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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2020年の日記  (最終更新日 : 2020/12/01)
12月の日記 総集編 喪の壁

12月の日記 総集編 喪の壁 (2020/12/01) 12月1日(火)の記 新聞によりますと
ブラジルにて


立教大学ラテンアメリカ研究所主催のオンライン講演会が来週に迫った。
3月末にブラジルに戻ってコロナ巣ごもりを始めて以来、最大のイベントだ。

おおまかなアウトラインは立ててある。
あとは個々の資料の精読吟味だ。

さらに肉付けのため、昨今の新聞記事のチェックにかかっている。
現在、わが家はポルトガル語の日刊紙2紙、そしてブラジルで1紙だけ残った邦字紙を定期購読している。
かつては邦字紙だけで3紙あり、いずれも購読していたのでバカにならなかった。
いまや家計もひっ迫。
家人がポ語紙をひとつキャンセルすると宣言しているが、おいそれとキャンセルできない仕組みでだらだらと購読が続いている。

さて、これが思わぬ記事が拾えるのだ。
デジタル版で過去の記事を漫然とながめてお宝発見、なんていうのはあまりないのではなかろうか。

まあこの作業もきりがないから、ほどほどにしないと。


12月2日(水)の記 トトロ帽のコミュニケーション
ブラジルにて


日本でウドンを食べるのは食欲の問題だが、ブラジルでウドンを食べるのは郷愁の問題だ。
こんな言葉だったと思うが、人類学者の前山隆さんの名言。

今晩は、ニョッキにするか。
わが家の近くの日系人経営の食材店の自家製ニョッキがおいしい。
コロナ禍の時期で列ができていることもしばしば。
早めに買いに行こう。

開店早々。
先方からニホン語で話しかけてきた日系のおじさんに、1キロ頼む。
このおじさんとは特に面識がないが、僕を見て日本人一世とわかるのだろう。

会計の段になって「トトロ…」と僕の帽子を指していう。
日本の亡兄の遺品だ。
何度も洗濯して色が褪せて、破れた部分を自分で縫っている。
日本では恥ずかしくてかぶれない。

おじさん曰く「こどもらが、何度も見て…」
「うちの子も大好きでしたよ」
『となりのトトロ』をめぐるこんな会話がサンパウロの街角で。

僕の帽子を見て、黙っていられない人との出会いが楽しくてこれを大事にしているのかもしれない。

あの父親が考古学者で縄文文化を研究していて…
といったマニアックな話までできる人はブラジルではむずかしそうだけど。


12月3日(木)の記 喪の壁
ブラジルにて


言葉の概念規定や事実関係をきちんと書き込んでいくとそこそこ以上の作業となる、本業にさしさわりがあるのでざっくりと。

ベコ・ド・バッチマンに行ってみることにする。
近くの歩けば歩けないこともない、再オープンしたミュージアム訪問を抱き合わせて。

ベコ・ド・バッチマンはサンパウロ市内にある、世界的に知られるグラフィティ
の逸品が描き連なる地区。
「バットマン横丁」といったところだ。

そこが黒一色に塗りつくされたという報に接した。
定かに思い出せないが、SNSのどれかだったろう。
ブラジル国内での新たな黒人系(アフロ系の方が適切だろうか:ブラジルの状況、そして日本語に意訳することがむずかしい)国民の虐殺へのマニフェストであり、プロテストだ。

午前中とはいえ、久しぶりの繁華街ヴィラ・マダレーナ地区の閑散ぶりに驚く。
新たなコロナウイルスの感染拡大の影響だろう。

人通りもまばらな「横丁」は…
あの色とりどりのグラフィティの壁がひと通り黒で塗られ、追悼と抗議の言葉が書き連なっている。

不覚にも、涙。
芸術の、表現のありかを。
自分は表現者として、いやさ人として誰の側にあるべきか。
どうあるべきかを体感。

https://www.instagram.com/p/CIWWB0zHBRF/

だいぶ歩いて、最後はバスとメトロを乗り継いで帰宅。
事実関係がわからなくなり、新聞を発掘。

11月20日に南部の都市ポルトアレグレのスーパーでアフロ系の客が警備員たちに虐殺されるという事件が起きた。
この事件はブラジル各地での抗議運動に発展。
在ブラジル日本国総領事館からはご丁寧にも、巻き込まれないようにしましょうというお達しが。

ベコ・ド・バッチマンの黒塗りもこの事件に呼応したものと思い込んでいた。
しかし事件としての新聞の扱いは小さいが、より身近な殺人が生じていたのだ。
先週土曜未明。
この地区でNegoVilaと呼ばれるアフロ系アーチストが軍事警察によって殺害されていたのだ。

少し整理して咀嚼して、来週のオンライン講演に盛り込むつもり。

夕方、夏バテを感ず。
夜、日本からの電話がある予定。
家族の食事の支度をして、少し横になる。

ほう、今日は12000歩以上、歩いたか。


12月4日(金)の記 備えあれば熟れ熟れ
ブラジルにて


来週木曜に迫った日本へのオンライン講演の準備をメインに据える。
その合間に買い物や炊事。

こうしたことにこれだけ集中、というかヤキモキしたのは…
昨年1月のリオでのポルトガル語と日本語でのトークの準備以来かな。

まあ今度は日本語だけだからありがたい。
日本語のものでこれだけ根を詰めるのは…

かつて、郵船クルーズの『飛鳥』のブラジル/アマゾン航路に2回ほど講師として乗船した。
あの時の講演の準備には相当の力を入れた。
あれ以来だな。

それぞれのネタをきちんと押さえる前に、どんどん構想が拡がってしまう。
拡げるも抑えるも自分次第。

ううむ。
ここで要(い)るのは、いのりだろう。


12月5日(土)の記 文具両道
ブラジルにて


きたる10日のオンライン講演に備えて。

話すべき項目が多岐にわたる。
それぞれの資料をひと通り分類。
クリップでそれぞれを留めておく。
項目が数十になるので、大きめのクリップは同じものが揃わない。

こういうところが落ち着かなくなる性格。
わが家の近くに移転してきた大型文具店に行ってみよう。

おや、わが団地群の敷地内で手工芸品のバザーが開かれていた。
洗濯バサミ型の装飾付きクリップを売るおばさんあり。
うむ、わるくない。

ちょっとこらえて文具店にも行ってみる。
ブラジル最大級の文具チェーン店だが、それでも日本より見劣りがして品数が少ない。
色もののクリップ類、日本ならヒャッキンでよりどりみどりだが、こちらではオプションも限られて、値段も数倍。

おっと、数日前に探したけど見つからなかったバラのカード類があるではないか。
しょうがないから使い勝手のあまりよくない色付きの薄い紙の束を買って代用していた。
講演ネタを書き込んで構成していくのに使用。

帰りにおばちゃんの手作りバサミを買うと、オマケをしてくれた。

イベントのための文具そろえは、今年1月のギャラリー古藤さんでの特集上映以来。
これだけ大がかりは、西暦2015年の古本遊戯・流浪堂さんでの『岡村淳の脳内書棚展』以来だな。


12月6日(日)の記 市場の肩たたき
ブラジルにて


午前中、路上市で買い出し。
魚屋で買い物の後、財布をしまって立ち去ろうとしたところに…

それを見ていたらしい中年の物乞いの男が近寄ってきた。
先方はマスク無着用。
ニュアンスの日本語訳がむずかしいが「金をくれ」という意のことを言っている。
無視して立ち去ろうとすると、手のひらでべたべたとこちらの肩を叩いてきた。

「触るなよ!」と叫びたくなるが、こらえてとにかく振り切る。

男はコロナウイルスに感染しているかもしれない。
アバウトに言って1パーセントに留まらない可能性があるだろう。
僕に障る前に「手鼻」をかんでいたかもしれない。

帰宅後、まだ着るつもりだったシャツを洗ってもらうことにした。
こういう場合、どうしたらいいのだろう?

数日前に、わが家の近くの路上で起きた事件。
通行中の市民が精神疾患のある路上生活者にいきなり石で殴りかかられて、何針も縫う大けがをしたと回覧メールが届いたところ。

シャツの洗濯ぐらいで済んだことに感謝すべきか?


12月7日(月)の記 72時間前
ブラジルにて


さあ、一日断食だ。
立教ラテ研のオンライン講演まで、あと三日。
まだまだこれからが準備の本番だ。

早い時間に買い物、グラフィティ撮りを済ませに出る。
昨日、発見して目をつけておいたグラフィティをスナップ撮り。

wi-fiのつながりにくい奥の畳敷きの部屋にて。
座椅子に座り、小さな文机を前に。
資料をチェック、カードに書き込み。
構成を練り練り。

ウエブ検索の要があると、居間のノートパソコンへ。
これを何度も繰り返し。

映像編集よりエラいことは確か。


12月8日(火)の記 非常事態x二乗
ブラジルにて


オンライン講演を明後日に控えて、てんやわんや…

と、こんな時にわが家の非常事態。
といってもここに書くぐらいの余裕はあるのでご心配なきよう。

ただ不要不急のことには即、応じかねる状況が少し続きそうです。

そんな状況下に、思わぬ連絡が飛び込んできたり。
いやはや。


12月9日(水)の記 開戦前夜
ブラジルにて


家族の経過観察。
明日の講演の追い込み準備。

こういうのは手を抜けばいくらでも抜けるが、手間をかけるときりがないほど。
概して後者で自滅しがち。

読み残しの資料、読んでからだいぶ経つ資料のチェック。
ウエブ上でチェックしていた資料の視聴。

夕食準備の時間も惜しい。
ホームワークとなったわが子がストロガノフをつくろうかと言う。
頼む。

土鍋でのご飯炊きはお父さんがやろう。
ついでに冷蔵庫の残りのタケノコでサラダをつくって。

早めに夕食をとり、深夜まで作業。
オンライン本番開始まであと何時間かな。
武者震い。


12月10日(木)の記 今日の湯飲み
ブラジルにて


こころみに「死刑囚」「最後の食事」で検索する。
かなりのヒットがあり、驚いた。
僕なら頼みはしても、その時になったら食欲ゼロになりそうだ。

さあ立教ラテ研オンライン講演の本番だ。
飲み物は、何を用意しよう。

うーん。
緑茶かな。
湯飲みは…

鈴木章子さんの作品に注ぐ。
しばらくしてから、石井敏子さんの作品にしようと思い直す。

ネタを用意しすぎてしまった。
初めての方々へのサービスを冒頭で重ねすぎてしまった。
肝心な話題をどんどん、はしょらざるを得ない。

たとえてみれば。
主催者から、フェイジョアーダ(ブラジルを代表する料理)とかできますか?と問い合わせをいただいて…
フェイジョアーダもできますが、カレーの方が得意なので、両方とも出しましょうと申し出て…

食材を買いそろえているうちに、最近の自分は寿司を得意としているのに気づいて。
それぞれの付け合わせも用意しているうちに、食卓に収まりきらなくなってしまった、といったところか。

断線もあったが、致命的にはならずに切り抜けられたかな。
終了後は、気抜け状態。

椿三十郎を想い出す。

いただけるメッセージがありがたい。


12月11日(金)の記 さっそく原稿
ブラジルにて


昨日、終えた立教ラテ研のオンライン講演の準備にこの半月近く集中していた。
ようやく大きなトラブルもなく切り抜けて、なかなかの余韻とロス感がある。

が、こちらの身内の問題、そして別の締め切りとプロジェクトが迫り、緊張感が続いてよろしい。

まずはこちらの午前7時過ぎから、日曜のオンライントークのテスト。

日本の日曜の朝が締切りの原稿もある。
中南米について日本語で書かれた本を3冊、紹介するという企画。

3冊に絞り込むのがたいへん。
他の人々が取り上げそうなのと被らないことを念頭に。

それぞれの本を紹介しながら、いまの自分のことがそこはかとなく浮かび上がるような感じで書いてみた。
ひと晩、寝かせてから送信しよう。


12月12日(土)の記 ズームイン‼夜!
ブラジルにて


金曜の夜。
「時空をかける」などとウソぶいているが、時差へろへろ状態を維持。
夕方からキッチンドリンクと晩酌で出来上がって…

お、在日本の友人からメッセージ。
彼がZoomでブラジル向けに行なっているレクチャーに、思わぬ共通の知人が参加してきたという。

え?とさっそく僕もそのZoom会議に闖入。
おお、齢90を迎えたブラジルの佐々木治夫神父の姿が。
日本の友は日本語で講演を行ない、それをブラジル側の通訳が逐一、通訳していく。
最後の質疑応答で佐々木神父はひとりでポルトガル語と日本語の両方を切り替えて発言。
カッコイイ。

途中の講演はうつらうつら。
Zoom参加は、こっちのビデオと音声をオフにする機能があることを体得。

ブラジルの日付が変わって。
こっちの午前2時からフォトグラファーの柴田大輔さんのオンライン講演が始まるとの案内。
直前でも申し込み可とのことで、参加を願い出る。
開始数分前だったがオッケーをいただく。

司会が参加者にリアクション機能の使用を求めて、応じてみる。
「海外からの参加者」というところで。
なるほど、こんなふうにやるのか。

自分のメインイベントが終わってから、いろいろと習うより慣れろで体得。
人のふり見て、わがふり直せ。

さあ明日の未明からまたわがZoomイベントだ。

昨日、書き上げておいた日本の日曜朝が締切りの原稿がナゾの消滅をしているのに夕方になって気づく。

うろたえながらリライト。
家族のこともあり、ひとつまちがえればどこかホーカイしかねないかも。


12月13日(日)の記 三十五回目はブラジルから
ブラジルにて


映画『男はつらいよ』は全48作。
水戸にのまえさんの岡村上映会は、今回が第35回目。

今回はオンラインでブラジルからトークと質疑応答。
先月14日のこれまた水戸はミネルヴァさんが会場の上映会が、僕のはじめてのオンラインイベントだった。

一か月足らずにして、はや三度め。
事前に周到な準備をしていただき、スムースかつ快適に。

上映中はこちらのビデオをオフにして。
昨日、滞ってしまったウエブ日記のアップ。
静養中の家人の朝食の準備。
等々ができた。

今回の参加者は立教のイベントよりひとケタ少ないが、質疑応答はひとケタ以上のヴォルテージの高さとなった。
こちらが学ぶこと多し。

12時間の時差でこちらの未明4時30分スタート。
7時過ぎぐらいまでかと思っていた。

おや、もう9時近いではないか。
皆さんににのまえさんの常陸秋そばの十割新蕎麦をじっくり味わっていただきたいし。
時局柄、遅くならない方がよろしいし。
こちらも日曜の路上市がある。
「よいお年を』と告げて退室。

全身、汗をかいた。
ズームイベントの勝手もだいぶわかり、今後の改良点も把握。


12月14日(月)の記 PATRIARCADO
ブラジルにて


日本のメディア宛に送っておいた原稿に不備があるとの連絡。
依頼文を読み直すと、確かにひとつすっ飛ばしていた。
さっそくしたためて送付。

今日は一日断食。
ブラジルでは新たにコロナウイルスによる死者も感染者も増加中。
人ごみ、そしてそもそも外出をまた控えねば。

とはいえ買い物とグラフィティ採集…
だが、日本相手の時差作業が続いて、ばて気味。
さらに夏のサンパウロの日中の暑気がきつい。

そこそこ未採集のグラフィティが期待できるところまで歩き込むのが難儀。
さあどうしよう。
先日まで通った聖アマリア学院のグラフィティ…

生徒たちの卒業後の夢を書き込めるようにしてある黒板型のグラフィティ。
授業そのものはコロナによるオンラインも終わり、年末年始の休みに入っている。
学校には時折り入学手続きの親子などが出入りしている程度。

この黒板に書き込みがあった。
https://www.instagram.com/p/CIx6DcOnCQb/
「卒業したら…」

「DESTRUIR O PATRIARCADO」
「FORA BORSONARO」
2行目は、ブラジルの大統領ボロソナーロ追放、である。
1行目は、PATRIARCADO粉砕。

さてこの単語の意味は。
PÁTRIA は祖国のことなので、ファナチックな愛国者のことか。
帰宅後、調べておったまげた。

「家父長制」のことではないか。
ちなみに狂信的愛国者は、PATRIOTEIROだった。

中学高校レベルの学校の壁に「家父長主義粉砕」と書き込まれるなんて、カッコよすぎ。


12月15日(火)の記 黒澤明とワッケーロ
ブラジルにて


今日のタイトルを見てピンとくる人が、今の僕以外にいるだろうか?
ちなみに「ワッケーロ」とは、盗掘者をペルーで呼ぶ言葉。

先週、立教の大講演を終えて…
なかなか本らしい本を読もうという気力がまだわいてこない。

しばらく遠ざかっていたDVD鑑賞をしてみることにした。
いらい今日までに、
『七人の侍』
『天国と地獄』
『羅生門』
と、いずれも何度も鑑賞済みだが最後の黒澤明DVDコレクションで出されて買ったものの未見だったものをすべて見てしまう。

DVDそのものはもう少し丁寧に作ってもらいたいシロモノ。
それぞれのマガジンには今まで知らなかったエピソードもあって面白い。
『七人の侍』の九衛門の婆様のプロフィールにはぶったまげた。
あの作品には東京大空襲への怨念も込められていた。

「ワッケーロ」は『羅生門』にちなんで。
ちょうど茨城の装飾古墳について少し書いたところ。

クロサワを立て続けに見ることで、新たなそれぞれの相関の発見もあって面白い。


12月16日(水)の記 消えたタルコフスキー
ブラジルにて


黒澤のDVDはぜんぶ見ちゃったし。
タルコフスキーを見るか。

タルコフスキーもある程度、覚悟をしないと見直すことができないでいた。
DVD収納欄を探す。
…、ない。
ふたたび探すが、ない。
はて。
ブラジル発売のパッケージで『惑星ソラリス』以降をそろえていたはずだ。
しばらく見ていないが、311のあとで『ストーカー』を見直した覚えもある。
おかしい。

かつて日本からご法度のブツを担いでくるよう頼んだ在ブラジルの日本人研究者がいた。
彼は拙宅にそれのピックアップに来て、ついでに居間の書棚にあっためぼしい本まで「借り出して」いった。
移民たちから持ち出した資料を返さないので知られる人物だった。
僕にも返すことなく、テイクアンドテイクばかりで数年前に死んでしまった。

こちらの亡義父も僕の留守中に訪ねてきて、僕の座右にないと困るDVDを無断で持って行ってしまったことがある。

さて、わが家からタルコフスキーを持ち出すような気の利いた知人はいただろうか?
件のDVDはポルトガル語字幕版。
こちらの字幕は瞬時に消えてしまうし、そもそも日本語でも難解なセリフが多い。
日本で日本語字幕入りのものを買いたいところだが、こっち版の数倍の値段で買い控えてしまったまま。

ええい、オンラインで…
探してみるが、無料版は何語とも僕にはわかりかねる字幕が入ったものしか見つからず。

それにしてもどこに行ったのだろう、僕のタルコフスキー。

 
12月17日(木)の記 聖棒入手
ブラジルにて


思い切って店のドアノブを握って回すと開いた。
奥にいた女性に「開いてますか?」と聞くと「Sim(はい)」とのこと。
市内各地に散見するSEX SHOPなみに入りにくい店だ。

https://www.instagram.com/p/CI56lfBHjbH/
以前ものぞいてみようと思ったが、営業している気配がうかがえなかった。
いわば「シャーマンショップ」と銘打っている。

ウエブサイトをチェックするとアマゾン流域の植物を用いた線香類も何種かあるらしい。
それが目的。
「ウイルス感染者のこころを落ち着かせたり、その人のいる空間を浄化したりする効果のあるお線香はありますか?」
アマゾン産のもので、と付け加えたのだが、女性がすすめたものをよく見るとトルコ産とある。

アマゾン産のものは?と聞くと PALO SANTO という木片をすすめてきた。
これを燃やすといいという。
アマゾンといってもペルー産の由。

するとアマゾン上流域か、僕もそこそこアマゾンは歩いたけれど、と言ってみるが特に乗ってこないのでパロサントだけ買って帰る。

パロサント、名前からしてポルトガル語ではなくスペイン語である。
ネットで調べてみるとそもそも日本語のサイトのものが圧倒的に多い。
ポ語では英語のウイキの翻訳が最初に上がってきた。

ふむ、ペルーとエクアドル産か。
さらに調べるとカンラン科の樹木で、ユカタン半島からブラジルを除いた南米北部に分布しているようだ。
アマゾン流域とはあまり重ならないな。

独特の匂いだ。
さっそく試してみよう。


12月18日(金)の記 真夏の昼の編集
ブラジルにて


オンラインイベント続きで中断していた映像編集を数週間ぶりに再開した。
久しぶりにクルマを運転するのと同じ感じあり。

ノートパソコンを窓際に移していたが、日中は灼熱。
近くに鉢植えもあり、パソコンをアリにやられる恐れもある。

もとの玄関横に戻す。
メイシネマ祭'19の記録の編集。
今年中には終わらせたい。

次の大作が控えている。
その対策を練らないと。

ライトエッセイ『サンパウロで都道府県を食べる‼』をひっそりと再録。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000259/20201218015754.cfm?j=1
こんな調子の文章も書いていたのかと自分で驚く。
このイベントやブラジル日系社会のいまについて触れると、香辛料激辛になりそう。
それはしかるべき時までこらえておく。


12月19日(土)の記 嗚呼大サルガド
ブラジルにて


ブラジルの新聞は一面から宣伝ページが覆っていたりして油断がならない。
まずはきちんと一面の見出しを確認したいではないか。

今日のFOLHA DE S.PAULO紙はすばらしいサプライズだ。
ブラジルの誇る写真家セバスチャン・サルガドのとらえた大アマゾンのモノクロ写真が中央を飾る。

今日は10ページにわたるサルガドのアマゾン特集付きだ。
新聞紙面2ページの拡がりにたえる一枚写真を提供できる写真家は他にありえただろうか?

これまではアマゾンの先住民のグループごとの紹介だったが、今回はずばりアマゾニアと称されるアマゾンの総体がテーマだ。

B.J.メガーズの銘著『アマゾニア 偽りの楽園における人間と文化』以来のスケールと衝撃を感ず。
写真機とスマホの写真の相違、76歳を迎えたサルガドの抱負など、インタビューもこれまで以上の濃厚さ。

大アマゾンとかかわってきたこと、ブラジルにいること、この新聞を購読していることの喜びに浸りながら大紙面を繰る。


12月20日(日)の記 無風の夏
ブラジルにて


日中はゆうに30度を超すようになってきた。
今日あたりは風がないので、なかなか巣ごもりも厳しい。
旧式の扇風機は弱の設定でも、音も風圧もなかなか。

なにかとお世話になっている日本の知人から正式に原稿を依頼された。
いただいたテーマで掲載メディアのクオリティにかなうものが書けるか、不安あり。
依頼してきた人はご自身が依頼しても出来上がりが意に沿わなければボツにされる方。
書いてはみますが、お気に召さなければどうぞボツにされてください、と添えてお引き受けすることにする。

ラフ書き用紙にざっと原稿の構成を書いてみる。
8000字というのは、久々の長尺かも。

寝苦しいひと時、横になったアタマのなかでこうした構成を練るのも悪くない。


12月21日(月)の記 夏至の筆起こし
ブラジルにて


日本が冬至なら、サンパウロは夏至。
高層建築に阻まれてご来光そのものは拝めないが、体感はなんとか。
現政権になってサマータイムは中止された。
今日の日の出時刻は午前5時16分。

気がかりな原稿を叩き始めてみる。
映像の編集も原稿書きも、おおまかな構成はたててみるものの、つなぎながら、書きながら編んでいくのがオカムラ流だ。

…、この原稿は、いったいどんな展開になるのだろう?

8時台のまだ涼しいうちに外回りに出る。
とはいえ、さすがは一年で最も日差しの強い日、強烈だ。

今日は映像編集を見合わせて原稿書きに専念。
とりあえず3000字あまりまで書いてみたが、ばっさり削るかも。


12月22日(火)の記 私は保護官を殺した
ブラジルにて


「私は保護官を殺した」で検索してもヒットがない。
「アマゾン」も足してみると、思わぬ掘り出し物があった。
これはブラジルのニュースでは見逃していた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c159df8cbbb199defc3f5916cfe46e8d1f2dd676?page=1

この記事にあるアマゾン流域の先住民ウルエルワウワウがまだ未接触部族とされていた時期に、日本映像記録センターのクルーがインディオ保護局FUNAIの接触作戦に同行していたことがある。
しかし長期の取材でも撮影成果が上がらず、断念するに至った。
その後、イギリスのチームがすばらしいドキュメンタリーを完成させている。

さて上記の検索ワードは、僕も日本映像記録センター時代にかかわった『すばらしい世界旅行』で放送した番組のタイトルである。
代表プロデューサーの牛山純一らしいインパクトのあるタイトルだが、日本のテレビ電波では流しても、あらたに世界を覆う電波の網には漏れてしまったようだ。

西暦1983年、『すばらしい世界旅行』アマゾン取材チームはA班B班に分かれて、アマゾンの未接触部族とのコンタクト作戦で保護局スタッフが殺害されてしまった事件の取材に挑んだ。
その前年に入社、まだ学徒出陣の観のある岡村は、この時が初めてのブラジル取材だった。
弱冠岡村ディレクターのB班はブラジル・アマゾナス州最西端、コロンビアとペルーの国境地帯に向かった。

謎の未接触部族コルボへの接触作戦での犠牲者と接触活動の失敗の取材が目的だった。
コルボと呼ばれる先住民と、彼らのテリトリーに入り込んで森林伐採を行なう「白人」との抗争が生じていた。
コルボは弓矢は用いず、棍棒を武器として、襲われた「白人」は撲殺されて体の骨の一部を持ち去られていたという。
コルボ側の犠牲については、知る由もなかった。

西暦2017年12月の日付。
もう3年になるのか。
3年前、ブラジルの日刊紙FOLHA DE S.PAULOの一面を見てたまげた。

「この惑星の最大の写真家」と称賛されるブラジル人セバスチャン・サルガドが収めた写真によるコルボの10ページにわたる特集があったのだ。

現地への移動だけで何日間もかかる話で全取材期間は通常より短いという作戦では、まともな成果を望むのも無理というもの。
岡村B班のコルボ取材では朝田カメラマンが健闘してくれたが、そもそもこの取材期間では当時も続くコルボ接触作戦前線基地までたどり着くことも不可能だった。
この時の取材の映像はお蔵入りとなった。

その後1996年から新たにコルボ接触活動が始まった。
今回のサルガドがはじめてジャーナリストが彼らのテリトリーに滞在しての取材になるという。

あの大サルガドの、はじめての大胆な試みに目を見張った。
(先の僕の立教の講演で「個々の取材体験の話がなかった」というご指摘もあったが、話そうと思って割愛したひとつの取材体験だけで、短くしてもこれぐらいの記載になるのです。)

今宵はその記事を精読。
まさしく日本の「蛇行」に相当するポルトガル語の単語があるのを知る。
「serpentear」という動詞。
サーペントと同じ語源だ。

コルボのテリトリーに向かう大アマゾンの支流イトゥイ川は、まさしくserpentearだった。


12月23日(水)の記 洗車と選車
ブラジルにて


ブラジルのコロナ禍はふたたび大変なことになってきた。
昨日一日で1000人近い死者。

サンパウロ州はクリスマス、年末年始の週末を赤印にして活動制限を要請。
早めに買い物に行ってこよう。

気になる洗車も今日の午前中の早い時間に済まそう。
8月以来、洗いに出していない。
洗車どころじゃないと脳内に声もある。
が、この非常時に車を出す用事もあり。
クリスマスと新年を迎えるにあたってささやかにさっぱりしたい、という声の方が強い。

メトロでひと駅先のいつも使っている洗車場へ。
30分でオッケーの由。

その間、グラフィティ採集をメインに歩く。
久しぶりの一角でわくわくする。

あ、廃品回収場。
路上にたむろする人。
この先に入ってみるか否か。
偏見を持っているつもりはないのだが、無意識にリスクを周囲から感じる。
グラフィティはこういうところに傑作が少なくない。

歩留まりのものをスナップ撮り。
さらに歩く。
あ。
廃車とみられる車の外側に描きまくったのがあるではないか。
クルマは四つ輪エンブレムのアウデイというのが泣かせる。
周囲に人影はみあたらないが、どこで誰が見ているかわからない。
そそくさと撮影。
https://www.instagram.com/p/CJJLzHLnEK_/

帰宅後、画像をチェックする。
つくづく、いい。
インスタグラムに上げる。
クルマに作者名らしい書き込みがあったのでインスタで検索してみる。
あった、いた。
さっそくこの画像を知らせるメッセージを送る。

「記録してくれて、あ~りがと~う‼」
といった返信をさっそくもらう。
実物をじっくりみたかった。


12月24日(木)の記 緑と赤
ブラジルにて


日本の友人からもらった粉抹茶が残っている。
経年のせいか、そもそも溶けがよくない。
飲んでみると冷蔵庫に入れていたわけではないが、冷蔵庫臭みたいのがある。
かといって、こういうものが捨てられない。

古い茶っ葉ならほうじ茶にする方法がある。
抹茶となると…検索。
むむ、食用となると練り物に混ぜ込むぐらいしか見当たらない。
あまり練り物はつくらないし。
あとは冷蔵庫などの脱臭、清掃用か。

昼。
抹茶ハイにするというのを思いつく。
今日はクリスマスイブで家族全員仕事は休み、僕の期待される役割は昼夜の食事作り。
昼飲みするか。
まず抹茶をお湯で溶く。
国産ウオッカ、氷。
レモンスライスにハチミツも入れてみた。
トニックウオーターも。
わるくない。
少なくともあの臭みは克服。
飲んでから、件の抹茶は賞味期限から3年以上経過していることがわかった。

クリスマスイブの夕餉は、まずムール貝のリゾット。
これにパタゴニア産のマスのオリーブオイル焼きでどうだ。

ムール貝のリゾット、よきお味。
マスもよろしい。

家人より、マスはこんなに赤いのかという質問。
たしかに普通のチリの養殖サーモンぐらいの紅色だ。
ブラジル産のマスは、ずっと白かったな。

マスの包装に貼られていたシールをよく見る。
冷凍食品店で買ったのだが、記載は芥子粒大のフォントで、しかも店内がわさわさしてよく確認していなかった。
なんだ、パタゴニアだ塩水産だとうたっているが、養殖ものだった。
しかも餌に色素を加えているとある。
この赤は、消費者の目をひくために人工的に着色していたわけだ。

…まあ、めったに食べるものではないけど。


12月25日(金)の記 クリスマスのシャッター街
ブラジルにて


クリスマスの祝日。
家族の用事で計40キロほど運転。
洗車したての車のボンネットに鳥のフン。

いやはや交通量も少ない。
アヴェニーダの商店街は、ずらっとシャッター街。
日中でこれだけひと通りすべて閉まっているのは稀有。

マージナル幹線道路もすかすか。
この道は…
そう、パンデミックがはじまってまもない4-5月ごろもこんな調子だったな。
基本的に乗用車ばかり、おなじみのトラック類が見当たらない。

さあ今日のグラフィティ撮影はどこにしようか。
通常は車の停めがたいところに停車、通りを渡る。

うーん、歩道からでは面白くない。
車道はこの時期でもクルマが途切れず、ひやひやと早撮り。
数点のうち、どれにしようかと思案するが、時局に引っ掛けたものを選ぶ。
https://www.instagram.com/p/CJOcz5EnkzH/


12月26日(土)の記 クリスマス明けのスナップ
ブラジルにて


クリスマスの翌日にして土曜日。
しかもコロナ禍がふたたびピーク時に迫る悪化。
街の商店の開き具合は通常の半分以下。

近くの大衆系スーパーへ。
24日はあれもこれも品薄、しかも値段も上がっていたが…
昨日はさすがにここもお休み。

26、27日限定の安売りがさっそく始まっているではないか。
客足も少なめ、店員もリラックスした感じ。

野良犬が店内に入ってきた。
それを追う若い男の店員も、あまり気合は入っていない。
ブラジルは、狂犬病が吸血コウモリなどからもヒトにおよぶ危険のある国だ。
発病したら、100パーセント助からない。
死に至る。

狂犬病もウイルスによるもので、僕も吸血コウモリの取材を手掛けている。
ウイルスと環境破壊の問題として先の立教の講演でご紹介したかったが、割愛したエピソードのひとつ。

レジが僕の順番となる。
後ろのおばちゃんが「お金、落としたわよ!」と声をかけてくれる。
10レアイス札(約200円)が落ちていて、ポシェットから財布を取り出したところだが、自分が落とした気がしない。
が、ややこしいのでお礼を言って収めることにした。
「どっきりカメラ」かなにかか?

このお金はキープして、一件あたりとしては大きいから、割って物乞いなどの困窮した人に回すとしよう。


12月27日(日)の記 アンケートのトラウマ
ブラジルにて


立教大学ラテンアメリカ研究所のオンライン講演後にいただいたアンケートすべてへの返信をアップ。

回答総数53と集計にあって、53件に答えるものとばかり思い込んでいたが、僕宛は39件だった。
全体を見通してから返信を書くと予定調和っぽくなりそうなので、順番でひとつひとつにがっつり当たっていった。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000051/20201223015766.cfm?j=1

アンケート…
つまらないことを思い出した。
今は統合されて名前も変わった東京都目黒区立第5中学校時代のこと。
中1だったか中2だったか。

図書室に置いてほしい本を書いてください、といったアンケートがあった。
学校の図書室の本より当時は数十円のものもあった文庫本を買った方が僕には面白い時代だった。
なにを書いたかも覚えていない。

音楽の女教師が図書の担当で、僕は職員室に呼び出された。
アンケートに「ポルノ小説」と書いたのがあり、「あなたが書いたのでしょう?」という詰問だ。
そんなばからしいことを僕が書くはずもないし、筆跡でもわかるというもの。
いずれにしろこういう問題があると、あれはオカムラだろうと疑われるほど教師どもから目をつけられていたわけだ。

そうそう、これはアンケートからの連想というより、日本で生徒の下着の色を教師がチェックするという記事を見てのリアクションだ。

日本の学校教育は、僕の頃からこうしたどうしようもなさがあった。
こんな詮索をするならはじめから無記名のアンケートなどしなければよい。
しかも「ポルノ小説」と書いた生徒を探し出すことにどういう教育意義があるのか。
性教育にまともに向き合わないで、かたや今ならセクハラでは済まされないような言動をとる教師は野放しで、生徒の締め上げばかりに躍起になる。

それがスキかどうかは別として、立教の講演でも性的な方面のシモネタは特に留意して外すぐらいなのが僕なのだが。

どうにか、日本の教育につぶされないでよかった。


12月28日(月)の記 東洋人街の隘路と活路
ブラジルにて


年の瀬に、東洋人街の日系総合診療機関へ。
歯科治療はひとつまちがうとめんどくさいことを体感。

コロナ非常時の年末、午前中。
開いている商店も人影も、ぼちぼち。

今日は掘り出しもののグラフィティがいくつも。
さあどれをインスタにアップするか、悩ましいところ。
わが嗜好優先か、アート性か、メッセージ性か、時事ネタか。
https://www.instagram.com/p/CJV7BUpn6qp/

ブラジル初取材時のサンパウロ滞在はこの東洋人街の安宿だった。
37年前だ。
いらい、常にあまりいい思い出はない。

西暦1962年にブラジルを訪ねた画家の富山妙子さんとも、そのあたりで意気投合した。
ブラジルの日本文化をたとえるキーワードの一つが「劣化コピー」だと思う。

この東洋人街はもとは黒人居住区、そして黒人奴隷や犯罪者の処刑場、埋葬場だった。
そのあたりへのレスペクトを欠いてメトロの駅名に政治力で「ジャポン」とかぶせても、煉獄の情念が鎮まるべくもないだろう。

ごちゃごちゃ系のグラフィティを見ながら、あ、と気づく。
映画『ブレードランナー』の世界。
近未来の東洋系のスラム街のイメージ。
これは魅かれる。

今日も現に人通りもまばらななか、大鳥居と大阪橋のあたりでは記念写真を撮る観光客がかえって目についた。

日本から皇族が来るとき、クルマで通るルートだけをその場繕いに整備するような発想はまず捨てて。

そもそもここで日系商品を売る大手商店もすでにチャイニーズの経営だ。
近年はずばり中国系、コリアン系の商品をメインにする大型店が増えてきた。
「日本オチメでスゴイ」という観点では本国よりこちらがうわまるかもしれない。

人は、ガイジンの若者はなぜ新宿ゴールデン街に惹かれるのかあたりから考えてみよう。


12月29日(火)の記 町の鉱水
ブラジルにて


ようやく家人の都合もつく。
ミネラルウオーターの源泉に水汲みに行く。

と言ってもサンパウロ市内。
コンゴニャス空港の裏、南西側だ。
大都市にある鉱泉というのは世界でも稀有の由。

水道水の臭さが問題になった時、わが地区の有志のフェイスブックのページで紹介されていた。
こういうのは、まず行ってみないと勝手がわからない。

年末そしてコロナ禍再燃で道路がすいているのはありがたし。
なんだか郊外の雰囲気もよろし。

ミネラルウオーター販売会社にして源泉のある敷地。
広い駐車場に車を止めて、使い捨ててあったカートにわが家から担いできた5リットルの空き瓶を詰め込んで。

源泉は3か所あり、最近は深度500メートルからのpH9.1というアルカリ性の鉱水の販売に力を入れているようだ。

テイクアウトの価格はリットル50センタヴォ足らず、安売りのスーパーで瓶入り市販のものの3分の一以下だ。

家人にはわからないが、僕はいじっていてヌルヌル感がある。

帰宅後、大雨。
わが地区の下の方で浸水もあったようだ。
水を汲みにいってクルマが浸水してはシャレにもならないところだった。

水の味は家人は違和感を言うが、僕にはわからず。
柔らかい感じはするかな。

まあいろいろ使ってみよう。


12月30日(水)の記 四半世紀をめくる
ブラジルにて


まさしく発掘作業中、である。
いろいろな経緯から、ちょうど25年前に撮影した素材を発掘。
こちらのファミリー系のイベントを撮ったもの。

僕のHi-8時代の最後の頃だ。
そもそも再生する術があるかどうかがひやひや。

そしてまずminiDVにコピーしてデジタルマスター化。
さらにパソコンに取り込んで、Ediusで編集…

中断したメイシネマ祭の記録映像の編集作業より、はるかに難儀。

それにしても25年前の自分の視点、なるほど、である。
自分としてはそうブレずにきているかと。

そもそも世間様から大きくブレているので。
機械まかせの部分もあり、ひやひやだったが、なんとかなりそうな気配。


12月31日(木)の記 開かれたアート
ブラジルにて


西暦2020年の〆に思い切って訪ねてみることにする。
Museu Aberto de Arte Urbana de São Paulo (MAAU-SP)。

訳すとサンパウロ都市アートオープンミュージアム、といったところか。
サンパウロ最古のメトロ南北線のカランジル―駅を中心に3駅の区間に拡がる。

メトロといってもこの区間は地上の高架になっていて、その橋桁部分に著名なグラフィテイロ(グラフィティ作家)たちが作品を描いている。
入場と見学は無料だが、居住も無料のようで、路上生活者、物乞いたちの生活空間ともなっている。
脇に自転車レーンも築かれて、そもそも大みそかのため通常とは事情が違うだろうが、時折り自転車やジョギングの人も現れる。

思い切って全区間を歩く。
アート鑑賞で訪れているのは僕以外に見当たらない。
緊張感はハンパではないが、グラフィティは傑作ぞろいだ。
これまで市内で見かけてきた、なじみのある作家のものも少なくない。

どこか地方のギャラリーに通ってアートに興味を持った初心者が、その国の首都の国立美術館を訪ねた時の高揚にたとえようか。

これは折に触れて訪ねてみよう。
誰にでもお勧めできる環境ではなく、リスクも伴うので、念のため。

この翌日以降は、以下の西暦2021年の日記に続きます。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000260/20210102015783.cfm?j=1




 


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