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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2021年の日記  (最終更新日 : 2022/01/02)
4月の日記 総集編 レンズを食む

4月の日記 総集編 レンズを食む (2021/04/01) 4月1日(木)の記 清張の聖木曜日
ブラジルにて


清張の文庫本を推理する。
サンパウロの連れ合いの実家の物置きに、日本の書店のカバーのかかった文庫本が何冊かあった。
手に取ったものは静岡に本店のある書店のものだった。
しきりに訪日していた亡義父が旅先で買ったものか。
だが、あの義父が清張を買うとは考えにくい。
この家は日本からの訪問者、滞在者もしょっちゅうだったので、誰か静岡の人が旅の共に持参して置いていったものかもしれない。

僕はすでに自分の蔵書の処分を考えるべき分際で、そもそもあまり食指の動かないものばかり。
その中に一冊、松本清張があった。
文春文庫『証明』。
50ページ前後の4編を収録している。
そのなかの「密宗律仙教」というのが目に留まり、気になってこの本をわが家に持参することにした。
のこりは近々、処分されることになる。

想えば日本の高校時代に清張を読み耽った。
ダジャレっぽいが、わが成長期は清張とともにあった。
当時、文庫化されていたものはひと通り入手して読んだ。
大学に入り、考古学徒のフィールドと旅の生活が始まり、「清張期」を終えた。

表題作の「証明」からして引き込まれていった。
妻はフリーの雑誌のライター。
夫はプロの小説家を志望して会社勤めをやめたが、いま一つ芽が出ず、悶々とした日々を送っている。
妻はそんな夫に気遣い、おびえながら二人の生活を支えるためのライター業を続けている。
…身につまされる設定である。
この状況と日常だけでも十分に小説として面白いのだが、そこは清張ワールド、「しっかりと」「ご期待の」血なまぐさい犯罪が発生する。

4編いずれも面白かったが、調べてみると「密宗律仙教」をのぞいていずれもテレビドラマ化されていて、すでに2回ドラマ化されたものもある。
メディアも、見る方もお好きである。

「密宗律仙教」は他の清張ものとはかなり毛色が変わり、書き込みも細かく、僕はノンフィクションかと思い込んでいた。
文春文庫の難点は解説がないことで、ネットで調べるとこの話は実話を参考にしたフィクションの由。
また小説家にしてやられた。
清張は初期に実在の考古学者を主人公にした、いわばノンフィクションのベルをいくつか書いているのでその路線かと思い込んでしまった。
この一編は知人の真言僧にすすめてみよう。

パンデミック中に読んであげつらった清張の『神々の乱心』(上)もいわば日本の新興宗教ものだが、これは清張の未完の絶筆だったと今回、知った。
とにかく週刊誌の連載で発表し続けて、あとで加筆修正しようと考えていた由。
なるほど、それなら第2次大戦前の「こんにゃくサラダ」等々の記載もわからないでもない。

かつての清張本は日本の実家の建て直し時にひと通り処分してしまった。
いまこちらに清張の本がまだまだあれば、しばらくその世界から出てこれなくなっていただろう。


4月2日(金)の記 ブラジルのおじさん
ブラジルにて


キリストの受難の休日。

午後より、連れ合いの実家へ。
西暦2009年にパラナ州マリンガで、この実家の一族が総集合とする初めての集いがあった。
その会合の模様を撮影してまとめる機会もなかったのだが、この度、思い切ってまとめてみた。

それを義母に見てもらう。
一族のブラジルのパイオニアの家長は、続木栄吉という。
僕の連れ合いの父のオジにあたる人だ。
この名前と字で検索すると、一件だけヒットする。
在ブラジルのジャーナリスト、外山脩さんの邦字紙での連載『第2次大戦と日本移民』の一章だ。

「同じ4月30日、奥ソロカバナ線プレジデンテ・プルデンテで、郊外の植民地に住む続木栄吉が、朝、町へ行く途中、銃撃され負傷した。
 続木は、認識派ではあったが、同市に於けるその中心人物というわけではなかった。ただ終戦時、東京ラジオを聴いており、日本は負けたと人に話していた。
 襲撃者は5人で、覆面をしていた。弾は続木の左胸に当たったが、内ポケットに厚手の手帳か何かを入れていたため、心臓に届かず助かった。」
(ニッケイ新聞 2013年8月16日)

このエピソードはブラジルで発行された『臣道聯盟』という本にも書かれているが、この本では「続 エイキチ」となっている。
すでに著者は故人だが、生前に名前の表記が違うことを伝えたものの、なんのリアクションもなかった。

2009年の一族の集いの記録を今回の編集作業のために見直して、思わぬことに気づいた。
続木栄吉一家は西暦1930年に、らぷらた丸でブラジルに渡った。
1930年の、らぷらた丸。
あの『蒼茫』で第一回芥川賞を受賞することになる石川達三も1930年のらぷらた丸だったはずだ。

調べる。
石川達三乗船のらぷらた丸は、1930年3月神戸発。
続木栄吉一家は、7月神戸発だった。
石川達三らを乗せて日本から南米に向かい、日本に戻ってすぐにふたたび南米に向かうらぷらた丸に一家は乗船したのだ。

ブラジル生まれのポルトガル語文化圏に生きる一族郎党には、こんな発見の面白さを共有してもらうのはむずかしいだろうな。


4月3日(土)の記 路傍のオフィーリア
ブラジルにて


なかなか話の腰を折りづらく、お暇するのが夕方になってしまった。
さあ今日のグラフィティをどうするか。

昨日も撮ったこの絵巻物シリーズなら、いくつかのリスクはあるもののたやすい。
https://www.instagram.com/p/CNLou0hH9Tj/

が、ここで安易に走ると、自分のなにかがたるんでしまいそう。
車に荷物を置いて、少し歩く。
このあたりはスラムも散在するが、目視の範囲にいるのはジョギング系、犬の散歩系。
車でのUターン地点の先にかいま見えていたグラフィティが気になっていた。
ふむ。
見えないカーブの先から突っ込んでくる車に気を付けないと。

https://www.instagram.com/p/CNOBWQ7HGl-/
ヘタウマな感じの絵、といったところか。
どこか魅かれるものがある。
女性像だろう。
斬新な顔面と乳房。
脱力系のハート。
両足はブーツ着用か。
片足に付着するのは作者のサインか、ローラースケートか。

インスタグラムに「眠れる道の美女」とキャプションを加えてアップする。
こんなコメントをいただいた。
「オフィーリアっぽい」。
なるほど!

オフィーリアのことばを踏まえると、この絵の見え方がまるで違って広がってくる。
あの絵の作者は…
ジョン・エヴァレット・ミレー。
『ハミレット』を文字で読むだけではイメージしづらいシーンを見事に視覚化してくれた。

グラフィティは時空を舞う。


4月4日(日)の記 タラの名前
ブラジルにて


今日は、イースター:復活祭の祭日。
四旬節もおしまい。
週末なので、コロナ禍の数字も控えめだが、一週間前に比べれば上がっている。

復活祭ではバカリャウと呼ばれるノルウエー産の塩漬けの干しダラ料理がよく供される。
この干しダラ、なかなか値が張る。

冷凍食品店でバカリャウの代用に、と景品付きで Polaca do Alaska という魚が売られていた。
景品につられて買ってみたが―

ポラッカというのはポルトガル語でポーランド女性のことを指すのと同じ言葉。
冷凍ポラッカ入りの箱には英語や学名の表記がない。
僕はてっきりオヒョウのことかと勘違いしていた。

アラスカ方面でふんだんに獲れる魚のようだが、正体を確認するのに手間取った。
スケトウダラか。
英名は、Alaska pollock。

そもそも恥ずかしながらスケトウダラとマダラの違いなど、考えたこともなかった。
スケトウの方が小型で、傷みが早い由。
そのため日本では練り物などの原料にされることが多いという。
日本のタラコは主にスケトウダラの卵巣とのこと。

いろいろレシピを見てみる。
塩コショウ、小麦粉をまぶしてバターとオリーブ油の混淆で焼いてみることにした。
買った冷凍ものは小型のものを固めて四角切りにしている。
けっこう水っぽく、身もほぐれがちだ。
小麦粉の部分がゲル状になってしまった。
キッチンペーパーをケチらずにもっと水分を切っておくべきだった…

後悔かつ反省だが、好評裡になくなってしまった。

映画監督のシドニー・ポラックを想い出す。
調べてみると、ウクライナからアメリカに移住したユダヤ人の家庭の生まれ。
『追憶』。
『ひとりぼっちの青春』。
「この一本」は『大いなる勇者』だな。


4月5日(月)の記 ひと口カツの思い出
ブラジルにて


今日は一日断食を明日に振り返る。

家庭のことが主だったな。
午前中に食材の買い出し。
午後イチで車を出して、約3時間。
帰宅後キッチンに立つこと約3時間。

冷凍食材店で豚フィレ肉を購入、朝から解凍。
夕食のメインは、ヒレカツ。

豚フィレはなかなか大判には切れず。
ひと口カツといったところか。

ひと口カツ。
これは小学校の給食の献立で知った。
思い返せば子供の頃の僕は相当の偏食だった。
肉がキライ、野菜もキライなものばかり。
よくそれでも生きてきたものだ。

なので、家庭でもコロッケやハムカツは食べてもカツそのものは食べなかった。
して、給食のひと口カツ。
しかたがないのでかじりついてみたが…
硬すぎて咀嚼できないのだ。
かたまりのまま嚥下するか、吐き出すしかない。

いったい豚のどのような部位の肉だったのだろうか。

わが家の豚ヒレカツは柔らかいと好評。

日本発信のSNSで給食サウダージを時折り見かける。
僕にはあまりいい思い出はないな。


4月6日(火)の記 エンジン始動まで
ブラジルにて


あまり乗らない、そしてどう書いたらいいか迷い続けている、僕にとっては膨大な字数の原稿という宿題がある。
年末に依頼があり、新年に少し書き出してみた。

先方の依頼・指示に疑問があり、去年の段階で質問を送っておいた。
「調べて連絡します」とのことで、そのまま年が変わり数か月が経ち…
これへの返答がないまま「指示」の連絡があり、キレかけていた。

かといって書かないわけにも。
どんどん状況は変わり、ブラジルはカンケーないが日本は新年度も始まった。
書くべき環境を整えるべく…

ウエブ日記で滞っていた更新や、写真類の整理を少し手掛けることに。
こっちの身内系の映像の作業も…

今日は一日断食で、食事の支度はパスさせてもらう。
が、諸々の作業のうちに夜になってしまった。
さあ、どうしよう。

夜のニュースでブラジルで新たに一日で4200人以上がコロナで亡くなったと知る。
いまや世界中のコロナ死者の4人に1人以上がブラジル人になるという。

がっくり。


4月7日(水)の記 インゲン革命
ブラジルにて


ジャガイモ、サツマイモ、トウモロコシ、トマト、ナス、カボチャ、トウガラシ…
中南米(新熱帯区)原産の栽培植物は書き出すのが楽しい。
あまりありがたくないのに、タバコがあるけど。

これはついつい見逃しがちなのが、フェイジョンと呼ばれる豆である。
これの塩茹で汁はブラジルの日常的な国民食であり、黒い品種を用いたフェイジョアーダはブラジルを代表するごちそうだ。
この豆は品種が実に豊富。

日本には17世紀に明の禅僧・隠元が伝えたとされる。
その名もインゲンマメ。
祖国でのその後の変異ぶりは驚くばかり。
金時豆、うずら豆、手忙、等々…

ブラジルのフェイジョン豆は、日本食にはあまり合わない。
ひと晩、水に戻して何時間も煮るのが面倒なこともあり、わが家では常食はしない。
だが時折りフェイジョン豆の壮大な文化史、そして味わいを反芻したくなる。

オルガニック市で買ったミナス変異株のフェイジョンを煮ることにする。
買った袋には少なからぬゴミ類が看取でき、ヒンシュク。

が、ブラジル日系社会の古典、佐藤初江女史の『実用的なブラジル式 料理と製菓の友』(1934年初版!)を紐解くと…
「フェジョンの部」に「フェジョンの中に混っている石やまざり物をていねいにとり捨て、何度も水洗いして」とある。
初期移民の暮らしを偲ぶにはフェイジョンのゴミ取りも一興か。

フェイジョンの料理の技法は様々だが…
おかちゃんは、ローリエ、塩、ニンニク、玉ネギ、コショウ、パセリのみの味付け。
ザッツヴェジタリアン。
出汁系、動物系、うまみ系が加わっていないのだが、この煮汁が絶妙に美味なのだ。

煮ながらちびちびぐびぐびすすっていると、少なからぬ塩分か。
折しもツイッターで、塩化ナトリウムそのものは体に悪いが、自然塩はどしどし採るべし、といったのが流れてくる。
にしても、ほどほどに。

夕食は残りもののゴハンがたまっていたのでカレーチャーハンにする。
塩茹でのフェイジョン汁、カレーチャーハンに沿えても十分よろし。


4月8日(木)の記 つかれてはやね
ブラジルにて


銀行での払いものと、ちょっとややこしい用件がある。
オンラインでできないの?といわれそう。
今朝も「いちおう」銀行にネットでアクセスしてみるが…
肝心な用件になると「一時的な不都合のため、あとでまたお試しください」の表示。
これの繰り返しだ。

銀行でしかるべき人と話すとなると、そういい加減な格好では行けない。
そこそこのいで立ちにマスクで、いざ。

ありゃ。
肝心な取引銀行の支店が閉じている。
ここはパンデミック以降、開いたり閉まったり。
「最寄りの他の支店へ」とのことで…
最寄りの支店は年寄りたちがあちこちに列を作り、混沌。
どこが最後尾なのかも人によって言うことが違う。

ATMは3台あるが、1台は故障。
もう1台は操作お手上げ状態の人が、延々とふさいでいる。
列は動かず、人は増えるばかり…

隣駅の先の支店まで歩いて、なんとか払いものの用は済ませる。
ブラジルのコロナ禍最悪状況によりサンパウロ州ではさらに厳しい営業規制令が出されて休日の前倒も行なわれた。
現にこうして銀行がまともに機能していないのだが、払いものの期限は当初通りに据え置きなのだ。

やれやれと帰宅、するとこちらの親類関係の手続きのため、すみやかに登記所に行かなければならなくなった。
明日の午前中は用事が入ってしまっている。
番号札をもらって順番待ち、ようやく番が来ると先日はできた手続きができないという。
もうそれからはちんぷんかんぷん。
慣れない分野の言葉をマスク越しに早口でモソモソとまくしたてられても…
つい、こっちがマスクを外して聞き返す。
上の階に行ってくださいと言われていったん上がってみるが、上は上でいろいろなセクションがあってそれぞれが順番待ち、どこでどうしていいかわからない。
もういったん下に降りて、先ほどの窓口の職員がふたたび対応できるのを待ち…
言われた上の窓口に行くと、整理番号で呼ばれるのを待てと言われて…
途方に暮れる。

日本に暮らす外国人の苦労をしのぶ。
帰宅後、夕食の支度。
断食後の断酒期間。

銀行のもう一つの用件は試みにオンラインでメッセージを送ってみるが、チェックされるのかどうかも不明なまま。
なんだか疲れて、早めに休む。
家人から別の用件を言われるが、明日にしてもらう。


4月9日(金)の記 アマゾン遠足
ブラジルにて


今日は、遠足。
アマゾン川の合流点へ。
オンラインだけど。

今週初めに、かつて書いた大アマゾンについてのライトエッセイを拙ウエブ日記内に加筆してアップした。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000259/20210405015971.cfm?j=1
これの内容の確認のため、日本人経営の大アマゾン旅行代理店の老舗・ATSツール代表の島さんに久しぶりに連絡を取った。

それが契機で、この9日にアマゾンのオンラインツアーを実施するのでよかったら、と声をかけてもらった次第。
話のタネに、と参加してみることにした。
Zoom使用だが、できるだけこちらのカメラもオンで、というご要望。
急きょ、わが家のオンライン用スタジオ空間をセッティング。
ツアーを仕切る島さんが、参加者のリアクションを見れた方がノリがよくなる、とのこと。
同感。

今日のコースは、アマゾンの水上家屋の村を回ってからアマゾン本流のソリモンエス川とネグロ川の合流地点まで。
マナウスを起点としたアマゾン観光の定番コースだが、今日の旅行を仕切った島代表をして驚かせる、うれしいハプニングに遭遇。

島さんはすでにアマゾン生活数十年。
僕は日本のテレビ屋時代以来、大アマゾンの普通には立ち入れないところの取材を繰り返してきた。
そんな「われわれ」をあっと驚かせることが「日常的に」あるのが大アマゾンの魅力のひとつ。
大アマゾンの奥深さと魅力は、はかりしれない。

ほう、水上家屋の村のランハウス。
そもそもこういうところからZoomで発信できるとは。
ボートの船頭の家がこの村にあり、お邪魔させてもらう。
意外に広い、キレイ、快適そう…

テレビでアニメを見ていた船頭の息子が、「裏庭」の泥水に飛び込んで遊泳をサービス。
今は雨季の時期で、「コーヒー牛乳」(なつかしい)色のソリモンエス川の水があたり一面を浸水している。

そして船は世界の奇観、大アマゾンの合流点へ。
日本からの参加者の画面から、小学生ぐらいの子供たちが身を乗り出してみているのがわかる。
かつて日本のお茶の間に「大アマゾン」ものを発信していた身として、感無量。
今のコロナ禍でいちばん被害を被っているのは、子供たちだろう。

こうした子供たちに、身を乗り出させるようなもの・ことを送るたいせつさ。

一時間半ほどのオンラインツアーから名残惜しく退出。
おや、なんだか身心が爽快ではないか。
かつて僕は311を日本で体験して、へろへろになった身心を大アマゾンのナマ観光でいやしてもらった体験がある。
大アマゾンのヒーリング効果にあらためてびっくり。

今回の大アマゾンオンラインツアーを企画実施したATSツールの島さんによると、コスト的な採算は厳しいが、自分でも楽しいしこの時期に継続する意義を感じているという。

日本の小学校など、学校関係にすすめてみたいものだ。
なにか、風穴を開けられそうな気がしている。
僕のブラジル移住も、日本人の大アマゾン嗜好・志向があった故である。
ささやかでも恩返しをしたいと新たに願う。

追記:ATSツールの大アマゾンオンラインツアーの詳細は、以下のリンクをご参照ください。
https://atstur.com/jp/onlinetour/


4月10日(土)の記 裏とアマゾン
ブラジルにて


気の乗らない長~い原稿の作業に入ろうと思いつつ…
その前提となる資料の確認、チェックをしているうちに週末になり。

…ここのところ、本の再読をするようになった。
これまでは、膨大な未読本の圧力を感じて…
一度読んだ本の再読はタブー、とまではいかないが敬遠しがちだった。
どうも、これはあずましくない。

最近では酒井順子さんの『裏が、幸せ。』(小学館文庫)。
僕にとってはバイブルのような好著。
初読から再読までのインターヴァルはかなり短い。
鳥取の本屋さんで買ったと記憶する。
これのレビューはフェイスブックの「中国地方岡村淳上映ネットワーク」に書こう。

読みかけの何冊もの初読の本をおろそかにして…
細井静男ドクターの『アマゾン先生 世界の無医村で32年』の再読にかかっている。
この本はかつて、アマゾンの戦後移民の方のお宅で見つけて読み耽った。
何年か前、西荻窪のブラジリアンカフェバー、APARECIDAさんの古本コーナーで再会。
即買いの手ごろな値段だった。
なんと、実現した方の東京オリンピックの前年発行の初版本だ。
当時はベストセラーとなったようで、この本は今日でもネット等でそう苦労はせずに入手できるようだ。

それにしても、内容は玉石混交…
今晩、いっきに読了しようと思う。
が、実に余韻の深い章にはまってしまった。
「辰三の十二指腸病」。
実際に医師として長く僻地医療に献身しないと知り得ず、書き得ない日本人移民の裏面史だ。
ずばり松井太郎さんの世界を、医師の目からとらえている。

余韻があまりに強く、今日はここまでとする。


4月11日(日)の記 ノーヒットの勝ち組本
ブラジルにて


混沌としたわが家の蔵書の迷宮。
すでに制御の限界を超えている。
おそるおそる表層をめくると、思わぬ本が出てくる。

『南米の曠野に叫ぶ 昭和天皇を守れ―敗戦時、異国における死闘史』
高畠翠畝著、非売品、西暦1993年初版発行。
非売品とあるが、頒価2000円と書かれている。

いつどこで入手したか記憶にないのだが、大阪の珈琲舎書肆アラビクさんのラベルが貼られている。
中表紙に「贈呈」の印あり。

アラビクさんは大阪中崎の木造歴史家屋群にあるおしゃれなカフェで、近年は東アジア諸国の若い女性たちの人気スポットになっている。
森内店長とは開店以前からのお付き合い。

この本の入手先がアラビクさんとは、まことに意外。
筆者は栃木県の出身で、第2次大戦前に日本で買収工作までしてブラジルに移住。
サンパウロ州の地方の町で、第2次大戦は日本が勝ったと信じる「臣道聯盟」の支部に属して「活躍」したという。
自分の子孫のための「プレゼンテ」のつもりで偽りなく書いた由。
冒頭、自分の家柄の自慢が続き、いやはや。

「終戦後」にサンパウロの町に乗り込み、ブラジル当局と渡りあって留置されたことが書かれているが、自身は勝ち組によるテロ事件には参加していないようだ。
勝ち組関係の文献はある程度、読んできたつもりだが、他では覚えのないような事件がいくつか書かれている。

筆者の「昭和天皇を守」る「死闘」というのは1950年のビラカロン日本人会不敬事件をさすようだ。
この事件も僕は知らなかった。
「終戦後」5年を経た年にサンパウロ市のビラカロン地区の日本人会は「天長節」の行事を行なった。
この際、天長節の当日ではなく翌日に行なったこと、「御真影」の扱いが不敬であるとして筆者は日本人会長に抗議をして殴り合いになるという事件である。

この本では理由が書かれていないが、著者は西暦1956年に日本へ引き上げている。
のちに「栃木県肖像美術協会」を設立したそうで、本の刊行時の住所は栃木の特養ホームとなっている。
さて。
この本について検索してみると、なにもヒットしないのだ。
そもそもズバリ『南米の曠野に叫ぶ』というタイトルの1995年製作で、日本人スタッフがブラジルの勝ち組事件を扱った映画があるのでまぎらわしい。
筆者のこの名前でも本名でもヒットは、なし。
栃木県のこの協会の名前でもヒットはない。

この本の解説の稿に「昭和天皇崇敬会」の一員だという高松三郎という人の言葉が掲げられている。
この会の会長に海部俊樹前内閣総理大臣が選任されたとある。
この高松氏の肩書らしきものが書かれている部分が、なぜか白の修正液で塗りつぶされている。
高畠氏は日本に戻ってからも財力があったか築くかをして、絵画活動や昭和天皇崇敬会の活動をしていたのだろう。

第2次大戦後、ブラジルに日本の政治家が訪問して日本が戦争に勝ったか負けたかはあいまいにして資金をかせいでいったというエピソードが高木俊朗さんの『狂信』で紹介されているのを想い出す。

高畠氏の本ではブラジル人は「毛唐」と書かれている。
移住先の国の人と文化に敬意も理解も欠く態度。
面識もない人を「風評」から「国賊」と決めつけて、対話を拒否して問答無用で殺害して「よし」とする精神構造。

ブラジル日本人移民史の負の遺産を重く受け止めたい。
今の祖国に蔓延する事態とも無縁ではないようだ。

それにしても、この本と著者のことがインターネットでノーヒットとは面妖である。
僕がこうしてささやかでも書いておけば、いずれ誰かの目に留まるかもしれない。


4月12日(月)の記 百歩蛇五匹
ブラジルにて


一日断食。
午後に車の運転。
夕方より知人の送ってくれた動画の視聴。

エンジンのかからなかった長編原稿、ようやく執筆再開。
3か月余りのブランク。

日本での学生時代、台湾に目が向き始めた頃に百歩蛇(ひゃっぽだ)というヘビの名前を知った。
猛毒蛇で、嚙まれたら百歩歩くうちに死に至るというのが名前の由来。
台湾南部の先住民がツチノコのようなこの蛇を好んでアートのモチーフにしている。

今日のクルマの走行距離は、40キロ弱。
ウオーキングの方は…とスマホのアプリを見る。
なんと500歩ちょっとのみ。

ブラジルでの新たなコロナのひどいブレイクは今も続き、外出意欲も委縮した。
そして、治安の悪化。
今日も団地住民のオンライン回覧板で、付近で強盗事件続発中という警報が流れてきた。
サンパウロ総領事館からも、市内在住の邦人が日中の犬の散歩で遭難したとメールで伝えてきた。
わが日課のグラフィティ撮りの方はクルマでの出先で「歩留まり」でいこう、とした。

500歩の歩行数で百歩蛇のことを想い出したが、われながらあまり意味の見いだせない併記である。

コロナ禍の
 あまりのひどきに
      百歩歩まず


4月13日(火)の記 北の国からその女、ジルバ
ブラジルにて


かつては、シネフィル。
テレビ屋となって、ブラジル移住後に記録映像作家を名乗るようになり…

とはいえ、本業の作業以外にあまり動画を好んでみることもなくなった気がする。
テレビドラマなどは、なおさらのこと。

昨年、日本の知人が『その女、ジルバ』というマンガに拙著『忘れられない日本人移民』が参考文献として挙げられているとメールで教えてくれた。
ブラジルゆかりの女性が日本で営むバーの話だという。

その本を目にする機会がないまま、このマンガを原作としたテレビドラマが今年初めから放送されるというニュースが入った。
放送が始まり、オンラインで見られるというリンクを教えてもらったが、日本国内のみ視聴可能のものだった。

と、先日こちらの知人がこのドラマを録画したファイルを送ってくれた。
1時間ドラマ全10話か。
すぐに開けることもなかったが、ダウンロード期限が迫ってきた。

昨日、思い切ってひらけゴマ。
うむ、面白い。
どんどん引き込まれて、ブラジルがらみのことも気になって本日、全話視聴終了。

脚本、役者、演出、いずれもよかった。
監修として日本とブラジルを結ぶそうそうたる組織の名前が毎回、複数挙げられていたが…
ドラマで語られるブラジル移民史は基本的な間違いがあるようだ。
制作スタッフにも権威ある機関にもどうでもいいことなのだろうか。

ますます原作が気になってしまう。

そうそう、自分が連続テレビドラマを見耽るのはいつ以来か、と振り返って…
『北の国から』以来かと。


4月14日(水)の記 まにあった
ブラジルにて


午前中はややこしく頭のいたい件での外出を重ねる。
いやはや。

昨日までの久しぶりの動画鑑賞の余韻を引きずり…
日本の知人がリンクを送ってくれていたドキュメンタリー映画のことを想い出す。
視聴可能の期限があったはずだ。

そもそもこのリンク、先方のフェイスブックにあると思っていたが、見当たらない。
あきらめかけていたところ、彼からのメッセンジャーの方だったことに気づいた。
もう期限アウトか…

お、まだオッケーだった!
夕食作成等を挟んで、深夜まで2作品を視聴。
多くの人と共有したい意義深い作品。
だが事情により、詳細を明かせないのが残念。

この作品の旧知の監督が書いた、このシリーズにまつわる本をブラジルに持参していた。
シリーズ全作を網羅していないが、読み始めてみよう。


4月15日(木)の記 レンズを食む
ブラジルにて


岩波写真文庫『レンズ』は復刻に値する好著だ。
初版発行は西暦1950年。
西暦2008年の復刻版を恵比寿の東京都写真美術館の売店で見つけて買った。

「光は宇宙からくる手紙である。」
冒頭からしびれるではないか。
詩情があり、文学がある。
レンズの原理の物理的な記載にはこちらのオツムが付いていけなくなりそうで、情けなし。

さてこの古典にも、なぜレンズと言うのか、その語源は?といった記載は見当たらない。
今日は、ブラジルでレンズを煮て食べた。

レンズは、日本の先人たちが漢字にしえなかったオランダ語起源の言葉。
その名は西アジア原産のレンズ豆の形状に由来する。
レンズ豆は旧約聖書の創世記にも登場し、栽培植物とされた豆のなかで最古の部類のものとされる。
僕自身、レンズ豆の存在はブラジル移住後に知った。
日本ではいまだになじみがない食材だろう。
岩波写真文庫で言及されないのも、むべなるかな。

食材のヴァリエーションを増やしたい。
近くの自然食材店で乾燥レンズ豆を買う。
圧力鍋を用いない大豆などは何時間も煮なければならないが…
レンズ豆は煮ものにはそのまま、サラダなどには15分も煮ればオッケーの由。

いまやレンズ豆のレシピは日本語でもネット上にいっぱいある。
…サラダにするか。
径はコンタクトレンズより一回りぐらい小さい豆を煮る。

味は、乾燥もののグリンピースに近い。
手軽でさっぱり、ヘルシーでよろしいな。

ド近眼の僕には必須のメガネ、そして撮影稼業のカメラのレンズ。
一粒一粒をかみしめ味わうのはちと難儀だが、レンズとひかりに想いをはせよう。


4月16日(金)の記 夜明けは来るか
ブラジルにて


コロナ禍に加えて…
ブラジルの手続きのことで、とんでもないけもの道に落とし込まれていた可能性が発覚した。
自分ではどうしようもなく、そもそも訳がわからない…

こちらに落ち度があるとすれば、こっちの人を信用した、ということか。
とにかく身内の担当の指示に従って粛々と、これまたよくわからない手続きをすすめていた。

あとは、祈ることぐらいしかできそうもない。

今日の昼前に、どうやら大きな問題がないらしいことがわかった。
が、さっそく予断は禁物と横槍が入る。

…とりあえず祝杯はセルフにとどめておく。


4月17日(土)の記 チョコおじさんの励まし
ブラジルにて


高止まりのコロナ蔓延、デリヴァリーを装ったバイクやチャリ使用の頻繁な強盗、路上生活者の連れイヌによる噛みつき被害の続出…

外出モードを萎えさせる要素は多い。
買いもの、そして細々と続けているグラフィティ採集も近場でお茶を濁している。

…近くで開店準備中の古本屋の方面に歩いてみる。
お。
この先には手づくりのチョコレートを路上で週末だけ売るおじさんがいる。
土曜は午後からと聞いていたが、昼前からスタンドが見える。
行ってみると、商品は並べてあるが無人。
近くのペットの美容院に行っている、とのメッセージが置いてある。
泥棒都市サンパウロで、いい根性である。

おや。
すぐ横の植え込みの立ち木に、手書きのメッセージがいくつかくくり付けてある。
「落ち着いて!」
「希望を失くさないで」
「これらすべては過ぎ去っていく」
等々。
コロナ禍へのメッセージのようだ。

おじさんのスタンドの張り紙と同じ筆跡と見た。
これはぜひおじさんに確認したい。

近くの日本食材店まで行ってから戻ると、おじさんがいた。
「トリュフチョコのおじさん」ことロベルトさん、チョコ売り25年。
コロナ前までは名の知れた学校の近くに店を出していた。
試験時期、母の日の時期など、時候にあわせたオリジナルのメッセージをこうして発信してきたという。

グラフィティのスナップ撮りを始めて、一年になる。
いろいろ考えてきたが、こうしたメッセージこそ、あるべき姿だと思う。
https://www.instagram.com/p/CNxXFs3njSx/

見る人を、励ます。
アート、そして表現の本質はこれだと気づかせてもらった。

学校の試験時期のメッセージも見てみたかったものだ。


4月18日(日)の記 ミソとドレミ
ブラジルにて


ごく最近、なにかで読んだのだが…
ドレミの期限はアフリカ、とあったかと。
いま、検索してみると、ドレミの名称はグレゴリオ聖歌から来たようだ。
するとアフリカ起源というのは…音階のことかな?

ミソについて書こうと思ってタイトルを考え考え、ドレミにたどり着いた次第。
「くそミソ」の話だと、とことんそっちに行きそうで。
味噌に戻そう。

昨日、家人の知り合いが手作り味噌を届けてくれた。
1キロ以上、たっぷりある。
開けてみると、ジューシーな出来栄え。

昨晩はキュウリに添えてみるなどした。

今日はカツオを買ったので、この味噌にみりんやショウガを足してカツオの刺身をいただいてみる。
よろしいお味。

そうそう、昨晩は生ダラのパエリャ風の味付けに用いてみた。
味噌とオリーブオイル、味噌と白ワイン。
検索してみると、いずれも悪くはない相性のようだ。
味噌とブラジルというのもそれに近いものがあるかも。

まだ基本の味噌汁をこの味噌でつくっていなかったな。
レシピが拡がって、楽しからずや。


4月19日(月)の記 即発三千字
ブラジルにて


さてさて。
大通りの商店街もシャッターを開け始めた店が多い。
路上を路上生活者集団がだいぶ汚してくれたせいで、あちこちで掃除が行われている。
メトロの駅近くで、マスクを外した物売りの男がぐちゃぐちゃ悪態をつきながら執拗にこっちに菓子を買えとからんでくる。
口に入れるものを買いたい風体の売り手ではない。
早足で逃げ切るが、この時期にこういうのもいるから外はめんどくさくもある。

さあ、気乗りのしなかった原稿…
いちばんめんどくさく、ややこしい部分。
データのメモを確かめながら、ちょびちょびとキーボードを叩いていく。
…何度も字数をチェック。
なんだかんだで、今日だけで3000字以上になったぞ。

とにかく目の前の難所は通り過ぎた。
…難所に気を取られ過ぎて、そのあとのドライブ計画がよく煮詰まっていない…
まあぼちぼちいきましょう。


4月20日(火)の記 老妻の将棋
ブラジルにて


未明に目覚めて、眠れなくなった。
昨日「発掘」した『日経回廊3』(西暦2015年発行)が枕元にある。

付箋づけした足立則夫さんの「李白と杜甫―うまくいかない人生を詠む。」を読む。
恥ずかしながら、李白と杜甫、といっても名前ぐらいは知っていてもそれ以上のウンチクも感慨も浮かんでこない。
そのことを後悔するに足るありがたい記事だ。

詩仙・李白と詩聖・杜甫の人生を外観、比較しながらそれぞれの代表作を味わうという趣向。

詩聖の『江村』が特に沁みる。

江村 杜甫
清江一曲抱村流
長夏江村事事幽
自去自來梁上燕
相親相近水中鴎
老妻畫紙為棋局
稚子敲針作釣鉤
多病所須惟藥物
微躯此外更何求


僕はこの漢詩にはなじみがなかったが、検索してみるとやたらに古文の試験対策がヒットする。
古文の教科書に再録されているのだろう。

特に気にかかるのが五行目だ。
足立さんの記事では、
「老妻は将棋盤を紙に描き」
という訳が掲げられている。

杜甫は役人の仕事が性に合わずにやけ酒を繰り返し、職を辞して家族と放浪の旅に出る。
この詩は「貧しくとも家族と平穏に過ごす幸せな心情を吐露」と同記事で中国文学者の金文京さんが解説している。

さて、老妻はなんのために紙に将棋盤を描いたのか?
1.老妻自身が自分の友人と将棋をさすため
2.夫がだれかと将棋をさすため
3.老妻が夫と将棋をさすため
ざっとこんなところのどれかだろうが、さて。

これが気になって起き上がり、ノートパソコンを立ち上げて検索してみるが…
言葉通りをなぞった以上の解説がほとんど見当たらない。

中国の唐代の将棋というものが僕にはわからないが…
僕の文化観では、そもそも女性が将棋をさす、夫婦で将棋をさすという光景があまりイメージできない。

いまどきはブラジルで若い男女のカップルがオンラインゲームに興じるのを身近に見かけるが。


4月21日(水)の記 モーニングドラッグ
ブラジルにて


今日は、チラデンテスの祝日。
チラデンテスはブラジルの独立闘争の先駆者。
西暦1792年の今日、時のポルトガル政府によってリオデジャネイロで処刑された。
遺体はバラバラにされて、見せものにされたという。

切断してさらされるチラデンテスの遺体を描いた油絵の画像がSNSで流れてきた。
息を呑む。

朝7時台。
朝食用のパンを、ベーカリーまで買いに行こうか。
わが家の最寄りの大型ベーカリーより、少し離れた徒歩1000歩ほどの距離の老舗の店の方がおいしい。
ところが最近、この店の付近で通行人を狙う強盗事件が多発。
このパン屋から出たところを襲われたという報告もあり。
家人からは止められるが、意を決して千歩の距離へ。
休日の朝早くは、強盗もお休み中ではないかなと希望的思い込み。

おお、店内は列をなしているではないか。
こんなに人が並んでいるのを見るのは初めてかも。
こっちが並んでいる間に、どんどん後ろに人が増えていく。

ほとんどの人が、こちらでポンジンニョと呼ばれる、日本ならフランスパンやバゲットと呼ばれる1個50グラムほどのものを買っていく。
僕はこれの全粒紛使用のものが好みだが、今日の全粒ものは焼き立てではなかった。

油断は禁物、人相は険しく、足早に帰る。
往路、大型のベーカリーの方を外から眺めるが、こちらはがらんとしている。
さて、アヴェニーダの側に回って帰るか。

ありゃ。
角のタクシー停車場で、マリファナの煙のニオイ。
まさか客待ちのタクシードライバーが?
見ると、この前の路上に暮らす若い男がタクシードライバーたちのベンチでひとり「一服」していた。

朝のドラッグ一服か。
この男は女連れで、日中もアヴェニーダでごろごろしている。
マリファナの値段はいかほどのものか?
この近くで日中、歩行者が石を持った路上生活者に襲われて負傷するという事件が起きている。
マリファナに幻覚作用はないだろうか?

早朝から刺激臭たっぷりの祝日。


4月22日(木)の記 中韓飲交
ブラジルにて


所用で思い切って東洋人街まで出ることにする。
久しぶりのメトロ使用。

車内は、かなりがらがら。
毎駅ごとにとっかえひっかえやってきた物売り物乞いミュージシャンがこない。
規制が厳しくなったのかな。
(帰路、ようやくひとりのおっさんがウエストポーチを売りにやってきた。)

リベルダーデ駅で降りると、雨。
メインの用事は邦字紙の購読料の支払い。
一台しかないカード支払い機が不調とのことで、待機時間に少し買い物をすませておく。

チャイニーズ系2軒、コリアン系2軒の食材店を回る。
韓国からの輸入もののマッカリを探す。
以前、購入してけっしておいしくもなかったのだが、なぜかまた飲みたくなった。

1軒に、一本だけ残っていた。
封印のシールがはがれかけている。
ワケありかもしれず、やめておく。

チャイニーズ系の店に紹興酒が並んでいる。
値段は安いが、料理用とポルトガル語で書かれている。
お、ちと高い、といっても邦貨500円足らずのもので飲用および料理用というのがある。
その名は加飯酒。
買ってみるか。

飯:料理に加える酒、という意味か。
帰りのメトロでバッグに入れたまま見てみると、5年貯蔵とな。

せっかくなので昼にテイスティング。
うむ、ふつうに紹興酒の味だ。

調べてみると、加飯酒は紹興酒の一種で、日本に入っている紹興酒はほとんどこれだという。

紹興酒にあう料理をこさえないと。


4月23日(金)の記 フェイスブックの訃報
ブラジルにて


深夜、目覚めて。
トイレに立ち、台所で水を飲んで。
通常ならまた床に就いてスマホを繰る。

今日は居間のテーブルに設置してあるノートパソコンを開いてみることにした。
虫の知らせか。

フェイスブックの森田惠子さんのページに、ご本人の訃報。
さすがにご本人によるアップではなく、息子さんによるものだった。
言葉をなくす。

昨年から療養生活に入られ、ときおりメッセージを交わしていた。
まさか、こんなに早く。

まずは取り急ぎ、フェイスブックをたしなまない日本の森田さんの友人に、コピペしてメールで送っておく。

森田さんは、映画監督。
メイシネマ祭の先輩かつ、お仲間。
森田さんは毎年、メイシネマ祭のボランティアスタッフを務められた。
アート作品といっていい見事な手作りポスターを毎回、初日に持参して入り口に貼り出していた。
代表の藤崎さんはインターネット、SNSをたしなまないので、オンライン告知はもっぱら森田さんが担当されていた。

昨年はメイシネマ祭25周年の節目の年だったが、パンデミックのため本来の5月の開催から2度にわたる延期を余儀なくされていた。
森田さんはご自身がお手伝いできる状態でないことを嘆き、ご自身の病状より藤崎さんの胸中を察していたんでいた。

僕は西暦2015年から5年にわたって、いきがかりからこのメイシネマ祭のビデオ記録を担当した。
自分の作品の上映後のトークの際には毎回、森田さんに友情撮影をしていただいていた。
常にエレガントな方だった。
立場上、僕は記録屋:ハンターの視線でみていたが、いやな顔というのを見せることがなかった。

昨年3月末からパンデミックでサンパウロにこもることになった。
未編集だった2019年のメイシネマ祭のビデオ記録の編集を行なった。
この時は、森田さんの最新作『まわる映写機めぐる人生』の上映とトークがあった。
森田さんのファン、シンパが集まり、熱いエールを送っていた。

この記録を撮影した素材をチェックしてみると、上映スタッフとして映っている森田さんがとてもいい。
最初から最後まで森田さんの移るショットを用いて、ご自身の作品の上映後のトークと来場者との質疑応答はほぼまるごとカットなしとした。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000050/20210127015838.cfm?j=1

病床の森田さんへのささやかなお見舞いとして、編集を終えた拙作のデータ送りを森田さんに申し出た。
森田さんは、代表の藤崎さんが見るまでは見せていただくわけにはいかない、とかたくなだった。

僕も藤崎さんにはまず最初にご覧いただきたいのだが、先述のようにインターネットをたしなまれない。
ブラジルと日本の航空郵便は中断されたままで、DVDを郵送することもかなわない。
映像系の日本の友人に頼んでデータを電送して、DVDに焼いてもらって藤崎さんに送ってもらった。
藤崎さんに国際電話をして、試写終了と了解を確認してから、晴れて森田さんにデータをお送りした。
ご覧になった森田さんから、照れくさそうなメッセージをちょうだいした。

お苦しい状況のなか、ご覧いただいてありがとうございました、森田さん。
…この年のメイシネマ祭に藤崎さんが添えた言葉を読み返して、また胸が詰まる。

想いは時を超えて…いまを生きる私たちの物語


4月24日(土)の記 クイアバの風
ブラジルにて


クイアバ、と聞いてピンとくる人。

クイアバは2014年のブラジルでのワールドカップで、いっきに日本での地名の知名度があがったことだろう。
そして日本代表は、致命的敗北をコロンビアに喫して敗退。

クイアバは日本では「魔境」などと紹介されてきたマットグロッソ州の州都だ。
地理的にはアマゾン水系とラプラタ水系の分水嶺に位置する。

「クイアバ」の語は先住民由来だが、語源は諸説ある。
「漁に用いる矢」。
「金色に輝くカワウソの川」等々。

僕が最初に想い出すのはわが原点の『すばらしい世界旅行』の大アマゾンシリーズ。
杉山ディレクターの作品と記憶するが、街をロングでとらえたカットに「クイアバ」とスーパーインポーズが浮かぶ。

僕は何度、クイアバに立ち寄ったことだろう。
印象は…
僕は「クソ」という言葉をネガテイヴに用いたくない。
が、クイアバというと、まず「クソあつい」という語が浮かぶ。
時期にもよるのだろうが…
大アマゾン流域をそこそこまわったつもりだが、クイアバのクソ暑さは格別だった。
湿度も高いせいだろう。

さて。
近所の冷凍食品店にクイアバ風ソーセージというのがあった。
ぶっとく、牛肉使用とある。

今宵のメインとする。
成分の記載を見ると…
ミナス風チーズ、そして牛乳使用か。

グリルパンで焼く。
一本あたりが一人でも持て余しそうなサイズなので、切ろうとすると…
とろけつつあるチーズ、牛ひき肉等がこぼれ出てきた。

味は、悪くなし。

僕にとっての「ブラジルの伯父さん」溝部さんが暮らしていたのはサンパウロから見るとクイアバの手前のロンドノポリスの町。
溝部さんが昨年亡くなり、クイアバも一気に遠くなってしまった。


4月25日(日)の記 パンデミックと時間
ブラジルにて


午前10時前に家を出る。
路上市に行く前に、昨日に引き続き、トリュフチョコおじさんの出店に行ってみる。
おじさんが店を開けるのは、土日のみ。
週替わりでおじさんが準備する標語が楽しみだ。

昨日は午後4時前に行くと、立ち木や電信柱に結び付けていた標語を取り外しているところだった。
おじさんの手作りチョコは家族に好評。
昨日も買い、今日はわが子が訪問先へのお土産に持っていきたいというので追加購入。

今日はちょうど標語を括り始めるところ。
https://www.instagram.com/p/COGmkPgnJ0u/

昨日、このロベルトさんもインスタグラムのページを持っていると知り、アクセスしてみた。
ロベルトさんより若く見える男性のシェフ姿の写真がアイコン。
お連れ合い、お子さんと一緒にチョコをつくっていると聞いた覚えがある。
この写真は息子さんかな。

今日、ロベルトさんに聞いてみる。
写真はご自身だという。
「だいぶ若く見えますね、息子さんかと思いましたよ。」
と、正直に伝える。
「パンデミックは、人を老けさせるよ。」

さすがは新たな標語を毎週、いくつもこさえる才能の持ち主。
うまいことをさっと言う。

「同感です。僕もだいぶ白髪が増えました。」
パンデミックでサンパウロにこもって、すでに1年余り。
その間、なにということはしていない。
NHKのグロテスクな着ぐるみに罵声を浴びせられそうだ。

さしたる苦労も労働もしていないのに、だいぶ白髪が増えた。
まあ、年も年だからね。


4月26日(月)の記 第四の大工
ブラジルにて


処分しかねている書籍と資料類の置き場と整理、頭が痛い。
日本から担いできた大量の文庫本、新書本だけでもうまくコンパクトに収める方法はないものか。
…本棚とまでもいかない、簡単な置き場をつくってみることを考える。
板をコの字型にしたものを使って。

そのパーツをドシロートがアパートでこさえるのもむずかしい。
プロに頼んでみよう。
近所の家具製作所/木工所の所在をまずネットで調べて。
自分で歩いていて見つけたところもあるし。

簡単な図面をつくって、行ってみる。
…都合四軒、大工のハシゴ。

まず試しにひとつつくってみたいのだが、それがむずかしい。
まとまった数でなければやれない、というところが複数。
ちょいとした棚が買えるのではないかという高額な見積もり、しかも日数もかかるところも。
計画挫折か。
三軒まわって…かなり暗澹とした気分で、ちょっと離れた住宅街にある素朴な木工所まで歩いてみる。

ここはありものの素材を使って明日までにできるという。
お値段は、高い!と思ったところの3分の一以下。
まずは発注。
家人から複数はまわってみること、と言われていたが、確かに。

今日中にできるかも、とのことで帰宅してわくわく。
…午後から雨、もし電話があったら雨が止んだら取りにいくと言おうか。
けっきょく待ち電話きたらず。

夕方、先週はつながらなかったところに電話をすることはできたけれども。


4月27日(火)の記 忘れちゃいやヨ
ブラジルにて


今日の件名を考えて…
少しはひねりたい。
歌のフレーズが浮かぶ。

調べてみる。
タイトルは『忘れちゃいやヨ』。
「いやヨ」の表記に驚く。
1936年、渡辺はま子か。
こっちも「はまコ」でどうか。

戦前のブラジルへの移住はなやかしき頃だ。
神戸の移民収容所でこの歌にわが身を重ねた人も少なくないのでは。

今朝、ようやくこれをこのウエブサイトにアップした。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000236/20210426016010.cfm?j=1
もっと早くするつもりが、尾口桜里さんの遺稿のアップを先にした。
桜里さんの一周忌のお命日が昨日4月26日、チェルノブイリ原発事故の日でもあるが、この日に2稿目をアップした。

今日アップしたものの方は、急いで書いたせいか編集の都合か、句読点の具合がいまの僕にはしっくりこないところなどあり。
内容は…、まあしょうがないか。
句読点や語尾などを少しいじる。

フェイスブックとツイッターにもリンクを貼っておいた。
フェイスブックの方に敬愛する女性陣からコメントやリンクをいただく。
…処刑後のイエスに集ったのは、女性ばかりだったな…

夕方。
アマゾン帰りの大道焼肉師「ガウ爺」の大家さんである横浜の蔭山ヅルさんの、フェイスブックの思いで欄にびっくり。

今日は第一回ブラジル移民船「笠戸丸」が神戸港を出港した日だったのだ。
失念していたとは、情けない。
それにしても、この日にあの拙稿をアップしたのは、演出抜きである。
自分を超えたところで、たいせつなことを気づかせてもらうことが少なくない。


4月28日(水)の記 四月のさみだれ
ブラジルにて


午前、東洋人街の医療機関の歯科医へ。
あいかわらずメトロは空いている。

帰路、木工所に追加発注。
個数を多く頼むと、こちらから願わなくてもディスカウントしてくれた。

家では、おさんどんを筆頭に諸々…
懸念の原稿もちびちびと叩いておく。
…おう、1万字を超えたか。

原稿全体の半分ぐらいは、いったかな。
コロナ関連の状況はどんどん変わっていくので、とにかくそのあたりはいったん書いて、あまりいじらないつもり。

さみだれの五月中ぐらいには目鼻がつくと、いいね。


4月29日(木)の記 サンパウロでボサノバがきこえるとき
ブラジルにて


今年になって日本の紙メディアで発表した拙文に、こちらのグラフィティのことを少し書いた。
それを読んだボサノバ好きの方が好意的な感想を編集部に寄せてくれたという。
…思えば日本以外でボサノバを聞くことがあまりないな。

サンパウロの自宅で、めったにテレビをつけることはない。
今日は昼食後のいっぷくタイムにテレビをオンにしてみることにした。
そもそも多チャンネルにしてから、映像が現れるまでに数分はかかるようになった。

こちらのコロナの状況が気になり、ニュースが見たい。
しかしメインのチャンネルはすでにスポーツニュースの時間になっていた。
おかげさまで、スポーツにはまるで興味がない。

さて、どこかでニュースをやっていないか…
おや、ボサノバが流れている。
女性の甲高い歌声。
なんと日本の映像ではないか。
小野リサさんへのインタビューだった。
日本のブラジル音楽関係者を取り上げたドキュメンタリー番組のようだ。

つい最後まで見てしまう。
それにしてもサンパウロで暮らしていて、ボサノバを耳にすることはめったにない…


4月30日(金)の記 レシピと宗教
ブラジルにて


夜は肉じゃがをつくることになった。
買ってきたジャガイモがやたらにでかい。
2個、皮をむいてざく切りにしたら相当な量になった。

しばらく肉じゃがをこさえていない。
肉を先に炒めてから野菜を炒めても火がきちんと通るだろうか。
別々に炒めた方がいいだろうか。

最近はレシピとなるともっぱらネットで検索していた。
諸々をいじっていると、かつて世話になった日本語のレシピ本が何冊か出てきた。
一昨日の赤飯炊きの時はこれを参考にした。
…とくに赤飯は、レシピによってまるで違う。
モチ米とうるち米の割合から、どれぐらい水に漬けておくのか、米の水を切った方がいいのか等々、混乱するばかり。
色をよくするため小豆の茹で汁を高いところから数回、落とすといった記載には僕の日本語読解力ではなにをどうしていいのか理解できず。

…まあテキトーにやったが、土鍋にべっとりと赤飯が付着してしまった。
もう少し、うるち米の分量を多くした方がよかったのかな。

肉じゃがのレシピもしかり。
とりあえず一冊、台所に持ち込んだ本には豚肉使用となっている。
ダシも使わず、ニンジンもしらたきもなし、緑は缶詰グリンピース使用か。

…まあこれもテキトーにやってみる。
さやいんげん、ニンジン、ヒラタケも入れてみよう。
スキヤキ用の薄切り牛肉を使ったのだが、これが丸まってしまったのが難点かな。
要は、食べてうまいこと、に尽きるのでは。
それに健康、経済、バランス等も加味して。

ふと、宗教を想い出す。
それぞれの教えは千差万別。
それでいて共通点もあれば、同じ宗派でも教えや経典の解釈が異なることもしばしば。

遠藤周作さんは宗教を富士登山にたとえていた。
どのルートから行くにしろ、山頂にたどり着くのが目的、といったように書かれていたと記憶する。

僕自身、カトリックに軸足を置きながら、プロテスタント、仏教諸派、心霊主義、アニミズムなどからも教えをいただいている。

料理のレシピと宗教との比較は、もう少し調理してみようと思う。





 


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