺身にしておくか。

冷蔵庫に大根も少し残っていた。
これでツマは確保。

若い頃、日本で食べたハマチの刺身のとろけるような舌触りを想い出す。
養殖モノだったようだが。

刺身と照り焼きの二本立てで行く。
サワラのときの照り焼きのタレが残っている。

アラは大根を買い足してから煮よう。
路上市で葉っぱ付きの大きな大根もあったが、ちょっと担ぎきれない。

昨年、世田谷で売られていた大蔵ダイコンを想い出す。
200円ぐらいで、葉っぱを入れると1メートルを軽く超える巨体。
欲しいのは山々だが、機材も担いでいてこれをバスで運ぶのは気が引けた。
そもそも滞日中に食べきる自信もなく。

朝昼晩と家族でおいしく食事をいただけるありがたさ。
ブラジルのコロナ禍は長期戦になりそうだが、おかげさまでとりあえず特殊な食材以外は不自由していない。


6月22日(月)の記 ローラー作戦
ブラジルにて


さあ月曜日だ、一日断食をしよう。
それにしてもコロナ自粛期間は断食の行には格好と思うのだが…
寡聞にしてこの時期に断食を、といった記載は目につかない。
他人様のことだから、わざわざ調べてみようとも思わないけど。

口実もあるので、日中、買い物外出。
さあ今日のグラフィティ採集撮影はどうしよう。
未踏地区も歩いて、けっきょく歩留まり候補にしていた道具の絵を撮る。
https://www.instagram.com/p/CBvd_m_gaT2/

このペンキを塗るロールの道具は、なんと呼ぶのだろう?
日本語でもポルトガル語でも出てこない。
キーワードから検索して、日本語は「ローラー」だと知る。

大通りを隔てた近くに、このローラーを持っている人物のグラフィティも描かれている。
想えば、主にブラジル各地でそこそこの岩面画遺跡を見てきた。
恩師の故・木村重信先生の著作などで世界各地の岩絵の画像も拝してきた。
人物がなにかをしているシーンを描いたものは少なくない。
しかし岩絵そのものを描いているシーンや、岩絵作成に用いた道具を描いたとみられるものは、これも寡聞にして知らない。

絵画そのものでは作者自身の描き込みは、枚挙にいとまがなさそうだ。
ちょうど僕自身がまとめている富山妙子さんのスケッチ画の映像に、こんな想いをこめてみようかと今日、思いついたところ。

夕方から約四半世紀前に書いたエッセイの取り込み作業。
「和風インディー・ジョーンズを探して」という元のタイトル。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000258/20200622015380.cfm?j=1
これもウンチク、こぼれ話の書き足しだけで何本かいけそうなぐらいだ。
寸言で、日本の考古学会および諸々の「権威」を風刺したつもりだが、もちろん先方には、どこ吹く風、だろう。


6月23日(火)の記 招かれざる客
ブラジルにて


こりゃあ、長くなるぞ。

昼のテレビのニュースで。
サンパウロ州の24時間のコロナ感染死者が430人以上、これまでの最多となった由。
愕然。
ちなみにサンパウロ州の大きさは、日本の国土より一回り小さいぐらい。

サンパウロ市はさすがにピークを越えたかと思っていたが、予断は許さない。
今日は午後から運転のお勤めがある。
無事故を期すばかり。

道中のほぼスラム地区では…
マスク未着用で出歩いている人が少なくない。
信号待ちで物乞いがやってくるが、口を覆っていない。

サンパウロ州で外出制限令が出されて3か月。
人々のダレ、ゆるみも無理からぬところだが、アブナイ。

感染道路、じゃなくて幹線道路に並行する道にみえるグラフィティの大作が気になっていた。
道路がいくつも交差・並行していてややこしいところ。
どのようにこの迷路を行けるか、検討しておいた。
今日は思い切って行ってみる。
一方通行逆走でもしたら、アウト。

やれやれ、目的地到着か…
が、直前にタチンボのおねえさんが待機しているではないか。
マスク未着用。
この一帯は彼女以外にひと気もなく、クルマも途絶えている。

グラフィティ目当てというエクスキューズのむずかしい状況。
ムキミで声をかけられ、拒絶してマスクをはぎ取られ、唾でも吐きかけられたら…
最悪のシミュレーションをして、グラフィティ撮りは見合わせる。
この時間は日陰になっていたし。

帰路、グラフィティ砂漠の裏道の住宅街で擬態していたグラフィティを発見。
ルドンの画集と照らし合わせてみよう。
https://www.instagram.com/p/CByjR9HgE0D/


6月24日(水)の記 棄民
ブラジルにて


近年、どこか東京の古書店で買ったように記憶するが、それ以上は情けないことに思い出せない。
値段の書き込みや、店のシールのないところだったのだろう。

藤崎康夫さん著『棄民 《日朝のゆがめられた歴史のなかで》』サイマル出版会、西暦1972年。
僕にとって必読書だった。

冒頭の写真ページで圧倒されて、もう言葉が出ない。
今回のコロナ巣ごもり中にようやく本文を読み進めたが、あまりの重さに遅々としていた。
本日、思い切って日中、一気に読了。

「国家とは、かくも残酷非常なものなのかーこの本は、在韓日本人の休園と報道に献身してきた唯一人のジャーナリストが、国家政策の犠牲とされて深く傷ついた人びとの実情とこころを、足で調べレンズでとらえたリポートである。」
前提書の裏表紙から。


6月25日(木)の記 道行をこばむもの
ブラジルにて


現在、編集中の映像のからみで、十字架の道行の聖画を見ておきたい。
昨日はひと駅、歩いたところにある聖ユダ教会まで巡礼。
コロナ禍により、公開ミサは中止となって久しい。
ここの大聖堂はいまも閉じられているが、小聖堂は開けられた。

「十字架の道行」像とは、イエスの捕縛から埋葬までを14の場面で描いた聖画。
これまで、さして気にとめていなかったが、おそらくどのカトリック教会の聖堂にも飾られているはずだ。
祈りのための聖画だが、これはこれで絵としてもきちんと見ていくと面白い。
おや、ハチ巻きをしたあんちゃんも描かれている。
他のものにもあるのだろうか。

今日は買い物も組み込んで、別方向にある聖リタ教会にチャレンジ。
あちゃー、こちらは鉄柵を閉じている。
寄道はいいかげんにして編集に戻れ、ということか。

グラフィティの方の掘り出し物がいくつも目につく。
光線具合も考慮して再訪しよう。

国産ラム酒、料理用の白ワインなど買って帰宅。


6月26日(金)の記 ルルドの洞窟壁画
ブラジルにて


午後、所用で車を運転。
行きは早めに出て寄り道をしよう。

道中にあるルルドの聖母教会。
ウエブ上ではわからないが、これまで通りがかった時、正面の扉が開いていたと記憶する。

おう、今日も開いていた。
車を止めて詣でよう。
この教会は聖堂が地下になっている。
照明は落とされ、暗い。
事務室には人の気配がするが、聖堂には誰もいない。

この聖堂では、十字架の道行き図は向かって右の壁面高くに14枚、掲げられていた。
暗がりの画像を拝む。

ルルドの聖母教会というぐらいで、入り口左の地下にルルドの洞窟を模したジオラマがある。
ここは点灯されている。
洞窟のなかの聖母マリア、外から拝む少女ベルナデッタ。

ありゃ。
天井部は空色に着色され、鳥が描かれているではないか。
洞窟の外の背景にも植物が描かれている。
まさしく壁に描かれた壁画だ。
https://www.instagram.com/p/CB6QuPngsyL/

車を止めたついでにあたりを歩いてグラフィティを探そうかと思っていたが、イマイチ治安に不安があった。
教会内で壁画を拝めるとは。

昨年のメキシコはクエルナヴァカの、日本26聖人殉教図以来かも。
痛快。


6月27日(土)の記 60枚目のサンパウロ物語
ブラジルにて


僕の先生、故・橋本梧郎先生はライフワークだったセッチ・ケーダス地区の植物標本5000点近くを、それぞれいつどんなところでどんな状況で採集しているか記憶していると語ってくれた。

それには二ケタ及ばないが…
コロナ外出制限令下のサンパウロで4月下旬から始めた近所のグラフィティのスマホスナップ写真が今日で60枚に達した。
https://www.instagram.com/junchan117/?hl=ja

一日一点を原則として、コロナ啓発をうたったものだけフルとアップの2枚を掲載。
拙宅から一歩も出ずに見合わせた日もある。

今日は折りしもブラジルに戻って初めて傘が入り用な降雨となった。
気温も下がり、マスクを着用するとメガネが曇って危ない。

2月に日本でマスクが曇り、対策をネットで調べたが決定打は見当たらなかった。
3月の訪日時には気温も上がり、マスクが曇ることもなくなった。
サンパウロでは摂氏14度ぐらいまで冷え込むと、マスク着用時にメガネが曇るようだ。
息を止めると曇らないことがわかるが、そう長くは止めていられない。

買い物のついでか、グラフィティ撮影のついでの買い物か。
今日はわが家の近く、大通りに面した私立大学の校舎の壁に描かれた巨大壁画とするか。
ここは午前中に日が当たるので、日の当たる日を考えていたが。

今日は土曜だが、いずれにしろ大学校舎は閉じられている。
日本で「駅弁大学」という言葉があったが、最近は駅弁も高価で僕あたりにはなかなか手を出せなくなった。
これは「コンビニ大学」ぐらいのところか。

降雨とメガネの曇り、暴走自動車と自転車、強盗と物乞いに気を配りながら。
巨大グラフィティそのものは壮観ではあるが…
スポンサー依頼の「御用グラフィティ」は緊張感、躍動感に欠けるのは否めない。

さあて、この作業もいつまで続くかな。
これのおかげで退屈せずに、身近な世界が拡がり深まり、アートについての知見もたがやすことができたと思う。


6月28日(日)の記 貝毒の買得ないし解読
ブラジルにて


かつて親しくしていた動物学者から、そもそも大西洋は太平洋に比べて生物相が貧しいと教えてもらったことがある。
たしかに海藻や貝類を考えてみると、これがあてはまる。

家族から貝が食べたいという声が上がった。
日本に比べるとこちらでは手に、口に入る貝の種類が圧倒的に少ない。

もっとも一般的なのはムール貝だろう。
ついで、日系人がアサリと呼び、サンパウロあたりではボンゴレと呼ばれている二枚貝。
南部で養殖されるカキもあるが、お値段もよろしい。

今日の路上市の海産物屋では3種ともあった。
いわゆるアサリを買おう。
キロで10レアイス、約200円だが無難に半キロ購入。

時期、店によってはざっと見ても口の開いた死貝、割れた殻が累々というのもある。
今日のこの店のはほとんど固く口を閉じている。

帰宅後、まずは貝を洗うが、今日のはさほど汚れていない。
ひどいときは藻がこびりついて、何度ゴリゴリ洗っても水が緑に濁ってしまうのだが。
ボールに水を張って塩を入れて、厚紙でフタをする。
この貝の砂出しを観察するのが楽しみなのだ。

ちなみにブラジルアサリは日本のアサリより小粒でふっくらとして、殻そのものが厚い。
サントスあたりのマングローブ帯に生息するようで、塩水につけて吐き出すのは砂ではなく、軟泥だ。

活きのいい時は塩水につけてまもなく、口を開けて水を吹き、軟泥を吐き出してくる。
今日は待つことしばし、黙秘が続く。
これは初めてではないか。

ネットで検索してみると、日本のアサリだが冷凍ものだとこうしたことになるらしい。
アサリを殻ごと冷凍するのか。
恥ずかしながら、そんなことが行われるとは知らなかった。
魚屋でイワシを買うときは冷凍ものかどうか確認することがしばしばだが、アサリもその必要があったか。

検索によると、殻は閉じていても貝毒を持ち、煮沸して口が開いて全体におよぶことがあるといった恐ろしい記載も。
いずれにしろ冷凍もののアサリはすぐに煮沸調理すべしとのこと。
さっそく煮る。

以前、グルメで学究肌の先輩移民からブラジルアサリについてウンチクを教えてもらったことがある。
ブラジルアサリは、苦みがあるのだ。
先輩移民がこれを親しい在ブラジルのスシマンに尋ねてみると、ブラジルアサリは煮て沸騰させなければ苦くならない由。

今日はそもそも食べられるかどうかが心配で、そこまで余裕が回らず。
ブラジルの新聞記事で、南部のカキ養殖地帯で貝毒を防ぐための対策の記事を読んだことがある。
さすがにサンパウロの街なかの毎度おなじみの海産物店でリスクの高いものが売られるとは思えないが…

おやおや待つことしばし、湯は白濁して一斉に開き始めた。
ブラジル産の味噌を溶かし、おそるおそる試食。
うむ、苦味もさほど気にならない。

夕餉に家族でいただく。
殻の山。

想えばブラジルの大西洋岸には、巨大な貝塚が点在する。
以前、踏査をこころみたことがある。
アクセスが悪く、連れ合いが身重の頃で途中で断念したのを想い出した。

このあたりの先住民は、食人の習慣もあったようだ。
貝の味噌汁はダシいらずだが、ヒトはどうだろう。


6月29日(月)の記 冬の断食
ブラジルにて


月曜恒例の一日断食をせむ。
二日ぐらい続けてみようかとも思うが、今週はイレギュラーな外泊が入るかもしれず、とりあえず一日にしておくか。

午後から運転の予定で、落ち着かない。
意外と道路は混雑しておらず、ヤレヤレ。
道中、グラフィティ採集を考えていたが、候補地はいずれも状況が悪く見合わせ。

帰路、わが家近くのグラフィティ集中地区で思わぬ佳作を発見。
https://www.instagram.com/p/CCB0XjxgYpn/
車で抜けられると思っていたが袋小路で、ちと往生。
ヤバそうな人たちがそこかしこに。

帰宅後は座椅子と毛布で読書。
これまで頻繁な訪日で、読みかけたまま訪日で中断、そのままになっていた本があまたある。
なんだか病人っぽい。

家族の食事の支度をしないで済むと、手持ち無沙汰なほどラクである。


6月30日(火)の記 小さき花の巡礼
ブラジルにて


リジューの聖テレーズ、幼きイエスの聖テレジア、小さき花のテレジア…
日本ではいろいろな名前で呼ばれるフランスの修道女で聖人。
日本でも慕う人が少なくない。
マザーテレサの名は日本でも知る人がかなりだろうが、彼女のテレサの名はこの聖人にちなんでいる。

さあ今日は買い物の名分もある。
ふたつの教会の十字架の道行の画をあらたに拝し、本業編集への参考はよしとするつもりだった。
今日、編集をすすめているうちに、もう一カ所ぐらい見ておきたくなった。

週も変わったし、先週は閉まっていた聖リタ教会を再訪するか。
もう一カ所、歩いていけないことはない教会に行ってみるか。

後者を選んだ。
教会名を失念したが、ここの名が「幼きイエスの聖テレジア教会」だったのだ。
ありゃ、鉄柵が閉じている。
このあたりはかなりの勾配があるが、入り口にのぼる階段の外壁にグラフィティが描かれているではないか。
https://www.instagram.com/p/CCEgG8hgkiF/
素朴だが、力強い。
ベールをかぶったシスターの絵とみられるが、おそらく聖テレジアだろう。
これは収穫。

ちなみに、片道3000歩かかった。
勾配もあり、いい運動だ。
帰路、思索。

宗教画と宗教をモチーフとするグラフィティについて。
イスラームなら偶像が描かれることはなさそうだ。
キリスト教では、身近でもいろいろ見てきた。

仏教と神道はどうだろう?
仏教でも歴史的な岩壁画は各地で知られている。
グラフィティではどうか。
日本では…
卍だかハーケンクロイツだかわからないような落書きは暴走族ブーム時代からあったかと記憶する。
日本はともかく、東アジア、東南アジア、南アジアならどうだろう?

ロックアートの起源はおそらく祈りにあっただろう。
祈り、描き、刻む。
さあ、僕は映像を刻んで編まねば。


前のページへ / 上へ / 次のページへ

岡村淳 :  
E-mail: Click here
© Copyright 2020 岡村淳. All rights reserved.