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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2021年の日記  (最終更新日 : 2022/01/02)
9月の日記 総集編 無告の民がいた

9月の日記 総集編 無告の民がいた (2021/09/01) 9月1日(水)の記 セプテンバー・ステップス
ブラジルにて


9月になったら、始めなければならないこと。
今月中が締切りの日本への原稿。
字数は20000字まで。

これはかなりのプレッシャーで、すでにざっといったん書き上げていた。
それから三か月あまり経っている。
消えてないといいけど…

あった、あった。
うむ、程よく発酵している。
これからシェイプアップして、註と参考文献一覧を紡いでいこう。

掲載予定の媒体からすると、かなり異質なものになるだろう。
こちらから頼んだものでもないので、気はラクだけど。

午前中、富山妙子さんの追悼文のディテールで、担当とやり取り。
真摯に拙稿に向き合ってくれる編集者はありがたい。

書きもの作業が続く。
自分が動画を撮らない・撮れない理由が、佐々木神父からいただいたメールを契機にわかってきた感あり。


9月2日(木)の記 流浪に検針
ブラジルにて


午前中にミネラルウオーターを汲みにいこうと思っていた。
出がけに足首に不調を感じて、少し様子をみることにする。

昼食後、足の違和感も減り、行ってみることに。
50リットル以上の水を汲んで運ぶのだが、行き帰りはクルマ、現場ではカートを使うのでさほどの重労働ではない。。

さて、グラフィティ。
ミネラルウオーター工場の敷地を歩いて出て、周囲を見やる。
先の方に満開の黄イペーの花が。
誘われるように行ってみる。
ブラジルの国花イペーの黄色い花がサンパウロ市内で満開だ。

このあたりは高級住宅街。
ゆったりとしたスペースで植物も多い。
日本は世田谷の成城学園前あたりの街並みを想い出す。

暗渠化されていない小河川がある。
覗き込むと、残念ながらドブ川の様相とニオイ。
向かいから来たブラジル人のおばちゃんが、どうやら僕に何かを言っている。
「水?電気?」と繰り返した。

はて?
水道と電気のメーターのことを言っているのかと思うが、なぜワタクチに?
返答に困っていると、さらに近づいてきたおばちゃんは「あら、ごめんなさい」と言って去っていった。

僕をメーター検針員と勘違いしたのだろう。
ちょうど読んでいる写真家のサルガドの本に、彼は現場でいつもカーキ色のシャツを着ているとあったが…
今日の僕もカーキ色の長そでシャツ、下はGパン。
ジーンズ色の帽子にマスク、そしてこれもカーキ色のポシェットをたすき掛けにしている。
あたりを立ち止まってはきょろきょろしていたし、物盗りにしては間が抜けている。
遠目には検針員に見えたのだろう。

流浪に検針。

住宅街から大通りに近づくと。ようやくグラフィティ。
これはというのがふたつ撮れた。
ミネラルウオーター工場に戻って、敷地内でサトウキビジュースを飲みながら検針メーターならぬスマホをチェック。
インスタに上げるのをどの写真にするか少し迷う。
奥に黄イペーも写り込んだのにするか。
https://www.instagram.com/p/CTVAZiWH2M_/


9月3日(金)の記 牛カツリポート
ブラジルにて


家族にささやかなお祝い事あり。
トンカツをつくることを提案。

午後、近所の冷凍食材店で豚フィレ肉を購入。
わが家には電子レンジはなく、自然解凍。
この豚フィレ肉はチューブ型に固められている。
豚フィレの部位はそもそもひょろ長いようで、トンカツ用にどう切るかがなかなか。
適さない端肉はヤキソバか何かに使うか。

この量ではちょっと寂しいかも。
牛肉を解凍してそのままだったのを想い出す。
牛と、カボチャも揚げよう。

揚げたてを試食すると柔らかすぎるかなと思ったが…
牛カツ、家族に好評なり。

「どうして日本では牛カツはあまりないの?」
とわが子の質問。
ふむ、どうしてだろう。
牛肉が高いから、とあまり面白くもない答えをしておく。
高いから、カツにしてはもったいない、という理屈か…

日本ではトンカツ以外は…チキンカツの方が牛よりポピュラーではなかろうか。

ブラジルではカツ料理はミラネーザ(ミラノ風)と呼ばれるが、ふつう牛肉。
次いで鶏か。
豚のミラネーザには日本食をうたうレストラン以外に遭遇したことはないと思う。

わが小学校時代には給食に鯨カツ、というか竜田揚げがあったな。


9月4日(土)の記 大寺小寺
ブラジルにて


大サルガドの自伝をなんとか読み終える。
西暦2013年にフランス語版が出されて、翌年の刊行のポルトガル語版を購入していた。

ポ語のタイトルは『Da minha terra à Terra』。
これは日本語の直訳ではその味わいを伝えにくい。
『わが故郷から地球へ』といったところだが、小文字のterraは故郷、大文字ではじまると地球の意になるのだ。

Isabelle Francq というジャーナリストとの共著で、サルガドがまさしく地球各地への取材の旅の合間に彼女に語ったものをまとめた形だ。
おそらくサルガドは母語ではないフランス語で語ったのだろう。
それがフランス語でまとめられたものが翻訳されたためか、ポ語がネイティヴではない僕には読みやすくわかりやすかった。

ただいま執筆中の原稿でセバスチャン・サルガドのパンデミック以降の活動に言及するつもりだが、まことにすごい人だ。

昨日未明、その前日限定でブラジルの大手銀行のカルチャー部門が登録者に無料オンライン公開した映画『A Ultima Floresta(最後の森林)』を視聴できた。
違法の金採掘人の侵入に苦しめられるアマゾンの先住民ヤノマモの話で、国際的な評判となっている。
これまで鑑賞に機会を逸して、サンパウロで来週から始まる劇場公開に行ってみようと思っていた。
この映画はヤノマモのオピニオンリーダーにしてシャーマン、国際的に知られるDavi Kopenawaが共同脚本であり、主役である。
ついにヤノマモたちが制作陣として参加してこれだけの映画をつくるようになったか。
感無量。

わが『すばらしい世界旅行』の取材から35年余り。
僕の取材班の訪問の2年後から金採掘人のまさしく暴力的な侵入が始まった。
日本のテレビクルーによる犯罪的な取材に気を病んでいた。

劣悪な状況下でのこうした人たちとこうした仕事の存在は、希望そのもの。
僕は非力微力なりに自分の力量での自分なりの仕事をすればいいよ、と慰めてもらった思い。


9月5日(日)の記 からいすっぱい
ブラジルにて


夜、わが子とピザ食べ放題のレストランに行く。
https://www.facebook.com/photo/?fbid=10224413475499453&set=a.3410845544903 ¬if_id=1630878892442479¬if_t=feedback_reaction_generic&ref=notif

ウエイターが「お飲み物は?」と聞きに来る。
「何がありますか?」と聞き返すと、
テーブルの端にあったQRコードからアクセスするように言われる。
いまやスマホがないと飯屋のオーダーもできない。

ワインは…
うー、市販の倍以上の価格だ。
オンラインメニューにあるワインの「ナマ」は、ないと言われ…
とりあえず、ふつうのナマ。

ふむ、メニュー上はブラジルのナショナルカクテル・カイピリーニャの種類が充実しているようだ。
イッパイの価格が、安い飯屋の定食代ぐらいなのだが…
話のタネに、シチリアレモンとジンジャー入り、というのを砂糖は別でオーダー。

当地でリモン:limaõ と呼んでいるのはライムである。
ふつうカイピリーニャはこれを使う。
シチリアレモンは日本でいうレモンに近い。
ジンジャーは控えめで、悪くない。

シチリアレモンとリモンの味の違いをどう表現したらいいか。
違うのはわかるが、味の言語言語はむずかしい。

在日本の方々、ユズとスダチとカボスの味の違いを表現できますか?
ワインの解説にバニラの香りやらアーモンドのテイストなどとあるのをみるが、他にたとえようがないのだろう。

ふと「からい」という味の表現を想う。
トウガラシの品種別のからさの違いを表現するのもむずかしいと思う。
そもそも日本語では「しおからい」も「からい」だし。

トウガラシの日本到来は16~17世紀とされている。
おそらくこれまで未知だった味覚が「からい」と表現されたのだろう。
サンショウやワサビとは明らかにことなる「からさ」。

「しおからい」との混同を500年たっても招き、日本語の「からい」という表現のなんと「あまい」ことか。


9月6日(月)の記 ポ語読みの条件
ブラジルにて


大サルガドの大写真集『ÊXODOS:エクソダス』のポルトガル語版を、ようやく読了。
この本には別冊で文字ぎっしりの写真キャプションと解説が添えられている。
これを写真と照らし合わせて読み進めていくのにけっこう時間がかかった。

さすがは経済学者でもあるサルガドの解説文は簡潔にして奥深い。
フィリピンの概説、ブラジルの土地なき農民問題の解説など、いいテキストだ。

さて続いて何を読もう。
どうしたことか、日本語のものを読む気がしない。
パンデミックになってから買った『星の王子さま』のポ語版がある。
何回か読み始めたが、バオバブの話まで行くか行かないかでそのままになっていた。

さてさて。
日本語の本なら、しおりを挟んでおくだけで特に不自由はない。
どこか段落など切れ目のいいところまで読んでいるから、わかりやすい。

ところがポ語の本は字がけっこうぎっしりで、しおりだけではどこまで読んでいたかがわからなくなってしまう。
『星の王子さま』は字の詰まり具合も緩めで、イラストも多いのだが、それでもどこまで読んだかきっちりわかるようにしておきたい。

こんな時に重宝なのが、クリップ型のしおり。
読み終えた行のところに挟んでおけばいい。

アパレシーダの大聖堂で買ったネクタイピン型の金属製クリップしおり、これは訪日土産に買ったのだが、ひとつを自分用に流用。

さあバオバブの先、花の棘のところまで読み進めた。
もう一冊、挿絵や付表のひとつもないポ語の課題本を少しでも読んでおこう。さて、しおりをどうしよう。
…昨年の訪日時、富山高岡の瑞龍寺で買ったクリップ型のしおりがあったな。
探してみる…
むむ、見当たらないとなると、なにか読みかけの本に挟んであるのだろう。

あったあった…
テキトーなしおりと差し替え。
段取りに手間暇がかかるな。

眠くなってきたし。


9月7日(火)の記 UMAMIの日
ブラジルにて


UMAMI:うまみ の語はわがブラジルでもグルメ界などで使われるようになった。

今日は一日断食の翌日。
断食のあとは味覚が「うまみ」に敏感になり、身心がそれを欲しているのを感じる。
朝は、冷凍してあったアサリの深川めしの残りをだし汁でお粥にする。
なんとも美味なこと。

今日のブラジルは独立記念日で祭日。
家族全員が在宅で人口稠密でもあり、原稿作業は見合わせる。
昼は、あたたかいうどん。
油揚げとヒラタケを煮込んで。
東洋人街の華人店で買った日本製の乾麺。
茹でた麵を、関東風のつゆで少し煮詰める。
日本の伊勢うどんがこんな色合いだな。

夜は、日曜のカツオの残りに…
シメジ(ヒラタケ)の黒玄米混ぜご飯ほか…

少しは整理した本棚の背に『でめてる 野菜のおかず』(石渡希和子さん絵と文)があった。
「でめてる」は国分寺にある「げんまいごはんのおいしいお店」。
お店には行きそびれていた。

めくっていくと…
「揚げかぼちゃのじゃこ和え」のレシピあり。
先日の天ぷらの際の残りのカボチャをもてあましていた。
ブラジル産のじゃこを買ったばかり。

カボチャを素揚げにするというのがめんどくさいが、やってみる。
好評、おいしい。

カツオは小麦粉をまぶして油で焼いたのだが…
試食すると、先日のマグロ中毒のときのようなシビレ味。
検索すると、カツオでもヒスタミン中毒ありの由。

日曜はナマでおししくいただき、すぐに冷蔵庫に入れて翌日には塩にしたのだが。
他の家族に注意報を出し、オカズの補填も考える。
どうやら僕以外には異常を感じられないよう。

僕がヒスタミン中毒に敏感になっているのか、断食明けのせいか。
うまみのあとで、しびれあり。


9月8日(水)の記 初焼売
ブラジルにて


自分で焼売をこさえる日が来るとは思わなかった。
日本での好物の崎陽軒のシウマイのせいだと思う。
このシウマイの原材料には帆立て貝の貝柱が含まれている。
日本でもハードルの高い帆立て貝、ブラジルで僕あたりが手の出る代物ではない。

パンデミックになってから、こちらで角田光代さんの小説『空中庭園』を読んだ。
集合住宅に暮らす37歳になる主婦が息子に焼売づくりを手伝わせるシーンがある。
「たかが焼売をつくるのにそんなに集中しなくたっていいのに。」
の記載あり。
え、日本の一般家庭では「たかが焼売」を手作りしているのか?

整理していたこちらの邦字紙に「花焼売」のレシピがあった。
出展が明記されていないが、日本の新聞掲載のものの転載だろう。
このレシピ記事にはサンマの料理があったり…
ブラジルでサンマを入手するのは、ホタテなみのハードルである。
これだけ読者の入手可能な食材と乖離したレシピ記事も珍しいかも。

それでも焼売のレシピはホタテなしでもいいんだよと気づかせてくれた。
日本のレシピも見てみると、シメジしようなんていうのもある。
こちらでキロで買ったシメジ:ヒラタケもあるし。
いざ。

冷凍庫にパンデミックの前年製造のこちら製の餃子の皮があった。
もったいない。
さらに最近のものも買い足した。

さすがにパンデミック前のは周辺がパリパリになっている。
レシピによってだいぶ違うので、テキトーにやってみる。

うむ…
餡にもっと味を付けておいていいのだな。
蒸し器にへばりつかないように白菜を敷いたのだが、これだと蒸し具合にムラができてしまうようだ。
次回はレタスあたりにしてみるか。

餃子のように油を使わないでいいし。
引用を明かすとバカにされることがしばしばのウイキペディアだが、どうしてどうして。
焼売のグリーンピース載せは、日本でショートケーキを意識したものと知る。

日本でウイキにほんの少額のカンパをしたことがある。
こちらからだと通貨と金額の規定、カードの使用が国をまたいでややこしくなり、ロハで使わせていただいているが。

さあ次回の焼売トライがなんだか楽しみ。
ちなみに邦字紙のレシピには見当たらなかったが、「花焼売」というのは皮の閉じ部分を花に見立てて作るからだそうだ。
そもそも花焼売という言葉を知らなかった。

花の焼き売りか。


9月9日(木)の記 イチゴ一会の18年
ブラジルにて


今日は仕事が休みの家人と、昼にシュラスコ焼き肉店に行くことにした。
メトロでひと駅先にあり、歩いていく。
並みの定食屋よりは値が張るが、高級店の数分の一の金額。
しかも平日は週末より安い。

そこそこ人が入っているが、密とまではいかない。
これまではサービスも肉のクオリティもがっかりすることが多い店だったが、まあ及第点になった感じ。

サラダバーにスシがある。
イチゴを載せたマキズシ。
他にマンゴー載せなど、黒い海苔に銀シャリ、原色のフルーツの組み合わせは視覚的にはきれいである。
が、味はショッキング。
そもそもシャリがぐちゃぐちゃ。
どんなふうに炊くと、こうまでぐちゃぐちゃになるのだろうか。

さて。
いまはなき南米専門の大手日系旅行エージェントのウエブサイトに軽いエッセイを月イチで連載していた時期があった。
その最初の回に、当時の僕にはかなりのショックだったイチゴのスシについて書いている。

当時の僕はスチール写真をフイルムで撮っていた。
毎回、写真を撮って現像に出し、スキャンする必要が出てきた。
当時は自前でスキャンを取ることもできなかったので、初回に添える写真は勘弁してもらった。

この旅行社が突然、思わぬ閉鎖となり、3年近く書いていた連載にアクセス不能となってしまった。
当時からパソコンは何台も変わり、修理業者にデータごとかっぱらわれてしまったこともある。
バックアップも取っておらず…

ありがたいことに担当のフリーの編集者が尽力してくれて、データを送ってもらった。
それをパンデミックの巣ごもりを利用して昨年5月から加筆してこのウエブサイトで発表している。
毎回、新たに写真を添えることにして、初回の分には近所の香港人経営のレストランの「揚げスシ」の写真でアガリ(お茶)を濁しておいた。

このことが気になっていたので、この機会に新撮をこころみる。
パンデミックにより、バイキング形式ではマスク着用、使い捨て手袋の使用が義務。
他の客が途切れた時を見計らって店のスタッフからオッケーをもらって。

やれやれ、ようやく18年ぶりにイチゴイチエに落とし前を付けたかな。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000259/20200526015322.cfm?j=1
(上記リンクの写真を差し替えて加筆しました。)


9月10日(金)の記 さよならリベルダージ
ブラジルにて


ずるずると通い続けてきた東洋人街の日系医療機関。
今日も午前中に。

おお。
次は6か月後でよさそう、ということになった。
脱力。

診療の合間に担当のドトーラといろいろな話ができた。
日系社会の古い名士の話もいろいろと。
ここには記載もはばかれる話も。

東洋人街は、出たついでに、のグラフィティ採集や買い物も楽しみだった。
韓国系食材店であったりなかったりのマッカリは、今日もなし。
中国系食材店の紹興酒は、いつも買う店より別の店に安いものがあることを今日、気づく。

開店一年を迎えたコリアン系カフェにも顔を出したいが…
テレワーク中の家族の昼食を作るために、帰宅。

また用事をこさえて来るとするか。


9月11日(土)の記 時計屋に歩かされ
ブラジルにて


午前中、メトロの隣駅の少し先のケーキ屋まで歩いてみる。
まだ入ったことのない店で、カフェも飲めるようになっている。
道の向かいにあるゴミ入れに貼られたシールにも目を付けていた。
https://www.instagram.com/p/CTrydbOAzCv/

パセリはどこで買おうか…
帰路、わが家の至近で買うことにする。
今日の歩数は…
スマホを繰ると、しめて4500歩強。
あそこまでの往復で、やや回り道をしてもこんなものか。
10000歩には程遠い。

先日、当地のポルトガル語の新聞のバックナンバーをチェックしていて…
一日一万歩についての記事があった。
これについて日本語以外で言及されているものをこれまで見た覚えがなかった。
読んでみるとサワリ程度で、あとはリンクが貼られている。
リンクをたどると定期購読していてさらに会員購読している人限定の記事だった。
フリーで読める部分には「一日一万歩というのは日本の時計メーカーが…」、ちょうどこの部分まで。
ええ、日本の時計メーカーの仕掛けだったのか?

これについて日本語で検索してみても「一日一万歩」の由来についてきちんと触れているものは見当たらず…
と、ニューヨークタイムズのこんな翻訳記事があるではないか。
https://toyokeizai.net/articles/-/440097
どうやら僕がポ語で見たのの出典もこれのようだ。

キーワードを参照にさらに検索…
これか。
http://www.yamasa-tokei.co.jp/
時計メーカーというから、世界的に知られるところかと思っていたが、この山佐というのは寡聞にして知らなかった。
東京オリンピック前後の提唱というから、話は古い。

いずれにしても、最近の健康系のウエブ記事では一万歩はちと歩き過ぎかも、という記載も少なくない。
「一日一万歩」がひとり歩きか。

僕は万歩より乱歩がいい。


9月12日(日)の記 森のパブ
ブラジルにて


最近、日本語情報でフィチンチッドの語をあまり目にしなくなった。
検索してみると「森林浴」しかり。
かといってこれらのオカルト性が明らかになったというわけではなく、日本人の「飽き」によるもののようだ。

自分もさることながら、家族に森の気を浴びてリフレッシュしてもらいたい。
…なかなかスケジュールやそれぞれの思いの調整がたいへん。

昨日、郊外で野焼きのシュラスコ食べ放題というところの今日の予約に挑戦するが、すでに満員札止めだった。
苦肉の末、これまでチェックしていた情報をさらい直して…

わが家から車で1時間強の「森のパブ」というところの予約成功。
山のなかで午前中、朝食食べ放題というシステム。
場所はこちらの亡義父ゆかりのところというのも不思議。

久しぶりに、普通には走れない土道。
ずばり海岸山脈のまっただなか。

ムジカセルタネージャと呼ばれる当地のカントリーミュージックをかなりの音量でかけ流しだが、まあ愛嬌か。
すべて手作り感がよろしい。

2時間ほど滞在、たっぷり食べて一服した。
町なかのわが家まで昼時間に帰れてしまうのもあっぱれ。

ごくわずかな滞在だったが、身心の爽快感が続く。
福島のこどもたちに数日間の保養を、というプロジェクトがいろいろあった。
数日ぐらいで効果があるのかと思っていたが、わが身を持って転地の効用を味わう。


9月13日(月)の記 日本の鉛筆
ブラジルにて


今日のタイトルを考えていて、あの歌「一本の鉛筆」について検索する。
ええ、作詞は松山善三、作曲は佐藤勝!
して、ウイキで美空ひばりさんの広島でのエピソードを読んで、胸が熱くなる。
ひばりさんに「さん」を付けたのは、ちょっと不思議な「多生の縁」があるから。

鉛筆のHBやFというのは日本限定用語かと思い込んでいたが、世界共通だと知ったことを書こうと思っていた。
FというのはFINEだとなにかで読んだ覚えがあったのだが、FIRMだとあるではないか。

…「一本の鉛筆」の気付きがずしりときてしまった。
エンピツのこと、いずれまた書きます、今日はこの辺で。

日本の鉛筆より、一本の鉛筆。
そうそう、エンピツ画をもとにしたゲームができたとの記事もあった。
ゲームをたしなまないので、よくわからないのだけれども。
エンピツというローテクがいい。


9月14日(火)の記 ピンセットは何語
ブラジルにて


うむ、にらんだとおりオランダ語起源だった。
ピンセットという言葉。
英語では tweezers というのか。
ハサミに近そうだ。

ポルトガル語では pinça、オリジナルに近い。
今日わが家でちょっとした騒動があったが、解決にピンセットが活躍したようだ。

ピンセットだけでもいろいろあって面白い。
そうそう、切手用なんていうのもあった。

ウイキペディアによると、古代エジプト起源とか。
手と指の延長。
ふむ、トングが由来かも、と。

トングというのも妙な言葉だと思ったが、これは英語の tong 由来とな。

ヒトの歴史、道具の歴史に想いをはせる。


9月15日(水)の記 目黒区内のお引越し
ブラジルにて


パクリご意見無用で鬼籍に入った大御所脚本家との相違が知りたい。

日本で新聞記者をしていた知人から近況のメールが届いた。
そのなかに脚本家の向田邦子さんについての想いが綴られていた。
向田さんの著書や脚本によるドラマは学生の頃にいくつか接していた。
向田さんというと、勝手にアルビノーニのアダージョが脳内で再生される。

向田さんはかつて、わが日本の実家の祐天寺近くにお住まいだったと聞いている。
どのあたりだったのだろう。
検索してみると、ウイキにあたる。

ふむふむ…
え。
第2次大戦中にまず中目黒4丁目に転居、その後に下目黒4丁目に引っ越しているようだ。
それぞれの現在の範囲を検索…
あ。
わが実家も半世紀前ぐらいの地番変更前は中目黒4丁目だった!

で、彼女のかつての家は?
向こうだ、なんちゃって。


9月16日(木)の記 唐揚げ日和
ブラジルにて


家族サービス。
わが家ではごちそうの鶏の唐揚げをこさえることに。

朝イチで肉屋に行く。
さっそくさばいて味付け。

添え物の野菜類、追加の食用油、底を突いたジャポニカ米の買い出し。
昨日はクルマを車検に出したり、工具店での買い物やらでだいぶ歩いた。
帰宅間際にスマホの万歩計を見ると、もう少し歩けばこのひと月の最高となるとわかる。
近場をぐるりと回って12000歩を超えた。

今日はさほど遠出はせず、4000歩に満たないが…
ま、いいか。

小麦粉と片栗粉のミックスがいいとなにかで読んで、今日もまた。
いい感じにカリカリに揚がる。
そこいらの売りものよりわが家の方がおいしいな。


9月17日(金)の記 チョムスキーの妻
ブラジルにて


「読書マウント」という言葉をツイッターで知る。
そんな気力もないのだが…
少しは整理した蔵書の背を眺めてみて、チョムスキーの本が2冊あることに気づく。
いずれも日本語、日本から担いできたがちゃんと読んだ形跡がない。
いま書いているもののバックグラウンドとして、ちょっとは読んでおくか。

そもそもチョムスキーの専門の「生成変型文法理論」というコトバを見ただけで萎えてしまいがち。
最初に開いた『ノーム・チョムスキー』というリトルモアの出している本は彼の講演を起こしたもので、読みやすい。
あちこちに線引き。

うーむ、こうしてみると日本の自公電通政権の「手口」はナチスというよりアメリカをまねているのでは、という気がしてきた。
もっと早く読んでおけばよかった。

今日は未明に覚醒してしまい、2冊目の『メディア・コントロール』(集英社新書)を少し読む。
チョムスキーのものは、こちらの新聞に載ったインタビュー記事を何年か前に読んだことがある。
これは日本語のようにほいほいとは読みこなせなかった記憶が。
チョムスキーのブラジル訪問に伴なうものだったかと。
冒頭に、自分の妻がブラジル人のため、ブラジルにはその意味でも親しみがあるとあったのだけはよく覚えている。

こころみにチョムスキーについて検索してみる。
おや、日本語のウイキペディアなどではチョムスキーは幼馴染と結婚して、やはり言語学者となった妻は2008年に亡くなったとある。

うーむ、かつての僕のポ語の誤読か?
…その後に再婚という可能性は?

ポ語も含めてチョムスキーの身辺調査。
あった。
ヴァレリアさんという翻訳者と2014年に再婚したようだ。
この女性、正確な生年が不明というのもすごい。
わかることは、チョムスキーは80代にして30歳以上、歳の離れたブラジル人女性と再婚したということ。
これもまねできそうもない…

チョムスキーは日本語では「ノーム・チョムスキー」だが、ポ語や英語で検索してみて Abram というファーストネームがあることを知った。
旧約聖書創世記に登場するアブラムだ。

ずばり『創世記』と題した大著を出したブラジル人の写真家のセバスチャン・サルガドがボルソナロ政権のアマゾン先住民ジェノサイドと告発される問題を世界に訴えている。
僕が日本語で読むチョムスキーは911直後のものだ。
チョムスキーがブラジルの現政権について発言しているかどうか調べてみよう。


9月18日(土)の記 フレームのうちそと
ブラジルにて


僕にとって表現でたいせつなことは、それ自身から直接には看取できない大きな柱をどれだけその周囲と背後に張り巡らせているかではないか。

今日的経済的視点の真逆にありそうだ。
ひとつの大きな表現を仕上げるにあたって、自分に課した展示を見に行こう。
トミエ・オータケ文化センターのPierre Verger展。
サルガドを同時代でもっとも地球を歩いた写真家、と書いてみたが、その前にこのVergerが、いよう。

パリで生まれて、まさしく世界中を歩いて人々をフレームに収め…1930年代の日本訪問の写真だけでも誰かと語りあいたい。
Vergerは第2次大戦後、アフリカを経てブラジルに出会い、ブラジルに移住して骨をうずめることになった。

僕はこれまでブラジルとメキシコで彼の写真展を見てきた。
日本では見事に知られていない世界的な写真家のひとりかと。

今日は解説やキャプションはスルー。
きちっと撮られてきちっと展示された写真の妙を浴びる。
ざざっと見て、彼のフレームは真四角であることに気づく。

同時並行開催中のブラジルの国民的画家Di Cavalcanti、およびアマゾン河口の州パラの州都ベレン出身の写真家luiz Braga展もざざっと見るが、いずれもスゴイ。

きちんとフレームされたものが、それを吟味して展示会場で新たにフレーミングされている。
妙にして、快。

映像、画像表現におけるフレーミングについて日本ではどれほど語られているのかな。
僕が知らないだけか?


9月19日(日)の記 乾いた林で
ブラジルにて


今日は一日家族サービス。
まずは早朝6時台にクルマを出し、いったん帰って路上市で買い物。

エタノールを満タンにして、サンパウロ州内の農場レストランへ。
サンパウロ市近郊、郊外というよりは遠距離かな。
かといってサンパウロ州奥地、内陸というのも大げさな気がする。

日本から閲読を頼まれているものに、この問題がある。
僕以外にはどうでもいいかもしれないが…
あらためてデータを出すと、サンパウロ州の面積は248,209㎢。
日本の本州との比較がわかりやすい。
日本の本州の面積は、227,960㎢。
サンパウロ州の方がひと回り大きい!

東京から横浜や市川までドライブするのと岡山や青森まで走るのでは、ちと違うことだろう。
帰宅後、サンパウロ州の地図で今日の行程をチェックすると…
州全体からすると、ささやかそのもの。
それでも満パイで振り切れていた燃料計は半分強ぐらいまで減っている。

農場内の林にごろごろスペースあり。
大地は乾ききっている。
スマホでチェックすると湿度29パーセント!

さすがに食事スペースは禁煙で、タバコを吸いに出歩くのが多い。
申し訳ないが、僕らにはない方がいいライブ演奏のチャージがひとり10レアイスほど(約200円)取られている。
喫煙チャージをせめて一本当たりこれぐらい取ってほしいものだ。
こちらは吸い殻のポイ捨てがふつうだし、よく燃えるぞ。


9月20日(月)の記 断食男の台所
ブラジルにて


さあ今日は月曜恒例の一日断食。
よって買い物とグラフィティ採集に外に出てもカフェ立ち寄り等は控えざるをえず、いやはや。

わが断食の日は家族の食事づくりを免除させてもらっている。
それでも台所に立って、ふだん疎かにしがちな作業を「本業」の合間にたしなむ。
ちなみに今の本業は原稿書き。

思い出すだけで四つの作業をしておいた。
・玄米を研いで浸水し、発芽をうながしておく
・タカナ(らしきもの)を水洗い、日に干して下漬け
・緑茶と玄米茶の茶殻コレクションを佃煮に
・白ゴマを炒る
…こんなところかな。

さあ明朝のおかゆが楽しみだ。


9月21日(火)の記 ザンパンを求めて
ブラジルにて


インスタグラムに「ZAN PAN」というところのPRが入ってきた。
ザンパン…
サンパウロ市内にある自然酵母を用いたベーカリーの由。
して、店名の由来は。
まさか日系人の経営か。

今日、他の用事も抱き合わせて思い切って行ってみる。
久しぶりに市バスに乗って。

こじゃれた地域の一角。
門番にザンパン屋の場所を訪ねる。
あった。
こじんまりと、手作り感たっぷりでいい感じ。
経営者らしい若い女性が答えてくれた。
ザンは、イタリアの苗字だそうだ。
日本語の「ザンパン」の意味も伝えておくが、「食べ物ののこり」という説明ではそのキョーレツな語感は伝わらないようだ。
どっしりと重いザンパンをバッグに収めて、さて。

先週、トミエ・オータケ文化センターで買った本だが、包装をはがして開くと外側からはわからない破れが何ページにも及んでいた。
めんどくさいが、取り換えに行きたい。

ザンパンショップからだと、ふたたびバス使用で約30分、歩くと1時間以上。
少しバスを待つが、来る気配がない。
このあたりのグラフィティ事情も知りたい。
…ひと停留所歩くか。

それでもバスは来ず、さらに歩いて道に迷い。
バッテリー切れを懸念してスマホの地図アプリの使用をケチったため。
けっきょくトミエセンターまで歩く。
そのおかげで思わぬ場所を歩けた。

帰宅して、キリのいい数字までと屋内でもスマホを携帯すると、15000歩を超えた。
ザンパン効果。

ザンというのがイタリアのファーストネームか苗字か聞きそびれた。
調べてみると、イタリアにホントにあった。
そのウンチクはイタリア語記載なのでお手上げ。


9月22日(水)の記 ブラジル歌舞伎事情
ブラジルにて


こういう店をなんと呼んだらいいか。
…乾物屋かな。
わが東京の実家付近にも半世紀ぐらい前にはそんな店があったかと。

最近サンパウロでも健康志向の明るい雰囲気の「乾物屋」が増えてきた。
穀類、豆類、香辛料から菓子類までを量り売りする。
わが家の前のアヴェニーダには両側、至近に2軒オープンした。

向かい側の店で、日本の歌舞伎揚げに似たものを見つけた。
「コメ製ビスケット」とポルトガル語で書かれて、一口サイズの揚げせんべいだ。
日系人がつくっているのか聞いてみたが、製造元まではわからないという。

そもそもなぜに日本であれを歌舞伎揚げというのか調べてみた。
なんだ。
日本敗戦後の新しいものではないか。
東京の天乃屋というメーカーが1960年に発売、包装に歌舞伎の緞帳の柄をあしらったから、とな。
関西にはほぼ同じの「ぼんち揚げ」というのがあるそうだが、これも敗戦後の生まれだ。

訪日時にはブラジル持ち帰り用に乾物屋ならぬスーパーでよく買っていた。
こういうのは食べだすとやめられない。
ブラジルでも日本からの輸入品も出ていると記憶するが、贅沢品の値段で手が出ない。

まさか、ブラジルの乾物屋で手に入るとは。
これまでスパイシー味、バーベキュー味、トマト味が売られていた。
バーベキュー味はずばり醤油味で「歌舞伎揚げ」そのものと言ってもいい味。
100グラムで200円弱。

今日、訪問する日本人のお年寄りのところにお土産に持って行ってみよう。
今日はこちらの暦で春を迎えた。
春に、かぶく。


9月23日(木)の記 『現代美術史』
ブラジルにて


締切り迫る原稿の参考文献にあげたが、全編をきちんと読んでいなかった。
それではシャレにならない。

お泊り先で、未明に目覚めて少し読み進め。
帰宅後、原稿をいじる前にまず読み上げることとする。

山本浩貴さん著の『現代美術史』、中公新書。
2019年刊行で、富山妙子さんが取り上げているというので訪日時に買って求めた。
富山さんはこの本のことをご存じなかったので、自分用に買ったものを差し上げて、もう一冊買った。
富山さん関連のところはすぐに読んだが、ブラジルに持ち帰ってそのままになっていた。

原稿でグラフィティのことに触れているので、そのバックグラウンドの参考になろう。
筆者の自身へも含めての批判と検証の姿勢に共鳴。

自分の原稿とは別に、日本のさる美術関係の原稿の閲読というのを頼まれていた。
明らかな間違い以外は控えめな指摘にとどめておいたが…
それではいけない、と気づかせてもらった。

まずこの閲読報告の方に追記しよう。
返り血を浴びるかも?
…と、自分でどんどん用事を増やしてしまう。


9月24日(金)の記 薬草から
ブラジルにて


身内のために、薬草を買い出しにいく。
桑の葉はすぐに買えた。
グアバの葉は3軒まわってみるが、なし。

薬草類では、いろいろ想い出す。
かつて日本の知人のお連れ合いから頼まれたこと。
ブラジルにある〇〇〇という食虫植物の大木の樹皮が欲しい由。

その夫はマスコミで科学系の仕事をしていたが、食虫植物の大木などというものが存在するのか、ふつうに考えてみる気はなかったのだろうか。

小学生のお嬢さんが若年性糖尿病を患い、自分でインシュリンの注射を打っている状況、と聞いて「科学」「常識」はとりあえず外して、その名の植物にあたるものは存在するので手配した。
これが、いいという。
もったいないので煎じた残りを病気のイヌにあたえたところ、イヌまでよくなったという。

特殊な薬局までメトロとバスを乗り継いで買い出しに行き、梱包して郵便局の列に並んでインボイスに書き込んで航空便で送る。
かなりの手間暇で、こちらは実費のみを伝えると、コーヒー代程度をうわのせした金額がこちらの銀行口座に振り込まれていた。

他人の病気につけこんで、こちらのサプリ系でボロい稼ぎをあげたムキも少なくない。
しかし長続きはせず、悪銭身に付かず。
それなりの「報い」がその後にあるようだ。
僕にはとてもそんな「度胸」はない。

このお嬢さんの件では頼まれるままに何度か手配したが、ぱったりと音信が途絶え、だいぶしてから知人は亡くなったと風の便りで聞いた。
お嬢さんはどうしたのだろう。

プロポリスや姫マツタケ(アガリクス)など至急なんとか手配してほしい、とお願いはしてきてその後、経過報告のない人は多い。
あの日本の「神父さま」とか、頼んでおいて受け取って、経過報告どころか代金も払わなかったな。

思い出さないでいた不愉快なことがごそごそ出てくるので、これぐらいにしておこう。


9月25日(土)の記 お彼岸の週に
ブラジルにて


字数20000字制限の原稿。
今月いっぱいが締切り。
日本の担当にお彼岸の週には送付しましょう、と伝えておいた。

ところが今週、お泊りの用事が入り。
また別の人の原稿の閲読という作業を頼まれた。

そのため拙稿の方は来週はじめまでに、と自己締切りを延長…
先週、わが家族の仕事のデータ破壊という事故あり。

僕もより用心してUSBメモリーなどにも保存しているが、これもクセモノ。
原稿の方は何度も読み返し、オフラインのときも原稿のことを考えている。
舌足らずや補足したい部分が出てきて、それを書き足すと字数オーバー。
あらたに最初から読み直して、セコく削り削り…

昨日今日も手直し。
めんどくさいがその分、こなれていなかったところがスムースになったかも。
どんなトラブルがあるかもわからず、ブラジル時間でお彼岸の週のうちに送信…
おそらく先方には前代未聞のものだろう。
さあどうなるか。
こっちが頼んで書かせてもらった訳ではないので、まあ気はラクだけど。
だいぶ根を詰めてしまった…


9月26日(日)の記 イエスの謎の一考察
ブラジルにて


今日のタイトルは、松本清張の著作にちなんだもので、実際に書くのはささいなことである。

この時期にカトリック教会のミサにあずかって。
教会側の求めるコロナ感染対策を守らない人が少なくない。
たとえば…
公開ミサの再開とともに、座席は隣を空けるよう各椅子に明示してある。
ところが今日、前の座席は空いているのにミサの途中から僕の真隣に座ってきたオヤジがいる。
映画館なら、男狙いの痴漢とみたほうがいいだろう。

日本や韓国でプロテスタント系の教会での集団感染の例が報じられている。
コロナ大国ブラジルではこうしたニュースを寡聞にして聞かないが、どうなのだろう。
教会側のスタッフががんばっているのはそこかしこで感じるのだが。

さて、もう4週間になる。
8月29日の日曜の聖書の朗読箇所。
マルコによる福音の第7章。
イエスの弟子のなかには食前に手を洗わないのがいた。
それをユダヤ教の一派の人たちがイエスに「なぜ昔からの教えを守らないのか」と質す。

イエスは群衆を集めてこう語った。
「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。
外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。
中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。
みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」(ウエブマガジン『日毎の福音』より)

コロナ禍の今、これをどう読むべきか、僕はカトリックの司祭や修道女、カトリックメディアで働く人たちに問い続けてきた。
スルーする人ばかりで、答えてくれた人もコロナ問題を踏まえているとはいえなかった。

聖書によるとファリサイ派と呼ばれるこのユダヤ教の一派では、
・食前の手洗い
・市場から戻ったら体を洗う
・器や寝台を洗う
などの言い伝えを守ってきたという。
パンデミックの続く現在では、感染症防止のため理にかなったことばかりだ。
この時ですでに数百年の歴史を持つ一派で、その歴史のなかで感染症を体験しての知恵でもあろう。

イエスの言うことはそれはそれでもっともかもしれないが、感染症対策では意味を成すだろうか。
イエスの生涯は30数年、伝道期間は3年程度とみられている。
当時はスペイン風邪やCOVID-19のような感染症の流行はなかったのだろう。

もっとも、イエスが生前に繰り返したのは病人の奇跡的な癒しである。
自分の弟子が習慣とすべき手洗いをせずに感染症をわずらい、それを師が奇跡でなおすというのでは、ちょっとついていけないかも。

カトリックはスペイン風邪から何を学んだのだろう。


9月27日(月)の記 彼岸のあとさき
ブラジルにて


彼岸。
まず語源を確認。
サンスクリットの音に当てた漢字から来ているのかと思ったが…
パーラミター:波羅蜜 の意訳か。

期間は春分秋分の前後五日間と思い込んでいたが、七日間だった。
昨日で彼岸明けとなったわけだ。

なんだかいいこともよからぬことも、この時期に一挙に起こる感じ。
忘れていたような死者たちも、こっち岸に思わぬところから流れてくるのには驚いた。
区切りよく週明け月曜、一日断食、懸念の原稿もまずは送っておいた。

各国の友人知人とチャットなどしながら、スマホ写真データの整理。
チャットという語の意味を確認して、3人以上で同時に行なうことだと知る。
一対一のもチャットというのかと思い込んでいた。

うむ、今日の二件はまさしくチャットだったな。


9月28日(火)の記 台所の錬金術師
ブラジルにて


冷蔵庫のポットにある古コーヒー。
もう先週のものか。
翌日、家人が捨てようとするのを「もったいない」と制止したものの。

さあどうしよう。
検索してみると、まず出てくるのはコーヒーかすの利用法ばかり。
ちなみにわが家ではコーヒーかすは冷蔵庫やトイレの消臭用に用いている。

液体の方は…
ふむ、コーヒーゼリーか。
…うーむ、コーヒーゼリー系ばっかし。

そもそもスイーツ系は自分がほとんどたしなまない。
そういえばわが料理も、家庭の事情の他に酒のツマミを自分で、というのが起源のひとつかも。

ほう、レアチーズケーキ風ゼリー。
これはクリームチーズがいるのか。

わが家にゼラチンの粉があった。
説明書きが小さくわかりにくい。
賞味期限から幾年月…
ネットで出てきた日本語のレシピもざっと見て、コーヒーゼリーを試してみるか。

残りのコーヒー液を温めて。
ゼラチン粉はダマになってしまい、ちとうろたえる。
砂糖を少し足すか。
容器は…

いやはや。
冷蔵庫に入れて、待つことウン時間。
ふむ。
悪くない。
生クリームをかけてみる。

家人にも好評。
残りコーヒーも大むかしのゼラチン粉も捨てられてしかるべきものだったけど。
なんだか、錬金術。


9月29日(水)の記 他人の徳
ブラジルにて


「他人の徳を認める人は自分の中に徳を持っている人である」
アレイダ・ゲバラさんの語るキューバのホセ・マルティの言葉。
(『父ゲバラとともに、勝利の日までーアレイダ・ゲバラの2週間』星野弥生さん編著・訳、同時代社)

西暦2008年のアレイダさん訪日の際の講演録が中心の本。
読みかけだったのを、いっきに読了。
いい本だった。

この本も学芸大学の流浪堂さんで購入。
編著から翻訳も担当した星野弥生さんとは、在世田谷でドキュメンタリー映画の上映活動を続ける飯田光代さんの縁で、今世紀はじめに知り合った。

そして、アレイダさんとは…
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000044/20120304007996.cfm?j=1

現在は横浜のシネマジャック&ベティの階下の大道の焼肉師・伊藤修さんの仕掛けにノッてしまった。
当時の伊藤さんは横浜大口で裏にパティオまである土地の焼肉店の経営者だった。
東日本大震災と福島原発事故からほんの数か月後に、小児科医にしてキューバ親善大使も務めるアレイダさんが再訪日することになった。
伊藤さんと在日キューバ大使館の奇縁から、アレイダさんが横浜の伊藤さんのお店のパティオで講演会を行なうことになったという。

ちょうどその時期に訪日することになっていた僕に、伊藤さんからゲストとして参加しないかとお誘いをいただいた。
僕はキューバにも、アレイダさんの亡父のチェ・ゲバラにも通じているとはいえない。
以心伝心…
伊藤さんはこのイベントの撮影をしてほしいのだな、とお察しする。

講演や質疑応答をあとからも見やすい記録として残すとなると、僕一人の一台のカメラでは厳しい。
伊藤さんにカネがないのは百も承知、こっちも持ち出しだが…
日本で縁のある映像作家の岡本和樹さんに撮影のご協力をいただけることになった。

アマゾン帰りの無頼・伊藤さんとアレイダさんの丁々発止を期待したのだが…
そもそも時期は真夏、朝から雨でパティオに芝居小屋のような骨組みを組んでビニールシートをかぶせるやら、おおわらわ。
平日の午後だったが、過密な人の入りとなった。
大半がキューバの、特に政治方面でのオタクだとあとでわかる。

肝心なイトさんは…
交通渋滞とかで1時間余り遅れてきたアレイダさんと軽く挨拶を交わすと、パティオの会場にも現れず。
ずっと調理場でひとり肉を焼いていた。

僕のこの時期の関心、そしてこの時いちばんにアレイダさんに聞いてみたかったのは、日本の原発事故についてだった。
しかし、ずっとカメラの長回し…
質疑応答が延々と続いたが、この日本の未曽有の危機の時期にして地震や原発についての質問は、なし。

ようやく会場にやってきた伊藤さんが「そろそろお昼ご飯を食べましょう」とあいさつ。
昼食もそそくさと、アレイダさんは退場。

伊藤さんはこのビデオ記録のおかげでアレイダさんがなにを話したかを知れた、と言っていいかも。
その伊藤さんの心に残ったのが、冒頭に掲げたのと同じ言葉。

ちょうど10年前。
このイベントの終わりかけに伊藤さんは「オレ、出家しようかな」と漏らしていた。
その後の伊藤さんはほんとにこの地を追われるが、得度もしてしまった。
いまや横浜の大道焼肉師にして。伊豆大島富士見観音堂守である。


9月30日(木)の記 無告の民がいた
ブラジルにて


昨日付で記した2011年のアレイダ・ゲバラさんの訪日時の横浜講演会とその記録映像について。
仕掛け人の伊藤修さんに事実誤認や問題はないか、リンクをお送りした。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000260/20210929016263.cfm?j=1

新たに伊藤さんにいただいたご教示で、僕はたいせつなことを見落としていたことに気づいた。
あの会場には、ペルーやブラジルなどラテンアメリカからの出稼ぎ労働者とその家族も何組か来ていたのだ。
伊藤さんはそれだけでもやってよかった、とおっしゃる。

たしかにラ米系の人たちが家族で来ていた。
早い時間から来て、なんだかうれしそうにしていたのを想い出す。
質疑応答のときは、誰も手や声をあげることはなかった。
ALBA(Alternatiba Bolivariana de nuestra America)はどうなっているのか、といった僕にもわかりがたい質問を延々と声高に続けるキューバの政治オタク的な日本人たちに、気おくれしてしまったのかもしれない。

そもそもラ米からのこういう人たちは、ひっそりと自ら声をあげることのあまりない、いわば「無告の民」といっていいかもしれない。
「アレイダさんも懸念するようなこの日本にいま、ラテンアメリカから働きに来ているアメリカの同胞とその家族にメッセージをお願いします。」
僕はカメラを回すのをやめても、しゃしゃり出てもこの質問をするべきだった。
それに今まで気が付かずに、恥ずかしい。

大地震や原発事故についてはアレイダさんは当事者や専門家でもない。
それにこの時の訪日時に、他のメディアで語っている。

昨日、紹介した星野弥生さん編著のアレイダさんの2008年の訪日記録にも、沖縄などで中南米移住から引き揚げてきた人たちとの交流はあったこと書きされているが、いま日本に中南米から出稼ぎ労働できている人たちとの交流はうかがえなかった。

あの会場で、ラ米系の人たちはアレイダさんと短い挨拶ぐらいは交わしていたかもしれない。
無告の民たちはしゃしゃり出ることがなくても同郷者たちが何組か集い、ラ米の今に伝わるアイコンの娘がこの場に来て日本の若者たちに熱く迎えられていることに満足されたことだろう。

しかし、きちんと今に共有できる言葉をいただいて記録しておくべきだった。
自分は誰の側に立って、誰に向けて、なんのために記録をして残そうとしているのか。
猛省。





 


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岡村淳 :  
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