10月の日記 総集編 わが旨はアマゾンにあり (2022/10/04)
10月1日(土)の記 とんかつ宣言 ブラジルにて
今日は、とんかつを揚げることにした。 わが家ではごちそうである。
昼に間に合うよう、冷凍食品店で豚フィレのかたまり、日本食材店で大袋のパン粉を購入。 あ。 とても昼までには肉が解凍しないことに気づく。
夕方でもまだ凍っている。 数日前に特売で買った牛肉のかたまりをまだ冷凍していなかった。 牛も揚げるか。
けっきょく牛と豚、そしてのこりの衣の材料でズッキーニを少し揚げる。 牛も好評、そもそも肉が柔らかくておいしい。
思えば日本では牛カツというのはあまり食べた覚えがない。 こちらではカツのことをミラネーザ(ミラノ風)と呼ぶが、牛が一般的で次にチキン。 トンカツはもっぱら日本料理屋かも。
こちらでも牛と豚の肉の値段を比べると、今度の特売の牛肉でも豚の2倍弱の値段だ。 僕にとってトンカツはすでに自分のなかの文化だが、それを差し引くと味としては牛カツに軍配を上げるかもしれない。
いずれにしろ換気扇のないアパートで少なからぬカツを揚げるには、自分にカツを入れないと。 たっぷりこさえたつもりの線キャベツも足りないぐらい。
10月2日(日)の記 嗚呼決選投票 ブラジルにて
午前中から、こちらの身内のところにまかない夫として出かける。 今回は二泊三日。
今日は大統領選をはじめとする総選挙の日。 学校などの投票場では早朝から列が並ぶ。
そして市内随所の路上に、満開の花でも散ったかと思うほど選挙ビラがばらまかれている。 こちらでサンチンニャ(小聖像画)と呼ばれる、候補者の写真と投票番号の印刷されたもの。 市街地汚染以外の何物でもないが…
環境悪という点では今も行なわれている戦争の方が桁違いに上だろう。
夜、さっそく選挙の趨勢がわかる。 ルーラとボルソナロの決選投票か。
環境破壊推進、先住民虐待のボルソナロ現大統領の支持が在日本のブラジル人では相変わらず多く、わがサンパウロ州でもルーラをしのいだという。
もうこれ以上、この国のほんらいの生態系を、先住民を苦しめないでくれ。
10月3日(月)の記 黄昏のブラジル日系人 ブラジルにて
まかない夫としての滞在先で、近くの日本食材店まで買い出しに出る。 片道2500歩ほど。
平日の午前中、広い店内には僕しか客がいない。 レジには仏頂面の日系の男。
こちらからボン・ジア:おはよう、と挨拶をする。 応答もなく、にこりともしない。
こちらがエコバッグを持っているのを見て「レジ袋は?」と、いらないだろ?という文脈で聞いてくる。 ところが買ったものには冷凍もの、冷蔵ものがあって直に入れては他のものも袋のなかも濡れてしまう。 「ください」と言うと、ますます仏頂面に。
納税番号込の領収書はいるか(ちなみにこれは商店では普通に聞いてくる)と聞くので、シンプルなものでいい、と答える。 すると何が気に入らなかったのか、聞えよがしの舌打ちをされてしまった。
怒りを抑えて去り際にこちらからあえてオブリガード:ありがとう、と声がけするが返事もない。
わが家の近くなら日系食材店は雨後のタケノコのようにあるので、多少安くても不愉快な店は忌避すればよい。 しかしこの地区はそもそも商店が少なく、そしてそもそもこの店はわが家近辺より1割から数割は高い。
お客様はカミサマなどとはまるで思わないが、せめて対等な関係でありたいもの。
帰りの2500歩、ムカツキをこらえて思いを馳せる。 このオトコ、よほど家族間に問題があるのか、健康を害しているのか… 日本へのデカセギで、在日日本人にそうとう屈辱的な目にあわされてきたのかもしれない。
あ。 今朝は7時前に、近くのミニスラム街の入り口にあるパン屋にパンを買いに行った。 アフロ系の遺伝が目立つおじさんがここちよく、こちらの不備をいたわってアテンドしてくれた。 規定があるかと思っていた標準的なパンの値段もわが地区より割安ではないか。 少しだが、心地よい買い物をさせてもらった。
ますますあの日系の男が不審である。 日本的な負の遺伝子、負の文化の相乗作用によるものか。 非日系ブラジル人で、これだけカンジの悪い輩がちょっと思い浮かばない。
10月4日(火)の記 ケッパー警部 ブラジルにて
こちらでalcaparraと呼ぶ、花の蕾の塩漬けは日本語ではなんと言ったっけ… 検索。 ケッパーか。 アルカパハがケッパーとは。
この植物の学名はCapparis spinosa。 この種名にアラビア語の定冠詞のalが付いたのかもしれない。
今日は午後まで出先、それから給水に寄っての帰宅となる。 夕食は父さんがつくると言ってある。 あまり手間のかからないカルボナーラのパスタでどうだ。
基本はベーコン、卵黄、生クリームと粉チーズに黒コショウ。 野菜入らずでべとべと。
少し青ものを入れたい。 冷蔵庫にだいぶ残っているイタリアンパセリをちょいと刻んで。
さらにだいぶ月日の経つケッパーが目についたので、投入。 今日のパスタは全粒のものにしてみたが、そう悪くはなさそうだ。
ケッパーは安いものではないが、あちこちに思いを馳せさせてくれる。 少しレシピを調べてみるかな。
10月5日(水)の記 ポスト・ポスト時代 ブラジルにて
全編公開もままならない『伊豆大島霊異記』シリーズの作業。 トラブルもあって、いまだに引きずる。 これは、なにのメッセージか。
さてさてあとの残務・懸念事項は… 在ブラジルの齢90代の方へのお便り。 クリチーバに居を移した佐々木治夫神父は満92歳だが、身心に問題なければご自身でメールをたしなまれるが、こういう人は例外中の例外だろう。
いつもは絵葉書を選んでいたが、今回は便箋にした。 ブラジルの郵便料金は知らないうちに値上げがしばしば、してネットでも料金を調べるのがややこしい。 ようやくたどり着いたのは…国内普通郵便、20グラム以内で2.35レアイス。 切手のストックを探し出して、料金に合わせて組み合わせて貼る。
17時を回り、すでに郵便局は終業の時間だが落ち着かないのでポストに投函に行こう。 最寄りの局まで歩くと… ない。 大通りに面して設置してあったポストがなくなっている。
別の局まで歩いてみるが… ここもない。 ちょうど郵便物の回収に来たらしいスタッフに、ポストはなくなったのかと聞くと、そうだという。
郵便局以外の場所にあったポストが撤去されたのはもう10年ぐらい前か。 今度はポストそのものが廃止されるとは。 日本の郵便制度の著しい劣化を聞くようになったが、わがブラジルも。
10月6日(木)の記 郷愁のフォルモサ ブラジルにて
朝イチで、郵便局へ。 かつては郵便局のオフィスのなかにもポストがあったが、これもなくなっている。 まず整理券を機械で取らなければならない。 優先は… あ、80歳以上になっている! 60歳以上は、準優先か。
準優先で10分足らずの待ちで済んだ。 受付けたスタッフの女性に乳がん関係らしい寄付を求められるが、「ちょっと厳しくて…」と応じて去る。
さて、偶然が、いくつも重なった。 それを結んで、サンパウロ大学構内で開かれている台湾映画特集上映を見てみることにした。 今日は先住民(台湾では原住民という言葉を使う)にちなんだ2本を上映の由。
両方、見るか。 まずは16時の部。 アルファベットの題は『Pakeriran』。 原題は『巴克力藍的夏天』。
おそらく台北で暮らす少数民族出身の大学生が、祖父危篤の報を受けて故郷に帰ることになった。 おそらく日本語で「アミ族」と呼んでいたグループだろう。 なつかしい。
奇祭も、エログロも出てこない。 地味だが、なんとも愛おしい世界だ。 設定をそのまま沖縄に移してもいいかもしれない。 主人公の青年が、まさしく赤銅色に焼けてたくましくなっていくのがヴィジュアルに表現されているだけでも、うすぺらなテレビドラマとは違う。
そして周囲から漂う虫の音をはじめとする森羅万象の音。 全身で郷愁:サウダージを感じてしまった。
どうやら日本では未公開。
19時からは、これまた僕もゆかりのある「原住民」のドキュメンタリーのはずが… 原題『漂浪青春』という劇映画に変更されてしまった。 これは調べてみると、『彷徨(さまよ)う花たち』という邦題で西暦2008年に「東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」で上映されていた。 これも日本では一般公開はされていないようだ。 突然の上映作品変更でもなければまず見ることもなかった映画。 なかなかの拾いものだった。
ちなみに『彷徨える河』という邦題のコロンビア映画があったが、これも調べると2015年制作で日本公開は2016年。 邦題を「彷徨わす」のは、この台湾映画の方がずっと先だった。 台湾映画の方は英題は『Drifting Flowers』、現代も「漂浪」だから「彷徨える」でもおかしくないだろう。 日本の国葬クラスの総理大臣などにはルビがいるかもしれないが。
2本ともいわばハッタリのない地味な作品だった。 しかし、愛おしいのだ。 作り手たちの誠意が伝わるのだろうか。
自分の遺伝子的ルーツの他に、映画少年・青年だった記憶も蘇ってしまった。 ここのところ公開もままならない自作を紡ぐことばかりで、久しく他人様の作品に接していなかった…
夜更けのサンパウロ大学、さらに大粒の雨まで注がれてくるが、ぶじ帰還。 これはアトを引きそうだ
10月7日(金)の記 チョウセンアザミの挑戦 ブラジルにて
ブラジルではAlcachofraと呼ぶ。 ええっと、日本では…アーティチョークだな。 検索すると…和名はチョウセンアザミか。
ほう、これも地中海沿岸が原産だ。 しかも先日、書いたケッパー同様、ポ語名はalで始まっている。 これも花の蕾を食用にする。 直感だが、ネアンデルタール人の文化を感じる。
花の蕾の萼(がく)と花芯の部分を食べるというのだから、飢饉の時代の救荒食を思わせる。 ところがどっこい、グルメで高価。
和名のチョウセンも魅力的だが、これは「外来の」という意味合いの由。 日本にとって「朝鮮」は外来のものの窓口という認識はよく受け止めておきたい。
徒歩圏にあるスーパーで特売があったので買ってみた。 食べたことはあるが、自分で調理したことがあるかは覚えていない。
ネットで検索して、塩の他にライムとローリエも入れて茹でる。 悪くない。 なんと肝臓の解毒、体内の余分な塩分排出効果もありとのこと。
安売りがあれば今後も求めよう。
10月8日(土)の記 南米のカレー南蛮 ブラジルにて
料理とは創造にしてアート、そしてエコロジーだと思う。 今日の昼は、わが外泊中に家族がつくったカレーの残りを活用してカレー南蛮蕎麦といこう。
ソバは近くの日本食材店に買い出し。 値段も味も、日本製>韓国製>ブラジル製。 まんなかの韓国製とする。
日本でのカレー南蛮発祥の店とされる蕎麦屋が目黒にあるというのは最近、SNSで知った。 中目黒の朝松庵という店で、店の存在は知っていたがそんなウンチクがあるとは知らなかった。 もっとも他に四谷の杉本商店説もあり、「たかがカレー南蛮」ですら真相は不明である。
検索していると「南蛮」とは長ネギのことで、長ネギを南蛮文化時代に料理に用いたからといった解説がいくつか。 いっぽう長ネギを調べてみると、日本に奈良時代に入り、いらいポピュラーに使用されてきたとある。
まあ、食するのはウンチクではない。 おかちゃん流は、ブラジルで一般的な長ネギである小ぶりな葉ネギと豚ヒレのスライスをプラス。 残りのカレーとかつおだし系の自家製そばつゆをアマゾンの合流点のようにミックス、これに以前の残りの片栗粉と小麦粉を溶いて加えてとろみをプラス。
これに見た目ほど辛くない、こちらでポピュラーな「カラブレーザ唐辛子」の乾燥ものを投入。
韓国ソバはイマイチだが、ブラジル製よりはマシ。
あらためて「南蛮」はトウガラシのこと、というのがしっくりくる。 なんたってわが大陸はトウガラシの原産地。
トウガラシについて格別の書籍を入手して、ちびちびと読み進めているところ。 これもお楽しみに。
10月9日(日)の記 チャンポナーダ ブラジルにて
少しでも紙類を処分したい… 『聖母の騎士』という日本語のカトリックの冊子に手を付けた。 在ブラジルの90代の老日本人シスターにいただいたものだ。 そのまま処分できない性格で…
西暦2018年10月号。 冒頭の長谷川集平さんの「こんちりさんながさき」という連載が面白い。 長谷川さんは絵本作家にしてミュージシャンだという。 この号は「ちゃんぽん=チャンポナーダ」というタイトル。
カレー南蛮の発祥に諸説あることを書いたばかりだが、「ちゃんぽん」の語源もいまだ定説がないという。 中国語説のほかに、ナント「チャンコロ」と「ニッポン」の合成語説もあるとは。
して長谷川さんが新たに紹介するのが、スペイン語のチャンポナーダ(何か、めちゃくちゃなこと)説。 さらに「ちゃんこ鍋」の「ちゃんこ」も同じ言葉では、と推察している。
チャンポナーダにあたる言葉が見つかるかどうか。 手もとの小さなスペイン語辞典では見つからず。 champonadaというスペルで検索すると、わずかにスペイン語のものがヒットするが、あまり一般的な言葉ではないようだ。
長崎で華僑たちが「長い間、日本人に見下され、差別に耐えてきた。」というのが重い。 その長崎で四海楼という店の亭主が「逆境を生きる華僑や留学生たちに安くて栄養価の高いものを食べさせようと工夫した、中国にはない日本料理だ。」
この亭主はクリスチャンだったという。 味の余韻がどんどん広がっていく。
10月10日(月)の記 金属ゼミの季節 ブラジルにて
今日も午後から賄い夫としてお泊り。 場所はサンパウロ市の川向う、サンパウロ大学学園都市に近い高層住宅。
隣の住宅が改装工事を始め、この騒音がなかなかのもの。 そして夕方からの機械音…
あ。 あのセミか。 https://www.youtube.com/watch?v=2q67OZ71zfM
今年のサンパウロの気候は特におかしい。 すでに春分を迎えて半月、ほんらいなら初夏の陽気だが、いまだ肌寒かったり雨が続いたり、急に30度を超えたり。
シロアリの羽化飛行の時期も遅れがちだった。 して、この金属ゼミの一斉合唱の時期か。
どうもこのセミは夏の初めと終わりに「発声」するようだ。 そもそもこれを音として認識していない人もいるようだし、ウルサイと思うとそうとうイライラするようだ。 僕はそれなりに、宇宙的創世記的黙示録的な音の世界を楽しむつもりだが。
それにしてもより緑の濃い学園都市の方からではなく、スラム横丁に沿った回廊林状の緑地の方から聞こえてくるのも妙。 そもそも音源のセミをしかと近くで確認してはいないかと。
この夏の課題のひとつかな。
10月11日(火)の記 Listen Before You Sing ブラジルにて
午後、お泊り先からサンパウロ大学へ。 今日もCINUSPで台湾映画を2本見よう。
1本目の少数民族ものが狙い。 原題は『聽見歌再唱』、ポ語のタイトルは英題の『Listen Before You Sing』の直訳だった。 台湾南部の山地の少数民族ブヌンの人たちの村の小学校に、若い女性の音楽の補助教員が赴任して… 中盤、彼女が号泣するシーンが圧巻だったが、そのテーマがずばりこのタイトルだ。 実話をもとにしているそうだが、映画的な見せ場はどこまで事実に沿っているのかな。
ラッシュ時に帰宅もナニであり、せっかくなのでもう1本、19時の回のも見る。 原題は『陽光普照』、英題は『A Sun』。 概要をさっとみると、黒社会もののようだ。 予備知識なしに見るが、これにはたまげた。 まるで予期しないストーリー展開の連続。
鑑賞後にネットでポ語の解説をみると「タランチーノ的」という形容があった。 ナルホドなんだかタランチーノっぽいかも。 暴力描写や、常識的なストーリーテリングと一線を画する物語。 検索してみると『ひとつの太陽』という邦題があった。 米アカデミー賞にノミネートされていたが、これまたなるほど。
夜間の運転はヒヤヒヤだが、今日もぶじ帰宅がかなった。
10月12日(水)の記 La Bombe ブラジルにて
今日はブラジルの守護聖母アパレシーダの祝日。 ブラジルでは子どもの日ともされている。
午後、パウリスタ大通りにある大型書店での新著のサイン会に声をかけられる。 せっかくなので行ってみる。
パウリスタ大通りは歩行者天国になっていたが、ふだんの日曜に比べると人出が少ない感じ。
サイン会の後で、三階にわたる店内を散策。 本屋がそこそこににぎわっているというのはうれしい。 店内にカフェもあるが… ひとりものが購入本をにんまりと紐解くような空気ではない。 マスクなしの方が過半数になった状況では、密が気になる。
さて。 思わぬ本を見つけてしまった。 どうしよう。 ・・・日本の預金封鎖も懸念される状況である。 日本の口座のクレジットカードでオトナ買いをするか。
表紙はキノコ雲。 『A BOMBA』というタイトルの全二巻のコミック。 ブラジルでは本の手前にあることが多い「奥付」を目を凝らして見る。 原題は『La Bombe』、フランス語だ。
これは帰宅後に気づいたが、このポルトガル語翻訳版はブラジルではなくポルトガルで出版されたものだった。 どうりでなかなかの金額だったわけだ。
ポルトガル語版発行は西暦2022年、今年。 オリジナルは2020年。
冒頭は、宇宙の歴史から。 そして、ヒトと核の時代の幕開け。 西暦1933年のベルリン、フリードリヒ・ウィルヘルム大学での物理学者レオ・シザードの物理学の講義のシーン。 並行して同時代の日本の広島での物語もはじまる。 さらに、ベルギー領コンゴ… たいへんな力量・情報量の大著だ。
コミックとの、衝撃的な出会いを感じる。 「肝心の」被爆国日本ではこのコミックの存在は知られているのだろうか?
検索… ほう、日本でもフランス語版がAmazon買いできるようだ。 こんなのがあった。 バンクーバー発か。 https://www.vancouvershinpo.ca/life/event/2021/04/12/webinar-re-french-comic-la-bombe/ バンドデシネか。
これは自分への忘備録として貼っておこう。 https://www.timeout.jp/tokyo/ja/news/bookstore-specializing-in-bandes-dessinees-maison-petit-renard-opening-in-itabashi-111621
日本に原爆が投下されるまでの詳細な人間ドラマを綴ったフランスのコミックが、フランス、ベルギー、カナダ等で高く評価されて、さらにポルトガル語に翻訳されてポルトガルで出版、ブラジルにも輸入されて書店に並ぶ。
日本国内に閉じこもっていては知らない知れないでいることは増えるばかり。 恥ずかしながら僕がレオ・シザードのことを認識したのも、ブラジルでポ語の朗読劇を見たのがはじまり。
10月13日(木)の記 Marte Um ブラジルにて
今週は月火がお泊り。 水曜は祭日だったので、一日断食は今日にした。
プライベート系の動画編集作業に入っている。 スマホで撮ったものの取込みで試行錯誤。
夕方から、ぎりぎり徒歩圏まで映画を見に行くことにした。 今年公開のブラジル映画『Marte Um』。 来年度の米アカデミー賞ノミネートの由。 検索すると「ブラジルで初めて黒人監督の作品が米オスカーにノミネート」といった見出しが上がる。
もし邦題をつけるとすると… ずばりカタカナ読みの『マルテ・ウン』かな。 意訳すれば『火星移住計画』。 これだと、僕の作品のタイトルにもカラんでくるような「のりしろのない」半可通にブーイングをくらうということになろう。
設定はリオデジャネイロと思い込んでいたが、ミナスジェライス州の町だった。 黒人系の「中の下クラス(ポルトガル語での解説にあった表現)」の四人家族の話。 独裁でたらめの限りを尽くした元総理大臣が広告塔を務めたカルト集団に家庭を破壊された男性の銃弾を浴びる、といったようなセンセーショナルな話とは縁遠い。
この家族の少年が、火星移住計画の宇宙飛行士になることを夢見ている、という設定だが、CGやらなにやらカネや手間のかかった仕掛けがあるわけではない。 ブラジルの極右政権誕生のなかで、というのが映画からもうかがえるが、今の世に生きていくことのなかなかさ、が描かれている、というところだろうか。
わが家庭を振り返る機会。
10月14日(金)の記 むしゃぶるい ブラジルにて
今日で最終日のサンパウロ大学CINUSPの台湾映画特集上映、2本をハシゴ。
一本目は『Pusu Qhuni』、原題『餘生 賽德克巴萊』。 そもそもこれが見たくてこの特集上映に挑んだのだが、その時は突然の作品変更を食らってしまった。 ロハだから文句も言いづらし。
今回は、ちゃんと上映してくれた。 調べてみると、日本でも西暦2014年の「台湾巨匠傑作選」というので上映されていた。 邦題『セデック・バレの真実』。 あの大作『セデック・バレ』のスピンオフのドキュメンタリー、といったところか。 このドキュメンタリーも大作だ。
西暦1930年、日本の官憲の過酷な先住民弾圧に蜂起したセデック族(タイヤル族)は日本軍による毒ガスまで使用した徹底鎮圧により、壊滅状態に追い込まれる。 いわゆる「霧社事件」だ。 その関係者の子孫を訪ねて、日本ロケもされている。 犠牲者の子孫が部族発祥の地とされる山岳にある聖地を探す旅に出るというのがひとつの主軸。 父子三人が迷った挙句にたどりつくクライマックスでも、カメラは先回りしてきっちりと三脚を据え、登場人物にはワイヤレスマイクを仕掛けているようにも見えないが、音声がしっかりと収録されている。 それでいて被写体は芝居臭さがまるでない。 これは、かなわない。
この作品でもウエイトを置かれる日本名・高山初子ことオビン・タダオさんその人に僕は1981年の台湾ひとり旅で偶然、出会っている。 彼女の経営していた宿に泊めてもらい、孫娘たちとトランプ遊びに興じて… オビンさんは問わず語りで事件のことを僕に語ってくれた。 「こわかったよ…」 と繰り返した。
その後、オビンさん、そして霧社事件とは数奇なめぐりあわせが続いた。 日本軍は部族間の抗争、という近世にさかのぼるアコギな手段で蜂起部族を壊滅状態に追い込み、生存者は「川中島」と称した一角に移住させられる。
何度目の台湾訪問の時になるか、この川中島で僕は拙作『KOJO ある考古学者の死と生』を上映している。 http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000044/20060701001978.cfm?j=1
感無量。
最後の上映は原題『血観音』という大作。 台湾の金持ちの女系家族の話。 チャイニーズの大金持ちで女系ファミリーとくると、邦題『クレイジー・リッチ!』を想い出す。 こっちは『血観音』というぐらいでだいぶ血なまぐさいけど。 『クレイジー・リッチ!』では日本という国と文化の存在はまるでうかがえなかったと記憶するが、こちらはささやかに盛り込まれている。
いずれにしろ、ブラジルにこもりながら台湾の壮大さを再確認しつつ、夜のキャンパスから発車。
10月15日(土)の記 なにもない土曜日 ブラジルにて
今日は、特にこれといった予定がない。 明日が少しややこしいけれど。
ルーティン業務および残務を。 昼は冷蔵庫を鍋ごと占拠するカレーチャーハンをメインに。
夜は、賄い先で意外と好評だったニラ入りソーセージを買ってこよう。
お、大通りにボルソナロ大統領批判のポスターが数種、貼りだされている。 迷うが、今日はこれをインスタにあげよう。 https://www.instagram.com/p/CjwJ8elrJxR/
明日の夜、テレビ等で大統領決選投票のボルソナロとルーラのナマ対決が放送される由。
10月16日(日)の記 客家会館 ブラジルにて
今日は朝から歩いた。 スマホの万歩計で17000歩以上。 立ち回り先には、僕なりにそこそこの覚悟をして挑んだ場所もある。
さらに計5時間以上の台湾映画を鑑賞。 場所は東洋人街の客家会館。 日系の「文協」ビルのはす向かい。 日系の「殿堂」の方は老朽化、使い勝手の悪さ等々から「客家」の方に河岸を変えるイベントも少なくないといったニュースに接して久しい。 僕はこの客家会館に入るのは初めて。
今日は日本統治時代にまつわる2本の映画。 一本目は邦題『海角七号 君想う、国境の南』。 恥ずかしながら、この映画のことを知らなかった。 解説を読んで、ずばり日本統治時代の悲恋の話かと思いきや、思わぬ展開。 年齢、性別、民族、社会的階層等々の多様性の統合というお題目が見事なドラマとして結実している。 パクリをかまして欺瞞傲慢問答無用ときた日本を代表する呪われた放送局あたりとは、志と性根が違う。 これも今日の日本政府同様、恥ずかしい。
二本目は邦題『KANO 1931海の向こうの甲子園』。 え、野球の映画で3時間以上かよ、と思ったものの。 これは傑作にして大作だった。 台湾南部の治水事業で活躍した日本人技師・八田與一の物語も巧みにからめられている。
いま検索してみると…、 八田は1942年、大日本帝国陸軍の命でフィリピンの灌漑調査のために客船に乗り、五島近海で米潜水艦の攻撃を受けて殉職、と知る。
上映後、例によって最後まで字幕を見ているのは僕ひとりとなる。 トイレから帰ってきたらしい東洋人の僕より年配のおじさんがポ語で話しかけてきた。 「これは日本領事館も関わるべき映画ですよ、これは実話ですよ」うんぬん。 「で、セニョールは台湾人ですか?」と聞くと、 ちょっとムッとしたように自分は日系人だと言い、なにやらファイルを取り出した。 自分はブラジルのサッカー関連のグループを日本の地方に連れて行くのに関わったと言い、30年ぐらい前のチラシを見せてきた。 さらに自分の知り合いは日本レストランをやっていて…と話が別次元に。 すでに他に誰もいなくなった会場内にとどまるのは会場側にも迷惑だろう。 「トイレに行きますので」と失礼する。
こちらのことは何も聞かれなかったが、他山の石としよう。 この上映の主催は在ブラジルの台湾の淡江大学関係者の由。 僕は淡江大学に招待されて拙作『リオ ブラジル』の中国語字幕版を制作してもらって上映している。
台湾各地を訪ねて先住民の教えを受けたり、拙作を上映した李をしてきたが。 台湾のことを伝えることを、すくなくともメインの映像では何もしていない。 台湾には、借りがある。
この上映のポスターの写真をフェイスブックに上げました。 https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10226643176160576&set=a.3410845544903&type=3 ¬if_id=1666181086416043¬if_t=feedback_reaction_generic&ref=notif
10月17日(月)の記 『追及ルポ 原理運動』 ブラジルにて
「『知らなかった』ではもう遅い。」 西暦1985年、今から37年前に出されたブックレットの表紙にこう書かれている。
今日はまた午後からお泊りで賄い夫を務めることになった。 向こうで読むものを物色。
だいぶ前―少なくとも今年の7月8日以前だろう。 少しでも蔵書を処分しようと選り分けて、上に雑誌類が乗っかって処分しそびれていた冊子を発掘。 朝日新聞社発行のブックレット『追及ルポ 原理運動』だ。
これは今となっては、そしてブラジル在住の身では貴重な文献だ。 しっかり読み直そう。
統一教会の教理の書『原理講論』の問題点をわかりやすく掲げてある。 『原理講論』の日本語版では原典から削除されている部分について。 ①日本は天照大神を崇拝してきたサタン側の国家であり、漢民族は選民であるとする”選民論” ②韓国を中心としてあらゆる文明が結実するとする”韓国中心論” ③世界の言語は韓国語に統一されるとする”言語統一論” などが削除されていたが、1983年の段階で日本語版に復元されているという。
そのほか『原理講論』に書かれたツボで、僕のイチ押しはこれだ。 「地理的にも無罪の教祖(彼らはそれを「再臨のイエス」と呼ぶ)の生まれる国はずばり韓国だということが、聖書、文明史、植物生態学から証明できるというのである。」 (前提書より)
少しでも一般教養があればその「証明」もツッコミどころだらけというより、突っ込む気も起こらなくなるレベルである。
ちなみにこの冊子、意外と日本でレアになっているのかと検索してみると… ネットで100円程度で入手できるようだ。
ふりかえってみると歌手の桜田淳子さんの合同結婚式参加が1992年。 この冊子はその7年前に発行されたものだ。 発行時には僕は日本映像記録センターの番組ディレクター兼牛山純一代表の小間使いで、そもそも一年の半分近くは海外取材、滞日中も会社のロッカールーム泊の続く日々だった。 その時期になぜこの本を買ったのかを考えると、思わぬ身近に危険が迫っていたことを想い出した。
さてこの冊子にも書かれているが、わがブラジルでは1980年代初めに統一教会の問題がテレビで報道されて全国的に反対運動が巻き起こり、怒った民衆が各都市の統一教会の建物に投石、破壊、放火を行ない、中南米最大を誇ったブラジルの勢力は壊滅状態にまでおちいった由。 その際、略奪まであったというのがブラジルらしいかも。
在日日本人よ、しっかりしてほしい。
10月18日(火)の記 映画二昧 ブラジルにて
午後、奉公先からそのままサンパウロ大学にクルマで向かう。 あらたなCINUSPでの特集上映をハシゴするつもり。
台湾映画特集が終わり、ヤレヤレといったところで。 今度はMUBIとの共催の最新映画特集。 MUBIは、ネットフリックスのような映画配信会社のひとつ。
最近の映画についていけなくなって久しい。 が、今回は上映作品のなかに僕も知ってるし、見てもいる『ドライブ・マイ・カー』などもあり。
さて今日の2本。 まずは『Shiva Baby』、2020年のアメリカ映画。 日本公開の見通しはないようだが、ググってみると日本語のレビューもいくつか見つかる。 シヴァというユダヤ教の葬送儀礼に参加することになった女子大生の話。 彼女の卒業と就職活動、バイト、性愛をめぐる台詞に場内の女子たちが湧きかえる。 共感を覚えるところがあるのだろう。 残念ながら僕は、短い秒数で意味の取りにくい単語の混じるポルトガル語字幕についていけない。
なぜこれを見ようと思ったか。 冒頭までしか読み込めないでいたポルトガル語のユダヤ文化についての大著にふたたび挑戦しようと思っていたタイミングだった。 ユダヤ教の儀式と今どきのアメリカの若者、といったこの映画のシノプシスに感じるものあって見参した次第。
夜の部のもう1本。 『Crimes of the Futura』。 その作品を「変態映画」とも表現されているデヴィッド・クローネンバーグ監督の最新作だ。 僕はおそらくこの人の映画を見るのは初めて。 ・・・たとえ飛行機のタダ映画でも少し見たらやめてしまいそうな。 映画館で見るのは一度座って見てしまうと、そうたやすくは席を立ちにくいというシバリがいい場合もあるというもの。
彼の作品のファンにとってもなんだかよくわからない映画が多いようで、僕あたりがわからないのはMUBEなるかな。 2023年日本公開かも、という情報など、日本語でもけっこう拾える。 近未来が舞台とされているが、未来をヴィジュアルで見せるような細工はほとんど登場しない。 どちらかというとアナログな世界。 グラフィティやピシャソンのある廃屋が舞台。 舞台設定にカネをかけなくても映画はつくれる、という好例かも。
シネフィルな大学生が集った会場だが、最後までクレジットを見ているのは僕以外にひとり二人いるかいないか。 そのおかげでこの映画は全編ギリシャのアテネロケと知る。
僕は段差のうえの一番前の席の端に座ったが、上映後も三々五々と入場者があり、僕の隣も埋まるほど。 映画館で隣に人が座るというのは、家族以外ではホント何年ぶりかという体験。
さあこの特集、気になる作品があるのでもう一回、チャレンジするかな。
10月19日(水)の記 木書きと雉撃ち ブラジルにて
いやー、日本で最高学府まで出させてもらって、このトシまで生かせてもらいながら知らないことが多くて恥ずかしい。 本稿を書くにあたって「雉を撃つ」という語を確認のために検索。 ナントこれは男子限定の隠語で、女子の場合は「花を摘む」と言う、とある。 知らなかった。 そしてこんなところからもジェンダーの問題を考察できるかも。
さて。 今日は一日断食。 いっぽう在宅の人らに昼食はつくらねば。
早めに昼食をつくって、キジを撃つ予定はないが用足しに出る。 裁縫用品店!、時計屋、そして隣駅近くの路上市… さあ今日のグラフィティ採集をどうしよう。
近所はひと通り刈り尽くしていて、新作を期待するしかないのだが… あ、隣駅の広場のこれがあった。 https://www.instagram.com/p/Cj6apf6Pi-0/
ポルトガル語の文法もあぶない記載だが、いわんとすることは、 「9月21日、オレの誕生日、38だ」といったところ。 これは翌日の段階で見つけているが、その日はより望ましい収穫があり、こっちは見合わせた。
さてこれだが、この木のみならず近くのもの計3本にほぼ同じ書き込みがされている。 書けそうな木には書きまくった、というところか。
こういうのに連日、注目するようになって2年半ほどになるが、同様のものを見た覚えはない。 人口1000万人を超える大サンパウロ圏で、自分の誕生日ごとにこれをやる人が0.1パーセントいたとしてもたいへんな美観の公害になり、社会問題となることだろう。
ふと日本の「糞土師」と称する人の活動を想い出した。 この人は野糞暦40年以上という「達人」だ。 日毎の大の方の用足しを、専用施設以外の野外で続けているという。 山地、田舎住まいならそれも可能かもしれないが、この人は東京の都市部に滞在中もこれをこなしている。 公園の木陰や町なかの植え込みを探して、そのなかに潜り込んでキジを撃つという。 これはなかなかできることではない。
他に追随してくる人がおらず、ブームにもならないから可能な例外ということになろう。
それにしても、幸か不幸か、グラフィティアートと野外排泄も親和性があるようで… アートと排泄か。 今後の考察の課題だな。
10月20日(木)の記 ザ・フェイク ブラジルにて
異国に暮らす友人があげたフェイスブックの記載に目をむいた。 ブラジルの、そして僕も関わる地域の運動を巡るゆゆしき事件が書かれている。 こんな深刻な事件を、遠い異国から知らされるとは。
さっそくこちらのニュースを検索してみる… 見当たらない。 キーワードを狭めたり緩めたり、時期も無制限に広めるがまるで見当たらない。 おかしい。
別件もあり、本人に尋ねてみる。 返答にびっくり。 いつ聞いたとも、いつのことかも定かではない無責任な世間話にまさしく尾鰭をつけてリアルに現在のことのように仕立てていたのだ。
本人は僕の指摘を受けて反省している、とのこと。 しかし投稿を削除するでもなく、その問題を知って嘆くメッセージも書き込まれている。 フェイクニュースの誕生と拡散のプロセスを目の当たりにした。
昨年は、日本の「さる大学」(サルの大学ではない、サルに失礼というもの)のコリアニストと自称する教授が岡村から「確かに聞いた」という虚言をもとに在日コリアンを大学の公開のオンラインイベントで繰り広げるのを目の当たりにした。 この教授は日ごろ在日コリアンをよからず思っていると本人から僕は「確かに聞いている」が、それをオカムラをなめてダシ・盾にして捏造の虚言で在日コリアンと岡村に対する誹謗中傷を繰り広げた次第。 この件は拙ウエブサイト等で告発したが、関係者も沈黙したままなのが不気味である。
自分で目の当たりにしたこの昨今のフェイクニュース2件について共通しているのは、発信者が対象に対して以前から不快に思っていたこと。 はじめに「事実」があって発信されているのではない。
こんなののさらなる類例には関わりたくもないが、関わってしまって沈黙するのは怠りの罪である。 不器用だが、ささやかなことでも事実に謙虚でありたい。
はじめに、事実ありき。
10月21日(金)の記 サンパウロ セトウチ ブラジルにて
こちらでカラと呼ばれる山芋を買っておきたい。 これはそこいらのスーパーや小さな青果店ではむずかしい。
わが家から南の大型青果スーパーか、東にくだるか… 帰りの坂がきついが、東に降りるか。
河川沿いの街道まで下りた。 降りてきた段丘の方を見やると、私有地の石段のように見えるところに公道の道路名標識がある。 行き止まりの表示はない。 ということは、天下の行動として、いち移民も通行可能ということか。 とはいえ先が見えず、猛犬や路上生活者、薬物の売人や賊が潜んでいてもおかしくなさそう。
うーむ。 思い切る。 ・・・とりあえず、懸念したような障害はない。 そして、デジャブ。 急斜面、民家と植物が迫る細い道。 横浜、長崎というより、瀬戸内だな。 瀬戸内の島。
実際に想い出すのは江田島、豊島(てしま)。 小径は予想のできない展開となり、こっちも確保。 https://www.instagram.com/p/Cj_KB4JvPwE/
本命ではなかった最近、開店したばかりの大型スーパーの駐車場の裏口につながっていた。 ここでカラも買えた。
思えば先週か、「瀬戸の花嫁」を弦楽で演奏するこちらの親類の結婚式の映像を編集・試写したな。 前世紀のものだけど。
♪愛があるから だいじょうぶなのよ
その後の瀬戸の花嫁、なんて物語があってもよさそうだ。
10月22日(土)の記 となりのトロロ ブラジルにて
今日はいよいよトロロ飯をつくってみよう。
ご飯は麦飯で。 こちらでセヴァジンニャと呼ぶ麦を昨晩から水に浸けておいた。
そもそも日本では自分でトロロを調理した記憶がない。 ブラジルでトロロ芋として使用するカラという芋は、植物学的にどのような関係なのか。
ほう。 日本のヤマノイモやナガイモもこちらのcaráも同じDioscorea、ヤマノイモ科ヤマノイモ属だ。 カラはDioscorea bulbiferaだが、なんとこれは日本にも存在していた。 日本名は、カシュウイモ。 ブラジルでも巨大ムカゴの存在が知られるが、この日本のカシュウイモの大きなムカゴもエアポテト、宇宙イモと呼ばれている由。
さて日本で一般的なDioscorea japonica:ヤマノイモやDioscorea polystachya:ナガイモとわがカラは、食の点でどう違うのだろう? ブラジルに縁のある邦人の書いたものがいくつかネット上で見つかった。 どうやらこちらのものの方が粘りが強いようだ。
さあチャレンジ。 わが家には小ぶりのすり鉢もある。 ・・・亡母がこさえていたのを想い出す。 あれはナガイモだったろう。 すり鉢に出し汁を少しずつ足すのを手伝ったこともあったっけ。 子どもの頃はこうしたネバネバものはあまり好まなかった。
タンの類を想い出すなどと言って母親に嫌がられたことだろう。 駅のホームにはタン壺が常備されていた時代のこと。
粘りが強いので出し汁を多めに、卵も加えてみた。 オカズをどうするか悩ましいところ。
おかげさまで好評。 いただきものの青のりがあってよろしかった。
10月23日(日)の記 ねりまのマリネ ブラジルにて
今日のタイトルも言葉遊び。 強いてこじつけるなら…
練馬といえば、大根。 かつて冬の能登を旅した時。 民宿で出されたシャケ入りのダイコンとニンジンのナマスが絶品だった。
そうか、呼称はナマスでもいいのだな、と今気づく。 ナマステ。
今日は昼食を一人でわが家でいただくことになる。 路上市で1キロ以上のアジを買ってきた。
通常は端肉をナメロウにする。 スプーンや包丁でこそぎおろすのがめんどくさいけど。
ナメロウの場合は味付けは味噌がベース。 今日は洋風にいってみよう。
この料理を何と呼ぶか… セビッチェやセビーチェと呼ぶ地理的にペルーを中心とする海産物の酢じめは、地域感が強いように思う。 カルパッチョというのは、ほんらいは生の獣肉使用のようだし。
そうか、マリネかと落ち着いた次第。 だがナマスの語も調べてみると奥が深い。
さて。 白と紫のタマネギ、ピーマンと赤黄のパプリカ。 イタリアンパセリに青ネギ。
酢はライム絞りだけだときつくなる感じ。 リンゴ酢と。 バルザミコ酢が味としてはマッチするが、色がくすんでしまう。 生モノの料理は色も大切だな。 オリーブオイルをきかせて。
ありあわせの蒸留酒を空ける… 白かロゼのワインが欲しかった。
のこりのアジを、まずは少しヅケにしておくか。 ヅケ:醤油漬けも広義のマリネかも。
10月24日(月)の記 『オビンの伝言』 ブラジルにて
『タイヤルの森をゆるがせた台湾・霧社事件 オビンの伝言』。 中村ふじゑさん著、梨の木舎から西暦2000年の発行。
梨の木舎さん、志の高い大切な仕事をしてくださっている。 この本は「教科書に書かれなかった戦争」シリーズの「PART32 歴史を生きぬいた女たち」の一冊。
さて、この本を買ったのはいつ頃だろう? パンデミック前までは異常な頻度で訪日していたので、その時の業務に関わる以外の本はなかなか読めないでいた。
この僕にとっての必読書も、最初の方だけ少し読んでシオリを挟んだまま、「積ん読」になっていた。
10月14日付「むしゃぶるい」で紹介したドキュメンタリー映画を契機に発掘。 http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000261/20221016016932.cfm?j=1
今日は午後からまた賄い夫としての泊り当番となり、その供に持参、読了。 主人公のオビン・タダオ/高山初子/高彩雲さんと夫のビホ・ワリス/中山清/高永清さんとは僕の学生時代、西暦1981年に台湾の現地でお会いして親しくさせていただいた。
そうか、それからまだ10数年だったのか。 1990年代初め、フリーとして訪日して朝日ニュースター(衛星チャンネル)の『フリーゾーン2000』という番組の編集作業を築地の朝日新聞社別館ビルで行なっている時。 隣の編集ブースから、聞き覚えのある日本語が聞こえてくる。 なんと、このオビンさんの映像だった。 アジアプレスのメンバーで台湾から訪日中の柳本道彦さんが霧社事件にまつわる番組を編集していたのだ。
オビンさんが亡くなられたのは1996年。 この本の著者の中村さんはオビンさんとは1962年以来のお付き合いだ。 オビンさんから実の娘のように扱われていたことが、この本から十分にうかがえる。 ふと『サンダカン八番娼館』を想い出す。
改めて、僕は恥ずかしいほどオビンさんとそのお連れ合いの高さんについて断片的なことしか把握していなかったことを痛感。
大日本帝国の植民地政策が、いかに台湾の少数民族をもてあそんできたか。 そして「神」である天皇のため、「お国」である日本の「聖戦」のためにまさしく命を捧げたこの人たちに、敗戦後の日本はどのように対応したか。
恥ずかしい。 その恥ずかしい日本から来たなんちゃって学生の僕に、おふたりは日本語で、ジェントルに応対してくださった。
その後キロクエイゾウサッカなどと名乗りながら、この人たちになんのお返しもできないでいることを情けなく思う日々だった。 しかし柳本さんが、そして中村さんがかけがえのない仕事をしてくださった。
・・・僕はいまの僕にできること、僕以外に誰もしそうもないことを手がけていくしかないだろう。
そしてオビンさん夫妻のように自ら声をあげ、脚光を浴びることもなかった人たちのことを。
10月25日(火)の記 チャド コロンビア ブラジルにて
午後、泊り先からサンパウロ大学CINUSPに直行。 今日も2本、見るつもり。
一本目は英題『LINGUI, THE SACRED BONDS 』。 カンヌのコンペ出品作品でもあり、日本語のレビューもネット上で散見。 製作国はフランス・ドイツ・ベルギーだが、アフリカのチャドが舞台。
さて、チャドといえば。 ・・・チャドといえば。 アフリカの真ん中より上の内陸国… 僕は長寿番組の『すばらしい世界旅行』の歴史のなかの後半に関わった。 番組では当初からアフリカ各地の民族もの、動物ものを紹介してきたが、寡聞にしてチャドのものは記憶にない。 そっち方面のネタは乏しいということか?
映画はチャドの都市部に暮らす未婚の母とその娘の話。 母は廃タイヤから抜き取った針金を加工した細工品を自ら作り、売り歩いている。 ・・・見る僕も、生きていくことが容易ではないことを思い知らされる。
もう一本がお目当ての作品。 タイのアピチャッポン監督が南米コロンビアでロケした邦題『MEMORIA メモリア』。 ・・・なんだかよくわからない映画。 カンヌで審査員賞を受賞している。 製作国はタイ、コロンビア、フランス、ドイツ、中国。
コロンビアの山と緑の景観はここのところスクリーンでなじんだ台湾をほうふつさせる。 ネット上の記載を読んで、少しは設定が呑み込めたような気がする。
決して不快ではないが、やっぱりなにがなんだかわからない。 それでも諸々のイメージが今も残り続けている。
10月26日(水)の記 靴底の屈辱 ブラジルにて
そもそもこういう靴をなんというのかな。 ・・・スニーカーか。 スニーカーとは何ぞやというのも、調べてみるとソコソコに面白い。
そのスニーカーのソコに穴が開いてしまった。 これは買ってからまだ3か月ちょっとぐらいではないかな。 布製の部分はまだきれいなものである。
とはいえ当地はそろそろ雨季。 先日の雨模様の時は少し歩いただけで靴下まで湿ってしまった。
決して値の張るものではないが、3か月で底が割れてしまうとは。 僕は毎日ソコソコに歩いているのだが、家族に言わせればそれは歩くための靴ではないとのこと。 今度は靴底に注意しよう。
というわけで、今日は先回と同じお店で店員に相談のうえ購入。
底に穴が開いていても雨天以外に使えばいいという考えもあろう。 だがしかし。 ウンチを踏んでしまった時に、ダイレクトに足まで及ぶリスク。
そして、さらに。 日本では、日常生活で他人に靴底を見られてしまう機会というのはあまり想定できないのではないか。 靴下ならソコソコあるだろう。
日本映像記録センターのスタッフ時代のことを想い出す。 当時はテレビ番組制作以外に、海外からの訪問者の接待等の業務もあった。 日本のはるか南からの来客のアテンドを仰せつかったとき。
牛山御大御用達の座敷のある飲食店に彼を案内した。 どうぞ靴を脱いでくださいというと、かなりうろたえている。 彼の靴下に大きな穴が開いていた。 会食の席で靴を脱ぐ事態があるというのを想像していなかったのだろう。
とっさの僕の対応。 「靴下も脱いでもいいですよ。僕もそうしましょう」 まず僕が靴下を脱ぎ、彼もほっとしたように続いた。
さて、ブラジル。 日本人のお宅や座敷のある日本料理店でも行かない限り、他人の前で履を脱ぐことはないと言っていいだろう。
しかし、靴底。 カトリックのミサでは、聖体拝領の前などにひざまずくことになっている。 教会の座席にもひざまずくための設備があることがふつう。
ひざまずくと、靴の裏が後ろの人に見えてしまう… まあそんな時に周囲の人の靴の裏をうかがうヒトもまれだろうけど。
さあ、今度のミサでは堂々とひざまずこう。
10月27日(木)の記 書きもの二題 ブラジルにて
『2ペンスの希望』というブログでわが手作り冊子『反骨の軟体 岡村淳の脳内書棚』part1・2について紹介していただいた。 https://kobe-yama.hatenablog.com/entry/2022/10/25/100000
谷川雁さんとの比較もあり、汗顔の至り。 ちょうど巨匠上野英信についての論考で谷川雁の名前に接していたところ、という奇遇。
この冊子は西暦2015年の東京・学芸大学の古書遊戯流浪堂さんでの同名の展示の際に読本として作成したもの。 店主の二見さん自らがコンビニでカラーコピーを取って一部ずつ製本、という町内マニファクチャーで作成した。
2019年の江古田のギャラリー古藤さんでの岡村作品特集上映にちなんで、学芸大学の業者さんに頼んで「ややハードカバー版」を増刷。 在庫を流浪堂さん限定で販売していただいている。 http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000119/20210301015265.cfm?j=1
現在、流浪堂さんは新店舗探しのためお店は休業中だが、通信販売には応じていただいている。 わが幼稚園の後輩でもある二見さん、そしてお店の展示で知り合った異能のクリエイターこうのまきほさんとともにジャズのセッションのようなノリで楽しくのびのびとつむいだもの。
さてもうひとつ難産のわが著作が刊行した由。 立教大学ラテンアメリカ研究所主催の2020年12月のわがオンライン講座の講義録を翌年9月までかけて全面的に新たに書き下ろしたもの。
タイトルは『コロナ禍のブラジルから : 映像作家の巣ごもり時空紀行 』。 新書を書いたことはないが、新書一冊をしたためるぐらいの力量と時間をかけたと思う。 いろいろあってボツとなるのも覚悟したが、これまたいろいろな方々の尽力によってついに刊行されたとの連絡をいただいた。
これの方は希望される方が閲覧可能かどうか、研究所に確認中です。
10月28日(金)の記 ボーロのおメダイ ブラジルにて
今日は聖ユダ・タダイ(São Judas Tadeu)の祭日。 この日記でも何度か書いているが、裏切りのユダではなく、イエスの弟子でイエスのイトコともされるユダの方。 むずかしい困りごとの祈りを取次ぐ聖人としてブラジルでは知られている。
今日は大聖堂の前の大通りも車両通行止めにして、野外ミサもあるという。 午前9時の大聖堂のミサに行ってみるが… 大群衆。 カトリック系のテレビ局の生中継も入り、時間は過ぎているがいまだ参列者のインタビューを続けている。
午前10時には野外ミサが始まるのだが、その音楽バンドの練習の電気で拡大された爆音がミサ中の大聖堂にもとどろいてくる。 大聖堂の方の聖歌隊はギターとフルート。 生中継では外の爆音はどんな感じになっているか気になるところ。 密もいいところだが、マスク着用者はまばら。
ミサ中の献金をしそびれた。 「御絵」やステッカーももらったし、ささやかでも教会の収益になるものを買って帰ろう。
大聖堂の裏の道に特設の売店が並ぶ。 人気の聖ジューダス名物のマンジョーカ入りパンを買おう。 気になっていた聖ジューダスのケーキも買ってみるか。
ケーキはひとりサイズで bolo de São Judasと呼ばれる。 ポルトガル語のケーキは、ボーロ。 日本の「卵ボーロ」のボーロだ。
ボーロを家族の人数分、購入。 ひとつずつ透明のプラスチックケースに入っている。
帰宅後によく見てみて驚いた。 ケースに聖ユダ・タダイのシールが貼ってあるのだが、それに小さな「おメダイ」を貼り込んでいる。 メダイは日本のカトリック用語でメダルのことだが、これはポルトガル語の medalhaから来ている。 日本では島原の乱の戦跡やキリシタン墓地などから出土することもある。
おメダイに御絵(聖人の肖像のカード)は次回訪日時に、こういうのを喜んでくれる人たちへのお土産としよう。 カルト団体のような販売ではございませんので、ご安心を。
10月29日(土)の記 決戦前夜のおさんどん ブラジルにて
いよいよ明日はブラジルの大統領および州知事選の決選投票。 わが家では僕以外の全員が選挙権を持つ。 ボルソナロ現大統領派が不穏な動きに出るのでは、といった憶測もある。 サンパウロの日本国総領事館は選挙を巡ってリスクのありうるところには近寄らないことという勧告メールまで送ってくる始末。
ブラジルの、特に僕がかかわってきた先住民や生態系が今後どうなるかもかかっているので、落ち着かない。
近くに買い物に出ると、通常の土曜より何かおとなしい感じ。
さて、朝はコーヒーをいれてパンをお好みのサンドイッチにする用意。 昼はニラとシュンギクのチヂミをつくってみた。 購入後、数週間経っていたシュンギクの残りをぶじ消費。
夜は鶏の唐揚げにする。 手間がかかるので、わが家ではごちそうだ。 ツイッターで醤油のみの味付けというのを知り、先回やってみた。 これがわるくない。 通常だとけっこうやたらに隠し味を投入してしまうのだが。 今回も醬油のみで、
ブラジル産の「破天荒」という醤油を使うが、これはそこそこに甘い。 味付けに味醂などを加えなくてもいいぐらい。
醤油のみ、わるくはないが、そろそろちょっとショウガあたりを加えたくなってきた。
台所の立ち時間が多く一日が終わったな。
10月30日(日)の記 わが旨はアマゾンにあり ブラジルにて
朝から怪異なことあり。 家族全員で外出の際、通用口に小さな透明のガラス片のようなものが散らばっていた。
帰宅後に回収。 なんだかはわからない。 とりあえず怪我人もなく、あらかた回収もして僕あたりは「ただの怪異現象」ですませようとした。 連れ合いがこだわって探求、すっこり原因解明。
午後、狭いわが家の廊下で転倒。 顔面強打。 立ち眩みというのだろうが、はっきり原因もわからない。
鼻腔内の出血が止まらず、横になり安静にする。 メガネがどうやら無事なのがありがたい限り。
さて本日の大統領決選投票はブラジリア:サンパウロ時間の午後5時に終了。 さっそく集計が始まる。 横臥しながらスマホでCNNブラジルの中継を見る。 開票3パーセント、ボルソナーロがリード。 ルーラの強い票田の開票はこれからというが。
これだけハラハラとなにかの中継に釘付けになったことは、他にいつ何があったかな… 20時前にはルーラ当選確定。 まさしく僅差。
付近から花火、ブブゼラ、クラクション、ルーラの応援歌が聞こえる。
昨日も触れたが、僕は大アマゾンの先住民の取材の縁でブラジルに関わり、その人と文化、生態系の多様性に魅せられた。 はじめにアマゾンありき、である。 ボルソナーロ政権になってから、日本の安倍政権ともタッグを組んでのアマゾン侵食がすすめられていた。
先住民ジェノサイド、そしてさらなる環境破壊に少しは歯止めがかかりそうだ。 やれやれ。
10月31日(月)の記 運転中止 ブラジルにて
深夜に、つけっぱなしのノートパソコンを消しに起き。 しばらく座っていると、あらたに鼻血。
今日は午前中は横になって安静にしよう。 午後からは、賄い夫出張がある。 台所に立つのはともかく、運転が心配。 昨日の立ちくらみの原因がわからず、運転中に失神したら…
怪我人のワタクチを除いてもわが家、親類筋に病人続出。 こちらは決死の運転を覚悟していたが、別の事情から僕の出張は取りやめとなった。 しょうじき安心。
そうこうしているうちに、11月。 カトリックでは死者の月とされ、僕にふさわしいかも。 それにもちなんだ新たなミッションあり。
そのプロローグとして、移民小説家松井太郎さんの未発表の詩作を入力。 http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000182/20221031016962.cfm?j=1 さて、松井さん関係はどこまでやるか。
|